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サメに手足を食いちぎられた恐怖の魚釣り

作者:南 秀憲
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サメに手足を食いちぎられた恐怖の魚釣り

 
 
 当時は全国展開していた日本最大手スーパーに勤務していて、関西から鳥取に転勤してきた私を恐怖のどん底に陥れた魚釣りの話をしよう。
 
 釣り仲間は大勢いるが、特に相性の良い主任で日用品課、四百九十課の谷川 孝雄≪たにがわ たかお≫君と、休みは水・木と同じだから、ほとんど毎週連れだって釣りを楽しんでいる。
 まさか自分の友人に恐ろしい運命≪さだめ≫が待っていようとは、この時には夢想すらしなかった。まさに「悪夢」以外の言葉が見当たらないほど、激甚な恐怖が私を襲った事故で、思いだすだけでも、血も凍るような絶叫が耳朶≪じだ≫を震わせ、心臓が飛びだすような衝撃でガタ、ガタ、ガタ、ガタ……と震え、奈落の底へ落ちて行くような感覚に身が包まれるのだ。
 鳥取市の観光パンフレットでは、必ず掲載されている名所の一つに、奇岩で有名な浦富≪うらどめ≫海岸がある。国の名勝、天然記念物に指定され「日本百景」、「日本の白砂青松百選」、「日本の渚百選」、「平成にっぽん観光地百選」等に選ばれている自然景勝地である。海水・風で浸食され続けている花崗岩の断崖、奇岩、洞門が続いていて、遠浅の砂浜が広がり夏は海水浴場としてにぎわっている。
 鳥取駅を起点にすると、海岸沿いを西に車で十五分ほど行った所に浦富海岸があり、夏の昼間には、素晴らしい景勝の海で釣りをする。四.五メートルの投げ竿を使い、主にアオイソメを餌にして、先端には二十号~二十五号のジエット天秤に三本針をセットし、遊泳の人々を避けて、投げ釣りをしてキスを狙う。釣果は一人で五十~六十匹ぐらいで、塩焼きにして食べるのにはちょうど美味しい二十~三十センチ級の大きさだ。
 夫婦二人では到底食べられない数なので、関西から転勤してきた私達を、何かと世話して頂いた近所の方々にお裾分けしている。
 一度だけだったが、船外機付き六人用ゴムボートに乗り、私、谷川君、ゴムボート所有者である電器課主任吉田君の三人で、ゆったりと潮に船を任せて、一.八メートルの短竿を一人で二竿操り、海底の砂地にいるキスを狙った。わずか二時間ほどで、二十~三十センチ級のキスが、大型のクーラーボックスに入りきれないぐらい釣れたので、近所のお宅ばかりか、課員宅にまで配ったことがあった。
 夏の一時期に限られるが、夕方から夜十時頃にかけて、地元では賀路港≪かろこう≫と呼ばれる鳥取港でスズキを釣るのだ。千代川≪せんだいがわ≫と合流しているコンクリートで舗装された足場の良い広いセリ市場敷地内で、一メートル前後ある大きなスズキを狙う。スズキは、血合いがほとんどない白身魚で、スズキという和名が「すすぎ洗いしたようなきれいな身」に由来する。身は鯛のように、柔らかくあっさりしていて、関東よりも関西でよく食べられる。スズキの肉質がよくなるのは夏で、夏のスズキはよく太って非常に美味である。
 太平洋側と異なり山陰地方では、川が南から北へ流れるので、関西からきた私は、最初戸惑った。
