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【ユア・ブラッド・マイン】~凍てついた夏の記憶~

作者:海戦型
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吹雪く水月8

 
前書き
今回長く、そして好みが分かれる回です。 

 
 
 これは、過去。いつかは知らない昔の光景。
 幻覚ではないのは判る。でも、自分の記憶なのだろうか。

 白い白い世界。
 城、氷、雪、光。

 伸ばす手が掴むものは冷たく、自らを覆う手は冷たく。
 声をあげる喉は凍てつき、やがて視界も、時間も、全てが音もなく凍てついてゆく。

 途絶。途絶。途絶。生命活動が連鎖的に途絶していく。

 ああ、自分は消えるのだと、そう確信していた。
 きっとそれに恐怖していた。
 きっと――その先に見えたのだ。

 でも、たった一つだけ、分からない。

 見ているのは、どちら?


 僕は、どちら?


 エイジ、と。
 誰かが僕を呼んだ気がした。



 = =



 星を凍てつかせる静止の白。

 雪か、氷か、結晶か。一体どれほど長く術を発動させたのだろう。『拒止の風剣(レフュースエッジ)銀世界(オーバースノウ)』は発射方向一体全てを別世界へ染め上げた。右を向いても左を向いても、エデンの視界に映る地平が空以外すべてが純白に染まっている。

 瓦礫も、魔鉄も、氷さえも更に凍り付くその力はまさに世界を塗り替える力なのかもしれない。
 と、隣からしゃくり、と白い雪が潰れるような音がした。

「……え、エイジ!?」

 そこには、息を切らせて膝をつくエイジの姿があった。その顔色は普段以上に悪いが、長らく共に活動していたエデンも初めて見る、苦しそうとか少は違う表情だった。思わず自らも膝をついて肩を掴む。

「エイジ、エイジどうしたの!?怪我!?それとも気分が悪いの?」
「エイジ?ぼくは……エイジ?」

 まるで、自分の名前に確信を持てないような声だった。
 エデンは肩を揺さぶりたい衝動を堪えて語り掛ける。

「そう、エイジだよ!!まさかまた記憶落っことしちゃったの!?あれだけ大切にしまっておきなさいって言ったでしょ!!」
「……いや、記憶は物体みたいに落とすことは出来ないから」
「その反応はいつものエイジね!!」
「うん。僕はエイジ。君はエデン。ここは聖観学園付属都市……記憶は落としてないよ」

 若干乱れる息でこちらに微笑むエイジ。心許ない笑みだが、とりあえず差し迫った問題はないようで、膝に手をついた彼は立ち上がる。

 初めての二重詠唱のせいなのか、恐らくは精神疲労が原因だろう。大きな術の発動には必然的に莫大な集中力が必要になる。二重詠唱ならばエデンも負担をある程度負うが、発動に必要な要素の大部分を負うのは製鉄師だ。加減知らずにここまでぶちかませばその精神にかかった負担も当然大きくなる。

 しかし、その甲斐はあった。その証拠が目の前に広がる銀世界だ。
 ナンダがいた正面には、放射線状に広がる巨大な氷が鋭角となっていた。白いせいで中にいる二人がどうなっているか分からないが、相手が製鉄師と魔女ならば死んではいないだろう。製鉄師と魔女は、魔鉄の加護によって死ににくい。無事ではなくとも鉄脈医療で命は助かる筈だ。いや、今はそう楽観的に思っていたい。

「これだけの攻撃ならば、手を振り回して大気を乱す程度では防ぐことは出来ない」
「うん……」
「でも、この攻撃は一つだけ、考慮していないものがある」

 それは、と問う前に、正面から氷の弾け飛ぶ音が響いた。

「……正直、想像以上だったぞ?星の煌めきってのは素晴らしいが、見惚れ過ぎてしまうのが良くないのかもな」
「……嘘、でしょ」
「――相手が別の有詠唱術を展開した場合、戦闘不能に追い込めていない可能性は……あった」

