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fate/vacant zero

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孤独の匂い





 港町ラ・ロシェールは、トリステインとアルビオンを繋ぐ航路の玄関口である。


 人口はおよそ300ほどの小さな街だが、その街路は常に人口の十倍以上の航路を利用する人間で埋め尽くされている。

 立派に立ち並ぶ旅籠はたごや商店の店舗は、一軒一軒がその細い峡谷の崖から彫り出されたものであり、近づいてみると地面と壁の間に繋ぎ目など無いことがよくわかる。

 『土』系統の魔法使いメイジたちの、匠たくみの業わざであった。



 そんな石造りの旅籠群の中でも一際大きな宿、表通りの『女神の杵』亭の一階の酒場で、ルイズとワルドを除のぞいた一行いっこうはくつろいでいた。


 いや、才人とギーシュは死んでいた(比喩的な意味で)。


 本来なら馬で二日掛かる道中を八分の五日ぐらいで駆け抜けさせられたので、体力が切れたらしい。



 タバサは、いつも通りに本を読んでいた。

 服装は相変わらず寝巻きの淡いグリーンの貫頭衣&ナイトキャップのままだったが、気にした様子もなく、黙々と読み耽っている。


 実のところ酒場中から注目の的になっていたりもするが、やっぱり気にしていない。



 キュルケは、そんなタバサを上目遣いに見ながらなにやら唸っていた。

 さきほどは空気を読まないギーシュとワルドが先を促したことによって有耶無耶になってしまったのだが、キュルケはタバサの様子がどうも気にかかっていた。


 才人に撫でられてる間、少しだけ口元や目元が緩んでいたような気がするのだ。

 暗かったし、そのあと自分が才人の後ろに跨ってみても何か言ったり顔に出したりしたわけでもなかったので確証は持てない。


 とはいえ、もともとタバサは自己主張の強い子じゃないし、あたしのこういう判断ってアテにならないのよね、とキュルケは溜め息をつく。

 そもそも、タバサは自分がどんな表情をしていたかに気付いているのかどうかさえ怪しいわけで。



 まずはそこを確かめるところからだろう。


 タバサ自身が、自分の気持ちがどうなのか判断をつけるまではどうしようもない。

 そこばっかりはキュルケが誘導したって意味はないのだし。



 まあ、本気になったら手伝ってあげる、ぐらいに考えておいた方がいいのかしらね。

 もともと、あたし自身は本気じゃないんだし。


 ラ・ヴァリエールから恋人を奪うのは、これフォン・ツェルプストーの伝統であるからして、奪う手伝いをしてやるもまた伝統なり。



 なんか違う気もするけど、これも友人の甲斐性ってことにしとけばいいわよね、とキュルケは結論づけた。


 ……良くも悪くも燃え上がりやすく冷めやすい少女は、いつもとは少し違う方向へとその本領を発揮しつつあった。



 『その人にとって一番大事なものは奪わない』。

 それは彼女の持論であり、美点であり――損なところであった。



 そもそも奪うことが前提の時点で美点じゃねえだろ、などという無粋なツッコミはNO THANK YOUである。









Fate/vacant Zero

第十四章 孤独の匂い







 『桟橋』へと乗船の交渉に向かっていたワルドとルイズは、キュルケが結論を出して二分と経たない内に戻ってきた。


 二人とも、なんだか困った顔をしたまま席に着いたわけだが。

 なにかあったんだろうか?


 少しの間を置いて、ワルドは仕方ないといった風に口を開いた。



「アルビオンに渡る"フネ"は、明後日にならないと出られないそうだ」

「こっちは急ぎの任務だっていうのに……」


 口を尖とがらせたルイズがそう後に繋いで、才人とギーシュはあからさまにほっとした様子を見せた。


 これで明日は休んでいられるわけだ。体力が切れてる身としては、一安心もする。

 キュルケは、はてと首をひねって二人に尋ねる。



「あたし、アルビオンに行ったことないからわかんないんだけど……、どうして明日は船が出ないの?」


 確かに、日によって船が出港出来ない・・・・というのは甚はなはだ疑問である。

 ルイズをなだめていたワルドが振り向いてその疑問に答えてくれた。



「明日は風雅エオーの日だろう?
 それに加えて、白の国アルビオンは今、ラ・ロシェールに最も近い位置にまで来ている・・・・んだ。
 まともなフネでは、航続距離が短すぎて港の高さまで届かなくなる」



 ……すまん、解説は理解できるようにしてくれないか?

 届かなくなるとか、近い位置まで来ているとか、なんのこっちゃ?


 ファンタジーの世界なんだし、ひょっとして国そのものが動いてるとか?



 ……んなわけないか。疲れた頭でもの考えると変になるよな。

 そう自嘲気味にサイトは結論する。



「さて、それじゃあ今日はもう寝よう。部屋を取ってきた」


 ワルドは、三つの鍵束を岩のテーブルに置いた。


 ……ん? 三つ?



「ギーシュとサイトは相部屋だ」


 こいつとかよ、とギーシュを睨みつける。



「後続の二人も相部屋を使ってくれ」


 ……ちょっと待て?


 俺とギーシュで一部屋。

 で、キュルケとタバサで一部屋。

 これで、鍵は残り一つ、ってことは……。



「僕とルイズで相部屋だ」


 なんですと!?

 ぎょっとしてワルドを振り向く。



「婚約者だからな。当然だろう?」


 なんのどの辺りが当然なのか小一時間ほど問い詰めていいですか先生!


 いやそりゃ婚約者の心情としては理解できんでもないけど!

 ほんとにお前信頼してていいのかどうかすげえ不安になったぞリアルタイムにたった今!


 あと先生って誰だなんでこんな慌ててんだおちつけ俺!



「そんな、ダメよ! まだ、わたしたち結婚してるわけじゃないのよ!」


 ルイズは俺よりマシに慌てた調子でそう言ったが、ワルドには通用しないらしい。



「大事な話があるんだ。二人きりで話がしたい」


 そう言うワルドの顔つきは、相変わらずマジメなもので。

 俺もルイズも、それに反論する気にはなれなかった。









 あくまでも反論する気には、だが。



「……それで、きみは一体何をやっているんだね?」


 ここは貴族相手の『女神の杵』亭の中でも最も上等な部類に入る、割り当てられた部屋の中。

 天蓋付きのベッドに腰掛けたギーシュが、壁に張り付いて目を閉じた才人に尋ねてくる。



「見てわかんねえか?」


「悪いがさっぱりだね」

「オレっちにもよくわかんねえんだが、相棒はいったい何がしてえんだい?」


 ベッドに立て掛けた自分の剣にまで即答された才人は、耳から離した部屋の備品のコップを片手に呆れた。

 耳周りに丸い線が、コップの縁ふちの跡が残っていたりする。



「あのな、こうやって隣の部屋の声を聞くのは外泊するときの定番だろ?
 なんていうか、こう、アレだ。浪漫ってやつだな!」


 ものの見事に言い切った才人に、ギーシュが呆れた。



「きみね、浪漫とやらは知らないが、流石にそれはマナー違反だろう?」

「ちゅうか相棒、要するに娘っことヒゲ貴族がなに話してるか気になるんだな?」


 うぐ、と言葉に詰まる才人。


 そんな才人の反応に、昼間の様にニヤニヤしはじめるギーシュ。



「それで、何か聞こえたのかい?」

「いや、全然」


 耳をつけるのはコップの開いた方じゃなく閉じた方が正解である。

 それに気付いていない才人には、当然ながら隣室の音など聞こえない。

 聞こえるのはただ、無音という名の音だけである。



 それでも諦めずにコップを耳と壁の間に挟み続ける才人をよそに、ギーシュはデルフに話しかけている。



「きみも大変だねぇ、持ち主がこんなで」

「ああ、まったく情けねえ。
 こんな風に壁にへばりついて、惚れた女とその恋人の歓談をこそこそ盗み聞こうとするのがオレの相棒たあ、切ないやら情けないやらで泣きたくなるね」