 川は真っ暗闇なので、遠くからでも見えるように、単三電池一個を入れた大きな電気浮を使用する。両手を広げた長さである約一ヒロのテグスに、鯛バリ十三号の大きな針をつける。スズキは、海岸近くや河川に生息する大型肉食魚だから、かまれると痛い生きの良いアオイソメを十匹ぐらい、一本のハリに房がけにして釣るのだ。
 五.四メートルの投げ竿で、川の中央を狙って力一杯遠投し、流れに赤々と漂う自分が投げた電気浮だけに注意を集中する。電気浮が二,三度沈めば思いっきり合わせて、大きなリールを精一杯巻き手元に寄せてから、五・四メーターあるカーボン製伸縮自在のタモですくい上げるのだ。 
漆黒に近い川面に、何百と漂う電気浮きの群れは、川に蛍が飛び交うような幻想を抱かせる。
 川に右から左への流れがあるため、電気浮きが河口に近づく。自分の左側に誰もいなくなると、何百人いるか分からない釣り人の後ろを、道具と竿を持ち、一番上流の右側に誰もいない場所まで、川上に向かって移動する。同じやり方をして、浮きの流れに従ってカニ歩きをして、河口へとくるとまた同じ行動をする。何度も、繰り返し、繰り返し……。
 かなりのエネルギーを使用する釣りではあったが、無情にも、私も例の相棒、谷川君さえ九回も通ったにもかかわらず、スズキの顔をとうとう拝めなかった。
 我々が、そこに九回目に行った時だった。
 数十人上流にいる人々が、ガヤ、ガヤ、ガヤ、ガヤ……と大声をはり上げて騒いでいる。騒然が周囲を包んでいて、数人が見知らぬ家に入って電話をかけている。谷川君と共に、その騒いでいる集団の端に行くと、年配の人が、
「君たちはまだ若そうだけん、見ない方が……」
 そういわれると好奇心が益々肥大し、矢も楯もたまらず、更に近寄った。
 多くの竿で引き上げられていたのは……。
 なんと、ブヨブヨに膨らんで、悪臭を放っている水死体だった。頭の髪の毛が抜け落ち、頭蓋骨が一部だけ露出し、皮膚に水苔や藻が付き、しかも、それらが繁殖した死体だ。ボロボロの衣服から類推すると、どうも男性らしい。
 多分半年ほど前だったと思うが、法医学に関係した本をていねいに読んだ。そこに書かれていた水死に関する記述が、私の脳に浮かんできたのだ。
 ――水死に至る以前の行為は、魚釣り・魚捕りが最も多い。
 死体は、顔から腐敗が始まり、死後三日ほどで角膜が濁り、死後二週間ほどで手足の皮膚が簡単に剥がれ落ちる。やがて、腐敗ガスで全身が膨らみ、死後三週間ぐらい経過すれば、頭の髪の毛が自然に抜け落ちる。更に、死後一ヶ月すれば頭蓋骨が一部露出し、皮膚に水苔や藻がついて、それらが繁殖したりする。死後一ヶ月経過すると、死蝋化≪しろうか≫つまり身体が石鹸のようになる。腐敗の過程でカニやフナムシ等に食されている場合も多い――
これ以上述べれば、私自身も嘔吐しそうになるから、この話は、「これで、おしまい」。
「これで、おしまい」と臨終の時にいったのは、江戸時代末期から明治時代初期の武士、政治
家であり、山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる、私が尊敬して止まない勝海舟だ。もっとも、私が尊敬している人を列挙すれば、アルベルト・アインシュタイン、ホーキング博士、シュレーディンガー、サルトル、アンドレ・ブルトレ、ゲーテ、ハイデガー、プラトー、アリストテレス、ハッブル……など大勢の人がいるが。
さて、いよいよここで我々釣り仲間が遭遇した災難についての話をしよう。
 季節は、秋を司る竜田姫≪たつたひめ≫が、冬の女神である白姫≪しらひめ≫にそろそろバトンタッチをしなければ……と考えだした頃だった。
