| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

嗤うせぇるすガキども

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

戦車は愛と正義を否定する 前編

 
 
 
 
 
 この日、本当なら「少年悪魔」はオフだった。
 しかし、誰かは知らないが人間の分際ででたらめな魔方陣を書いたものがいたせいで、無理やり地上に呼び出され、その結果いま彼は海の上にいる。
 正確に言えば、聖グロリアーナ学園艦の舳先にある「紅茶の園」とかいう古めかしい建物の裏の人工林の中だ。

「何だよお前は、ガキじゃないか。
 僕はもっと強力な悪魔を呼びつけたんだぞ!」

 この男、人(ではないが)を強制的に召喚しておいて、ずいぶんな言いぐさだ。
 周囲には生け贄に使ったのであろう動物たちの惨死体が無数にころがり、すさまじい血のにおいが漂う。

『ふーん。
 強力な悪魔というなら、このくらいのことができればいいのか?』

 少年悪魔は右腕を真横、聖グロ艦の左舷に伸ばし、手のひらから閃光を発した。
 そのとたん自然界では決してあり得ない波高200mはありそうな津波が起こり、こっちに向かってくる。
 全長10kmを超える洋上の10万都市、聖グロ艦といえども転覆は必至だ。
 召喚主は、驚愕の視線のまま凍り付いている。

『冗談だ』

 少年悪魔は手のひらを閉じて、腕を引っこめる。
 たちまち津波は消え去り、もとの穏やかな海面にもどる。何もなかったかのように。
 彼は、眼前で顔面蒼白になっている「召喚主」を観察する。
 おそらくは、高校生の男。
 それがなぜか聖グロのロイヤル・ガードを模した、赤黒のタンクジャケットに黒のスラックスという服装に身を包んでいる。
 少年悪魔はいぶかしがる。

『聖グロリアーナ女学院は、いつから男女共学になったんだ?』

 召喚主は胸を反らしてこう答えた。

「ちがうな。この僕だけが特例で入学したんだ。
 いいか? 女子校に男子生徒を入学させてはならないと書いてある法律はない!」

 少年悪魔は肩をすくめた。
 ああ、そいつは確かに事実だ。条文で禁止している法律はない。
 つまり特別法がないのだから、一般法に従わなくてはならない。
 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
 権利の濫用は、これを許さない。
 どこに書いてあるかは、角谷杏なら知っているだろう。
 こんな当たり前のことをなぜ法律の最初に書いておくのかと、少年悪魔は疑問に思っていたが、目の前の召喚主を見て納得した。

『では、契約の条件は?』
「僕はお前と対等以下の契約など結ぶ気などない。
 まだ気がつかないのか? バカが。お前は僕の下僕だ!」
『つきあいきれんな……』

 どっちがバカだかと背中に書いて、少年悪魔は去ろうとする。ところが……

「と・ま・れ」

 召喚主がオーダーすると、少年悪魔は足を宙に預けたまま、片足で静止した。

「そのまま首だけ後ろに向けろ」

 少年悪魔は片足立ちのまま、首から上だけ180度回転させて召喚主を見る。
 これは確かに悪魔にしかできない。
 犬が真後ろを向くことができるのは、頸椎をUの字に曲げることができるからである。

「わかったら、僕を「ご主人様」と呼べ」
『……下僕はあるじを御名(ぎょめい)でお呼びするのが習いでございます』

 壊れた人形のようなポーズのまま、少年悪魔はそう答えた。
 召喚主はしばらく考えるそぶりだったが、そういうことなら仕方がないと思ったようだ。

「僕の名は、玖波碧暁だ。わかったか小僧」
『おおせのままに。碧暁さま、……なんなりとお申し付けください』

 まことに名は体を表すという言葉どおりの人間のようだ。痛すぎるという意味で。






 玖波は少年悪魔をともなって、本来なら「ノーブル・シスターズ」しか入ることを許されないクラブハウス、「紅茶の園」こと、ビクトリアン・ホールに入ろうとする。

「玖波様。おまちください」

 その入り口で、彼らをさえぎる女生徒が一人。「ノーブル・ネーム」をニルギリという。

「この場所に出入りできるのは、名を許されし『ノーブル・シスターズ』のみ。
 まして男性がこの場所に出入りすることは許されませぬ。どうかお引き取りを」

 玖波は、ニルギリを完全に無視して中に進む。
 ニルギリは先回りして両手を広げ、なおもさえぎろうとする。
 玖波は、そのニルギリの手首をつかむと、思い切りねじった。
 しかし、声も上げず玖波をにらむニルギリ。

