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人理を守れ、エミヤさん!

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全て、全て、全ての言葉はローマに通ずる






「――聖杯に取り込まれ、暴走した(ローマ)が英霊としての(ローマ)を切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、残滓(ローマ)であるこの(ローマ)である」

 士郎は、とりあえず敵ではないとだけ理解し、酒を口に運んで、言った。

「……もう一度、分かるように言ってくれ」

「わ、分からぬのか!?」

 独特に過ぎる言い様に困惑しながら頼むと、なぜかネロが驚きながら反駁してきた。
 隣のネロを、ジト目で見る。分かるわけあるか、と言外に滲ませて。



 ――ふむ。これもまた、ローマであるか。

 ――ローマは、ローマである。

 ――如何にも。カルデアのマスターよ。ローマが、ローマだ。そして――

 ――聖杯に取り込まれ、暴走したローマが英霊としてのローマを切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、ローマであるこのローマである。



 ……何回ローマと言ったのかはどうでもいいとしてだ。
 実際なんとなくニュアンスで判断できなくもないが、具体的に何を言っているのかはまったく理解できなかった。寧ろこれで分かれというのが無理な相談である。
 士郎は経歴柄、語学には堪能な部類だが、古文書の解読専門家ではない。名詞の殆どが『ローマ』とか、まともに話す心算があるのか甚だ疑問である。
 こめかみを揉みつつ士郎は神祖ロムルスに言った。

「すまない。そちらが何を言ってるのか、まるでわからない。出来れば俺にも分かるように話して欲しい」
「ぶ、無礼であるぞシェロ! 神祖に対してそのような――」
「よい、我が子ネロよ。それもまたローマである。その身が未熟であろうといずれローマの言葉の真意を悟れるようにもなろう」
「……」

 鷹楊に構えるロムルスは、その生来の余裕から全く士郎の物言いに気分を害した様子はない。……が、分かりやすく言い直す気もないようだった。
 流石に英雄王とタメを張れる格の持ち主。吹けば飛びそうな儚い存在感からすら、途方もない王気が衰えることなく発せられている。自我の強大さも英雄王に比するとは、感服するしかなかった。

 もう一度言おう。

 感服する『しか』なかった。

 これまでの経験上、ぶっちゃけ理解不能すぎて素面で相手するのは困難な部類だと判断せざるを得なかった。士郎は諦めたように嘆息し、酒を呷る。二度、三度。
 そして酒が回ってくる感覚に眼を瞑り、対面に胡座をかいて座す神祖の残滓に、酒を差し出した。

「……何はともあれ、駆けつけ一杯」
「うむ。有り難く頂戴しよう」

 瓶ごと呷りロムルスは豪快に飲み干した。まだ半分ほど残っていたはずだが……まあいい。気を利かしてくれたマシュが、せっせと武器庫から葡萄酒の瓶を二本持ってきてくれた。
 ありがとう、と言って受け取り、一本をロムルスに手渡す。彼は古代人には度の高すぎる葡萄酒にも面食らった様子もなく、いたって平然として舌鼓を打っていた。

「美味であるな。これはそなたの手製の物か」
「ああ。度数は平気なのか?」
「大事ない。ローマの知る中でも美酒の部類ではあるが、ローマの秘蔵する神酒には一手及ばぬ」
「……なんだと?」
「ふむ、矜持を傷つけてしまったか。だが、案ずることはない。そなたの腕は確かだ。問題は材料にある。神代の(ローマ)と、そなたの時代の(ローマ)では、同一の製法(ローマ)を用いても味わいに差が出てもおかしくはない。寧ろ神代を終えた未来(ローマ)でこれだけの物を手掛けられた己の腕を誇るがよい」
「……上があると知りながら、今に甘んじて向上することを諦められはしない。答えろローマ、じゃない神祖。その神酒の材料はなんだ」
「し、シェロ? なんの話をしておる? 今はそれどころでは――」
「だまらっしゃい!!」

