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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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人狩りの夜 後日譚

 空は仰ぎ見るものだが、体勢次第では見下ろしているように思えなくもない。
 草に寝転んでいると、眼下には天が深く沈んで見える。

「…………」

 レニリアの頭上にして眼下に星々の大海が広がっていた。
あれから――。
 時に攻性呪文をまじえての猛攻はすべて防がれ、そのつど大力鷹爪功、分筋錯骨手、岳家散手といった擒拿の技によって掴まれ、極められ、絞められ、地面に投げ飛ばされた。
 なんどもなんども挑んでは投げられ、挑んでは地面に叩きつけられた。
 秋芳は手加減しなかった。
 力と技と智恵を駆使して全力で挑んでくる相手に対して手を抜くことは、礼に反する。
 たとえ相手が一国の王女であっても。
 秋芳にとって、レニリアはアルザーノ帝国の王族である以前に怪盗ペルルノワールなのだ。
 ともに死線を潜り抜け、奸賊を成敗した義賊仲間なのである。
 そんな相手に手を抜く行為など、どうしてできよう。
 レニリアもまた、それを良しとした。
 所詮は王族。幼い頃より剣や魔術の鍛練や試合をしても、周りの人々はだれひとり本気を出してはくれなかった。
 大事な姫君を傷つけてはいけない、機嫌を損ねてはいけないと、腫れ物のようにあつかわれてきた。
 実力が上の者も、下の者も。
 今宵この時生まれてはじめて、完膚なきまでに打ちのめされた。
 本気で勝負し、打ちのめしてくる相手と、相まみれた。
 汗と土埃にまみれてなお輝く美貌に満足げな笑みが浮かぶ。

「星を見ているのか?」

 手合わせはいつの間にか終わった。
 どちらともなく、このあたりでいいだろう。という雰囲気になり終わりとなったのだ。
 レニリアは秋芳に投げ飛ばされて草むらに寝転んだまま、星空を見上げている。
 秋芳は岩の上に座って使い魔に取ってこさせた葡萄酒を飲んでいる。

「やりなおし」
「なに?」
「今の科白、俗な名前だけど姓は詩的な赤毛ののっぽさんみたいな声で『星を見ておいでですか、閣下』て言い直して」
「……雨というのは、消えた名もない星々の涙なのかもしれませんね」
「女々か! キルヒアイス女々か! それに広●雅志にも 梅原●一郎にも似てないし」
「ああもうキルヒアイスって言っちゃったよこの人。メタなネタはやめろっての。……先ほど、昨夜の人狩り貴族どもの掃討を命じたと言っていたが」
「ええ、今ごろ特務分室のメンバーが追跡しているでしょうね」
「実は、ひとり心当たりがある」
「お友だち?」
「いいや、たんなる顔見知りだ」
「助ける義理はある?」
「そんな義理も義務もない」
「良かった。お友だちだったら、あなたは全力でその人を守るでしょうね。そうなったら特務分室のメンバーのうち、半分くらいは殉職ものだもの」
「人を無差別殺人鬼のように言うな。……それと、俺は特務分室半分程度の強さなのか?」
「半分程度だという評価が不服? それとも思っていたよりも高評価だった?」
「……前者だ」

 元の世界では京子を救うため、十二神将を退け、○○○を制した秋芳である。
 おのれの強さにはそれなりの矜持はある。

「あははははっ! 言ってくれるわね。さすがはこのわたしを三十九回も投げ飛ばした人」
「投げ飛ばされた回数を勘定していたのかよ」
「もっと強くなって倍返しするためにね。それ、わたしにもちょうだい」

 手渡された葡萄酒を逆さに、白い喉を上下させる。およそ貴人に似つかわしいとはいえない行為だが、その姿が実に様になっている。

「あなた、弓もできるの?」
「いや、不得手だ。弓は儀式で射る程度しかできない」
「ふぅん、本当かしら。ちょっと見せてみなさいよ」
「見せるもなにも本当に苦手で――」

 レニリアは使い魔に弓と矢を取ってこさせて秋芳に無理やり引かせたが、その動きはぎこちなく、剣や格闘ほどの冴えはなかった。
 止まった的にはなんとか当てることはできるが、動く標的にはほとんど当てられない。

