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竜宮城に行けた男

作者:南 秀憲
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竜宮城に行けた男

 

 古代ギリシャの季節を司る女神ペルセポネが、蒸し熱い夏にもそろそろ飽いたので、命ある生物≪いきもの≫達にとって、涼風が舞うすがすがしい気持ちになる初秋にしょうと、優しさを込めて徐々に季節を移ろわせ始めた頃だった。

 かなり老朽化している養護施設の前で、美形だが生活苦でやつれきった二十歳前後の女性が、キョロ、キョロ、キョロ、キョロ……落ち着かない様子をして付近に誰もいない瞬間を狙っていた。その女性は安物の花柄ワンピースを着ており、無造作にふりかけた、これもまた安物の香水の香りを辺り一面にほのかに漂わせていた。
 まるでミミズが這ったような汚い字で連綿と泣き言を書き連ねた手紙を、ヨレヨレになった幼児服の小さな胸ポケットに無造作に詰め込み、色もあせてしかも薄汚れているバスタオルに包んだ我が子を地面に置くと、足早に逃げるようにして立ち去ったのだ。
 真っ赤な顔をして、ギャア、ギャア、ギャア、ギャア……と、泣き叫ぶ幼児を発見した六十歳代の施設長は義務感から渋々ながら、その子を施設に収容せざるをえなかった。
 火がついたように大声で泣き喚いていたのは、私であった。
 天才は母体の中にいる時の記憶を有しているらしいが、私は一歳頃からのできごとしか記憶にはない。悔しいがそういう点では天才に比べると、少し劣っているのかも知れない。
 捨てられた時、私は二歳ぐらいであった。母にSの性癖があったのだろう、暴れないように私は細い縄でがんじがらめにされていた。身動き一つできなかった。大声で泣けば、必ず誰かが助けてくれるに違いないとの思惑と知恵が、既に私には備わっていたのだろうか? 
 信頼しきっていた母親に捨てられた悲しみと苦悩は、いくら泣き叫んでも消せなかったのだ。
 まるで墨汁をふりかけたようなどんよりした黒い雲に埋め尽くされた漆黒の空が、落としたのは雨だけではなく、私の心の奥底に惨めな思いとPTSD――心的外傷後ストレス障害――を植え付けたのだ。
 この暗澹≪あんたん≫たる光景がデフォルメされた種々の悪夢を、これまで数えきれないほど味わった。既に成人した今でさえもこのような悪夢にうなされて、真夜中に目覚める時がある。そんな時、下着を絞れば悲哀の染み込んだ冷や汗が、大量に滴り落ちるのだ。

 私が収容された施設の長は、神聖ローマ帝国神学者でルーテル教会の創始者であったマルチン・ルターを、心の底から信奉していた。
 施設長は頭の天辺から足のつま先に至るまで、ガチガチのプロテスタントだったのだ。まるで自分自身がマルチン・ルター本人であるかのように、彼に関係する全ての人に対して振る舞っていた。土色をしてまるでウリのように細長い顔の施設長は、陰鬱≪いんうつ≫に満ちた根暗のオーラを周囲に放っていたのだ。しかも、常に施設長は薄い胸板の前で両の手のひらを丸めて、子供でも分かるようなわざとらしい作り笑顔をしていた。施設長は貧相で痩せて眼だけが大きく、まるで【死神】のような雰囲気を醸しだしていた。施設長は【死神】がするだろうと思える仕草をして、百四十四名の一歳から十八歳までの親と世間から捨てられイジケてる私達に向かって、いつも切々と自分なりの感情を込めて説いていた。
「必ずや、あなた達には薔薇色に光り輝く未来が訪れるから、くれぐれも悲観しないようにしなさい!」
 だが、その風貌から発せられる説教には真実味に欠けているという事実を、全く自覚していない哀れなオジサンにしか見えなかったのは、私だけではなかっただろう。
 日光を浴びて銀色に光輝く滑り台に上がると、空気が澄んでいる時には淡路島の家々が、まるで手に取れるように一望できるのだ。そのことは、孤児の烙印を押された私が味わう施設内での辛さと世間の白い眼からか逃れられる、唯一無二といって良いくらいの大いなる救いだった。滑り台の上からだと、明石海峡を航行する船舶がまるでオモチャのように見える。それらの船の船長になった積りでタンカーや貨物船等を操船している気分になることも、たびたびあったのだ。
 深い青色に染まった海、緑の淡路島と澄明なライトブルーの青空が見せるコントラストに、幼い私の心はいつもいやされたのだった。
 後で知ったのであるが、当時、全国で養護施設は約六百あり在所児は約三万人であった。約六割子供達が親はいるものの養育不可能のケースが占めていた。最近では虐待が原因で親から離され止むを得ず入所している子供達も、増加の一途を辿っているようだ。