 氷と雪の壁を崩し、黒肌と魔鉄のナックルが再び白日の下に姿を現した。
 あれだけの攻撃を受けておきながら、ナンダは変わらぬ笑みを浮かべて舞い戻る。

 いや、笑みこそ崩れないが、決して無事ではなかったようだ。肌は凍傷で腫れあがり、急激な温度変化で肌のあちこちが裂けて痛々しい断面を晒している、体にも氷が張り付いたままであり、眼も片方が開いていない。
 それでも、彼女はそれをダメージと感じさせない程にしっかりした足取りで、出てきた。
 後ろには無傷のルーデリアの姿もある。そのルーデリアとナンダ自身の周囲を覆うように、微かな丸い歪みが見えた。
 障壁ではない。だが恐らく、あれが二人をあの必殺の筈の一撃を受け流させた。エイジはその正体にすぐさま気が付いた。

「空気の層……!」
「そう!地球に空気があるのは引力が空気を呼び寄せてるから。それを応用すれば、大気層のバリアもどきも作れるのさ!とはいえ、お嬢を守るのにリソースの半分以上を回してた上に高速言語(ハイワード)だったせいでこっちはこの有様だけどな?」
「………」

 高速言語詠唱の唯一にして最大の弱点、それは言葉の希薄化による威力の減退だ。日本風に言えば、言霊の力が弱いとされる。
 冗談めかして笑うナンダを後ろから見つめるルーデリアの瞳が一瞬だけ悲しそうに歪んで見えた。恐らく彼女が現場に来ていなければ、ナンダはあの一撃を受け流し防ぐ術があったのだろう。こちらの方がOIの深度が深い筈なのに、その判断力と応用性でナンダはそれを凌いで見せた。

 しかも、高速言語まで使えるということは、これ以上術の打ち合いになれば速度では絶対に勝てない。ダメージを負っているのはあちらなのに、状況を支配しているのは依然としてナンダだった。

「お前らの本気、刺激的だったぜ!倒せなかったのはまー、ちょっとした年季の差だけだ」
「……まぁ、素人にしてはよく頑張ったと褒めておきます。しかし依然立場は――」
「んっ、お嬢!まだ来るぞ!!」
「えっ――」

 ルーデリアが毅然と前に出ようとした瞬間、背後から二人の少女の声と共に光が降り注ぐ。

「ジェミニ☆プリティ♡シスターズを!!」
「エキストラ扱いは酷いんじゃない!?」

 間髪入れず、三つの超高熱の熱線が降り注いだ。

「美杏ちゃん、美音ちゃん!」
「二人ともそのまま後退~~っ!!」
「今度は不意打ちかい?そう簡単に通すと――おいおい、『そっち』狙いかッ!?」

 エイジとエデンの撤退時間を稼ぐ援護射撃。すぐさまこれまで通りに受け流そうとするナンダだったが、すぐさまルーデリアを抱えて伏せる。
 三つの熱線はナンダを狙ったものでもルーデリアを狙ったものでもない。その三発は、二人の周辺に山と積まれた氷の塊を最も効率よく融かすものだった。それも以前に訓練で展開した氷の比ではないほど大きな氷の塊を、一気に超高熱で融かすのだ。

 エイジの展開している氷の多くは純粋に大気中の水分ではなく、水に極めてよく似た性質の物質をA.B.によって一時実体化させているに過ぎない。そのためエイジの氷を食べてもそのうち腹からは消える。
 しかし、消えるまでの暫くの間は、それは水分として機能する。
 超高熱が氷を瞬時に蒸発させた場合――その水分は水蒸気として、爆発的に膨張する。

 エイジが壁を展開して逃げるのとほぼ同時。

 ナンダとルーデリアの周辺を、バァァァァァァンッ!!と強烈な衝撃と破裂音が揺るがした。

「ふっ……水蒸気爆発って知ってるか?」
「どやっ!火力は逸らせても衝撃波は逸らせないんじゃない!?」
「いっつー……み、耳がキンキンする……」
「爆発、近すぎ」

 無駄にキザな態度で格好つける美杏に、したり顔で歯を見せて笑う美音だが、援護ついでに若干余波を受けたエデンとエイジは二人にジトっとした視線をぶつけた。確かに万全ではないエイジではこれ以上あちらの攻撃を上手く躱せなかったので、援護はありがたい。
 ありがたいのだが、もう少しこちらにも気を遣ってほしかった。特にエイジはエデンを若干巻き込んでいることにご立腹なのか、珍しく不機嫌が顔に出ている。喧嘩をしている暇はないのでエイジの手を握り、「後にしよ?」と言うと不機嫌は引っ込んだ。素直すぎる。素直クールというものか。

