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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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予行演習《プロローグ》

「キンジ、えっと……それは、本当なんだね?」


携帯電話の受話器から聴こえてきたのは、あまりにも聞き慣れた親友の声だった。そうして、その彼から告げられた事実に、狼狽を隠せないでいる。……否、それを可能性の1つとして仮定していたにも関わらず、現実を直視できない自分の不甲斐なさ──それだけを路傍で呪っていた。
如月彩斗という存在が、この大東京の喧騒と雑踏に呑まれてしまわぬように。朦朧、茫然とする厭な感覚には既に呑まれかけていることを自覚しながら、また受話器の向こうへと耳を傾けた。


『あぁ、信じたくないが……。下駄箱の隅とリビングの天井裏に仕掛けられてた。盗聴器にしては高性能なもので、リビング一帯と廊下くらいの広さなら余裕で集音できるらしい。指紋鑑定もしてもらったから間違いないとさ。先週に仕掛けられたものだろうと鑑識科は言ってる。……彩斗の言ってた推理と同じような流れになってるぞ、これだと。用意は出来てるのか?』
「……うん、ありがとう。こちらのことは任せてくれて構わない」


親友との通話を手短に終えると、傍らに控えていたアリアと視線が合った。赤紫色の瞳に憂慮を満ち満ちさせながら、こちらを見上げている。心做しかそれは、憂慮の他にも、紅涙で潤んでいるようにも思えた。この一報が、どれだけ重要なのか──それを理解しているのだろう。
だからこそ自分は、この事実を、目前の少女に伝えたくはない。母親を想うなりの彼女の優しさが、同時に私情となって、彼女自身を破滅の極地に叩き落とす可能性も読めたからだ。それでも逆に彼女を満足させるには、これを伝えなければならないことは、承知していた。


「……部屋から盗聴器が見つかったって。玄関の下駄箱と、リビングの天井裏に。仕掛けられた時期はだいたい、始業式の前あたりらしいね。それで、その盗聴器からは──」
「出たんでしょ。……理子の指紋が」


そう呟いたアリアの声は、震えている。往来の喧騒に融和してしまいそうな、路傍の折花にも似通った、そんな様をしていた。それがいつもの気位に満ちた少女だとは、思えなかった。
頷こうにも、頷けない。それは同時に、自分自身もまだ、あの磊落で諧謔的な峰理子という少女が、界隈を震撼させている犯罪者だと──そう認められていない証左にもなっていた。

反面、理子が武偵殺しなのだとしたら、どうして盗聴器に指紋を残すといった失態などを犯してしまったのだろうか──ともいう疑懼が、脳裏を駆け回ってもいる。理子こそが武偵殺しに利用されて……といった甘えすら見てしまうほどには、今の自分は、参っているのだろう。
しかし、これこそが本当の──武偵殺しの、アリアへ向けた最大級の罠なのだと思う。峰理子は、神崎・H・アリアと相対するつもりで、わざと失態に見せかけた罠を張っていたのだ。そうしてアリアは、それに気が付いている。明白な挑発に乗るか否かは、彼女次第だった。


「……馬鹿みたい。絶対に許さないから」


アリアはそう独り言ちたきり徐に、止めていた歩を進めていってしまう。すれ違いざまに香った梔子の匂いには、仄かに潮めいたものも混じっていた気がした。その背を歩きながら追った。
……アリアの往来に吐き捨てた言葉が、彼女の胸の内に燻った感情を明喩していたのには間違いはない。その感情は、自分にも理解できないわけではなかった。むしろ、十二分に同情できるものだった。他人に同情をするあたり、やはり自分はお人好しな人間なのだろう。そうして、母親を想う子供なりの感情──それに当てられてしまったことも、同情の要因になっていた。