 それから一年後、私の年齢が三歳に達した頃だった。
 目の中に入れても痛さを感じないほど、他の児童以上に大変可愛がって下さった三十四歳になる保育士さんと、私は仲良しになったのだ。既に結婚していて、我が子の世話に追われているのが、当然だと思える年齢だ。その保育士さんは黒縁メガネをかけていて、顔中がソバカスだらけであった。どちらかと言うと不美人の部類に属していた。結婚で得られる幸せよりも働き甲斐≪はたらきがい≫を選択し、そのことを自分自身の信条にしていたのかもしれない。いずれにせよ、今流に表現すれば、明らかに「負け組」に属していたのである。彼女は骨に皮が辛うじてへばり付いているかのように、ギスギスに痩せていていた。神経質そうに黒縁メガネを絶えず上げている池田さんという女性だった。
 人間というのは、何て残酷な生き物だろう……。あれほどまで愛情いっぱいに可愛がってもらっていて、膝の上で私を夢見心地にさせて下さった彼女を酷評するなんて! そんなことを可能にする自分自身のメンタル面があるのを、非常に情けなく思っている。
 そんな彼女がありとあらゆるジャンルの世界中の童話を、手振り身振りをして面白おかしく読んで下さった。その光景は、あたかも母親が愛しい息子に童話を読み聞かせているようだっただろう……。
 既に私は、平仮名、カタカナ、小学三年生で習う漢字を自由に読み書きできたのだ。しかし、まるで知らない風を装って、彼女が読み聞かせて下さった童話の世界で、自分を主人公になぞらえて物語に熱心に思いを馳せていた。私自身、その時ばかりは母親に甘えているような気分になっていたのだ。池田さんの優しさに包まれて、夢見心地に浸っていたのは確かであった。
 池田さんは数多くの日本の童話も読み聞かせて下さった。
 それらの中でも室町時代の「御伽草子」に登場する【浦島太郎】の話を、聞いた時だった。まるで雷に打たれたような強烈な衝撃が、私の全身を襲った。同時に、氷塊を背筋に入れられたような、ゾク、ゾクするほどの好奇心を私は幼いながら覚えたのだ。その物語から強烈に漂う至福を伴った印象は、成人しても私の脳の大部分を占拠している。
【浦島太郎】に私自身が変身するのは、天から生れながらに付与されていている宿命だ、と思えた。あるいは、彼になってみたい願望が私の心の奥深くにまで植え付けられた、と考えられる。

 私が抱いた願望――それは実際に乙姫様に会うことだった。どんな艱難辛苦≪かんなんしんく≫に遭遇しても必ず乗り越え、竜宮城に辿り着いて乙姫様に会って、幾重にも漆≪うるし≫を塗り重ねた朱色に輝く玉手箱を持って帰りたい。当時から、そう切望し続けていたのだ。たとえ、七百年後の未来にタイムスリップしても、玉手箱を絶対開けない自信があった。
 精神病の一種であるパラノイア(偏執狂)が、幼少期より今に至るまで私に宿っているせいかも知れない。想像と憶測を遥かに超えた連綿と祖先よりもたらされた遺伝子に刷り込まれたDNAが、私に及ぼした影響なのだろうか? それは疑問を差し挟む余地がない真実だろう。将来、自分自身が必ず体験する事実になると、幼いながらも明確に確信していたのだ。

 毎週日曜日の十時、私達全員と当然ながら先生方も、強制的に施設内にある礼拝堂に集められた。そこで、施設長の欠伸≪あくび≫が出るほど長たらしい説教を聞かされた。その後に、「讃美歌」を唱和させられたのだ。
 手垢≪てあか≫で黄土色に汚れ、しかもボロボロになっている聖書を持ち、宗教改革の中心人物となりプロテスタント教会の源流を作ったルターに心酔している施設長の、お気に入りの一節に、百十二番「もろびとこぞりて」があった。
 だが、【シュハキマセリ】というくだりが、長い間、幼い私を狂おしいほどに悩ませたのだ。

 諸人≪もろびと≫こぞりて 迎えまつれ
 久しく待ちにし 主は来ませり
 主は来ませり 主は、主は来ませり
 悪魔のひとやを 打ち砕きて
 捕虜≪とりこ≫をはなつと 主は来ませり
 主は来ませり 主は、主は来ませり
 この世の闇路≪やみじ≫を 照らしたもう
 妙なる光の 主は来ませり
 主は来ませり 主は、主は来ませり
 萎≪しぼ≫める心の 花を咲かせ
 恵みの露≪つゆ≫置く 主は来ませり
 主は来ませり 主は、主は来ませり
 平和の君なる 御子を迎え
 救いの主とぞ 誉め称えよ
 誉め称えよ 誉め、誉め称えよ

