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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第六十七話まつりの仮面は何に憑く

 
前書き
平川利一 新星新聞社会部記者 元兵部省広報室勤務の退役中尉

弓月由房 故州伯爵・内務省勅任参事官の警察官僚

馬堂豊久 馬堂家嫡男、龍州より生還

弓月茜  故州伯爵家次女 馬堂豊久の許嫁 

 
皇紀五百六十八年 八月二十八日 午前第十刻 
新星新聞社会部記者 平川利一

 視警総裁官房から出てきたその男は下層のざわめきに耳を澄まし、静かに笑みを浮かべて歩みを早めた。鼈甲縁の眼鏡に仕立ての良い略礼服、秘書を伴っている壮年の男、内務省勅任参事官である弓月由房伯爵である。
 彼の左右前後には鋭い目つきをした男達が油断なく目を配らせている。

「これはこれは勅任参事官閣下。この度は視警院になにか御用事が?」「‥‥‥記者か、どこの紙だ」

「新星新聞の平川と申します」「背州の新進気鋭のところか、何用だ。会見なら今中条らがやっているだろう」
 そう、現在は警保局長官と視警院総裁の記者会見が行われている。その隙をついて非公式の訪問を行っていた伯爵が出戻るのだろう、と平川は張っていたのだ。
「お話だけでも」「話すことなど何もないだろう、貴様は視警院の広報でも尋ねておれば良い」
「何故中条局長だけではなく、閣下が御自ら視警院に?それも警保局長とは別の便で」「話す必要はない」

「疎開された龍州警務局のことですか?」「話す必要はない」

「疎開した職員達はこれからどのような職務に?」
「先の会見でも言っているだろうが、疎開民の転住支援と疎開先の地域安定が主な仕事になる事になるだろう」
 がっつくように前のめりで食らいつく記者とそれを躱す上流官僚、これだけならば珍しい光景ではない。元気のよい奴だ、程度で済む光景で終わる筈だった。
「それでは龍州の州庁や警務局の人員は内務省の采配で割り振られるという事でよろしいのでしょうか」
「うむ、そうなる、州庁は基本的に疎開民の支援と管理、及び復帰後の政策等を行う事になるだろう」
「幹部級の人員異動を行う予定はあるのでしょうか?」
「避難民達の状況変化に合わせて人員の調整が行われるだろう」

「天領の地域行政にこれまで以上に人務という形で内務省が介入していくように思えますが」
「そのような事はない。元来、人務権は本省にあるだろう、意思決定までに現場の声を聴くのは当然のことだ。今回も変わらん。無論、今回のような事案は州をまたぐ行政が必要になる。そうであれば内務省としての業務も増えて行くだろうがね」
 平川の目が鋭く輝いた。
「現在も続いている龍州民の疎開政策は内務省主導で行われたと伺っておりますが」
「現場の指導は州政府と州警務局が行っている。受け入れ先の調整や応援などは本省および各州政府、警務局が励んでいる、各地域及び本省が一体となった執行が行えているのであれば良い事だろう」

「疎開政策については内務省と兵部省の共同政策という事です、省内の調整だけではなく軍部との緊密な連携があってこそあの疎開計画は実現できたのだと思います」
「そうかね?」「今までの匪賊退治とは異なる大規模な軍と内務省の連携、その要となっているのが閣下だと」
 裏に何をにおわせているのか感じ取ったらしい弓月伯爵はゆっくりと相手を観察しながら答える
「私は勅任参事官として警保局の他局に跨る政策を統括している。疎開政策も出元は龍州庁だ」

「そしてその後押をし、軍部に通した」「必要な政策調整を行う事が私の仕事だ」
 空気の変動を感じ取った秘書官が間に入ろうとする。
「そう、その調整についてお尋ねしたいのです」「時間はあまり割けないが」
 それを押しとどめた内務省勅任参事官はゆっくりと歩みを進め、平川もそれに随行する。
「馬堂家と婚約関係をもった事で戦時において軍部の伝手を得られているのではありませんか?」「‥‥‥」
 答えることもなく由房は歩みを進める。答えるべき事は何もないという事だ。
「これからの内務省と陸軍省の連携を深めるにあたって参事官閣下としても辣腕を振るう機会が増えるのではありませんか?」
「それは公務に対する侮辱だ、馬堂家の者にも、私にとってもな。続けると厄介事を引き起こすぞ」

「これは失礼、ですが馬堂中佐がこの時期に皇都に戻るという事は何かしら弓月閣下としても良い機会ではありませんか?」「馬鹿を言うな、内務省が軍の運営に口を出すわけがあるまい」

「‥‥‥なるほど?」平川の質問をはぐらかしている――私的な事だと一度切り捨てた後に公私の曖昧な部分を突く、どうでも良い事なら隙を見せる、核心を突くときは――今のように論点をずらし、答えが返ってきたかのように錯覚させる。