自分の母親は、3年前に病死している。アリアの母親にも、経緯はどうであれ、それと同じ結末を迎えさせたくはないのだ。だからこそ、彼女の力になれるならば、最終的にそれが、母娘を助けることに繋がるならば──お人好しと呼ばれても、それだけは叶えてやりたいと思っている。彼女のパートナーになることは、単なる武偵のお遊びではないことを、知ってしまったから。

アリアが彷徨していると分かったのは、それから5分も掛からなかった。ただ人通りの少ない方へと歩いていく後ろ姿を見るうちに、彼女が涙を堪えているのだろうことが察せられたから。時折、その華奢な手を持ち上げて顔のあたりに持っていくごとに、推測は確信になっていった。靴音の間隔も、段々と短くなっている。そうして不意に、その靴音も、止んだ。

アリアが弱々しくしゃがみ込んだのは、この時だった。今まで堪えていた嗚咽が、堪えようにも堪えきれなくなったのだろう──それこそ本当の子供のように泣きじゃくっていた。手の甲で紅涙を拭い取りながら、不規則に肩を震わせて、隠せない嗚咽を吐き出している。
峰理子が武偵殺しであるという、紛れもない事実──それがアリアにとって如何に悲痛な事実であるかは、想像に難くない。この1週間、彼女と理子とは自分やキンジを通して面識があった。会話をしたのも始業式の日の1回や2回ではない。だからこそ、自分のクラスメイトに素性を欺瞞(だま)され続けてきたことが、彼女にとっては驚愕で、同時に悔恨でもあるのだ。


「……これ、使っていいよ。そのままだと手まで荒れちゃうから」
「……ありがと」


泣きじゃくる少女の肩を優しく叩いてから、自分もしゃがみ込んでハンカチを手渡した。勝ち気なアリアのことだから、泣き顔は人に見せたくないと言うだろう。今は別に、それでもいい。
それから、彼女の肩をそっと両手に抱え込みながら、背中を摩ってやった。「……あの子にずっと騙されてたのは、ショックだったよね。悔しいよね。うん、泣いていいんだよ」その言葉はやはり、アリアにとって図星だったのだろう。何度も頷きながら、その度にまた一層強い嗚咽を洩らしていた。自尊心の高いアリアだからこそ、平然とした理子の態度が気に食わなかったのだ。

何分くらい、こうしていたろうか。少なくとも10分ほどは、こうしてアリアを慰めていたように思う。その間、往来を行く人々が不思議そうに自分たちを見ていたのを、忘れてはいない。何事かと一瞥する者や、大丈夫かと訊いてくる者、恋人の痴話喧嘩だと囃し立てる者も居た。
その度に、そんな生半可なお遊び調子の分際で──と口走りかけたことも、覚えている。
兎にも角にも、十数分ほどして、アリアはようやく泣き止んでくれた。


「ほら、アリア。こっち向ける? ……あらら、こんなに泣き腫らして」


十数分ぶりにアリアと顔を見合わせる。目尻のあたりは赤く泣き腫らしていて、それを少しでも隠そうと、前髪を下ろしていた。後は決まりが悪そうに目を伏せていて、「……ごめん」と小さく呟くだけだった。「ふふっ、どうしてアリアが謝るの。謝らなくてもいいんだよ」そう苦笑する。まだ少しだけ潤んでいる生温い紅涙を、親指の腹で綺麗に拭い取ってやった。
そうして、徐にアリアの両手を包み込むようにして握る。握った彼女の手は華奢で、温柔で、肌理細かで、何より、温和だった。子供のような愛嬌のある手で、可愛らしかった。


「なっ、何よ……いきなりっ」


泣き腫らしている目尻と、羞恥のために紅潮した彼女の頬とは、色合いが似ていた。


「ねぇ、アリア。如月彩斗は君のパートナーとして、武偵殺しを逮捕するつもりなんだ。けれど、それが1人で出来るかは分からない。君1人でも同様だ。でも、2人なら──類推は確信になる。……パートナーとして、もう1週間近くを一緒に過ごしているでしょう。だからこそ、俺はアリアを信頼してる。だから、アリアも俺を信頼してほしい。言っていることは分かるね?」