 まったくだねと頷くギーシュだったが、デルフリンガーの話にはまだ続きがあった。



「おまけにこんなヒヨっこ貴族メイジごときに心配されるたぁ……オレも落ちぶれちまったかね」


「こら、それはどういう意味かね?」

「そのまんまの意味に決まってんじゃねえか」


 気にしているところを錆びた剣に突かれ、ベッドに沈み涙するギーシュ。

 才人はそれを見届けてから、一つだけ反論しておきたいところに突っ込んだ。



「別にルイズに惚れてなんかいねえよ。
 あんなプライドばっか高い乱暴なヒネくれ女、どうすりゃ好きになれるってんだお前は」


 歯をむいて唸る才人だが、情けないことに関しては反論しない辺り、結構ワルドへの劣等感が糸を引いているのかもしれない。



「それじゃあ、なんだって盗み聞きなんぞ試してんだね?」

「俺にもよくわからねえけど、なんか無性に気になるんだよ。そんだけだ」


 そう言って再びコップの真空音に集中する才人に、もうデルフリンガーの呟きは届かなかった。



「そーいうの、フツーは惚れてるっつーんじゃねぇのかねぇ……。今代の相棒はオレにはようわからんよ」


 まあ確かにそうなんだろうが。


 実は今の会話の間、デルフも気付かなかった、もとい素通りしてしまったツッコミ所が一つあったりする。

 なぜ、才人はそこを反論したくなったのか、と。


 ツッコんだところで、才人が答えられるかどうかはまた別の問題だが。









 さて、こちらは才人が盗み聞こうと試こころみている部屋の二人。

 無論、ワルドとルイズである。


 二人は丸いテーブルに向かい合って座り、お互いの持つ陶器のグラスをかち合わせていた。



「「二人に」」


 杯を乾あけ、ルイズは一息ついた。二人きりというのは、こんなに緊張するものだっただろうか?



「姫殿下から預かった手紙は、ちゃんと持っているかい?」


 ワルドが、話題振りがてら尋ねてきた。

 ポケットの上から、アンリエッタから預かった封筒を押さえて、そこにあることを確認し、一頷きする。



「……ええ」


 この手紙の。そして、先にウェールズ皇太子に宛てたという手紙の内容は、どんなものなのか。

 なんとなくだが、それは予想できた気がした。


 これでも、幼い頃はずっと姫さまと共に過ごしてきたのだ。

 この手紙の最後の一文を書いた時の姫さまの表情が、誰の、どんな話をする時のものだったか。


 ルイズは、それをよく知っていた。


 気付けば、考え事をしている自分を、ワルドが興味深そうに覗き込んでいた。



「心配なのかい? ウェールズ皇太子から、無事に姫殿下の手紙を取り戻せるのかどうか」

「そう……ね。心配だわ」


 正直言って、不安なことは多すぎるくらい多いのだ。


 ついさきほどのような夜盗。

 アルビオンへ向かう"凧ふね"の安全。

 アルビオン貴族派どもの襲撃。


 それこそ、心配し始めれば切りがないほどに。



「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついてるんだから」


 ルイズは、少し苦笑した。


 ワルドは、あの頃と変わらないのかもしれない。

 あの頃も、こんな風に自信満々に勇気付けてくれた覚えがあった。



「そうね。あなたがいれば、きっと大丈夫よね。
 あなたは昔から、とても頼もしかったもの。――それで、大事な話って?」


 話題を区切り、相部屋にした理由とやらを尋ねてみた。

 ワルドが、少し遠い目になった気がした。



「覚えているかい?
 あの日の約束……、ほら、きみのお屋敷の中庭で」

「あの、池に浮かんだ小船?」


 そうだ、とワルドが頷く。



「きみは、ご両親に怒られた後は、いつもあそこでいじけていたな。
 まるで捨てられた子猫みたいに、うずくまって……」


「もう。ホントに、ヘンなことばっかり覚えているのね」


 恥ずかしい思い出を掘り返されて、ルイズがむくれた。

 ワルドは、それを見ながら楽しそうに笑っている。



「そりゃ、覚えてるさ。きみはいっつもお姉さんたちと魔法の才能を比べられて、出来が悪いなんて言われてたんだから」


 ルイズが、恥ずかしそうに身を縮こませる。



「でも僕はずっと、それは間違いだと思ってた。
 確かにきみは不器用で、失敗ばかりしていたけど……」


 あう、とルイズが凹んだ。少し慌てた様子でワルドが言葉を続ける。



「あ、いや、違うんだルイズ。
 君は失敗ばかりだったけれど、誰にも負けない不思議な魔力を放っていた。

 魅力、と言い換えてもいい。きみには、確かに他の誰にも負けない特別な力があるんだ。
 僕だって並の魔法使いメイジじゃないから、何とはなしにそれがわかるんだ」


「まさか」

「まさかじゃないよ、ルイズ。例えば、きみの使い魔」


 ルイズの眉が、少し潜められる。



「サイトのこと?」

「そう、彼だ。彼が武器を掴んだ時に、左手の甲で光を放っていた使い魔のルーン。
 あれは、ただのルーンじゃない。伝説と呼ばれた使い魔の証さ」


「伝説の使い魔?」


「そうだよ。あれは、『神の盾ガンダールヴ』の印だ。
 始祖ブリミルの用いたとされる、伝説の使い魔だよ」


 ワルドの目が、壁を見据えた。

 才人に割り当てた部屋の方を。



「ガンダールヴ?」

「誰もが持てるような使い魔じゃない。きみは、それだけの力を潜ませているんだよ」



「……信じられないわ」


 ルイズは額を押さえて首を振った。

 ワルドは、冗談を言っているのだとも思った。


 確かにサイトは剣を持つとやたらとすばしっこくなったり、ナイフを使って魔法を唱えたりしたけど、あんな慎みの無いやつが伝説だなんて信じられないし信じたくもない。


 もし本当に伝説だったとしても、自分は落ちこぼれゼロのルイズなのだ。

 ワルドが言うような力が自分にあるなど、どう考えてもありえない。


 きっと何かの間違いなのだと、ルイズは自分の中で決めつけた。



 だが、熱くなったワルドの語りは止まらない。

 酒の魔力のせいもあるのだろうか?



「きみは近い将来、偉大な魔法使いメイジとなるだろう。
 そう、始祖ブリミルのように歴史に名を残す、素晴らしい魔法使いメイジになるに違いない。
 僕の勘が、そう伝えてくるんだ」


 熱っぽくなった視線のまま、ワルドはルイズを見つめ、そして爆弾を落とした。



「この任務が終わったら、僕と結婚しよう。ルイズ」

「え――」


 ルイズは、昨日の昼間の様な、白昼夢を見るような面持ちになった。

 唐突なプロポーズに、茫然自失している。


 過日と同じく、いきなり現実に表れた想い出こんやくをどうすればいいのか戸惑っているようだ。



「僕は魔法衛士隊の隊長のままで生涯を終えるつもりはない。
 いずれはこの国トリステインや……、この世界ハルケギニアを担っていける貴族メイジになりたいと思っている」


「で、でも……」

「でも、なんだい?」


「わ、わたし……、まだ……」

「もう、子供じゃない。きみは16だ。
 自分のことは自分で決められる年齢だし、父上だって許してくださっている。それは、確かに……」



 ワルドは一端言葉を切り、目を瞑った。

 言葉を整理しているのか、気を落ち着けているのか。


 ともかく数秒経って目を開けたワルドは、少し身を乗り出して言葉を続けた。



「確かに、ずっとほったらかしにしてしまったことは謝るよ。
 婚約者だなんて、言えた義理じゃないこともわかっている。それでも、ルイズ。

 僕は、きみが欲しい。きみじゃなければ、嫌なんだ」



「ワルド……」


 ルイズは、俯うつむいて自らの思考に沈む。



 ワルドが、想い出の憧れの人が、わたしを求めてくれている。

 それは嬉しい。

 嬉しい、はずなのに。


 何故わたしは、こんなに悩んでいるんだろう?



