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ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──

作者:なべさん
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コラボ
~Cross over~
  Sentention;宣告

医者が人を治している訳じゃない、と言ったのは、初めて余命を宣告された時のカエル顔の医者だった。

カップで出てくるタイプの自販機から取り出したコーヒーをすする医者は、自嘲するでもなくただ当たり前のことのようにそう言った。

じゃあ特効薬やワクチンとかを作る薬剤師かと問うと、それも違うと彼は首を振った。

夜勤明けなのだろうか、欠伸を噛み殺すようにすり潰した医者は、空になった紙コップを自販機横に据えられたゴミ箱にスローインしようとして失敗した。

慌てて取りに行く白衣の後ろ姿に、じゃあ何なのだ、と重ねて問うと、医者は振り向きもせずに簡潔に言った。

患者(キミ)達だ、と。

病人が神様のように何でもできると思って縋ってくる現代医術でも、決して万能という訳ではない。インフルエンザのような、毎年のように変異を繰り返すウイルスに対する特効薬のようなものは開発できてないし、全身麻酔のように意識がなくなる根幹のメカニズムがいまだに分かっていないにも拘らず使っているものもある。第一、伸びをしたり首を動かすと何故ゴキゴキ音が鳴るのかすら、いまだに仮説止まりで解明されていない時点で色々とお察しだ。

それでも、なあなあで、誤魔化し誤魔化しで、それでも何とかやりくりできているのは、すべて君達の身体が完治しようとしているからだ。

確かに、医者がいないといけない病や傷というのは、ごまんと存在している。

けれど、それでも、骨折はきちんと固定していたら勝手にくっつくものだし、適切な栄養と予防をしていればこれといった不具合を出すこともない。

分かるかい?とカエル顔の医者は言った。

それはどこか、優しい口調だったような気がする。

人ってのは――――いや、生命ってのは、本来そういうものなんだよ、と。

そう語った医者の背中は、なぜだかとても小さく見えた。少なくとも献血の時にあたった新人ナースさんの代わりに出てきた婦長ナース(熟女枠)くらいには信頼できるのに。

医者は、もう一回コーヒーを買おうか思案するように自販機とにらめっこしながら、独り言のような言葉を紡いだ。

だから僕達医者の仕事は、患者の背中を押すことだけだ。適切な処置をして、適正な判断をして、あとは患者次第。無責任だろうと、それが真実なんだ。

手術だって結局のところ患者の体力次第だしね、と付け加えて、医者はこちらに振り向いた。

すっと差し出してきたのは、新しく買ったカップ。黒く濁ったその水面から同じコーヒーかと思ったが、すすってみるとココアだった。

その甘さを舌の上で転がしていると、頭上からカエル顔の医者の声がした。

低く、静かなその声はどこか、厳しいものだった。

彼はこう言ったのだ。

だけどたまにいるんだ。君のように、生きることを投げ出したように死んでいく身体が、と。










スライドドアがゆっくりと閉まる。

ペールグリーンに塗装された扉の先に車椅子のシルエットが消えるのを確認した中年でカエル顔の医者はゆっくりと息を吐いた。

いつも通りの検診。いや、傍観とすら言っていい。

様子を見るしかできない今の自分に少々本気で嫌気がさしたように首を振る医者は、診察室の椅子に座り、しばらくぼんやりと天井を見上げていた。

それから、机上にあった電話機に手を伸ばす。

外線のボタンを押してから、シャープを数回叩いた。乱雑なようでいて、一定のリズムがあるその後に、特殊な番号を次々と打ち込んでいく。

受話器に耳を当てると、普通の呼び出し音は聞こえなかった。

ワンコールもなく、即座に相手に繋がったのだ。

「おはよう、小日向相馬君。ノルウェーではさんざんやったようだね?」

『やぁ先生。そうか、そっちにもそろそろその情報が行く頃か』

悪戯好きな子供のような、それでいて大人のような透徹さを併せ持った声。

その音質は驚くほどクリアで、本当に同じ電話回線を使っているのかと疑問を抱くほどだった。電話機に全く別のケーブルが取り付けられていて、宇宙人と交信するのかと思うくらい得体のしれないパラボラアンテナに繋がっていると言われたほうがまだ説得力がある。