この感情は、明らかに彼女への同情から芽生えた感情であるのだと、自覚していた。それと同時に、《教授》の名乗る例の男の意嚮(いこう)に合致していることも、承知していた。しかし形は同じでも、感情の芽生えた根本そのものが異なるのだということも、また理解していた。
どちらでも構わない。その根本が同情の気質だろうが、お人好しな自分の性格だろうが。こうした感情を抱けたことに、彼女に対するパートナーのしての掛り合いを、垣間見れたから。


「だからこそ──アリアを護りたいと、思ってるんだ」






昨日を思い返しても、これほど急速に事態が進展したことは、1年続けてきた武偵校生活の中でもそうそう無かったように思われる。だからこそ、迅速な事前作戦立案が必要だった。同時に、それを敢行するための休息を摂ることも、また。自分たちはこの1日で双方を成し遂げたのだ。
週明けの月曜日──本来なら武偵校に行き、授業を受けて下校しているあたりだろう。しかし今日ばかりはキンジだけを向かわせて、自分とアリアとはまた別の行動をとっている。

羽田空港から離陸した旅客機であるANA600便──別名『空飛ぶリゾート』は、その到着先をロンドンのヒースロー空港へと定め、飛行中と相成っていた。1階の全域がバーに、2階は12個のスィートルームに分割した、超豪華旅客機。それがANA600便だった。
窓の向こうの地表と黄昏とを眺めながら、滋味豊かな珈琲で口腔内を潤す。あまりにも豪華なこの舞台袖も、これから始まるであろう舞台への下準備と考えれば、内心合点がいった。自分もアリアも、ソファーに隣り合って座りながら、何をするともなしに寛いでいる。


「……あっ、そういえば、アリア。この飛行機に乗る前、キンジから連絡があったんだけどね」
「連絡? そんなのあったの?」
「うん、落ち着いてから話そうと思って。彼には作戦通り、武偵校で別に待機してもらってるでしょ。その流れで、どうやら午前中から独自に動いてたらしいんだ。武偵殺しに関する資料を探すためにね。それで、警視庁から資料を借りたんだって。そうしたら、あることが判明した」


「あること、って?」そうアリアは問い掛けた。首を僅かに傾げながら。


「キンジは、武偵殺しの犯行を時系列順に見ていったらしい。当たり前だけどね。……初期の3件は──バイク、自動車、船だった。そうして君は、その事件は知っていても、武偵殺しの犯行だとされる3件目を知らないはずだ。3件目は、シージャック」
「えっ……、知らない。なによ、それ」
「やっぱりね。君の知っている武偵殺しの犯行というのは、全て電波を傍受している件のみでしょう。その点、この3件目は例外だった。裏を返せば、彼の者は電波を必要としなかった」


「何故なら3件目は、武偵殺しが直々に赴いたんだからね」そう付け加える。


「3件目は、通称『浦賀沖海難事故』と呼ばれてる。または『アンベリール号沈没事件』。……話したろう。キンジの兄、遠山金一が殉職した事件だ。それとこれとを関連させると、遠山金一は、武偵殺しに殺された──そう読み解くしか出来ないんだ。分かるね?」


「そうして、それだけじゃない」そうも付け加えた。


「武偵殺しの初期の対象が、バイク、自動車、船──現在の対象が、自転車、バス。段々と大きさが増しているでしょう。そうして昨日に判明した通り、彼の者は罠を残していた。武偵殺しが峰理子だと分かれば、きっとアリアはその通りに来る。その迎え撃つ場所を、何処にするのか。それが理子の魂胆だろうね。予定は初期3件目と同じくして、船だったかもしれない。寧ろ、それが船であったとするならば、理子は君を、本気で倒すつもりでいるのだと思うよ」