 ネロが何やら言いかけてきたが、士郎はそれを掻き消すように怒声を発した。
 びくっ、と肩を揺らし、困惑しながらネロはマシュを見た。マシュは、重苦しい表情で、左右に首を振る。こうなった先輩は止められません、と早くも諦めモードだった。
 アタランテは嘆息して呆れていて。アルトリアとオルタは我関せずと豚を平らげることに夢中だった。しかし、まあ、いざとなったら即応できそうなのは、流石に騎士王ではあるが……。
 ネロは孤立無援であることを悟る。ここは空気を読んで、暫しマスターの先達と、偉大な神祖のやり取りを黙って聞いておくことにした。酔いの入った輩ほど面倒な手合いもいないからだ。

 やがて、神祖と酒について激論を戦わせ始めた士郎だったが、納得のいく答えを得られたのだろう。神祖に深々と頭を下げ、情報提供に感謝していた。

「神祖の博学ぶりには感嘆の念を禁じ得ない。よもや竜種の逆鱗と爪、デーモンの心臓と脊髄にそんな味が隠されているとは……」
「キメラの爪と、鳳凰の羽根、呪いを帯びた凶骨もよい養分となる。隠し味としては、ローマは虚影の塵が好ましい」
「!! では世界樹の種はどうだ? あれは食ってみたら活力が沸いてきた。気力も充実するから鬱を一発で解消させることも出来るはずだ」
「ほう、興味深い……鋭い見識であるな。なるほど、ローマである。ではローマも秘めたる知恵を開陳するとしよう。土の精霊の宿った根である聖霊根、そして二角獣の頭毛の中に隠れている小さな角が、神酒をより高みへと導く標となるのだ」
「なんだって……クソォ! 逆鱗と竜とキメラの爪、デーモンの心臓、竜牙兵の特に強い呪いを宿した骨しか持っていない……!! 畜生、こんな無念が他にあるか……!?」
「悔やむな。これから先、手に入れる機会はいつでもあろう。苦境に陥っても、その心を強く持てば、そなたもまたローマの真髄を得られるだろう」
「……!! 神祖!」
「うむ」

 不意に立ち上がり、がっしと手を取り合った士郎と神祖に、ネロはなんだか顔が青白くなるほど緊張していたのが嘘のように気が楽になった。
 なんだか、緊張していた自分がバカらしくなったのかもしれない。ふっ、と肩から力が抜けて、表情にいつもの余裕が戻ってきた気がする。

 士郎は武器庫に向かい、ごそごそと底の方を漁り始め、隠し床を開けて中から一つの壺を取り出した。
 濃厚な風味の薫る、神秘的な香り。アルトリアとオルタの目の色が変わった。ネロも、思わずその壺に眼を奪われる。
 士郎はそれらを意にも介さず、神祖の前まで戻り、壺を開けた。

「得難き知恵を与えてくれた礼だ。世界樹の種を使って作った肴だ。誰にも振る舞ったことはないが……俺の知るなかでは現状、最も旨いと思う」
「ほお……」

 差し出された壺を見て、中から一粒の種を手に取り神祖はその薫りを楽しむようにしながら、ゆっくりと口に運んだ。
 そして、神祖は始めて、沈黙する。

「……」
「……」
「……ローマである」

 ぽつりと溢した感想と共に、ロムルスは微かな笑みを湛えた。
 その言葉の意味を、士郎は理解できた。
 なるほど、これがローマか、と。

 完全に酔っていた。

「……ところでなんの話をしていたんだったか」
「ふむ? ……ふむ。さて、なんだったか」
「神祖!? シェロ!?」

 酔っ払い達は、やがて微睡むように薄く微笑みを浮かべ、座ったまま寝入ってしまった。
 ネロが泡を食ったように名を叫んだが、二人の耳には届かなかった。

 話が進むのは、夜が明け、陽が昇って二人が目を覚ましてからである。













「……で、だ」

 ひくひくと目元を痙攣させ、底冷えのする眼差しで見下ろすのは、眼前で正座し顔を俯けるアルトリアとオルタ、アタランテにネロ……そしてマシュである。

 本日は晴天なり。陽は既に高く、麗らかな日差しに包まれた森に、獣の遠吠えが木霊していた。

 昨夜、時間を無駄に浪費してはならないのに、ついうっかりと酔い潰れ、七時間もの間、熟睡してしまったのは不覚である。
 しかし、しかしだ。それはこちらの過失として認めざるを得ないが、かといって斯様な狼藉が許されるわけではない。

