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fate/vacant zero

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第一部
外よりの 序 曲
  厄日の使い魔

深夜。


 背に乗せた主人の住処すみかを目指す幼いドラゴンが一頭、見知らぬ土地の遥か高空を舞っていた。


 そのさらに高みには、夕焼けみたいに紅く染まった十六夜いざよいの月。

 そしてその月に並んで浮かぶ、氷のように透き通った少し欠け気味の蒼い月がある。


 眼下では点在する森と、広大な草原と、主人の住処すみかが、ラベンダー色になった月明かりに照らされ浮かび上がっている。

 そんな光景は、雪と山ばかり見ていた幼竜の好奇心を甚いたく刺激するらしく、その飛行軌跡は落ち着かない。


 あっちへばさばさ、こっちへばさばさ。

 上機嫌に鳴きながら"住処すみか"へと近づいていく幼竜。

 その尋常ならざる視覚が主人の部屋の窓を視認できる距離に至った時。


 "彼女"は"住処"の天辺に、微かな動きを捉えた。









 その動きの元において。

 外開きの木造の扉が、ぎぃと軋んだ音を立て、吹きつけてくる力と押し合いながらも、ゆっくりと開いていく。


「う……、風強いな、ここ」


 低くも高くもない青年の声が、扉の奥から聞こえた。

 ほどなくして、黒髪の青年が一人。扉の外――学生寮塔の屋上へと姿を見せた。


 やや高めの背丈をした身体は、この世界では見慣れぬ生地の紺と白のパーカーと、黒いスラックスに覆われている。

 その顔は、怒りと困惑と疲労とを混ぜて小一時間ほど煮込んだような表情。


 何があったかはまだ分からないが、そんな彼は後ろ手にドアを閉めた後、空を呆然として見上げていた。



「赤と青の月、か。こんなもんを、見ることが出来るなんてなあ。考えもしなかった」



 そう一人ごちた青年は、出てきた扉の横に腰を下ろす。


 見慣れぬらしい二つの月を映す彼の目は、どこか寂しげな墨色をしていた。





 好奇心に殺された猫。

 それが黒髪と墨色の目をもつ青年、才人さいとの現状であった。









Fate/vacant Zero

第一章 厄日の使い魔















 平賀才人ひらがさいと。17歳、高校2年生。


 運動神経は普通。興味があることには打ち込むタイプだが、成績は並の並。

 彼女いない暦=実年齢。賞罰はとりあえず皆勤賞のみ。


 担任教師曰く、『負けず嫌いで、義理堅くて、好奇心旺盛で。時々うっかりするのさえ無ければいい奴なんだが』。

 母親曰く、『もうちょっと先のことも考えなさい。そんなとこばっかりお父さんに似なくていいから』。

 まあつまり、頭より先に体が動く、よく言えば行動的な性格たちである。


 なお、ここまでの経歴に関してであるが、いずれもこの世界で積み重ねられたものではない。

 じゃあどこなんだ? という疑問が湧くだろうからして、その世界から彼が居なくなるまでの光景をまず描こうと思う。









 そもそもの発端は、冒頭のシーンより6時間ほど前。地球は日本の東京都での出来事である。


 その時、才人はノートパソコンの修理を終え、自宅へと帰る途上だった。

 とても舞い上がっていた。これでインターネットが出来る、と。


 実は彼、つい先日かの風名高い出会い系サイトへと登録を済ませたばかりであった。

 恋人が出来るかもしれないという魅力は、彼にとって抗えぬものだったらしい。


 彼曰くによると、平凡な日常に刺激が欲しかったとか。

 ありていに言えば、退屈だったのである。



 されど、望んだ刺激は出会い系からではなく、家へと戻るその道中に訪れた。


 電車を降りて家へと向かう途中、目の前、手をのばせば届くぐらいの位置に、発光する鏡、らしき "何か"が唐突に現れたのだ。

 才人は足を止め、それをまじまじと眺め回した。担任教師が前述したように、彼は非常に好奇心が強い。


 それは目測で高さ2メートル、幅1メートルぐらいの楕円形をしていた。

 横にまわってみて分かったが、厚みは0。そして、宙に浮かんでいた。



 好奇心が猛烈に刺激された。さて、こりゃいったいなんだろうか?



 まず頭に浮かんだのは、これは自然現象か? という疑問。

 即座に却下した。こんな自然現象、見たことも聞いたこともない。

 蜃気楼が一番それっぽいが、蜃気楼はこんな間近にみえるもんじゃないだろう。



 じゃあ、これは何だろう?