「さすがのレイヴンにも苦手なものがあったのね。多才な男性だと思ったけど」
「多才な男性を定義できるか?」
「ええ。音楽の知識があり、詩を詠えて、書画に通じて、舞踊に優れ、外国語が堪能で、弓馬刀槍の技に秀でて、拳闘と魔術を習得し、学識豊かで兵法にも通じた男性よ」
「まるで『高慢と偏見』のダーシーのようなことを言う」
「いい、三本撃ちの秘訣は指を四本、その間に矢を挟んで手の平を返して射るのよ」
「いや、無理だから。バーフバリやホークアイじゃないから、複数撃ちとか無理!」
「次は乗馬ね。馬に乗るときは鐙なしでもこうすれば――」

 夜は短いようで長い。
 ダール・イ・レゼベールの精神のもと、レニリアは剣と格闘について教えてもらったお返しに秋芳に弓馬の術を伝授した。

「――女王陛下の福祉政策は根本的な解決になっていない。あまりにも上から目線、一方的すぎるんだ。あれではクェイド侯爵のような、かたよった考えの差別主義者が生まれてしまうのもしかたがない」
「あの男に理解をしめすの?」
「いいや、そうじゃない。過度の弱者救済、外国人優遇政策は保守層や既得権益者から煙たがられるのは当然だろう。それなりに納得のいく説明をしないといけないし、貧者が金持ちから施しを受けることが当然だと考えるようになれば、彼らは自立し、みずからの力で生きることをしなくなる――」

 施す側の人間たちは自分たちが上の階層であることを、与えられる人間たちは自分たちが這い上がることのできない階層であることが普通だと認識する。
 こうした一方的な『福祉』は実は身分制度を強化する役割もある。
 与える人間が、与えられる人間よりも下になることは絶対にない。
 与える側の人たちは常に自分たちが上の階層であると意識し、与えられる人たちは自分たちは絶対に這い上がれない階層であるとあきらめる――。

「物乞いの人生が板につき、抜け出せなくなる、と言うのね」
「そうだ。施されるというのは、自分が相手よりも下であるという意識を刷り込む行為でもある。上から目線の押しつけがましい弱者救済政策の欠点だな」
「ではどうしろと? なにか改善案があるのかしら」
「浮浪し、正業を持たない無宿人や就職の困難な軽犯罪者らを集めた授産更正施設の設立だ。建築や製造などの、手工業に従事して技術を習得させる。賃金もきちんと支払い、自立の道をうながす。国が住職先を工面してやるんだ」
「……クェイド侯爵の甘言に乗せられた人たちは職を求めていたわ。犯罪に手を染めることなく、きちんとした仕事を。彼らに安全な仕事を紹介してあげられる」
「そうだ。それにくわえて教育だ。図書館は学者や魔術師といった知識層だけのためにあってはいけない。言葉が苦手な外国人、健康に不安を抱える高齢者、文字の読み書きが苦手な人々。様々な事情を抱えた人達が文化を学び、味わうのに役立つ施設であるべきだ。移民や貧民のなかには家で落ち着いて勉強できる部屋のない子どもたちがほとんどだろう。本がある落ち着いた環境で勉強できることが必要なんだ。図書館はもっと敷居を下げて一般に開放するべきだろう」
「帝国公用語以外にも、様々な国の言語を訳した書物が充実すれば、他文化の共生を目指すアルザーノ帝国の姿をよりいっそうアピールできるでしょうね。母国語と多種多様な外国語、双方を重んじれば結果として国民の文化的素養も上がるわ」
「そのとおり。さすがレニリア姫は聡明だ」
「その意見。カモ・アキヨシ騎士爵からの上奏として、わたしから女王陛下に伝えておくわ。……お母様のことだから、きっと喜んでその提案を採用することでしょう」
「アイディア料は出るのかな?」
「……『黄金の小鳩亭』の割引券なら」
「せこい! 割引券て、せめてお食事券とかにならんのか」
「このわたしが私財を投じてお礼をしようというのよ、感謝なさい。あそこのキドニーパイは絶品なんだから」
「おれはシェパーズパイのほうが好きだな」
「それなら『鉄の旋律亭』の割引券を――」
「また割引券か!」
「なによ、じゃあ馬を贈るから乗馬について今夜学んだことを復習しなさい」
「いきなり馬かよ! 割引券から飛躍しすぎだろ」
「なら、なんならいいのよ!」