「‥‥‥ふむ、ところで君の名は平川君で良いのかな?」「はい、閣下」「君、アレを」「はい、閣下」
 秘書が差し出したのは奇妙な安っぽいチラシであった
「平川君、もし君がこの “事後処理”が何を生み出すのか知りたいのならそこに行ってみることをお勧めしよう」「は、はぁ」
「君なら面白いものにたどり着けるかもしれないな、また会おう」
 すでに興味を失ったことを露骨に示す素振りで秘書を引き連れ伯爵は階段を下りて行く。

「――揺さぶるつもりだったが、誘われたか」

いわゆる位階持ち――上流階級を相手にまず必要なのは自分達が無知な羽虫ではないと教えることだ。そして揺さぶり、話をずらすなり怒りだすなり、相手の反応を引き出す。普段の取材でも似たようなことをやっているが手が莫迦でも周りに備えた口止め役が侍っているものだ。今回は違った。あの貴族は報道すらも堂々と自分の舞台で踊れとさそってきたのだ。
――否。それだけなら良いが何の役を割り振っているのか分かったものではない。何しろ相手は内務官僚、とりわけ天領行政官と衆民警官たちの支配者だ。奴らが誰を崇めるかといえば皇主の次に崇めるのは奴だ。
――だがそれだからこそ、か。知っておくという事は重要極まりない事だ。特に俺達のような稼業では

頬を張り、気合を入れなおす。そのような相手だからこそ、踏み込むことに価値がある。かつて将校だった時にもあれこれと将家連中相手に立ち回ったではないか。

 そして退役中尉の新聞記者は皇都の学士達が綴る歴史の裏でおきた騒動に足を踏み入れた。



同日 皇都 弓月家上屋敷 応接室
馬堂家嫡男 馬堂豊久


 久々の皇都――久々といってもほんの一月ほどなのだが戦塵にまみれていると皇都の生活がひどく懐かしくなる。
いの一番とはいえないが、私事に手が回せるようになって即座に転がり込んだ相手はいつものように静かに温かく迎えてくれた。

「お疲れ様です。豊久さん、また大殊勲を挙げたとか。皇都でもさぞお忙しいでしょうね?」
 弓月茜――弓月伯爵の次女であり、政治的な駆け引きの中で決まった馬堂豊久の許嫁である。
「大殊勲といっても結果論では不甲斐ない有様ですがね‥‥‥部下と運に恵まれました」
 豊久はわずかに頬を赤らめながら答える。どうにも彼女が苦手なのだ、恐ろしいわけでも嫌っているわけでもない、むしろ自分よりもはるかに“畏い”ひとであると一方ならぬ敬意を払っている。

「少佐から三か月で大佐、軍のことはわかりませんが――随分と身が重くなったように見えます」

「箔がついた――そう思うようにしています」
 意図的に軽薄そうに肩をすくめる。実情を彼女こぼしても何の意味もない、彼女の父に伝われば――などという考えに至ってしまう程度に。

「この国が滅びかけているとはいえども。否、滅びかけであるこそ貴方についた箔は重くなるものです」

「えぇまったく!おかげさまで肩が凝ってしかたありませんとも!」
 腹の底からこみ上げてきたものをどうにか冗句に捏ねなおす。
「――それに箔を使ってやる事はいくらでもありますよ。中央への働きかけは父上達でなければできませんが同じように前線と中央を繋ぐことは私にしかできません」

 誠心誠意御国の為などとは言えまいがな、と自分の中の何かが囁く。優秀な駒州の重臣はいくらでもいる。堂賀准将の伝手を使えば更に手段は増える。それでも自分で抱えたがるのは――聯隊長としての仕事は大辺達に任せてこうして皇都に訪れている――その理由は――すでに自分の行動がどこまでが“家”のものでどこからが自分の自由意志なのか疑問を抱く事すらなくなっている。

 ふ、と静寂の帳が下りる。茜は無言で豊久を見つめている。
「六芒郭に新城様がいらっしゃると聞いています、やはりその件の為にでしょうか?」静寂をすり抜けるように滑らかな声で問いかけた。
 
「御育預殿がいなければ北領でどうなっていたかわかりません。戦上手ですよ、貸しも数え切れぬほどありますが――」
 ふ、と無意識に“いつもの”微笑を浮かべていた。
「えぇ、借りはもう、返しきれぬほどです」

 友と呼んでよい筈の新城は既に最前線に踏みとどまっている、崩れかけた――否、崩れた部隊をかき集めて握りしめながら。己の命も、子供を兵として使い捨てる業も、何もかも握りしめながら。
誰の都合の為であろうか、俺の都合か、馬堂の都合か、駒城の都合か、守原の都合か、御国の都合か、いやその全てだ。
 ――あぁ彼が生死をかけて義理を果たそうとしているときに横槍を入れたのが俺だ。そう、もはや返しきれないだろうな。

