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ユア・ブラッド・マイン -フロックスの贈り物-

作者:真倉流留
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フロックスの贈り物

「くっそ、これだから遠方任務はクソなんだ!」
 アレクセイ・ヤーコヴレヴチ・ウラシェンコは、コンテナの中から這い出るようにしながら悪態をついた。
 蒸し暑いわ、揺れるわ、うるさいわでとてもではないが人間が輸送される環境じゃない。今年で齢が三十を迎えるオッサンにはなおさらきついものがあった。
 場所は深夜の港。貿易港としての側面が強いのか、周囲には同じようなコンテナが整然と、しかしながら所狭しと並び立っている。遠くには一定の周期で回り続ける灯台の灯りが見えた。
 吹き込む風は、祖国ヴァンゼクス=マギに及ばないながらも些か肌寒い。四季の国を標榜するだけはある。もっとも、マギの首都は巨大な移動要塞も兼ねているので特定の気候帯というものはないのだけれども。
 今アレクセイが踏んでいる土は、ヴァンゼクスのさらに東にある小さな島国――日本皇国のものだった。
 全世界を統一した空前絶後の大帝国・ラバルナ帝国が滅びて既に幾十年。彼の皇帝が生み出した、複数の主権国家を盟主の下に統合する超国家(ドミニオン)という支配体制が統治のスタンダートになる中にあって、残り数少ない純粋な「国家」を維持するその島国にアレクセイが降り立った理由はただ一つ。
 即ち、侵略工作に他ならない。
 ザッ、と耳につけたインカムにノイズが走った。厚い金属の箱から外に出たことで、電波が届くようになったのだ。
『――しろ……アリョーシャ、応答しろ――』
 チャンネルを弄り、専用の回線に繋ぐと、女の声が自分を呼んでいるのが聞こえた。恐らく、先にこの国に潜入していたエージェントだろう。
「馬鹿、なんのためにコードネームがあると思ってるんだよ。新人か? こちらアリオール。予定通り皇国へ侵入」
『失礼した。こちらチョールナヤ。コンテナは別働隊で処理する。アリオール、これから端末に送付するルートに従って拠点に移動されたし』
「了解、っと」
 返答の直後に、腕の携帯端末が震えた。送付されたマップには赤い線で通るべきルートが示されている。その終点には目標地が同じ色の光点で示されていた。
「意外と近いな」
『移動距離が長いと逆に捕捉されるリスクが高い。翌日コンテナターミナルの従業員に扮して自然に脱出しろ』
「へいへい」
 しかしやたら偉そうなオペレーターである。思わず力の抜けた返事をしてしまった。
「しっかしお互い難儀な身分だよ。こっち側にいるってことはアンタ、普通人だろ?」
『私語を慎め。既に作戦は始まっている』
「どうせ誰もいねぇよ」
 つれない返しを一蹴し、アレクセイは続ける。
鉄脈術(リアクター)、だったか? アイツらのおかげで、こちとらおまんまの食い上げだよ」
 ラバルナ帝国統治時代以降、戦争の手段は大きく変わった。
 数多の兵が小銃を抱えて殺し合うのはもう時代遅れだ。そのパラダイムシフトを担ったものこそが、鉄脈術である。
 ラバルナ帝国の下で全世界に広がったそれは、製鉄師(ブラツドスミス)魔女(アールヴァ)なる二種の特異体質者が組むことにより発動せしめられるという。たった二人一組の異能者が、時として戦略兵器に相当する破壊を生み出すのだ。一山幾らの雑兵など戦場にはもはや不要というのは疑う余地はない。
 ()()()()
「このご時世、オレたち普通人が一発当てるにゃ、こういう地味でせせこましい工作活動しかねぇんだ。無駄話でもしねぇとやってられんよ、全く」
 勘違いされがちだが、戦争とは必ずしも弾丸と弾丸の押収のみを指す言葉ではない。例えばハッカーを使ったサイバー戦争。あるいは本命の製鉄師を通すために密入国の手引きをしたり、潜入した先でインフラを破壊したり、作戦内容を傍受することだって立派な「戦争活動」だ。
 そして、ことそれらの作業に関して言えば、行なうのが製鉄師である必要性はない。
 つまりは、アレクセイもそんな中の一人だった。
「そうは言っても、この国は魔鉄(ブラツドスティール)後進国だろ? こんなに警戒する必要あるのか?」
『侮るな。量に負けても質で上回るのがこの国の昔からの特徴だ。セカンドオリジナルを三人も抱えるのは世界を見渡してもそうそうない』
 アレクセイの言葉に、通信機の向こうからどこかむっとしたような言葉が返ってきた。
 セカンドオリジナルとは、ラバルナ帝国が未だ健在だった頃、建国二十五周年を記念して各地から帝都ハットゥシャに招集された、謂わば鉄脈術に関する天才たちだ。彼らこそが、帝国崩壊後の鉄脈術とそれに付随する新技術――即ち魔鉄文明を広めた立役者。その影響力は、今なお絶大なものを誇った。
「相浦群青、無明異七紫、そして黒崎暗音……か」
 いずれも、鉄脈術に直接触れてはいないアレクセイですら知っている名前。まさしく生きた伝説。それらが自分に襲いかかってくるなんて、想像するだけで背筋が凍るようだった。
「ぞっとしねぇな。それよりももうすぐ着くぞ」
 マップの光点に、現在の自分の座標が重なる。
 顔を上げると、そこは倉庫だった。積荷を一時的に保管するあれだ。中に拠点を用意してると言うことだろうか。
『鍵は開けてある。入れ』
「……もう少し愛想良くしてくれても良いんじゃねぇの?」
 これじゃほとんど囚人だ。悪態を吐きたくなるところをグッと堪えて、言われるとおりに中に入る。
 まだ積入れをする前のようで、中はがらんとしていた。
 さっと目を走らせてみるが、特に地下へ繋がる梯子などが隠されていそうな場所もない。
「おいおい、どういうことだ? 何もねぇぞ。本当にここであってるのか?」
『案ずるな。そこが終点だ』
 抗議を入れると、インカムから相変わらず平坦な女の声が帰ってくる。
 じゃあどこに、と問い直そうとした直後だった。