 後日、馬と割引券の間を取ってオルランド~フェジテ間で使える馬車の乗車券が秋芳のもとに届けられるのであった――。





 ホテル 『ゴールデンシープ』の一室。カブリュ・ヴァドール伯爵の背中に鍼を刺す秋芳の姿があった。

「ううむ、これぞ妙技……、なにやら筋肉がほぐされ、身体中のこりがなくなっていくようだ」

 彼は明日からの長旅に備えて秋芳に鍼灸を頼んだのだ。

「ところで頭が痛いのになぜ脚に鍼をするんだい?」
「頭が痛いからと頭を直に治す……。急を要する場合はそれでもいいでしょう。しかしそれは拙速というもの。頭は五臓の血、六腑の気がすべて集まる大事な場所、重要な器官。なので五臓の血を巡らせ六腑を解毒することで根源的な治療を施すのが最上。巧遅は拙速に如かずという言葉がありますが、それも時と場合によりけり」
「騎士爵殿の国の医学は実に興味深い。できればいつか東方諸国を巡ってみたいものだ」
「今回の旅はまたずいぶんと遠出になるそうですね」
「ああ、セルフォード大陸の果ての果て。レザリア王国の版図である遥かな異境、風と炎の砂漠を越えた先にある幻の都を目指すのさ」
「なるほど。さすがにそこまで遠くへ行けば、特務分室の追っ手からも逃れそうですか、マスク・オブ・イーグル卿」
「――ッ!」
「兵は迫り来て衣は血に染まり、混沌の中あなたと視線を交わす。蹄の音は響き心千々に乱れる。なぜ先のことはわからないのか。聞かず問わず心の葛藤も忍ばず」
「それは、私の詠んだ詩だ」
「心に響く、良い詩です。このような詩を創れる人が、なぜ無抵抗な人々を虐殺するのです。ボルカン人を惨たらしくいたぶり殺すのです」
「……そうか、あの時ペルルノワールとともにいた鴉仮面の男は君か。ふふふ、強い強いとは思っていたが、まさかかの騎士爵殿だったとはね。悪魔殺し、シーホークの救世主の名は伊達ではなかったということか」
「クェイド侯爵はすでに縛につきました。ライスフェルト・ズンプフ侯爵は民衆の手で処断され、マンティス卿をはじめとする暴虐貴族の面々も遠からず、特務分室の手により捕まり、裁きを受けることでしょう」
「…………」
「さっきの質問ですが、なぜです? なぜあのような良き詩を創れるあなたが、残酷な遊興に耽るのです」
「人の死ほどに、興を掻き立てるものはないからさ。生々しい生と無慈悲な死。人の生き死にを目の当たりにしなければ、詩想がわかないのだよ。命がけの戦い、生死をかけた決闘、死にもの狂いの闘争……。そのような真剣勝負は技量にかかわらず良いものだ。決する瞬間にたがいの道程が花火の様に咲いて散る。まさに浪漫!」
「あなたは人の死に悦びをおぼえ、それを糧にして詩才を得ていたというのか……」
「それがなにか問題でも? 君とて人の死を糧にして今の強さを手に入れたのではないかい、敵の命を奪うことに悦びを感じていないのかい、カモ・アキヨシ。合成魔獣どもを屠ったあの動きは幾度も死線をくぐり抜けた者にしかできない強者の動きだった。生きるか死ぬかの殺し合いに勝ち残ってきた者のみが身につけられる実戦闘法! 訓練場では絶対に習得できぬ修羅の業! 今までに幾人の人をその手で殺めてきたんだい」
「……」
「いいや、答えなくてけっこう。そんなこと、おぼえていないだろう。人が『生きる』ために食べたパンの数なんて、わざわざ記憶してなんかしていないだろうしね。そんなことよりも、君のその力と技だよ。マンティコアの毒針をかいくぐると同時に首をはねた神速。ストーンカの硬皮を貫いた怪力。バジリスクの返り血を巧みに避ける技巧。まさに達人! このヴァドール伯カブリュ感嘆の極み!」
「……」
「ふっふふふ、なぁ、どうだい。殺した数をすべておぼえていなくても、印象に残った相手のことはおぼえているだろう? どんな相手とのどんな死合いが一番楽しめたか、教えてくれないか?」 
「……離別の憂いを苦い酒で飲み干す」
「……誰のために生きるのだろう」
「静かな夜はいつまで続くのか」
「忠義のため我が命を捧げよう」
「銀の鎧をまとい戦に身を投じる」
「血を流すのは天下泰平のため」
「覇を競わず欺くこともせず」
「「真の英雄はなにも恐れない、英雄が悔やむことはない」」