「三下風情が、この僕に意見しようというの?
 何が『ノーブル・シスターズ』だよ。
 誰一人、操縦でも射撃でも運用でも、この僕に勝てなかったじゃないか。
 僕は、そんなノーブル・シスターズなどより『優秀な』人間なんだよ。
 わかったら黙って通せよ。それともかわいい手首を壊されてもいいの?」
「金で破門者を雇って身につけた技のどこが戦車道……うぐっ!」

「……通して差し上げなさい」

 玄関の奥から声がして、ニルギリに玖波を通すように促す。
 ニルギリは驚いた。

「ダ、ダージリン様……」

 それを聞いた玖波はニルギリの手を離し、彼女を床に突き飛ばした。

「ノーブル・シスターズの長はわかってらっしゃるようだ。
 リーマン・ショックの余波で傾いた、気位だけは高いこのお嬢さま学校を救ったのは 誰なのか。
 中で僕と少し話そうよ」
「……これから全体練習ですので……」
「……君、聞こえなかったみたいだね」

 玖波は、ダージリンに氷点下一歩手前の視線を向けて、薄ら笑いを浮かべた。
 やむなくダージリンは、アッサムに自分の代わりを務めるよう指示した。
 粛々と承ったアッサムは、ルクリリやニルギリ、他のノーブル・シスターズのメンバーたちをともなって「紅茶の園」から退出する。表情には何も出さず。

「みんなよくできた淑女だね。
 では、僕たちはアフタヌーン・ティーでも楽しもうじゃない」

 玖波はダージリンなる女生徒の肩に手を置き、テラスへ誘う。
 少年悪魔は、三歩遅れて彼らに付き従った。



 テラスにおかれた豪奢なテーブルと、テーブル一つあたり二脚がおかれた椅子。
 ハウスメイド風の衣装を着た職員が、玖波たち二人が座るテーブル席にティーセットをおく。
 きちんと「ゴールデンルール」に則った100%ダージリンの典雅な香りが鼻をくすぐる。
 しかし、さっきからその席で交わされる会話、いや、玖波の一方的なしゃべりは、それにふさわしいものとはおよそ言えなかった。

「なあ、君も思うだろ?
 僕のような逸材を、性別だけで埋もれさせておく愚をね。
 僕なら、世界一の戦車乗りにすらなれる。
 ……答えろ。なぜ連盟は僕を認めない?」
「……」

 初めから認めるはずもない。
 戦車道とは、先人たちがその血と命でようやく獲得した女たちのサンクチュアリなのだから。
 そしてこの男は、自分がどれほど愚劣なことを語っているのか理解していない。
 それは、今の相撲界を見ればわかることだ。上には上がいるのだ。
 そして「国技」というより「日本固有の武道」というのがふさわしくなりつつある大相撲の後を追うことになるのだろう。戦車道も。
 大相撲なら「国技」という建前を守る方法として「力士の帰化」という手段があるが、戦車道の場合は「乙女のたしなみ」というテーゼを永久に放棄することになるだろう。

 返答の代わりに黙ったままテラスの外を眺めるダージリンは、そう考えていた。
 室内で直立不動の姿勢で、身じろぎ一つしない少年悪魔は、まるで人形。

「西住の家だな……。だがそれも、もう終わりだ。
 文科省の学園艦教育局は、一人なら例外として認めるべきだと次官を通じて大臣に上申した。
 局長は僕を支持している。連盟理事長も裁可に動いている。
 しかし、理事会が僕の入門を認めない。
 最大流派の西住流が強硬に反対しているからだ。
 最高師範自らが「外道」と呼んでいるそうだ。この僕を。極道の分際で。
 だから対抗勢力の島田流の支持を、辻局長に取り付けに行かせている。
 児玉理事長といっしょにね」

