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人理を守れ、エミヤさん!

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士郎くんの足跡(後)





 想定外な事ばかりだった。

 セイバー、アーチャー、ライダーは自陣営。アサシンは倒した故に、後はバーサーカー、キャスター、ランサーが健在だ。しかしアーチャーという、前回の聖杯戦争に参加していた輩がいた。それはキャスターに倒されたようだが、それこそが厄介だったのだ。
 セイバーが云うには、あのアーチャーは断じて与し易い敵ではなかったという。前回の聖杯戦争で最も強大であり、セイバーも勝てなかったほどである。

 それが倒された。

 バーサーカーの強さもそうだが、キャスターもまた得体が知れない。後は数で潰す、なんて真似は通じないのだ。可能ならバーサーカーを味方につけ、欲を言えばランサーも引き込みキャスターを排除してしまいたいが、それは不可能だろう。
 そして士郎にとって最も大きな衝撃となったのはイリヤスフィールの存在である。切嗣の事は置いておくとしても、あれほど錯乱していたイリヤスフィールだ。気に掛けるなという方が無理な話であり、士郎はイリヤスフィールをどうすればいいのか考え続けた。

 しかし時間は待ってくれない。そして誰も士郎の迷いを考慮してはくれない。動き出した時間の針は、決して止まらない。時間は巻き戻らない。
 既に賽は投げられている。奈落へと駆け落ちていくのみ――

 アーチャーが復帰した。

 不自然なほどライダーは弱い。そしてセイバーとアーチャーが揃っていても、バーサーカーは打倒困難な難敵である。そしてキャスターもまた、戦って倒さねばならない存在だ。万全を期し士郎達三人のマスターと、三騎のサーヴァントは常に行動を共にする事になった。
 街中と言わず、冬木中を散策する。敵を求めての事ではない。いや見つければ戦闘は避けられないだろうが、それよりも僅かな希望を繋げる代案が必要だった。
 そして見つけた。ランサーだ。教会の付近に来ると姿を現した。戦闘になる。キャスターやバーサーカーを打倒する共同戦線を提案したが、考える素振りすらなく一蹴された。

 以前ランサーはアーチャーとほぼ互角の戦いを繰り広げた。そしてセイバーとの初戦では圧倒されていた。勝てない敵ではない――そんな甘い見立ては、全力を発揮したランサーの前に霧散させられる。
 速い、只管に迅い。バーサーカーを超える敏捷性と、初動からの最大速度。目で捉える事すら儘ならず、三騎で掛かっても苦戦を強いられた。辛うじて追い込むも、そこからの粘り強さは異様なほどであり、後一歩の所まで追い詰めてもその度に仕切り直され、遂には離脱された。

『――これほどの、者か。アイルランドの光の御子は』

「そんなもんじゃなかったろ? アーチャー」
「……」

 クー・フーリンの揶揄がエミヤに飛び、とうのエミヤは苦々しそうに顔を顰めた。カルデアの光の御子ならば、三騎掛かりでも返り討ちにされる畏れが多大にある。
 明らかに不吉な予感のする記憶映像の中、よくもそんな軽口を叩けるものだと感心すらしかけてしまう。

 ランサーの協力は得られず、また倒す事も出来なかった。何故教会付近にいたのかを考えてみても、特に理由は思い浮かばない。教会から出てきた言峰綺礼は、こんなところで戦う者がいるとはと嫌味を言い、凛を弄って笑みを浮かべていた。
 士郎が言う。イリヤスフィールに会いに行こうと。避けては通れない道だ。必ず会わねばならない。なら時間を置くよりも先に、こちらから会いに行く方がいい――そう思い、凛の案内でアインツベルンの城へ向かった。

 鬱蒼とした森の中を進む。凛の顔が強張っていた。

『――結界が、ないわね』

 本来なら自身の領域に踏み込んだ者を報せる警報、罠の類いがなかったのだ。不自然なほど何もない。進んでいくと、濃密な魔力の昂りを感じて士郎達は足を早めた。
 爆音が轟く。雷鳴が散る。城が崩れるほどの。風が渦巻き嵐となって、時には現実を歪めるほどの幻術の余波が士郎達の行く手を阻んだ。何が、と戦慄する一同を出迎えたのは――またしても、キャスターのサーヴァントだった。