 これは、カブリュ・ヴァドール伯爵の詠んだ詩の一節だ。

「俺が昂るのは悪人を誅するときのみ。悪人とは権力(ちから)暴力(ちから)で無辜の民草を虐げる者。ヴァドール伯爵、昨夜のあなたたちがまさにそうだ」
「殺すつもりかい? たしかに今ならその長い鍼で心臓をプスリと刺せばイチコロだ」
「そうしようとも考えていましたが、やはりあなたの詩才は惜しい。たった今あなたの詩を吟じて改めてそう思いました」
「才能に免じてゆるしてくれるのかな」
「それは、あなた次第です。実は鍼を通してあなたの体に呪を注ぎ込みました」
「なっ!?」
「あなたが『次』に暴力と殺戮に興じれば、『それ』はあなた自身を苦しめ、滅ぼすことでしょう。暴力ではなく芸術に生きてくれることを望みます。……ああ、残念だ。実に残念だ。カブリュ・ヴァドールという人物が、血ではなく酒で詩想を湧かせる李白や杜甫のような人であったら良かったのに。そうすればこのような外法の業をもちいることもなかったのに――」

 秋芳の声は徐々にすぼまり、遠くから聞こえ、科白の後半は聞き取れなかった。
 いつの間にか開け放たれた窓からの風がカーテンをゆらしている。

「……ブラフ(はったり)だ」

 呪文を唱えたそぶりはなかった。【カース】などかけられようがない。
 だが――。
鍼 を刺すとき、小言でなにかつぶやいていたような気がする。あれは、ルーンだったのだろうか? ひそかに呪文を、魔術を行使していたとしたら――。
 ほんとうに【カース】がかけられていたとしても、自力で解呪している時間はなかった。
 特務分室が動いている。あせらず、目立たず、ごく自然にオルランドを、フェジテから離れなくてはいけない。
 【リムーブ・カース】ならレザリア王国でもできる。
 カブリュ・バドール伯爵は予定通り、翌日早朝。多数の護衛とともにオルランドを出立した。





 わずかな草木と岩ばかりの荒野を獣の群れが疾駆する。

「ぐあぁぁぁっ!?」

 足首を噛まれ、引きずり倒された男の喉笛に獣の牙が食い込む。
 
 獣――シャドウ・ウルフ。
 鋭い牙と爪、熾火のように光る目、夜闇に溶ける影のような漆黒の毛並みを持つ狼型の魔獣。その狩猟行動は獰猛惨烈で大型の野牛すら餌食にし、ときに熊や虎をも集団で狩り殺す。レザリア王国の辺境を旅するカブリュ・バドール伯爵の一行はシャドウ・ウルフの群れに襲われた。
 多い。
 実に五〇匹近い数だ。
 大陸でも街道をはずれた僻地や森の奥で不運な旅人が遭遇することのある魔獣だが、一度にこれほどの数の群れに遭うことはないだろう。
 せいぜい一〇匹前後といったところだ。
 それが、この数である。
 広大なレザリア王国の辺境は、アルザーノ帝国の辺境のそれよりも、遥かに広く、深く、闇が支配している。人の手のおよばぬ魔境が広がっていた。
 八人いる護衛が、ひとり。またひとりと、魔獣の顎に捕らわれ、餌食となる。
 そんな酸鼻を極める惨状を、酔いしれたように見つめるカブリュの姿があった。

「人が、獣に喰われる! 弱肉強食! グゥゥゥレィィィトゥゥゥハンティーングッ!!!! 野性の脅威の前には文明人など無力! なんという無慈悲な光景か、なんという無残な顛末か、このヴァドール伯カブリュ感嘆の極み! 人が生きるか死ぬかの瀬戸際こそ、最高のドラマ! これだから旅はやめられない、これこそ創作意欲をかき立てられる源泉!」

 この男は、人の死を楽しんでいた。
 この男は、人の死によってでしか、おのれの創作欲をみなぎらせることができない。
 そのために、創作の贄とするためにわざと必要のない護衛を雇い、危険な旅路を選び、この惨劇を招いたのだ。
 最後の護衛が斃れ、鋭い牙と爪で生きたままはらわたを引きずり出され、貪り喰われる――。
 残った獲物は、ただひとり。

 GRURURUruru――。
 
 気の弱い者が聞いたら失神してしまいそうな恐ろしいうなり声を上げて、カブリュの周囲を取り囲む。
 だが、なかなか襲いかからない。
 カブリュがまったく恐れを抱いていないからだ。
 シャドウ・ウルフには恐怖察知という魔獣ならではの能力があり、恐怖心の有無によって対象を襲撃するかを決める習性を持つ。
 そのことがシャドウ・ウルフたちを逡巡させた。