 ――きっとそれは、簡単なことだ。


 わたしが、落ちこぼれだから。

 ワルドの、足枷になってしまいそうだから。


 少なくとも、今はまだ。


 少なくともと言えるのも、ワルドの話してくれた勘を頼りにしての話だ。

 今のわたしは、ただの落ちこぼれに過ぎない。


 この先、その力とやらが使いこなせることも無いかもしれない。


 もしもの話だ、とワルドは言ってくれるかもしれない。

 いや、きっと言ってくれる。



 でも、その期待に副そえなかったら?



 わたしは、それが怖いのだ。きっと、そう。



 ――それとも、それもワルドに言わせてしまえば、それだけ、なのだろうか。


 それだけ、なのだろう。


 それだけ、なのかな。



 本当に、それだけ?



 ふと、サイトの姿が脳裏を過よぎった。



 ――あんな奴、知らない。


 わたしをさしおいて魔法を使うような奴。

 主の、わたしを。





 それはフーケを捕らえた日に膨らんでしまった、呪いじみた劣等感。


 あの日以来、ルイズの心に絡まり続けている、外へと向かい始めた思いの片鱗だった。

 貴族としての誇りで、それを無理矢理に抑え込んで平静に戻り……



「ルイズ?」



「え……、あ……」


 いつの間にか隣に立ち、不安そうに顔を覗きこんでくる、ワルドと目が合った。



「大丈夫かい? ルイズ」


「え、ええ。大丈夫よ?」

「そうか、それならいいんだが……。それで、ルイズ。返事を、聞かせてくれないかな?」


 返事? と一瞬固まってすぐ、ルイズはさっきワルドにプロポーズを受けたことを思い出した。

 とりあえず先ほどの硬直中、自分の中でまとまった意見を、そのまま伝えることにする。



「あの、その……、わたし、まだあなたと釣り合うような立派な魔法使いメイジじゃないし……」


「……きみの心の中には、誰かが住み始めたみたいだね」

「ち、違うの! そうじゃない、そうじゃないのよ!」


 首を振って残念そうな顔になったワルドが寂しそうに呟くのを見て、慌ててルイズが否定した。

 ルイズは自分の想いを確かめるように俯うつむいて、更に言葉を繋げる。



「あのね、ワルド。わたし、小さい頃からずっと思ってたの。

 いつか、皆に認めてもらいたいって。
 立派な魔法使いメイジになって、父上と母上に誉めてもらうんだ、って」


 話す内に閉じられていた瞼を開き、ワルドと目を合わせる。



「わたしは、まだそれを果たせてない。
 あなたと釣り合うほどの魔法使いメイジになるまでは、待ってほしいの」



 そうルイズが告げてからもしばらくの間は目を合わせていたのだが、二分ほどでワルドが折れた。


「ふぅ……、わかったよ、ルイズ。わかった。さっきの言葉は取り消そう。
 いま返事をくれとは言わないよ。きみは、一度言い出したら聞かない人だったね」


 最後の方は少し冗談交じりに笑いながら言うワルドに、ルイズは少し安心して頷いた。



「それじゃあ、もう寝ようか。疲れただろう?」


 そう言うとワルドは、ルイズに近づき……、唇を重ねた。



「ん……、ふ……」


 軽く押しつけられるだけの人生二度目のその行為は、なんだか暖かくて。

 それでいてどこか冷たくて、すっと心を落ち着かせてくれた。


 心にずっと引っかかり続けるソレすらも、気にならなくさせてしまうほどに。









 ちなみに、その更に隣の部屋。

 朝早くに叩き起こされたためか既に夢も見ず寝入っている蒼の天使と、明日からどんな風に焚きつけてみようかしらと思案する紅の小悪魔の姿があったそうな。







 翌日。


 才人がいつもの習慣で目覚めて、今日はどうやって過ごしてりゃいいんだ? とベッドの中で考えていた時のこと。



 突然、扉がノックされた。


 ギーシュは隣のベッドで安眠真っ最中だったため、しぶしぶとベッドから立ち上がる。

 もう少しこの布団の柔らかさは堪能していたかったのだが、他に誰も居ないんだから仕方ない。


 のっそりと起きだして、用心のために立て掛けてあったデルフを鞘ごと掴み、スタスタガチャリとドアを引き開ける。

 するとそこには羽帽子を被ったワルドが佇たたずみ、こっちを見下ろしていた。

 改めて間近で見ると、ホンっトにこいつ背が高ぇ。


 190ぐらいには届いてるんじゃねえか?



 っていうか、いったい何しに来たんだ?

 朝っぱらから劣等感を刺激されるのは、精神の安定によろしくないんだが。


 粘着質な視線でじっとりと睨んでいたら、向こうから声を掛けてきた。



「おはよう、使い魔くん」

「おはようございます。

 ……出発は明日、じゃなかったっすか?
 こんな朝早くから、いったいどうしたんです?」


 微妙におかしな敬語で尋ねると、ワルドは意味深ににっこりと笑った。



「きみは伝説の使い魔ガンダールヴだね?」



「……え?」


 唐突にいったい何を言い出すのか、コイツは。

 いや、そもそもなんで昨日あったばかりのあんたがそれを知ってるんだ?


 唖然としてワルドを見ていると、ワルドが何故か焦ったように言葉を続けてきた。



「その、なんだ。『土塊』の一件で、僕はきみに興味を抱いたのだ。
 色々と調べさせてもらったよ。僕は歴史と兵つわものには目が無くてね」


「はぁ」



 いかん、俺の同類こうきしんのかたまりかこの人。

 くっそぅ、そうと知っちまったら外見ルックスを妬むに妬めねえじゃねえか。


 類友っていいよね怒築症どちくしょう!



「フーケを尋問したとき、きみのカマのかけ方が気に掛かって、王立図書館で使い魔絡みの書を漁あさってみたんだ。
 そうしたら、『神の盾ガンダールヴ』に辿り着いた」


 なるほど。



「で、だ。
 僕としては、あの『土塊』を捕まえた腕がどのぐらいのものだか、試してみたいんだ。
 少し手合わせを願いたい」


「手合わせって?」

「つまり、これさ」


 ワルドは腰に差した魔法の杖を、勢いよく引き抜いた。

 ああなるほど、と納得して理解する。



「つまり、これっすね」


 片手に引っさげた鞘さやから、デルフの野郎を勢いよく引き抜いた。

 ……いやむしろ鞘を滑らせて後ろに投げたっつーべきだろうか。



「そのとおり」


 ワルドと目を合わせ、申し合わせたようににやりと笑いあう。


 ワルドは、どんな魔法を使って戦うのだろうか。

 好奇心が嫌が応にもくすぐられ、じわっと心が昂たかぶってくる。


 この好奇心もほんの数日振りのはずなのに、なんだか随分久しぶりに思えたのが不思議だったが、まあそれも今はどうでもいい。



 魔法衛士隊の隊長とやらが、ギーシュやフーケとどう違うのか。

 正直勝てるとは思ってないんだが。


 デルフを使う闘いは実質これが初めてなのだし、試せる限りは試してみよう。

 そう思った。



「どこでやるんすか?」


「この宿は昔、アルビオンからの侵攻に備えるための砦だったらしくてね。中庭に練兵場があるんだよ」







 それから10分ほど経ち。


 俺とワルドは、かつて貴族たちが国王直々に激励を受けたという練兵場で、だいたい20歩分ほど離れて向かい合っていた。


 練兵場とは言ったものの、ここはどうみても少し広いだけの物置といった風情である。

 端のほうには樽や空き箱が積まれ、建物と同じく地面から直接生えた石の旗立て台が、奥の方で苔こけむして佇んでいた。



「昔……、と言ってもきみには分からんかもしれんが、二代前の王、かのフィリップ三世の治下においては、ここではよく貴族が決闘していたらしい」

「へぇ……」


 半分ほど聞き流しながら、あの後いったん鞘にしまいなおして背負ってきたデルフの柄を右手で握る。

 それにともない左手のルーンも、いい塩梅あんばいに光を放ち始める。



「古き良き時代。王がまだ力を持ち、貴族たちがそれに従った時代。

 ――貴族が、貴族らしかった時代。名誉と誇りを賭けて、僕たち貴族は魔法を唱えあっていた」



 ワルドが、喋りながら腰の杖の柄に手を置いた。



「とはいえ、その理由はそれほど大したものじゃない事が殆どだった。
 随分とくだらない事でも杖を抜きあったものだそうだよ。

 そう、例えば女を取り合ったりね」



 おいおい、なんだって『取り合ったり』を強調するんだ。

 俺にその気はねえぞ。



 ――ねえったら、ねえんだかんね!