 どれほどの激戦が繰り広げられたのか。
 頬に赤い血の筋を走らせ、肩で息をするキャスター。
 臨戦態勢を取る士郎達の目に、倒れ伏し、消滅していく狂戦士の姿が映る。そしてキャスターのマスターらしき男が、バーサーカーの消滅に絶望するイリヤの腕を掴んでいる――

『イリヤを離せ、テメェ――!!』

 怒気を激発させて怒号を発し、士郎が走った。バーサーカーを倒し油断していたのだろう、キャスターのマスターは士郎の接近に気づかず、キャスターにはセイバーとアーチャーが仕掛けた。
 矢雨を風を起こして薙ぎ、セイバーが接近するのに短距離を転移で移動して躱すも、キャスターの自身のマスターへの援護は間に合わず、士郎の拳が男の顔面を抉った。
 殴り飛ばされた男は思わずイリヤスフィールの手を離していた。不意の打撃に、しかし冷静さを保っていた男は素早く凛の追撃を避ける為に後退する。そのすぐ傍にキャスターが転移で現れた。

『また君達か。それに、一騎増えている』

 男は面倒そうに嘆息する。キャスターは視線で主の意向を問うと、男はあっさりと言った。

『仕方ない、撤退する。本当はここで小聖杯を確保しておきたかったのだが……流石に今回は私の方が消耗している。キャスターへの魔力供給が不安だ。不確定な勝負はしない』
『待て! もう一発殴らせろ!』
『セイバーのマスター……真っ直ぐな少年だね。また会おう』

 殴られた事を欠片も気にせず、男は士郎へと微笑み、またしても空間転移で撤退していった。
 まんまと逃げられた事に歯噛みするセイバーをよそに、士郎は呆然自失しているイリヤの肩を揺すった。

『イリヤ、おい、イリヤ。無事か?』
『……え? お兄、ちゃん……?』
『ああ。とにかく、今は此処を出よう』

 士郎は一度は己を死のふちに落としたイリヤを欠片も恐れず、躊躇う事なく背負った。
 されるがままだったイリヤは、なんで、と掠れた声で問い掛ける。

『決まってる。妹――じゃないか。姉を助けない弟なんていないだろ?』
『……』

 恐る恐る、首に腕を回してきて、しがみつくイリヤに笑い、士郎は元気つけるように明るい声で話し掛け続けた。切嗣の事、自分の事、イリヤの事。旨い食べ物、今夜の夕食――次第に小さな相槌が返されるようになると、士郎はますます張り切って語り掛ける。
 それに、凛は呆れたようだ。

『……はあ。アイツ、よくあんなふうに出来るわね。一度は殺し掛けられた奴なのに』
『衛宮は子供に好かれる奴だからな。ガキをあやすのはお手のものなんだろうぜ』
『っ、間桐君?』
『地、出てるぜ。普段猫被ってやがったな』

 慎二が失笑しながら凛に云うと、露骨に顔を顰めた凛は慎二を無視した。

 そんなやり取りと士郎の様子を、カルデアと冬木のアーチャーは複雑そうに見ている。こんな事があるとは……その心境は冬木の己とも被るだろうとエミヤは確信していた。

 やがて士郎は、イリヤを衛宮邸に連れ込むと凛や慎二に提案した。お前達もここで住めよ、と。もちろん聖杯戦争中だけだが。
 凛は少し考え、承諾した。聖杯戦争中は、キャスターを警戒して単独で行動しない方がいいと判断されたのだ。
 無論、大河は無理だが桜は暫く衛宮邸に来ないように、慎二の口から要請させる。慎二の邪険で横柄な態度に、しかし桜は嬉しそうだったのが印象に残った。兄さんが先輩とまた、仲良くなれてるのが嬉しくて――士郎が機嫌がよさげな理由を問うと、桜はそう言った。慎二は鼻を鳴らして取り合わなかったが……否定はしなかった。

 束の間の平穏が過ぎる。

 イリヤスフィールの容態が芳しくない。イリヤスフィールは自身を小聖杯だと告白し、脱落したサーヴァントの魂を回収する器なのだと言った。既に三騎――イリヤスフィールの知らない、恐らくは前回のアーチャーが脱落している為に、殆ど動けなくなっている。
 三騎脱落しているのに、負荷は五騎のそれと同等だという。イリヤスフィールは息も絶え絶えに警告した。

『あのキャスター、わたしの令呪に干渉したわ。魔力は相応に使うみたいだけど、今度会えば令呪でリンやお兄ちゃんのサーヴァントは、自害させられる。それを抜きにしても桁外れに強かった』