 そのままスルーして家へ帰る、なんて考えには及びもつかなかった。

 こんな面白そうな "何か"を、彼の好奇心が放っておけるわけがなかった。



 彼の興味は鏡(っぽい"何か")へとこの時点で完全にシフトしていたのだ。



 おもむろにその辺りに転がっていた砂利じゃりを拾う。直径3センチぐらいの、何の変哲も無いごく普通の丸っこい石ころだ。

 舗装された道路に転がってるのは謎だったが、手に持ったそれを"何か"へと軽く放り投げてみる。

 砂利じゃりは、"何か"を突き抜け、"どこか"へと消えた。


 後ろへ回り込んでみたが、先ほどの砂利は見当たらなかった。



 次に、ノートパソコンの入った鞄の中からおもむろにボールペンを取り出し、先っぽを"何か"に突き刺してみた。


 数秒そのまま放置して引き抜いてみたところ、なんともなかった。

 湿るか"何か"の一部がペンにくっつくかするかと思ったんだが、そんなこともなかった。


 もう一度突き刺して、"何か"の横から裏側を覗いてみたが、ペンの先っぽはそこにはなかった。





 おもしれえ。



 才人の好奇心はもはやMAX。

 おまけに危険がなさそうだったので、自分を放り込んだらどうなるんだろう、という興味にとりつかれてしまった。


 「流石にまずくないか」とも考えはしたのだが、すぐに「でも試してみたい」「試すか?」「試そう」と三段進化した。

 実に早死にしそうな性格だった。



 そんなわけで、ペンを抜いた10秒後には、彼の体は"何か"の中へと消えた。



 ちなみに、0.1秒で彼は後悔した。体の外も中も、無茶苦茶な衝撃に襲われたからである。


 これほどの衝撃を受けたのは、後にも先にも子供の頃の一度きりだった。

 そう、あの時は確か母親が買ってきた "頭が良くなる装置"とやらのスイッチを入れ、体を電流が駆け巡って死に掛けたんだった。


 どうも彼の好奇心は母親譲りらしいが……まあ、それはともかく。


 彼の意識は、ここで一度途切れた。









「あんた誰?」







 次に目を覚ました時、彼の視界は抜けるような青空と、先の声の主である桃色がかったブロンドの少女に不法占拠されていた。

 どうやら、仰向けに地面に転がっているらしい。手をつき、上半身を持ち上げて辺りを見回す。


 黒いマントを羽織り、自分を遠巻きから物珍しそうに見ている人間に囲まれていた。

 群生する足の群れを梳いて見れば、豊かな草原が広がっている……ようだ。

 遠くにはヨーロッパにありそうな、石造りの大きな城も見える。



 どこだろう、ここ。



「誰、って……、あ、俺か? 俺は平賀才人」



 重くてうまく回らない頭をおさえ、才人は先の少女の方を向いた。

 ついでに少女を旋毛から爪先まで眺める。


 服装は、遠巻きにしてる連中と同じ黒のマント、その下には白いブラウスとグレーのブリーツスカートを着ている。ようだ。

 顔は……、可愛い。肌は透き通るように白く、鳶色の瞳がくりくりと躍っている。


 ガイジンさんか?


 ……いや、その割にはやけに日本語がお達者だけど。



「あんた、どこの平民よ?」



 へーみん?

 非常に聞き慣れない単語は、頭痛の走る頭では解凍がうまくいかない。

 ?マークを大量に浮かべながらぼーっと辺りを見回す。


 この少女もそうだが、なぜみんな手に手に棒状の何かしらを持っているんだろうか?



「ルイズ、"召喚サモン・サーヴァント"で平民を呼び出してどうするの?」



 周りの誰かがそう囃すと、才人の顔をじっと見てにらんでいる少女以外の全員が笑った。


「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」


 才人の目の前の少女が、鈴のようによく通った品のいい声で怒鳴った。


「また間違いか、きみはいつもそれだな!」

「さすがはゼロのルイズだ!」


 誰かがそう言うと、人垣がどっと爆笑した。

 どうやら目の前の少女は、ルイズという名前のようだ。


 ようだが、才人の思考は未だに現実に復帰してこない。



 アメリカンスクールか?


 いや、多分違う。それっぽい建物が辺りにはない。

 おまけに、ガイジンさんにしては日本語が異常に達者なヤツばかりだ。



 じゃあ、映画のセット?

 これ、なんかの撮影か?


 いや、それも多分ない。

 セットにしては、草がやけにしなやかだし、手を付いている土はしっとり湿っているし、空を見上げれば青一色を背景にして、雲が気ままに流れている。



 ああ、爽やかだ。    ……じゃなくて。

 たぶん、ここは自然に屋外だ。



 でも、日本にこんなだだっ広いところなんかあったっけか?


 そもそも、なんで俺は草原なんかに転がってたんだ?





「ミスタ・コルベール!」


 絶賛混乱中の才人を放置したまま、ルイズと呼ばれた少女は誰かを呼んだ。

 人垣が割れ、中年の男性が前に出てくる。


 才人は、彼の姿を見て噴き出しそうになった。

 なぜって、彼の格好が激しくコスプレっぽかったからだ。

 大きな木の杖を片手に持ち、フードつきの真っ黒なローブに身を包んでいる。


 なんだあの格好。まるで、魔法使いじゃないかよ。

 大丈夫かこのおっさん?


 と。そこまで思考が進んだ時、才人は妙に気になる単語を思考の端に引っかけた。





 魔法使い?





 それに関係しそうな何かに、自分は最近、ていうかついさっき関わらなかったか?



 あの鏡っぽかった何か。

 厚みが無いくせに、なぜか中に入ることが出来た何か。


 種も仕掛けも無く宙に浮かんでいた、何か。



 ――アレって、魔法そのものじゃね?



 そこまで考えが至った時点で、才人は急に怖くなった。


 なぜ、自分はこんなところに連れてこられたのか?

 標本用? 実験材料? 何かの術に使われる生贄?

 つまりこれって死亡フラグ?



 次から次へと沸いてくるいや~な予感に押し流されかけた才人は、いやいや、と力尽くで楽観的に考えた。自己暗示ともいう。



 これはコスプレ集団だ。
 これはコスプレ集団だ。
 コレはコスプレ集団だ。
 コレハこすぷれ集団ダ。







 ……現実逃避ともいう。



 ともかく、そう思い込むことで才人は精神の安定を保つことに成功した。


 が、騙せたのは表層部分だけだったようで。

 何か状況が進展するまではなにもせず様子を見よう、と本能的に身動きを止めた。


 具体的には、蛇に睨まれた蛙が硬直するような本能的に。



 そうこうしている間も春色の女の子は、必死になってミスタ・コルベールと呼ばれた中年男性にまくし立てる。



「なんだね、ミス・ヴァリエール」

「あの! もう一回"召喚"させてください!」



 しょうかん? ……召喚?

 なんだそれ。

 うん、なにも聞こえなかった。


 才人は認めたら負けそうな単語をスルーしている。



 黒いローブの男性は、首を振った。



「それはダメだ。ミス・ヴァリエール」

「どうしてですか!」


「規則だからだよ。二年生に進級する際、きみたちは"使い魔"を召喚する。今やっている通りにだ」



 つかいま? ……使い魔?