 俺は、空になっている(・・・・・・・)世界樹の種の入っていた壺を指差し、静かに、一切の感情を込めずに質問した。

「……誰が、俺のツマミを食った。怒らないから、正直に答えろ。正直に、だ」

 誰が予想するだろう。一晩、たった一晩だ。それだけで大事なツマミが全滅すると、もう泣きたくなってくる。
 この悲しみを、どうすれば解って貰えるだろう。俺は悲しみに打ち震えるしかない。

「お、怒っておる……絶対怒っておる……」
「あ? なんだって?」
「な、なんでもないぞ!? ほんとだぞ!!」

 あわあわと慌てるネロに、ガラス玉のように色のない目を向ける俺。
 もう一度、誰が食った、と繰り返し問うと、全員が全員、互いを指差した。

「なるほど……全員が犯人か」

 ビキビキと青筋が浮かぶ。凄まじい怒気に冷や汗を流す面々。アタランテの尻尾がへにゃりと地面に垂れた。
 俺は、ロマニに聞いた。

「ロマニ。一つ聞く。誰の霊基が(・・・)最も上がっている?」
『あ、あー……その、あまり怒らないであげて欲しいんだけど』
「怒る? 何を言う。俺は全く怒ってない。ただ事実確認をしているだけだが」
『あ、あはは……うん、ごめん無理だ。下手に宥めたらこっちに飛び火すると見た。だから観念してくれ』
「ロマニ!?」
「ドクター貴様ぁ!」

 裏切られた! みたいな反応をする容疑者筆頭達。ロマニは言った。極めて正直に。

『霊基が向上してるのは、青と黒の騎士王サマ方だ』
「やっぱりか」
『次点でアタランテ。魔力が充実してるのはネロくんで、あまり変化がないのがマシュだよ』
「……順当すぎて言葉も出んぞ」

 はあ。と、深く溜め息を吐く。びくりと露骨に反応する騎士王達。
 俺は、込み上げる様々な激情を飲み干して、そんな場合ではないからと、なんとか怒りを鎮めた。
 まず、マシュを見る。俺に怒気を向けられたことがなかったためか、酷く狼狽して怯えていた。
 手招きすると、びくびくとしながら立ち上がり、近づいてくる。ぬっ、と両手を伸ばし、マシュの柔らかいほっぺを摘まみ、限界まで引っ張って、ぱちんと離した。
 ほっぺを赤くし、あぅぅ、と痛そうにするマシュの頭に手を置いて、言う。

「今ので許す。次からは俺に断ってから食べなさい。いいな」
「は、はい……。その……ごめんなさい」
「うん。よく謝れた。そういう素直なところが好きだよ、俺は」
「ぅぅ……」

 次いで、ネロを手招く。ほっぺをガードしながら近づいてきたネロに、容赦なく拳骨を落とした。
 あいたぁっ!? と悲鳴を上げたネロに、悪戯をした子供にするように噛んで含める語調で告げる。

「叱られるとは思わなかったのか君は」
「余、余は皇帝だぞ……余を叱れる者などそうはおらん……」
「そうか。だがこれからは、悪いことをしたら誰からでも叱責が飛ぶと知れ。そして、悪いことをしたら言うことがあるはずだが?」
「う、うむ……すまぬ」
「あ?」
「ご、ごめんなさい! これでよいか!?」
「……まあいいか」