 バーサーカーの真名は、ヘラクレスだったという。その宝具を士郎達に伝え、一度の自害では滅びなかったヘラクレスを、キャスターは魔神を立て続けに同時召喚して――五十柱の魔神によって討ち滅ぼしたのだと告げた。
 それでも、理性がなくとも一矢報いたのは、ヘラクレスの意地だったのかもしれない。

『あのキャスターの真名は、ソロモン。全ての魔術の祖にして支配者。令呪がある限り、お兄ちゃん達に勝ち目はないわ。だって、ヘラクレス以外に複数の命を持ってる奴なんて、早々いないものね』

 キャスターの真名に絶句する凛と慎二を横に、その偉大さを実感として知らない士郎はあっさりと返した。なら令呪、全部使えばいいだろ、と。
 セイバーのみならず、アーチャーやライダーも驚愕した。何をバカな、と。しかし止める間もなく士郎は令呪を連続して使う。正常な契約を結べてないんだろ? ならこうすればいい、と。
 令呪で無理矢理セイバーと自身のパスを繋いだのだ。極めて無理のある荒業に、士郎は痛みで気絶した。

「馬鹿が……」
「でも、先輩らしいです」

 エミヤの悪態に、マシュは微笑む。

 目覚めた士郎は、セイバーにこんこんと説教された。あんな無茶な真似をするな、そもそも貴方は危険に対して無頓着過ぎる、バーサーカーの時も、アサシンの時も、そしてあの城の時も、と。サーヴァントを律する令呪を使いきるなど有り得ない、不慮の事態があればどうするのですか、私が裏切るとは思わないのですか、などと。くどくどと責められ続け、士郎は辟易として言った。

『セイバーが俺を裏切るなんて有り得ないだろ』
『何故言い切れるのですか。まだ付き合いの浅い私を信頼するなど――』
『信頼してる。時間なんて関係あるか。だってセイバー、俺の剣になるって言ってくれただろ? 自分を斬る剣なんか持った覚えはないし、それに女の子の言葉は信じる主義だ。嘘泣きだと分かっていても、敢えて騙されてやるのが男だって、ジイサンも言ってたしな』

 ぽかんとしたセイバーに、士郎は快活に笑う。ははは可愛い奴、なんて。セイバーは顔を真っ赤にして怒った。女扱いは不服だと。

『なんでだ? セイバー、女の子だろ』
『私は女である事を捨てた。女である前に騎士であり王です。そんな扱いは不要だ』
『嫌だね。お前のマスターが俺である限り、そんな言い訳は聞かない。女の子を女の子扱いするなとか無理だ』
『シロウッ!』
『この件で逆らうと飯抜きな』
『!? ……クッ、卑劣な……! しかし、そんな脅しには屈しません。撤回しなさい、私は騎士です、貴方の言葉は受け入れられない!』
『あっそ。じゃあ今夜、セイバーの分は作らないから』

 とか言いながら食事の場にもセイバーを伴う士郎である。和やかな食事風景に、セイバーは心底辛そうに俯いているが、その匂いと網膜に焼き付いた料理が理性を焼く。
 翌日。特に新たな発見も、動きもない日だ。朝食から夕食まで、セイバーは飯抜きである。問答を再開する気は士郎にはなさそうだった。

『……』
『うわぁ……』

 お通夜のように重い空気で沈黙するセイバーに凛は引いた。

『心を攻めるが上策って云うけど、色んな意味でこの兵糧攻めはきっついわ。鬼ね、衛宮君』
『セイバーが悪い。マスターだぞ俺。マスターの俺に反抗的だから飯抜きなんだ』
『亭主関白かっ! 割と最低な論法よそれ!』
『家の問題に口を突っ込まないでくれますか、遠坂さん』
『家の問題なのこれ!?』

 凛のツッコミを聞き流し、士郎は嘆息して立ち上がった。台所に向かい、お椀と箸、皿を出す。それをセイバーの前に置くと、顔を上げた少女騎士に微笑んだ。

『すまん。意地悪が過ぎた。食ってくれ』
『……要りません』
『ごめん、謝るって。昨日の件は撤回するから。セイバーに今、倒れられても困る。ほら、食べて力にしてくれ』

