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人理を守れ、エミヤさん!

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士郎くんの戦訓 1/5





 後味の悪さだけが残された。

 本来なら知覚出来るはずのない、霊長の世界の存続を願う願望。人類の無意識の集合体であるアラヤの抑止力の介入を、無自覚・自覚の差異はあれど士郎が知覚していた故に、記憶映像に捉える事が出来たのだ。
 赤い外套の弓兵、英霊エミヤ。記憶を改竄され意識が混沌としていた最中に混入されたアラヤの端末が、声なき声で命じていたのだ。
 人類史が焼却される。人類をこの未曾有の危機から救え。カルデアへ行け。その為に可能な限りの支援を行う――その結果が、再演された聖杯戦争中の錯乱だった。混濁とした記憶、確立されない行動原理。残されたのはアラヤの抑止力の願望で――死にたくない、助かりたい、そんな無責任な声に後押しされるばかりだった。

 本来の士郎には有り得ない言動。再演時には存在しなかったコルキスの王女を居ると思い込み、キャスターとしての座に据えられた英雄王をアーチャーであると思い込んだ。
 それは英霊エミヤの記録である。そして、その英霊エミヤの記録とは異なる軌跡を描いてなお、士郎は全く別の認識でいた。己は聖杯戦争を、記憶にある通り生き抜いたのだと。――生き延びられたのだ、と。

 死にたくない、助かりたい。

 アラヤの抑止力に影響を大きく受け、死なずに済んだという安堵から士郎は多大な多幸感に浸った。そこに、セイバーに愛されていた、自分が彼女を愛していたという保証を得られた事による感動も混ざっていたのを、本人だけが自覚していなかった。

「――アラヤっていうの、こんなのなんだ」

 嫌悪と畏れの滲んだ、イリヤの独語には悲痛さがある。ネロもまた、眉根を寄せて腕を組み、難しそうに唸った。士郎はネロにとっても、無二の友である。ネロは士郎という男との付き合いは短い、しかし彼にはこんな理不尽な悲劇は似合わないと思った。

「――余も、この時代に根を下ろした」

 本来は交わるはずのない旅の道。時代を超えてなおも波乱に満ちた人生の航海は続いている。錨を下ろし、一個の人間としてカルデアの当事者となったのだ。故に皇帝ではなくなったネロは、友を助けようと決めた。
 元よりカルデアに一生を捧げるつもりなど毛頭ない。人理修復の旅の後は世界を見て回るつもりでいた。ならばその旅路を友と往く事に何を躊躇う事がある。何、あの友と共に在れば、少なくとも退屈とは無縁のハッピーエンドを掴めるだろう。ネロは「うむ」と頷き意思を固めた。

 二時間半が過ぎ、休憩時間になると、各々が手洗いや水分補給を済ませる。しかし――不意に何を思い立ったのか、幼い桜が漆黒の鎧を具現化させた。仮面のような禍々しい兜のスリットから、赤い光が悍ましく発される。黒く染まった魔剣を抜いてどこかへ行こうとする桜。マシュが慌てて制止した。

「デミ・サーヴァントの力を無断で使う事は禁止されています! 元の姿に戻ってください!」
「どうして? 士郎さんが、こんな事になってたの……そろもん、って人のせいなんだよね? ならいなくなってもらわないと……」

 桜の唐突な変化に、イリヤと美遊は度肝を抜かれた。自身よりも年下の女の子が、自身らを遥かに超える戦力を発露させたのだ。
 だが、所詮は自我の曖昧な少女。クー・フーリンが嘆息し、マシュの拙い言葉では止めれないと判断して動こうとするのに先んじ、弓兵が動いていた。

「よせ、桜。奴はそんな事を望んではいまい」

 エミヤもまた、桜を止めた。桜は首を傾げ、不思議そうに赤い外套の騎士を見上げる。

「アーチャーさん……でも……」
「ソロモンに怒りを向けるのはいい。だがカルデアにソロモンはいない。いるのはロマニ・アーキマンという人間だけだ。それに、衛宮士郎は桜がその力を使う事を好ましく思わん」

 鉄槌のような声音だった。
 甘さのない叱責。しかしその瞳には、桜を真摯に諭す優しい光が点っていた。

「何より無為に力を振りかざそうとするのは、人として下の下の遣り方だ。自分も役立つのだと見せたいのかもしれないが、時と場合を弁えろ。いいな」
「……はい」

 しゅんと落ち込み、桜は元の姿に戻る。ごめんなさいと頭を下げた。

「ああ。素直に謝れるのは君の美徳だ。その姿勢を損なってくれるな」
「……うん」
「……」

 マシュは密かに落ち込んだ。お姉ちゃんの自分が諭すべきだったのを、その役目をエミヤに取られたのだ。そんなマシュの様子に苦笑を漏らしながらも、桜のよくない変化を士郎へ報せるべきかと嘆息する。
 幼い子供が、それも内向的で善悪の判断基準も壊れている娘が強大な力を手に入れたのだ。放置すれば厄介な事になると、エミヤは判断する。言うまでもない事なのだろう、しかし敢えて言う事で一層気にかけるはずだ。
 桜も、アーチャーの言う事には素直だが、それよりも士郎の言葉の方がこの娘には響く。