『ただし、()()()()()()()

 女の声から、ドロッとした悪意が湧き上がった。
 右腕に何か熱い感覚が走り、ぼとりと重たく水っぽいものが足下に落ちる音がする。
 そちらに視線を向ける。
 腕が、コンクリートの上に出来た赤黒い水たまりに沈んでいた。完全防水の端末は相変わらずマップを小さく表示して
 待て。
 その端末は、どこについていた?
 眼を動かす。水たまりの真上。本来そこには白人特有の、アレクセイの生っ白い腕があるはずで。
「………………は?」
 理解を拒んだ脳が、ただ疑問の声を出していた。
 どうして、オレの腕はなくなっている?
 認識が追いついた瞬間、津波のように激痛が襲ってきた。
「――ぐ、がァァァアアアアアアッ!? 腕、オレのッ、うでぇぇえええええええ!?」
『おや? 思ったより元気なようだな』
 傷口を押さえ、絶叫しながらながらもんどりを打つアレクセイの耳に、女の忍び笑いが届いた。
「なん、なんでェ!」
『ああ、そうだったな。まだ私の名前を教えていなかった』
 噛みつくように問うと、女は思い出したように言う。
『申し遅れた。私の名前は()()()()。以後お見知りおきを、アリョーシャ?』
「…………………………は、」
 思わず、短い笑いが漏れた。
 バレていたのだ。
 最初から、こちらの計画は全て筒抜けだったのだ。
 おそらく、先に入っている潜入員はとっくに捕まって捕虜になっているか、あるいは殺されているかも知れない。ラバルナ帝国の統一によって国際法などもはや壊滅して久しい。拷問だってされているかも知れないのだ。
 倉庫隅から、スゥっと人影が現われる。軽鎧で腕と胸を覆った軍服姿の少年だった。年の頃は十八くらいか。その手には、真っ赤に濡れた一振りの刀があった。
 夜空の藍を凝縮したようなその刀身が、すらりと閃く。あれが自分の「死」だと、アレクセイは直感で知った。
「……いやだ」
『そうか』
「嫌だ! 死にたくない!! 何でも話す、知ってることは何でも話すから!!」
『例えば?』
「名前! オレが呼び込む手筈の製鉄師の名前!」
『それがどうした』
「手段は!?」
『もう聞いた』
「内政状況!!」
『知ってるとも、お前よりもな』
「じゃあ――」
『もういいよ』
 尚も頭の中を探るアレクセイに、投げかけられたのは短く、冷たい処刑宣告だった。
『だいたい、鉄砲玉のお前が知ってる情報なぞ、頭を押さえた時点でこっちは既に得ている。今回のはただのネズミ駆除さ。そんなことにも気づけない時点で、お前は我々にとって無価値なんだよ』
「まっ――」
 プツン、と。
 あまりにもあっけなく、最後の命綱が途絶えた。
 ゆらりと、少年が一歩踏み出す。
「いやだ……」
 扉の隙間から、青白く輝く月が覗いている。
「いやだぁぁぁああああああああああああああああ!!」
 断末魔の直後、倉庫の宙にバスケットボール大の首が跳んだ。