 士郎の言葉に、あくまで渋々といった様子で箸を受け取るセイバーである。しかしそれに、士郎は意地悪く笑った。
 ゆっくりと食事をはじめたセイバーへ、士郎は言う。

『昨日の事は撤回した。でもまた言わないとは言ってないぞ』
『!? ごほっ、ごほ! し、シロウ!?』
『女の子扱いするから、そのつもりで』
『……!』
『あ、今更食うの止めるなよ。お残しは許さん断じて許さん。それは全ての農家その他諸々への侮辱であり冒涜だ。王様ならそんな事しないよな』
『くぅ……! やはり、貴方は卑劣だ……!』

 そうして嫌がる素振りで、その実しっかり味わい箸を動かすセイバー。

「な、なんですか!? これは私の責任ではありませんよ!? どう見てもこのシロウが悪い!」

 カルデアで、己に集まる生暖かい目線にアルトリアは抗議した。しかしその訴えの説得力は欠片もない。
 やがて女の子扱いに、特に不満も覚えなくなりつつあるセイバーの様子に、カルデアの生暖かい空気は濃密に漂っていく。アルトリアはまた抗議するも、やはり説得力はなかった。

 不気味な平穏が続く。三日が経つと、士郎達は街に息抜きへ出ていた。病気に由来する体調の変化でないなら、イリヤスフィールを置いていく理由はないと、士郎はイリヤスフィールを背負って歩いた。
 服を見たり、外食したり。バッティング・センターでストレスを発散したり――憩いの空気に、浸る。迫り来る嫌な予感を振り払うように。もう戻らない時間を、せめて楽しいものにするかのように。

 切嗣の墓参りに来る。大所帯だ。士郎は月に一度は藤ねえと来るんだと溢した。

 イリヤスフィールは、士郎に教わった作法で両手を合わせる。祈る時間は、長かった。
 疲れたのだろう。墓参りが終わると、すっかり寝入ってしまったイリヤスフィールをアーチャーに預ける。流石に長時間背負って、士郎も疲れたのだ。アーチャーは壊れ物に触れるように、恐る恐るイリヤスフィールを背負い、その様を凛が指を指して盛大に笑った。そっぽを向くアーチャーが、尚更に可笑しい。

 士郎はセイバーに、ふと言った。なんでもないような、日常の会話の延長のように。唐突な、驚天動地の台詞を。

『セイバー』
『はい、なんでしょう』
『俺、今気づいたんだけどさ、お前の事が好きみたいなんだ』
『はい。……はい? し、シロウ、何を……!?』
『はあああ!?』

 凛と慎二が絶叫した。

『あ、アンタっ!』
『桜はどうした!? オマエ、ふざけて言ってんじゃないだろうな!?』
『なんで桜が出てくる? ふざけてこんな事言えるか、馬鹿。一目惚れらしい、今気づいた』
『ちょ、』
『……はぁあ!?』
『シロウ……!? そんな、戯けた事を……!』
『別に誰を好きになっても俺の勝手だろ。受け入れてくれって訳でもない。そんな場合でもないしな。ただ、覚えてて欲しいんだ、セイバーに。応えなくていい、ただ俺がお前のマスターだった事を。俺がお前に惚れてたって事を』

 士郎の、余りに真っ直ぐな好意と言葉に、セイバーは返す言葉が見つからなかった。
 お前が欲しいとは言わなかった。答えを求められた訳でもなかった。ただ覚えていてほしいと、それだけを求められた。――返事のしようが、ない。拒む拒まないではないのだ、そんな次元ではない。

『はは。初恋は叶わない――って、本当だったんだなぁ』

 何故なら士郎は弁えていた。セイバーは違う時代の人間で、別れは必然である。悲しむでも、嘆くでもなく、あくまで嬉しげだった。
 慎二は思わず訊ねる。なんでそんな、笑ってられんだよ、と。惚れちまったんなら、手に入れたいって思わないのかと。

『は? 馬鹿だな。いいか? 忘れないでくれって頼めば、セイバーはきっと、俺の事を忘れないでいてくれる。それってつまり、永遠って事だろう? 思い出が手に入った。そこには、俺にとっての全てがある。セイバーはもう、手に入れてるんだよ』
『――』

 セイバーは、返す言葉を見つけられなかった。士郎の透徹とした笑顔を直視して――堪らず、顔を伏せる。
 在りし日、始まりの時、捨てたはずの少女が疼くのを殺して、セイバーは囁いた。