しかし、カエル顔の医者は顔色一つ変えない。

「あの子の今回の検査結果を報告させてもらうよ?肉親(ほごしゃ)くん」

『嫌味たっぷりだな。まっいいさ、それで手を抜くような単純な人格構造してねぇだろ?先生ってば』

電話口の軽口にはだんまりを決め込み、医者は先刻彼の実弟に言った言葉を反復させる。

「結論から言ってしまえば変わってない。前回から処方薬を増やしたけど、そっちのほうの効果もあがってない。完全に身体のほうが受け付けていない感じだ」

()()()()()()だっけ?ナイスな命名だと思うぜ?生命活動にかかわるあらゆる体内活動及び器官がぜーんぶ真反対――――死に向かって加速していく。その根底が一目でわかる。分かりやすいよ』

「君に褒められても嬉しくないよ」

受話器を肩と頬で挟みながら、カエル顔の医者はレントゲン写真を見ていた。そこには虫歯の末期のように、食い荒らされたような惨憺たる骨の有様が写っていた。しかも何が深刻かと言うと、この症状がレントゲン写真には到底収まらない全身全てに均等に訪れているという事実そのものである。

その他にも、診察机に散見される各種検査結果は専門医が見れば目を覆う結果だ。

むしろどうしてああまで平素な生活をさせ続けるのか――――否、続けられているのか、医者の立場から糾弾されるかもしれない。

だがカエル顔の医者は、そしてもうあの少年自身、《その段階》はもうとうに過ぎているという共通見解に至っている。治る治らないではなく、あとは対症療法くらいしかやりようがないのだ。

何せ、電話口の声が言う通り、あらゆる体内器官が一斉に、一気呵成に生に向かってそっぽを向いたのだ。

臓器も骨も筋肉も、皮膚や神経に至るまで均等に悪くなっていく。肺は酸素を取り込まなくなり、肝臓はグリコーゲンの合成をやめて解毒しなくなっている。神経は脳から送られてくる生体電気を介した情報伝達を放棄し始め、大食細胞が暴走して全身の細胞は喰い尽くされる勢いだ。その中でも、たとえば筋肉だけをとれば筋ジストロフィー、神経ならば筋萎縮性側索硬化症(ALS)のように、個別ならばいくらでも病名(こじつけ)は出てくるだろう。

だが、それらが全部並列して襲い掛かってくるなど聞いたこともない。

天文学的な確率で、それらどれか一つとっても難病指定されている病が一斉に発病した可能性はあるが、さすがに医者もそこまで神様に愛されていない人間がいるとは思ってない。

あの少年があんな身体になった理由。

それは――――

「ALO……だったっけ?」

『……よくもまぁ信じたな、あんな与太話』

「それを決めるのはこっちだよ。それに知ってるかい?精神科の医者が初めにすることは、患者の話を大真面目に聞くことなんだね?」

あれ?先生って精神科もいけるんだ?と言う電話口の声は無視し、カエル顔の医者は続ける。

「確か、心意(インカーネイト)システムというのは君が仕掛けたものなんだって?意志が事象を上書き(オーバーライド)する……にわかには信じがたい内容だったが、君の作品なら何でもアリだろうね?」

『おいおい、先生。俺が聞きてぇのはそんな大前提じゃねぇよ。結論を言おうぜ、お互いそんなにヒマじゃねぇんだからよ』

真っ白な診察室。

だが、机に向かって項垂れるように俯く医者の顔は濃い影が落ちてよく見えない。

見えなかった。

「彼は……、小日向蓮は――――《()()()()()()()()()()。今彼の身体に起こっているのは、その副作用だ」

『は』

明確な返答はなかった。

ただ吐き捨てたような、ともすれば愉しげな嗤い声のような、そんな音が受話器の向こう側で漏れる。

具体的にその内容まで気を回さないようにしながら、カエル顔の医者はあくまで静かに続けた。

「小日向蓮君の言う事を統合するならば――――ゲームの中で、彼は自身の力では到底及ばない敵に出会った。そしてその時、どうしても敵わないソレに敵おうとするにあたって自分を根底から改造することにしたんだね?。……心意システムはあらゆる事象を意志の力で歪ませられる。システム的なアイテムであるはずの鎧に、人の意志である《災禍》を植え付けられるほどの、圧倒的な自由度でね?」

『……………………』

「確かに荒唐無稽だ。この内容をいきなり語られても、隔離病棟行きの受諾書にサインするだろうね?けど、件のアルヴヘイム・オンラインにはソードアート・オンラインの基幹プログラムが数多く流用されている。他ならない、魂の科学的証明という前代未聞の偉業を成した君が技術協力したというあのゲームのね?」

