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人理を守れ、エミヤさん!

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英雄猛りて進撃を(上)



「うむ、仔細承知した。よきに計らうがよい」

 ――そう言って、ネロ・クラウディウスは至極あっさりと己の進退を決定した。
 そのカラッとした陽気に士郎達は呆気に取られる。
 今、ネロ帝は悪魔の契約書に、迷う素振りすらなくサインしたのだ。
 それは世界に自分を売るが如き所業。独りの正義の味方が、世界に己を売り渡し守護者となったのと同じ事。救った世界に自分がいなくてもいいと……己を省みぬ選択だった。
 あまりの即決ぶりに、マシュが困惑したように訊ねた。ともすると、その言葉の意味を理解できていないのではないか、なんて疑ってしまったのだ。――それは、ネロという皇帝を知らぬが故の無粋な問い。ローマ皇帝をよく知る者なら愚問であると笑うだろう。

「あ、あの……本当に……? わたし達と一緒に戦ってくれるんですか……?」

 それは、己という存在を消すことを意味するのに。
 どこか怖がるような声音に、果たしてネロは一笑に付すのみだった。

「ふ、何を恐れておる。余の命を救ったのは其の方らであるぞ?」

 聖杯は使われた。呪いは払われた。命の危機は、当面は去った。

「もとより死したも同然であった余が今一度立ち上がり、神祖の歪みを正せる好機を得られた。まさに望外の快事である! 神祖を正す、それ即ちローマの過ちを正すのと同義。そして人類史を修正するという大業に加わること即ち未来(ローマ)を救うに同意! まさに快なり! 余にはそなたらと轡を並べるに足る大義がある!」

 可々大笑し、胸を反らした赤い薔薇。まさにローマを舞台として舞う華の赤。

「それにな、余は敗軍の将なのだ。負けた者は、本来何もすることが出来ぬもの。であればもう、余は死人よ。既に死んでいるのなら死んでいるものとして、余は生きているのだと満身より声を絞り叫ぶまで! 人類史を修正すれば余に成り代わったものがネロとなる……大いに結構! 死人である余のローマを引き継がせる戦いが(これ)である。後顧の憂いがないならば、後は勝ちに行くのみだ。であろう、シェロ!」
「ああ……全く以てその通り。だが……生きながらにして死ぬという責め苦、その本当の苦しみを。自分が自分でなくなる恐怖を。いつか本当に、自分が変容するおぞましさを。貴女は覚悟できているのか? 安易に進めば、それは地獄の炎となって貴女を襲うだろう」
「は! そんなものは知らぬ!」

 最後の忠告だった。士郎の、心底に沈澱する核心的恐怖を、しかしネロは何も考えずに一刀両断にした。
 知らぬものについて考えを及ばせ、無駄に怯えるような深慮はない。ネロは、莞爾と笑い両手を広げる。

「――知らぬが、余が折れそうな時は存分に頼らせて貰おう! 余を助けることを許す、いつでも余を助けるのだぞ、シェロ。マシュ。アルトリアにオルタ!」

 清々しい開き直りだった。常人には有り得ぬ思いきりのよさである。
 それに、一瞬士郎は憧憬の念を抱きかけたが、すぐに忘れた。彼女を世界に売り渡した当人が、何を恥ずかしげもなく憧れそうになっている。
 頭を振り、士郎は冷徹な思考を意識の裏で張り巡らせる。これで、ピースは揃っ――

「――と、その前に一つ、聞いておかねばならぬことがあったのだ」

 そんな、士郎の思考を断つように、ネロは士郎を真摯に見詰めた。その目に、士郎は思わず居住まいを正す。

「心して答えよ。一切の虚偽も許さぬ。もし偽りを述べるのなら、余が其の方らに与する約定はなかったものとする。よいな?」
「……ああ。俺に答えられることなら、なんでも聞いてくれていい」
「ではシェロ。問うぞ。――其の方、何ゆえに人類史を救わんとする?」
「……?」