 †

「よくやったな」
 あらましを報告すると、短いねぎらいの言葉が返ってきた。
 目の前には、白銀の髪と瞳を持った十四歳ばかりの女がブランドものの椅子へと偉そうにふんぞり帰っている。
 彼女こそが、黒崎暗音。現在はこの日本皇国を夷狄から護るべく、鉄脈術という刃を手に取った義勇軍・〇世代(ワイルドエイジ)の業務統括などを担っているのでまあ実際に偉いのだが。
「さっさと報酬を寄越せ」
 彼女の前に立つ少年が、ぶっきらぼうにそう応える。軽鎧と軍服の少年だった。名前を、高辻真一という。
 そして、この部屋にはもう一人。
「ダメだよ、真一。暗音さんは偉い人なんだから、礼儀正しくしないと!」
 少年を諫めるように口を開くのは、彼の隣に立っていた少女だった。こちらも外見は十四程度。和服と軍服、そして学生服をミックスしたような珍しい出で立ちだ。
「っせーな、楓花。いんだよ、こんなうさんくせぇバァさん」
 少女の名前は七泉楓花。
 真一と楓花は、いわゆる製鉄師と魔女だった。先刻みっともなく泣き喚いていた男の首を断った刀こそが、彼らの鉄脈術だ。
「七泉はしっかりしているなぁところで高辻苦悩の梨って知ってるか?」
 暗音が洋梨のような形の器具を取り出した辺りで真一は慌てて土下座に移行した。この女、やると言えば本気でやりかねない。
 幸い、気乗りしなかったのか暗音は大人しくその装置をしまうと、入れ違いに茶封筒を投げる。キャッチした楓花が中身を見ると、なんだか偉そうなじいさんが描かれた紙が十枚ばかり顔を出す。言うまでもなく札束である。
「相場より安くない?」
「ネズミ駆除だと言っただろう。そんなにぽこじゃか渡せるか」
 楓花の訴えを暗音は一蹴した。
「もっと欲しかったら追加任務でも受けるか?」
「追加……?」
 土下座から立ち上がった真一が、訝しげな声を上げる。
 普通の常備軍とは違い、〇世代は俸給制を取っていない。提示された任務を受注し、戦果報告を行なうことで見合った報酬額が支払われるというシステムだ。楓花は「RPGのクエストみたい」などと言って笑っていたが、真一はゲームの類いをやったことがないのでよく分からない。
 ともあれ、そういうシステムのせいで任務は基本的に奪い合いだ。運悪く任務が受けられない日が続くようなペアには必需品が現物支給されることもあるが、それだって最低級の任務を一つ受ければまるごと同じものを買ったところでお釣りが来る。
 そんな状況下で、任務が一つ残っているというのが真一には気がかりだったのだ。
「なに、今回の任務の延長上にある仕事だからな。とりあえずお前たちに優先的に回してやろうかと取り計らってやっただけだ」
「内容は?」
 楓花が封筒を袖の中に押し込みながら問うと、暗音は肩をすくめた。
「さっき前に捕らえていた連中の頭をもう少し拷問(いじ)ってたんだが、あんにゃろう土壇場になって『自分が捕まった時点で本来のプランはデコイ、別口で製鉄師を送り込む手筈になってる』なんて吐いてな」
「なるほど」
 それで得心した真一は頷く。
 それを見て、暗音がニッと悪魔のように微笑んだ。
「話が早くて助かる。この製鉄師とやらを始末しろ」