「だからこそ、ですか」
 
「えぇ馬堂は新城に返しても返しきれぬものがあります‥‥‥それだけではありませんが」

 
「――無理をしないでください、とは言えないのでしょうが、それでももう二度と北領の時のような事はやめて下さいね?葵も何か考えているようですし、誰も彼も戦争の事ばかりになっています」
 
 茜が目を伏せてそういうと豊久は慌てて言葉を継ぐ。
「なんとかします。私たちが――新城、御育預殿がこの騒動の中心です。この騒動が収まれば葵君も――」

「次の騒動が始まる。この戦争が終わるまで――いえ、このままならば終わった後はなおひどくなる、そうでしょう?」

 
「それは――必要な事です。だからこそ天下は廻っているのです」

「――あなたは本当にそう思っていらっしゃるのですか?」
 顔をあげた茜の目は医師が患者を診るような怜悧な色を湛えている。
「‥‥‥」

「葵は致し方ないかもしれません、ですが碧も私たちが続ける騒動に未来を左右され続けるのは――」

「私は“馬堂”ですよ、駒州公の重臣で、軍人で、位階をもっています。貴女も伯爵家の御令嬢で――」
 豊久の言葉を遮り、常よりも強い口調で茜は言葉を紡ぐ。
「碧の姉です、貴方の許嫁です。どれが上という話ではありません。」

「それは――」

「違いますか?」
 そう言いながら茜はふわり、と立ち上がり豊久の隣にかけた。
「いいえそれは違います、違うのです――この国が無ければ我々はありません、私は将校です、この国が潰えるか、私が死ぬまでは」

「えぇその通りです」
 豊久の腕に茜は手をまわす。
「ならば――」

「それは将家、将校としての貴方です、豊久さん」

「私は将家の後継ぎであり、将校です」
 そう言いながらも茜の深い瞳から目を逸らすことができない。
 
「公私を分ける事と公で私を塗りつぶすのは全く異なります。貴方は公私を分けようと、過剰なまでに演技をしています。えぇ人の子であれば誰しも演技をするものです、特にあなたのような立場と考えの人はね――」
 茜は豊久の耳に唇を寄せ、囁いた。
「――ですが自分の作った仮面に振り回されるようでは――二流ですよ」

「わ、私は、ふ、ふりまわ‥‥‥」
 茜の視線から逃げてしまう。どこかで分かっていたことだ。
奥底で抱えていたものを口に出されたのだ、怒り狂うか受け止めるかくらいしか道はないだろう。

「貴方は皇都から離れた時にそれを弁えていた筈ですが――死人に揺さぶられましたか。」

「‥‥‥」
 茜の目を見返す、古池のような深い色の目が自分を見つめていた。
 ――あぁそうか、“そういう事”にしてもよいのか。そう言ってしまっても良いのか。言ってはならない、駄目だと縛っていたのに。畜生ここで言ってしまわねば正真正銘の愚か者のままだ。
 不安の炎が背筋を冷やし、胸を早鐘のように鳴らす。酷く喉が渇いた。物を捨てるどころか抱えた荷物を一時おろす事すら忘れたが故であった。

「上官であった人に、“後を頼む”、といわれました。部下であった者に“あなたのように正しくはあればい”、といわれました。“つかれていた”のだと思います」
 誰かのせいにしてはいけないと思っていたが――あぁくそ、政治屋面しても所詮はこの様とでもいうのか。

「考えすぎです、表だけ気の抜きどころを心得たふりをしてもそれではもちませんよ」

「――うぅ」

 時折心を読まれているのではないか、と思わせるほどに彼女は自分の内面を時折容赦なく引きずり出す。
 ――というよりもズルズルと自分で吐き出すようにしているのだろう――甘えているのかもしれない。まったくどうして俺の周りは皆こうなのだろう。
 羞恥の念に焼かれながらも――肩が軽くなった気がした。

「どうにも、どうにもいつも情けない有様ですね、許嫁なのに」

「だからこそ、といってくれれば満点なのですけどね」
 茜はそういって笑った。
「私の前でそうしてくれるから貴方を信じられるのですよ」

「それはまぁなんとも――」
 豊久もまた声をあげて笑った。どうであれここまで醜態を見せ続けている以上、彼女を信用するしかない。
 どのような賢しらに天下のまつりで踊ろうというのなら、主家すらもただの踊りの相手にしようというのならば、無様を見せても良いひとを一人は自分で見つけられたと思っていいだろう。
 ――弱音を知れば知るほど手綱を握りやすくできるからかしらん、と一瞬脳裏に浮かんだ思いをそっと心の棚の上に放り投げながら。
 
 

 
後書き
半年ギリギリの投稿となり申し訳ありません。
色々と立て込んでおります。亀更新が続きますが何卒これからも宜しくお願い致します。 
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