 焦っているためか、逆ギレしたように大声で謝り、頭を下げたネロに、とりあえず溜飲を下ろす。アタランテを見ると、ぎくりと肩を揺らして、すぐにでも逃げたそうな目をしていた。

「……」
「……ま、マスター。私は悪くない、それを彼に説明して欲しい。そうだ、私は悪くない! マスターが私に勧めたから仕方なくだな、」
「アタランテ」
「はい!」

 思わず飛び上がって応えた狩人に、俺は言った。

「主人の罪はサーヴァントの罪だ」
「そ、そんな理不尽が許されていいのか……!?」
「ギリシャ神話ほど理不尽な事例が多い神話もそうはないぞ。十秒動くな、それで許す」
「う、うむ。汝がそう言うなら、十秒動かない。それで許してくれ」
「ああ」

 頷いて、いきなりアタランテの尻尾を掴む。
 びくりと激しく体を揺らし、アタランテが動揺したように何かを言いかけたが、聞かずに尻尾を撫で回して、獅子の耳にも手を伸ばす。
 中々の毛並み、素晴らしくふかふかだ。
 十秒経つと手を離す。いきなりの暴挙にアタランテは腰砕けになってその場に座り込み、息も絶え絶えに艶めいた息を吐いた。

「せ、セクハラです先輩……」
「何を言うんだ。あれを見たら誰でも触りたくなる。仕方ないだろう?」
「……それは、まあ、確かに……」

 納得したような、しないような、曖昧な感じに首を傾げるマシュ。素晴らしかったから、隙あらばマシュも触ってみるといいと伝え、アルトリアとオルタを見た。
 どちらも明後日の方を見ている。目を合わせようとすらしていない。俺は特に何をするでもなく、二人に言った。

「両名に申し伝える。今後一ヶ月、飯抜きだ」
「!?」
「そんなっ、そんな無体な!?」
「慈悲を、シロウ、慈悲を!!」
「ええい、ならん! 縋り付くな鬱陶しい!」

 青黒騎士オーズが足元に縋り付いてくるのをはね除け、俺は裁定を終えた。
 そして、待たせる形となってしまった褐色肌の偉丈夫――神祖ロムルスに向けて頭を下げる。

「――すまない。一身上の怒りに駆られ、時間を取ってしまった」
「構わぬ。通すべき筋であった。我が子ネロにも良い教訓となったであろう」
「そう言ってくれると助かる。それで……少し時間を置いてしまったが、改めてそちらの真意を聞きたい。神祖ロムルス、一体貴方は何を以てして俺達に接触してきた?」

 居住まいを正し、これまでの空気を一掃するようにして訊ねる。一人、ロマニだけが『やっと話が進む』と嘆息していたことを俺は知らなかった。
 武装も何も持たない、ロムルスの残滓は常の余裕のある物腰を寸毫たりとも崩さず、静かに葡萄酒の瓶を呷った。

「カルデアのマスター……否、酒を酌み交わした以上は(ローマ)の友であると認めよう。その意気は、ローマに通ずるものであるが故に」
「彼の神祖に友と呼ばれることは誉れだ。恐縮してしまいそうだが……敢えて受け入れよう。対等の目線で物を言うことを許してくれるか?」
「構わぬ。その心は既に完成し、(ローマ)の庇護下にはない。故に直言を許す。非礼を許す。そして全てを許そう。エミヤシロウよ、(ローマ)の愛はそなたも包んでいる」

 故に、とロムルスはその雄大な体躯で、まっすぐにこちらに向いた。
 体格はほぼ同じなのに、呑まれそうになる存在感。それに気圧されぬよう腹に力を込めて対峙する。俺に、否、カルデアにロムルスは告げた。