 何を聞かれるかと身構えていなかったと言えば嘘になる。だからこそ、ネロがそんな一身上の行動理由を訊ねてくるとは思わず意表を突かれた。
 咄嗟に口を衝きそうになったのは、真実七割嘘三割の建前。それをなんとか呑み込み、士郎は瞑目した。
 ……他の誰かに対して嘘を吐くのはいい。だが彼女にはアルトリア達と同じように、真実だけを話すべきだ。それが俺に示せる唯一の誠意だろう。

 士郎は意を決し、自らの本音を話した。

「俺が人理修復のために戦うのは、これまで生きてきた中で、俺と関わった全てを無為なものにさせないためだ。俺が知るモノには価値があると信じている。ああいや――飾らずに言えば、俺は俺のために人を救うんだ。そうすることが、俺の生きた証になると信じてるから」
「なるほどな。己のため、と来たか。それは究極的な意味では真実であり、シェロの中では偽らざる本音なのであろう。――だが違う。それは違うだろう。シェロ、そなたは今、余に嘘を吐いた(・・・・・)な!」

 なに、と俺は目を剥いた。嘘偽りなく本当の気持ちをさらけ出した、なのにそれを偽りだと? 何を根拠に否定する?

「余はローマ皇帝である!」

 それが根拠だった。陰謀渦巻く華美と暗躍の都で生きてきた皇帝の、華やかなだけではない人間の醜さを知るが故の……魂の審美を判ずる眼力だった。
 皇帝は男の独善を見抜いていた。自分本位な在り方を感じていた。しかし不快ではない、彼の定義する自己が、かなり広義の意味を持つが故に醜悪さを感じさせないからだった。
 だが、そのエゴを広く感じることへの違和感があった。故に問いを投げたのだ。そして今、ネロ帝の中で確信が固まる。

「其の方の胸の内、しかと聞き届けた。自覚なきが故に一度は許そう。だが二度はない。答えよ、そなたの言う自分(・・)とはどこまでを言う?」
「徹頭徹尾、この俺一人に終始する」
「うむ。だがシェロよ、気づいておらぬのか。そなたがそうまで戦わんとするのは――この世界が、美しいものだと感じておるからではないか」

 ……何を戯言を。士郎は内心吐き捨てる。

 ――世界が美しい? 違う、そんなことは感じてはいない。むしろ、逆に世界の汚濁に吐き気すら覚えている。だから、

「……」

 そこで、はたと思い至った。
 士郎は世界の汚さを思い知っている。しかし――士郎は汚れを許せぬ性質だった。潔癖性なのだ。
 汚いのは許せない、だから綺麗にする。俺がこの汚ならしい世界を、『俺が』耐えられる程度には綺麗にする。
 そのために、世界を巡ったのだ。外道を働き俺の世界を汚す野良の魔術師を狩り、人を餌として見るのみならず惨と醜とを絡めて喰らう怪物を殺して回った。
 苦しみ、喘ぎ、嘆く声と顔に我慢が出来なかったから偽善者と呼ばれても慈善事業を始めた。
 俺のためにだ。俺の生きた証を残しながら、俺のいた世界が汚かったという事実を否定して回った。

 一人の力に限界を感じて。手を取り合える仲間を集めて。環の力で世界を少しは綺麗にするべく、世界の汚れを掃除する。全ては俺のために。俺が認識する世界のためにだ。

(シロウさんは、まるで――)

 ふと、士郎は己が死徒との戦いに巻き込まれる切っ掛けとなった、ある名もなき死徒の戯れのために拐われた一人の少女の言葉を思い出す。

(士郎。あんた、ほんと馬鹿ね――)

 そして。心底仕方無さそうに苦笑して、暇があったら手を貸してあげると言ってくれた、お人好しの魔術師の声が脳裏に去来した。

 ――白野……遠坂……。

「……いや、そうか」

 ネロ帝の言わんとすること、その真意を察し、士郎は納得した。
 士郎は自分のために生きている。極論してしまえば、自己満足をするために生きているのだ。
 ――なのに、この胸には今、過去への悔恨が突き刺さっている。自分のために生きているのなら……それを捨て置くのはダメだろう。
 俺は俺のために、後悔を残したままでいてはならないのだ――士郎はようやっとそのことに気づいた。