そして、と医者は語る。

「結果として、心意システムはその意志を叶えた。叶えてしまった。魂の書き換えなどという大それたことを大真面目に。プログラム言語など見たことも聞いたこともない子供が、適当にキーボードを叩いて出力した文字列を、躊躇いなく魂に刻み込んでしまった」

そこで中年の医者は手を伸ばし、診察机の戸棚に手をかけ、そこからホッチキス止めされた数十枚のコピー用紙を取り出した。論文の写しで、表紙には《人の意思決定における最小単位》とある。

「君の書いた論文を見たよ。魂――――《フクラクトライト》の実在の証明、そしてその可能性。まったく君が有名になるわけだ。量子脳力学なんてキワモノから、よくもまぁこれだけ引っ張り出してきたもんだ。医者の立場からすればダンカン・マクドゥーガルを押したいトコなんだがね?……そして同時に、読み進めていくたびに危機感があがってきた」

そこでカエル顔の医者は少しだけ受話器を握る手に力を込めた。

「フラクトライトとは、パソコンでいうところの基幹プログラム(OS)のようなモノだね?傷や病が、時とともに溜まっていくファイル断片(フラグメント)のようなモノだとすれば、動作効率が悪くなることはあっても、OSそのものを揺るがすほどじゃない。なぜならシステムそのものを構成するOSコードは、本来ガッチガチに守られている――――いや、違う。そもそも書き変わるはずがないものなんだね?」

ぱらり、と論文をめくり、その中の一つの文章に指を這わせる。

「『人を創るのはDNAだが、人を動かすのはフラクトライトである』……これが君の持論だったね?フラクトライトの中にはもう一つのまったく同じ人格がコピーのように存在し、意思決定の際にはその人格をフィルタのように使って自分の行動にある程度の客観的価値を付随させてから動いている、と?」

『ああ、そうさ。既存の定説では人間の修復や成長の過程で参照される《設計図》はDNAと言われていたが、俺はこの《認識中枢(アートマン)》がそこに関わっていると思ってるよ。……まぁ、まだ仮説だし、似たようなことはカルテジアン劇場やハイヤーセルフを始めとして既に概念的に存在するがな。少し違うが、有名どころじゃ、我思う故に我在り、か』

自慢したがりなのだろうか。隠しているようだが饒舌になった口調でその奥底が透けて見える電話口の声に、医者はとくに言及するでもなく平坦な声で続けた。

「なら君に訊きたい。その《認識中枢(アートマン)》が歪んだ時、ハードである身体にはどんな影響が出る?」

ただのアプリケーションレベルならば、アンインストールという名の《切り捨て》を行えばそれで済む。だが、それがソフトの根幹そのものであるOSならば、その影響はどれほどのものになるというのだろうか。

カエル顔の医者の問いに、受話器の向こう側は一瞬だけ沈黙した。

しばしの一拍の後、世界を席巻する一人の天才は静かに口火を切る。

『…………正直に言うと、分からない。確かに俺はフラクトライトを発見した。けどな先生、その全貌となると全然まだまだなんだよ。生体脳のどの部位がどんな働きをして意識っつー結果を弾き出しているのか詳しく分かっていないのと同じこと。だから外側の上っ面だけ見て仮説や推論は立てられても、実際のことは分かんねぇんだよ』

猫箱の中みたいにな、と。

笑う訳でも、嗤う訳でもなく、受話器の声もまた平坦な声で重ねた。

その上で、

『だが、無関係という線はない』

「…………」

『なぁ先生、腹の探り合いはよそうぜ。そこまで言うからにはあるんだろ?《認識中枢(アートマン)》が現実の肉体に及ぼした影響、その証拠をさ』

軽薄なその声に数秒逡巡した医者は、しかし短く息を吐いて、棚から大きな茶封筒を取り出す。何の変哲もない普通の封筒だが、その表紙には大判のハンコで黒々と部外秘と押されていた。

カエル顔で中年の医者はその口を躊躇いなく開け、中身を天板の上に滑らせる。

それは先刻見ていたのと同じような、数枚のレントゲン写真だった。

普通の少年()()()モノの部位を撮った、白と黒で彩られた画像。

「翼と尻尾……だってさ」

『あ?』

「小日向蓮君だよ。彼が、勝てない敵に勝とうとした自分、そのイメージだ。子供なんだから、正義のヒーローなんかだと思うだろう?けど違った。彼はそんな都合のいい者がいないと知っていた。だから、そんな想像さえつかないあやふやな存在より、もっとイメージしやすく、そして絶対的に強い存在に縋ったんだね?」

