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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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先への覚悟

「マクワイルド大尉。久しぶりだね」
「お会いするのは訓練前ですね、ヤン少佐」
「今日も部屋に来るのかい。ちょうど煮詰まっていたところで、いい気分転換になる」
「いえ。今日はヤン少佐に用事があってきました」
「私に? なにかな」

「少し込み入った話ですので、お茶でも飲みながら」
「ああ。そうだね、何がいい。アイスコーヒーかい?」
「いえ。紅茶を」
「了解した」
 自動販売機から紅茶を二つ取り出して、ヤンは一つをアレスに差し出した。

 お礼を言って、アレスは紅茶を口に含み、自動販売機の隣に設置されていたソファに腰を下ろした。  ヤンが隣に座る。
「訓練も始まって、少しは余裕が出たかと思ったけど、忙しそうだね。来る頻度が減って、みんなも残念がっている」

「少し史料編纂室にこもっていたので。調べたいことがありましたから」
 ヤンが片眉をあげた。
「ヤン少佐は、今回の作戦はどの程度上手くいくと考えています」
「そうだな。百パーセントといいたいところだが、不確定要素が多いからね。それでも、それを潰すためにみんな働いている。特に練度の面で心配がなくなったのは嬉しいことだ。高い確率で攻略できると考えているよ。というよりも、これで攻略ができなかったら難しいだろうね」

「私もそう思っています。ですが、少し考えてみました」
 アレスが、ヤンに差し出したのは書類の束だ。
 受け取って、目を通して、ヤンが渋い顔になった。
「これについては、私も危惧をしている」

「シトレ大将へは?」
「既に主任作戦参謀のアップルトン中将には伝えている。だが、これについては考えにくいとの結論が出た。仲間殺しは、今後戦う上で大きなデメリットになる。それに……」
 続くヤンの言葉を、アレスは待った。
「これが可能になったら、そもそも並行追撃という大前提が崩れることになるからね。おそらくはアップルトン中将も本気では考えていないだろうし、シトレ大将が知ったとしても同じことだと思う。そう思うなら、最初からこの作戦はとらなかっただろう」

「でしょうね。可能性は薄いというのが作戦参謀の答えですか」
「そう思ってくれて構わない」
「……私は非常に高い可能性があると考えています」
「理由を聞いてもいいか?」
「イゼルローンは難攻不落と称され、今まで一度も大きな打撃を被っていません。その状況下で大きな被害を受ければ――さらに言えば、要塞司令官と艦隊司令官の仲が悪いのは周知の事実。危機に陥れば要塞司令官は迷うことなく、押すことでしょう」

「帝国の大将がそこまで考えなしに行動するかい」
「おおよそ九割以上の確率で」
 大きな息が、アレスの隣から聞こえた。
 ため息だ。
 息を飲み込むように、紅茶を口にする。
「君が九割と考えるか。正直聞きたくなかった言葉だね」

 仰ぐように天を見て、そこに蛍光灯の明かりを見れば、ヤンは静かに口にした。
「今日の話は敵が味方事撃つ可能性を考えて、作戦を変更するようにという忠告かい」
「いえ。先ほども言いましたが、今更変更は無理でしょう――ヤン少佐がおっしゃったように、そもそもの作戦の前提を変えることになる。そして、それを止められる人はいない」
「そうだね。それができるなら、最初から攻略作戦は中止されている」

「だから。これをお渡しいたします」
 続いたのは封筒だ。
 受け取ったヤンが封筒の中に、堅いものを感じた。
 データメモリ。
「先ほどお渡しした報告書は、明日の定例会議でアロンソ中佐を経由して、上層部に渡されます。ですが、おそらくはそれ以上は上がることはないでしょう」

 ヤンは隣で苦い顔をして聞いている。
 否定の言葉を告げることもできず、ただ手にした封筒の中身の感触を確認していた。
「そちらのデータメモリと同じものを、スレイヤー少将にお渡ししました。スレイヤー少将が信じてくださったのなら、少なくとも被害は抑えられるでしょう。そうなった場合に、そのデータの中から最適な行動をとっていただけることを、信じています」

「一つではないのかい」
「ええ。状況に応じて二種類の策を用意しています、どちらをとるかはお任せします」
「わかった。しかし、信じるか。私を信じていいものなのかな。残念だけど約束はできないよ。でも、できる限りのことはさせてもらう」
「その言葉で十分です」

 アレスが唇をあげて、紅茶を飲み干した。
 同じように、ヤンが紅茶を飲み干した。
「でも、もしこれが正しいのであれば、君がこれをもって、当日に進言するべきじゃないか」
「作戦参謀の尉官級は各艦隊に散らばるでしょう」
 言葉に、ヤンは頷いた。
 艦隊司令部の作戦参謀は、基本的には戦闘が起こるまでの作業が多い。