「……貴女に感謝を。どうやら気遣われたようだ」
「む、悟られてしまったか。余もまだまだのようだ」

 ネロ帝は唇を尖らせ、やれやれと己の未熟を嘆くように肩を竦めた。本当に未熟なのはこちらなのに。

「――ふむ。回り道をしたが、悟られてしまった以上は直截的に言おう。シェロよ、そなたは何やら蟠りを抱えておるな? ならばそれを早くに解消せよ。余と肩を並べる勇者は、衒いなき(まなこ)を持っておらねばならん。曇りを晴らせよ、カルデアのマスター……いや、我が先達よ」
「――」

 ほんとう、古代の王様達は、なぜこんなにも心に響くことを言えるのか。
 ネロ帝は皇帝だが、意味合いは王と似ている。まったく呆れた眼力だよ、と士郎は苦く笑うしかない。隠すこと、騙すことは得意なはずなのに、これでは自信をなくしてしまいそうだった。

 アルトリアを見る。……何かを言いかけ、止めた。
 明日のことを語れば鬼が笑う。今は止そう。だが、そうだな……蟠りを抱えたままというのも気持ち悪い話だ。落ち着ける時が来たら、少し話をしよう。士郎はそう思った。

「――ネロ帝。いや、名で呼び捨てても?」
「許す。余はカルデアのマスターとやらになるのだ。であれば先達たるそなたが余におもねるようなことがあってはならん。それでは他に示しがつかぬからな」
「ではネロと。――ああ、いや、誉め言葉が溢れて何も言えない。だから、代わりに感謝する。まだ時ではないが、いずれ必ず貴女の助言に沿わせて貰う」
「うむ。幾らかは晴れたか。ならばよし! 余からは何も言うことはない! さあ、後はよきに計らうがよいぞ!」

 堂々たる立ち姿で腕を組み、ネロは眼を閉じて時を待つ。
 士郎は微笑ましげにしているアルトリア達に対し、背中が痒くなる感覚を覚えたが、誤魔化すようにカルデアのロマニにゴーサインを出した。






 ――斯くして、ここにカルデア二人目のマスターが生まれた。

 起動した聖杯は、過つことなく願いを叶える。
 ネロ・クラウディウスが現代の存在であり、カルデア職員であると世界に誤認させる。人理焼却に喘ぎ、防御が薄くなっているが故それはあっさり成功した。
 なおかつ、同時にこの特異点に於いてはローマ皇帝であるという矛盾を押し付け成立させる。どれほど弱まっていようとも、抑止力は人の身で抗えるものではない。しかし聖杯を使えばなんの問題もなかった。一度機能させてしまえば、聖杯の力の一部しか使用せずとも、半月は問題なく矛盾を成り立たせることが出来るとカルデアは測定したのだ。
 半月もあれば充分である。もともと十日も時間はないのだ。それまでに特異点を修正し、矛盾を正し、ネロをカルデアに正式に迎え入れればよい。
 ネロが現代人として存在が確立すれば、もう聖杯に存在を維持させる必要もないということだ。時代が修復されれば、ネロは『いる』ものとして歴史は進む。

 全てが終わっても、傍目にはネロの何が変わった訳でもない。正直、何も変わって見えなかった。

 だが当事者であるネロには何かが感じられたのだろう。大切な物から自身が切り離されたかのような、寂しげな眼で空を見上げ……次の瞬間には何事もなかったかのように不敵な笑みを浮かべた。

 ネロがどこで聖杯やカルデア、サーヴァントやマスターのことを知ったのか。訊ねると、サーヴァントとして敵側に現界していたという征服王……その若かりし姿の王子、アレキサンダーと名乗った少年が教えてくれたのだという。
 ネロは一時期、アレキサンダーと交戦し、敗れ、捕虜となる寸前までいったそうだ。そこで彼は、なにを思ったのか突然ネロを試すようなやり口を改め、脇目も振らずにネロに今後必須とされるだろう知識を授けてきたのだという。
 そして半信半疑のネロに言ったのだ。

(どうやら僕はここまでのようだ。次、会う頃には、僕から理性は失われているだろう。いいように操られるのも業腹だからね、せめてもの意趣返しとして君に塩を送らせて貰う。――もし後がなくなり、逃れる場所がなくなったのなら……そうだね、ブリタニアだ。あそこまで逃げるといい。そこが、最も神祖の手が及ぶのに時がかかるだろうから。カルデアに目端の利く者がいたら、そこに現れるだろう)