「意外だな」
「え?」

 エミヤを尻目に、クー・フーリンはマシュへそう声を掛けた。アルトリアやオルタも同意見なのか、静謐な眼差しでマシュを見遣る。

「もっと取り乱すもんだと思ってたぜ」
「そうですか? 確かにショックで、酷いと思いますけど……これは過去です。現在(いま)の先輩は、此処にいます。なら心配はありません。未来(さき)の事は分かりませんけど、きっとなんとかなります」

 それは希望的観測だった。根拠のない展望でしかなかった。しかしその、未来を語るマシュをダ・ヴィンチは微笑んで見守った。
 クー・フーリンは可笑しげに唇の端を吊り上げる。

「――へえ? 大したもんだ。冬木で震えていやがったあの小娘が、いっぱしのモンに成長()ってやがる」
「未来を語れるのは、強さの証です。マシュ、その気持ちを忘れてはいけませんよ」
「は、はい」

 アイルランドとイギリスの大英雄からの、予想だにしなかった賛辞に、マシュは無垢に照れた。オルタは揶揄かう。

「確かに大したものだ。キリエライト、貴様はあのシロウと接していながら、シロウの濃さに染まる事なく在れている。兎のように気弱でありながら、獅子のような芯を備えているな。貴様が私の時代にいたならば、騎士として取り立てていただろう。無論、ギャラハッドの力を抜きにしての話だ」
「そ、そんな、オルタさんまで……」
「アグラヴェイン、貴様からは何かないのか」

 唐突に水を向けられた鉄のアグラヴェインは、表情にさざなみ一つの揺らぎもないまま応じた。

「特に何も。しかし騎士として遇するには、キリエライトは力不足。更なる修練が必須でしょう」
「チッ。つまらん男だ。実直なのは構わんが、硬軟を織り混ぜる事も覚えたらどうだ」
「……」

 しゅんと肩を落とすマシュを尻目に、理不尽な叱責を受けたアグラヴェインも微妙な面持ちだった。クー・フーリンが言う。

「テメェに言えた口かよ?」
「私は王だ。王ならば言える」

 暴君である。やれやれと肩を竦めたクー・フーリンをよそに、ダ・ヴィンチが手を鳴らした。

「はい休憩終了ー! 後半戦に入るよ、そろそろいいかな?」
「はい、ダ・ヴィンチせんせい!」
「お、何かなイリヤちゃん」

 着席して挙手したイリヤに、ダ・ヴィンチは柔らかな笑顔で応じた。
 ダ・ヴィンチを教科書で見ていたイリヤは、その偉人の容貌に驚いてはいたがすんなり受け入れていた。そして何故か先生と呼び始めたのだ。

「えっと、ここまででかなーり、お腹一杯なんですけど……ここから先は、流石に重くないですよね……?」

 平凡な一般人として最近まで育っていたイリヤには、既にキツすぎるものがあった。それは当然である。ショッキング過ぎた。しかしダ・ヴィンチは笑った。笑うしかなかったのだ。

「残念。こっからが本番なんだぜ、士郎くんは」
「えっ。今までのが序章に過ぎなかった……?」
『あははー。……え? この士郎さん、波瀾万丈過ぎません?』

 愉快型ステッキのルビーすら、マジトーンで返すほどだった。流石に人の不幸を見て笑う性悪ではない。
 美遊が挙手する。

「はい、美遊ちゃん」
「正直この視聴会の意義を見失いました。そもそも何故、おに――士郎さんの過去を観る必要があるのでしょうか?」
「あらら、核心突くね」

 ダ・ヴィンチは内心美遊への評価を一気に吊り上げる。というのも、ここまでの映像記録だけで当初の趣旨など覚えていられないものと思っていたのだ。
 何せ、彼女達は小学生だ。士郎の過去は衝撃的な劇物であり、彼女達の平静さを奪ってしまって当然である。だのに、冷静さを保つ客観性が美遊にはある。それは瞠目すべき事だ。
 運動能力、理解力、精神力、頭脳。全てが均一に高い才能がある。ダ・ヴィンチは美遊が天才である事を察した。同類だと、『万能』のダ・ヴィンチが認めたのだ。美遊を見る目が変わる。

「視聴会の意義、というより『理由』は三つだ」

 眼鏡を掛け、ダ・ヴィンチは講義した。

「一つ、ランサーと士郎くんは賭けをしていた。二つ同時に攻略しなければならなかった変異特異点、どちらが先に成し遂げるかの競争をしたんだよ。くだらない賭け事だけど賭けは賭け。負けた士郎くんは、ランサーの提示したものを実行する義務があった」
「はい」
「二つ目。士郎くんは百戦錬磨の戦上手だ。その頭のキレは、戦術や戦略という一点に於いてはこの私をも上回る。現場指揮官として、卓越した能力がある。生まれた時代が違えば、希代の名将になっていたかもね」