 愚かなことを。ダージリンという女生徒は完全に制御された微笑の奥でそう思う。
 児玉理事長など連盟のお飾りに過ぎない。
 戦車に乗ったことすらない「男」が、宗家や館長の誰に戦車道を指南できるというのだろうか。
 そのようなものを理事長として戴く理由など一つしかない。
 この国に古くから巣くっている連中との窓口だ。
 辻なる官僚もまた、その一味に過ぎない。
 従えられて、ものを従えるのが女だと、13世紀の先覚者がすでに喝破している。
 男などエサさえあてがっておけば、いかようにも動かせるのだ。
 その中でももっとも有力なエサは、女自身だ。
 確かに戦車道は内部でつばぜり合いしているように、抗争しているかのように見えるだろう。
 北辰一刀流系、高島流砲術系の西住家と戸隠流系、根来、雑賀衆砲術系の島田家は、水と油かもしれない。
 しかしこの若様は、一つ大事なことに気がつかない。
 男が敵であるときは、女は大同団結するということを。
 卵黄を混ぜれば、水(酢酸の水溶液)と油も混ざるのだ。
 まして、西住が極道なら、島田は「魁! 女塾」だ。
 どっちもヒゲが生えていそうだ……。ブロンソンヒゲとダルマヒゲ。

 これ以上ここでそれを語っても仕方ないと悟ったのか、玖波は矛先を目のまえの女生徒それ自体に移す。
 ダージリンはいきなり肩を抱き寄せられる。
 目のまえには、玖波の顔。

「――なあ、今日こそ家にいっしょに来てくれないかなあ。
 ヘリを待たせてあるんだ。
 そして明日の朝、実家からここに直行して皆に見せつけてやろう。
 そうすれば僕と君の中は公認だ。さあ……」

 そしてそのまま口づけを迫る玖波。
 いままでなんやかやあたりさわりのない方法でかわしてきたが、もう彼女には打つ手のストックがない。しかもさんざん焦らされて導火線に火が付いているようだ。
 困ったことになった。逆らえばどんな報復をしてくるだろうか。
 その時であった……。かすかに電子音が聞こえてきた。

「ん? 僕のスマホか? この着メロ」

 ダージリンにとって幸運なことに、玖波の口説きもそこまであった。
 彼のスマホに着信があったのだ。
 発信者は「辻康太」とあった。

「ちっ、これからいいところなのに……。もしもし、何だ?」



 ……そして辻の話を聞いた玖波は、一人でヘリに乗って実家に帰ることになる。
 お飾り理事長とトップ官僚は、やはり彼の実家に車を飛ばして向かっている。
 少年悪魔は、当然その場所まで魔法で跳躍する。






 まったく要領を得ない二人の大人に業を煮やし、けんもほろろに追い返した玖波は、自室と言うには広すぎる二十畳間に少年悪魔を呼びつけた。

「ひごろから金と権力で手なずけてやっているのに、役に立たん奴らだ」

 そう吐き捨てる玖波を、感情の全くない少年悪魔の瞳が見ている。
 そこからは何の感情も思考も読み取れない。

「……というわけで、お前の出番だ。動け」
『何をせよと仰せなのでしょうか?』
「知れたことを。西住最高師範と島田宗家を洗脳してこいと言うのだ。
 お前ならたやすかろう」
『……無意味にございます』

 できるできないではなく、無意味。
 こいつはガキの分際で、人をバカにでもしているのか?
 そう思った玖波は一瞬沸点を超えそうななったが、なんとか押さえつける。

『たとえ二大巨頭が貴方を門人にせよと言ったところで、師範たちがうなずきませぬ。
 逆に狂を発したと思い、座敷牢にでも放り込むことでしょう
 それとも碧暁様は、それがしに世界の半分を洗脳せよとでも』
「そうだといったらどうする!」

 少年悪魔の感情のない瞳がしばらく床を眺めていた。

「できるのか? できないのか! さっさと答えろ。
 僕は自分が手にいれたいと思ったものは、どんな手段を使ってでも手にいれるんだ」

 少年悪魔のガラス玉の瞳が、再び正面を向く。
 彼は無表情のまま、再び口を開く。

『我が君主、大公爵アスタロト閣下のお力添えをいただいてもよろしいでしょうか?』

 ほほう、こいつはそんな大物の部下だったのか。どおりでと玖波は思った。
 玖波も、魔界四大巨頭の名ぐらいは知っていた。
 魔王夫妻に次ぎ、天界四大天使と拮抗する大悪魔。