 と、言うよりも戦場で何十人もの参謀がいたら、収拾がつかなくなる。
 最低限の人数――佐官以上が艦隊司令部に残り、作戦指揮について案を出す。
 その他大勢の尉官は、各艦隊の分艦隊に配備され、艦隊司令部とのつなぎ役になるのだ。
「だが、それでも緊急時には別艦隊から案を出すことだって可能だろう」
「無理でしょう。私の当日の担当はスレイヤー少将の艦ですからね。そんな余裕はないかと」
「……な」

 ヤンが驚いたように、アレスを見た。
 なぜといった顔に、アレスは肩をすくめた。
「前線を希望したら、二つ返事で許可が得られました。ビロライネン大佐は、よほど邪魔だったようですね」
「何を笑っている。普通なら連絡員だって前線は避けられる――それもスレイヤー少将の艦は最前線じゃないか。君が言ったことが本当ならば、確実に君は」

 それ以上はヤンの言葉にならなかった。
 アレスの表情に浮かぶのは――笑み。
 そう、過去にヤンが目撃したことがある。
 戦いを前にした不敵な笑み。
 ゆっくりと唇をあげた、肉食獣のような獰猛さと狂人のような微笑。

 なぜ笑えるのか、ヤンは理解に苦しむ。
 同時に、彼がヤンに手渡した覚悟に背筋が震えるのを感じた。
 手にした封筒がやけに重く感じる。
 それを大切に撫でて、懐にしまった。
 落ち着けるように呼吸を吐き出して、肩をすくめる。

「また、ワイドボーンに怒られるよ」
「ええ。だから、当日までは黙っていてくださいね」
「それについては、約束しよう。そして、終わったら二人で怒られようか」
「ありがとうございます」

 笑顔のままで、アレスはお礼を口にした。

 + + + 

「それでは定例会議を終了と……」
「お待ちください」
 ビロライネンの言葉を中断させたのは、冷静なアロンソの言葉だ。
 発言の主を見て、ビロライネンは不機嫌さを隠さなかった。
 隣で、ヴィオラがはらはらと汗を拭いながら、アロンソを見ている。

 その視線は言葉を発しなくてもわかる。
 余計なことを言わないでくれだ。
 先週もそうであった。
 アロンソが発言したのは、当日のマクワイルド大尉の動向だ。
 マクワイルド大尉から直々に、当日は各艦隊との連携のために前線指揮艦に乗り込みたいとの申し出があったとのことである。

 ヴィオラは馬鹿だろうかと思った。
 艦隊司令部の作戦参謀に配属されるということは、前線に出ることはなくなるということだ。確かに情報参謀の下であれば、当日に意見を求められることも少ない。さらに言えば、訓練対応の参謀となればやるべきこともない。
 当日は分艦隊に乗り込んで、艦隊司令からの命令を伝達する役目になる。
 最前線に連携のために乗り込みたいなど正気の沙汰ではなかった。

 それを感じているのは、アロンソもそうだったのだろう。
 どこか疲弊しての、発言だったことを思い出す。
 おそらくはアレス・マクワイルドと何度もやり取りがあったのだろう。
 だが、それでも意見を覆すことができなかった。
 苦渋の決断だったのだろうが、各参謀の中でも、やり手であろうアロンソをここまで疲弊させるのも恐ろしければ、わざわざ死地に向かう意識もわからない。

 わからないが、それはビロライネンにとっては朗報だったのかもしれない。
 リバモア少将の言葉を待たずして、それならばと決めたのは最前線も最前線、第五艦隊のスレイヤー少将の分艦隊だ。アロンソ中佐は、せめてとばかりに第五艦隊旗艦にと否定を述べたが、もともと前線に出たいとの意見を出したのはアロンソ中佐だ。結局、ビロライネン大佐の言葉が通り、当日はスレイヤー少将の艦隊に作戦参謀補佐として配属されることになった。

 緊張に包まれる空気の中で、ヴィオラは息を吐く。
 そもそもヴィオラは、今までも、そしてこれからもおとなしく暮らしていきたいと考えている。
民主主義を守るための戦い。
結構じゃないか、だが、それで死ぬのはごめんだ。
 同盟軍に入ったのも、就職に際してそれが一番安定していたからだ。
 前線ではなく、後方士官として生活すれば、退職するころには老衰するまで暮らしていくだけの年金がもらえる。

 退職後の再就職を考えれば、十分すぎるほどだ。
 喧々囂々と互いが意見を主張する嵐のような会議など、望んだことは一度もない。
 どうかおとなしく終わるようにと考えた、ヴィオラの前にアロンソ中佐から配られた報告書を見て、ヴィオラは天を仰いだ。

 あ、だめだ、これ。

 + + +

 報告書を一度読んで、二度読んでからヴィオラは恐々とビロライネンの方を見た。
 震えている。
 その理由は分からなくもない。
『並行追撃作戦における、敵要塞からの砲撃の可能性について』
 と、銘打たれた報告書を読んで、怒らない人間などいないだろう。