「――対等であるからこそ、(ローマ)は憚ることなく忠告する。
 シロウよ。そしてシロウに従うサーヴァントよ。

 即刻、我が子ネロを置き、ローマの地より去れ。

 もはやそなたらに勝機はない。一時退却し、態勢を立て直した後に、帝都ローマに現れよ」

 ――その言葉に凍りついたのはマシュとロマニだけだった。

 士郎は、吟味するように神祖の言葉を反芻する。強張ったネロの顔は、何かを悟ったようで。騎士王達は纏う空気に電撃を帯びて緊迫感を露にする。
 見定めるように、アタランテは士郎とネロを見詰めた。

「――それは、どういう意味だ?」

 頭ごなしには否定せず、士郎はロムルスに訊ねた。感情的に何かを否定するほど子供ではないし、そもそも相手がロムルスである。決して、意味のないことは言わないはずだ。彼はネロを捨てていけと言っているのだから、断じて冗談を言っている訳がない。

「勝機がない、と言ったか。万が一にも?」
「そうだ。万が一にも、現状のそなたらに勝ち目はない。シロウが彼の光の御子を喚び出した時は、もしかするかもしれぬとは思ったが……我が子、カエサルによって彼の英傑は封じ込まれた」
「……ランサーが?」

 小さく呟く。あのクー・フーリンが、封じ込まれただと?
 ロムルスは、讃えるように言った。

「光の御子の武勇、神域の武人の中でも更に比類なきものであろう。彼の者の霊基が解放されたなら、(ローマ)が万全であろうと、一対一の決戦では遅れを取るやも知れぬ」
「……」
「だが、我が子カエサルとて皇帝の代名詞である。英雄としての格は決して引けをとるものではない。そして今のカエサルは、あらゆる意味で純化しているが故に、勝利の為ならあらゆる非道にも手を染めよう」
「……まるでローマで起こっていることを全て、把握しているような口振りだな」
「如何にも。(ローマ)は、ローマの全てを認識下に置いている。気づいておるだろう、今のローマは異界化しているのだと」
「……それは、お前の宝具か?」
すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)――(ローマ)の結界宝具である。それが聖杯により拡大変容し、ローマを包み、異界化させているものの正体だ」

 曰くレムスを自身の手で誅した逸話。血塗られた愛の城壁に由来する宝具だという。

 宝具としては、空間を分断する城壁を出現させることで壁の内側を守護するというもの。この城壁が、ロムルスの領域を覆い、透明な結界と化しているのだ。
 士郎とアタランテがローマに足を踏み入れた時に感じた違和感の正体がこれである。
 結界としての側面が強化、拡大されているため、城壁の形を失い文字通りの結界と化し、結界の内側はロムルスの体内に等しくなっているのだ。
 つまり、ローマ全てが聖杯に取り込まれ暴走する、ロムルスの知覚領域内であるということ。その規格外はロムルスのような強大な格の英霊にしか発揮できないものだ。

 ――あの魔の柱の者が、あっさりとこの特異点から立ち去ったのは、暴走するロムルスを止める手立てなどないと確信していたからか。

 だが、流石にロムルスがこうして暴走下にありながら、正常だった部分を切り離し、士郎らの許に向かったのは計算外だったろう。
 さもなければ、この邂逅はあり得ぬものだったに違いない。

「既に確かめたであろうが、(ローマ)の内にある限り遠く離れた者との意思疎通は不可能である。光の御子とのやり取りは出来ぬだろう」
「……カルデアとの通信は繋がるが?」
(ローマ)は、暴走していようと(ローマ)である。満身より力を込め、全霊を振り絞り聖杯に抗い、辛うじてそなたらへの妨害を弱めている。もしもそなたとサーヴァントを繋ぐ装置の完成度が今少し高ければ、離れた地にいるサーヴァントとも意思の疎通は行なえたであろう」

 流石に急造の念話装置では無理があったか、と今はネロの首に提げられている懐中時計を見る。
 確かに以前試したが、クー・フーリンとの連絡は取れていない。だが……令呪で召喚すれば、こちらに呼び戻すことは出来るはずだが……。