 なんだソレ。うん、きこえないきこえない。


 才人は自分がここにいる原因を問答無用で突き止めてしまいそうな単語を力いっぱいスルーしている。



「それによって現れた"使い魔"で、今後の属性を選別し、それにより専門課程へと進むことが出来るんだ。
 一度呼び出した"使い魔"は変更することは出来ない。
 何故なら春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。
 好む好まざるにかかわらず、君は呼び出してしまった彼を"使い魔"にするしかない」


「でも! 平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」



 ルイズがそう叫ぶと、またもや人垣からどっと笑い声が湧く。

 ルイズがその人垣を睨みつけるが、それでも笑いは収まらない。


 で、才人はというと、







 ハルノツカイマショウカン?

 ナンダソレ。アーアーキコエナーイ。



 ……色々とヤバすぎる単語の大群から限界一杯まで意識を宙に飛ばして聞こえないフリしている。


 現実逃避は絶好調だ。運勢は絶不調だが。



 やっぱり妙な新興宗教なんだな、うん。

 ヘンなとこに連れて来られちまったなぁ……。どうにかして、逃げ出さないとなぁ。


 あぁ、でも。ここはいったい、どこなんだろうなぁ。

 外国だったら困るなぁ。どうやって帰ればいいんだろ。



 才人は、現実逃避をしているにもかかわらず心底困り果ててしまった。なかなか器用である。



「これは伝統なんだ、ミス・ヴァリエール。例外は認められない。彼は……」


 中年の魔法使いコスプレさんは、虚ろな目に少しひ・きながら才人を指差した。


「……彼はただの平民かもしれないが、呼び出された以上はきみの使い魔にならなければならない。
 古今東西、人を使い魔にした例はないが、この召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優先されるのだよ」

「そんな……」


 ルイズはがっくりと肩を落とした。



「さて、それでは儀式を続けなさい」


「……やっぱり彼とですか?」

「そうだ。
 出来るだけ急いでくれたまえ。次の授業が始まってしまうじゃないか。
 きみは召喚にどれだけ時間をかけたと思ってるんだね?
 何回も何回も失敗して、やっと呼び出せたんだ。いいから早く契約したまえ」


 そうだそうだ、と野次が飛ぶ。

 ルイズは才人の顔を、困ったように見つめた。



 なんだなんだ。いったい、何をされるんだ?



「ねえ」


 ルイズが、声をかけてきた。
  ……わりと、不機嫌そうに。


「はい」

「あんた、感謝しなさいよね。貴族にこんなことされるなんて、普通は一生無いんだから」



 キゾク。……貴族?


 アホか、この子?

 この平成の時代に、何が貴族だよ。ただのコスプレ新興宗教のクセしやがって。



 どうも才人の中では、コスプレ新興宗教という認識が定着したらしい。実に暗示の効きがいい。


 ルイズは諦めたように目をつむり、手に持った小さな杖を、才人の目の前で一振りする。





Nomen 我 がmeus 名 はLouise ルイズFrançoise フランソワーズla ルblanc ブランde ドla ラVallière.ヴァリエール

Quinque 五つのElementum 力をtempero 司るastrum Solomons.ペンタゴン

Ei この者にbenedico, 祝福を与えmotum mei Amictus我の使い魔となせ――――





 朗々と呪文らしき言葉が唱えられ、すっと、杖が才人の額に触れた。

 杖が離されるのにあわせ、ゆっくりと顔が近づいてくる。



「な、なにを」

「いいからじっとしてなさい」



 怒ったような声でルイズが言い、さらに顔が近づく。

 ぐんぐん。

 ぐんぐんと。



「ちょ、ちょっと。あの、俺、そんな、心の準備が……」


 才人はテンパっている。わさわさ、ふるふると小刻みに震えだした。



「ああもう! じっとしてなさいって言ってるでしょう!」


 ルイズは才人の頭を左手でがしっと掴んだ。




「え?」



「ん……」







 ルイズの唇が、才人のソレに重ねられた。



 な、なんだこれ! 契約ってキスのことなのか!?


 柔らかい唇の感触が、才人の混乱をさらに加速していく。


 お、俺の、ファーストキス!?

 こんなところで、こんなヘンなヤツに奪われるなんて! それも公然で!?



 才人は体がフリーズしたまま、脳だけを怒りなんだか羞恥なんだか分からない感情で猛烈に空回りさせている。

 その間にルイズは唇を離し、ソレを袖で一拭いすると、憮然として立ち上がった。



「終わりました」


 ただし、その顔は真っ赤になっているが。

 どうやら、照れているらしい。


 婦女子が見ず知らずの男にキスをするハメになった反応としては至極自然な反応だった。



 反応だったが、才人からしてみればこうなる。

 “自分からキスを奪ったくせに、嫌そうにするとはなに考えてやがるのか”と。



「照れるのは俺だ、お前じゃない! いきなり何しやがんだ!?」


 よって才人は抗議の声をあげたのだが、ルイズはそれを完全にスルーした。

 結果として、才人はますます不愉快になっていく。



 ホントにこいつらはいったい何なんだ?

 もうイヤだ。早く家に帰りたい。

 家に帰ってインターネットがしたい、と才人は思った。


 出会い系に登録したばかりなのだ。はやくメールのチェックがしたいのである。



「『召喚サモン・サーヴァント』は随分と失敗したが、『契約コントラクト・サーヴァント』はきちんとできたようだね」



 コルベールが嬉しそうに言った。


「相手がただの平民だから『契約コントラクト』できたんだよ」

「そいつが高位の幻獣だったら、『契約コントラクト』なんかできないって」


 何人かの生徒が嘲るように笑いながら、よく聞こえる程度に声を潜めあった。

 ルイズが反射的に睨みつけながら、口を開く。



「バカにしないで! わたしだってたまにはうまくいくわよ!」


「ほんとにたまによね。ゼロのルイズ」



 見事な縦ロールのブロンドとそばかすを持った女の子が、ルイズを嘲笑あざわらった。


「ミスタ・コルベール!"洪水"のモンモランシーがわたしを侮辱ぶじょくしました!」


「誰が"洪水"ですって! わたしは"香水"よ!」

「あんた小さい頃、洪水みたいなおねしょしてたって話じゃない。"洪水"の方がお似合いよ!」

「よくも言ってくれたわね! ゼロのルイズ! ゼロのくせになによ!」


「こらこら。貴族はお互いを尊重しあうものだ」



 中年魔法使いコスプレさんが、二人を宥める。


 いったい、こいつら、何を言ってやがんだ。

『契約コントラクト・サーヴァント』? いったいそりゃなんなんだ?