恐ろしい人身事故が起きた場所は、沖合約二キロメートルにある、コンクリート製の大規模な
直方体をした消波設備であった。水面から天辺までの高さは十メートルぐらい、横幅五十メートルぐらい、奥行十メートルぐらいで、手前に一か所だけ階段が設置されている。完成して未だ日が浅く、真っ白な威風堂々としている消波設備だ。
 黒っぽい背と銀色に輝く腹を見せる五十センチメートルオーバーのチヌが、鳥取港沖に建設された消波設備付近で群れている、という情報がどこからともなく、我々釣り仲間の耳をくすぐった。早速、そこで釣りをする計画を釣り仲間と協議した。
 惨事が起きた場所とは、到底信じられないが、思い出しても、甚大な恐怖に心を黒く塗り潰されるような感覚に陥る。私ばかりでなく被害に会わなかった仲間達も、今でもそういう感覚から脱していないだろう。それほどに、皆の脳の感光紙に焼き付いた、おどろおどろしい悪夢そのものだった。
 事前に調べると、当日の天気予報は快晴で、週間予報でも晴れのマークばかりだった。 
 釣行の日は、雲が一つもない透きとおるような青空が頭上にあり、地元で採用された子供売り場で働く課員の吉岡君が所有しているエンジンを搭載した小型木造船に乗せてもらった。
 所有者である吉岡君、私、日用品課主任大谷君、電器課主任吉田君、一般食料品課主任佐藤君、子供売り場主任で最年長である四十四歳の大田さんの計六人が乗った小型木造船で、コンクリート消波設備に着いた。眼の前で見る消波設備の大きさには、誰もが圧倒された。
 その高さは十メートルほどあった。だが、事前に調べていた通り、幸いにも天辺まで上がれる階段が設置されていた。各々が、四.五メートルある太くて丈夫な竿を二~三本と餌の太いアオイソメ、少し濡らした新聞紙に包んだ池や湖で獲れる大きめの活けエビ等を持ち、大きな期待と急な階段を上ることで、私はバクバクと心臓が悲鳴を上げて今にも飛びだしそうだった。他の仲間達も同じだろう。
 上部のコンクリートは平らで、六人はデカイ年無しのチヌを思い描きながら、思い思いの餌を付けてアタリを待った。上から下をこわごわのぞくと、水深一メートルほどの浅い海で、大きなチヌが群れで悠々と泳いでいる姿を見ることができる。
 更に、その群れに混じり刺身や塩焼きにすると美味しい真鯛もいる。そればかりか、吸い物には最高の大きなウマズラハゲも遊泳している。それぐらい魚影が濃いのだ。
 チヌは、河口の汽水域にもよく進入し、雄性先熟を行い、オス→メスに性転換する。二~三歳までは精巣が発達したオスだが、四~五歳になると卵巣が発達してメスになるのだ。成長により名が変わる出世魚であり、関西ではババタレ→チヌ→オオスケとなる。釣り人の間では、大物の呼び名として、五十センチメートル以上を「年無し」と呼んでいる。
 釣りをはじめて十分もしないうちに、全員の竿が一斉に大きくお辞儀をしだしたので、慌ててレバーブレーキ式リールを巻き始めた。このリールは、レバー操作で糸のでるのを簡単に調節でき、強烈な突っ込みをかわしたり凌いだりするのが可能である。
 だが、強い締め込みでなかなかリールを巻けず、それどころか反対に「さかな」に引っ張られ、リールが苦し紛れに逆回転し、太い五号のテグスが伸びて行く。皆、何とか足を踏ん張りながら、力を入れてゆっくりとリールを巻き始めた。互いにおまつりしながら、ようやく足下まで引き寄せたのは、チヌではない灰色がかった「さかな」だ。十メートル以上のタモを誰も持参していなかったから、竿を持っていかれないように渾身≪こんしん≫の力を入れて、ふう、ふう、ふう、ふう……とあえぎながら何とか上げた。
