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堕胎坂

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第三章

「身体があるかないかだけだろ」
「そういえば」
「檀家をしてる坊さんに言われたんだ」
 このことをとだ、富阪は後輩に話した。その坂に向かう道を歩きながら。東京の街も復興して戦争の傷跡はない。
「人間と幽霊の違いはな」
「身体があるかないかですか」
「それだけだってな、幽霊が怖いならな」
 それならというのだ。
「人間が怖いんだよ」
「そうなりますか」
「ああ、実際文学とか見たらそうだろ」
「そうですね、俺この前夢野久作読んだんですが」
 後輩も文学と聞いてこう答えた。
「人間の仕業ってのは怖いですね」
「そうだよな、だからな」
「幽霊はですか」
「人間と変わらないさ、じゃあな」
「今からですか」
「坂に行くぞ」
 こう言ってだ、そのうえでだった。
 彼は後輩を連れて二人で坂に向かった、だが。
 後輩は坂の手前で足がすくんだ、それで彼に言った。
「あの、俺は」
「無理はするな」
 富阪はその後輩に顔を向けてこう告げた。
「怖いならな」
「それならですか」
「そこにいろ、わしが行って来る」
「それじゃあ」
「ああ、坂の頂上まで行って来る」
 後輩に告げてそうしてだった、彼一人で坂を進んでいった。坂の左右には店が並び賑わっているのだが。
 上の方には賑わいを取り戻している東京の割には人気がなかった、その気配のなさの理由は富阪も察していた。
 富阪はその坂の上に向かって淡々と歩いていく、そうして。
 その坂の上に来たのはすぐだった、そこには店もなく大きな家があるだけだった。だがその家の前にだ。
 一人の着物を着た女が立っていた、紅い花の柄の着物で帯も赤く絹の上等なものだ。顔立ちは整っている。
 だがその形相は凄まじく恐ろしいものだった、怨念の塊の様に。
 女は富阪を憎しみに満ちた目で凝視していた、だが何も言わずただ睨んでいるだけだ。そうしてその身体をよく見ると。
 股の部分がはだけていてそこから血が出ていた。しかし富阪自身には何もせず睨んでいるだけでだった。
 富阪は女を見てから坂を下りた、そのうえで後輩のところに戻って彼に話した。
「女がいたぞ」
「本当にいたんですか」
「ああ、わしを凄い顔で睨んでいた」
「何もされなかったんですか」
「睨んでいるだけだった」
 ただそれだけだったというのだ。
「本当にな」
「そうですか」
「ああ、しかしな」
「しかし?」
「凄い怨念を感じた」
 このことは間違いなかったというのだ。
「本当にな」
「そうでしたか」
「着物を着て股から血を流していたな」
「股からですか」
「随分変わった女だった、あれは生きてる奴じゃなかったな」
「何か見ましたか」
「生きていてあんな恰好でずっと立っているか」
 そんなことは有り得ないというのだ。
「だからな」
「生きていないってわかりました」
「あれは幽霊、しかも怨霊だな」
「怨霊ですか」
「そのことは間違いないな」
「そうですか」
「ああ、何もされなかったけれどな」
 それでもと言うのだった。 
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