「ああ、楽しかった。大自然の脅威を目の当たりにできて、ほんとうに良い体験ができた。これは妙作が創れそうだ。それじゃあ、さようなら――《耀き太陽よ・地に墜ち・爆ぜよ》」

 灼熱の炎が吹き上げ、爆炎の障壁と化してシャドウ・ウルフたちを飲み込んだ。
 黒魔【フレア・クリフ】。自在に操作することが可能な炎の壁を生み出す【ファイア・ウォール】の上位呪文。
 その炎熱温度は最高で一〇〇〇度に達する。
 黒い毛並みが大気を焼き焦がす紅蓮の炎に焼かれ、数匹の魔獣が黒焦げの骸となり、肉が焦げる異臭があたりに満ちた。

「ぐわぁッ」

 沸騰した熱湯を浴びせられたかのような激痛がカブリュの身を襲った。
 痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、熱い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛、痛、痛、痛痛痛痛痛痛――。

 カブリュの手足が、顔が、腹が、背中が、全身のいたるところが真っ赤に染まり、焼け爛れ、火膨れが生じた。
 自身の放った【フレア・クリフ】に巻き込まれたわけでも、失敗して暴走したわけでもない。そのような下手を打つほどカブリュの技量は稚拙ではない。
 では、なぜか?
 なぜ、突如として火傷を負ったのか?
 不測の事態に対する混乱、そして恐怖。
 ここにきてはじめてカブリュの心に恐怖が生じた。

 GAAAッッッ!

 それに反応して一匹のシャドウ・ウルフが飛びかかる。

「《雷槍よ》!」

 とっさに撃った【ライトニング・ピアス】が魔獣の頭部を撃ち抜くと同時に、カブリュのひたいを焼け火箸でえぐられたかのような激痛が走り、鮮血がしたたる。

「グギャァァァッ! 《雷槍よ》!」

 苦痛に耐えて呪文を行使。
 雷閃が魔獣たちの胴を貫き、四肢を断つ。
 そのたびに、カブリュの肉体は傷つき、激しい痛みにさいなまれる。

「の、呪いか?」

 ここにきて、ようやく自らの身に生じた異常の正体に思いあたった。
 相手にあたえた痛みと傷が、おのれに反ってくるという呪い。
 それが、秋芳のかけた【カース】の内容。

「だ、だかすべてのダメージがそのまま反ってくるというわけじゃない。それなら最初の【フレア・クリフ】で私も黒焦げになっていたところだし、【ライトニング・ピアス】で頭を貫かれて即死していたところだ。決して一撃で死なぬよう、致命傷にはならないよう加減が生じる」

 即死級のダメージをあたえても、それがそのまま反ってはこない。だが、深傷と呼んでもさしつかえないほどのけがをする。

「は、ははははっ! ずいぶんと手の込んだことをしてくれたじゃないか。騎士爵殿!」

 カブリュの全身は重度の火傷と刺し傷によって真っ赤に染まっていた。早急に治療を施さなければ、命を落とすくらいに。
 だが――。

 GAAAッ!

 たおしてもたおしても次々と襲いくる魔獣の群れを前に、治癒魔術を使うひまはない。
 そして一匹たおすたびに深傷が増える。

「【スリープ・サウンド】や【痺霧陣】などの非殺傷呪文で傷つけずに無力化すれば……。たがこちらにも効果がおよべば? 魔獣に囲まれた状況で体の自由や意識を失ってしまうことになれば――」

 【ラピッド・ストリーム】などを駆使して、一気に離脱する手もある。だが、恐怖と痛みによって千々に乱れた心は冷静な判断と行動を遅らせた。
 魔獣のあぎとが足首に食い込み、筋を噛みちぎり、引きずり倒す。
 地面に倒れたカブリュの体に殺到する魔獣たち。

「こ、これが死か。これが死か、騎士爵! ぐわぁぁぁァァァッッッ――」

 喉笛を引き裂かれ、数多の詩を詠んだ口からは大量の鮮血が噴水のように溢れた。
 鋭い牙と爪に掻き切られた腹部から湯気の立つはらわたを引きずり出され、貪り喰われる。
 吟遊詩人として名を馳せたカブリュ・バドール伯爵は辺境の荒野で生きたまま魔獣たちの餌食となり、その生涯に終止符がうたれた。
 彼の本性を知る者は少なく、彼の死を知る者はいない。だが、彼の名声と遺した作品は世の人々の記憶に長く残るのであった。 
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