 そう言ったきり、アレキサンダーはネロを放逐したのだという。
 後に事の真相を知り、神祖と対面する頃には、ネロは因縁浅からぬブーディカ、何やらネロを知るらしいエリザベート、タマモキャットと名乗るナマモノ、暗殺者の荊軻と狂戦士のスパルタクス、ランサーのレオニダス一世と合流し、一時はローマ連合軍とやらを押し返すほどの獅子奮迅の働きをしていた。

 だが――Mと名乗った男が全てを狂わせたのだ。

 Mは手にした聖杯を使い、自らの支配下にあるサーヴァント全てに狂化を付与。それすらはね除け自我を完璧に保った神祖ロムルスには一つの命令と共に聖杯を埋め込み暴走させたのだという。
 その命令とは――ネロは、「ローマを否定せよ」だと睨んでいる。如何に神祖が強大な存在であろうと、その身はサーヴァントのものでしかない。聖杯そのものを使って暴走を謀られれば抗える物ではなかった。
 神祖は、一度は矛を交えたネロに、全霊を賭した言葉を残した。

(我が子よ、お前が(・・・)――ローマだ(・・・・)!!)

 それは偉大な歴代皇帝達を前に迷い、煩悶としていたネロに強い一歩を踏み出させる、これ以上ないほどの激励だった。
 ネロは奮起し、なんとしても神祖を倒さんと必死に戦ったが……惜しくも敗れ、ブリタニアへと逃走せざるを得なかった。

 敗走するネロを守るため、最初にランサー、レオニダス一世が散った。殿軍として追手の前に立ちふさがり、一日あまりの時間を稼いだという。
 レオニダス一世ですら、一日しか保たなかった。しかし千金に値する一日だった。
 荊軻はいつのまにか姿を消していた。軍事行動では役に立たぬと弁え、敵陣に単身潜入し――恐らくはカリギュラを討ったと思われる。追ってきた敵の中に、カリギュラの姿が無くなっていたからだ。
 皇帝の代名詞たる歴史上屈指の名将、カエサルに追い付かれた時、ブーディカとスパルタクスが足止めに向かった。一時間と保たなかったが、ネロは多くの将兵を残して更に馬を走らせた。
 片腕のないダレイオス三世は大軍を率い、ネロを猛追してきた。だがここでも、これまでと同じように、エリザベートとタマモキャットがネロを逃がした。

 ネロは仲間の全てを失い、神祖の期待にも沿えずに逃げ続け、失意と絶望の中、なんとかブリタニアまで辿り着いたのだという。



「――神祖ロムルスを筆頭に、皇帝カエサル、アレキサンダー、ダレイオス三世ときたか。おうおう、錚々たる面々だねぇ。位負けしねぇか今からちょい不安になっちまうぜ」



 欠片もそう思っていない語調で明るく言って、好戦的な笑みを浮かべたのは、満を持して召喚されたサーヴァント。クラスは槍兵。アイルランドの光の御子、クー・フーリンである。

 匂い立つ強壮たる佇まい。身長は嘗て見知ったものでありながら、その重量感は冬木の時の比ではない。全身のしなやかな筋肉と、鍛え上げられた肉体の醸す質量は、どう見ても以前の青い槍兵より一回り上回っていた。

 身に纏うのは青い戦装束。その上に、白いリネンのローブとルーンを象った刺繍入りの外套を羽織り、ケルト文様の金のブローチを身に付けている。
 白銀の籠手と肩当てが逞しい肉体を堅固なものに映えさせ、青みを帯びた黒髪を無造作に結わえた姿が香り立つ男の色気を増幅させていた。
 彼はアルスター王の甥にして、太陽神ルーの子である。正しい意味での貴種の中の貴種だ。
 光の御子とまで称えられた美男子はアルスター屈指の文化人でもあり、俗に言う貴公子という形容がぴったりと似合っていた。