「いやぁ、とんだ大物案件が釣れちゃったねぇ」
 報告からの帰り道で、楓花は鼻歌交じりにスキップをしていた。
「そうだな」
 仏頂面のまま、真一は小さく頷く。製鉄師戦ともなればそれはもう実際の戦争だ。危険度は上がるが、それ以上に成功報酬は跳ね上がる。
 激戦期と比べれば製鉄師との戦いは格段に減っていた。欧州の方でヴァンゼクス、アクエンアテンに続く第三の大規模超国家・ライオニアが誕生したことで、戦争は膠着期を迎えて久しい。あと数年もすれば停戦協定が結ばれるとの見通しまであるほどだ。
「そういえば、もうすぐクリスマスかぁ」
 着物風の上着の袖を振りながら、楓花はのんびりと呟いた。
 辺りは店から漏れる軽快な音楽で溢れている。商店街はすっかり商戦の構えだった。北アメリカ大陸を統べる超国家との関係がそれなりに良好であることや、魔鉄文明により単純な生産性が高水準に跳ね上がっていることなどが、庶民の生活レベルを辛うじて保っていた。
「クリスマスと言えばやっぱりホワイトクリスマスよね」
「雪は降りそうにないがな。そしてお前なんで勝手に報酬からホワイトチョコドリンクなんて買ってる」
 今夜は満月。冬の空気は澄んでいて、月明かりが良く通る。生憎ながら向こう一週間の予報も晴れで、今年の二十四日はグリーンクリスマスの予定だった。
 その時だった。
「……あん?」
 ふと、真一の耳にか細い動物の鳴き声が聞こえた。
 聞き慣れない鳴き声だった。気になって辺りを見回してみる。
 件の声の主は、電柱の真下にいた。段ボール箱の中に新聞紙が敷き詰められ、その上にちょこんと腕で抱えられるような大きさの珍妙な生き物が乗っかっている。真っ白な毛はあちこちでくるりと丸まって、まるで雪のようだった。
「なんだコイツ」
「羊……? でもどうしてこんな街中に羊?」
 着いてきた楓花がヒョイとその毛玉を抱き上げた。毛玉生命体が四本の足をジタバタ動かしながら、めーめーと鳴く。その様はもう完璧に羊だった。
「よっし」
 楓花が力強く頷く。そして暫定羊の謎生物を慈しむようにそっと抱きしめて、一言。
「真一、今夜はマトンだ」
「やめろよお前発想がいちいち猟奇的すぎるんだよ!」
 思わず鉄面皮も崩れた。この相棒、食い意地が張りすぎている。だいたい誰が捌くというのか。自分か。まさか鉄脈術で捌かせるつもりなのか。
 割と本気で引いてる真一を見て楓花は「ぶぅ」とむくれながら、
「じゃあどうすんのさー。保健所に出す? 暗音さんにマトンにされるだけだよ?」
「なんで俺の周りにはこんな凶暴な女しかいないんだ……」
 古き良き大和撫子はどこへ行ったか。戦争の時代に生きる女性たちは、ちょっと逞しすぎる。
 だが、それも事実である。よしんば誰かの飼っている羊(?)だったとして、こんな風にほったらかされている以上はきっと捨てられたと言うことなのだろう。だからといってこんな得体の知れない生物を引き取る者もいないだろうから、殺処分に回されるのは疑いようもない。
 だからといって、見つけてしまった以上はこのまま放置するのも忍びなかった。
「飼うか」
「なるほど、太らせてから喰うと」
「お前はまずそこから離れろ」
 結局、このナマモノを連れて帰ることに。
 〇世代で動く人々には家賃が安く提供されるアパートが何軒かある。その一室が、真一と楓花が暮らす家だった。
 ちゃぶ台の上に件の毛玉を乗っけて腕を組む真一。
「名前はどうしようか」
「リブ」
「お前それ食肉部位じゃねぇかいい加減にしろよ!」
 ふざけてやっているならいい加減飽きてくる頃合いだった。
 とりあえず名前は夕飯を摂りながら考えることに。
「おー、レタス食べてる」
「見れば見るほどに羊みてぇだな」
 サラダからレタスの葉っぱを一枚つまんで楓花が毛玉に差し出していた。もそもそ頬を動かして食べてる姿が愛らしい。
 ふりかけを掛けた白米を掻っ込みながら、マジマジとその不思議生物を眺める。
 そんな真一の視線に気づいたのか、毛玉は小首を傾げながら「めぇ」と鳴いてみせた。
 ので。
「メー太郎」
「真一もセンスないじゃん」
 今度は相方から棄却の判決が下った。これで二審通過。最終審で差し戻しは避けたい。
「そういえばなんか羊の名前聞いたことあるよ。ドリーだっけ」
「それ確か鉄歴のクローン羊だろ? 短命だったらしいが」
「いいんじゃん?」
 縁起が悪かろうと渋面を作る真一に、楓花はふわりと微笑んでみせた。
「大事なことって長く生きられることじゃないでしょ。例え期間は短くても、どれだけ幸せに過ごせたかが命の最終スコアだって、私は思うな」
 じゃないと、人間より寿命が短い動物は全部可哀相ってことになっちゃうじゃん? と、彼女は小首を傾げる。
 時々、楓花はこういう独特な死生観を口にする。それは戦場という、「死」が余りにも近い場所に身を置き続けてきたが故の価値観なのかもしれない。
「そうだな」
 だから、真一も特に反論はしなかった。
「というか、ゴネたらいつまで経っても埒があかねぇし」
「じゃ、けってーい」
 相変わらずもしゃもしゃとレタスを頬張る毛玉改めドリーを、楓花が抱き上げる。
「これからよろしくねー、ドリー」
 角の付け根をそうっと撫でる楓花の指がくすぐったかったのか。ドリーは頭を小さく振りかぶりながら応えるように小さく鳴いた。



