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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百四十八話 打診


帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   フェザーン高等弁務官府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「如何ですか、少しは落ち着かれましたか」
「ええ、ようやく溜まっていた書類を片付けました。どうしてこう書類というのは溜まるのか……、不思議なものです」
俺の言葉にボルテックが軽く笑い声を上げた。

「まあ仕方ありません、書類というのはどういう訳か溜まるのですよ。皆、書類を決裁する事を嫌がるのですな。決裁すれば証拠が残りますから……」
「なるほど」
なるほど、確かにそうかもしれない。俺は宇宙艦隊司令長官だから決裁文書からは逃げられないがメルカッツは副司令長官だ、出来れば俺に任せて避けたいと考えたのだろう。

ココアを一口飲んだ。うむ、なかなかいける。微かにオレンジの香りがするからオレンジの皮でもすりおろしたか……、これが結構ココアに合う、実に美味い。

昨日ボルテックから会いたいと連絡が有った。彼は宇宙艦隊司令部に出向くと言ったのだが気分転換を兼ねて俺が高等弁務官府に向かう事にした。正解だったな、ボルテックはなかなかのホスト役だ。

オーディンに有るフェザーン高等弁務官府、その応接室で俺はボルテックと会っている。俺とボルテックはソファーで向き合う形で座っているがヴァレリーとルパートは少し離れた場所で並んで座って待機している。若い男を隣に侍らせてヴァレリーも御機嫌だろう。

応接室の壁には大きな絵がかけられている。若い女性の絵だ、衣装からして帝国の女性、おそらくは貴族だと思うが、上品な笑みを浮かべてこちらを見ている。まず間違いなくこの絵は帝国で求めたもののはずだ、名のある画家の作品なのかな。メックリンガーなら誰が作者か分かったかもしれない……。

美人を見ながら飲むココアは格別だが、この女性今も生きているのだろうか? 生きているとすれば家は昨年の内乱で無事だったのか……。もしかすると今は苦労しているのかもしれないな……。貴族を潰したのは俺だがあまり考えたくはない事だ、気が滅入る。

「昨日、フェザーンから連絡が有りました」
「……ペイワード自治領主ですか」
俺の問いかけにボルテックが頷いた。なるほど、報告か……、ペイワードと組んで勝手な事はしないという事だな。これに関するボルテックのスタンスは一貫している。

「自由惑星同盟の新しい高等弁務官が決まったそうです」
俺とボルテックの間では反乱軍と言う言葉は使わない。ごく自然に自由惑星同盟という名称を使っている。最初からそうだったかは覚えていないが、まあ銀河の半分を占める星間国家を反乱軍っていうのもおかしな話では有る。

「名前はピエール・シャノン、代議員ですな」
「……」
ピエール・シャノン? レベロ政権下で国防委員長を務めたシャノンの事かな。レベロが推薦したと考えれば有り得る事だが……。

「閣下はシャノンを御存じなのですか?」
いかんな、ボルテックが俺を不思議そうな眼で見ている。妙な表情をしてしまったか。
「いえ、知りません。どのような人物です」

「私も詳しくは知らないのですが国防問題を専門としているようです。もっとも今回のクーデター騒動と無関係だったようですから主戦派と言うわけではないようです」
「なるほど」

国防問題を専門か……、やはりあのシャノンなのだろう。レベロの下で国防委員長を務めたという事はトリューニヒトとは距離が有ったと見ていい。軍事に詳しくても狂信者では無かった、現実を重視するタイプ、そういう事だな。まあレベロ政権下での国防委員長など主戦派には無理だろうが……。

「手強い相手のようですね」
「そう思われますか」
「少なくともヘンスローやオリベイラよりは手強いでしょう」

俺の言葉にボルテックが苦笑を洩らした、俺も笑い声を上げる。オリベイラはともかくヘンスローと比べるのは酷かったか……。なんせあれはフェザーンの飼い犬だった。餌付けしたのはルビンスキーと目の前で苦笑しているボルテックだろう。

もう一口ココアを飲んだ。ボルテックもコーヒーを飲んでいる。なんとなくまったりとした気分になった。どうも俺はボルテックが好きらしい、困ったものだが今のところ支障は無い、かまわんだろう。

気が付けばボルテックが困惑したように俺を見ていた。いかんな、俺はぼんやりとボルテックを見つめていたようだ。軽く笑いかけると向こうも口元に笑みを浮かべた。
「少しお疲れなのではありませんか」
「いえ、大丈夫です。ココアが美味しいのでつい寛いでしまったようです」

「それなら宜しいのですが……。ところで、同盟との和平についてですがお聞きになっておられますか」
「ええ、リヒテンラーデ侯から聞きました」
「リヒテンラーデ侯は司令長官閣下に相談するようにと仰られたのですが、閣下の御考えは」
「さて……」

さて、どうしたものか……。俺がこの話を聞いたのはフロイデンの山荘に居る時、つまり新婚旅行中の事だ。リヒテンラーデ侯曰く、“ボルテックから反乱軍との和平について打診があった。卿に任せるから適当に処理しろ”。一方的に喋って一方的に切った、それだけだった。何も映さなくなったTV電話の前で暫く呆然と座っていたよ。さっぱり分からなかった。全くあの爺、面倒な事は全部俺に投げやがる、少しは自分で片付けて欲しいもんだ。