「ぐあ――――!?」



 そこまで考えた時。才人の片腕が、いきなり高熱に侵された。

 才人は思わず熱源……、自らの左手を逆の手で握り締め、崩折れる様に体を折る。



「あちぃ……! 俺の体にいったい何しやがった!」


 ルイズが、苛立たしげな声で言う。


「すぐ終わるから待ってなさいよ。"使い魔のルーン"が刻まれてるだけよ」

「刻むな、そんなもん!」


 こちらもかなり苛立たしげに返す才人。

 これだけ続けざまに意味不明な、理解したくないことをしでかされては、理解してしまうしかないのだから当然といえば当然か。



「あのね?」

「なんだよ!」


「平民が、貴族にそんな口利いていいと思ってるの?」

「知るか!」



 そう叫んで立ち上がった時、才人はとあることに気づいた。

 いつの間にか、左手の熱さが消えている。


「……あれ?」


 思わず左手を目の前に持ち上げると、その手の甲にはよくわからない、地図帳で見たことのあるような妙ちきりんな模様が7つばかり並んでいた。



GANDALF



 文字なんだろうか、これは。

 というか、なんで手にこんなもんが。



 そんなことを考え、不思議そうに模様を眺め回していると、コルベールと呼ばれているローブの中年男性も近寄ってきて模様を見つめだした。


「ふむ……? 珍しいルーンだな」


 しばらく模様を眺めた中年魔法使いモドキはそう言った。



 ルゥン。いやルーンか。


 ルーンってなんなんだ。



 もはや自己暗示をする気力も無くなってきたのか、はたまた脳みそがオーバーフローしたのか、ぼんやりと手の甲の模様を眺めている才人。

 そんな才人のことなど、既にもう誰の頭の中にもなかった。


「さてと、じゃあ皆。教室に戻るぞ」



 中年コスプレ魔法使いはきびすを返すと、何の前触れも無く宙に浮いた。

 才人の目が一瞬で点になった。



 ……と、飛んだ? ……んな馬鹿な。



 再び逃避しようとした才人だったが……、次の瞬間には、完璧にフリーズした。

 他の生徒っぽい連中も、一斉に宙に浮いた。



 ワイヤー。無い。


 クレーン車。むろん無い。


 というか、周りはだだっ広い草原であるからして、そんなもんあったら丸分かりである。



 結論。……こいつら、マジで魔法使いか?



 んな馬鹿な、と否定するのもバカらしいほど滑らかに、彼らは石造りの建物に向かって飛んでゆく。


「ルイズ、お前は歩いてこいよ!」

「あいつ『飛行フライ』どころか『浮遊レビテーション』もまともにできないんだぜ」

「その平民、あんたの使い魔にお似合いよ!」


 口々にそう言い残し、笑いながら。

 そうすることが当然である、とでも言うように──飛んでいった。





 そうして。後には、ルイズと呼ばれた少女と才人だけが残された。


 ルイズは二人っきりになると、大きくため息をついた。

 それから才人のほうを向いて、大声で怒鳴る。



「あんた、なんなのよ!」



 その怒鳴り声で、才人の精神的防波堤に限界が来た。

 そりゃ俺のセリフだ、と。



「お前こそなんなんだ!
   ここはどこだ!?
     お前たちはなんなんだ!?
       なんで飛ぶ!?
         俺にいったい何をした!?」



 堰を切って飛び出した機関銃みたいな質問の途中で怪訝な顔をしたルイズは、またもやため息をつき、ついでに悪態もついた。



「ったく。どこの田舎いなかから来たか知らないけど、説明してあげる」


「田舎ぁ? 田舎はここじゃねえか! 東京はこんなド田舎じゃねえ!」

「トーキョー? なにそれ。どこの国?」


「日本」


「なにそれ。そんな国、聞いたことない」

「ざけんな! んなわけあるか!
 ちゅうかなんであいつら空飛んでるんだ!?
 変に思わないのか? なんで人間が空飛べるんだよ!?」



 同意を求められたルイズだが、まったく動じない。

 むしろ、飛ぶことのどこがおかしいの? ってな具合だった。


「そりゃ飛ぶわよ。メイジが空飛ばないでどうすんのよ?」



 メイジ?



 なんかすっげぇ嫌な予感のする響きが……だめだ、それ以上考えるな。


「っていうか、ここはどこだよ?」


「トリステインよ! そしてここはかの高名なトリステイン魔法学院!」



「……魔法学院?」


 才人の体から、思いっきり力が抜けた。

 さっきの嫌な予感が、途方も無く膨れ上がる。


「わたしは二年生のルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。
 今日からあんたのご主人様よ。覚えておきなさい!」



「あの……、ルイズさんよ」

「なによ」


「ホントに、俺、『召喚』されたの?」



 どうしようもない程の証拠の群れで、才人の現実逃避が切れたらしい。



「だからそう言ってるじゃない。何度も。口がすっぱくなるほど。
 もう、諦めなさい。わたしも諦めるから。

 ……はぁ。
 なんでわたしの使い魔、こんな冴えない生き物なのかしら……。もっとカッコいいのがよかったのに。
 竜ドラゴンとか、獅鷲グリフォンとか、翼虎マンティコアとか。せめて鷲ワシとか。梟フクロウとか」