 こうして、二人と一匹の奇妙な共同生活が始まった。
 ドリーは野菜をよく好んで食べる。牧草などの方が良いのかと思ったが、別にそういうことはないらしい。ここら辺が、やはり普通の羊とは違う存在なのだろう。
「そこら辺の雑草で良いのは助かるな」
 ドリーが来てから早くも二週間が過ぎようとしていた。交番に通ってはいるものの、やはりというか持ち主の名乗りは特にないらしい。
 一方の毛玉生物ドリーはと言えば、我が物顔で部屋を徘徊したり鳴いてみせたり布団に入ってきたりと、ちゃっかりこの家のマスコットの地位を確立していた。
「うむ、コスパが良いってヤツだね」
 羊飼育のパフォーマンスとはなんなのか。食うのか。やはり食うつもりなのか。
 喉までそんな突っ込みが出掛かったが、真一は無理矢理飲み込んだ。
「そういえばここ最近街路樹が傷つけられる事件が起きてるってねー。枝が折られたり皮が剥がれたり」
 ドリーに草を食べさせながら、思い出したように楓花が言う。
「悪戯か?」
「だとしたらアクシツ。知ってる? ここら辺の街路樹に何が使われてるか」
「いや」
「夾竹桃」
 素直に首を振ると、楓花が溜息交じりに教えてくれた。
「大気汚染や乾燥に強い園芸植物だから、街路樹には打って付けなんだけど、ちょっと問題があってね。すっごい強い上に残る毒があるの」
「それは……まあ、よくそんなおっそろしいもん植えるつもりになったな」
 思わず唖然と呟くと、楓花はふるふると首を横に振った。
「万が一、私たちが負けて本土決戦になったときに、即席の武器としてね」
「……」
 今度こそ、真一は絶句した。
 都市部での生活自体は、安全だ。鉄脈術が戦争を変えたと言うことも大きいが、市民が武器を手に命を投げ出さなくてはいけないような空気はない。
 忘れていた。自分たちがしていることは、一歩間違えばそんな最悪の状況を作り出してしまいかねないのだ。
「負けられないね」
「……ああ」
 返り血を浴びるのは自分たちだけで十分だ。
 決意を新たにしてからそれほど断たぬうちに、暗音から新しい連絡があった。
『仕事だぞ、お前たち』
 開口一番、そう告げた彼女が続けて口にしたのは、真一と楓花を殺戮の舞台へ誘う道標。
 即ち、敵の居場所が割れたのだ。

