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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第23夜 刮眼

 
 永い、果てしなく永い時間。その間、ずっと夜を彷徨っていた気がする。

 夜。連綿と続く、恐怖と喪失の暗幕。
 未知と呪獣を覆い隠し、道半ばで潰えた命を吸っても尚、光を持ち得ぬ怪物。
 そこでトレックは、『恐ろしいもの』を見て、それに呑まれた。

 水面を揺蕩い続けるような、曖昧な感覚。そこに光が差し、意識が浮上していく。
 誰かが、手を引いているような温かさ。逆光に隠れて見えないそれを確かめようと、ひたすらに目を凝らす。するとうっすらと、ぼやけた視界が鮮明になっていく。

(あれ………俺、なんでここにいるんだっけ)

 寝ていたのは、どうやら客室のようだった。4つのベッドにテーブルや椅子が並び、少なくとも自分の住んでいた宿舎の一部屋よりは創意を感じられる。そのベッドの一つの上に、トレックはいた。この光景、この状況に既視感を覚え、何だったかと考える。

(そうだ、ドレッドが死んで、俺はギルティーネさんに………)

 目線が部屋の中を探す。あるのはテーブルに乗った自分自身の武器。
 あの鍵束――はない。他には果実や軽食と水があった。
 ひどく喉が渇いている事に今更気付いたドレッドは、思うように動かない体に鞭うって立ち上がり、手を伸ばした先にあった洋ナシを掴んで皮ごとかぶりついた。お世辞にも食べやすいとは言えなかったが、水分と糖分が喉を通して腹に貯まり、そこでやっと自分が思いのほか飢えていたことにも気付く。
 トレックはそのまま軽食を口に詰め込んで水で流し込み、少し咽せながらも胃にものを流し込んだ。そして呪法で胃を活性化させ、急速に栄養を吸収する。急いでいる時に時々使う手だ。

 続いて習慣で装備を纏めようとし、ふと自分が服を着ていない事に気付く。周囲を見渡すと自分の法衣が壁かけにぶら下げてあった。ただし、シャツだけは自分の着ていたものとデザインが違う。それを見て、無意識に自分の左脇腹を抑えた。体が先に動き、やがて脳が理解に追いつく。

「上位種に腹を……それで、ギルティーネさんが……」

 抑えた脇腹に目を落とす。包帯も何も貼られてはいないまっさらな肌の上に、傷跡はない。ただ、何かが命中した後のように、うっすら黒い半円のような線があった。心当たりはある。これは呪獣の攻撃を受けた際に体内に残留した呪素のようなもので、生活していればいずれ消えていくものだ。症例は極端に少ないが、特別な害はない筈だ。それが証拠に、何の違和感も感じない。

 試しに押してみるが、内臓がきちんと詰まって機能しているように思える。あれほど深く貫かれたのに、全く欠損がない。よほど優秀な『流』の呪法師による治療を受けたのだろう、トレックは感心さえしていた。

 しかし――疑問も湧く。

 自分は生きてここにいるという事は、結局ギルティーネに喰われた訳ではなかったのだろうか。確かにあの時、ギルティーネが自分の血塗れの腹に一心不乱に口を吸いつけていたのを見た筈なのだ。それともあれは、死の淵に瀕したトレックの見た幻だったのだろうか。

 あの瞬間、喰われるのも是としていた自分を思い出し身震いする。人間、本当に終わる時はあんな悍ましいことまで考えてしまえるのか、と。
 ともかく、服を着て装備を整える。あれほどの傷を負ったのなら倒れてから数日は経過しているかもしれない。ふと武器をどけた後のテーブルにまだ何かあると思ったら、教導師からの伝言だった。内容に目を通すが、最初に読んだ内容と同じではないものの、ほぼ同じ事が書かれている。

 ギルティーネ・ドーラットをパートナーから外し、別のパートナーを用意するという点も、替わっていなかった。

「…………」

 結果的に――多分だが、呪獣を倒すことは出来た。しかし護衛対象の俺に重傷を負わせてしまったのなら、ギルティーネへの評価は変わっていないのかもしれない。依然、彼女は『人喰い』のままだということだ。

 それも、元はと言えば最後の判断を誤り、止めを確実に刺さなかった自分のせいで。
 かっ、と頭に熱が湧いた。何と無力で愚鈍で半端な戦士だ。
 これでもまだ試験合格だと、大手を振って通りを歩けなどするものか。

 見捨てて他人だと言えばそれで切れる縁なのに、想像するたびに何度も彼女のいた孤独な独房を思い出す。光も差さず、音も碌に聞こえず、自力で背を掻くことさえ出来ない厳重な鉛色の錠に自由を閉ざされた世界に生きなければいけないのが、あんな儚げな少女だということに幾度でも憤怒を覚える。