『――はい。私は、例え地獄に落ちても、貴方を忘れません。シロウ』
『そっか。よかった』

 それは誓いだった。士郎を守る、絶対に守る。セイバーはサーヴァントとマスターという関係とは別に、衛宮士郎の剣である事を誓ったのだ。
 顔から火を吹きそうなオルタとアルトリアを、ダ・ヴィンチはニヤニヤしながら見詰め、アグラヴェインは心底から形容しがたい表情をしていたが。――そんなふうに緩んだ空気は、凍る。

 衛宮邸に帰宅し、気が抜けた瞬間だった。

 不意に現れた魔術王が、イリヤスフィールを転移魔術で連れ去ったのである。

『な――』

 本当に一瞬の隙だった。
 誰の手も触れておらず、誰からの目も向けられていなかった、本当に一瞬。
 連れ去られたという事実に、士郎は憤怒し。それはアーチャーもまた同様だった。

 血眼になって市内を探し求め、しかしその日は遂にイリヤスフィールと魔術王を見つけ出す事が出来なかった。
 必死になって捜索して二日目。
 槍兵が自身の槍で心臓を穿ち、自害させられているのを発見する。令呪を奪われたのだろう。サーヴァントには、抗えない。これを目の当たりにして、凛は自身も令呪を使いきる。アーチャーに一見無意味な、漠然とした縛りを与えた。
 絶対に勝利する事、といった命令を。

 そして、見つけた。イリヤスフィールが、円蔵山の大聖杯の元で、イリヤスフィールを聖杯として起動していたのだ。彼のマスターの男が歓迎の構えを見せる。ここで決着をつけよう、と。
 士郎とアーチャーの赤黒い憤怒の形相は、数日の間を空けても翳る気配すらなかった。怒号を発して、最後の戦いが始まる。
 男が言った。

『今のキャスターは聖杯のバックアップを得た。魔力の心配はない。君達に勝てると思うかな、魔術王に』
『ゴチャゴチャうるせぇ、イリヤを返せぇ!!』

 気迫は、勝敗を左右しない。聖杯の魔力を得た魔術王は圧倒的だった。
 蹂躙が始まる。七十二柱の魔神が全て、同時に召喚され、それらが一斉に牙を剥いたのだ。
 ライダーが斃される。アーチャーが三十数柱の魔神に包囲される。固有結界は発動できず、投影した宝具で対応するしかない。セイバーが聖剣を解放し、光の斬撃で半数以上を消し飛ばしても、再召喚によって魔神は再び現れた。

 士郎は咄嗟に、消滅間際のライダーに言った。

『慎二を頼む……! 此処から連れ出してくれ! ……邪魔だ!』
『……ええ、分かりました』

 邪魔だと言う士郎の顔は、必死だった。この死地に、親友をおいておけないという、必死さ。
 慎二は目を剥く。ランサーに追われた、最初の日の事が脳裡を過ったのか。ライダーに担がれ、遠ざかっていく戦場に叫ぶ。

『ふざけるな! ふざけんなよ衛宮ぁ! 対等だろ!? 僕らは、どっちかが一方的に助けたり助けられたりするような甘えた仲じゃないだろ!? 最後まで戦わせろよ、足手まといでも、僕は、僕らは親友だったんじゃないのかよ! 衛宮、衛宮! クソ、離せライダー、離せよぉッ! おい……! チクショウ、チクショウ! 衛宮ぁあああ!!』

 叫び声が聞こえなくなる。士郎は一瞬笑い、そしてそれでも走る。アーチャーに指南された投影魔術を使い、双剣を手に駆けた。聖剣を再度放ったセイバーが、魔力を枯渇させながらも獅子奮迅の武勇を魅せる。
 魔術王に肉薄していくも、転移で距離を取られ続けるのに歯噛みして。セイバーは聖剣の真名解放を行えないほどに弱っていく。執拗な魔神による絨毯爆撃に、セイバーよりも先にアーチャーが倒れた。

