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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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フェアラートの名



 首都中心部から車で三十分ほど走った郊外。
 郊外とはいえど、中心部からわずか三十分ほどである。
 木々に囲まれた一帯はハイネセンでも一等の高級住宅街とされていた。

 わずか一坪ほど買うだけでも、一般人では生涯収入が消えるであろう。
 住民たちも大企業の社長や有名な映画俳優、また一部の大物政治家がほとんどだ。
 そんな一等地の巨大な門が開き、一台の車両が中へと入っていった。
 そこから車で走ること数分、着いたのは一つの屋敷の前だ。

 古いながらも外壁は白く塗られており、大きな扉が目立っている。
 車から降りたのは、銀髪の男性――クエリオ・アロンソだ。
 すぐに扉から二人の男女が姿を現し、男性は黙って車を走らせた。
 残った女性が、アロンソから上着と鞄を預かる。

「お疲れ様でございました、旦那様。奥様がお待ちしております」
「ありがとう」
 呟けば、扉の中には一人の美しい女性だ。
 アロンソと同色の銀色の髪はまるで糸の様に細く、整った顔立ち。

 アロンソと同じ四十代ながらも、老いを感じさせない若さがあった。

 リアナ・フェアラート。

 彼の妻にして――おそらくは自由惑星同盟、そしてフェザーンにしても知らぬ人はいない大企業フェアリー――その代表であった。
「おかえりなさい」
「ああ。ただいま、リアナ」

「お疲れでしょう。お食事はおすみですか?」
「いや、艦内で食べてきた」
「そうですか。では、すぐにお茶を持ってこさせます」

「いや。今日は疲れた、少しブランデーを入れてもらいたい」
 リアナの表情が珍しいとばかりに、小さく崩れた。
 だが、すぐに表情が笑みを作る。
「わかりました。用意させますので、先にお風呂に入ってきてください」

「ありがとう」
 短く呟くと、アロンソは大きな扉をくぐるのだった。

 + + + 

 風呂上りのバスローブを羽織って、入って来たのは大きなリビングだ。
 貴重な芸術品が飾られ、中央にはアンティークの机。
 柔らかなソファの一つに座れば、アロンソの妻が待っていたとブランデーを持って歩いてきた。
 ガラス彫刻が入ったグラスが一つ、スモークされた肉の入った銀皿が置かれた。

 そのままリアナも、アロンソの隣に座った。
「ご無事で何よりでした」
「参謀など気楽なものだよ。安全な場所で意見をいっていればいい」
「それでもご無事なのは嬉しい事です」
 真面目な言葉に、アロンソはグラスを持ったまま妻を見返す。

 不安げに揺れる瞳に、感謝の言葉。
「心配かけて、すまなかったな」
「いえ。ですが……」
 謝罪の言葉に、リアナは首を振った。
「もうおやめになってもよろしいではないですか」

 問うたのは、言葉だ。
 彼女が代表を務めるフェアリーは、同盟でも有数の企業だ。
 彼女が一声だすだけで、多くの人間の人生が変化するだろう。
 その中でアロンソを企業の役員にすることなどたわいもない。

 最も結婚した当初は、不可能であった。
 彼女はまだ後継者の一人であって、当時のトップは建国から自由惑星同盟に尽くしたという血だけを重視する無能ばかりだったからだ。
 アロンソとの結婚もひどい言葉で、否定されたものだ。
 だが。

 彼女はそれを無視して結婚し、そして――。
 リアナの唇がゆっくりと笑みを作った。
「もはや無能な老人は何の力も持たない――いや、持たせません。もうあなたは危険なことをしなくてもよろしいのです」
 時間にすれば、わずか十数年。

 それだけの期間で、彼女は代表の地位に就いた。
 当時彼女を――そして、彼を否定していた老人たちは、今では彼女の忠実な部下か、あるいはプライドを捨てられなかったものは見かけることはない。
 先ほどまでの貞淑な妻といった表情は、企業の長としての顔になっている。

 覗き込まれるように見られて、アロンソは苦笑する。
 通常であれば恐れ、一歩引いてしまうような表情。
 だが、それを知り、そんな彼女が好きで結婚したのだから。

 ゆっくりと彼女を抱きとめて、アロンソはしかし否定を言葉にした。
「心配をかけて申し訳ない。だが、私にはこの生き方しかできない」
「どうしても、だめなのですか?」
 誰にも見せないであろう、懇願するような声。

 アロンソは言葉にはせずに、ただ黙ってうなずいた。
 リアナが離れ、小さく息を吐いた。
「相変わらず頑固ですね。わかっていたことですけれど――ですが、気持ちがかわったら、すぐに教えてください」

 つまらなそうに、しかし、少し嬉しそうにリアナは口にした。
 彼女もまたアロンソと同様に、夫のことを理解していた。
 そんな愚直な男は――今まで彼女の傍にはおらず、だからこそ好きだったから。
 それ以上は深く口にせず。

「ですが、珍しいですわね。お酒を召し上がりますのは」
「そうか」
「ええ。とても……。聞けば、危険だったようですわね」
 口にした言葉は、おそらくは一般人も知らぬことを知っているかのよう。

