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ラジェンドラ戦記~シンドゥラの横着者、パルスを救わんとす

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第三部 原作変容
第二章 汗血公路
  第三十五話 皇帝葬送

ルシタニア軍がこの朝の時点で二十一万もの将兵を擁しているとは言え、その中に職業軍人は三分の一程しか存在しない。つまりそれ以外の三分の二程はエステルの言うところの、「故国に帰れば親も子もいる普通の人間」な訳だ。

そんな普通の人間たちの士気なんてものは最初からそう高くはない。偉い人から命令されたんで来たんでさ。パルスまで来てたくさん稼げたし、たまげるくらい美味い酒と料理とかを味わったし、もうそろそろ帰らせちゃあくれないですかね?神様のご意志に沿うように悪魔のような異教徒ならもう何人も殺したし、信徒としての義務はもう果たしたんじゃあないですかね?程度にしか思っていないことだろうさ。

そんな奴らが、信じていた神様に、自分たちがやってきたことを否定され、自分たちが信じてきた上の立場の方たちが破門されたとしたら、もはや何を信じるべきか。目の前に現れた神様らしき姿の言葉を信じるしか無いだろう。

「疾くこのパルスの地から離れるがいい。ここに残る者は全て破邪聖弓か、アルスラーンの兵に討たれることになる!」

この言葉の前に、職業軍人以外のほとんどの者が雪崩をうってその場から離れ始めた。指揮官たちの制止などまるで耳に入らない。その指揮官たちもラクシュやギーヴの矢によって次々と倒れていった。指揮官を失い、秩序だった動きを取れなくなった職業軍人たちも、パルス陣営の猛攻を前に次第に力尽きていった。もはやルシタニア軍の崩壊を止められる者は何処にもいなかった。

◇◇
モンフェラートが死んだ。何処からともなく飛来した矢から私、ルシタニア皇帝ギスカールを身を挺して庇ったために。命を落としたのはモンフェラートだけではない。ボノリオ公爵、ゴンザガ男爵、フォーラ、スフォルツァ、ブラマンテ、督戦隊の指揮者エルマンゴー、その他数多の名のある騎士がこのサハルードの露と消えた。

もう…駄目だ。そう思わずにはいられなかった。ルシタニア・マルヤム・パルス、三カ国にまたがる大帝国を築き上げるために鍛えてきた指揮官と精鋭たちだった。それが為す術もなくパルス軍の前に泥人形のように崩れ去っていく。かつて自分たちの前にろくに抗戦も出来ぬまま滅び去ったマルヤムの無様さを嘲笑ったものだったが、今度は自分たちが嘲笑われる番が来たようだ。

しかし、それでも私さえ生きていれば。マルヤムにはまだ聖堂騎士団などの戦力が残っている。主に聖職者寄りの戦力ばかりだから私に大人しく従いはしないかもしれないが、それでも聖職者どもは一枚岩ではない。特に欲深い聖堂騎士団長ヒルディゴ辺りを籠絡すれば、そこを起点に私が主導権を握る目も出てくるだろう。そして、ルシタニア・マルヤム両国の力を結集して、いつかまたパルスに侵攻するのだ。その為にも今は私だけでも逃げ延びなければ。

そう思い定め、本陣を単身離れた瞬間、ルシタニア軍中に幾つかの声が響き渡った。

「ルシタニア皇帝ギスカールが逃げたぞ!」

「財宝だけ抱えて逃げ出したぞ。我々を見捨てたんだ!」

「ルシタニアの軍旗は泥にまみれた。もはや取り返しがつかぬ!」

「やめたやめた、これ以上誰のために戦うというのだ!」

「臣下を捨てて逃げ出すような主君に捧げる生命などないわ!」

まるで何処かで聞いたかのような声と共に兜が地面に叩きつけられる音がし、それを皮切りに幾つもの兜が次々と地面に叩きつけられ、多くの騎士たちが力なくうなだれてその場に座り込んでしまった。ルシタニア軍は崩れ去った。昨年秋に、アトロパテネでパルス軍が敗滅したときとそっくりそのままの状況であった。