 一人で壊れながらデルフを抜き放とうとしたら、ワルドの掲げた左手にそれを制された。



「なんだよ?」

「立ち合いには、それなりの作法というものがあるんだ。介添え人がいなくては始まらないよ」



 ……あれ?



「単なる手合わせじゃなかったのかよ?」



「なに、簡単なことだよ。

 婚約者の近くに男がいると知ったら、婚約している身としてはその力を試したくなって当然だろう?」



 そうのたまうワルドの眼は、顔が笑っているにもかかわらず冷たくて。


 いや、そりゃそうだろうし言ってることはわかるけど。

 ひょっとして、実はワルドって嫉妬深いのか?



「……まあ、いいか。それで、その介添え人は?」

「まあ、そう焦るな。もう呼んであるさ」


 そういうワルドの背後の樽の陰から、ルイズがひょっこりと姿を現した。

 なにやら怪訝な顔で、ワルドを見つめている。



「ワルド。呼ばれたから来てみたら、あなたいったい何やってるのよ?」

「なに、彼の実力を知りたくなってね」


 彼、と言ったときだけこちらに冷ややかな視線が飛んできて、それ以外はルイズに笑顔を見せているワルドは、傍目から見るとさぞ素敵に不気味だっただろう。

 俺も不気味だと思った。


 ルイズの視線が、少し呆れたものに変わる。



「もう、そんなバカなことしないで。今は、そんなことしている場合じゃないでしょう?」


「そうだね。でも、男というやつはどうにも厄介なんだ。
 強いか弱いか。それが一度気になってしまうと、もうどうにもならなくなるのさ」


 ルイズは頭痛を堪えるみたいに額に手を当てて首を横に振ると、今度は俺のほうを向いた。



「やめなさい。これは、命令よ」


 と、指を立てて、キツい視線で見つめてきたのが、何故だか少し心地よかった。

 この瞬間、昨日なんでかルイズが気になっていた理由が、なんとなく分かった。



 ルイズは、昨日、ワルドが現れてから、ずっと。


 俺に対しては、話しかけてはこなかった。

 俺にその視線を向けてはこなかった。

 賞賛はもとより、怒りも、呆れも、蔑さげずみすらも。


 俺を、使い魔にしておきながら。

 俺を、そこにいない者のように扱ってきやがった。


 それが、なんだかムカついたんだろう。



 なら。



 なら、ルイズがそう・・なった原因を。

 この野郎ワルドを、ぶちのめせば――――?



「なんなのよ! もう!」


 応えが返ってこないことに怒ったらしいルイズを無視して、ワルドを見据える。


 もし、ワルドに勝つことが出来れば……、こいつはまた、俺を見てくれるんだろうか?



 少し、さっきワルドが言ったことを理解する。

 なるほど、こりゃ確かに……、『女しゅじんの取り合い』だ。



「では、介添え人も来たことだ。――始めようか」





 ワルドが、腰から杖を引き抜いた。

 合わせて、俺も背中のデルフを引き抜く。


 ワルドはフェンシングの選手みたいな構えを取る。

 杖えものを前方に突き出してもう片手を顔の高さぐらいに置く、アレだ。


 その動きに重ねて、デルフをいつでも振りぬけるように体の真右に伸ばして構える。

 よく漫画やら小説なんかで書かれる居合い。

 ……と言うよりは、腰を落とした野球のバッターに近い構えだ。


 さあ、と懐まで飛び込む……、前に、一つ訊いておかないと。



「俺、こいつを人相手に使うのは初めてなんで、寸止めなんて器用な真似は出来ませんよ?」


 そう言った俺に、ワルドは薄く笑って返してきた。



「心配はいらぬよ。全力で来い」


 そうです、か!



 返事を聞き終えるか終えないかのタイミングで後ろに引いた右足を強く踏み込み、四歩でワルドを射程圏に捉えた。

 そのまま右足で踏み込み、全力で左に薙いで奇襲、のつもりだった。


 だったんだが目論見は脆くも崩れ、ワルドはあっさりと杖でデルフを受け止める。

 重なったデルフと杖がガキャッ!と火花と金属音を撒き散らした。

 相手の得物は細身の杖だと言うのに、それが曲がりもしなりもしない。


 ……あの杖、いったい何で出来てやがんだ?


 とはいえ、勢いでワルドに蹈鞴たたらを踏ませることには成功した。

 そのまま追い討ちをかけようと、振りぬいた剣を力任せに引き戻す。


 が、さらに一歩を踏み込むより一瞬早く、ワルドの腕が閃いた。



「って、はぇえ!」


 シャッという風切り音をなびかせ、俺と変わらない速さで突きを放ってくる。

 それを切り上げることで払いのけると、ワルドは紋章入りの黒マントを翻らせて飛び退り、構えを整えた。



「なんでぇ、あいつ、魔法は使わねえのか?」


「やっぱ、舐められてんだろうよ。お前も錆び錆びだしな」


 一回斬り結んだだけでも充分理解できた。


 こいつ、ギーシュとは圧倒的に格が違う。

 まさかルーンを発動している状態でも動きについて来られるなんて、流石に予想外だ。



「なに。そういうわけじゃないさ」


 ワルドは羽帽子のつばを直しながら口を挟んできた。って何がだ。



「魔法衛士隊の魔法使いメイジは、詠唱すら戦いに特化していく。
 杖を構える仕草。突き出す動作。
 杖を剣の様に扱いながら詠唱を完成させるのは、近衛隊にとって基本中の基本だよ」


 そんな余裕の態度を見せるワルドに、速さに任せて突っ込んでみた。

 当然剣は突き出しながら、だ。



 だが、ワルドはそれを軽く杖で受け流して、視界から消えた。


 次の瞬間には目の中で派手に火花が飛び散り、俺は顔面から派手に地面に突っ込んでいた。

 一呼吸遅れて、後頭部辺りがズキンと痛み出す。


 背後からぶん殴られた、らしい。

 いってぇな。



「きみは確かに素早い。元がただの平民とは思えないほどに。Magnus大くよ
 ――さすがは伝説の使い魔ガンダールヴだ」


 そんな言葉も気にせずに跳ね起きて、真上に切り上げてから袈裟切ってみた。



「しかし、隙だらけだ。Turbidus病み
 あくまでも速いだけで、動きは素人そのものだ。
Solo荒れそれでは、本物の魔法使いには勝つことは出来ない。
Rui打ち据えよつまり」