分からないかい?と医者は一拍を置く。

「モンスターだよ。SAOを通して気が遠くなるほどの数対峙してきた敵の姿を、彼はそのまま自分の心にトレースしたのさ」

『それが翼と尾のイメージ……?。――――まさか』

何かを悟り始めた電話口の声に頓着することもなく、医者はX線写真を透かし見る。

「結果的に、魂のカタチは歪なままで表面である身体を出始めた。肝心かなめのシステムコードの一部が、プログラミングの素人の手でメチャクチャにされたようなものだね?もとが完全だったからこそ、すぐさまシステム全体が死ぬような致命的なエラーは出ないが、歯車に異物が紛れ込んだように少しずつバグが蓄積していく」

無機質なLEDの明かりの下、顔に濃い影を落とした中年の医者は、どこか疲れたようにこう言った。

「……なぁ、小日向相馬。いくら精神科の仕事が、患者の話を聞くことだとしても、それを信じるかと言われればそうじゃない。彼らがそれを大真面目に聞くのは、あくまでそれが精神的ケアと歩み寄るための手段だからだ。……けれど」

ああ、と口には出さずに医者はそう呻きたくなった。

彼が見るレントゲン写真には、素人目にも分かるほどのある異変があった。

それは――――



()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」










不気味な。

沈黙があった。

だが、秒針が半月を描く前に、受話器の向こう側から何か動物の鳴き声のようなものが聞こえてきた。

医者は最初、それが嗚咽だと思ったが違った。

それは、嗤いだった。

想定外を愉しむ科学者(あくま)の嗤い声だった。

『くつくつくつくつ……くッかかき、ぁ゛はははは!!そォか!そォか!そおぉぉォォォかあああアアアァァァァ!!!!人の形的臨界はもう終わりだと思っていたが、そッかそッかァ!人間という種としての限界はあろうとも、生命としての限界はそうやって打ち破るべきものなのかァ!!ぎひびひ!!!!』

小日向相馬ではない。

電話口の向こう側で炸裂したのは、人類の最先端を切り拓く者。

天才という単純なレッテルでは片づけられない規格外。

技術的特異点(シンギュラリティ)――――《鬼才》に他ならなかった。

『じゃあ!じゃあじゃあ!じゃあよ、先生!!あいつが車椅子なのは、ひょっとして"そういう意味"なのか!?!!?』

「…………あぁ」

声の意味することを正しく理解し、そう言ったカエル顔の医者は机の上にあった病院スタッフに配られる専用の端末を取り出す。

彼と他数名しか知らないセキュリティコードを打ち込み、電子カルテの先に陳列されている極秘データを表示させる。

それは、X線やCTを駆使し、先程の肩甲骨と尾骨のレントゲン写真より多角的に撮られた画像だ。その理由は、前述の画像が表面的に見るものだけだったのに対し、こちらは内面――――内部まで焦点を当てているためである。

あまりに画像の枚数が膨大なため、端末の画面に小分けされて映っているのは足首から爪先までの足骨の画像だけだ。

だが、その一部だけでも異常は明白だった。

その骨は、一言で言ったら《すかすか》だった。

いや、そもそも人骨――――というか動物の骨というのは、中身までみっちり詰まったカルシウムの塊だと思われているが、実は違う。その中心には骨髄という血液の大元である器官があって空洞が開いているし、そもそも骨自体に栄養を送るための血管が通っているため微細な穴だって開いている。食べ物に例えたら、食パンの断面のような感じである。

だが、それにしたってこの画像は間が空きすぎている。字面だけならば似たような症状が現れる骨粗鬆症があるが、それともまるで違った。

なぜなら。

滅茶苦茶に穴を開けたスポンジのような、気持ち悪さもある骨粗鬆症患者の骨の断面図とは違う。まるで狭い空間でピンボールが跳ね回った軌跡のような骨の繊維が幾重にも折り重なって、最低限の密度で最低限の強度を保っているその様を――――医者は、獣医師の教科書でチラッと見たことがあった。

「これは……まるで、《鳥》の骨だ」

『は……ははは!あ゛っははは!正気かよオイ!!本気で身体(ハード)のほうが大真面目に自己進化を始めてるっつーのか!?』

興奮する電話口の声に、中年の医者はゆっくりと首を横に振った。その目は最初に見ていた普通のレントゲン写真を見ていた。

「いいや、違うね?これは進化なんて大層なものじゃない。言うなれば暴走だね?その証拠に、骨芽細胞と破骨細胞のバランスが大いに狂って、関係ない箇所まで食い破られている。ここまでなると、虫歯のC2期とほぼ同じと言っていいだろうね?」