そして、そのときを見計らっていたかのように叱声が上がった。

「今だ!マルヤム軍突撃!目指すは皇帝ギスカールただ一人!戦意のない者などには目もくれるな!」

本陣に斬り込んできたその一団は、あっという間に俺を取り囲んだ。そしてその中から一人の女騎士が進み出た。兜を脱ぐと豪奢な金髪が広がった。

「久しぶりだな、王弟、いや今は皇帝陛下か、ギスカール殿。まさか私をお忘れではあるまいな?」

その覇気に満ちた艶やかな声。十年ほど前に勅使としてルシタニアを訪れ、私を婿に欲しいなどとほざいた、マルヤム王室の長女のものに間違いなかった。

「み、ミリッツァ内親王!?馬鹿な、お主生きていたのか!」

「何故か最近会う人会う人そう言うな。この通り生きているとも。全く、お主が大人しくマルヤムに婿に来てくれれば良かったものを。兄の傍を離れる訳にはいかないとか言って断るものだから、こんな仕儀になってしまったではないか!」

「当たり前だろう。あの兄を放置して婿になど行けるものか!兄だけに任せておいては私の祖国ルシタニアが滅んでしまうわ!」

「だからお主がマルヤムに入婿してルシタニアを併呑すれば良かったのだ。労せずして二つの国が手に入ったというのに、変なところで兄思いだから立ち回りを間違えるのだ、お主は!」

「な…」

それは思いつかなかった。私の思考はあくまでも自分がルシタニアの至尊の座につくことのみで占められていた。…今となってはあんな貧乏国、パルスと比べれば惜しくも何ともないがな。

「にもかかわらずお主は自分の血塗られた道を迷うことなく進み、マルヤム・パルスを血泥に沈め、そして今度はお主自身もそこに沈むことになった訳だ。ではギスカール殿、大人しく縛についてもらおうか。お主の首を欲しがっているのはマルヤムの遺児のみではないのでな!」

周りを見回せば、もはや味方は逃げ散ったか、骸となって倒れ伏したか、抗戦する気力もなくして座り込んでいるかしかなかった。私は降伏を選ばざるを得なかった。

◇◇

パルス陣営の本陣に引き据えられたギスカールはそこではもはや縛られることはなかった。もちろん武器は全て取り上げられているし、周りは錚々たる武将たちに取り囲まれている訳だし、逃げることも誰かに襲いかかることも出来ようはずはないからな。

その傍らから進み出て、ギスカールに水の入った杯を差し出した者があった。憔悴していたギスカールは思わず飲み干し、杯を返して眼の前の人物を不審げにしばし見つめ、やがてその正体に気付いたようだった。

「お主は戦の前に姿を見せた神の代弁者!何故ここにいるのだ!」

「…あの時も言ったであろう。私はパルスの王太子の嫁になったのだ」

「馬鹿な!お主はルシタニア人であろう!祖国を裏切ったのか!」

「私が裏切ったのではない!お主ら為政者が神を、民を裏切ったのだ!私は人は神の前ではすべて平等だと教わった。なのにお主らは何をした。何をさせた。同じ神を信じるマルヤムを、ただ信じ方が異なるということだけで虐げた。また、エクバターナを攻略する際、奴隷たちを解放すると約束しておいて裏切った。そうするよう民にも命じた。それが神を奉じるものの所業か!私はパルスやシンドゥラやマルヤムの者たちといささか縁が出来てしまった。もはや彼らと袂を分かつことは考えられぬ。お主らルシタニアの為政者が他国の者を虐げることしかしないなら、私はもうそれには付き合いきれぬ故、祖国を捨てるしかない。残念だがもはや住む世界が違ってしまったのだ!」

「何だと…」

エステルの言葉に絶句するギスカールの前に今度は俺が進み出た。これ以上弟の嫁を矢面に立たせるのも悪いからな。

「ギスカール殿、これまでのパルスは奴隷制を認め、汚職の横行する不正義な国家だった。ルシタニアがそれを是正するためにパルスの王族を担ぎ上げたんだったら別にそれで構わなかっただろうさ。だが、お主らは不正義に不正義で返した。ただパルスを蹂躙し、欲望のままに貪っただけだった。そしてお主らはそれを神の名のもとに正当化した。だがな、そんなものまともな神経をしてたら付き合える訳がなかろう。不正義を働きたいなら一人でやれ。他人まで巻き込むな。あまつさえ、それで裁かれることになったら今度は裏切ったなだって?どの口がそれを言えるってんだよ!」

「まあ、元々他者を羨ましがって、それを大義名分を掲げて奪うことしか考えぬ御仁だからな。ラジェンドラ殿、お主がギスカール殿の立場だったらどうした?惰弱な兄を支え続けたか?」

「俺がそんなに殊勝な心がけの持ち主だと思うのか、ミリッツァ殿?俺なら国のためにならんのなら即座に退位して頂くことにしただろうさ。例え自分が主君殺し、兄殺しの汚名を背負うことになってもな。まともな政がなされることの方が国民にとっては余程幸福なことだろうからな」