『アーチャー!?』

 凛が悲鳴を上げる。死に物狂いで、それこそ嘗てなく必死に奮闘していたアーチャーが力尽きたのだ。サーヴァントが消滅した凛は、魔神に呑まれる。

『遠坂!? テッメェェエエエ!』

 吼える。士郎が意地でも仇を取ろうと、イリヤスフィールを助けようと駆ける。それを、

『――素晴らしい気迫だ』

 男、マリスビリーは称賛した。

『安心していい、ライダーのマスターを見逃したように、アーチャーのマスターの命も見逃そう。私の目的は、無為な殺生じゃあないからね』

 セイバーも、膝をつく。士郎もまた、もはや動けなかった。否、とうの昔に限界だったのを、意地だけで無理矢理走り、抗っていたに過ぎない。
 まだだ、まだだ、まだ終わりじゃねぇ……! 士郎の目は死んでいなかった。だからこそ、マリスビリーは彼を称賛したのだ。

『ああ、聖杯の彼女も無事だ。死んではいない。聖杯を起動する装置になっているだけさ』
『イリヤを離せ……ッ』
『私達が望みを叶えたら、解放しよう。……ただで、とは言えないがね』

 ――そして、士郎達は魔術王へ敗北した。

 記憶を消され、何もなかったように記憶を捏造されて。士郎にアラヤが介入する。自己が曖昧になり、己の記憶が英霊エミヤのそれと混同され、何が本当の己かも見失い……士郎は、第六次聖杯戦争に身を投じる事になる。

 死。理不尽な死を予感する。士郎は、なんの覚悟もない時に、明確な死の運命を自覚してそれを恐れた。

『オマエ暇だろ? 弓道場の掃除代わってくれよ』

 その慎二の問いに士郎は頷く。慎二を引っ張って無理に行こうとはせず、溝は埋まらなかった。

『問おう――貴方が、私のマスターか』

 再開した時、セイバーは全てを覚えていて尚、何もかもを忘れ、そして己を偽る少年に接する態度に惑った。どうしたらいいのか、悩んだ。

『じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー』

 父の真実を知る事なく、無邪気に殺意を告げる少女がいた。

 士郎は己を塗り潰した死の恐怖と、自身の人間性と英霊エミヤの記憶の齟齬から、切嗣を看取った時に彼を偽っていると誤解し――それまでの己を見失っていたから。だから士郎は止まれなかった。偽る事をやめられなかった。罪悪感に一人悶え苦しんだ。
 この通りに演じれば助かると、英霊エミヤの記憶を辿り。持ち前の頭の回転は、常に錯乱していた士郎を、エミヤの知らない道へと歩ませても生存への道を歩ませた。

『……誰だ、オマエは』
『慎二?』
『オマエ、誰だ! 衛宮じゃないな!? 気色悪い顔しやがって!』

 第五次聖杯戦争の記憶はなくとも、それ以前の記憶までなくなった訳ではない。
 故に、人間性の解離に、その少年が気づくのは必然で。完全に別人な、壊れた人間を友人だと認めず敵対した。
 少年は、何がなんでもあの気色の悪い輩をなんとかしようとし、暴走した。何かよくないモノに憑かれている――その憑いているモノを除こうと学舎にライダーの結界宝具を張らせるほどに、思い詰めた。

『ひっ、ひぃィ!?』

 夜の街、聖剣によって消滅したライダー。慎二は逃げ出した。気味の悪いあの男が、自分を殺すだろうと恐怖して、逃げたのだ――

『――ふん。道化め。己の在り方すら見失った雑種など、殺す価値もない』

 全てを踏破した先に待ち構えていた英雄王は、些かの憐憫を滲ませ士郎を道化と称した。

『だが我もまた、此度は道化か。不意を打たれたとはいえ、敗れたのだからな。ならば、是非もあるまい。此度のみ、この茶番に乗ってやる』

 英雄王と戦った。そして彼の王は、侮蔑も露にセイバーを罵った。

『戯け。貴様がついていながらこのザマとはな。成すべき事を成そうともせん貴様に、この我の寵愛を受ける資格はない。女を磨き出直すがいい。その時こそ我が相手するに足る』

 何を言っているのか、士郎にはさっぱり分からなかった。だがセイバーの心は、動いたのかもしれない。

『シロウ――貴方を、愛しています』

 全ての決着が着いた時、アルトリアは秘め続けるつもりだった心を告げる。尚も錯乱していた士郎は、それでも我から出た言葉で、懺悔した。
 俺は、お前を愛してなんか――そう涙ながらに告げる少年に、アルトリアは微笑む。

『いいえ。貴方は私を愛しています』

 ――その、万の言葉よりも勝る保証が、少年を錯綜する混乱より救い上げた。
 そして、カルデアで二時間半が経つ。衛宮士郎の旅は、こうして始まるのだ。





 
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