「不可能である。空間跳躍による召喚は(ローマ)といえど見過ごせぬだろう。(ローマ)の意思とは関わりなく、聖杯によって令呪の巨大な魔力を関知し、妨害することになる。空間跳躍は失敗し、無駄に令呪を損なうだけだ」
「……ランサーは今、どうなっている?」
「ゲッシュを破らされ、半身が麻痺し、それでも獅子奮迅の働きを以て我がローマを相手に互角以上に戦いを進めている」
「……」

 流石、と口の中で呟く。それでこそだ、と。
 だがロムルスは言った。それは本来のカエサルならば絶対に取らぬ外道の策である。

「カエサルは聖杯により、属性が反転している。言ったであろう、今のカエサルは非道な策であっても平然と実行すると」
「……?」
「ゲッシュを光の御子に破らせるに用いたのは奴隷の子である。光の御子は王族故に、大半の者が目下に位置する故、わざわざ奴隷の子を使ってゲッシュを破らせる必要はないというのに。なぜ、奴隷の子を用いたか、分かるか?」
「……おい。まさか」
「左様。カエサルは光の御子の気質が真っ当な英雄のものであると見抜いておる。故に奴隷の、それも子供であれば、ほぼ確実に保護する(・・・・)と確信していた。そしてそれは的中した。今、光の御子の戦車には、爆弾と化した(・・・・・・)子が乗っている」
「……ッ!!」

 歯を強く噛み締める。アタランテがぶわりと総身の毛を逆立たせ、激怒のあまり立ち上がった。
 ロムルスは、静かに言った。

「誤解なきように頼む。本来のカエサルならば、決して執らぬ非道の策だ。そして、既に手遅れである。たった今、爆弾は機能し、光の御子の戦車は破壊された。光の御子自身は辛うじて勘づき逃れたようだが、手傷を負い、更にはシャドウサーヴァントと、十万を超えるローマの子らに包囲され、カエサルも決めに掛かった。ここから逆転することは困難であろう」
「……ふん」

 そこまで聞いて、なおも士郎は鼻を鳴らした。
 あるのは、信頼。一度信じ、託した以上、その敗北はあり得ないと信じている。

「逆転は困難? 侮るなよ、ロムルス。奴は最強の槍兵だ。その程度の逆境、跳ね返すに決まっている」
「……ふむ。確かに、まだ勝敗は解らぬ。恐るべきは光の御子の生存能力であるか」

 ロムルスもまた否定しなかった。だが、意見を翻すこともなかった。
 仮にその場で勝利しようと、重大な手傷と呪いを受け、令呪の支援は届かず、空間跳躍による召喚が不可能となれば、あちらの勝敗の如何などこちらには関係がなくなってくる。――クー・フーリンは、士郎達の戦いには間に合わない。

 だがそれがどうした。

 あちらは任せた。こちらは任せろと言ったのは士郎である。であれば、もとより増援をあてになどしていない。彼は役目を全うしている。それを知れただけで充分だった。

「分からないな」

 だからこそ、士郎は挑むようにロムルスに言った。

「ランサーは俺達の戦いに間に合わない――そんなことは端から考慮しているし、そもそも過度に期待していない。不利は承知の上、それでもロムルスのもとにさえ辿り着いたなら、勝利することは絶対に不可能ではないだろう」
「左様である。確かに(ローマ)の許にさえ辿り着けたなら勝利できる可能性はあるだろう。しかしそれは叶わぬ目論見だ」
「……どういうことだ」
「天晴れなるは光の御子。(ローマ)はそなたらの妨害をほぼ片手間で行なっていたに過ぎぬ。進撃する光の御子に集中し仕留めようと全力を振り絞っていたが、彼の英傑を止めることは遂に敵わなかった。――そしてカエサルめが光の御子を実質無力化した以上、聖杯の一部として機能する(ローマ)が光の御子に注力することはない。……分かるか? これより先、(ローマ)は樹槍の力を最大限に駆使しそなたらの侵攻を阻むことになろう。そなたらが蹴散らしてきた一割(・・)のローマの津波など、比較にもならぬ質量だ。仮に一度、二度凌げたとしてそれ以降が続くと思うか?」
「……それは、無理だな」

