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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第二十四話 逆鱗

帝国暦487年  4月 16日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸   ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「エーリッヒは職場では日々どうしていますか」
「公は職務に精勤しておられます……」
「そうですか」

ブラウンシュバイク大公夫人が溜息を吐いた。フロイラインも神妙な顔をしている。私の隣に座るフェルナー大佐にちらりと視線を向けた。大佐も神妙な表情をしている。おそらく私も同様だろう。まるで四人で葬儀場にでもいるような雰囲気だ。

「今日は一体何を?」
「詳しい内容はお話できませんが、ブラウンシュバイク公が宇宙艦隊司令長官になった事で宇宙艦隊司令部は新たに編成されることになりました。公は今新体制をどうするか、検討しておいでです」

私の言葉に大公夫人とフロイラインが顔を見合わせた。二人とも悲しげな表情をしている。事情を知らない人間がこの二人を見たらブラウンシュバイク公の事をとんでもない悪人だと思うだろう。

しかし事情を知っている私には何とも言いようがない。ブラウンシュバイク公の事を根性悪だとは思うが今回の場合、公を責めてよいものかどうか……。今一つ判断が出来ずにいる。

私達四人、応接室に居るけれど部屋は微妙な空気に支配されていた。重いというよりは居辛いといった空気だ。眼の前のコーヒーに手をつけるのさえ私は躊躇っている、フェルナー大佐も同様だ。許されるものならば脱兎のごとくここから逃げ出したい気分だ。

「熱が有るのに? 無理をしているのではないかしら? 私達に、その、分かるでしょう?」
心配そうな、戸惑う様な大公夫人の口調だ。フロイラインは泣き出しそうな表情をしている。ブラウンシュバイク公は今日熱を出した。本来ならゆっくりベッドで休むべきなのだろうが公はメックリンガー中将、シュトライト少将と共に書斎で打ち合わせを行っている。私はどういうわけか大公夫人に捉まり応接室でお話だ。

「宇宙艦隊司令部の新体制をどうするかは現在帝国軍が抱える最優先課題です。反乱軍の宇宙艦隊も新体制になり今のところは積極的な動きは見せていませんがこれ以上の遅延は許される事ではありません、帝国の安全保障にも関わります。先日の一件とは何ら関係無いと小官は思います」
「……」

大公夫人もフロイラインも納得した表情では無い。無理も無いだろう、私も今日は休むべきだと公に忠告したのだ。確かに宇宙艦隊司令部の新体制をどうするかは最優先課題ではある。しかし病身を押してまで行う必要は無い筈だ、今日一日ゆっくりと休んで明日取りかかれば良い。だが公は受け入れなかった。

先日の一件を怒っているのかと聞いたけど公は苦笑してそれはもう済んだ事だと返した……。おそらく本心だろうとは思う。しかし影響が全く無いと言いきれるだろうか。

副官を務めて分かった事が有る。公は自分が虚弱な事にかなり強いコンプレックスを持っている、体格が華奢である事にも強い不満を持っている。もしあの一件が無ければ今日は素直に休んだのではないだろうか……。あれは間違いなく公の逆鱗に触れたのだ。

もしかするとフェルナー大佐も同じ事を考えているかもしれない。無表情に黙っている大佐を見て思った。でもそれをこの場で言う事は出来ない。そんな事をすれば大公夫人とフロイラインを益々悲しませる事になるだろう。貴女達は養子を、婚約者を激怒させたのです……、そんな事とても言えない。フロイラインは泣き出してしまうだろう。

「それに戦場では熱が出ても指揮を執らねばならない時が有ります。前回の戦いでも、イゼルローン要塞の攻防戦でも公は病身を押して指揮を執りました」
「……」
うーん、まだ納得はしていないか……、無理も無いことではある、私だって説得力の無い説明だと思っている。

「ここ近年、帝国は有利に戦争を進めていますが戦争で勝つと言う事は決して簡単な事ではありません。ブラウンシュバイク公は小官の知る限り帝国でも屈指の用兵家です。ですがその公ですら勝利を得るためには非情な苦労をされておいでです」
「……そうですか」
大公夫人がまた溜息を吐いた。そして許しを請う様な表情で話しだした。

「悪気は無かったのよ。私達には男の子が居なかったし、妹の所にも居なかった……。息子が出来て嬉しかったの。優秀で頼りがいが有るし、それにカワイイんですもの。ついつい構いたくなってしまって……」
「はあ」

ちらりとフェルナー大佐を見た。大佐は無表情にコーヒーを飲んでいる。なんとか言ってよ、貴方親友でしょ。大体コーヒー飲んでるってどういうこと? 結構余裕じゃないの。ふてぶてしいのは美徳じゃないわよ、大佐。