 と、突然エデンのポケットの中のスマートフォンが振動した。エイジのも、古芥子姉妹のもだ。更に近くのまだ生き残っていた外部無線が大音量を吐き出す。

『緊急警報発令!緊急警報発令!複数の製鉄師が侵入しています!!戦闘員はナビゲーションに従って侵入者の迎撃に当たってください!非戦闘員は速やかに地下通路を利用してシェルターに避難してください!!繰り返します――』
「これは、永海ちゃんの通報が間に合ったの!?」
「みたい」

 この絶望的な状況で、やっと事態が好転した。

 そう思ったのも、つかの間だった。

「イイね……ヤってくれるね……お姉さん、アドレナリンが爆発してきたよぉぉぉぉッ!!!」

 水蒸気爆発で舞い上がった噴煙を吹き飛ばし現れるのは、これまでよりも更に深く、もはや深すぎて狂気すら感じる壮絶な笑みを浮かべたナンダの姿。
 その周囲には瓦礫が輪を描いて周り、爆発の衝撃で裂傷や出血の赤が全身を戦模様のように染め上げている。

「術で構成した物質を更に術で利用する!!そうだよ、そうこなくっちゃ!!ずっと未熟者だと思って遠慮してきたんだけど、もうここまでやれるなら『イイ』よな!?一人前の、命懸ける覚悟ある戦士ってことで『イイ』よな!?」

 周辺の白い氷が剥げる。遠くにあった瓦礫がべきべきと音を立ててナンダの周囲に吸い寄せられる。倒壊したビルのもう一つが、砕かれたビルまでもが、ふわりと不気味に浮き上がって見下ろすように上空から影を落とす。これまで小さな瓦礫を中心に飛ばしていたが、もはや重さや大きさの制限を取っ払ったように物体が引き寄せられてゆく。

「……うそ」
「ば、化け物……!」

 そこに居たのは先ほどのナンダとは決定的に違う。

 固定されていない、ありとあらゆる物質が彼女の周囲に集い、軌道を回る。

 あらゆる物質を従えた、質量の支配者のような威容だった。

「星が回すのはデブリや氷、空気だけじゃねぇ!!衛星だって回すし、土星も円盤回してんだろぉ!?カッシーニの間隙って奴だ!!これまでは『ナンダという星』だったけど、本気を出すときは『星になったナンダ』で行くのが流儀なんだァ!!」
「やりなさいナンダ。手足の1,2本は潰してくれないと割に合わないわ」
「ハッハッハァ!!イエース、ユアハイネスッ!!」
 
 ナンダが手招きする。瞬間、全身がグン、とあちらに引っ張られた。引力で引き寄せられているのだ。今までと決定的に違うのは、今回は武器となる氷や瓦礫がナンダとルーデリアの周囲で高速回転を始めていることだ。あれ自体が武器となる。

「まずい、このまま引き寄せられたら瓦礫の雨に放り込まれる!!」
「嘘……エイジ逃げて!!こうなったら私を置いて……って言っても聞かないだろうけどさ!!」
「うん。駄目」

 エイジがすぐさま氷をナンダ方向に展開し、二人の体を遠くに押し上げようとする。だが、引力が強すぎて離れない。古芥子姉妹も炎の逆噴射で引力を脱しようとするが、引力を振り切れない。

「おい?おい!オイオイオイオイこの期に及んで逃げるってのはナイんじゃないか!?拒絶から人間関係は進展しないぜ!?そんな恥ずかしがりやさん達なら、こっちもちょっかい出しちゃおっかな~~ッ!!」

 周辺を回転する瓦礫の円から周回軌道を逸れ、瓦礫が別の円を描き始める。先ほどと同じく瓦礫で攻撃を仕掛けてくるつもりだ。しかも今度は引力と遠心力の同時攻撃である。もはやこの状況に至っては、躱す術がない。引力を利用した氷の攻撃も、今では瓦礫の円に呑まれて終わり。
 状況はまさに、どん詰まりだった。
 状況を打開する術が思いつかないまま、思考だけが何か生き残る術を探そうと記憶をかき乱し、走馬燈がエデンの頭を駆け巡った。その時、一つの言葉が引っ掛かった。

