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人理を守れ、エミヤさん!

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暗剣忍ばす弑逆の儀 (下)

暗剣忍ばす弑逆の儀 (下)





 その男は視ていた。

 一部始終を延々と。

 悶々と。

 慚愧の念に震えながら、歯を喰い縛ってその悪逆を直視し続けていた。

 罪もない人々。罪のある人々。健康な男性、女性。病弱な男性、女性。老いも若いも問わず、玉座の間に作られた血の沼に沈められていく人々の断末魔。
 既に生け贄の数は万の桁を優に超えただろう。血の沼に沈み、溶けていく人間の阿鼻叫喚は魂を引き裂くように男に刻まれ続けた。聖杯になみなみと注がれた女王の血が子宮と同義の沼を作り、聖杯そのものである沼から精神を改竄された英霊達が産まれる。その純粋な思慕と敬愛、忠誠心を植え付けられたモノが産み出されるのを目撃する度に、強烈な嫌悪感と罪悪感に己の心臓を抉り出してしまいたくなった。

 女王に強制的に座から引き出され、産み出されたサーヴァントは、女王には決して思想的に逆らえないように魂を改竄される。しかしそれでもなお幾人かのサーヴァントは抗ってのけた。
 召喚されてしまった時点で抗えないものに。召喚が完了していない故に対魔力が機能しないのに。意思の力だけで抗った者がいた。
 湖の騎士とその子、穢れなき純潔の聖者もその内の一人である。騎士王に捧げた忠誠心で抗い、湖の騎士は我が子が抗えている事を悟り咄嗟の事態であるにも拘わらず庇っていた。
 それを見ていた。ただ、見ていただけだった。だからこそ――疑問が生じた。

 ――俺は、これでいいのか?

 悪逆の側に荷担した。やむをえない義務がある。召喚された者(サーヴァント)として尽くす義理があり、いつか大義のある者に打ち倒される悪であろうと覚悟を固めていた。
 女王には逆らえない、騎士だからではなく、そうした令呪にも似た強制力が永続的にこの身を縛っていたから。そうしてはじめて、悪逆に手を染める事を受容していた。してしまっていた。今更ながら疑問を抱く己の愚昧さに吐き気がする。己の願望や矜持にかまけて思考停止していた蒙昧さに殺意が湧く。だがどうしようもない。どうあっても逆らえないのに変わりはないのだから。

 無力感に支配された。何も出来ないのか、俺はと。こんなザマで何が騎士だと自嘲する。いっそ狂えたらどれだけ楽だっただろう。しかしそんな逃避は赦されない。幾人もの犠牲を容認させられていながら、狂気に逃げるのはそれこそ罪深い咎だ。
 そうして煩悶としていると、ある男が百人の人間と共に玉座の間へ連れてこられた。女王は清楚に、無垢に唄う。あなた達の命、私にちょうだい? なんて。
 茶髪の青年は紅い布を左の二の腕に巻いた。或いは覚悟を固める儀式だったのかもしれない。しかしその布を見たからこそ男はハッとした。

 ――もしやこの者は……《あの男》の兵か?

 見た事があった。この特異点で、主と共に戦いを挑んだ軍勢が、その布を身に付けていたのだ。
 男が女王を糺す。何をするつもりだ、なぜ俺達を殺す! と。女王は笑った。活きがいいわね……強い仔を産めそうよ、と。糾弾の声などまるで聞こえた素振りもない。事実聞こえていないのだ。女王は怒りの余り理性が焼ききれ、狂奔してしまっている。途方もないその赫怒を癒せるとしたら、彼女が最も執着した最愛の戦士しかいないだろう。
 その戦士の行方は杳として知れない。何処で眠っているのか、知っているのは女王だけだ。