あまり知られていないが、骨というのはその形状が既存のそれから外れないよう常にリモデリングを受けている。それに際する道具が骨芽細胞と破骨細胞。読んで字のごとく、骨を生む細胞と壊す細胞なのだが、この二つの関係性をもって骨の形は維持、管理されているのだ。

だが、ヒトの身体に備わる機能もひとたび根幹から崩されればここまでなるのか、と医者は驚きを禁じ得なかった。

人が鳥になる。言うは易しだが、そこには目が回るほどの物理的限界があるのだから。

人間の脚が、急に鳥の骨の構成になったとしても、鳥と同じようにその骨密度で全体重を支えられる訳がない。鳥の骨はあくまで、あの身体での最適な答えなのであり、人間サイズの最適ではないのだ。

結果、今現在小日向蓮が強いられている車椅子生活は"そういうこと"なのだ。

『暴走ねぇ……。まぁ確かにそうか。いくら構造を鳥のそれと同じにしようと、肉の量も質も当然違う。よく昆虫を人間大にすると自重で潰れるって言うが、鳥も同じだな。あいつの車椅子生活は、無理をしないように枷としての役割だけじゃなく、物理的に脚の骨が体重を支えられなくなってたっつーワケだ』

「……身体の方はそんなところだね?別に、クチバシやかぎ爪ができかけているとか、そこまで馬鹿らしいことにはなっていない」

軽口に大爆笑を返してくれた受話器から耳を離しながら、いや違う、とカエル顔の医者は思う。

ここまでのデタラメが並べられていて、体表面上に何の異常も出ていないことがおかしいのだ。肩甲骨と尾骨の辺りに形成されつつある新たな骨にしても、まだ小さいということで見た目からは分からない。成長速度から見ても本人が違和感を感じるこそすれ、見て分かるような何かは起こりえないだろう。

例えば黄疸や紅斑のように、見た目というのは身体の異常を知らせる重要なファクターである。ここまで内部で異常が現れているにも関わらず、警鐘であるそれらが一切噴出していないことに医者はいっそ不気味なものを感じる。まるで重傷者が最期、痛みを感じずに笑顔で喋っているようなものだ。

ふと医者は、生物繋がりか蝶のサナギを思い起こした。

昆虫特有の変態方法だが、あれは脱皮とは違って元の形とは完全に逸脱した結果に繋げるために、外側からでは想像つかないリセットが内部で行われている。一度全身をドロドロに融かし、まったく新しい別の何かに生まれ変わる。

医者はここまでの経緯を見聞きし、致命的なバグという仮説をたてたが、本当にそうだろうか。

もしかしたらそれはもっとマクロな視点で彼が羽化しようとしている予備動作なのだとしたら……、と少々外れ気味の思考をぼんやりと保ちつつ、しかし医者は小さく首を振った。

「何度も言うが、彼は限界だね?対症療法といっても、ここまで常識外れに付ける薬はないよ」

『なら何度も返そう。それでいい。アンタから見ておしまいなアイツが、ここまでもっているのは紛れもなくアンタの手腕だ。つーか、研究対象に向ける目をしないほうがおかしい案件だと思うんだけどな?』

この言葉に、カエル顔の医者は即答で反応を返した。

「僕は医者で、あの少年は僕の患者だ。それは変わらないんだね?」

『……あんがとな、先生』

変わらぬトーンで、変わらぬ口調でそう言った声に、医者は思わず顔をしかめる。

この言葉は真実だ。

小日向相馬は今本当に、心の底からそう思っている。だが、それは実弟を心配することとイコールで結ばれてはいない。想定通りに事が運んでいることに対しての感謝であり、その成功に関わるネジがまだ壊れてないことへの安堵なのだから。

だから医者はこれまでの淡々とした調子を崩し、あえて嫌悪感を隠さずにこう言った。

「小日向相馬。一つ君に言っておくべきことがあるんだけどね?」

『何だ』

「僕の患者をオモチャにするのはやめてもらいたいんだ」

『ふ』

笑みが返ってきた。

失笑でも嗤笑でも譏笑でも嘲笑でもなく、ただ電話口の声は苦笑した。

沈黙する中年の医者に、世界を席巻する天災は語る。

『聞かなかったらどうする。医療事故としてアイツを処分するかい?』

「分かっているさ。そんなことをしても君は止まらない。あの子は重要な位置にはいるけど絶対ではない。迂回策や予備……僕が考えつかないような反則手をもってして、君は絶対に目的を完遂させる。今回彼をを使うのは、もっとも安定したものだからかい?」

