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【ユア・ブラッド・マイン】~凍てついた夏の記憶~

作者:海戦型
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凍てついた夏3

 
 掘削開始(マイニング)――ユア・ブラッド・マイン。

 そう唱えればこの凍える寒さから解放されると氷像に囁かれ、やってくる雪像たちに唱え続ける。まるで神に無心で祈るが如く。祈りの言葉に雪像が何かを唱え返し、門が開くような感覚。ああ、解放される――そう思うたび、扉の中が氷で閉ざされ、雪像は弾かれるように握った鉄の道具を離し、去っていく。
 待ってくれ、置いていかないでくれ。こんなに凍えていて、こんなに必死になっているのに、どうして苦しみからは解放されないのだ。どうして君たちは去ってゆく。ああ、いつまでこんな凍える箱のような部屋に閉じ込められなければいけない。

 助けて、父さん。母さん――。

 ――?

 ――父さんと、母さん。どんな顔で、どんな名前だったっけ。

 ――。

 ――。

 ――ああ、そんな事より、寒い。



 = =



 エデンの想像していたものより数倍ほど、AFS患者の容体は酷いものだった。まるで蝋のように蒼白な肌からは血の気を感じず、魘されるように寒い、寒い、と呟き、手には契約魔鉄器とは思えないワイヤーが強引に手に結び付けられている。椅子に座りながら震え続ける彼の肩には毛布がかけられているが、彼の口から吐き出される息が白い事にはぎょっとした。係官が説明する。

「彼の現在の体温は19度です。症状が確認されて病院に運ばれた際には32度でした。常人ならとっくに凍死している体温ですが、彼はそれすら通り過ぎて病院の空調より更に低温になっています。あの白い吐息は水蒸気ではなく、彼の観測する認識が事象を上書きして発生しています」

 淡々とした説明だった。逐一同情していられるほど短くないのか、単純に他人事なのかは分からない。ただ、エデンはその態度に苛立ちを覚えた。どうしてここまで酷い姿になっているのにこうも平気な顔でいられるのか。同時に、これほど酷い症状の相手を待たせておいて「迷惑」だの「面倒」だのと考えていた自分に腹が立った。

 もう一度患者の顔を見る。優しそうな顔立ちだ。きっと笑うと可愛いだろう。ここで震えさせておきたくない。彼をこのまま、この薄暗い部屋に置いておけない。彼を救えないまま帰って先ほど出来た友達と食べるランチは、さぞ美味しくないだろう。

 それは一時の感情や偽善と鼻で笑われる感情の起伏の一つだったのかもしれない。
 しかし、その時にそう思ったのは紛れもなくここにいる暁エデンなのだ。
 これから続く魔女が根性なしばかりならば彼は更に長く冷たく苦しむのだ。

 だったらここはひとつ、女の度量を示してやる。そう意気込んだエデンは鼻息荒く、粗末なワイヤーにしか見えない契約魔鉄器の端を掴んで彼の向かいにある椅子にどっかり座り込んだ。

「始めます!!」
「始めるかどうかはこちらが決めるのですが……まぁいいでしょう。氷室くん、詠唱を」
「……掘削開始(マイニング)――ユア・ブラッド・マイン」

 感情らしい感情の籠らない、震えた冷たい声だった。
 もう誰でもいいからこの苦しみから解き放ってくれ、と告げている気がした。

掘削許可(ローディング)私が貴方の暁となる(マイ・ブラッド・ユアーズ)ッ!!」

 瞬間、エデンの意識が物質界から弾き出され、雪崩のように冷たく膨大なイメージが流れ込んできた。






『――これが』

 凍える雪原にぽつりと、しかし悠然と、白亜の城が佇んでいる。
 雄大で立派なのに、なぜか寂しい。そんな印象を受ける、現実味のない城だった。

 強烈な吹雪に見舞われて体温を奪われていることを自覚しつつ、とても開きそうにはない城門を押す。
 意外なほどに呆気なく、門はバキバキと張り付いた氷を剥ぎ取られながら開いた。