 咄嗟だった。これまで口を噤み、木偶に徹していたのを、この時になって漸く口を開いた。

「――女王メイヴ。進言があります」
「あら? ああ、ディルムッド。案山子になっていたのに漸く口を開いてくれたわね。私、嬉しいわよ?」

 フィオナ騎士団の一番槍、輝く貌ディルムッド・オディナ。彼が口を開き、声を発すると、くるりと振り向いたメイヴは心底嬉しそうに表情を綻ばせた。
 メイヴはディルムッドを高く評価していた。妬みを知らず、高潔な騎士として高い実力を持つ彼は、メイヴにとって非常に好ましい好漢なのだ。フィンの下にいたのが勿体ないと常々思っており、彼が一度帰還して以来ずっと側に置いていた。
 しかしこれまでの間、声を失ったかのように淡々と命令をこなし、決して自分からは何も言わなかった。メイヴはそれが非常に悲しかったのだ。ディルムッドは声が良く、体が良く、貌が良く、内面も良い。一晩相手してあげてもいいと本気で思っていたから。

 清楚でありながら淫卑、男であるなら身体の芯から蕩けそうな微笑みを向けられ、しかし彼はあくまで平静を保ち進言する。

「人間を生け贄にサーヴァントの霊基を呼び込み『構成』する素材とする。それを実行するにしても、素材は玉石混淆。玉と石くれをいっしょくたに扱うのは些か勿体ない。ここは活きのよいものは後に回し、そうでないものを優先して使うべきかと」
「ん? んぅ……そうね。変わんないと思うけど……確かに私の戦士達の質が上がるのだとしたら、試してみる価値はあるかしら? それに折角ディルムッドが考えてくれたんだし、やってみるのも悪くはないわね」
「……では、この者を預かります」

 ディルムッドは紅い布を身に付けた青年に当て身を食らわせ、失神させると肩に担いで玉座の間を後にした。

 ――俺は何をしている?

 罪悪感に貌を顰める。やっている事は命の選別だ。あの男の兵だから助けた。他の民は見殺しにして。何故あの男の兵だから助けたのか……。
 恩を売るためか? バカな、そんな事をする意味はない。ではなんだ? ディルムッドは――あの男に期待しているのか?
 何をするべきなのか、何がしたいのか見えているはずなのに見えて来ない。ディルムッドは唇を噛む。青年を担いで行き、宮殿内の一室に青年を運び込んだ。
 ソッと彼を下ろし横たわらせると、青年はそれですぐに意識を取り戻した。よく訓練されている証だ。意識を失ってからの復帰が早く、即座に跳ね起きるでもなく周囲の状況を探っている。目を閉じたまま意識を失っているふりをする彼に、ディルムッドは重苦しく問いを投げた。

「起きているのは分かっている。お前はあの男の……。サーヴァントを従えるマスターの部下か?」
「……」

 青年は暫く沈黙していたが、気絶している演技が見破られているのを悟ってはいた。故に往生際悪く演技を続けはせず、起き上がりディルムッドと相対する。

「……人を気絶させて、こんな所に連れてきて。いきなりなんなんだ。訳がわからん。サーヴァント? マスター? なんだそれは。俺にはさっぱりだ」
「俺はディルムッド・オディナだ。誤魔化す必要はないぞ。俺はお前が身に付けたその紅い布に見覚えがある」
「……」

 忌々しげに貌を顰め、青年は紅い布を外し懐に隠した。
 ディルムッドは自問する。何故こんな問いを投げたのか。意味がない。何かを聞き出したい訳でもないというのに。嘆息してディルムッドは彼に言った。

「……此処にいるといい。暫くは匿ってやれる」
「匿ってどうする? どうせ生け贄にするんなら、生かしていたって意味がないだろ。下らない自己満足の為に、俺を生かしたいだけじゃないか」
「……その通りだ。……一つ聞く。あの男は……我々に勝てるか?」
「勝てる。いや、《絶対に勝つ》。俺のBOSSはお前らみたいな奴に負けるものか」

 青年は即答した。ディルムッドはそれに――ひどく安堵する。そうか、勝てるか。勝ってくれるのか。
 どだい無理な話だ。勝てるはずがないとディルムッドは思っている。しかしそれを覆せる何かがあると、青年は確信しているようで。それがディルムッドには救いだった。
 立ち去ろうとするディルムッドに、青年が言う。