 当然であろう。
 大企業の代表ともなれば、政治家や高官との付き合いも多い。
 おそらくは彼女の耳にも詳細な状況は入っているのであろうが。

 アロンソはそれを口にすることはないし、リアナも深く聞くことはない。
「まあな。だが、そこに面白い若者を見た」
「あなたがお褒めになるのは珍しいことですわね」
「かもしれないな。久しぶりに、私も熱くさせられた」

 ゆっくりと手を広げ、見たのは自分の手だ。
 すでに皺が入り始めた手のひらであるが、そこに熱をもって握ったのはいつ以来だろう。
 彼女の結婚相手に相応しく、頑張ろうとした若いころまでさかのぼらなければならないかもしれない。

 そんなアロンソの様子に、リアナはほほ笑んだ。
 が、すぐに表情が真面目なものになった。
「あの子の候補が見つかりまして」
「な、いや。そういうわけではない――違うぞ」

 驚いたようにアロンソは否定を言葉にする。

 + + +

 リアナ・フェアラートの家系図を遡れば、過去にはアーレ・ハイネセンとともに脱出して、グエン・キム・ホアとともに、この惑星に最初にたどり着いた人間にさかのぼる。
最も血が家系を豊かにするわけではない。
ハイネセンにたどり着いてからから、フェアラート家が企業として成長したのは、偏に努力によるものだろう。

 一介の農家から始まり、資源開発や輸送にまで手を伸ばす。
 時代を経て、フェザーンから多くの企業が入ってもなお、フェアラートが培った地盤は自由惑星同盟ではいまだに大きな力を保持していた。
 通常であれば、女性の経営者など珍しいものであっただろうが、最初の当主はハイネセンにたどり着く前に亡くなり、残されたのが一人の女性であった。

 女性が代表であることが、むしろ当然という環境であったのだ。
 わずか十数年ほどで頭角を現して、現在の地位まで上り詰めたリアナ。
 その次にと考えているのは、彼女以上の才能を持った――娘だ。
 真っ直ぐな視線が、アロンソを見る。

 厳しい目をする夫の眼光の奥に光るのは、戸惑い。
 それは誰よりも知っているからこそ、わかる。
 明確な拒絶ではなく、戸惑いだと。
 娘が士官学校に行くと行った時には、アロンソもリアナも否定をした。

 娘にあえて危険な道を進ませる理由もなかったからだ。
 だが、アロンソもリアナも娘の性格をよく知っていた。
 良くも悪くも、誰がいても自らが決めた道は曲げられない性格なのだ。
 そう考えれば、考えるのは早めに結婚させるということだ。

 帝国軍に比べれば、女性にも開かれているとはいえ、同盟軍であっても多くは結婚とともに退職することが多い。
 リアナは民間から優秀な人材を娘の結婚相手に紹介した。
 結果。

 お通夜だった。
 民間で優秀だという、企業の御曹司を紹介した。
 その結果、娘との見合いに最後まで残った者はいない。

 お見合いという形のお通夜は、他人事ならば見事といってもいいものであろう。
 どんな会話上手も知識人も、娘を攻略することはできなかった。
 その取り付く島もない様子から、紹介した提携先をいくらか失って、リアナは確信した。
 娘はフェアラートなどどうなっても良いのだと。

 彼女は自らの意思を曲げるつもりはないと――それはそれで、見事といってもいいほどのフェアラートの血筋を継いでいる――だが、リアナにとっては困った話であった。
 別段娘とライバル企業の提携が目的ではない。
 目的は、娘を軍から離すことなのだ。

 それであれば、例えどんな形であっても構わない。
 だからこそ、夫に紹介を依頼していたのだ。
 ……いくら問題ないからといって、これ以上に提携企業は失いたくないから。

 ところが、夫もまた生真面目な性格が災いして、紹介という言葉に、真剣になり過ぎてはいるようだ。
 例えいたとしても、何かしら問題を見つけて言葉にすることはない。
 それが。
「何もない」

 と、戸惑う様子は実に珍しい様子。
 少なくともそれをネタにして、からかえばどれほど面白いか。
 だが、それ以上に、否定しない夫の姿に珍しさを覚える。
「では、今度の休みにはアース社の社長をお呼びしてよろしいでしょうか」
「いいが。ライナがどう思うかわからんぞ」

「でしょう。だからこそ、お尋ねします。次の休みにお連れします方はおりませんか?」
「……」
 ぐぅと言葉にならない息をアロンソは漏らした。
 今まで見なかった様子に、リアナは小さく目を開いて、微苦笑する。
 わかりやすいと。

「聞いてみるが、来るかどうかはわからんぞ」
「あら、フェアラートの名前でもだめですか」
「それは出さない方がいいだろう。彼は……」
 小さく、咳払いをして――真剣な表情でリアナに視線を向けた。
「正直なところ、名誉など一切考えていない。ただ生き急いでいる。私はそう思う」

 そんな表情に、リアナは小さく笑った。
「そうであれば、娘にとっては良い相手かもしれませんね」
「だから、嫌なのだ」

 渋い顔で、アロンソは口にした。
 
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