 ――不意に、そうか、と思う。

 自分は、ギルティーネに自分の隣にいて欲しいのだ。
 何にも拘束されずに歩き回り、光を感じて欲しい。
 何を考えているか分からないから色々と考えさせられる不思議な彼女の自由になった所を自分の目でしかと見つめ、彼女を遮る闇がないことに安堵したい。

「だったら、もう有効期限だとか何だと下らない御託を並べなくて、一つの要求だけ通せばいいんだ。でも、材料に何を提示すれば――俺の命令がまずかったという話はあの教導師には通じない。だったら何だ?何が材料に――」

 頭の中にある、使えそうな情報をかき集める中、後ろのドアが開いた。

「ああ、目覚めたのか。思ったより早かったのだな。治癒した者の腕に感謝すべきだ」
「――っ!!」

 後ろから聞こえた声には、聞き覚えがあった。
 しかし、その声の主を想像した瞬間、トレックは「あり得ない」と即座に否定した。
 何故ならその声は、思い浮かべた声の主にしてはありえないほど柔和(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)だったから。

「ステディ。ステディ・メリオライト………」
「うん?私の顔になにか問題があったか?鏡は見たつもりだが」

 そこには、鬼の形相でトレックの顔面を殴りつけた筈の女が、どもまでも柔らかな物腰で立っていた。

「俺の顔を拝みたくないんじゃなかったのか?」
「ああ、そんなことも言ったな。だがいい。もういいのだ。お前の顔などどうでもいいほど、私は機嫌がいい」

 一方的にこちらを罵り殴った女と同一人物とは思えない程に柔らかな笑みを浮かべた彼女は、どこか嬉しそうに手に持った銀のペンダントを撫でている。呪法具だろうか、その表面には五行式をはじめとした呪術の印が複雑怪奇に彫り込まれている。
 あのペンダント一つが、主を見捨てられたと激憤する彼女の心を宥めたというのだろうか。

「それ、は?」
「これはドレッド様の『こころ』だ。お前とあのドーラットという女と共に、ここに戻ってきた。あのまま行方知れずになるかと思っていたが……お前たちがドレッド様を殺した呪獣を撃破したから見つかったのだ。ああ、ああ……本当に、本当に……」

 その時のステディの言葉が真実であることを疑った訳ではない。
 ただ――ただ、ペンダントをいとおしそうに撫でる表情が、その形見らしきものを『こころ』と呼ぶその姿が、そして主を無くしたのにペンダントが戻ってきただけでこうも豹変する彼女が――美しいのに、とても病的に狂った存在に見えた。

「――ところで、なにか独り言を言っていたが、悩みでもあったか?お前には大恩が出来た。協力できることならしてやってもいいぞ」
「……ぁ、ああ」

 そのどこか少しだけ高慢な態度に、はっと我に返る。異常に思えたのはきっと、彼女の欠落による情緒の不均衡なのかもしれないと思い直し、それなら言葉に甘えるかと思う。

「ええと、俺が倒れてからどれほど?」
「半日しか経っていない。まったく、お前を見つけた者の中に呆れるほどの『流』による治癒の使い手がいたようだ。お前の服はこの砦に着いたときには夥しいまでの血痕が付着していたのに、お前の体の傷は綺麗に塞がっていた」
「砦に着くまでに………いや、そういえば誰が俺をここまで?ギルティーネさんか?」
「いいや、あのドーラットと共に運ばれてきたぞ。あの女、暫くお前を抱いて離さなかったな。『猿』の連中を手古摺らせていた」
「そう、か………うん、ありがとう」

 短い会話だった。しかし今のトレックには、とても重要な会話でもあった。
 トレックの感謝の言葉にステディは一瞬虚を突かれたようにきょとんとし、何故か苦笑した。

「やはりお前は分からん。しかしドレッド様の言葉を継ぎ、お前にもこれから敬意を払うことにしよう」
「そうかい。まぁ、いつか一緒に仕事する日も来るか」

 彼女が俺に敬意を払う。まったく想像できなかったが、払ってくれるならいい事だ。内心でとんとんと話の進む不気味さを感じながら、トレックは優先順位に従って教導師を探しにいった。


「………ふふ。トレック・レトリック。次からはトレック『様』。ご許可をくださいますか、ドレッド様?」

 ――遠ざかるトレックの背中を見つめながら、ステディは恭しくペンダントに話しかけていた。
  
 

 
後書き
見返してみると色々細かなミスがあったので修正して回りつつ。
個人的には、ステディのシーンの出来栄えは当初の予定以上。延期も悪い事ばかりじゃない。 
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