「それでついお父様にもカワイイって言ってしまったの……。まさかあんな事になるなんて……、あの子を困らせるつもりは全然無かったし侮辱するつもりも無かった……、ただちょっと構ってみたかったの、今考えれば馬鹿な事をしたと思うけど」
「……」

その気持ちはとっても良く分かる。何処の家でも母親なんて似た様なものだろう。息子が可愛ければ可愛いほど構いたくなる。ましてその息子が有能で無鉄砲なのに虚弱でカワイイとなればなおさら構いたくなるだろう。嫌がる顔を見る事さえ楽しいに違いない。

でも困った事に公爵閣下はカワイイと呼ばれるのが何より嫌いなのだ。公は母親似らしい、母親の事は慕っているようで顔には不満は無いらしいがその事でカワイイと言われるのには我慢出来ずにいる……。まあ私が言わなくてももう分かっていると思うけど……。

先日、十三日に行われた元帥杖授与式、あれは悲惨な結果に終わった。おそらく、あの式典に参列していた殆どの人間が公をカワイイと見ていたはずだ。だがそうは思っても口にはしなかった。何と言っても相手はブラウンシュバイク公で帝国元帥で宇宙艦隊司令長官なのだ。宮中、軍の実力者をカワイイ等とからかう事は出来ない。

しかしその制約にたった一人、囚われていない人物がいた。皇帝フリードリヒ四世だ、皇帝は公式の行事の中で公をカワイイと評してしまった。悪気は無かったのだろう。おそらく娘である大公夫人から聞いていたからなるほどと思ったに違いない。だが皇帝が公式の場でカワイイと言ったのだ。他の人間が公をカワイイと言っても不都合は無い事になる。

しかも聞くところによれば公が皇帝の元から下がる間、皆が顔を伏せ笑うのを必死に堪えていたのだと言う。そして公は怒りに震えながらその中を歩いていたとか……。私はフェルナー大佐と共に紫水晶の間で控えていたから知らなかったけど想像するだけで寒気がする。

式典が終了するとブラウンシュバイク公は直ぐに宇宙艦隊司令部に戻った。地上車の中での公は当たり前だけど機嫌が悪かった、声をかける事が出来なかったほどだ。司令部に着いて決裁文書にサインを始めても不機嫌な表情は変わらなかった。

驚いたことに最初の二、三枚は力を入れ過ぎてサインを書き損じたほどだ。こんな事今まで一度も無かった、思わず目が点になって公をまじまじと見詰めた事を覚えている。

フェルナー大佐が司令長官室に転がり込んできたのは三十分ほどしてからだったと思う。大佐は顔を引き攣らせながら公に話しかけた。多分私も聞いているうちに顔が引き攣ったと思う。公とフェルナー大佐と私、三人だけの司令長官室は凍りついていた。

“あ、その、公?”
“エーリッヒで良い”
“いや、しかし”
“エーリッヒで良いんだ、アントン”

低い地を這う様な声だった。公は不機嫌そうな表情で決裁文書に視線を落とし大佐の方へは一度も視線を向けなかった。そして乱暴なまでの勢いで文書にサインをすると顔を顰めた。サインが気に入らなかったらしい。フェルナー大佐が蒼白な顔で私を見たけどとてもじゃないけど口など出せない。黙って見ているのが精一杯だった。

“落ち着いてくれ、な、あれは悪気は無かったんだ”
“あれって言うのは何かな、アントン”
“いや、だから、その、陛下が、卿を、カワイイと言った事だ”
“……”

恐る恐ると言った口調だった。私はフェルナー大佐を呆然として見ていた事を覚えている、大佐が情けなさそうな表情で私を見返した事もだ。そして慌てて大佐から視線を逸らしたことも……。多分私は心の中で皇帝を罵っていただろう、口に出していたら不敬罪で捕まっていたに違いない。

“エーリッヒ?”
“……落ち着いているよ、卿こそ落ち着いたらどうだ”
“そ、そうだな、落ち着こう。……あれは悪気は無かったって理解してくれるよな?”

懇願する様な口調だった。額から汗が流れている。ブラウンシュバイク公は静かに笑い声を上げた。視線は文書に落としたままだ。嫌でも怒っているのが分かった。雷鳴近づく、そんな感じだった。

“理解しているとも。だからこうして仕事をしている。そうでなければクーデターの準備でもしているさ、満座の中で恥をかかされたんだからね。そうだろう、アントン・フェルナー”
“エーリッヒ!”
悲鳴のような大佐の声だった。

“エリザベートを傀儡の女帝として私が全てを牛耳る。幸い正規艦隊の司令官は未だ決まっていない。このオーディンで最強の武力集団を率いるのは私とミューゼル大将だ。話の持って行き方次第ではクーデターは可能だ、そうは思わないか”
“馬鹿な事を考えるな!”