「よかろう。その伝手をぞんぶんに使い、僕の望みを叶えよ」
『かしこまりました』

 あいかわらず人形のようなそぶりで、口だけを動かして答える少年悪魔だった。






 四半刻後。
 少年悪魔は自分の主君の返答を得たとして、玖波の部屋に戻ってきた。

『主君は仰せです。
 貴方様がこれより四つの試練をうけ、ひとつでも成就できたら望みを叶えようと』

 その主君がここに来ないのを不愉快に思う玖波。
 しかし、そのくらいの譲歩は何でもない。世界の半分が手に入るというなら。

「いいだろう。
 その試練とかを受けてやろう。僕は世界最強の人間になれる男だ。
 そのくらい達成できないはずがない」
『御心のままに……』

 少年悪魔は目を閉じ、礼節にかなったお辞儀を返す。



「時間が惜しい。早く試練とかを始めろ」
『では、冷製菓子をひとつ。完食してください』
「冷製菓子?」
『は、地上では「ぱふぇ」と呼ばれる猛毒菓子とか』
「パフェだと?」

 パフェ?
 玖波は鼻で笑う。
 むろんレギュラーサイズのパフェの事などと思っていない。
 鬼盛りやテラ盛りパフェのことだろう。
 だが、その程度のものでどうにかなるほどヤワな胃袋ではないぞ。
 玖波にもそう考えていた時期がありました。とでも言えばいいのだろうか。

「ふん、そんなのはおやすいご用だ。
 約束を果たせと、お前の主君に言っておけ」
『こちらでございます』

 少年悪魔はあいかわらず感情のない声で答えると、その「ぱふぇ」なるものを転移させた。

『……なんだこれは?』



「32ぽんどぱふぇだそうです。
(とある大洗の)戦車道女子は、これを30分で完食するとか」

 玖波は、そのどこにでもあるようなテラ盛りパフェをみて、これのどこが試練だと思う。
 せいぜい10kg、トップに乗っているのは小ぶりのアンガスメロンのようだ。
 リンゴが丸ごと何個かのっているのは、笑いを誘う。
 せめてルビーロマン(ひと房10万円以上)のテラ盛りでもしてくれなければ興ざめだ。
 こいつならいいとこ2万キロカロリーだろう。
 こんなパフェ、せいぜい3万円がいいところだ。
 大悪魔のくせにしみったれている。一杯50万円、10万キロカロリーでも平気だ。
 事実玖波は1日に20万キロカロリーの食事を摂取しているが、体重は63kg程度だ。

「ふん、この程度とはな。一つ目でクリアだ」
『それでは、お急ぎお召し上がりください。
 制限時間は30分ですので』

 30分?
 余裕がありすぎる。人をバカにしている。
 玖波はそう思った。

「まあ、見ていろ」



 それから10分経った。
 玖波はあっさりテラ盛りパフェを食いつくし、ご満悦である。

「ふん。世界最強を目指す僕がこの程度……」
『碧暁様、いっこうに「ぱふぇ」が減っておりません』
「はあ? 何言ってるんだ。
 このとおり完食し……」



 カラのはずのガラス容器に、食べ尽くしたはずのパフェが鎮座している。
 こいつ、魔法を使ったなと、玖波も感づいた。
 そしてついに彼の忍耐は閾値を超えた。

「卑怯だぞ! 魔法を使うなど」

 少年悪魔は、まったく感情のない顔のまま、こういうだけだった。

『何もしないでいらっしゃったのは、碧暁様の方でございます。
 時間はあと20分しかございません』
「くそったれが!」

 しかし、もう玖波の胃袋が限度だと訴えている。
 彼は急に吐き気をもよおし、大理石の豪華な彼専用の厠に駆け込む。
 後から後から、彼の胃の内容物がこみ上げてくる。
 それだけではない。大腸までいかれたようだ。
 あわててズボンとパンツを脱ぐ玖波。
 しかし、大腸は彼の意に反した行動をとる。