「待て」
「……なんだ?」
「なんだじゃないだろう。あんたは何がしたいんだ」
「……」
「俺を助けたな。理屈にもならん理屈で。明らかに、あの化け物になんの利益もないってのに。――あんたは、何が、したいんだ」
「……」

 繰り返し青年は問う。それにディルムッドは答える術を持たず、逃げるようにしてその場を去った。
 見張りはつけていない。どのみちこの城には多数のケルト戦士とサーヴァントがいる、逃げられるわけもない。しかしそんなことを計算できる精神的な余裕が彼にはなかった。

 何がしたいのか。何をすべきなのか。ぐるぐると考え続ける。青年の眼がディルムッドの脳裡に焼き付き何度も彼に問い掛け続けた。
 ――あんたは何がしたいんだ。――あんたは何がしたいんだ。――あんたは何がしたいんだ。――あんたは、何がしたいんだ。
 苦しくて堪らず、胸を掻き毟る。吼えていた。在りし日の記憶、生前。原野に向かって吐き出した熱を、取り戻すように吼えた。

 ……そうすると、心の中の靄が晴れた。

 ディルムッドは静かに火を点す。そうだ。今、勝つべきなのは誰だ。人間か? そうではない、戦いではない。この地に続々と産み出され続ける者達の苦しみを灌ぐことが勝利である。犠牲にした者へ関与する資格はないのだから。
 ならば勝つべきはディルムッドか? メイヴか? 違う。騎士道か? サーヴァントの義務か? それも違う。ならば勝つべきモノとはなんだ、真に勝利するとは。……否、勝ち負けではない。尊厳だ。何を以て尊厳を、矜持を示すかだ。そう、示すべきは――《全ての英霊が持つ尊厳》である。

 悪である事はいい。サーヴァントとして喚ばれたからには、義務として果たそう。騎士として殉じよう。しかし――《これは駄目だ》。
 やっと思い切る事が出来た。全英霊の誇りを貶める事だけは、英霊として断じて赦してはならない事だったのだ。
 ディルムッドはそれ以来メイヴの傍に侍り続けた。覚悟は決めた、しかしそれで行動できるほどメイヴの縛りはぬるくない。その心境とは裏腹に、忠実な騎士のように手出しが出来ない。武器が出せない、構えられない、糾弾できない。悔しさに気が触れそうだ。だが霊基がひび割れるほど気を込めて聖杯の縛りに抗おうとする。この心臓を抉り出せば、一撃を繰り出す事は出来るかという所まで来た。

 あくる日の事、そんなディルムッドの前に、ある男が現れた。

 金色の右目と、琥珀色の左目を持つ白髪の男だ。彼は捕虜として、メイヴの眼前に引き立てられてきた。肌の色が違う、隻眼ではない――その二つの差異はあるが、ディルムッドはその程度で誤魔化される阿呆ではなかった。
 呂布がいる。彼は粗野な武人だ。しかしその強さはディルムッドを上回る。――《本来なら》。今の彼になら勝てる、勝てるがそもそも戦えない。何故来たのだと思った。あの男は、カルデアのマスターは、何故こんな所に来てしまったのか。
 凝視するディルムッドに男が気づく。貌を顰めた。ディルムッドは女王の傍から離れ、男に近づく。呂布が訝げに目を眇めるも、無視して小さな声で男に問い掛けた。

「何故捕まった、カルデアのマスター。何故こんな所に単身乗り込んできた……!」

 敗れて囚われたとは思えなかった。何故なら彼は、自身の主であるフィンを討った男だからだ。仮に敗れたのだとしても、こうも無傷でいる訳がない。なんらかの手傷を負っていて然るべきである。
 ディルムッドのただならぬ剣幕に、男は怪訝そうにする。メイヴは鼻唄混じりに召喚の儀式をはじめようとしていた。白髪の男の他にも百人近い捕虜がいたが二つある収容所が空となり、白髪の男がいた収容所から八人補填して百人としたのだ。