 †

「楓花――精錬開始(マイニング)幾重ニ束ネルハ其ガ鋼(ユア・ブラツド・マイン)
「ん、行こっか――精錬許可(ローディング)心ニ纏ウハ其ガ刃(マイ・ブラツド・ユアーズ)
 鉄の祝詞が詠われる。
 腕を覆う魔鉄の籠手が熱く脈動する。呼応するが如く楓花の身体が無数の光糸に解け、収斂し、一振りの刀へと変成した。藍を煮詰めたような深い色の刀身に、直刃の紋。白木の柄が初々しさを残す。
製鉄(スティールオン)――『明鏡止水、我等ガ濡刃二曇無シ(イマチユアブレイド・イノセント)』」
 それが、真一と楓花の間に産み落とされた異能の名だった。
 ざあっ! と視界が澄み渡る。鋭敏化された五感には一分の隙すらない。眼で耳で鼻で肌で舌で、周囲の状態を全て把握し、手中に収める。
 それを形作る霊質界(アストラル)の風景は、生物非生物を問わず、目に映る全て鋼の世界。その鋼の一切を楓花という器へ閉じ込めることで、彼女を剣に、感覚を全能にせしめるというのが彼らの鉄脈術の正体だ。
 そして、その得物を鞘走らせたと言うことはつまり。
「び、ぎゅっ!?」
 暗闇から渾身の蹴りをたたき込まれて、太った男が豚のように喚いた。
「お前か。ヴァンゼクスの製鉄師とか言うヤツは」
 底冷えするような、低い声を投げつける。
「まさかこんな近郊に堂々と根城を張ってるったぁ思わなかったぜ」
 暗音から与えられた情報。それは、『製鉄師は千葉市の郊外に潜んでいるらしい』と言うことだった。
 〇世代(ワイルドエイジ)の活動に合わせて首都近辺にはアイヌや琉球系の製鉄師も少数ながら流入しているとはいえ、まだまだ大和民族以外は珍しいのがこの国だ。ヴァンゼクスも馬鹿ではなく、どうやら黄色人種とのハーフを寄越しては来たようだが、発音などの細かい差異から異邦人は容易に特定できた。
 アジトにしていた家の、本来は倉庫やワインセラーなどに使ったのであろう冷たい地下室。そこに、彼らの本国との通信設備などがしっかりと残っていたのである。奴らがそこに入ってきた時を突いた。動かぬ証拠とはまさしくこのことだった。
 ランタンの淡く温かい光を刃が反射する。いっそ妖しいまでに赤々としたそれは、夥しい血糊のようにも見えた。
「けほっ……ヴァンゼクス、だって……? はっ、馬鹿にするな」
 だが、相手側の返答は些か予想の外だった。
「僕は、マギだ。マギの人間なんだよ」
「……独立派か」
 思わず舌打ちを漏らす。道理で超国家が主導するには杜撰さが目立つ作戦だ。
 超国家が統治のメインストリームに移って久しいとは言え、その実国民全員が諸手を挙げて万歳三唱しているわけではない。それが出来たのは後にも先にもラバルナ帝国だけだ。中にはこういった、超国家内の統治機構――つまり旧時代からあった「国家」の理想を掲げる連中もいる。
 無論、そんなのは超国家自身にしてみれば反逆者たちと変わらない。結果、このようなテロリスト紛いへと身をやつす輩が大半なのだが、今回はどうもその口らしい。
「――精錬開始(マイニング)! 貴方に勝利を送りましょう(ユア・ブラツド・マイン)!」
精錬許可(ローディング)仮初の栄光に酔い狂え(マイ・ブラツド・ユアーズ)
 男が叫ぶよう起動句(マイニング・コード)を詠唱すると、どこからともなく返歌があった。鋭く周囲に目を向ければ、地下室の入り口辺りに八歳くらいの童女がいる。言うまでもなく魔女だ。