 士郎は苦々しく、素直に答える。

 ここまで来るのに見てきた枝葉の津波が、たったの一割程度……? それが、残りの九割加算される?
 ……確かに何度かは凌げる。聖剣の火力は聖杯ごと神祖を打ち倒せるほどのものだ。
 だが何度も使えるものではない。波状攻撃を仕掛けられれば、たちまちの内に魔力切れとなり、あっさりと呑み込まれるだろう。聖杯のある帝都ローマに辿り着くことすら出来ない。

「……だが退いてなんになる? 一旦カルデアに戻って、帝都ローマにレイシフトし直す……無理だ。魔力が渦巻き、特異点の中心地と化した場所に直接乗り込むのは、現段階で不可能になっている。そうだろう? ロマニ」
『……ああ。その通りだ。今現在の帝都は、もう観測すら出来ない状態になっている。そこにレイシフトを試みたら、意味消失は免れない』
「そうか。だが、その魔力の渦を一時、解除する手段があるとすれば――どうだ?」
「なに?」

 そんな手段があるというのか。思わず反駁した士郎に、ロムルスはそれ(・・)を口にする。
 空気が凍ることを、言った。



「我が子ネロを差し出せとはそういうことだ。

 ネロを取り込めば、ローマは滅び、特異点は完結する。だが、一瞬のみ、ほんの短時間のみなら、人理焼失を食い止めることが出来よう。役目を果たした聖杯を(ローマ)が掌握し、ほんの一時のみ猶予を作れるのだ。

 なれば、そなたらは直接帝都に乗り込み、聖杯を持つ(ローマ)に挑む機会を得られよう。戦いは避けられないが、そうすることで初めて勝機を見い出せる」



 その言葉に。

 士郎は沈黙し目を伏せた。
 苦しく、痛く、重い沈黙。ネロは意を決したようにロムルスの許に歩み寄ろうとし、咄嗟にアタランテがそれを止めた。

「マスター! 惑わされるな、()の言を鵜呑みにしてどうする!」
「そうは言うがな、アタランテ。余にはどうにも、他に策があるとは思えぬ。ならば神祖の申し出を受けることこそが、ローマ皇帝として、カルデアのマスターとして執るべき方策ではないか?」
「そんなことはない! 私はマスターを見殺しにはできない!」
「そうか。短き関係ではあったがそなたの忠義、嬉しく思う。――令呪を以て命じる。余を止めるな、麗しのアタランテよ」
「マスター!!」

 絶対命令権を行使され、アタランテの手は離された。
 ネロは、士郎達を見る。そして渾身の笑みを浮かべた。

「とまあ……そんな訳で余はこれよりそなたらの勝利に賭けるチップとなる。頼むぞ、余が無駄死にでなかった証を立ててくれ。余は、そなたらを友と思う。それと……アタランテを頼む、余の大事な臣下だ」
「……ふむ。では、それでよいな、シロウ」

 ロムルスが、最後の確認のように言った。

 それに。

 シロウは。

 アタランテが怒号を発するのに耳も貸さず、マシュを。アルトリアを。オルタを見た。
 察し、それでこそと笑みを浮かべる少女と、御意のままにと微笑む騎士王。ここぞという時には甘いな、と黒い聖剣使いもまた冷たい美貌に微笑みを浮かべる。
 そして、士郎は言った。

「――ネロを差し出せ、だって?」

 顔を上げ、決然と士郎は吠えた。



「 断る!! 」



 驚いたように目を見開くネロを傍らに、ロムルスが破顔して、満面に笑みを浮かべた。

「それでこそだ。まこと――快なり!!」

 ロムルスは、神祖は――合理を蹴飛ばす不屈をこそ望んでいた。







 
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