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山内くんと呪禁の少女

作者:織部
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変生

 あまりに突然の予期せぬ再会にすっかり毒気を抜かれてしまった。
 山内くんの身の内にたぎっていた怒りと憎しみ、殺意が鳴りを潜める。

「封印が綻びかけてる、あとでちゃんと再封じしないとな」

 ふいに紺は身を乗り出し、右手を伸ばしてきた。その人差し指が山内くんの唇をかすめて離れる。

「それと、耳。血が出てる」
「だいじょうぶ。このくらいのケガ、しょっちゅうだから慣れてる」

 本当は少しどきりとしたのだが、紺があまりに無邪気に笑っているので変に意識しないよう、努めてポーカーフェイスを装う。
 それに生傷が絶えないのは事実だ。
 事実だった。
 山内くんは幼い頃から多くの災難に巻きこまれてきた。
 落ちてきた看板に肩を強打されて鎖骨が折れたことがあり、少しずれていたら頭に当たって死んでいただろう。
 はじめてのお使いで最寄りのコンビニに行ったときは刃物を持った半狂乱の強盗に人質にとられて半日連れ回された。
 しかも山内くんがコンビニに入ったのは店員からの思わぬ抵抗を受けて逆上した強盗が店員を刺殺した直後だったという、実に危ういタイミングだった。
 マンホールから下水に落ちたり、ハイキングでは霧にまかれて遭難したり、ふたたび誘拐されてバットで足を叩き折らり、列車が通過している踏切へと突き飛ばされたり、サイドブレーキがかかっていた無人車が歩道に乗り上げて押しつぶそうとしたり……。
 この不運不幸体質。いまになって思えば明町で起きた一連の事件に関する呪詛によるもので、いまは鳴りをひそめているのだが、とにかく薬のにおいや包帯と縁の切れない人生を送ってきたのだ。

「なにいちゃついてんだゴラァ! ガキのくせに発情期でもおっぱじまっちまったのかよ。……んあぁ? その制服、清女か」

 紺の着ている服は女子修道服を模した古風なデザインをしている。清麗女子大付属中等教育学校。清麗や清女の通称で呼ばれており、創立一二〇年。時代おくれが一周まわって特色と化した、この辺りでは有名な名門お嬢さま校の制服だ。

「やっぱ清女はかわいいね~、刻みがいがありそうだわ」

 カンバラの顔に嗜虐心と性欲が七・三の割合でブレンドされた歪んだ感情が浮かぶ。

「……なるほど、こいつも憑かれているくちか」

 普通の女子中学生なら泣き出してしまいそうな邪気をふくんだ視線を浴びていても、紺はものともしない。その目がすがめられ、カンバラが新たに取り出した赤錆の浮いたナイフを注視する。
 常人には感じることのできない禍々しい気が刃を包んでいることが紺の目には見えた。

「ま、憑かれたから破落戸になったんじゃなくて、破落戸だから邪剣に魅入られたって感じだけど、これの放つ陰の気に触発されちまったんだな。――山内、少しは落ち着いたか? それ、引っ込めろよ」

 紺の目線が異形のカラスに向けられ、それ呼ばわりされたされたおからすさまが抗議の鳴き声をあげる。

「ええと……、おからすさまおからすさま、お帰りください」

 素直に従う山内くん。だがおからすさまのほうは素直ではなかった。
 帰れと言われておとなしく帰れるか。嘴からはガアガアと、尻尾の蛇はシャーッと威嚇の声をあげ、猿の手のような足は地団駄を踏み、羽根をばたつかせて全力で拒絶の意を示す。
 おからすさまは山内くんの先祖が、祝部が巫蠱の術で作り上げた対人用の呪詛式。いちど召還されたからには血を見るまでは、命を啄むまでは帰らない。
 ひとたび抜き放たれたら必ずだれかを斬らねばおさまらぬ邪剣妖刀のごとき厄介な性分の持ち主なのだ。

「ちっ、しょうがねえなぁコレやるからおとなしくご主人様の言うこと聞けよ」

 紺が鞄から出したのは丸い飴玉。山内くんには見覚えがある、それはさっきまで遊んでいたゲームセンターのクレーンゲームの景品だ。珍しい外国産の、いかにも味の濃そうなチェリーキャンディーだったので覚えていた。

「紺、ゲーセン居たの? 清麗て、ああいう盛り場への立ち入りは保護者同伴じゃないと行けないんじゃ……」
「こまかいことはいいんだよ」
「でも、規則を破るのは筋が通らないことだと思うよ」
「そんなことより今はとっととおからすさま帰せ!」