 こなくそぉ!、と心で毒づく。


 当たらない、当たらない。

 袈裟切りの勢いをそのままに一回転して左へ薙いでもみたが、まったく当たらない。


 横に体をずらられ、後ろに飛び退られてかわされてしまった。



「きみでは、ルイズを守れない。Ventosus風よ」



 ワルドが何言なにごとか、低い呟きを付け加えた。

 それが先日、タバサから借りたナイフに叫ばされた一節であることに気付く。


 そして、ワルドの動きもそれを合図にしたかのように、守勢から攻勢へと変わっていく。



 二つ名どおりの閃光の如き突きを放ちながらも、その度に口元を小刻みに動かせ、確実に何言かを呟きつづけるワルド。

 常人には視認出来ないような速さのそれをぎりぎりで受け流しながらも、不気味に動く口が気になって仕方が無い。


 あれは、もしかしなくても――



「相棒、いけねえ! 魔法が来るぜ!」



 デルフがそう叫んだ時には、もう手遅れだった。

 どうやら、デルフが叫んだのと魔法の完成は同時だったらしい。


 言葉の直後、俺はギーシュの銅像ワルキューレに殴られた時のような重い衝撃を感じ、地面と水平にぶっ飛ばされていた。


 いったい何が、と吹き飛ばされる視界には、攻撃を加えたらしきモノは何も映っていなかった。

 つまり、今のは『風』の――



 そこまで考えたところで、二段ほどに積まれた樽に背中から突っ込んで、もう今のが何かなんて考えるどころじゃなくなった。


 ってか、いってえな、おい……。

 ガラガラと体の上に降ってきた樽を蹴飛ばして転がす。


 軋む体を起こそうと、腕を地面に着いた。

 そのまま身を起こそうとして、鼻に何かが当たって押し留められた。


 何かと思って目を開くと、目の前には杖の先っぽがあった。

 ワルドの杖だ。


 何故か正面からは「こら、足をどけやがれ!」とデルフの声がしている。

 どうやら、先ほど吹っ飛ばされた時に落としてしまったらしい。



「勝負あり。だ」

「……参った、でいいんでしょうかね」


 やっぱり、といった勝敗だったので、あまり落ち込みはしなかった。


 体を起こし、デルフを……、っと。

 デルフの柄を掴もうとして、てこの原理で指を挟まれた。



「ちょっと、足どかしてもらっていっすか」


 す、っとワルドが横に動いた。

 挟んだ方の手を軽く振り、ワルドへの文句を愚痴の様に垂れ流すデルフを拾いなおして、肩に担ぐ。


 ……まだ少しふらふらしてるけど、歩くぐらいなら問題ないだろうと、その場を後にしようとした時に、後ろから声を掛けられた。



「使い魔くん、きみに一つ忠告だ」


 なんだ、と後ろを振り返ってワルドを視界に入れる。



「戦っている時は、無闇な好奇心は消した方がいい。注意力が散漫になると、勝てる相手にも勝てなくなるぞ」



「……そりゃどうも。肝にでも命じときますよ」


 進行方向に向き直り、旧練兵場を後にするとき、微かに耳にワルドのしんみりとした声が届いた。



「わかったろう、ルイズ。彼ではきみを守れない」



 気にするようなことではなかった。

 それは事実でしかなかったから。









 あんまりと言えばあんまりなワルドの言葉に、その場に残っていたルイズは我知らぬ間に反発していた。



「だって……、だってあなたはあの魔法衛士隊の隊長じゃない!

 陛下を守る護衛隊。強くて、当たり前じゃないの!」


「そうだよ。
 でも、アルビオンに行っても敵を選ぶつもりかい?
 強力な敵に囲まれたとき、きみはこういうつもりかい?

 わたしたちは弱いです、だから杖を収めてください、って」


 ワルドの言うことは、正しかった。

 正しかったが……、それでも、納得は行かなかった。


 確かに自分は、フーケの一件以来、サイトのことを何とはなしに遠ざけていた。

 ……ひょっとしたら、憎んで……いや、妬んでいたかもしれない。



 でも。


 それでも、あんな姿を見たかったわけじゃない。

 使い魔を、見捨てたかったわけでは、なかったはずだった。



 はずだった、のに。


 何故、自分の体は、あいつを追いかけようとしないのだろう。



 自分の気持ちを探し続けるルイズは、ワルドに促されるまで、いや促されてからも、心の奥へと迷い込んでしまっていた。









「いやぁ、負けちまったなぁ、相棒」


 もう一回寝なおそうと思って部屋に戻る廊下を歩いていると、肩に乗っけたデルフが、気遣ってるんだか陽気なんだか分からん声でそう言った。



「うっせ。負けるのなんか、端っから分かってたっつの」


「ありゃ、そっかね。まあ、あの貴族は強かったしな。
 あの『風鎚エアハンマー』の感じだと、『スクウェア』クラスに届いてるかもしらんね。
 確かに、負けても恥じゃあねえだろうさ」


 そう、負けて当然だった。

 最初に、自分でもわかってたハズじゃねえか。


 勝てない、って。



「惚れてる女の前で負けたのは、そりゃあ悔しいだろうけどよ。
 あんまり落ち込むなよ。オレまで悲しくなっちまうじゃねえか」


 だから惚れてねえし落ち込んでもねえって、と反論するのも正直かったるい。

 それに、今は思考はワルドの忠告の方に向けられていて、それどころじゃなかった。


 ワルドは戦闘中は好奇心を消せ、と言った。


 言ってたんだが、正直俺にゃムリな相談だった。



 珍しいもんを見たら勝手に意識が本能レベルでそっちへ振り向けられてしまうわけで。


 自分で分かってても、どうにかなるもんじゃない。

 どうにかなるもんじゃないが、それでは勝てる相手にも勝てなくなる、と。



 ……どうしろってんだよ、いったい。



「ところで相棒」


 考えを袋小路に詰め込んでいると、デルフから声が掛かった。



「なんだよ」

「さっき握られてる時に、なんかふと思い出したことがあんだけどよ……。


 ありゃ、なんだったっけかな……、まだ漠然としててよく思い出せねえや。
 なんせ、やたら大昔のことでなぁ……」


 おいおい。



「あのな、ちゃんと思い出してから喋ってくれよ……。で? 話はそんだけか?」


 ようやく帰り着いた部屋のドアを、デルフを持ってない方の手で開きながら訊く。



「いや、もうちょい。……あのさ。その額、痛くねえの?」







「は?」

「いや、だから額。ちゅうか、気付いてねえのか相棒?」


 いや、だから何に?



「……その顔は気付いてねえな? あのな? ちょい、鼻の横こすってみ?」


 言われた通りに鼻の横、というか頬辺りを擦ってみた。

 ぴちゃ、ぬめ、と湿り気と滑ぬめり気をもった冷たい感触がする。



 ……なんだ?


「えっとな。額から、結構派手に流血してんぞ? 相棒」



「――そういうことは先に言えッ!」



 思いっきり旅館の中、普通に歩いてきちまったじゃねえか!

 ってことは擦れ違った連中が妙にじろじろ見てきてたのって、お前じゃなくてこの流血のせいかよ!