まあ和平などあり得ないからな、俺に投げて十分と思ったのかもしれない。或いは和平の話題そのものが不愉快だったか……。門閥貴族を潰すために内乱まで起こした。全ては新銀河帝国を造るためだ。そう思えばリヒテンラーデ侯にとっては和平など聞くのも論外な話だろう。

「和平と言っていますが、ペイワード自治領主個人のお考えですか」
俺の言葉にボルテックは軽く首を横に振った。
「いえ、トリューニヒト議長の依頼によるものだそうです。もっともペイワード自身、和平を強く望んでいる事も事実です」
「なるほど……」

自由惑星同盟が和平に本腰を入れてきたという事か……。クーデター騒動で主戦派を潰した今こそが好機と思ったのだろう。そしてペイワードは帝国と同盟の間で和平が結ばれない限りフェザーンの独立は難しい事を理解している。両者の考えが一致した……。

ボルテックはどう考えているのかな。彼は俺がフェザーンを、同盟を占領し宇宙を統一するという考えを持っている事を知っているはずだ。ここで和平を提案してくると言うのは本気か? それともポーズか……。

「和平と言っても恒久的なものにはならない、一時的なものでしょう。自由惑星同盟が国力を回復するまでの一時しのぎ、せいぜい十年の和平でしょうね……。まあ一時的にしろ銀河に平和がもたらされるのは評価しますが同盟の国力が回復すればまた戦争になる。帝国にとっては何のメリットも無いと思いますが……」

ボルテックは俺の言葉を黙って聞いていたが、俺が話し終わるとコーヒーを一口飲んでから話し始めた。
「ペイワードはこう考えているようです。帝国は改革を進めている、劣悪遺伝子排除法も廃法になり同盟と帝国が対立する政治的要因は小さくなりつつあると。いまなら両国の間で和平を結ぶ事は可能ではないかと」

「なるほど……、ボルテック弁務官はどう思いますか? 和平は可能だと思いますか?」
俺の問いかけにボルテックは少し目を伏せ気味にして沈黙している。なるほど、さっきの発言もペイワードの考えとして話した、自分の考えでは無い、察してくれという事か。どうやらポーズのようだな……。

「……確かに政治的な対立点は減ったかもしれません。問題は感情でしょう、同盟市民、帝国臣民、これまでの多くの犠牲者を出してきました。その痛みを乗り越えて和平を受け入れられるかどうか……、難しいのではないかと私は考えています」

その通りだ、ペイワードは百五十年も戦争をしてきたという事実の重みを理解していない。所詮フェザーンで両国の戦いを傍観していただけの事だ、戦争の痛みを理解していない。

彼にとっては戦死者の数はただの数字でしかないのだろう。その数字の陰に家族を失った遺族が居るという事を理解していない。大体フェザーンには戦争孤児や戦争未亡人などいないからな、分からんのだろう。ボルテックはその辺りを理解しているようだ。多分帝国に居る事が大きいのだろう、身近に戦争で家族を失った人間を見ている。戦死者の数をただの数字とは受け入れられないに違いない。

イゼルローン要塞陥落後、同盟は帝国領へ大規模出兵を行った。常識的に考えれば馬鹿げた話だ、同盟にはそんな事をする余裕は無かった。本来なら要塞を中心に防御戦を展開するのがベストの選択だった。では何故あの馬鹿げた出兵が起きたか……。

軍内部での主導権争い、俺やフェザーンが扇動した所為でも有るが根本的には同盟市民の間に帝国領に攻め込んで一撃を与えたいという願望が有ったからだ。同盟市民の心には長い間攻め込まれ続けた事に対する鬱憤、いや怨念が有ったと思う、いつか必ず仕返ししてやると……。

たかだか十年の和平でその怨念が消えるだろうか? とてもそうは思えない、そしてシャンタウ星域の会戦では一千万近い同盟軍兵士が死んでいるのだ。その恨みが十年で消えるだろうか? 十歳で父親を失った子供は二十歳になった時その恨みを忘れる事が出来るのだろうか……。

「ペイワードも和平が簡単な事ではないと理解はしています。特に現時点では帝国が圧倒的に有利な立場にある。和平を受け入れるなど論外だと帝国の重臣方はお考えでしょう。しかしペイワードは和平は帝国にとってもメリットが有ると考えているようです」
「メリットですか……」
俺の言葉にボルテックが頷いた。

「帝国が同盟に攻め込むとなればイゼルローン、フェザーンの二正面作戦を実施する事になるでしょう。しかしイゼルローン要塞は難攻不落、フェザーン回廊も場所によっては大軍が役に立たない狭隘な場所も有る。場合によっては戦争が膠着化する恐れも有る……」
ボルテックが俺を見ている、なるほど俺が本当に宇宙を統一できるか確認しようとしている、そんなところか……。

