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越奥街道一軒茶屋

作者:綾瀬紫陽
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棺運びと猫

 今日は久しぶりに宍甘の旦那があっしの茶屋に寄ったんですよ。しかも旦那が時間に余裕があったみたいで、かなり長い時間話し込んじまった。それこそ、まだ昇ったばっかりの太陽が、南の高いところまでくるまでの時間でさぁ。
 数か月とか、菓子の材料がギリギリになるまで顔を見せなかったもんだから、もう嬉しくって仕方なかったですねぇ。

 話が弾むのは、殆どいない常連さんの一人だからってぇのもあるんでしょうが、ちょっと恥ずかしい話、あっしが旦那に懐いてるからってのがデカいんでしょうな。
 なにせおふくろが生きてたころからの常連だ。あっしにとっちゃ、正月に顔を合わす親戚とか、そういう人なんですよ。

 話してたのは、近頃の街や国の様子とか、特に変わり映えしない旦那の商売事情とかが殆どでしたねぇ。他のお客さんともするような世間話だが、下手したらあっしよりも軽い調子で話す旦那とだと、他のお客さんの比にならないくらい楽しい。

 しかもこの日は、もう一つデカいことがあった。
 前にあった棺運びの旦那が、またこの宿に来てくれたんですよ。
 相変わらず真っ黒で寡黙な感じでしたが、二回目だからか、前来た時よりは少し力が抜けた感じでしたねぇ。

「誰だい? このいい顔した兄さんは」

 あっしが宍甘の旦那と話している時の調子で棺運びの旦那に話しかけると、宍甘の旦那がすぐに反応しやした。流石にあっしの態度を見て、常連かどうかを見極めるくらいお安い御用な人なんでさぁ。
 まぁそれで、宍甘の旦那に棺運びの旦那を紹介しようとしたんですがね、よく考えてみたら、旦那の名前を知らないんですよ。二回目のお客さんなんで、当然っちゃ当然のことだったんですがねぇ。

「俺は、莞柳《かんりゅう》という」

 あっしの様子を見て、旦那が先に名乗っちまった。
 そん時のあっしが、よっぽど気の抜けた顔をしてたんでしょうねえ。宍甘の旦那があっしを見て大笑いするんですよ。
 んで、そんな宍甘の旦那を見て、莞柳の旦那まで苦笑する始末。あっしの店にいる筈なのに、あっしが一番かっこ悪いみたいになってて、自分のことながらちょいと滑稽でしたよ。

 宍甘の旦那はちょっとの間笑ってたんですがね、その声の合間に、違った声が聞こえたんですよ。
 丁度莞柳の旦那の足元から聞こえたんで見てみると、なんと猫がいた。
 この近辺にゃ、普通の猫は一匹もいないんでさぁ。不思議に思ってみてると、莞柳の旦那がそれに気づいた。

「村を通った時、そこに居た野良猫が俺についてきたみたいだ。最後に猫がいるようなところを通ったのは結構前だから、中々根性のある猫だ」

 そう言って腰を下ろして、猫を撫でるんですよ。
 旦那の顔が心なしか緩んで見えたのは、気のせいでしょうかね……。

「それにしても、茶屋に人が集まってるってぇのに女っ気がねえなあ」

 喋って乾いた喉に茶を流し込んだ宍甘の旦那が、一息ついて口を開きやした。そんで、一瞬はっとした後ににやっとしたんですよ。
 不味い、って思った時にはもう手遅れでした。

「お前、女ものの服着てみたらどうだ? その風体なら美人になるだろ?」

「アホなこというのはやめてくだせえよ!」

 女装なんてとんでもない。そんな変な趣味、あっしにゃありやせんって。
 宍甘の旦那があの顔をした時は、大抵変なこと考えてるんでさぁ……。
 一連の茶番を、莞柳の旦那は黙って見てやした。表情一つ変えないほうが逆に怖いんですがね……。

「女なら、その中にいる」

 急に口を開いたかと思えば、こっちはこっちで変な冗談を言う。旦那が示したのは、自分が運んできた棺。
 すると変なところで調子にのる宍甘の旦那が、反応して棺の顔の部分をちょっと開いたんですよ。

 その瞬間、旦那の顔が一変しやした。

 棺から覗いたのは、美人とも醜いとも言えない、ごく普通で初老の女でした。

「どうした」

 鋭く宍甘の旦那の顔に気づいた莞柳の旦那が、あっしの代わりに聞きやした。

「いや、ちょっとな……。こりゃ本当にたまげた」

「知った人なんですかい?」

 さっきまでの空気は消え去って、旦那の顔には冷や汗まで浮かんでたんでさぁ。

 宍甘の旦那は、丁寧に棺を閉めると、あっし達に向き合ったんです。
 旦那が話したのは、もう十数年も前の話でした。
 昔旦那が老舗の菓子屋をやってたのは、あっしもおふくろから聞かされてたことだったんですがね、それが潰れた理由までは知らなかったんですよ。旦那曰く、旦那の店が潰れた原因は、店に強盗が入ったからだと。

「この女、老けてはいるが、確かに俺の店に押し入った中にいた。あん時に捕まらなくて、もう二度と顔合わせるなんてねぇと思ってたんだがな」

 普段見せないほどに、旦那は深刻な顔をしていやした。当然のことですわなあ。旦那は店が潰れてから、結構な数の苦労を乗り越えてきたんでさぁ。

「なるほど。奇縁、という奴だな。俺がこの女の死体を任されたのも、この道を通ったのも、全部自分で決めたことだ。あんただってそうだろう?」

 ほうと一つ溜息をついて、莞柳の旦那は棺に目をやりやした。
 確かに奇妙な縁、としか言いようのない話でさぁ。死に目に遭いながらもなんとかそれを乗り越えた宍甘の旦那と、旦那がそうなった遠因のある女が、長い年月の末ここでまた出会った。しかも片方は物言わぬ死人。
 ここまでの偶然、あっしは見た事ねえ。

 そんな風に驚いてると、突然物凄い風が吹いてきた。地面の砂が舞って目も開けられない、風圧に押さえつけられて身動きも取れない、っといった特大の奴でさぁ。
 一瞬風の音しか聞こえなくなりやしたが、次の瞬間、風は何事もなかったように止んでいる。
 風が止んだ後恐る恐る目を開けてみやしたが、やっぱり何もなかったみたいに、縁台も、その上の菓子や茶も無事。
 宍甘の旦那も莞柳の旦那も何が起こったのかわからないのは同じみてぇで。

 変わってたのは、棺と、ずーっと莞柳の旦那の傍にいた猫だけ。

 女の入ってた棺と猫が、跡形もなく消えてるんでさぁ。
 辺りを見回しても、カゲすら残ってない。

「お、おい。棺はどこ行ったんだ!」

 宍甘の旦那が慌てて言いやした。まあ普通はそうなりやすよねぇ。旦那は棺に気を取られて、猫のほうには気づいてねぇみたいでした。

「火車がでた」

 あっしと莞柳の旦那の声が、ぴったり揃いやした。

 火車は、猫みたいな恰好をした、バケモノというよりは地獄からの使いみたいな奴で、悪事を働いた人を、棺ごと地獄へ連れてくとかいいやす。
 風が吹いて棺が無くなったら、まずこれの仕業で間違いないんでさぁ。

 この事を宍甘の旦那に言ったら、旦那は少し考えて、顔をあげやした。

「地獄の使いが、気持ち悪いくらい粋な計らいをしたってぇことかい?」 
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