 ケルトの大英雄は、真紅の呪槍で肩を叩きながら大まかな話の流れを反芻し、獰猛な笑みを口許に刷く。

 彼のマスターはネロ――ではない。
 士郎である。当初、予定を変更してクー・フーリンをネロに召喚して貰おうとしたのだが、ネロはこれを固く拒否。これより共に戦っていくことになる仲間を、他者に指図されるまま召喚するのは違うだろう、と言った。
 縁に頼らず、触媒に依らず、まったくのランダムで召喚する。それがネロの意思だった。
 相性だとか、戦力だとか、そんな雅でない基準はない。自分が喚び、来てくれたどこの誰とも知れぬ英雄と駆けていくのがマスターとしての覚悟だった。
 それを否定することはできなかった。士郎は、やむなく自身でクー・フーリンを呼び出し、そして見事、クー・フーリンは槍兵として完全な状態で現界したのである。

(ランサーのサーヴァント、クー・フーリン。召喚に応じ参上した。……ん? また会ったな。またぞろ妙な状況みてぇだが、いつぞや言ってた通りにこき使うつもりかよ?)

 軽く笑いかけて来ながらそう言う彼の存在感は、この場の誰よりも重厚なものだった。
 再会を喜ぶより先に、圧倒されてしまった。
 マシュが気圧され、アルトリアとオルタは驚愕に眼を見開いていたものである。自分達の知るクー・フーリンとまるで違う別格の霊基を感じ取っていたのだ。

「貴公がそれを言うと、嫌みにしか聞こえないな」

 アルトリアが苦笑しながらクー・フーリンに対して言った。
 位負けしそう? 何を馬鹿な。冗談にしたって笑えない。完全な状態のクー・フーリンに位で並ぶ者はそうはいない。気を抜くと、アルトリアすら武者震いに剣を執る手が強張りそうなほどなのに。
 断言できる。武人として、この特異点に存在する全ての者がこの英雄の前には霞んでしまう、と。

「おっと。お前さんにそうも称えられると悪い気はしねぇな。名にし負うアーサー王の聖剣の輝き、オレも照らされてみたいもんだ」
「ふ、世辞と分かっていても、私にとっては誉れだ。これより先の戦い、大いにあてにさせてもらうぞ、ランサー」
「応、幾らでも頼りな。命がけの旅、荷物と期待は重いほどいいってな。……っと、空気が違いすぎてパッと見わからなかったが、同じ顔が三、それもとんでもねえ別嬪さん揃いと来た。しかも二つは同じ女、と。オレのマスターはまたまた業の深そうな感じだな?」

 さらりと嫌みなくアルトリアからの賛辞を流し、光の御子は意味深な眼を士郎に向ける。士郎は憮然として言った。

「ランサー、あまりからかうな。アルトリアとオルタは兎も角、ネロは違う。マシュに至っては妹みたいなものだ。そんな相手じゃない」
「へえ? なるほどね、道は長いか。負けるなよ、盾のお嬢ちゃん」
「……?」
「おっと、こっちもか。やれやれ、楽しそうな職場だこったな」

 女は怖ぇぞ、早いこと手を打っとけ、と耳打ちしてくるクー・フーリン。余計なお世話と言えない士郎の哀しさ。何やら苦笑しつつ、クー・フーリンは本題に入った。

「で。どうすんだマスター。状況は分かったが、オレとしちゃさっさと動きたい気分なんだがね」
「知恵が欲しい。どう考えても行き詰まってる気がしてならないから、俺達とは違う視点で考えられるあんたの意見を聞きたい」
「んなの言うまでもねえ。退けば死、進めば死、なら進んで前のめりに死のうぜ」
「……あのな」

 飄々と、なんでもないように気負わず言うものだから、士郎は流石に呆れてしまった。
 不思議と、切迫感はない。彼と共に戦える、それだけで負ける気がしなくなってくるのだ。
 王や将軍が感じさせるカリスマではない。もっと別の、戦士同士の信頼が作る安心感――戦いを恐れぬ勇猛さを与える英雄の風格が感じられる。
 なるほど、アルスターの戦士のほとんどが慕ったというのも分かる人徳だな、と士郎は思う。

 クー・フーリンは、ぴくりと眉を跳ね、南東の方角に眼を向ける。しかし、それだけで、特にリアクションはなかった。
 一拍遅れて、アルトリアが何かを気取ったようにハッと顔色を変えた。