それでは何のために、今、自分たちは飛行機に居るのか──。これが彼女へのメッセージだ。
刹那──そうして、それに応えるかのようにして、機内に2発の銃声が鳴り響いた。同時に、それを聞き留めた乗客たちの狼狽の声色でさえも、あたりを層、一層の喧騒に陥れている。
逡巡する暇もなしに立ち上がりながら、銃を抜いてアリアへと目配せした。彼女も既に2丁拳銃のコルト・ガバメントを携えている。それを確認してから、部屋の扉を開いた。


「みんな個室に戻って! 廊下には出ないこと!」


廊下には数人の乗客員が居た。彼等彼女等を避難させながら、盾になるようにして立つ。
ベレッタM93Rの照準の先を見透かして、思わず咽喉が鳴るのを感じた。コックピットの扉から緩慢にその姿を現した彼女は、一見してただのキャビンアテンダントのように思える。それでも見覚えのある金眼に、その手に握っているワルサーP99──その銃口は迷いなく、自分たちへと向いていた。奥には何のためか、操縦士が項垂れているのが見える。

……嗚呼、間違いない。彼女が、自分の仕掛けた罠(・・・・・)に捕えられた張本人であり、アリアの母親に濡れ衣を着せた武偵殺しであり、そうして何より──、


「──峰理子、心境は如何だい? これが罠だと分かっていながらもなお、赴いたその心境は」
「……やっぱりかぁ、って感じだよ」
「ふふっ、それはどうもご苦労さまなことで」


何事かを独り言ちると、彼女は徐に首元に手を伸ばした。乾いた音と共に、その仮面を剥ぎ取っていく。およそ美麗で健康的な女子高生を思わせる雪肌に、虚空に靡く金髪のツインテール、照明に反射した金色の瞳は、しっかりと自分たちを見据えていた。紛れもなく、峰理子だった。

仕掛けた罠──こちらが使ったのは、超古典的手段。キンジのみを武偵校に向かわせ、理子に『彩斗とアリアが小さなことで喧嘩して、パートナー解消の話にまでなっている』とかいうことを、囁かせたのだ。これは勿論、嘘でしかない。しかし理子にそれを確かめる術も無いのだ。自分とアリアとで2人揃って欠席したのにも、そんな意図を裡面に込めさせていたからだ。

そうして放課後、キンジを1度だけ帰宅させた。そこからまた理子に電話を掛けさせる──今度は、『正式に2人のパートナー解消が決まった。アリアが夕方の海外便でロンドンに帰るらしい。せめて理子の方から考え直すように説得してやってくれ、それで無理なら諦める』と。
理子からすれば、アリアと直接対決する千載一遇の機会だろう。この時分では、アリアは理子のことを武偵殺しとして認識している。だから自分が介入すれば、飛行機での一騎討ち──遠山金一との一騎討ちを果たしたような、そんな具合になるだろう。それを逆手に取った。

こんな話は、理子としても見え見えの虚言だったろう。それでも、武偵殺しとしての信念のために、理子はアリアと接触するだろうことは、確信していた。同時に、武偵殺しの犯行の3件目──船と対になる飛行機、そこを舞台にした理由も、彼女に伝わっているだろうと思う。
敗北の対は勝利。武偵殺しの意図には乗らない。自分たちは、お前を、捕まえる──。


「さて、どうするんだい、武偵殺しさん。こうなった今、目的を完遂させる前に逃げるか、大人しく逮捕されるか──の2択に、君の選択肢は絞られたのだけれど」
「……それなら始めましょう、2人とも。この運命によって導かれた舞台は、既に幕を上げているのだから。オルメスとリュパン家の、因縁の舞台。オルメス4世と、リュパン4世の、ね」


──予行演習(プロローグ)は、これにてお終い。

 
 

 
後書き
将棋の羽生善治九段が前代未踏の地を踏まれました。いぇい。

追記:2019/06/14 に言い回しを追加しました。  
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