 大理石の厠を吐瀉物とその他の汚物まみれにした彼が落ち着きを取り戻し、シャワーを浴びて身繕いを女中たちにさせて部屋に戻るまで、ゆうに2時間が必要だった。
 聖グロ仕様のタンクジャケット一式が、悪臭まみれのゴミと化した。
 もっとも掃除したり始末するのは玖波本人ではない。






『一回目の試練は、失敗にございます。
 主君からそのように伝えよと仰せつかりました』
「畜生おおおっ! 地獄にでも落ちろ!」
『我々はそこの住人でございますれば。
 いやいや、ぱふぇなるものは、大層身体にお悪うございますな』

 それについては、まったくの事実である。
 健康に留意するもの、特に男性は、決してパフェなどに手を出してはいけない。
 毒である以前に婦女子のお菓子だ。恥ずかしいこときわまりない。
 だが、「パフェ中毒」の種は尽きないようで、この国では鬼盛り競争が続いている。
 嘆かわしいことだ。
 なお、パフェを食えば不倶戴天の仇敵二名と日和見の三者が和解すると言われているが、それは山本玲(※某一次創作の方)による捏造である。
 パフェを食うぐらいで平和が来たら、誰も苦労はしない。

「さっさと次の試練とかの準備をしろ!」

 半分八つ当たり気味に命じる玖波。
 少年悪魔は無表情のまま、まるでからくり人形のように、いったん部屋から退出する。






 10分ほどたってから、玖波の豪華子ども部屋にもどってきた少年悪魔は、次の試練の準備が整ったと報告する。

「で、今度は何をしろと言うんだ?」

 少年悪魔は手をテーブルの上にかざして、なにやら呪文らしきものを口の中で唱える。
 テーブルの上に自然にあらざる光が浮かび上がり、やがてそれは6つに分かれて同じ大きさの長方形に凝縮し、光が消えると同時に6枚のカードになった。
 6人の女性らしき人物の写真? ではないかと思えるものだ。

『この中に、女性ではないものがあるそうです。
 それをひと目で当てて見せよとの、マスターの仰せでした』



 玖波には、こんなバレバレのがいる時点で終わりだろうと思った。
 どう見ても男の女装としか思えないのが1枚ある。
 彼は、とても審美眼には自信があった。
 祖父の所に出入りする骨董商が持ちこむ書画のたぐいに贋作があると、ひと目で見抜く。
 美術品のたぐいなら、少し見ただけでだいたいの値段はわかるのだ。
 これも、特権階級のたしなみである。聖グロの連中もこれ(だけ)は認めていた。

『おわかりでしょうか?』
「簡単すぎる。この一番左だ。
 それの右二枚はガキっぽそうだが、どちらも高校三年だ。
 そのさらに右は、単なるスポーツ刈り。
 その右は一瞬これかと思わされるが、脳筋でメスゴリラだというだけだ。
 というより、ツインテールチビのぞいて3人とも有名人じゃないか。
 あからさまな引っかけすぎて、かえって白けるぞ」

 少年悪魔は、人形のように静止したまま、しばらく黙っていた。
 10秒もたってから、口だけ動かして玖波に返答する。

『うけたまわりました。
 では、御自らお出向きになってご確認ください』

 少年悪魔は、玖波に両手をかざす。
 玖波の周囲の光景が後ろに飛び去り、その先にまた新たな光景が出現する。



 そこはどこかの学校の戦車倉庫のようだった。
 玖波は周囲を見わたし、すすけて古ぼけた小さな倉庫なのを理解する。
 置かれている戦車もロートルやポンコツばかりだ。
 彼が通う聖グロとは大違いだ。

 そして戦車倉庫の隅には、聖グロではとっくに廃棄処分になったグラントの兄弟分、古ぼけてすすけたM3リーが置いてあり、そのかたわらで件の人物が弾頭の鉛リングを磨いていた。
 戦車道の試合での顔合わせにさえめったに姿を見せず、直接会ったことのある者が大変かぎられているため、「大洗の天然記念物」と呼ばれる生徒だ。
 むろん、玖波がそんなことを知るわけもない。もちろんどんな危ない奴かも。
 だから玖波はズカズカとそいつに近づいて、無造作に声を掛ける。