「――どのみちもう詰んでんだ。小難しく考えたってしゃあねぇだろ。シンプルなものにはシンプルにぶつかるのが王道ってもんさ。違うかい?」
「……道理、ではあるな」
「それに、来たぜ。敵だ」

「……!」


(こちらアサシン。南東、敵軍勢を視認した。数は一万、異形の軍だ)

 丁度、切嗣からの念話がその言葉の裏付けとなる。
 士郎は暫し黙り込み、クー・フーリンに訊ねた。

「……どうやって気づいた?」
「空気さ。戦の空気がした。こういうのは、勘でなんとなくわかっちまうもんなんだぜ」
「……そういうものか?」
「そういうもんだ。さって、と。敵はどんなか、分かるかい?」
「……」

(切嗣。敵軍の特徴は)

 訊ね、返ってきた答えをそのまま伝える。

「異形、動く死体と骸骨の軍勢、大将は三メートル超えの巨漢らしい」
「っ……! それは、ダレイオス三世だ!」

 ネロが顔を険しくして言った。厳しい表情だった。
 難敵、というだけではない。何か個人的な借りがある、そんな顔だった。

 士郎は、クー・フーリンを見る。

「やれるか?」
「応。それが命令ならな」
「じゃあ頼む。その力を俺達に見せつけてくれ」

 あっさりと命じた士郎に、ネロは驚きながら食って掛かった。ネロは知っているのだ、あのダレイオス三世を。
 エリザベートやタマモを屠った、悪魔の軍勢を。

「――正気か!? 敵は一万の軍勢だぞ! それも、ただのサーヴァントよりも厄介な不死性までも持っている!」
「ふぅん。一万の大軍、不死性を持った厄介な奴か……。で? それだけかよ?」
「な、なに?」

 反駁され、ネロは気色ばんだ。

 クー・フーリンは。
 クランの猛犬、戦場王と号された大戦士は。
 にやり、と伝説の勇者に相応しい硬骨な笑みを浮かべた。

たった(・・・)一万でオレを止められるとでも?」

 クー・フーリンは、一騎討ちよりも、対軍戦闘をこそ真価とする多数戦闘のプロフェッショナル。
 生前、アルスターの戦士全てが大痙攣により動けなくなり、メイヴ率いる対アルスター(クー・フーリン)連合軍数十万を相手に戦い抜き、勝利して伝説を成し遂げた。
 相手はただの戦士ではない。戦いに生きた修羅の戦士揃いのケルト戦士である。
 これにより、メイヴは戦いによって勝つことを諦めた。陰謀で、クー・フーリンは破滅した。

 複数の国を全て同時に相手取り――大将狙いでも何でもない、軍勢相手に真っ向勝負を挑んで数十万に勝利した怪物を相手に。

 ……たった(・・・)一万?

「――」
「不死の軍? 死なねえ奴はごまんと見てきたが、殺せない奴(・・・・・)は見たことねぇな」

 不死の怪物など幾らでも殺してきた怪物退治の達人が、クー・フーリンである。
 それを相手に、動くだけの死体、骸骨。……バカにしているのか? 数を揃えれば強く見せられるとでも思っているのだろうか。

 ――ダレイオス三世。彼にとっての天敵は、間違いなくクー・フーリンである。

「ま。いいから任せときな、ローマ皇帝。オレの戦いぶりを見て、オレを召喚する機会を手放したことを後悔しろ」
「……は、はは。なるほど、豪気な。見たことがないほどの勇者であるな、ランサーよ」
「だろう? これでも最強の名で通っていてな。ま、それが伊達じゃないことを証明してくらぁ」

 得意気に笑い、クー・フーリンはさっさとこちらに背を向けて歩き始めた。
 手には真紅の呪いの槍。颯爽とケルト文様の外套を翻し、目にも留まらぬ速さで掻き消える寸前、ネロが叫んだ。

「ランサー! 奴は……余の友、エリザベートとタマモの仇だ! だから……頼むぞ!」
「――応、任せとけ。これが終わったら、きっちり守ってやるから大船に乗ったつもりでいな」






 
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