『……ま、どん詰まった時にこの言葉を思い出せ』

 誰の言葉だったか。何を思い出せばよいのか。
 考え、考えに考え、あ、と間抜けな声がでた。

「大人に頼れ……リック先生が、どうにもできなきゃ大人に頼れって……」

 その言葉を即座に否定したのは、美音だった。

「大人なんかに頼って何になるって言うのッ!!」
「えっ――」

 それは、入学から一か月以上を過ごして初めて聞く、底抜けに暢気だと思っていた友人の憤怒の籠った言葉だった。余りにも突然の豹変に続く言葉が出ない。

「いい子いい子で育てられたエデンには分からないでしょッ!!大人って言うのはさあ!」
「美音、駄目よ!」
「大人なんていつだって嘘ばっかりで、子供の分かってほしいことになんか一つも興味ないのよ!!」 

 美杏がその時どうして静止したのか、その理由は分からない。
 しかし、遮られかけたその言葉には、生々しいまでの実感が籠っていた。
 普段はおちゃらけている彼女の心の内より噴き出てきた、強烈な怒り。彼女の感情に呼応するように噴射が強まるが、無理な噴射でバランスが段々と崩れ始める。それを自制できない程に歪んだ感情からは、怒りに混ざって上手く見えない感情が入り乱れている。美杏が必死で宥めようとするが、濁流のように飛び出した感情を抑える事が出来ていない。

「落ち着いて美音!」
「煩いッ!!リック先生だって大人なんだよ!!自分が一番かわいくて口だけ生徒を心配するだけの、なんにも分かってくれない大人だ!!」
「やめなさい美音!!心を乱しては駄目!お姉ちゃんの声を聴いて!!」
「大人が来ないから美音たちはこんなことをしてるのよ!?大人たちなんて、事が終わってからのこのこやってきて『すまなかった』とか心にもない事言って終わらせようとするだけに決まってる!!」
「美音ちゃん……」

 彼女の怒りは誰に向けられているものでもない。恐らくは先生にすら向かっていない。巨大で不鮮明で漠然とした、大人と呼ばれる階級に対して向けられていた。今まで彼女は、内心でずっと先生たちを……大人たちをそう思っていたなんて、想像すらしていなかった。

「大人に頼れ!?今こそ頼りたいときだって時に近くにいない人をどうやって頼れって言うの!?やれるんならやってよ!!助けて見せてよ、リック先生ッ!!」

 子供の癇癪としか言えないような幼稚な言葉だった。きっと大人が聞けば「出来ないことを要求されても困る」と言い、大人のそんな所こそ彼女は許せないのだろう。
 彼女の叫び声は虚しく空に響いた。そして――。

「助けを呼ぶ声……そっちか」

 空の彼方が煌めき、『棺桶ほどの鉄の塊』が矢を超える速度で飛来し、全ての瓦礫と遠心力を貫いてナンダの腹部に直撃した。ドズンッ!!と、大気が震え、腹に深々と鉄塊がめり込んだナンダが喀血する。

「ガッ……ハあぁぁぁぁああああアアアアアアアアアアアッ!?!?」

 全ての瓦礫が、氷が、空気が、その一撃に貫かれた。周囲の力が霧散してすべての瓦礫たちを失ったナンダは、全身の傷口から血を噴き出しながら後方に弾き飛ばされる。直撃した鉄塊は反動で空中に跳ね飛ばされ――遅れて飛来した一人の男の手がそれを掴み、抉れ果てた大地に降り立つ。
 着地の瞬間、ズン、と音を立てて小さなクレーターが出来上がった。