 しかしながら、上がってきたのは……。
 誰もが期待していた大物のチヌではなく、八十センチメートルほどのサメだ。その後の一時間で釣れたのは、サメばかりで、合金のスケールでこわごわ長さを測ると、約七十~百十センチメートルだ。仕方なくサメを一か所に集めた。
 干からびるのも可哀想だからと、心優しい日用品課主任の大谷君が、濡れた新聞紙をかけていたらしい。というのも、彼以外の竿が大きくたわみ、念願の「年無しチヌ」が次々釣れだして、誰もがチヌを上げるに必死だったからだ。
「ギャアァアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ……」
 大谷君の腹の底から絞りだしたような甲高い絶叫が、周囲にとどろいた。その絶叫は、耳をつんざく悪魔の雄叫び以上に、周囲の空気を突き破る声だった。
 全員が、彼の所に集まり目にしたものは……。
 辺りに飛び散っている大谷君の手首と、手から飛びだした血飛沫≪ちしぶき≫だった。
 彼は、出血多量のためだろう、早くも唇が異様に青白くなっており、しかも、赤い肉の中から骨さえ見えた。彼は、猛烈な痛さと恐怖であちこち走り回って暴れた末に、階段の反対側の海に転落した。泳ぎに自信を持っている船の所有者である吉岡君が、大谷君を助けようとして、約十メートル下の海に飛び込んだ。
 我々も、中を空にして浮力をつけたクーラーボックスを、テグスに固く結んで二人の近くの海面へ次々と投げた。二人とも救命胴衣を着用しているので水面に浮いているから、階段のある方に移動させれば簡単に救助できる、と軽く考えていた。
 ところが、クーラーボックスにつかまるどころか、真っ赤な血がブク、ブク、ブク、ブク……と二人の体から噴出していて、辺り一面、文字通り「血の池地獄」になったのだ。この時は、池ではなく海だったが……。
 サメにかじられて叫ぶ二人を、我々では助けられない。私は、頭が痺れるような感覚に襲われ、悪い想像のみが浮かんできた。
「どうしょう? どうしょう? どうしたら……二人を助けられるだろう?」
 と思ったものの、皆、オロオロとうろたえるしかなかった。
 二人の腹の底から絞りだすような悲痛な叫び声が、絶え間なく聞こえてくる。恐怖で喉が渇き吐き気を催し、体中の全ての筋肉が、ガタ、ガタ、ガタ、ガタ……と震えだしたが、勇気を奮い立たせて私は叫んだ。
「誰か、船舶免許を持っている者はいないか?」
「…………」
 誰も持っていないようだ。しかも、こんな時に限って近くに漁船の影すら見えない。漁船の乗組員に二人を救助してもらい、無線で助けを呼ぼうとしたのに……。こんなにも緊急を要する時なのに、尾藤イサオが歌う「悲しき願い」の歌詞、「みんな俺≪おいら≫が悪いのか」と言うフレーズが、唐突に頭に浮かんだ。
 私は、頭を二~三度左右に振って、自分自身を今置かれている現実に戻し、皆に提案した。
「誰か、二人で賀露港まで吉岡君の船を使って、助けを呼んでくる勇気ある奴はいないか? くる時に彼の操船を見ただろう! きっと、簡単に操れる。二キロメートルだけ進めばいいんだ!」
あっという間の協議の末、私と最年長である子供売り場の大田主任に決まった。やっぱりだー! 