 つまりは鉄脈術の発動。
 チッ、と。
 真一は眼を眇めて舌打ちをした。
製鉄(スティールオン)――『美酒から堕ちよ、秘めたる悪意の貢物(イ・カタストロフィ・トゥ・イーリオス)』ッ!!」
 地下室の暗がりから這い出る物があった。
 見たこともない、奇妙な生物だった。四本の足と蹄が、辛うじてそれが全体的には草食動物をモチーフにしたモノだったことを窺わせる。だがそれだけだ。背からは植物のような枝が幾本も生え乱れ、尾は山鳥のような長い尾羽に。本来首がある位置には代わりに分厚くグロテスクな唇と蟲の複眼が貼り付いている。
『何これ……』
 頭の中に楓花が呟く声が響く。
 しかも、現われたのは一匹だけではない。
 ず。
 ずぞぞぞぞぞぞぞぞぉぉォォオオオオオオッッ!!!! と。
 まるで蜂の巣をつついたようだった。
 十や二十では利かない数の全く同じ怪物が、次から次へと産み落とされる。
「供犠動物をベースに、ちまちま集めた夾竹桃の猛毒と、内に秘めたる悪意の記号を加えたスペシャルブレンドだ。さあご自慢の刀で切ってみろ、すぐに悪意と毒が――」
「うるせぇよ」
 鼻高々に語る男の言葉を、たった一言で斬り捨てる。
 直後だった。
 ずるりと。
 大量のキメラが、一匹の例外もなく真っ二つに断ち別たれた。
「………………は?」
 男の笑顔が凍る。
 いつの間にか、照る刀身がさらに赤みを増していた。
 ()()()()を理解して、男の顔から笑みが失せる。
「冗談だろ――?」
「残念ながら」
 べちゃり。べちゃり。
 真一の軍靴が、血の海と死骸の山の中を踏みしめながら、一歩ずつ確実に男へ迫る。横合いから追加で現われた怪物を悉く切り苛み、冷たい地下室に金臭い匂いを充満させながら。
「クソッタレの現実だよ」
 脳天から股間まで、一直線に剣閃が走った。
 人体解剖書のモデルに使えそうなぐらい綺麗に断ち切られた男は、それっきり何も言わなくなった。
 魔女がいた方向へ目を向けると、そこにはもう人っ子一人いない。
(逃げたか)
 血振りをすれば、深い色の刀身が再び顔を見せる。
 ……男の口ぶりから、どうやら彼らを負っているのが刀使いであることを把握していて、それに対する対策を講じていたらしいことは窺えた。
 だか、そこには重大な抜けが一つ。
 楓花が変ずる刀は、耐蝕性が極めて高いのだ。それこそ、金属を腐らせることに特化した鉄脈術にも抗することが出来るほどに。
 それは幾度人を斬ろうとも、決して曇りはしない無垢なる刃。
 何人にも侵すことが出来ない、永遠の鋼。
 それが、どうして毒性から派生させた浸食能力程度に負けることがあろうか。
「……ん?」
 そこで、気づいた。
 通信設備の横に置かれた、ノートパソコン。
 恐らくは作戦書の閲覧や共有に使われていたのであろう。
 そのモニターが、点いていた。
『なんか作戦報告書とか入ってるかな?』
「確認してみるか」
 つい先程の殺戮で飛び散ったのだろうか。朱い飛沫が所々に付着しているそれの、マウスを握る。簡単なマギの文章なら心得があるのは幸いだった。
 開きっぱなしのテキストファイルには、大きな文字でこう銘打たれていた。
《日本皇国の一斉制圧について 概要と経過報告》。
「……」
 下へスクロールしていくと、鉄脈術によるバイオテロ計画の概要と、作戦の経過が日付つきで詳細に記されていた。