 その中心地からゆっくりと身を起こし、肩に鉄塊を担いだ男は、反対の手に抱えていた少女を下ろして口を開いた。


「ここからは先生の仕事だ。昼寝していいぞ」

「四人とも、今までよく耐えたね……偉いよ」



 = =



 聖観学園中学部三年部特組担任教師――リック・トラヴィスとルーシャ・トラヴィスが降り立った。
 
 リック・トラヴィス先生という男の過去についてを知る者は少ない。
 公私ともに彼のパートナーを公言するルーシャ先生についても同じだ。
 この日本で外国語教師でもないのに学校教師をしており、学園長からの信頼は厚く、そして他の教師からは少し過剰に思われるほど生徒の身の安全に配慮している。人物像はこの辺で止まるだろう。

 そして、彼に教えてもらった生徒に話を聞くと、100%同じ答えが出てくる。

 『未だにリック先生より強い製鉄師には会ったことがない』、と。



 吹き飛ばされたナンダにルーデリアは駆け寄っていた。
 数十メートルも弾き飛ばされ血を吐いたナンダは、その身をより赤黒く染めながら地面に転がり、動かない。

「ナンダ!?ナンダ、返事をしなさい!!」
「へへ、そんなカオすんなよお嬢……アバラが何本かイきかけたが、まだ闘れるぜ……!」

 まだ戦意の衰えを感じさせないナンダは、普段とは違う呼吸法を行っている。どうやら相手が追撃に来ないと見て自分の肉体コンディションを整える方に切り替えたらしい。呼吸の整ったナンダはゆっくり立ち上がる。その腹部には、突然飛来したあの鉄塊のような武器の痕がくっきりと残っていた。

 ナンダは極めて実戦慣れした製鉄師だ。戦闘狂であったり変な所で敵に気を遣いながらも第一線で戦っていけるのは、それだけ彼女が製鉄師として完成されているからだ。その彼女の本気を、敵の製鉄師は一撃で突き破った。それが、ルーデリアには信じられなかった。
 今も彼女とナンダの方に、足先から全てが消し飛びそうな程の強烈な圧がA.B.を伝播して伝わってくる。

「――国家の重要な機関に不法侵入。ウチの所属製鉄師3名を病院送り。町を破壊。余波で怪我人多数。挙句は俺の生徒に手を出す。しかも事態の発覚を恐れて鉄脈術によるジャミングまで用意……日本皇国の司法に言わせれば『著しい侵害行為』という奴だな」

 ざり、と真正面で立ち止まった男をルーデリアは見る。
 年齢は30代ほどだろうか、激情を感じないその男からは、唯々、圧倒的な「われはわれである」という確固たる意志を感じる。それは製鉄師にとって最も重要な、自分の認識する世界こそがあるべき世界であるという術行使の意識の基本。現実を塗り替える程のイマジネーションだ。

 戦わなくとも判る。これは、化け物だ。
 それでもナンダは嬉しそうだった。

「すげえな。戦ってなくてもアンタを感じるよ……ここまでのパワーを感じる星はアンタで三人目だ」
「降伏しろ。お前に勝ち目はない」
「だろうな。でも、でもよう……ちっとだけ足掻かせてくれやぁッ!!」

 高速詠唱。殴り飛ばされた際に再び地に落ちたビルを再び引力と遠心力で引き揚げ、真正面に叩きつける。その速度、時速1200キロ。これは最高速度のジェット機を更に加速させて相手に叩きつけるような速攻術。しかもビルには魔鉄のフレームが外壁に仕込まれているため半端な迎撃は意味を為さない。この町でこそ使える即席の質量兵器だ。
 子供たちに対しては使わなかった、完全なる殺人技。ナンダ自身が嫌って使わないほどの伏せ札がリックに殺到する。視界全てを覆う、『死』の壁。

 しかし、リックがそれに対して行ったアクションは実に単純だった。

「ふんッッ!!」

 逆袈裟懸けに魔鉄器を一閃。時速1200キロで突然迫ってきたビルに対して、たったそれだけ。

 それだけの声と動きによって生み出された膨大なエネルギーが、ビルを跳ね上げる。殴ってすらいない。逸らしてもいない。完全に速度を殺したうえでその上を行く程の莫大な運動エネルギーをぶつけたのだ。跳ね上げられたビルは突っ込んできた速度より更に速く加速しながら弾き飛ばされ、ものの数秒で空の彼方に消えていった。