その声に公はようやく視線を大佐に向けた。鋭い視線だ、とても冗談を言っているようには思えない。気が付けば身体が震えていた。

“そうかな、馬鹿な事かな。地上戦力ではリューネブルク中将の装甲擲弾兵第二十一師団がこっちの味方になるだろう。先手を打てばオーディンを占拠するのは難しくない。憲兵隊は、……憲兵隊は割れるだろうな、だがそれなら連中は動けない、クーデターは十分に可能だ”
“……おい、お前”

震えは益々酷くなった。フェルナー大佐と私が固まる中、公が笑い出した。楽しくて仕方がないといった感じの笑い声だ。

“後世の歴史家は何と言うかな。ブラウンシュバイク公が反逆したのはカワイイの一言が原因だった。世にこれほど馬鹿げた理由で反逆した人間は居ないだろう、かな。それともこれほど馬鹿げた行為で臣下を反逆させた皇帝はいないだろう、かな。どっちだと思う?”
“……エーリッヒ”

“決意の言葉は我慢ならん、かな。いっその事この時を待っていたにしてみるか……。いかにも反逆者らしい科白だ、歴史家達が喜ぶだろう。エーリッヒ・ヴァレンシュタインは用意周到に反逆の時を待っていた、皇帝はそれに口実を与えてしまった……”  
“……”

“安心していい、クーデターなどしないよ。私は権力なんか欲していないからね。それに今クーデターを起こしても不安定な政権が出来るだけだ、碌な事にはならない、それが分かる程度には私は落ち着いているよ。でも少しぐらい想像するのは良いだろう、私にも楽しみが有っても良い筈だ”
“俺をからかったのか”

フェルナー大佐の抗議に公が肩を竦めた。

“からかった? いいや、忠告だよ、これは。アントン、早くブラウンシュバイク公爵邸に戻るんだね。そして皆にブラウンシュバイク公は反逆しかねないほど怒っていると伝えた方が良いと思う”
“俺にそんな事を言えと言うのか”

“言ってもらう、卿は私の親友なんだ、私を一番知っている人間が伝えるべきだと思うよ、私を笑いものにするのは危険だと”
“……”
“早く行った方が良いと思うね、私が想像して楽しむだけじゃ物足りなくなって本心からクーデターを起こしたいと考える前に。クーデターは何時でも起こせるんだから……”

公の声には笑いの成分が有ったけど目は笑っていなかった。フェルナー大佐も冗談ではすまないと分かったのだろう、“早まるなよ”と言うと慌てて部屋を出て行った。公はそれを見送ると詰らなさそうに文書に視線を戻した。

公がフェルナー大佐を脅した効果は直ぐに出た。その日の夜、宮中で行われた戦勝祝賀パーティ、多くの出席者がチラチラとブラウンシュバイク公を見て笑いを堪える中、皇帝が最初に声をかけたのは公だった。

“昼間、公にかけた言葉は決して公を侮辱するものに有らず、不快な思いをさせたようだが許せよ”
“はっ”
“公は皇家の重臣、今後とも帝国の藩屏としての働きを期待して良いか?”
“はっ、御期待に添うように努めます”

“うむ、先ずは祝着。聞くところによればエリザベートと正式に婚約したと聞いた。重ね重ね祝着じゃ。公なれば我が孫娘を託せよう、これ以後は公は皇族に等しい身となる、宜しく頼むぞ”
“はっ”

皇帝フリードリヒ四世がブラウンシュバイク公に最初に声をかけた。昼間の一件を謝罪し、公を帝国の藩屏と認めた上でフロイラインとの婚約を祝福した。そして皇族に等しいと言ったのだ。その意味が分からない人間など帝国には居ないだろう。

皇帝といえどもブラウンシュバイク公の扱いには気を遣わざるを得ない、そう言う事だ。これまで何処かで平民上がり、所詮は養子と公を軽んじていた人間達も改めて公が帝国の最重要人物なのだと理解したはずだ……。


「あまりお気になさる事は無いと思います。結果的には良い方向に動きました。公の御立場は以前よりも遥かに強まったはずです」
「そうかしら、中佐の言う通りだと良いのだけれど……」
「……」

大公夫人は懐疑的だ。多分、その事に一番懐疑的なのがブラウンシュバイク公自身だろう。フェルナー大佐が溜息を吐いた。私も溜息が出そうになったけど慌てて堪えた。大佐、貴方はブラウンシュバイク公爵家の家臣失格よ。フロイラインも大公夫人も呆れたような表情で貴方を見てる、後でこってりと絞られなさい……。




 
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