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人理を守れ、エミヤさん!

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英雄猛りて進撃を(下)





 海を航る幽なる霊。往くは悪鬼の如き不死の群。只人には目視すら能わぬ霊体の軍団は今、薔薇の皇帝を追いブリタニアの地に到達する。
 踏み締めた大地が苦悶の音を鳴らす。実体化したのは小山のように雄大な体躯の王。知性なく、狂した瞳は獲物を求めて見開かれた。
 地鳴りのような呻き声が、ブリタニアの大地を震撼させる。魔性の障気が巨躯から溢れて止まらない。鬼火が如き青白い火を纏い、かつては大国の王だった(・・・)巨人は、ひたすらに怨敵を探し求める悪霊と化していた。

 もはや英霊でも、反英霊でもない。狂ったダレイオス三世には、目に映る敵全てが打ち倒すべき宿敵に見えている。聖杯による狂化は元々バーサーカーであった彼にも付け足され、もはや精神性の原型すら残らぬほどに狂乱していたのだ。

 根本から断たれた左の腕。慰めるように右手で傷跡を覆い、苦しげに呻く。
 それは以前己の行く手を阻んだ二人の小娘によって付けられた傷――ではない。
 宿敵の、幼い姿の者を討った(・・・)時に受けたものであった。
 理性を失い掛けながらも、聖杯の支配が及ぶ前に、自身の好奇心から「未来」の好敵手であるダレイオス三世に一目会いに来たところを、ダレイオス三世が襲いかかったのだ。
 見た目は違えど、アレキサンダーが宿敵本人であると本能で悟ったのである。そうなれば、バーサーカーであるダレイオス三世に自制が効くはずもない。激闘の末、ダレイオス三世はアレキサンダーを屠った。左腕を代償として。

「……◼」

 戦斧を握りしめ、狂王は屈辱に打ち震える。狂っているとはいえ、万全ではないとはいえ……宿敵の、よりにもよって未熟な状態に遅れを取ったことがダレイオス三世には耐えられなかったのだ。
 もはやこの怒りを鎮めるには、目につく宿敵全て(・・・・)を血祭りに上げねばならない!

「◼◼◼◼◼◼―――ッッッ!!」

 聖杯から流れ込んでくる負の熱量。魂を焦がすその熱が、不死軍の王を猛らせる。
 宿敵はどこだ! イスカンダル! あの不遜なる小僧! 不敬なる蛮族! この手で! 今度こそ! その細首をへし折ってくれる!

 言語として成立しない咆哮は、ブリタニア全土に轟き渡る。小鳥が散り、虫が潜み、獣は逃げた。
 死の気配に、ブリタニアに存在する全てのモノはその脅威を感じ取っていた。

 無限大にまで肥大した憎悪が標的を探し求める。

 ――そして、見つけた。

 広野を隔て、いつの間にか現れていた一人の男。気配はサーヴァント。
 ダレイオス三世は憎しみを込めて睨み据える。群青の戦装束の上に、白いリネンのローブと、勇壮な刺繍が施された深紅の外套を羽織っている。
 金のブローチが、眼に映える。白銀の籠手が降り注ぐ陽の煌めきに照らされ光っていた。
 結わえられた青みのある黒髪を風に靡かせ、真紅の槍と紅蓮の盾を手に、まるでダレイオス三世の行く手を阻むかの如くに悠然と構えている。

 イスカンダル!

 ダレイオス三世は、宿敵の征服王に似ても似つかぬ戦士を見て、しかし極大の殺意を抱いた。
 赦せぬ、自らを神の子などと佞言を垂れ、己の国を簒奪した下賤なる獣。白痴のような妄想を謳い、軍を率いた辺境の王に過ぎなかった蟻一匹。
 ――そんなものに幾度も敗れた我が身の無能。

「     !!」

 音もなく血を吐く狂王。喉を引き裂き絶叫する。
 赦さぬ、断じて! 吾を敗者へ貶めた者よ、吾に仇為す敵対者よ! これに見よ、これこそが吾が『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』である!

 狂王の下に集いし群体の不死、史実として存在した一万の精鋭。伝説となり、不滅性と不死性が強調されたダレイオス三世が擁する無二の矛、盾、軍!
 この不滅の軍勢を以って貴様を捻り潰してくれる!

 ダレイオス三世が右手の戦斧を掲げた。

 動く死体、骸骨の軍勢が、悪魔的な喚声を上げる。そのおぞましさは、まさに地獄の獄卒。悪の化身。ダレイオス三世は前方の敵一騎に向け、不死の一万騎兵を差し向けた。
 さあ、蹂躙してくれるぞ!