 ……ちょっと待て。

 いま、なんか聞き逃せないモノの名前が聞こえた気がする。



「なぁ。ドラゴンとか、グリフォンとかって……、どういうこと?」

「いや、それが使い魔だったらなぁ、って。そういうこと」


「そんなのマジでいるのか?」

「いるわよ。なんで?」


「うそだろ?」



 才人はうつろに笑いながら言った。


 具体的には、あはははははは、って感じに。

 目だけを遥か上に向けて。顔は正面向けたままで。


 ぶっちゃけ怖い。ルイズも二、三歩退いている。



「ま、まああんたは、見たことないのかもしんないけど」



 呆れたような怯えたようなそんな声で――どんな声かと訊かないこと――ルイズが言った。


 冗談を言っているようには、見えない。

 先ほど飛んでいったメイジとやらたちと、それらのファンタジーな単語を足して掛けて割ると。



「マジでお前ら、魔法使い?」


「そうよ。ほら、分かったら肩に置いた手を離しなさい。
 ていうか離して! 本来なら、あんたなんか口が訊ける身分じゃないんだからね!
 あとその不気味な顔つき何とかしなさい! 」



 へなへなと力が抜けて、才人は地面に膝をついた。



 夢だ。これは、夢に違いない。

 ぼんやりとした声が口から漏れる。



「ルイズ」

「呼び捨てにしないで」



「殴ってくれ」



「え?」



「思いっきり、俺の頭を殴ってくれ」

「なんで?」


「そろそろ夢から覚めたい。
 夢から覚めて、インターネットするんだ。今日の夕飯はハンバーグだ。
 今朝、母さんが言ってたから間違いない」


「いんたーねっと?」

「インターネットって言うのはだな………………いや、いい。
 お前は所詮、俺の夢の住人なんだから。気にしなくていい。
 とにかく俺を夢から覚めさせてくれ」



「なんだかよくわからないけど、殴ればいいのね?」



 ルイズは、拳を握り締めた。


 のそりと肯くことで返事とした。


 拳が、振り上げられる。


 ルイズの表情が少しずつ、険しいものへと変化していく。色々と思うところがあったらしい。



「……なんであんたはのこのこと召喚されたの?」

「俺に訊きくな」


「……契約の方法が、キスなんて誰が決めたの?」

「だから、俺に訊きくな。いいから早くしろ。俺は悪夢は嫌いだ」



「悪夢? そりゃこっちのセリフよ!」



 ルイズは、思い切りのいい踏み込みとともに才人の脳天に拳を勢いよく振り下ろした。


 遠心力付きで。



「ファーストキスだったんだからね!」









 ……とまあ、そんなわけで。

 彼の意識は、ここで一度途切れた(二度目)。


 俺だってそうだよバカヤロウ、と夢の住人に心の中で叫び返しながら。











「それほんと?」



 ルイズが、胡散臭そうに才人を眺めながら言った。

 手には夜食のパンが握られている。

 二人はテーブルを挟んだ椅子に腰掛けているようだ。


 ここは、ルイズの部屋。だいたい十二畳ほどの大きさである。

 気絶からさめた才人は、ここまでルイズに引きずってこられたのである。


 回復するまで4時間ほどかかった上、その間放置されてたりもしたが、些細ささいなことだろう。


 多分。



「嘘ついて何になるんだよ」



 才人は痛む頭を撫で回しながら答えた。

 先のパンチがいい具合に入ったらしく、未だに痛い。


 彼の胸中には、これまでにないほど強い己の好奇心への呪いというか、怨念みたいなものが渦巻いていた。

 あの時、あんなモノ無視して帰ってりゃよかったんだよ、と。


 なんせ、ここは日本ではない。

 というか、地球ですらないらしい。


 魔法使いがいる。

 人が空を自由に飛びまわる。

 それだけならまだよかった。

 そんな国も、まだ俺が知らないだけであるのかもしれなかったから。


 でも、例えそんな国があったとしても、月が二つもあるのは流石にいただけなかった。


 やたらとサイズがでかいのはまだいい。

 そんなふうに見える場所も、地球のどこかにはあるだろう。

 そう思える程度のでかさだったから。



 だが、地球には月は一つしかなかったはずだ。

 自分が知らない内に、月は一つ増えたのか?

 違う。そんなはずはない。


 ならば、ここは地球ではありえない。




 もう夜もふけてしまった。

 今頃、両親は心配しているだろうなと思うと、少し申し訳なく思った。


 ごめんなさい、母上サマ。

 貴女のかねてからの懸念けねん通り、才人は好奇心に殺されたみたいです。



 窓に目を向けると、夜空のほかについ先ほどまで才人が寝転がっていた草原が見えた。

 朱と蒼の月明かりに照らされ、不気味な色に揺れているそれが、ずっと遠くの方まで続いている。


 右手には、鬱蒼うっそうとしげる森があった。

 日本で見かけるような森ではない。

 あんな広大で平坦な常緑樹の森は、日本にはあまりにもそぐわない。



 才人は大きくため息をついた。



 ここに来るまでには、中世のお城みたいな学院の敷地を通ってきた。

 これが旅行なら、自分の好奇心がいたるところに発揮されるだろう光景がそこにはあったのだ。


 石で出来たアーチ状の門。

 同じく石造りの重厚な階段。


 ルイズには、ここはトリステインの魔法学院だ、と説明された。



 魔法学院。素晴らしい!

 全寮制。あぁ、実に素晴らしい!


 これでここが地球上のどこかだったなら、これ以上ないくらい面白そうなのに!