 おからすさまは紺の与えた丸い飴玉を飲み込むと、山内くんの命令を受け入れて姿を消した。
 おからすさま、鉢割鴉は卵や丸いおにぎりや果物。とにかく形の丸いものを好み、お供えに求める。
 それは人の頭の代用。鉢割烏の鉢とは人の頭を指す。人の頭部を好んで啖うものなのだ。

「テメェ、コラ、クソガキ、無視すんなゴラァ!」

 いきり立ったカンバラが赤錆びた刃を振り回して近づいてくる。
 紺を守らなきゃ。だが山内くんが動く前に紺が動いた。

「陰陽に使役されし、彩鱗の式神よ、我がもとに集い、その力を示せ。疾く!」

 鞄の中からいくつもの朱色の塊が飛び出して凶刃を振るうカンバラの周りを飛び交う。
 金魚だ。
 赤い金魚がまるで水のなかを泳ぐかのように空中を飛翔し、撹乱する。舞い踊る蝶の群れや桜吹雪さながらに。
 これで凶刃を振るう暴漢さえいなければ、実に妖しく幽かな夢幻美の情景であったろうに――。

「うがぁッ! どりゃぁッ! ウボァーッ!?」

 奇声をあげてめったやたらに刃を振るうものの、かすりもしない。

「吾が心の臓は(あけだま)なり、軻遇突命(かぐつちのみこと)護り座ましますなり。奇火(あやほ)は神の身ゆ出でぬ、横津枉(よこつまが)れる(あだなえ)を、悉斬失(ふつかたえう)火剣(ひのつるぎ)、熾かりて焚きて障は消けにけり!」

 式神に足止めさせているあいだに紺は右手の指で剣指を作り、みずからの口元へ添えて祝詞を唱える。速い詞とともに吐かれた火が、青い帯のように指から手、腕にまで巻きついていく。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行!」

 臨める兵、闘う者、皆、陣を列べて前を行く――。
 火のまとわりからむ指を相手へと向けて振るう。九字切りだ。
 カンバラの身体は炎の格子に包まれ、燃え上がる。

「ぎゃーッ!?」

 炎はすぐに消えたが、カンバラは意識を失い、その場に崩れ落ちた。
 山内くんには見覚えのある術だった。去年の夏におなじように火炎を生じさせ、悪霊を祓ったところを直に見ている。

「それ、人にも効くんだ……。でもだいじょうぶ? けっこう燃えてたんだけど」
「物理的に燃えたりしないよう調整してある。燃えたのはよくないものだけだ」
「よくないもの?」
「そう。こいつに憑いていたよくないものを焼却したつもりだったんだけど、生焼けだったみたいだな。思ってたよりタフだわ、こいつ」

 地面につっぷしていたカンバラが上からの糸に引かれたマリオネットのような動きで立ち上がる。それは常人の所作ではない。

「ぐ、ぐうううぅぅぅウウウゥゥゥッ! GURURURURUッッッ!!」

 その身体から赤い靄のようなものが立ち上る。
 鬼気、邪気、妖気、瘴気――。
 山内くんはそれがそのような、禍々しいオーラのたぐいだと直感した。
 カンバラに起きた異変はそれだけではない。
 瞳から黒目がなくなり白濁し、肌が赤銅色に変色して筋肉が隆々と盛り上がる。こめかみのあたりが鋭く隆起してゆく。
 角だ。
 角が生えてきた。
 いまやカンバラの姿は物語に登場する鬼そのものと化した。

「きるきるきるきるキルキルキルキル切る切る切る切る、斬る、斬る! 斬るっ! すべてぶった斬るぅぅぅゥゥゥッッッ! おまぇらもぅ、おれもぅみんな斬るぅぅぅ~」

 剣鬼と化したカンバラが、こともあろうにおのれの腹にナイフを突き立てる。
 毒々しい鮮血がまき散らされ、血腥い臭気がただよう。
 血臭に込められた禍々しい気に影響を受けたのか、あたりの景観が歪んで見えてくる。路地裏だった場所は半ば異界と化し、山内くんは去年の夏に足を踏み入れた闇宮の中を思い出した。

 おぉい おぉい おぉい――。

 呼びかけるような声とともに、ざんばら髪をした白装束の老人たちや、ぼろぼろの甲冑を着た落ち武者のようなものらが路地裏の影から現れる。

 おぉい おぉい おぉい――。

 血塗られた刀や槍を手にし、怒っているよな笑っているような表情を浮かべて青白い鬼火につつまれているその姿は幽鬼そのもの、この世のものではないと一目瞭然だ。

 おぉい おぉい おぉい――。

 異形の群れが凄惨な表情を浮かべてにじり寄る。
 常人なら悲鳴を上げて逃げ出すか、腰を抜かして気絶するところだ。
 だが、山内くんがその凄惨な光景を目にして心に浮かぶのは恐れではなかった。
 妙に心がざらつく。山内くんは先ほどおさまった暴力衝動がふたたび湧いてくるのを自覚した。
 目の前で蠢く邪悪で醜悪な生き物を叩き潰したい。
 我が身を害そうとする身の程知らずの賊を八つ裂きにしたい。
 山内くんの身に宿ったなにかが反応し、牙をむこうとした。
 その瞬間。

 パァンッ!