「うむ、それでこそ、私の見込んだ男だ。覚悟の定まらぬ小悪党より、覚悟を決めた大悪党の方が遥かに好ましい」

「何だか褒められている気がしないのだが…」

「…他人の前でノロケ話などしないで貰いたいものだな。それでどうするつもりだ?やはり私を殺すのか?」

おっと、ギスカールをそっちのけにして話を弾ませすぎたな。少し黙るか。俺とミリッツァは互いを見ながら、口の前で人差し指を立てた。

「どうするつもりも何もな。いちいち聞かねば判らぬとは、物分かりの悪い御仁だ」

ナルサスがため息混じりにそうこぼした。それを聞いて、やはり自分は死ぬのかとギスカールは肩を落とした。

「ラジェンドラ殿、以前貴方は笑えるお話だと言って優しい王様の話をして下さったことがあった。私はそれからずっと考えていたことがあるのだ」

ああ、優しい王様のお話ね。確か、その話をアルスラーンにしたのはフゼスターンのミスラ神殿に行く途中のことだった。

とある豊かな国に優しい王様がいました。その国は余りにも豊かだったので、お金やお宝を奪おうと周りの全ての国が狙っていました。ですが、その王様には優秀な家来がたくさんいたので、周りの国は何度戦争を仕掛けても敵わず、王様は余りにもお優しいので、「もうこんなことをしてはいけないよ」と敵の王様を諭すばかりで決して殺そうとはしませんでした。自分一人ではどうしても敵わないと気付いた他所の国の王様は、豊かな国を狙う他の何カ国かと手を結びました。それでは優秀な家来がたくさんいてもどうしようもありません。優秀な家来は一人倒れ二人倒れ、遂には数人だけになり、国も荒れ果ててしまいました。混乱に乗じて更に多くの国が攻め込んできたので、目も当てられない有様になりました。これ以上大切な家来を死なせる訳にはいかないと優しい王様はある時家来を庇って死んでしまいました。王様はまだ独身だったので、王様がいなくなった国をたてなおせる人は誰もいなくて、豊かだったその国はとうとう滅んでしまいました。後世の人達は王様が優しくても、結局誰も幸せにならなかったねと笑いましたとさ。めでたくなし、めでたくなし。

まあ、何処かで聞いたような話だよな。蛇王こそ出ないものの原作ってのは大体そんな感じの話だった気がする。

「為政者とは、王とは、自分だけが気分がいいと思えることをしてはならないのだ。誰かの悪事を優しく許せば、自分はいい気分になれるかもしれないが、相手が反省しなければまた悪事を働き、誰かを傷つけることになる。国や民や家臣が傷つくことになるのだ。私人としては寛容であっていいと思う。だが、公人として、王としては、侵略に対し寛大である訳にはいかない。お主の行った侵略行為は悪だ。百万人もの民が犠牲になったこの悪行を私、アルスラーンは王として許す訳にはいかぬ。ギスカール殿、お主には死んでもらう!」

毅然とアルスラーンは言い放った。いい顔だ。俺が出した宿題をずっと考えていてくれていたんだな。うむ、それでこそ、俺が見込んだ心の兄弟だ。

「侵略者とは言え、皇帝なのだ。残酷な殺し方は好ましくない。毒酒で安らかに逝ってもらおう。ギスカール殿、多分お主は王弟に生まれたことでとても苦しんだのだろうな。兄を見ていて不甲斐なく、情けなく、もどかしかったのだろうな。そして、努力もしたのだろう。我々パルス人にとってありがたくない努力だったが、それでも勤勉さには敬服する。だが、もうお主は頑張らなくてよいのだ。これ以上苦しまなくても良いのだ。今度生まれ変わったときには、長男に生まれて、思う存分自分の能力を活かせると良いな。さらばだ、ギスカール殿」

その処刑方法が、最後にかけたその言葉が、アルスラーンにとってのせめてもの優しさだったのだろう。そして、それが幾分かは通じたのだろうか。ギスカールは従容として死刑を受け入れ、死に顔は意外に穏やかなものであったという。

「アルスラーン、お主がどのような国を創るのか、あの世から見ていることにする。私が生まれ変わって、力を尽くしたいと思える国にしてみせるがいい」

それがギスカールの最期の言葉だったそうだ。

さて、ルシタニア人をパルスからもマルヤムからも駆逐したら、今度こそザッハーク討伐開始だ! 
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