 ……地球じゃ、ないんだよなぁ。





「信じられないわ」

「俺だって信じられんが、月が二つもあるんじゃ信じるしかねえよ」


「それって、どういうこと?」


「俺の居たところは、魔法使いなんて少なくとも身近には居なかった。
 月も、一つしか無かったしな。もうちょっとちっこいの」



「そんな世界、どこにあるの?」

「だから俺がいたところだっての!」


 才人は怒鳴った。



「怒鳴らないでよ。平民の分際で」

「誰が平民だよ。失礼な」


「だって、あんたメイジじゃないんでしょ。だったら平民じゃないの」


「なんなんだよ、そのメイジとか平民とかいうのは?」

「もう、ほんとにあんた、この世界の人間なの?」

「だからさっきから違うって言ってるんですけど。人の話、きいてねえだろお前」


 才人がそう言うと、ルイズはせつなそうにテーブルに肘をついた。


 テーブルの上には、幾何学模様のカバーがついたランプがおかれ、部屋を淡く揺れる光で照らしている。

 どうやら電気は通っていないらしい。


 まったく、手が込んでいるつくりじゃないか。むかし家族で旅行に行った、異人館の中みたいだ。

 ホントに、中世に迷い込んじまったみたいだよなぁ、と才人が思い至った時。


 ずっと考えないようにしていた不安が、ついに彼の心から溢れ出した。



「お願いだ。そろそろ、家に帰してくれないか?」

「無理」



 即答されてしまった。


「……なんでだよ」

「だって、あんたはわたしの使い魔として、契約しちゃったのよ。
 あんたがどこの田舎モノだろうが、別の世界とやらから来た人間だろうが、一回使い魔として契約したからには、もう動かせない」



 つまり彼は、今まで過ごした一切合財と、突然に唐突に前触れなく切り離された。そういうことだった。



「ふざけんな!」


「わたしだってイヤよ! なんであんたみたいなのが使い魔なのよ!」

「だったら帰してくれよ! 今すぐ!」



 そう叫ぶ才人の声は、慟哭に近いものになっていた。17という歳月は、全てを捨てるには短すぎ、全てを失うには長すぎた。


「ほんとに、別の世界から来たの?」


 困ったように、ルイズが言った。


「だからそう言ってるじゃねえか!」

「なんか証拠を見せてよ」


 才人は、証拠になりそうなものが何かないか、自分の所持品を思い浮かべる。



 ……必要もなかった。才人が持ってたものなど、一つしかない。



「なにこれ」

「ノートパソコン」


 目を覚ましたあと草原で見つけた自分の鞄からそれを取り出し、ぶっきらぼうに才人は言った。

 銀塗りのプラスチック製の外殻にも、内にたたまれていた液晶にも、新しい汚れや傷はないようだ。


「確かに、見たことがないわね。なんの魔法道具アーティファクト?」

「魔法じゃねえ。科学だ」


 どうも信じていなさそうなルイズの質問を一口でぶったぎって、才人はスイッチを入れた。


 ブーンとファンが心地よくうなり、OSが起動しはじめる。

 やがて旗のようにゆらめくOSのロゴがあらわれた画面を見て、ルイズは感嘆の声をあげる。



「うわぁ……。なにこれ?」

「起動画面」


「綺麗ね……。何の系統の魔法で動いてるの。風? 水?」

「だから魔法じゃねえっつうに。科学だ、科学。電気だよ」



 きょとんとした顔で、ルイズが才人を覗き込む。

 無邪気な表情だ。心なしか、目もきらきら輝いている気がする。


「デンキって、何系統? 四系統とは違うの?」

「あぁもう! とにかく魔法じゃねえ!」


 才人は手をぶんぶん振り回した。

 理解する気がないとしか思えないルイズの発言が鬱陶しくなったらしい。



 ルイズは深くベッドに座り込むと、足をぶらぶらさせた。両手を広げ、済ました顔で言う。


「ふーん。でも、これだけじゃわかんないわよ」

「なんで? こういうの、こっちの世界にあるのか?」


 ルイズは唇を尖らせた。


「ないけど……」

「だったら信じろよ! わからずや!」


 ああもう、と勢いよく頭を振り、ルイズは溜め息をついた。


「わかったわよ! 信じるわ!」

「ほんと?」


 腕を組み、首を傾げてルイズが怒鳴る。



「だってそう言わないと、あんたしつこいんだもん!」



 才人の首ががっくりと落ちた。やっぱ信じてねえじゃねえか、こいつ。


「まあ、何にせよ、わかってくれればいいか。じゃあ、帰してくれるよな?」


「無理よ」

「なんで!?」



 ルイズは困った顔で、才人に致命傷を宣告する。



「だって、あんたの世界と、こっちの世界を繋ぐ魔法なんてないもの」



 才人のあごがかっくりと落ちた。

 魔法がない? why? なぜ?