 黙っていたデルフは、腹いせに鞘にしまっておく。

 このやろとか聞こえた気はするが気にしない。



 なんか拭くものがないかとしばらくがさごそ部屋を漁る。備品のタオルを見つけた。

 遠慮なく鼻の横を伝ってアゴまで流れたらしい血を拭ぬぐい、バンダナを巻くみたいにして額の傷辺りに巻きつけておく。


 巻いてからちとまずいかとも思ったが、気にするだけの余力ももう残っていない。

 ベッドに倒れこむと、五秒も経たずに意識を根こそぎ持っていかれた。


 夢も見なかった。





 なおこの時、才人はふたつほど気付けなかったことがあった。


 一つは、手で頬を擦った時には、指に血は・ついていなかったこと。

 もう一つは、部屋に入るまでの少しの間に、二つ隣の部屋に泊まっていた少女の片割れがその姿を目撃していたことである。









 さて、その夜のこと。


 蒼の半月を南中に湛たたえたラ・ロシェールの裏通りの奥深く、路地裏の一角に『金の酒樽亭』と名づけられた、廃屋みたいにしか見えない一軒の酒場があった。

 入り口、撥ね扉の横には喧嘩に使われてぶっ壊れた木製の椅子が積み上げられており、それがまたいっそう廃屋らしさを引き立てていた。


 普段は傭兵やならず者たちがドツキ合いながら過ごしているのだが、今夜はそいつらの姿は店内にはない。

 その代わりに、ちょっとどころではなく目立つ風体の二人組が、隅のテーブルを占領していた。



「予定通り、雇った連中の配置は完了した」


 そうもう一人に話しかけているのは、顔を口だけ残して覆い隠す白の仮面マスケラをつけ、金の長髪をポニーテールに束ねた、黒づくめの長身の男。



「そうかい。
 それじゃあ、わたしらもそろそろ出ようかね」


 そう返したのは、碧あおく長い髪を気ままに垂らし、整った顔に丸眼鏡をかけた美女。

 こちらも長身である。



「ああ。
 作戦は、分かっているな?」

「勿論。
 あれだけ繰り返されれば、忘れようにも忘れられないよ。

 あんたも、後始末はきっちり頼むよ?」


 二人は声を掛け合うと、同時に席を立った。



「無論だ。
 では、ラ・ヴァリエールの娘の確保。忘れてくれるなよ」


「言われなくても。
 あいつらには、借りもあることだしね。一泡きっちり吹かしてやるよ」


「期待しておこう」


 女は、仮面の男にそう笑って返した。



 逆襲の時間は、すぐそこまで迫っていた。









 一方、こちらは『女神の杵』亭。


 そのベランダで、バンダナを巻いた一人の青年が月を見上げていた。

 言わずもがな、才人である。



 ギーシュたちの姿はこの場にない。

 今頃は、一階の酒場で騒いでいることだろう。

 明日はいよいよアルビオン入りだということで、大いに盛り上がっているらしい。


 才人もキュルケに誘われたのだが、丁重にお断りさせていただいた。


 今日は、どうにも飲むような気分じゃなかった。

 今朝の『決闘』の後でワルドの言っていた言葉が、自分自身で思うよりも遥かに深く、才人の心に突き刺さっていた。

 才人は空に浮かぶ寂しい色した青の半月を見ながら、その言葉を思い返した。


 『俺ではルイズを守れない』。


 何故だかそれが、言い返せないそれが、無性に悔しかった。

 だが、簡単に覆せるようなものじゃないことも、自分でわかってしまった。


 俺は、魔法を殆ど知らない。

 知らないものから守るなんて器用な真似は、俺には出来ない。


 実際、ワルドの使った魔法には、視認も反応も出来なかった。

 おまけにこれから魔法を知ろうにも、今すぐには間に合わない。



 つまり、どうしようもない。



 そう結論づけてしまう自分が、腹立たしかった。


 視界に映った瞬く星の海が、青い半月が、赤い三日月が、ぼやけてにじんでいく。

 守る術すべを持たない俺は、ルイズの傍そばにはいられない。


 ましてや、確実に守れると思えるような奴が傍にいる。

 俺なんかがいても、邪魔になるだけだ。


 ……でも。



 ルイズの傍にいられない俺は、この世界で、何を頼ればいいんだろう?



 ワルドに勝てなかったことが、悔しかった。


 ……自分の他に誰も居ないこの場所が、寂しかった。


 いつだったか幼い日に、やたら広いデパートで親とはぐれた時のように、心細かった。



 だから、たったいま横合いから目の前に差し出された、見覚えのあるトゲトゲの葉が入った皿と、それを掴む小さな手の存在が、むしょうに嬉しかった。







 ……困った。


 キュルケに「ダーリンの様子が変だったから、ちょっと差し入れがてら様子を見てきてくれない?」と強引に酒場から追い出されて。

 二人が泊まっている方の部屋を訪れたまでは問題なかった、と思う。


 ドアを開けて、ベランダに座り込んだ彼を見つけて。

 そっちに近づいていったのも……多分、問題はない。はず。



 じゃあこれは、何が原因だろう。


 持ってきた料理が、学院でもよく出る月菱葉ダイヤローレルのサラダ(マンベリーソース和え)だったせい?

 それとも、泣き顔を見つめたのが悪かった?



 というより、どうすれば放してもらえるの?




 ……まずは落ち着くことが先決。

 落ち着いて状況を整理すれば、きっとどうにかする方法が。



 ――思い浮かぶわけがない。



 年上の男の人がお腹に顔を埋うずめて泣いている状態からどうしたらいいかなんて、今まで読んだどんな本にも書かれてなかった。

 ……とりあえず、泣き止んでもらうべき。なんだろうか。



 ――どうやって?





 回転の落ちた頭を必死に動かして考えてみるけれど、参考になりそうなことは全くもって思い浮かばない。


 途方にくれたわたしは、いつもシルフィードにしているように、相変わらずお腹辺りに押し付けられている頭を撫でてみることにした。



 ……その髪は夜気に冷やされていたからか、何故か敗北感を覚えてしまうくらいにさらさらしていた。

 手をなめらかに通り過ぎていく感じが心地よくて、手が何故だか止まらない。


 しばらくそのままさらさらと撫でていたら、手の下でぴくりと彼が身動きをした。

 ぎ、ぎ、と音が聞こえるくらい、彼の首が手の中で不自然なほどゆっくり動いている。


 視線を下ろしてみれば、涙の跡がくっきり残った、驚きに満ちた表情の彼と、ばっちり目が合った。







「す、すまん、タバサ!」


 いつもの無表情で見下ろしてきていたタバサの腰に回された腕を放し、少し飛び退って距離を開けようとして、強したたかに後頭部を手すりに打ちつけ、悶え転げた。

 せっかくの柔らかい手の感触も、手すりにぶつけた拍子に一緒にふっ飛んでしまったのが少し残ね――ちょっと待て、俺?


 なんだっていきなり自分よりちっさい女の子にいきなり抱きついてる!?

 あまつさえ何故にそのまま泣いてる!?

 こっちの世界に警察あったら確実に不審人物で捕まるぞ!?

 いやむしろ捕まえてくださいって自首するぞ!?


 俺犯罪者!?



 痛む頭を抱えて悶絶しながら、素晴らしいほどイカレている才人。

 その頭を抑える手に、ふわりと優しい体温が加わった。



「大丈夫?」


 重ねられた手がやわっこくて暖かくて、また泣けてきそうになった。

 なったが、ここはぐっと堪えておく。


 女の子に涙を見られるというのは、どうも男の身としては気恥ずかしくなるわけだ。



 ――正直とっくに手遅れだろうけどな!

 ああもう、顔が燃えそうだ。あちい。


 声を出したら盛大に裏返っちまいそうだったけど、それでも心配には安心を返すべきか。



「す、すまん。ありがとな、もう大丈夫だ」


 俺がそういうと、タバサは重ねていた手を放して、じーっとこっちを見つめてきた。

 そのまま5秒くらい見つめ合ったが、正直耐え切れません。


 少し目を逸らして、改めて尋ねてみる。



「ど、どうした?」


 俺、なんか……あ、したな、そういえば。

 流石にいきなり抱きついちまったのはマズかった……、よなぁ。


 『変態』とか呟かれたらどうすりゃいいんだ。


 流石の俺でもそれはヘコむぞ。



 ちょっと冷や汗でるぐらいには不安になったんだけれども、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 タバサは手に持ったままだった皿を両手で抱えて、一言「食べる」と呟いた。


 ……心配してくれたんだろかね?