(シュワキちゃんがマセていることが、なぜ讃美歌で歌われているだろうか?)
 先生に尋ねるのも気恥ずかしくて、頭の中で何度も何度も反芻≪はんすう≫し答えを導きだそうとした。でも、その時にはそんな努力は一向に報われなかった。だが、私が六歳の時だった。【シュハキマセリ】は「主は来ませり」であり、主の再来により地上にもたらされる喜びと愛を歌っているのだと判明した。その時、小躍りして大喜びの雄叫びを実際に上げてしまった。 
 私がおこなった行為は他人には、異常な行為に見えたに違いない。普段は気難しい顔で考えごとをしていたかと思えば、奇声を上げながら走り回るので躁鬱病≪そううつびょう≫に罹患≪りかん≫していると、施設長、先生方、皆に思われていたらしい。しかし、それが原因で病院に連れられて行った記憶はない。
 良く言えば「並外れた個性のある幼児」、悪く言えば「些細なことすら忘れられない偏屈な幼児」だった。悲しいかな、その性向は今でも変わっていない。
 小学校に上がるとIQテストはズバ抜けて高かった。皮肉たっぷりに、私を良く知る大人達からは「精神異常者と紙一重の神童」だ、と言われていた。
 そんな私は唯ひたすらに勉学に励み、竜宮城に行けるだけの十分な資金と休暇を手に入れる方法だけを、自分なりにあれこれと模索し続けていたのである。
 なにぶん、税金と篤志家≪とくしか≫の寄付の世話になっている身分では、進学率で勝る私学に、当然だが入学できず、小、中、高と公立に通学していた。だが、常に学年でトップの成績を修めていた。だから、奨学金のお世話になって、国立大学K大経済学部に現役で無事合格できたのだった。当然、高校を卒業した十八歳になれば、特別な例外を除き児童養護施設を出て、いやでも自立しなければならなかったのだが……。

 施設を出た大学の四年間、京都の民家の二階にある四畳半で下宿生活を送った。その民家は京都駅から地下鉄烏丸線≪からすません≫今出川で下車して、東方向の百万遍≪ひゃくまんべん≫にあった。二階にはもう一間あり、その部屋も六畳の部屋であったが誰も下宿していなかった。
 一階には、六畳二間、四畳半、洋風のリビング十二帖位、キッチン、六帖位の浴室、トイレがあった。
 その家は古来より伝わる手法を用いていた。しかし、その家には決して古典の模倣に終わることなく、構成や色彩に現代感覚を大胆に取り入れた斬新な庭園があった。池には、大きな錦鯉が悠々と水中散歩を楽しんでいた。毎日決まった時間に、錦鯉に餌を与えるのが大家さんご夫妻にとっては何ものにも替え難い楽しみであったのだろう。私も広い庭を散歩しながら、錦鯉の泳ぐ風情にいやされた一人であった。近所の方々も素晴らしい庭園を満喫されていたのだ。
 当然ながら私は近くの銭湯に通っていた。だが、改造のために四日間休みだった。だから、仕方なく少し遠い銭湯に行くことにした。ツッカケを靴箱に入れてガラガラと「男湯」と暖簾≪のれん≫が掛かった引き戸を開けると、まるで透き通った鈴を鳴らすような声を聞いて、私の心臓は一気に活動の頂点に達したのだ。
「おいでやす―」
 番台には、黒髪が美しく輝き前髪を眉の上で綺麗に揃えその下には大きな魅力ある瞳があり、鼻筋も通っていて、スレンダーな体つきだが胸もそれなりに膨らんでいる二十歳代に思える美人が座っていたのだ。まだまだウブだった私は今にも心臓が口から飛びだすほど、ドギマギしながら、衣服を脱いで富士山が壁面に大きく描かれた浴槽に入った。だが、胸の高鳴りは一向に収まらなかった。風呂から上がりバスタオルで体を拭いて服を着ようとしたが、恥ずかしさでいつまでも心臓がドキ、ドキと音をたてていた。帰る時も鈴を鳴らすような澄んだ声で、
「またおいでやすー」
 と言われたがその銭湯には恥ずかしくて、それ以来一度も行けなかった。昼間の四時半頃なのに、高齢者だけではなく三十~四十歳代の男性も多かった。それほど男性を惹きつける魅力を、彼女は生れながらにして身に付けていたのだろう。