『まさか』

声の主はそう言って笑ったらしい。

その後、噛み砕くように穏やかに、声は言った。

『本当だったらもうとっくに終わってるのさ。確かに確実かもしれないけれど、この計画は最も冗長で最も回りくどく、それゆえに危険度(リスク)も高い。……()()()()()()()()()()()()()

覚悟もなく芯もない、そんな擦り切れたような声に医者は眉を顰め、さらに言葉を積もうとしたが、電話口の声は途端にもとの人を食ったような調子に戻った。

『これ以上はいくら先生でもダぁメだ。暗がりに入る覚悟もなしに覗くだけってのは帳尻が合わねぇ』

その言葉に、一瞬医者は黙った。

診察室の中で、不自然なほどに影を落とすカエル顔の医者は表情を消して口を開く。

「誤解がないよう先に言っておくよ?医者という職業を舐めない方がいい。多分僕は君以上の地獄と血と涙を見てきていると思うよ。君と僕との違いはただ一つ。そこに留まるか、帰ってくるか、だ。穴の底にいるだけで被害者面はどうかと思うよ?」

常ならない攻撃的な口調。

それに向かって即座に、吐き捨てるように声は言った。



『……なら、なんでアイツは死んだんだ』



血を吐くような、声だった。

主語のぼかしたその内容に、しかし中年の医者は咄嗟に返すことができなかった。

そして、それが最後だった。

通話が切れ、単調な電子音しか鳴らなくなった受話器を片手に、医者は秒針が一回転するほどの間固まっていた。

最後の――――末期の繋がりが、切れた。

それを、その事実をゆっくりと脳裏で解凍させながら、彼は小さく息を吐いた。

その意味さえ分からなかった。

その男の背中は小さかった。貫禄も何もない、ちっぽけな背中の男はただ佇んでいた。

いつまでも。










未熟な愛は言う、「愛してるよ、君が必要だから」と。

熟した愛は言う、「君が必要だよ、愛してるから」と。

――――エーリヒ・フロム 
 

 
後書き
GGO編からその片鱗がありましたが、いよいよもって散々溜まっていたツケの清算の時期になってきました。
どうも作者です。
私は常々、覚醒系主人公を見ていると思うのですが、それがまったく何にもデメリットなく、ご都合主義的に天からもたらされることに疑問を感じていました。いや別に貰うことが悪いってほど極論はいいませんよ?それは好き嫌いの問題なので。
まぁフィクションに質量保存とか等価交換とか、そこら辺の即物的なものをキッチリ当てはめるというのもだいぶ無粋だとは思うのですが、それでもふと思ってしまうのですよ。
ここまで強い力、いったいどれほど負担がかかるんだろうな、と。
ただでさえレン君のしてきたことは、全て不安定なものです。正体不明のぽっと出の黒幕から与えられた武器に、ヒロインが止めていても無理矢理覚醒。こんなフラグの塊が、のうのうと暮らせるはずもないでしょうw
さきほどツケの清算と言いましたが、そういう意味ではこれは当然の帰結というか結果だったのでしょう。しかし、そんな今話を見た読者の皆々様の心に抱いた感想は分かっておりますw
ンな馬鹿なwwwと(笑)
ファンタジーを通り越してファンシーに片足を突っ込んでいるような、そんな現実感のない展開となりました。まさか人体に羽と尻尾がつくなんて、と思わず失笑されることかと思います。
しかし、この"現実感がないことが起こりうる現実"というのは、もしかしたらこの作品の根幹にかかわることかもしれません。笑うには、まだ早いかもよ……?w


さてさて、格好よく締めようとしましたが、通例通りの恒例通り、次編について触れなければなりません。
コラボ……というかクロスオーバー編がいよいよ終わり、さぁ次はいよいよ――――と言いたいところですが、時系列的にもうちょっと挟めるモノがありました。
勘のいい方ならお気づきでしょう。そう、劇場版SAO編。オーディナルスケール編、略してOS編でございます。
しかして私が真正直に映画のストーリーをなぞるはずもなく……と、ここからは次話にてお確かめください。
少しだけ言うのであれば、白蝶の身代わりにされた黒蝶の少女が求める答え、それを求めるオリジナルストーリーとなっております。あまり長くはないので、アリシ編はどうかもう少しお待ちください。 
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