即座に二人は船に乗り込みエンジンをかけて陸に向かったが、運悪く船の中央部分から海水が入り始めた。船にあった洗面器を使って、必死になって何度も何度も繰り返し海水をすくいだし、船が沈みそうになる寸前に、大小の岩でできた消波ブロックに辿り着くと、我々の異常な様子を察知したらしく、漁を終えていた漁師が大勢集まった。
 我々の身に起きたできごとを簡潔に話すと、直ぐに関係先に電話してくれ、パトライトを点灯し、けたたましいサイレン鳴らして、パトカー四台と二台の救急車がすぐに到着した。そして、救助ヘリが連絡を受け、消波設備の上にいる仲間達を順次乗せて、賀露港におりてきたのだ。
 パトカーと救急車に乗っていた人々が、素早く行動した。
 ヘリに乗せられていたのは、憔悴しきった電器課主任吉田君、一般食料品課主任佐藤君の二人だ。二人は、毛布に包まれ、頑丈そうな隊員に支えられて、救急車で病院に向かった。
 近くを航行していた第八管区海上保安庁の船も、確認のため沖合にあるコンクリート製消波設備に向かったらしい。
 漁師さんにバスタオルを貸してもらい、ズブ濡れになっているズボン等を拭いた。漁師さん達が、ストーブ代わりにドラム缶に木を入れて燃やしてくださった。お蔭で、体の芯まで温まった。他人の優しさに触れて、思わず涙がこぼれそうになったので、上を向いて青空にぽっかり浮かぶ小さくて純白の雲を見つめた。情にもろい大田主任は、海を見ているが、多分、目にはいっぱいの大粒の涙が覆って何も見えてないだろう。
 そうこうしているうちに、海上保安庁の船が賀露港に着岸した。近くで見ると、威風堂々として頼りがいのある大きな船舶だった。TVで見たことはあったが……。
 海上保安庁の船で運ばれてきたのは……ビニール製の寝袋のような物で包まれた、大谷君と吉岡君二人の遺体だった。私と大田主任は、彼等の冥福を祈って、長い間、手をあわせていた。
 賀露港の周囲は、むっとするような男性の体臭に覆われ、酸素が希薄になるぐらいに大勢のマスコミ関係者が、我々に向かって、まるでイノシシのように突進してきた。神戸市にある車が多い国道四十三号線以上の騒音も共に連れてきた。ここが、京都の太秦≪うずまさ≫にある東映撮影所であれば、
「静まれ! 殿の御前でおわすぞ。構わぬ、切ってすてー!」
 と、喚くのだが……。
 私は、TV、ラジオ、新聞、雑誌等のマスメディアの取材攻勢には、正直ウンザリしたが、いきなり時の人となった気分もあながち悪くは感じなかった。同時に取材された子供売り場の大田主任もニコニコ顔だった。
 しかし、マスコミ関係者から教えてもらったのだが、大谷君と吉岡君はサメに全身をかみ千切られ、出血多量で死亡し海底に沈んでいたらしい。何とも無残な釣行となってしまった。悔やんでも悔やみきれないが……。このことは生涯忘れられないだろうし、忘れてはいけない事故であり、生きている限り彼等のお墓参りをすべきだ、と心の底から思った。
 鳥取市に実家のある吉岡君のお通夜式に、大田主任と二人でご焼香に行った。まるで、我々が吉岡君を殺害したような錯覚を覚え、激甚な後悔の念が再来した。ご両親、兄妹、親戚にご挨拶するのが怖かったし、どういえばいいのか分からなかった。ただ、小さな声でお悔やみだけはいえた。
 大谷君は、大阪の泉北に実家があったので、お通夜式には行けなかった。翌日は「友引」であったから、告別式は二日後に執り行われるので、大谷家のお通夜には弔いの電報で済ませた。
 早朝、私と大田主任は、鳥取空港から伊丹空港へYS11で飛び、電車を乗り継いで、朝十一時から執り行われる大谷家の告別式に参列させていただいた。この時も、「気の毒さ」が全身を覆い、私の体は常に小刻みに震えていた。
 残念ながら家族の方々には、黙礼はできたがひとことも発せられなかった。
 こんなにも辛い立場に陥るのは、生涯に一度だけで充分であり、この世には、神も仏もいないのか? とも思えた。それほど、辛くて厭世的な気分になり、しばらくの間プチ鬱状態になった。しかし、年月が、オブラートのような薄皮を一枚一枚重ねていき、完全ではないにしろ悲惨な記憶は薄れていった。人間は忘れる生物である、ということを実証しただけだった。


                          -完―
 
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