 紺が両の掌を打ち鳴らした。柏手を打ったのだ。
 音に込められた冷たく澄んだ清冽な気によって周囲に満ちていた陰の気を祓い、さらにはふたたび鎌首をもたげていた山内くんの中の凶暴な気配をも消し飛ばしていた。
 それはまるでなんの前触れもなく全身に水を、滝のように大量の冷たく透き通った清水を浴びせられたかのようだった。
 突然のことにおどろきはしても、けして不快ではない。むしろ心地良さを感じる。
 だがそれは人の身である山内くんだからであり、陰の気に満ちたものどもには痛撃となった。
 狂相を浮かべて包囲の輪を縮めようとしていた異形の者たちのうち、一番手前のひとりが奇声をあげて弾き飛ばされる。
 紺の打った柏手の余韻が、きぃんとした硬質の音が鳴り止まずに、聖なる守護の円環と化して山内くんと紺を包んでいた。

「あのナイフの人、角が生えちゃったんだけど、いったいなにが……それにこの厭な顔の人たちって、だれ?」
「あのナイフ野郎は変生したのさ」
「へんじょう?」
「そう。生きながらにして人ならざる存在に生まれ変わること。仏の功徳によって善き存在に変生する例もあるが、こいつの場合は悪いものに、鬼になっちまった」
「生きた人間が鬼になっちゃうなんて、まるで『鉄輪』だね」
「お、『鉄輪』だなんてよく知ってるなぁ山内」

 鉄輪。
 愛する夫に捨てられた女が、憎しみの果てに鬼と化し、夫を取り殺そうとする。能の演目のひとつだ。

「――人の心には誰しも陽と陰がある。風の流れや川のせせらぎなど、この世界を形造る森羅万象にも同じように陽と陰がある。その陰に見入られた者は外道に堕ちると言われている。人ならざる、異形の存在へ。その法は外法と呼ばれ、人の世に今もなお密やかに受け継げられている。こいつはあのナイフを触媒にした外法によって鬼になっちまったんだ。――それと、この薄気味悪い連中は人じゃあない、通り悪魔だ」
「あ、悪魔ぁ!? 悪魔ってあの、デビルとかデーモンとかの悪魔のこと?」
「そう、その悪魔」
「でも、みんな日本人みたいな姿に見えるんだけど。着ているのも和風だし」
「悪魔という言葉はもともと仏典に由来する仏教用語だぜ。仏教の悪魔ってのは煩悩を擬人化した存在だ。サタンみたいなデビルや、バアルみたいなデーモンだけが悪魔じゃないぞ」
「サタンとバアル、デビルとデーモンてどう違うの?」
「デビルはギリシャ語でサタンを意味するディアボロスが語源で、サタンそのもの。あるいはアザゼルやルシファーといったキリスト教が出典の悪魔を指す。デーモンはギリシャ語のダイモンが語源。肉体を持たない精霊や鬼神のような存在で、キリスト教以外の神々もこれにあてはまる。仏教や神道の大日如来や天照大神もキリスト教から見ればデーモンだからな」
「へー」
「てんめぇぇぇらァァァっ、おれを、無視、するんじゃ、ねぇぇぇェェェッ!」

 カンバラの血刃が守護の円環に振り下ろされると、白い輝きがくすみ、柏手の残響音もかすかに弱まる。このまま攻撃を受け続ければ結界が破れてしまうことだろう。

「まったりとお話しするのはこいつらを退治してからだな。悪いけど、手を貸してもらう。もう一度こっち側の世界に来てもらうぜ、山内。そうしないと、おまえは禍津御座神(まがつみくらのかみ)に喰われちまうんだ」
「あいかわらず強引だね、最初に会ったときみたい」

 一年前の夏の日、山寺にある墓石の陰からひょっこり現れた紺の姿はいまでも鮮明におぼえている。死に装束のごとき白無地の帷子姿に白狐の面。しかも面を外すと朱唇からは細い青火が呼吸するたびに漏れているという。

「いいか、山内。力を制御しようだなんて思うなよ、力を受け入れろ。けれども流されるな」
「……むずかしい注文だけど、やってみるよ」

 山内くんは紺と肩をならべ、異形の群れへと立ち向かった。
 
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