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色を無くしたこの世界で

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第二章 十三年の孤独
  第48話 混沌の記憶

 モノクロ世界、最深部。
 周囲の霧を纏い不気味に佇む、黒い巨塔。
 その内部に作られた無数の部屋の一角に、彼はいた。
 白と黒を基調に近未来的な印象を与える室内には、数冊の本が散らかり。壁には沢山の写真が飾ってあるが、その全てが黒く塗りつぶされ、どんな写真なのか知る事は出来ない。
 照明の落とされた暗い部屋の中央でベッドに横たわる少年は、どこか懐かしい空気を感じながら、視界の隅に映る自らの髪に触れた。
 この無機質な空間の中で唯一目立つ赤色に、少年は目を細めるとゆっくりとその瞼を閉じる。
 体中から力を抜き、ベッドに身をゆだねる。投げ出された左手首に巻かれた包帯は無造作に乱れ、隠していた傷跡を露呈させている。
 静寂に包まれた室内で少年が思い出すのは、昔の事。

 あれは一体いつの頃の話だっただろうか。もの凄く遠い事のようにも、ごく最近の事のようにも感じる。けれどそれは、永遠に彼の記憶から消える事は無い。

 辛く
 苦しく
 悲しい
 少年の話。

 大切な人達がいた。大好きだった人達が。昔の事すぎて顔は忘れてしまったけれど、自分にとってとても大切だったと言う事だけは、今でもはっきりと覚えている。
 二人もきっと同じ気持ちだったはず。これは自分の勝手な憶測でしか無いけれど、自分の事を愛し、大切にしてくれていると言う実感はあった。
 最初の頃は、確かに。

 八つ目のお祝いを迎える頃、社会が下した一つの決断により、少年の環境はガラリと変わった。
 今まで当たり前に得られていた物は無くなり、不自由な生活を余儀なくされた。
 それでも少年は平気だった。どんなに不自由でも理不尽でも二人がいればそれで良いと心の底から思えたから。
 だけど、二人は違った。
 社会が下した決断により、肉体的・精神的負担を何倍にも増やさねばならなくなった二人。
 余裕の無くなった心には将来に対する不安が強く宿り、優しかった二人を別人のように変えてしまった。
 「なぜ自分がこんな目に」。そんな負の感情は仲の良かった二人を徐々に壊していった。

 最初は些細な事が原因だった。虫の居所が悪かったのだろう。見た事も無い形相で怒声をあげる二人の姿を今でも酷く覚えている。日に日に繰り返され続けた口論は次第に暴力にまで発展した。
 怖かった。怒りに我を忘れる二人の姿が。
 だから、どうにか止めて欲しくて、少年は必死になって二人を止めようとした。
 今ならまだ間に合う。まだやり直せる。
 自分が二人を想うように、二人もきっと、まだ自分の事を想っていてくれているはずだから。

 今、思い返すとそれがいけなかったのだと思う。
 初めは理不尽な社会へと向かっていた怒りは、次第に互いへと向かっていき。そして最後には自分達の間に入る少年へと向き始めた。

 瞬間、頬に走る痛みに少年の思考は停止する。
 そして自らの身に起こった現象を理解する頃には、少年は与えられる痛みにただ耐えるだけになっていた。
 耳に突き刺さるヒステリックな声、重く響くような痛み、泣き疲れ朦朧とする意識の最中、少年は初めて理解する。


――ああ、そうか。愛してたのは、自分一人だけ。


「カオス」

 静かな部屋に響きわたった声に、少年――カオスは目を開けた。

「……クロト、様……」

 暗い部屋の中で浮かび上がる姿に言葉を零す。
 いつの間に来ていたのだろうか。クロトは穏やかな様子でベッドの端に座ると、寝ているカオスの顔を覗きこむ。

「おはよう。良い夢は見れたかい」

 問われた言葉に少し間を置いてから首を横に振ると、険しい表情を浮かばせる。その姿にクロトは「そう」と囁くと、静かな口調で話を続けた。
 
「そろそろ彼等との約束の時間だ。準備した方が良い」

 カオスはこくりと頷くと体を起こし、ベッドから降りる。
 それと同時に、天井から吊り下げられていた球体の灯りが点き、溢れた白い光が室内をぼんやりと照らし出す。

「クロト様」
「なんだい」

 ぐるぐると左手首に包帯を巻きながら、カオスはベッドに座り続けるクロトに話し掛ける。

「前回はすみませんでした。クロト様の言った事を、叶えられなくて」

 前回とは、一回目天馬達と試合をした時の事だろう。クロトは「気にする事じゃない」と言うと、優しく微笑み返す。
 その表情をチラリと横目で見ると、すぐさま視線を左手首に戻しカオスは続ける。

「今度こそ、クロト様の願いを叶えてみせます。人間達を倒して、逃げたアイツを連れ戻して……もう二度と、あんな無様な試合はしない……ッ」

 包帯の巻かれた左手首を見詰めながら、ブツブツと呪文のように唱えるカオス。
 その目はどこか虚ろで焦点があっておらず、クロトに向け発しているはずの言葉は、カオス自身に向けられているようにも感じられた。

「クロト様は、僕を救ってくれたから。あの場所から見つけてくれて、連れ出してくれた。……初めて、初めて認めてくれた。だから、だから僕は、ぼくは……」
「カオス」

 不意に肩に乗せられた手にカオスは顔を上げた。ゆっくりと視線を向けるとクロトの赤い瞳が目に留まる。
 その瞳が薄く細められたかと思うと、体がクロトの方へと引き寄せられた。突然の事にカオスは驚き抵抗するそぶりをしたが、次に発せられたクロトの言葉にそれも止めた。

「キミは良い子だ、今も昔も。例えキミが私の下した命令を成せなかったとしても、私はそれだけでキミの全てを否定したりはしない」

 自身と比べ頭一個分程背の高いクロトに抱きしめられ、自然と彼の胸元に顔を埋める形になりながら、カオスはただその言葉を聞いていた。

「キミが私を求める内は、私もキミから離れたりしない。もう二度と、キミを孤独にさせたりはしない」

 優しく告げられる言葉の数々にカオスは強張らせていた表情を緩めると、安心したように目を瞑る。先程まで苦しかった胸の突っ掛かりが嘘のように消えていくのを感じた。

「ありがとうございます、クロト様」

 クロトから体を離しカオスは礼を言う。その顔には先程までの不安な色など微塵も無い、いつもの自信家な表情へと変わっていた。 

「今回の試合はお任せください。この四代親衛隊モノクローム・カオスが、クロト様の理想を邪魔するアイツ等を叩き伏せてみせましょう!」

 胸に手を置き、意気揚々と言い放たれた言葉にクロトは目を瞬かせると口元に手を当て笑い出す。

「相変わらず、切り替えが早いね」

 クスクスと笑うクロトの姿に荒んでいた心が和んでいく。
――ああ、大丈夫だ。今の自分にはこの人がいる。

「じゃあ、期待してるよ。カオス」

 微笑むクロトの言葉に、カオスは強く頷いた。
 
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