 魔鉄による軽量化が施されているとはいえ、それなりの大きさのビルだった。根本から折れたとはいえ5000トンには届くであろう重量だった。それを、詠唱すらなしに一撃だった。まるで漫画のような光景に、シュールさえ感じてしまう。

「……ちったぁ時間稼ぎぐらいになると思ったんだけどな。ここまでかよ、アンタ」
「お前たちもここまでだろう」

 既に進退窮まった。あと一瞬の時間のうちに、ナンダは無力化される。
 しかし、その一瞬が恐らく運命を決した。

「うわぁぁぁああああああああッ!!」
「ちょっと美音!?何してるの、美音ッ!!」

 古芥子美音の持つ魔鉄器のリングが空中で白熱している。
 それは、この場の誰もが予想だにしていない光景だった。

「邪魔しないで美杏ッ!!今ならあのテロリストを仕留められるでしょッ!!」
「どうしてそれを美音がするの!?こんな時くらいは先生に任せればいいじゃない!?」
「あそこまで追い詰めてるんなら今の美音にだってやれるッ!!大人なんかに……大人なんかに借りなんて作らせないッ!!」

 美音の双眸は未だに濁った激情に囚われ、コントロールを失ったように彼女の周囲が次第に白熱していく。周囲の為にコントロールしていた筈の鉄脈術の枷が外れ、暴走していく。先ほどエデンたちに向けられた、あの憤怒の顔だった。
 この場でリックとルーシャだけが、その行動の理由を察する。

幻実症(ファントム・フォーカス)ッ!?このタイミングで……ッ!エイジ君、術を発動して美音ちゃんの動きを止めて!彼女はいま自分の感情を自分で抑制出来てないッ!」
「人を使ってまで邪魔をするの!?やっぱりルーシャ先生も大人だッ……大人には、分からない!!わたしの苦しみも、美杏の苦しみもぉッ!!」
「美音!?美音、お姉ちゃんはここにいるわ!ここに『あの人たち』はいないの!!ここには美音も美杏も苦しめる人はいないから!!」

 エイジとエデン、ルーシャとリック。この場の全員の意識と視線が美音に集中する。
 もしもリックが生徒よりも悪の撲滅を優先する人物であったならば、決して決定的とは言えなかったであろう隙。皮肉にもその隙がテロリストたちの趨勢を変える。
 瓦礫だらけのビルの隙間を縫って、謎のカラフルな文様が躍り出る。

「はぁっ、はぁっ、やっと撒いた……!おいナンダとお嬢、ジャミング切れたから撤退――ゲッ!?」

 文様の正体は、さっき悟と永海の策略に嵌って民間警備会社の精鋭に追い回されたテロリストの仲間だ。ステルス迷彩の表面にペイント弾が無数張り付いたせいで変なモノが虚空に浮かんでいるように見えるのである。
 期せずしての合流、そして敵側は混乱中。この好機を見逃すナンダではない。

「お、いいタイミングだ!よしお嬢、ステルスマン、しっかり捕まれよ!!」
「ちょっと、わ、私はまだ撤退指示は――」
「撤退だ撤退!!これ以上はこっちにリスクしかねえッ!!」
「いっくぜぇぇぇぇッ!!引力最大ッ!!」

 ドウッ!!と――三人で固まったテロリストたちが宙を浮き、空の彼方で凄まじい速度で飛び去る。リックのかちあげたビルに比べれば遅いもので、追撃すれば叩き落せるかもしれない。しかしリックは彼らが学校の敷地外へ飛んだのを横目で見ながら美音の方へ向かった。彼は教師であって、警察でも軍人でもなかった。

 こうして、テロリストの襲撃事件は思わぬ形で幕を閉じる。

 古芥子美音が平静を取り戻したのは、その後虚空に数発の術を発射し、エイジに氷で魔鉄器を凍らされ、リックが身体を焼かれながら美音を拘束し、美杏が必死に彼女に抱き着いて言葉をかけ続けながら彼女の首筋に無痛注射器を宛がうまで続いた。
 注射を受けた美音は次第に脱力し、何度も謝りながら眠りについた。
  
 

 
後書き
他人が「そんなこと」と思うようなことが、本当は大切なことで。 
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