 ダ・ヴィンチの評に、エミヤが顔を顰める。さしものエミヤとて、ダ・ヴィンチにそこまで評価されるほどではない。自身との差異がここにもあるのだとエミヤは感じていた。
 ――が、それは違う。エミヤにも、実はその素質はあるのだ。
 彼は己を非才の身だと認識している。それは事実だ。生前の剣の才は並、運動能力も並、鍛え上げた人間程度でしかない。しかしエミヤには別の才能があった。それは『戦士』の才能だ。剣才がなくとも立ち回りで補い、戦術を組み立て、有効な武器を運用する。それを突き詰めて最後には必ず勝ってきた。戦いというジャンルにおいて、過程はともかく最後には必ず勝利へと至る才覚がエミヤにはあり、それを窮めたからこそ心眼のスキルを獲得するに至り、希代の大英雄と対峙しても防戦に徹すればある程度は持ちこたえられるのだ。

 エミヤのステータスは並みの英霊のそれでしかないのに、それだけ戦えるのは――彼が戦上手だからである。

 士郎はエミヤとは違う道を窮めた、それだけの事だ。己のみで勝ち抜き、生き残るのではなく。他を恃み、仲間を率いて皆で勝ちにいく方面へ。謂わば個か衆かの違いであり、ジャンルが異なるのみだった。

「そんな士郎くんも、最初からそれほどの切れ者だった訳じゃない。当然数多くの失敗もした。そして錬磨していったからこそ、どれほどの苦境でも勝利をもぎ取ってきた。その過去をざっくり追体験するのは貴重な学習の機会になる。だから皆で見る場があるなら、それにキミ達を招待しない理由はない。何せ貴重な戦力に成り得るからね、君達も。命の危険がない所で、数多の実戦を肌で感じられるのは決して損にはならないだろう?」
「なるほど……」
「あ、そうそう。特異点での戦闘記録は別枠だからさ、そっちはまた時間が空いた時にイリヤちゃんと一緒に見てみなよ。士郎くんの集大成的な戦果だから」
「はい」

 ダ・ヴィンチは眼鏡を外す。そして苦笑した。
 首を傾げる美遊に、万能の人は肩を竦める。

「で、三つ目。――実戦の過酷さをキミ達に知らしめるのが最大の理由だ」
「……? わたし達も、それなりに修羅場を潜って来ました。それは、」
「分かってる。キミ達の話は聞いてるよ。だから決して馬鹿にはしてないし、命の危険があったんだから危機の軽重を論じたりはしない。私が言いたいのは、士郎くんは決してキミ達を特異点攻略に連れていく気がないって事さ」

 それに、イリヤはなんと言えばいいのか分からず、美遊も軽はずみな反発はしなかった。

「私は戦力になるなら、と思わなくもない。勿論子供が戦うなんて反対さ、けど自発的に戦うというなら止めはしない。なぜって? ――カルデアには、どれだけ戦力があっても、それで充分とは言えない危機的な状況だからだ。けどそんな理屈は士郎くんには通じない。子供は絶対に戦わせないだろうね、例え英霊だったとしても。
 だから私はキミ達に士郎くんの戦いを知ってもらう。これを見ても共に戦ってくれる気になったら、私は歓迎しよう。士郎くんは首を縦に振らないだろうけど、どうしようもない状況というのは常に想定しておくべきだ。それこそカルデアが滅びるという場面も有り得る。
 ――その時、子供を守る余裕はない。キミ達が元の世界に戻れるように努力はするけど、こちとら人理が最優先。キミ達の事は、申し訳ないけど後回しにしないといけないんだ。いざという時、キミ達は自衛しなくてはならないかもしれない。つまり短く纏めると、キミ達二人には覚悟を持って欲しいんだ。
 ――カルデアの戦いは、退路のない背水の陣。有事の際に、何よりキミ達を優先する余裕がないから、その時キミ達はどうするのかを考える助けにする為に、最も分かりやすい視覚で訴える。それがこの視聴会の意義だと、キミ達が誤って召喚された事を知った時に私は考えた」

 長々と語り、カルデアの窮状を隠す事なく伝える。イリヤの顔は真っ青だった。そして美遊は、考え込む。茫洋とした眼差しで桜は自身の手を見た。

 ダ・ヴィンチはわざとらしく咳払いをする。そして停止していた記憶映像を動き出させるべく、その杖を振るった。

「さあ、再開だ。残り二時間半、本当は後五時間は欲しかったけど。それはともかく、ダイジェストで見て行こうじゃないか。――希望があれば、もっと長いバージョンを個別に見れるようにするよ。それじゃ、スタート」

 




 
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