「――なんだ。それだけかよ?」



 不敵に笑む、無敵の勇士。迫り来る軍勢を前に、臆する様子は微塵もない。
 手の中でくるりと朱槍を回転させ、左手の赤い盾に叩きつける。戦の作法、出陣の儀礼――かつて盾を叩く槍の音を聞いた時、並みいる修羅のケルト戦士は戦慄した。

「出せるものがあるなら今の内に出しときな。後から負け惜しみを聞いてもつまんねぇからよ」

 不死の兵。不滅の死体。……余りに鈍臭くて欠伸が出そうだ。かの偉大なる征服王、その雄飛の足掛かりとなった大王よ、狂っているとはいえ正面からの突撃とは芸がない。

「んじゃ、往くぜ。まずは挨拶代わりだ。凌げねえなら影の国(あっち)でしごいて貰えや。死なねえからって気ぃ抜いてたら、笑えるぐらいあっさり逝っちまうぜ?」

 嘯くや否や、呪いの朱槍を放り、足に引っ掛け宙に蹴り上げる。
 自身も後を追って跳躍し、魔力を吸い上げ不気味に光る魔槍の石突きを、振り抜いた足が完璧に捉えた。

「  突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)  」

 真名解放。飛来する波擣の獣の頭蓋の一片。権能を秘めた神獣の欠片。溜め込んだ魔力を炸裂させ、一際強く赤く煌めいた魔槍はその内に秘める千の鏃を解き放つ。

 降り注ぐ千の棘。雨の如くの死の誘い。

 ――その悪夢のような光景に、見入られたように空を見上げる不死の兵。
 貫かれ、穿たれ、息絶えた不死兵は。
 死んだ。殺された。死を遠ざけた軍勢が、為す術もなく削られた。
 ただの一撃で、三百の不死不滅が概念ごと粉砕された。

「◼◼◼◼◼……!」

 驚愕などない。「驚く」といった感情など残っていない。それでも狂王は宿敵(・・)がやはり侮れぬと狂奔し、己の宝具、その真の姿を開陳した。

 容易くいくと思うな、『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』の真髄とはこれである!

 ダレイオス三世の誇る精鋭が集結し「死の戦象」となった。黒く、雄々しく、猛々しい戦象。鬼火を纏う漆黒の戦象兵となったダレイオス三世は、自ら戦斧を手に軍勢を率い、恐るべき魔力の一撃を繰り出すべく敵対者を破壊せんと怒濤の如くに迫る。
 ランサー、クー・フーリンは飄々と言う。そうだ、それでいい、出し惜しむようならそのまま鏖殺してしまおうと思っていたが、それでこそ遣り甲斐があるというものだ。

 ……しかし、なんだ。

「言いたかねぇが、こりゃメイヴの方が数段怖ぇな。見劣りするぜ、逃げ腰王」

 苦笑して、クー・フーリンは手に戻った朱槍で肩を叩きながら悪態をつく。逃げ腰王――征服王と幾度も戦い、不利になれば真っ先に逃げ出して軍の潰走を招いたダレイオス三世の弱腰。それを揶揄した皮肉だった。

 狂うのはいい、それは恐怖を退ける一つの手段だ。
 荒ぶるのもいい、戦う者は己の全力を尽くさねばならぬから。
 だが、目の前の敵を見ない(・・・)のは駄目だ。敵に失礼だし何より途端に恐さを欠いてしまう。
 迫力がないのだ。こちらの向こう側に誰かを見て、実際に戦う相手を見ていない。槍一本、盾一個、体一つで万の敵に呑み込まれながらも、クー・フーリンは丁寧に、豪快に、精妙に槍で突き殺し、盾で砕き、足で穿つ。そして改めて実感する。
 この狂王は、自分ではない誰か――宿敵と戦うように軍勢を指揮している。それでどうして万夫不当の英雄を倒せるだろうか。

「……」

 熱していたものが、失意に冷めていく感覚を得て、クー・フーリンは敵軍のただ中にも関わらず嘆息した。
 いい戦いといい獲物、加えていい主人がいるなら番犬は満足なのだが。
 人理修復のための戦い、なるほど結構。大義があるのはいいことだ。マスターの男は骨のある硬骨漢、共に戦うに値する戦士。クー・フーリンに不満はない。
 正直な話、ここまでいい環境に恵まれたのははじめてと言っていいだろう。生前はとんと縁のなかった話だし、英霊となってからも覚えている限りでは最低の職場ばかりだった。後はいい獲物さえいたら完璧なのだが……。

「お前さん、つまんねぇな」

 強敵と聞いていた。故にテンションを上げてきた。
 この目で見た。確かになかなか強そうだった。
 そして、だからこそ失望した。

 ――敵を見ねえ輩なんざ怖くもなんともねぇよ。殺意が足りねえ。比較対象があれだけどな、メイヴの絶対殺すっつう呪いじみた妄執と比べたら、お前さん、見劣りどころか比べるのも烏滸がましく思えちまう。

「目隠ししといてオレに勝てるつもりでいんのか? ……だとしたら、それは許し難い侮辱だ。いいぜ、そっちがその気なら、オレがテメェに付き合う道理は無い。さっさと終わらせちまうが、文句はねえな。あっても聞かんが」

 今のマスターの許での初仕事なのだ。
 あれだけの大見得を切っておきながら苦戦したのでは面目に関わる。
 盲目の敵を相手に大人げないかもしれないが……少し本気を出すとする。