「じゃあ、なんで俺はこんな所にいるんだよ!」

「そんなの知らないわよ!」


 才人とルイズは睨み合う。


 が、ルイズがため息をついて首を振ったことでそれは終了した。



「あのね。ほんとのほんとに、そんな魔法はないのよ。大体、別の世界なんて聞いたことがないもの」

「自分で召喚しといて、そりゃないだろ!?」


 まったくである。



「召喚の魔法、つまり『召喚サモン・サーヴァント』は、ハルケギニアの生き物を呼び出すのよ。
 普通は動物や幻獣なんだけどね。人間が召喚されるなんて初めて見たわ」


「召喚したのはお前じゃねえか。
 ……だったら、もう一度、その召喚の魔法を使え」

「どうして?」


「元居たところに戻れるかもしれない」



「――無理よ。『召喚サモン・サーヴァント』は呼び出すだけ。
 あんた、呼び出される前になんか見なかった?」


「鏡みたいな何かが目の前に出たけど……」

「それよ。召喚に応じそうな相手の前に、門ゲートを作り出す魔法なの。
 使い魔を元の場所に戻すことは出来ないわ」


「いいからやってみろよ。試したことはないんだろ?」

「ないわよ。そもそも、今は唱えることすら出来ないもの」


「どうして!」


「『召喚サモン・サーヴァント』の発動条件はね」

「うん」



「詠唱するメイジに、使い魔が居ないことが条件なの。たとえば、前の使い魔が死んじゃったー、とかね」



「………………なんですと?」



 才人はフリーズした。


「死んでみる?」

「イヱ、結構デス……」


 才人はがっくりと項垂れた。望みは、完全に断たれた。



 ちょうど視界に入った、左手に刻まれたルーンを憎々しげに見つめる。


「ああ、それね」

「うん」

「わたしの使い魔ですっていう、印みたいなものよ」


 ルイズは立ち上がると、腕を組んだ。


 口さえ開いていなければ、たしかにその身は可愛らしい。

 すらりと伸びた足、細い足首。背はそれほど高くない。150センチぐらいだろうか。


 目は子猫みたいによく動く。

 生意気そうな眉が、目の上の微妙なラインを走っている。



 出会ったのが出会い系の掲示板なら跳びあがって喜んだかもしれない。

 しれないけど、ここは地球じゃない。


 帰りたいけど帰れない。


 才人はせつなくなって、椅子にへたり込んでしまった。







 ややあって。


「……しかたない。しばらくはお前の使い魔になってやるよ」


「なによそれ」

「なんか文句あんのか?」



「口の利き方がなってないわ。『なんなりとお申しつけください、ご主人様』でしょ?」



 ルイズは得意げに指を立てて言った。


 でしょ、じゃねえだろ。

 可愛いしぐさなのに、なんだってこんなに腹が立つのか。



「へいへい。ところで、使い魔って何すりゃいいんだ?」


 才人は尋ねた。


 魔法使いの出てくるアニメで、フクロウやらオコジョやらが出てくるのを見たことはある。

 あるんだが、でもあいつらは大体肩に乗ってるだけで、具体的には何もしてなかったような記憶が……。



「まず、使い魔には主人の目となり、耳となる能力が与えられるはずよ」


「それって?」

「使い魔が見たり聞いたりしたものは、主人にも見えたり聞こえたりすることが出来るのよ」


「つまり、プライバシー皆無ってこと?」

「大丈夫よ、あんたじゃ無理みたいだから。
 わたし、何にも見えないし聞こえないわよ?」



「そうか、そりゃよかった」

「よくない!
 ……まあ、人間がこんな能力持ってても使い道ってそうそうないわね。次」


 ルイズはこめかみを押さえてため息をついた。



「普通の使い魔は、主人の望むものを見つけてくるのよ。秘薬とかね」


「秘薬って?」

「特定の魔法を使う時に必要な触媒のことよ。
 硫黄イオウとか、結晶石とか……」

「へぇ」


「これもあんたには関係なさそうね。
 秘薬の存在すら知らないんじゃどうしようもないし」

「まぁ、無理だな」



「次」


 ルイズは苛立たしげに言葉を続けた。



「これが一番重要なんだけど……、使い魔は、主人の護衛でもあるのよ。その能力で、主人を敵から守るのが役目!