『こんなに広くて立派なのに――まるで、何もないみたい』

 白く染まった庭園。風は止んだが、そこは停止していた。生命の息吹も温度も感じず、ただ白く凍り付いただけの空間。噴水、整えられた木、花壇、石造、創意を凝らした筈の全てがどこまでも無機質に感じる。本来なら石畳と緑の芝生に覆われているであろう足場にひたすら均一に敷き詰められた雪が、余計に虚しい空間だと思わせた。
 雪を踏むもどかしい感触と共に、そこを通り過ぎて城の入口へと向かった。

 城には灯りがともっていた。しかし、不思議と温かさや熱を感じさせない、青ざめた光だった。寒さを避けて中に入った筈なのに、余計に寒い気がした。
 霜が降ったように白い廊下を歩く、歩く、歩く。人影を見つけてかけよると、それは人の形をした氷像だった。城のあらゆる廊下を走り、あらゆる部屋を開ける。そのどこにも暖炉の温かさはなく、氷像と青ざめた光だけが嫌になるほど明瞭に静止した世界を照らす。

 窓の外には、太陽とも月とも知れない真っ青な天体がこちらを見下ろしている。それを見つめるだけで、心の底が凍り付きそうな錯覚を覚える。手がかじかみ、瞼が重くなり、震えが止まらない体を引きずり、それでも前へ進む。

 何故進むのか。何故立ち止まらないのか。何故引き返さないのか。
 理由はシンプルだった。ここに助けたい誰かがいて、それに見て見ぬふりをすることが出来なかった。

 大広間。謁見の間。地下牢。探せど探せど氷像ばかりが立ち並び、体は凍えていく。これが彼の世界、彼の地獄、或いは彼の現実――なんと冷たく、孤独で、救われない。契約がこんなにも長い旅路だったなんて聞いていない、と思ったが、立ち止まるという選択肢が出てこない。

 あのとき、部屋の椅子に座らされて凍えながら「寒い」と呟いた、蝋人形のように白く冷たい彼の姿を見て、契約を面倒ごとだと思っていた自分が遠ざかっていくのを感じた。根拠なんか、理由なんか明確なものは何もない。ただ、震える少年を見て、作業のように淡々と契約手順を進める係員を見て、彼をここにこれ以上置いてはいけないという確信めいた何かを心に覚えた。

 足が凍り付いて動かなくなる。関係ない。引き摺る。
 手先の感覚が完全になくなった。不便だが無理やり使う。
 記憶があいまいになってきた。ちょっとまずいから急ごう。

『もう……探してないの、ここだけ……!』

 散々彷徨い、探し、やがてたどり着くは城と繋がる小さな部屋。すでに動かない指を使うことを諦めて、口で強引に扉のノブを引っ張ると扉が雪と氷に覆われてなかなか開いてくれない。むかついて、意地でも開けてやると歯が折れそうなぐらい食いしばって無理やりこじあけた。

 もうその頃には体が碌に動かなかった。
 しかし、動かさなくてもいい。
 部屋の中に、目当ての人物がいたからだ。

 目がかすんで見えないけれど、真っ白な存在にしか見えないけれど、不思議とそれがちゃんとした存在であるという確信がある。凍り付いた頬を無理やり緩ませて笑顔を作り、動きもしない手を伸ばし、その人に近づいて告げる。