 左手の盾で近い間合いの内側の敵兵を押し退けついでに首を折り、目の前の敵を前蹴りで吹っ飛ばして空白の間合いを一瞬作る。雲霞の如くに押し寄せる敵に呑まれず駆け、眼前で剣を振り上げる骸骨の頭を踏んで高く跳躍した。
 一連の動作の中で、魔力を吸い上げていた魔槍が紅く発光していた。くるりと回転して姿勢を制御し力を溜めて、

「宝具じゃねえぜ? それだけは安心していい。勿体ないからな、テメェには」
 
 特に狙いもつけずに戦象の上の王を狙い、魔槍を投擲。数十もの死体が盾となって立ちふさがるが、全てあっさり貫通し、狂王の振るった戦斧を弾いてその体を傷つけた。
 憤怒の怒号を発する不死軍の王。対照的に、虚しそうに目を細めるクランの猛犬。
 生前、幾度も経験した単独での「殲滅戦」が始まった。









 と、まあ。

 結末は順当だった。

 最初の一投以外、クー・フーリンは宝具を出し惜しんだ。ただルーンを駆使し、槍で貫き、薙ぎ払う。強烈な一撃を与えて即座に離脱し、再び軍の一角を突き崩してはまた離脱。
 これを百回繰り返した。見る見る内にその数を減らしていった不死の一万騎兵。ダレイオス三世の決死の奮戦も虚しく、まるで相手にもされずにひらりひらりと躱されるばかり。どれだけ激怒しようと、赫怒に燃えようと、冷徹に軍勢を削られていく。
 槍の一突きで三騎屠り、横に薙ぎ払えば七騎の首が宙を舞う。魔槍の呪いを使うまでもなく、ルーンは不死の概念を無視して殺せてしまっていた。
 元々が『死ににくい』だけだ。本当の不死でも不滅でもない。そうだと謳われているだけで、真実の不死不滅には程遠い。
 所要時間は二時間ほど。逃げず、退かず、単調な攻めを繰り返す狂王が相手だからか、クー・フーリンの作業は順調に済んだ。

 最後には流石に面倒になったのか、魔槍の真名を解放して二度ほど蹴り穿ち、千の鏃で雑魚を一掃すれば――後に残ったのは、指揮する不死兵団を失った狂王、ただ一人だけだった。

「あー……なんだ」

 大軍殲滅の専門家クー・フーリンは、完全に冷めきった顔で、吠え狂いながらなおも挑みかかってくるダレイオス三世に忠告した。
 それは余りに今更過ぎて、当たり前な意見だった。

「狂戦士に言っても意味ねえかもしんねえけどよ。――王が狂ってどうするよ? 折角の軍略も、見る影もねえぜ?」

 そう言って、ダレイオス三世の戦斧をあっさり躱し、クー・フーリンはその心臓を無造作に穿った。
 戦士としての格が違いすぎる。一対一で対峙した時点でこの終わりは当然の帰結だった。
 霊核を破壊されたからか、狂化が解け理性の戻った瞳でアケメネス朝最後の王は、本来の大器を窺わせる声音で静かに言った。

「……見苦しい姿を見せたのみならず、要らぬ手間までもかけたか……」
「……」
「益荒男よ。次があれば、その時に吾が精鋭の力を……」

 消滅したダレイオス三世は、口惜しげにクー・フーリンを見ていた。
 無言でその死に様を見届け、クー・フーリンは己の主人がいるだろう方角に向けて声を張り上げた。

「――どうだい。やるもんだろう? オレも」

 答えは帰ってこない。だが構わず続けた。

「だが物足りねえな! オレはまだ本気を出してねえ。城も戦車も出してねえし、この朱槍も使いきってねえ! これがオレの全てだと思われちゃ心外だ!」

 だから、と獰猛に犬歯を剥き、アイルランドの光の御子は猛る闘争本能のまま、ローマを指して進撃をと訴えた。

「オレに命じろよマスター。敵を倒せ、獲物を食らえってな。今度は誰を殺ればいい? 命令(オーダー)だ、命令(オーダー)を出せマスター! 番犬はまだ飢えてるぜ!」

 衰えることを知らぬ闘争への渇望。
 修羅の国ケルトに於いて、死後もその死を信じられず、恐れられ続けた死神以上の死の具現。
 主人は苦笑しながら言った。声なき声が、確かに聞こえた。
 それに、クー・フーリンは猛る。ならば進撃だ、敵の本拠地まで攻め込んで、主人の敵となるもの全てを根絶やしにする。

 彼の師が見れば惜しんだだろう。最期の戦いに臨む前、己の弟子は確かに『最強』だったのである。
 その『最強』を見た時、師はなんと言うだろう。クー・フーリンは己の槍を見た。そして、

「――は。未練か。このオレなら、飽きもせず鍛練を積んでるだろう師匠でも殺せそうなんだがねえ……」

 やれやれ、と首を振り、意識を切り替える。
 命令は下った。次なる獲物はローマ皇帝、その代名詞。

 ガイウス・ユリウス・カエサル。

 歴史上、比類なき名将にして、ローマ最大の野心家。ともすると神祖以上の強敵ともなりうる、史上最高峰の軍略家の一人であった。

 相手にとって不足はない。クー・フーリンは、燃えていた。







 
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