「……お前に教える義理はないな」

 当然だ。当たり前だ。素っ気なく告げる彼に、ディルムッドは歯噛みする。呂布が近づいてくる。こそこそと何をしていると。それをディルムッドは睨んだ。
 この男には見覚えがある。確認しているだけだと。事実確認が出来れば女王に報告する、と。呂布はそれに納得はしなかったが、関心は元々なかったのかあっさりと離れた。

「お前の部下を、一人保護してある」
「……何?」

 ディルムッドが言うと、男は目を見開いた。そしてそれが意味する事にすぐに彼は気づいたようだった。

「なるほど。……は、随分と思い切ったな、ディルムッド・オディナ」
「……答えろ。何故此処に来た。何をしに来た」
「道理で以前よりもいい(ツラ)をしている訳だ。お前に何があったのか興味はないが……いいだろう、今のお前になら教えてやる」

 男は不敵に笑った。薄皮一枚の下に隠していたものを、ちらりと覗かせるように。
 それは決死の戦いに挑む戦士の貌だ。真の戦士は真の戦士を知る。ディルムッドは悟った。そうか、この男は――

「メイヴを殺しに来た。……どうする? 大事な主に報告してもいいぞ」

 ――メイヴを討ちに潜入してきたのだ。
 なんと大胆なのか。しかも、ディルムッドにそれを教えた。どんな神経をしていれば、こうも臆さずに己を信じられる。

「……何故だ? 何故俺にそれを教えた」
「さあ、なんでだと思う? 言っておくが気紛れじゃあないぞ。これでも騎士という人種にはそれなりに慣れていてな。考えている事は顔を見れば分かる。ケルトの騎士は大概が馬鹿正直だからな。それに俺は人を見る目には自信を持っている。それだけだ」
「それだけ、だと……?」
「ああそうさ。今度はお前の番だぞ。ディルムッド・オディナ、お前は……いや、《お前も》そのつもりだな?」

 ディルムッドは、それに。

 頷いた。男は名乗る。

「エミヤシロウだ」
「……?」
「フン。名も知らん奴と同じ腹は括れまい。くれてやる、お前に先手は譲ろう」
「これは……」

 シロウはディルムッドの胸に歪な形の短剣を押し付けた。それを掴んだディルムッドは、視線を落とす。
 この宝具はなんだ? 目で問うと、一言。契約を破戒するものだと素っ気なく伝えられ、ディルムッドはシロウに押されて踏鞴を踏む。
 その短剣を後ろ手に隠し、ディルムッドは笑みを浮かべた。なんという事だ、と。こんな出来すぎた事があるものなのか、と。余りにも奇遇だった。渡りに船だった。ディルムッドはメイヴの許に歩み寄り、自身の口がシロウの狙いを女王に伝えようとしているのを感じるのすら愉快に感じる。

「女王、報告が」
「? なにかしら」

 小首を傾げ、メイヴが振り向いてくる。ディルムッドは言った。

「確認しましたがやはりあの者はカルデアのマスターでした。女王の暗殺を狙って潜入してきたようです」
「――なんですって……!」

 メイヴの表情に電撃が走る。すぐさまシロウの許に振り向き、呂布に指示を出した。
 殺しなさい、と。資源として使うには油断ならないと見切っていた。方天画戟を握り締めてシロウを殺さんと殺気を漲らせる呂布に先んじ。ディルムッドは、覚悟を決めた貌で告げた。

「貴女はやり過ぎた。貴女に喚び出された全ての英霊に代わり、刃を以て諫言とさせていただく」
「……え?」

 間の抜けた声がした。その瞬間に、ディルムッドは己に短剣を突き刺していて。彼を支配していたメイヴは異変を察して再びディルムッドの方を向くも。

 呪いの黄槍が、メイヴを穿っていた。

「――」

 驚愕に目を見開く女王だった。しかし彼女はフッ、と笑う。

 やるじゃない、流石クーちゃんの認めたエリンの騎士ね、と。






 
 

 
後書き
再掲載完了。
完! 燃え尽きたぜ……。 
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