| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

徒然草

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

180部分:百八十.さぎちやうは


百八十.さぎちやうは

                百八十.さぎちやうは
 左義長というものは正月に毬を打った棒を宮中の真言院から神泉苑に持って行きそのうえで焼くことであります。修行が成功したと囃すのは神泉苑にあって弘法大師であられる空海上人が雨乞いに成功したことを称えているのであります。
 こうした中々に深く興味深い意味合いや歴史を含んでいるのがこの左義長というものであります。ただ単に棒を焼いて囃すのではありません。こうした中々面白い話がその中に含まれているのです。そうしたことも踏まえて見ていきますと殊更楽しいものになっていきます。これはこの左義長にだけ言えるものではなく他の催しや儀式についても言えます。物事には必ずその中に歴史や意味合いを含んでいます。それを頭に入れて再度見て行きますと新鮮な気持ちになったり興味深さを増していったりします。まずは学び知ることからはじめてそのうえでまた見ていく。そうしていけば知るだけでなく楽しい気持ちにもなっていきます。ですから学ぶべきでありますし楽しむべきであります。学ぶという行いはそれは自分の楽しみへとなっていくものであります。ですから学びましょう。そうすれば目に見えるものがさらに広く大きなものになっていきますしそれだけでなく楽しみも増えます。まことに己にとっていいものであります。


さぎちやうは   完


               2009・11・10
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