「よう、お前男なんだってな?」

 全身カモフラージュのうえに、リボンまでカモ柄の「大洗の天然記念物」は、聖グロのタンクジャケットを着ている男子生徒に目もくれず、次の砲弾をみがき始める。

「おい、シカトこいてるんじゃねえよ。
 しかし、女装してまで戦車に乗りたいのか? 哀れだな」

 天然記念物の手が止まる。しかし、あいかわらず黙ったまま、玖波の方を見ようともしない。

「ふん。僕のような世界一の戦車乗りになれる人間なら、女たちの方から、ぜひ戦車に乗ってくださいと懇願してくるのだがな。
 実力もない奴を女装させて戦車に乗せてるこの学校ってどうよ。
 だいたいどう見ても野郎にしか見えないんだよ、お前。
 うすらみっともないぞ」
「……僕は、女だ」

 天然記念物は、ようやく口を開いた。
 あいかわらず玖波を見ようともせずに。

「はあ? どう見たって男じゃん。このオカマ野郎のシーメイルが」

 天然記念物はみがいていた砲弾を静かに床におろす。
 そして右手を後ろに回したままゆっくり立ち上がる。うつむいたまま。
 玖波が、なにかおかしいと思ったときはもう遅かった。

「お前何……」

 天然記念物はあっという間に玖波の後ろをとると、左手で玖波のほおをつかみ、万力のような握力でふさぐ。
 右手には銃剣なのに、刃渡り30cmはありそうな代物が握られている。

「いったろう? 僕は女だと」

 銃剣は玖波の左肩、肩胛骨と鎖骨の間をゆっくりと刺し貫いていく。

「ねえ君、トランスジェンダーって知ってる?」

 銃剣はもう15cmは進んだろうか。
 人間は剣で切られると、身体が硬直したようになるという。
 坂本龍馬がすでに致命傷を負ったにもかかわらず刀を取って応戦したのは、よほどの達人だった事の証明だそうだ。
 玖波は激痛にさいなまれているのに、あごを握る天然記念物の左手が叫ぶことも許さない。
 そのまま銃剣の切っ先は、玖波の左心房に達した。
 天然記念物が手首をひねる。血が吹き出る代わりに、左心房に空気が送り込まれる。

「でも、君は知らないんだろうね」

 天然記念物がにっこりわらって、銃剣が刺さったままの玖波を突き飛ばす。
 冠状動脈に気泡が入りこみ、血流を止める。
 玖波の心筋が、徐々に死に始める。
 死にも勝る苦痛が、玖波を襲う。
 叫びながら転げ回る玖波。

「だいたい僕に負けている時点で、君ってもう世界一じゃないんだ。
 心筋梗塞でも失血死でも、放っておいて死ぬまでけっこう時間はかかるよ」

 天然記念物は工具箱から「けがき針」を取り出す。
 直径5mm、長さ20cmぐらいの工具鋼でできた「針」を。

「でも僕は、むやみに苦しめるのは好きじゃない……」

 天然記念物は暴れ回る玖波に馬乗りになる。
 こいつ、やっぱり男じゃないかと玖波は思うが、のどからは絶叫しかでてこない。
 天然記念物は、今度は左手で玖波の額を押さえつける。

「……こんにちは、そして、さようなら」

 天然記念物は大きく開いた玖波の口めがけて、けがき針を振り下ろす。
 無駄のない動きでけがき針は上顎骨と頸椎を一気に貫き、延髄を破壊する。
 電源を切った画面のように、一瞬で玖波の視界は暗黒に閉ざされた。






『二つ目の試練も、失敗でございましたな』

 玖波が目を覚ますと、そこは彼の部屋だった。
 つまり、いままでの光景は悪魔たちが見せた幻影。

「失敗ってどういうことだ!
 あいつは現に男だったぞ」
『いいえ、「彼」は身体と脳の性別がちがう人物なのです。
 ですので、男でもあり女でもあるのです。
 本当にシーメイルなのは、6枚目、一番右でした』

 少年悪魔が再びカードに手をかざすと、カードは光の粒子となって四散した。

「まだ試練とやらは二つ残っているだろう。
 次の用意をしろ!」

 少年悪魔はガラス玉の目を向けて、うけたまわったと答えるのみだった。
 
 
 
 
 
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