 そもそも前提条件を、古いアニメさながらのちゃぶ台返しだ。
 敵に打たせないために並行追撃するのに、敵が撃ってきたら意味がないよね。
 子供でも考えつく論理に、思わずヴィオラはそう言いそうになった。
 実際に左右の各室の担当責任者は目を丸くしているか頭を抱えているかのどちらかだ。
 絞り出すようにビロライネンが口を開いた。
「これは何だ、アロンソ中佐」

「危惧された報告書です。現在のところ作戦の計画は練られているが、それが失敗した場合のことが考えられていないと。ならば、敵が並行追撃作戦を行った際に、味方事砲撃された場合にどうするか考えておいた方がいいかと」
「情報参謀の仕事か、馬鹿者!」
 叩きつけられた机がたわみ、派手な音を立てた。
 置いていた熱いお茶がこぼれ、リバモア少将が渋い顔をした。
 それに対してコメントをする余裕は、他にはない。

「考えるのは作戦参謀の仕事でしょう。だが、それは訓練がなければ何もできないと同じ。で、あれば訓練参謀としては、いかがかと要求せざるを得ません」
「そのようなことを、古くから杞憂という。君の部下は天が崩れる心配でもしているのか」
「天は崩れずとも、砲撃はボタン一つで起こりかねないことをお忘れなきよう」
「作戦参謀からそのような話は聞いていない」
「で、あればこれが最初の報告となります。判断は上にお任せいたしましょう」
「そうだな。シトレ大将が判断してくださ……」
 再び叩かれた音が、リバモア少将の言葉を奪った。

 真っ赤な表情で怒りを表す様子に、ヴィオラは他人事のように赤鬼だなと思った。
「結構。ならば、私からシトレ大将にはお伝えしておこう。いいですね」
「わかった。ビロライネン大佐に任せる、アロンソ中佐もいいな」
「報告があがるのであれば、どのような形でも構いません」
「では、これで会議を終了する」

 怒りをこらえきれぬように、配られた報告書を力強く握りしめ、ビロライネンは椅子をなぎ倒すように立ち上がった。
「アロンソ中佐。貴官は下からの意見を上に阿呆のようにあげるだけの人物のようだな。まだ録音機の方が安上がりだ」
「必要だと考えたから、あげただけにすぎません」
「戦術の何たるかをわからぬ、小僧の意見をな」

 吐き捨てるように言えば、ビロライネンは足音荒く立ち去った。
 扉が音を立てて閉まる。
 しんとした室内に、リバモアが大きなため息を吐いた。
 困ったように頭をかいた。
「アロンソ中佐。何を焦っているのだ」
 アロンソは片眉をあげる。

 あれだけ激しい言い争いをしても、眉根を動かさなかった彼にしては珍しいことに。
「部下が戦うというのであれば、それについては私も覚悟を示さなければならないと、そう思っただけです。不快と思われるのでしたら、失礼いたしました」
 珍しくも感情が込められた口調に、リバモアは困った様子を崩すことなく、首を振る。
「いや、私は良い。だが、君は面倒なことになるぞ。ビロライネンはロボス大将と親しいことを知っているはずであるが」
「ええ。存じております。ですが、だからこそ、ばかばかしい」

 断言するように言った言葉に、リバモアとヴィオラは目を丸くした。
「言葉が過ぎました。ですが」
 大きな息を吐いて、アロンソが言った。
「ある者から、小官は先があるというのならという言葉を聞きました」
「それは随分と酷い言葉だな」
「いいえ。小官はそうは思いません……先があると、今まで小官は思っておりました。そう言い聞かせて守ってまいりました。だが、先があると誰が決めたのだろうと思ったのです」

 独り言のような言葉に、ヴィオラは隣にいる年の近い軍人を見ていた。
「だが、私は家族を――守るために、軍人なろうと誓ったのです。妻を、子供を。だが、そんな子供は、今は士官学校にいて、戦うすべを学んでいる。守るために軍人になったにもかかわらず」
 アロンソは報告書を叩きつけるように、机に置いた。
 散らばった紙が、こぼれたお茶に汚れることを誰も見ることなく、アロンソを見ている。
「我々の仕事に先があってはいけないと、そう思っただけです。終わらせなければならないのです、こんなことは。それが我々の仕事のはず」

 力強く言って、アロンソは立ち上がった。
 さすがに言い過ぎたと思ったのか、冷静な顔立ちに一瞬後悔が浮かび、丁寧な敬礼をする。
「少し熱くなりました。私もこれにて失礼いたします」
 立ち去った室内に、残されたのはリバモアとヴィオラ――そして、他の者たちだ。
 アロンソが珍しくも感情を表に出して述べた言葉に、どこか興奮を浮かべる者たちとは別に、リバモアがきょとんとして、隣に座る第二室の中佐のお茶を飲んだ。

「アロンソ中佐に子供がいたって初めてきいたな」
「ええ。何と言いましたか、士官学校で、ライナ・フェアラートとか」
「あれ、名字違わないか」
「珍しいことですが、夫婦の別姓だそうです」
「ああ。なるほど」

 いつもと変わらないリバモアの様子に、ヴィオラが感じていた興奮はあっという間に冷めた。


 
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