 ……皿の中身は、いつも食堂や厨房でスープやシチューと一緒に食べている、あのトゲトゲした野菜のサラダだった。


 いつものものよりやや甘みの強いドレッシングは、葉っぱの味を綺麗に絡ませて、学院のものより随分苦味が引き立っている。

 舌の上でそれを転がしながら、俺は泣いていた理由と思われることを、タバサに尋ねられるままぽつぽつと洗いざらい洩らしていった。


 自分で確認する意味も含めて。



 フーケを倒してから、ルイズがなんだかよそよそしくなったこと。

 ワルドが現れて、ロクに話しかけても貰えなくなったこと。

 それが、なんだか寂しかったこと。


 今朝、ワルドに決闘を挑まれ、それに勝てれば、と淡い希望を抱いてあえなく玉砕したこと。

 『俺ではルイズを守れない』と宣告されたこと。


 そうして悩んで、何をすればいいかわからなくなったことにまで話が及んで、タバサは一つの疑問を口にしてきた。



 パリパリと噛んでいた葉は、ちゃんと嚥下のみくだしてから。行儀良いな。



「それで、あなたはどうしたいの」

「どう、って?」


 葉を噛み切りながら、意図を尋ねる。



「寂しさや苦しさは、原動力にできる。でも、あなたは何をしたい? あなたの望みは、何処?」


 タバサは、いつもの無表情ながら……、それでいて真剣な目をして、俺を見つめてそう問うた。



「その望みが心の底からのことなら、何も気にせず、ただそれを叶えにいけばいい」


 ……俺の身勝手で、そんなこと願ってもいいもんなのか?

 そう言おうとタバサを見やると――これも俺の思い込みかもしれんが――なんだか、自分自身にも言い聞かせているように見えた。


 なぜって、目が俺よりもずっと遠くを見ている気がする。

 遠い目って奴だな。



「あなたの望みは、あなただけのもの。あなたは、あなた自身が最善だと思うよう動くべき」


 要は、こうしたいと思ったら思うまま好き勝手やれ、ってことか?



「そう。結局は、自分がどうしたいか」


 そこに帰ってくるのか。

 ふむ、と葉っぱを貪むさぼりながら考えてみる。



 俺は、どうしたい?



 ルイズを守りたいか?



 自分を看病してくれていた(らしい)ルイズ。



 ……ワルドに見惚れてむっちゃ初々しくなっていたルイズ。



 フーケのゴーレムから、俺を助けようとしたバカルイズ。



 ――ゼロと呼ばれて、悔し涙を流していたルイズ。



 …………途中なんか混ざったな。

 けど、短い付き合いながらも、守ってやりたいとは確かに思っている、ハズだ。


 ハズなんだが。



 それでも、ワルドは強い。

 あいつ以上に上手うまく傍かたわらで守ってやるなんて、俺には出来そうにない。


 ――少なくとも、今の俺には。



 なら、今の俺にできることはなんだ?



 今朝の決闘で判明した、俺の弱点。



 俺は、あくまでも素早いド素人だってこと。

 剣の知識も、魔法の知識も、経験もないということ。



 それらを打開するために必要なこと、となると――





「学んで、教わって……鍛えればいいのか」


 時間は掛かっちまうけどな。



 と。

 俺がそんな長考を終えて、何をすればいいかを口走った矢先のことだった。



「なんだか面白そうな話をしてるわね。私も混ぜてくれないかい?」


 前方頭上から、聞き覚えのある女の声が降ってきた。

 タバサと顔を見合わせて、ばっと声の方を振り仰あおぐ。

 先ほどまで見えていた蒼の月も朱の月も、星空さえもそこにはなく、部屋の灯りに照らされてぼんやりと闇に浮き上がる……、岩壁ッ!?



「しばらくぶりね、お二人さん。元気にしてたかしら?」


 ゆらり、と岩壁――岩人形ゴーレムが動き、その右肩に座る長い髪をなびかせた人影が、部屋からの灯りに照らし出された。



「フーケ!」


 才人がその女に向かって叫び、あの日のようにタバサが動いた。

 杖が振られ、渦を巻いて『風刃エアカッター』が飛ぶ。


 今回は前回とは違って岩人形ゴーレムではなく、フーケ本人を狙い撃ったようだ。



 ようだったが、それがフーケに当たることはなかった。

 フーケの足元近くの岩がざぁっと崩れ、沢山の砂になってフーケを覆い隠してしまったから。

 あれは、『土』の魔法なんだろうか?


 『風刃エアカッター』はその砂の壁に巻き込まれてしまったようで、砂の壁が岩人形ゴーレムの一部に取り込まれて元に戻った後には、変わらず無傷のフーケの姿。



「随分ご挨拶じゃない。きっちり覚えててくれたみたいで、嬉しいねえ」

「お前、牢屋に入れられたんじゃなかったのかよ……」


 呆気あっけにとられていた才人も、疑問を口にしながら背中のデルフの柄を握り締める。



「親切な人がいてね。わたしみたいな美人はもっと世の中のために役に立たなくてはいけないって言って、出してくれたのよ」


 フーケは嘯うそぶいて自分の隣を見た。

 才人がその視線を追うと、フーケの隣には、白い仮面が宙に浮いていた。


 ぎょっとして目を凝らしてみれば、それは黒いマントを着て、某神速の剣客漫画に出てくるちょんまげみたいな髪をした、背の高い……、男?だった。

 アレがフーケを脱獄させた奴、なんだろうか?


 仮面は額から鼻下までを覆っていて、男なんだか女なんだかよく分からない。

 ヒゲでも生えてれば分かりやすかったが、そんなことはなかった。

 その男?は喋るのはフーケ任せにしているのか、口を開く様子も無い。

 それがまた、一層不気味さを引き立てている。



「……おせっかいな奴もいるもんだな。それで?
 いったい、何しにきやがったんだ」


 才人が、デルフを左手で抜き放つ。



「何しに来たか、ですって? そんなの、決まってるでしょう?