『――――――』

 何を言ったのか、凍り付いた耳ではもう自分の声すら聞こえもしないけれど。

 もう、きっと大丈夫。



 = =



「暁夫婦がカンカンだよ。子煩悩なの知ってたから絶対に文句言われると思ったけどさ」

 くたびれた様子の男がスーツのネクタイを緩めてどさりとソファに座ると、その横で子供用スーツを着た銀髪の少女がテレビを眺めながら答える。

「あんなことになるとか思わないからちょっと迂闊だったよね。前例ないもん」

 少女が見つめる先では、都内の大きな病院の一室から特大の氷柱が突き出ているという、凄まじい光景が大声で取りざたされている。余りにも外見のインパクトが強すぎて報道管制も間に合わず、日本政府の失態が散々ぱら地上波で垂れ流されていた。
 やれ、反鉄脈派のさえずりが暫く大きくなりそうだ、と男はぼやく。彼の記憶する限り、ただの採掘でここまで大規模な現象が起きた記録はない。採掘のルールが色々と見直されることになりそうだ。

「確かに採掘後には鉄脈術が勝手に発動するけどさぁ。部屋一つ吹き飛ばすレベルとはね。病院だし、下の病室にも上の病室にも空きのある部屋で本当によかったよ。OW深度3でいきなり契約するとあの規模が出てくるのか……死人出なかったのが奇跡だぞ」
「係官は危うく凍傷で死にかけちゃったけどねー。発動させた当人たちは流石に平気だったみたいだけど、それでも救出が到着するまで氷の中で閉じ込められてたし」
「ありゃ要指導だな。コントロール覚えてくれないと危なっかしい。ったく、軍部のうるさいの黙らせて少年少女の人権守るのも一苦労になりそうだ」

 彼らは内閣の組織の一つ、OI体質者の調査登録及び管理を一括して行っている部署の人間だ。故に今回の事故――氷室(ひむろ)叡治(えいじ)と暁エデンが採掘によって引き起こした「余波」の事後処理にも少なからず彼らの労力が消費されることとなる。
 それは、いい。彼らにとっては当然の業務であり、異論などない。
 ただ、一つだけ彼らにとって無視の出来ない大きな問題があった。

「暁ちゃんは問題ねぇ。あの夫妻も事情は先刻承知だろうしな。ただ、問題は氷室叡治の方だ……保護者、失踪したとよ」
「……え?両親が?それ、いつのことよ」
「分からんが、手前の息子が採掘終えて心配がなくなった頃には既にいる筈の自宅から忽然だ。しかも――氷室くん本人に記憶障害が確認された。両親のことを全く覚えていないらしい。彼だけじゃない。両親の親類や近所に至るまで、映像や記録は残っていても記憶が完全に消えてる」
「……鉄脈術による記憶操作」
「その線でほぼ確定だろうな。あ、これ警察から回ってきた写真」
「――明らかに製鉄師クラスの戦闘痕、よね?」

 回されたタブレット端末に映る光景――そこには、氷室と書かれた表札のある住宅の画像があった。ただしアスファルトの地面がめくれ上がり、斜め上に引き千切られたように無残に破壊された一軒家という凄惨な姿で。その他いくつか、通常の事件では見られないような奇妙な破壊痕が残っている。食い入るように見つめた少女は、はっとする。

「これ、襲撃されただけじゃない。『迎撃』してる。でないと、内からも外からも破壊されてることなんてない。氷室くんの両親って――」
「非OI体質だ。深度0ですらない。記録上は、な」
「じゃあ誰がこんな………確かに非合法製鉄師くらいいるけど、何故彼らを狙ったの?迎撃の痕があるってことは他の誰かを狙っていた?」
「ちなみに自宅には通帳だの財布だのといったものは丸ごと残ってたから強盗の線は薄い。監視カメラも洗ってるが、今のところ不審人物の報告は無し。ま、相手が非合法製鉄師なら何らかの隠匿もしくは映像の書き換えをされてる線は消えないがな。『味見屋』を呼んで明日から探るってよ」
「ああ、あの星詠みの。あたしアイツキライ。愛想悪いし」
「ぶーたれないの。あいつだって悪い奴じゃないんだし。それより……今回の件、長くなるぞ。外事と特霊局に話通すことになるかもしれん」

 ――子供たちの知り得ぬところで、大人の事情は静かに進行していた。
  
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