「確かにイゼルローン要塞は難攻不落ですし、守将であるヤン提督は同盟軍一の名将です。その可能性が有ると考えるのは当然でしょうね」
同盟側は戦争の膠着化が可能だと考えているのだろう。主戦派がクーデターを考えたのは膠着化によって両回廊を守りきれると見たからだ。トリューニヒト達はそこまで楽観はしていない、いずれ押し切られると見た。だから和平をと考えている……。

「戦争が膠着化すれば今帝国内で行われている改革にも支障が出かねません。そうなれば帝国内には戦争に対して不満を持つものも出るのではないかとペイワードは心配しているのです」
「戦争の長期化ですか……。確かに望ましい事ではありません」

さて、どうする。同盟がイゼルローン方面に展開できる兵力は多くても二個艦隊だ。こっちが攻め寄せればヤンは要塞周辺で防御戦を展開せざるを得ない。ヤン・ウェンリーは厄介だがイゼルローン要塞は怖れる必要は無い。いざとなればガイエスブルク要塞をぶつければ良い。

ヤンがそれを防ごうとすれば艦隊を外に出して要塞のエンジンを攻撃するしかないが、その時にはこっちの艦隊でヤンを打ちのめすだけだ。エンジンを破壊する前にヤンの艦隊は火達磨になるだろう。あれは制宙権の確保が有って初めて可能な作戦なのだ。

怖れる必要は無い……、しかし敢えて手の内をさらす必要もないだろう。むしろペイワードを、同盟を油断させた方が良い、いや油断させるべきだ。
「なるほど、ペイワード自治領主の懸念は良く分かりました。交渉はともかく、和平についてこちらも考えてみましょう」

ボルテックがこちらを見ている。見定める様な視線だ。俺が本心から言っているのか見定めようというのだろう。ココアを一口飲む、いかんな冷めてしまった、香りも消えている……。せっかくの美味しいココアが台無しだ。残りを一息に飲み干した……。



帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   フェザーン高等弁務官府  ニコラス・ボルテック



「いかが思われますか?」
「さて……、ケッセルリンク補佐官はどう思ったかな」
「あまり感銘を受けたようには見受けられませんでしたが……」
「まあ、そうだな」

感銘か、もう少し言いようは無いのだろうか……。この男の悪いところだ、どうしても物言いが少し皮肉じみた言い方になる。ルビンスキーにもそういうところが有ったが息子の方がより強く出るようだ。不愉快に感じたが苦笑する事で誤魔化した。

既にヴァレンシュタイン元帥は副官と共に宇宙艦隊司令部に戻った。今はルパートが俺の前に座ってコーヒーを飲んでいる。
「考えてみると言っていましたが……」
「言質は取らせなかった」
「はい」

ヴァレンシュタイン司令長官は考えてみると言った、それだけだ。交渉については何の約束もしていない。いや、それを言うなら帝国そのものが和平交渉については何の意思表示もしていない。国務尚書リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン司令長官と話せと言っただけだった。

「自治領主閣下には何とお伝えしますか」
「ケッセルリンク補佐官、そのこちらを試す様な物言いは止めたまえ。あまり気持ちの良いものではない」
「申し訳ありません」
ルパートが殊勝な言葉を出して謝罪した。もっとも視線にはそんなものは感じられない。何処か不敵な色が有る。なるほど目は口ほどに物を言うか……。

「相手に不必要に警戒心を抱かせることになる、交渉者としては二流だ。ヴァレンシュタイン元帥を見習う事だ、彼には警戒していてもそれを緩ませるようなところが有る」
「……」
今度は無言で頭を下げた。やれやれだ、果たしてどこまで分かったか……。

宇宙艦隊司令長官は実戦部隊の責任者でしかない、本来和平交渉を云々する立場にはないのだ。現実はともかく建前ではそうなる。リヒテンラーデ侯はそこに話しを振った。そして司令長官も言質を与えない、その事をどう受けとめるべきか……。

つまり和平など論外という事だろう。適当にあやしておけと言う訳だ。あの二人の間ではそういう話が有ったに違いない。帝国による宇宙統一はヴァレンシュタイン元帥だけの考えなのではない。リヒテンラーデ侯、いや帝国自体の意思とみるべきなのだ。

戦線の膠着化についてもあまり深刻には受け取っていなかった。大したことは無いと思っているのか、それとも既に何らかの手を打っているのか……。どちらかは分からない。だが戦線の膠着化では帝国を交渉に引き摺り出すことは出来ないという事は分かった。残念だったな、ペイワード。

「鼻で笑われなかっただけましだな」
「それは……」
ルパートが苦笑を漏らした。
「さて、どうしたものかな……」
「……」

ルパートがこちらを見ている。相変わらずこちらを試すような目だ。ならば……。
「ケッセルリンク補佐官、ペイワード自治領主閣下への報告は君からしてくれ」
「私からですか、しかし、何と」
「任せるよ、君に。それほど難しい事ではないだろう。見たままの事を話せばよい」
「……」
それを機に席を立った。

さて、ルパートはペイワードにどう伝えるかな? ありのままに伝えるか、それとも脚色するか……。脚色するとすれば誰のために脚色するのか? 俺か、ペイワードか、それとも……。


 
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