 素敵なバカンスをありがとうって――お礼を言いにきたんじゃないの!」



 フーケが嘲あざけるようなコロすような笑いの混じった声でそう奏でた途端、ベランダの手すりが轟音と共に、爆発でもしたんじゃないかってくらい天高く舞い上がっていった。


 無意識に顔を庇かばいながら、灯りにぼんやり浮き上がる岩人形ゴーレムを見やると、片腕が今にも「昇■拳」とか言い出しそうなぐらいに高々と振り上げられている。

 無茶なスピードで床ごとぶち抜いて手すりを吹っ飛ばしていったのは、どうやら岩人形ゴーレムのアッパーカットらしい。

 土製だった時に比べて、攻撃力が格段に跳ね上がっているようだ。



「ここらは岩しかないからね! 土が無いからって、安心しちゃダメよ!」

「誰が安心できるかぁッ!」


 才人はタバサの手を掴むと、後ろに向かって最大戦速で前進した。



 二人が部屋に飛び込んで二秒半、先ほどまで二人の立っていたベランダは、落下してきた手すりの成れの果てによって綺麗に粉砕された。







 危うく難を逃れた二人は、酒盛り真ッ最中の仲間たちに襲撃を知らせるべく、部屋から飛び出した。

 廊下を駆け、タバサを抱え、一足跳びに踊り場を跳び移っていく。


 そのまま一階へと辿り着いた二人の目に飛び込んできた酒場も、混沌の様相を見せつつあった。



 ワルドたちは、階段からほど近い床に生えていたテーブルの脚をブチ折り、盾にして抗戦していた。

 玄関の外から、物陰から、矢が次々にそのテーブルに突き刺さっていく。


 こりゃいったいどういう状況なのかと机の陰までの短い距離を、無数に矢が飛び交う中、姿勢を低くして四人に駆け寄る。



 話を聞くところによると、玄関の向こうに巨大な岩の柱が見えているので予想はしていたらしい。

 敵にフーケが居ることを伝えると、驚かれるどころか逆に納得されてしまった。



 ワルドによると、いま攻めてきているのはベテランの傭兵の群れ(?)らしい。

 傭兵たちは魔法使いメイジ相手の戦闘には慣れているようで、緒戦でキュルケとワルドの魔法を見切り、射線から外れる屋外や物陰から矢を射掛け始めたそうだ。


 暗闇に身を潜めながら矢の雨を降らせる傭兵たちは厄介なもので、こちらからの攻撃はロクすっぽ当たりゃしない。

 狙いを定めようと立ち上がろうにも、矢の雨の中そんなことをすれば的にしかならないだろう。

 自殺行為もいいとこだ。


 一行以外に居たその他の貴族客たちは、カウンターの下に隠れて震えている。

 でっぷりと太った店主が緒戦の時に傭兵たちに必死で抗議をして、矢を腕に喰らってのた打ち回ったのを直視したんだとか。




「参ったわね……」


 ルイズの呟きに、キュルケが頷いて同意した。



「昨日の連中は、やっぱりただの物盗りじゃなかったみたいね」

「そのようだ。あのフーケが居るというのが分からないが、十中八九はアルビオン貴族の差し金だろうな」


 ワルドの推論にやれやれと首を振ったキュルケは、杖を弄りながら呟く。



「……このまま持久戦になると、こっちが不利よ。
 ちびちびと精神力を削られて、魔法が使えなくなった頃に突撃でもされたら堪たまったもんじゃないわね」


「ぼくの銅人形ゴーレムで、防いでやるさ」


 ギーシュが青ざめながらそう言ったが、キュルケは淡々と首を横に振った。



「ギーシュ、あなたの『戦乙女ワルキューレ』じゃあ、7体を一気に投入しても一個小隊ぐらいが関の山ね。
 相手は手錬てだれの傭兵よ?」

「やってみなくちゃわからないさ。ぼくはグラモン元帥の息子だぞ?
 賤いやしき傭兵ごときに後れをとってなるものかね」


 青褪めながらもそういうギーシュが、打ち負けると分かっていても諦めようとしない『青銅』が、ほんの少しだけ眩しく見えてしまったのは秘密にしておこう、と才人は思った。

 なんか調子に乗りそうだし。



「ったく、トリステインの貴族は口だけは勇ましいんだから。こんなだから戦に弱いのよ」


 立ち上がって呪文を唱えようとしたギーシュを、キュルケが首根っこを引っ掴んで制した。





「いいか諸君」


 ワルドが、低い声で告げる。その場の全員が、黙ってワルドの声に頷いた。



「このような任務は、半数が目的地に辿り着ければ、成功とされる」


 矢の雨の中で四人と合流して以来、一言も発していなかったタバサが、自分と、キュルケと、ギーシュを杖で指して「囮」と呟いた。

 それから、ワルドと、ルイズと、俺を指して、「桟橋へ」と呟いた。


 それを見た俺は、なんだかもやもやとした気分になった。



 本当にそれでいいのか?

 自分の中で、声が響く。

「時間は?」

 ワルドが、タバサに尋ねた。

 さっきベランダで理解したとおり、俺は、魔法には対処できない。

「今すぐ」

 タバサが打てば響く様に、ワルドに返す。

 この場に居る連中は人形遣いフーケと弓を使っている傭兵だが、ルイズたちの向かう方に魔法使いメイジが待ち伏せていないとは限らない。

「聞いての通りだ。裏口に回るぞ」

「え? え? ええ!?」

 まして、俺は今回ルイズが何をしにアルビオンとやらまで行くのか、その詳細もはっきりとは知らない。

 ルイズが、わけがわからないといった風に驚いた声を挙げた。

「今からここで、彼女たちが敵をひきつける。せいぜい派手に暴れて、目立ってもらう。

 そんな俺が、ルイズたちに着いていって何の役に立つんだ?

 その隙に、僕らは裏口から出て桟橋に向かう。以上だ」



 ――それぐらいなら俺がこっちに残ってた方が、ルイズは安全なんじゃないのか?

 そう考え到った時には、俺の口は勝手にその思いを吐き出していた。



「で、でも「タバサ、悪いけどメンバー変更だ」え?」


 皆が、一斉に俺の方に顔を向けた。



「ギーシュとキュルケは、ルイズの方を頼む。囮は、タバサと俺で引き受ける」



「……どういうことだい?」


 ワルドの視線が、鋭く怪訝けげんなものに変わる。



「適材適所、ってことですよ。
 ギーシュは今回の旅の目的を知ってるし、魔法使いメイジ相手ならキュルケの方が俺より頼れるでしょう?
 タバサさえいてくれれば、合流はいつだって出来るんだし」

「そうは言うが……、二人で大丈夫なのか?」


 ワルドは、俺ではなくタバサの方を向いて言った。


「少数の方が引掻ひっかき回しやすくはある」


 タバサは、賛同してくれたらしい。

 ――ありがたいね。


「だ、だが……」


 ギーシュが、こちらを心配そうに見てくる。

 ……こいつこういう顔も出来たんだなぁ、と少しだけ心の中で評価を上げておく。



「いいから、早く行けって。死にに行くわけじゃねえんだからよ」


 そう言ったら、ルイズは不安げに俯うつむいてしまった。


 心配してくれてんのかね。

 使い魔ごときのことなんかよりも自分の身の方を心配しろよ、と言ってやりたい。


 その思いが通じたのかは謎だが、キュルケがその震える肩に手を乗せた。



「ルイズ。ダーリンなら心配要らないわよ」

「でも……」

「早くしないと、裏口にも回りこまれちゃうかもしれないの。ここは、二人を信じましょう」


 そう説得されてからしばしの間が空いたが、ルイズは俺たちの方にぺこりと頭を下げて、一言。



「……このバカのこと、よろしくお願いね、タバサ」


 と言い、タバサがこくりと頷いた。



 バカは否定してくれないのね、と悲しくなったが、そんなことで言い争って無駄な時間と体力を使うのも嫌だ。


 ――よって、軽い意趣返しだけしておこうと思う。



「頼りねえご主人だけど、よろしく頼むな。ギーシュ、キュルケ」



 俺はそう言い捨てると、返事も聞かずにデルフを引き抜いて、机の陰から跳び出した。

 敵の注目を引き付けてルイズたちから目を逸らさせる、という建て前で逃げたともいう。


 なんか後ろから罵声が飛んできた気がするが、既に俺にはそっちに意識を振る余裕はない。

 机の陰から傭兵どもの視界に躍り出た途端、大量の矢が俺を目掛けて降り注いできたからだ。

 まあルーンを起動している今なら、かわせなくもない程度には見えてるんだけど。


 より大げさに動き、当たりそうで当たらないくらいに避け、時々避けきれなかったものを弾き落としたりしながら、ルイズたちを狙う矢を少しでも減らしていく。

 ルイズたちの方に飛んでいった何本かは、タバサが『風』で全部墜としてくれていた。

 その甲斐あって、それから一分も立たない内に、ルイズたち四人は厨房へと消えた。


 それを境にだんだんと矢の量が滝か何かみたいになっていき、打ち落とすのも避けるのもかなりスレスレなほどに密度が濃くなってきた。

 流石にそのまま身をかわし続けるのは無理と判断して、盾代わりのテーブルへとそそくさと駆け戻る。

 そこ、格好悪いとか言うな。









 酒場から厨房を抜けて通用口に辿り着くと、ギーシュが不意に膝を着いた。


「何やってるのよ?」


 ルイズが言うと、ギーシュは地面を強く殴りつけて、苦々しく口を開いた。


「仲間を囮にして敵に背を向けて逃げ出す、というのは、随分とこう、歯痒いものなんだね」


 吐き捨てるギーシュに、通用口に身を寄せて外の様子を窺っていたワルドが呟く。


「勝利の為に撤退することは、決して逃走ではない。立派な戦術なのだよ」

「それでも、です」


 だいたい、子爵自身が納得のいっていない声ではないですか。

 説得力ありませんよ、と心の中でギーシュは一人愚痴ひとりごちた。




「……外には、誰も居ないようだ」


 ドアを開け、四人は半月に薄く照らされるラ・ロシェールの街へと躍おどり出た。



「桟橋は向こうにある。急ごう」


 ワルドが先頭を往ゆき、ルイズとキュルケがそれに続く。

 ギーシュは己の『戦乙女ワルキューレ』と共に、殿しんがりを受け持った。


 街の闇へとその場を後にする折、ギーシュは、一度だけ後ろを振り返った。



 頼んだよ、と。

 今は目に映らぬ友へ祈るために。





 
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