 ……って、これもあんたじゃ無理よね?」

「人間だもん……」


 剣道とか柔道とか習っていればまだどうにかなるかもしれなかったが、そういう荒事に関しては才人は完全なド素人であった。

 せいぜい、マジ喧嘩の経験が二・三度あるだけだ。



「……強い幻獣だったら頼れるんだけど、あんたじゃカラスにも負けそうだもんねぇ」

「うっせ」



「だから、あんたにできそうなことをやらせてあげる。洗濯、掃除。その他雑用」


「ざけんな。見てろよ、そのうち絶対帰る方法を見つけてやるからな!」

「はいはい、そうしてくれるとありがたいわ。
 あんたが別の世界とやらに消えてくれれば、わたしも次の使い魔を召喚できるもの」

「んにゃろ……」







「はぁ。しゃべったら、眠くなっちゃったわね」


 ルイズは手を口に当て、小さくあくびをした。



「俺はどこで寝たらいいんだ?」


 ルイズは、明後日を見ながら床を指差した。


「……犬や猫じゃないんだけど」

「しょうがないじゃない。ベッドは一つしかないのよ」



 まあ毛布を一枚投げてよこしてくれるだけ、マシといったところか。

 ため息をついてそれを広げていると、いきなり才人は度肝をぬかれた。


 ルイズのほうに目をやったら、ルイズがブラウスのボタンを尽く外して脱ぎ去ろうとしていた瞬間だったからだ。



 才人の時が数秒ほど止まった――再起動。



「な、な、なな、なにやってんだ!?」

「なにって、寝るから着替えてるのよ」

「俺のいないところで着替えろよ!」


「なんで?」


「なんでって、おま、あのな。まずいだろ! 流石に!」

「わたしは別にまずくないわよ」


 ぱさり、ぱさりと何かが飛んできた。


「あ、それ明日になったら洗濯しといて」


 なんだろう、と思って取り上げたのが拙かった。



 レースのついたキャミソール。そして、パンティ。

 白い。精巧なつくりだ。







 音速で脳みそが沸騰した。



 がたり、と勢いよく椅子から立ち上がって回れ右。

 怪訝な顔をしたルイズはスルーして、



「――マズイのは俺だバカ!」


 ダッシュで扉を蹴飛ばして外に出て、そのまま廊下を疾走。



 うしろから、ルイズの怒鳴り声がする。


「あ、こら、ちょっと! どこ行くのよ! 待ちなさい!」

「頭冷やすぐらい好きにさせろ!」















 そう言い残して、そのまま階段を駆け上り――冒頭に至る。


「はぁ。あいつ、絶対俺のこと犬かなんかと思ってやがるな……。毎日こんなんじゃ、身がもたねぇよ」

 もう、今日何度目なんだかわからないため息をついて、月を見上げる才人。



「帰れねぇ、んだよなぁ……」



 こぼれた声は、悲壮そのものの音をかたどっていた。


 もう、好物は食べられない。てりやきバーガーなんてものが電気すらない世界にあるとは思えない。


 もう、ノートパソコンは使えない。インターネットなんて存在してるわけもない上に、そもそも充電ができない。


 もう、友人にも、家族にも会うことは出来ない。みんな、向こうの世界にしか居ないのだから。



 考えれば考えるほど、哀しみに押し潰されそうになっていく。

 涙がこぼれそうだった。



 そんな時、沈みゆく彼の耳に、かすかな音が届いた。


 『る――』と辺りに響く、不思議な高音。

 なんだろう、ときょろきょろ辺りを見回してみても、音の源は見つからない。



「……? どこから聞こえてくるんだ?」


 少しずつ音が大きくなってくる。

 何かが歌ってるような、そんな感じの音、というか声だ。


 左右、前後を見渡した後、もう一度月を見上げて……、 "それ"を見つけた。



「――すげぇ」



 まだ距離はだいぶ離れているが……、 "それ"はかなりの勢いでこちらへと近づいてくる。


 ばっさばっさ、と力強い羽ばたきの音が大きくなる。

 ほのかに開いた大きな口から、るーるー、と鳴き声が漏れている。

 大きくつぶらな瞳が、こっちを一瞬だけ捉えた、気がして。


 やがて "それ"は、突き出た背びれの一枚一枚やそれにもたれた小柄な人影を視認できるほどの距離まで近づいたかと思うと、あっという間に寮塔のそばを通り過ぎ、地上へ、学院の敷地へと降りていった。


 その姿は紛れもなく――



「ドラゴン……、すっげぇ。マジでいるんだ」



 圧倒されながらも、才人の顔は喜色に満ちていた。

 ドラゴンの風貌が、予想外に可愛らしい雰囲気だったからかもしれないが……、才人は先ほどまでの鬱状態から回復を遂げ、溢れんばかりの好奇心に満たされた。


 おもしれぇ、と。


 ちょうど、この世界に来る羽目になった時と同じように。



 懲りない男であるが、その懲りなさは彼をパニック状態から救いだした。

 人間、何が救いになるか分からないものである。


 才人は好奇心の赴くままに屋上の内側へと走り、下を見下ろす。

 すると、ちょうどさっきのドラゴンがこちらへと飛んでくるところだった。



「わ……」

「きゅー──────っ♪」



 とてもとても楽しげな声をなびかせ、ドラゴンはあっという間に飛び去っていく。

 ドラゴンってイルカみたいな声で鳴くんだなぁ、と飛び去るドラゴンを目で追いながら、仰向けに倒れた才人は笑い出した。


 ……風圧で吹っ飛んだようだ。







 確かにいまは帰れないけれど、この世界には前の世界にはなかった面白いことがたくさんある。


 どうせ帰れないんなら、この世界を出来る限り楽しんでみようじゃないか。


 うん、そうしよう。



 良くも悪くも高い彼の順応性は、どうやら彼を守り抜いたようだ。

 才人は十分足らずの間、なにがおかしいのかも分からぬまま、笑い転げていた。













「……笑いすぎた」


 痛む腹筋をなでさすりながら、才人はルイズの部屋へ戻るため、階段を下りていく。

 どうやら軽く痙攣しているらしい。

 バカみたいだな、と才人は思った。



 階段にも窓がついていて、月明かりが差し込んでいる。

 変な色だよなぁ、と一人ごちる。

 まあ、淡いとはいえ紫色の光である。

 才人の世界の月は、たまに赤くはなるが、流石にこんな色は放たない。


 ……見慣れていたら、それはそれでアレであるが。



 ともかく、珍しい色合いの風景に目を取られていた才人は、踊り場を曲がり階段に足をかける少女に気づかない。

 その少女の方も本を読みながら歩いているため、才人に気づかない。

 いくらなんでも目を悪くしないかと心配になるが、それよりも問題が一つある。


 正面から歩いてくる人間にお互い気づかない場合、どうなるだろうか?



 ……答えは簡単、


「わっ!」


 正面衝突である。

 そして軽いものは重いものにはじかれるため、この場合も例に洩れずに少女が跳ね飛ばされた。

 少女がまだ二段しかのぼっていなくて、本当によかったと思う。


「あっ…わりぃ、大丈夫か?」


 才人はそう言って、少女に手を差し伸べる。

 何も言わずに手をとって、そのまま無言で立ち上がる少女と……目が、あった。



「……ぅ」



 立ち上がった少女の姿を間近で捉えた才人は、思わずドキリとした。


 サラリと揺れる、シャギーの入った夏空色のショートヘアー。

 ルイズよりもなお白い白磁の肌した顔に、南の海のように鮮麗な青の宝玉が二つ鎮座して、こちらを見つめている。


 背丈はルイズよりさらに小さい。140センチあるかないかぐらいか。

 昼間のルイズと同じく、黒いマントの下にはブラウスとブリーツスカートを着ている……ようだ。

 ようだ、というのは、すこし距離が近すぎるのと、背丈が小さいのとで下のほうがよく見えないからだったりする。



 で、そんな蒼髪の少女はというと、才人の胸辺りと顔との間で視線を行ったり来たりさせている。

 見慣れない服や顔立ちやらが珍しいようだ。



「えーと……、だ、大丈夫か?」


 こくり、と肯く少女。

 そのまま手を離し、すれ違うようにして階段を上っていく。

 才人は視線を向け続けるが、結局一言もしゃべらないまま、少女は階段の向こうへと消えていった。


 ……怒らせちまったのかな?


 少し不安になったが、当の少女が立ち去ってしまった以上、才人には今さらどうすることも出来はしない。

 しばらくその場で固まっていたが、やがて才人もルイズの部屋へと歩き出した。



 あとには、窓から差し込む淡紫の月光に浮かぶ、階段の踊り場だけが残された。





 余談になるが、才人が部屋に帰りついた頃にはルイズは既に熟睡しており、才人は暗闇の中、月明かりを頼りに床の毛布を探し出す破目はめになったらしい。

 その際、うっかりルイズの下着を握り締めてまたもや慌てていたことは、彼と二つの月以外、誰も知らない。

 
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