《――日本皇国において、その製鉄師たちの主要活動拠点は首都たる東京を始め、札幌、名古屋、大阪など概ね九つの都市に集約される――》
《――札幌は位置的に最適に思われるが、到達までのルートは親ヴァンゼクスの影響が強く……北九州は、皇国でも要所として検閲が厳しい――》
《――アメリカ大陸からの玄関として開かれている東京湾が侵入が最も容易……東京は元首・天孫が居住する影響で最も警備が厳戒……千葉が第一攻撃の標的として最適であると結論した――》

 読める単語と動詞を拾って行くと、大まかそういうことらしい。
『とりあえず、今回はこれで一件落着……かな?』
「ああ――いや、待て。これは……」
 楓花の言葉に頷きかけて、目に飛び込んできたものに、マウスのホイールを転がす指が止まった。
《十二月十日 一次作戦実験についての報告》。
 ゴシック体で書かれたその見出しの下には、どこか無機質な文字でこう書かれている。

《――「クリスマスプレゼント」作戦。街中に小さな小動物サイズのビーイングを解き放ち、時限式で毒ガスを一斉噴霧する計画だった。しかし、ビーイング作成段階において毒性に耐えられる個体が一%を切り、現位階では鉄脈術による調整の幅に限度があることが発覚。これによりプランの変更を決定した。なお、唯一生き残った個体も逃走。動向が掴めなくなっており――》

 何か。
 背中に、冷たい鉄の芯をぶち込まれたような感覚だった。
『……真一、これって――』
 同じ結論に至ったらしい楓花が、震える声で問いかけてくる。
「……帰るぞ」
 短く放った言葉には、自分でも解るくらい動揺の色が滲んでいた。



 狭く、暗いアパートの一室に戻る。
「ドリー……?」
 刀から人の姿に戻った楓花が、恐る恐る部屋の奥に向かって呼びかける。
 昨日まであったはずの返事は、聞こえない。
 毒物がまき散らされているという様子はなかった。灯りの消えている室内にそっと足を踏み入れる。
 果たして、ドリーはベランダへ続く窓のそばで小さく丸まっていた。
 口からは真っ白な泡がボコボコと立ち、くりくりとしていた目の周りは隈のように深い皺だらけになっていた。触れてみると、驚くほどひんやりと冷たい。
 設計ミスだったのか。それともドリーの一念か。噴霧されるはずの毒ガスは、殆ど全てがこの憐れな羊の体内だけで使い切られていたのだ。
 痛ましく変貌したドリーの身体を、呆然と楓花が抱き上げる。
「……ねぇ」
「なんだ」
「ドリーは、ちゃんと幸せに生きられたのかな……」
 ふと、窓の外を見る。
「――当たり前だろ」
 気休めではなく、本心からそう応えた。
 天気予報は外れたようで、羊雲から雪がしんしんと降り始めている。
 それは、自分たちに向けられたクリスマスプレゼントのように思えた。

 
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