 年老いた大家さんご夫妻には何かと親切にしていただいたので、社会人になってから盆暮れには柔らかそうな品物を欠かさずお贈りしていた。しかし、ご夫妻は相次いで亡くなられ、東京に転勤している息子さんが喪主を務められた。ご夫妻のご葬儀には万障繰り合わせて出席させていただいた。また、私のできる精一杯のご香典をお渡し、心からのご冥福をお祈りした。
 下宿していた民家のすぐ南には京都御所があった。近くには加茂川と高野川が合流した鴨川があり夏の夜になると、光源に集まるウンカの如く、どこから集まってくるのかペアーで溢れていた。昼間でも気候の良い季節だと、多くの男女が体を寄せ合っているのだ。
 昼間、恋人がいない私は土手で寝そべって、真っ青な空を背景にして緩慢に流れて行く綿飴≪わたあめ≫のような雲と一体化した。ぼんやりと文学書の活字を追って優雅な時間も過ごした。
 だけど、ほとんどの日は、食品スーパーで日用品課のアルバイトに明け暮れていたのだ。そればかりではなく、週五日は食品スーパーでの仕事を終えた夕方から、K大志望の高校生がいる二軒のお宅で家庭教師をしていた。更に、春、夏、冬の大学が休みである期間中は、重労働だが日当が良い引っ越し作業に精を出したのだった。
 そのようなアルバイトを休まずこなしながら、卒業時には全ての科目で優を獲得した。
 ゼミの教授から、一般に言う大学院に残るのを何度も何度も薦められた。
「君ほどの才能が溢れているなら、経済学研究科に進めば、将来は間違いなく教授の椅子が約束されるよ!」
 しかしながら、経済学研究科に残るのは私にとって時間の浪費でしかなかったのだ。そこで、経済的理由を盾にしてゼミの教授に何度も頭を下げ、ていねいにお断りした。他人には話せない,否、話したくない例の目的があったからだ。その目的がなければ、研究科に籍を置いて経済学を一層深く研究していただろうに……。近い将来に博士号を獲得して、大学または大学院で教鞭を執りたかったのは、偽らざる本音でもあった。ミクロ経済分析の射程を非市場的な行動を含む幅広い人間行動と相互作用にまで拡大した業績を讃えられ、千九百九十二年にノーベル経済学賞を獲得し、シカゴ大学で教鞭を執っていたゲリー・S・ベッカー氏を研究したかったのだが……。
 大学在学中にバイトに励んだために、卒業時には五百万円を超す預金さえできた。お金を使う時間もなかったし、何よりも竜宮城に行くための研究に使用したかったのだ。だが、このお金も社会人になってから半年前後で無くなった。書籍、文献資料の購入等で、それこそ「あっ」という間に使い尽くしたのだ。

 私は三回生の春から、有名IT企業にターゲットを絞り込み本格的に会社訪問を始めた。筆記試験と面接の結果、十六社から内定通知をいただいた。仕手株バブル(九十年代半ば兼松日産農林等)、ITバブル(光通信等)、新興市場バブル……など、何度となく株式市場はバブルを膨らませ崩壊した。内定通知をいただいたのは、その中を耐え抜いた企業ばかりだった。
 各社の財務諸表や株価の推移等を見極め、三十四歳で退職する予定の私にとって、金銭面でBESTの一社を選択して入社した。
 私はサラリーマンとしても優秀であり、退職の「た」の字すらおくびにも出さなかった。仕事一筋のワーカーホリックとして、いつも喜色満面で上司から与えられた仕事を卒なくこなすばかりでなかったのだ。自ら進んで様々な有益な提案をして、実行に移し上司が満足する充分な成果を導いた。私は会社を背負って立つ人間であり、今日の会社の好業績を導いたと自負しても、誰も異を唱えないだろう。
 日本では「滅私奉公」に代表されるように、身をかえりみず職業に邁進することが良いとする規範が、今でも存在し続けている。自身より職を優先することこそが、社会的に求められているのだ。

 自分で言うのもはばかれるが、私は身長百八十四センチメートル、体重七十キログラム、誰もが羨むスラリとした筋肉質のチョーイケメンである。会社の同僚達の付き合いで止むを得ず参加した幾多の合コンの場で、女性達がだすフェロモンの誘惑にも一切興味を示すことなぞなかったのだ。
 東京本社近くに借りている一LDKにこもり深夜遅くまで、浦島太郎、乙姫、竜宮城に関する文献、資料等の解釈に没頭した。それらに止まらず語学、人文科学、哲学、宗教学、歴史学、社会科学、人類学、考古学、自然科学、物理学、化学、生物学、宇宙科学、地球化学……などの書籍を必至になって読んだ。それらの書籍の中でも、特に必要だと思える箇所はていねいにノートに書いて覚えるようにした。更に、読書だけに頼らずに頭脳を駆使して、綿密な計画を練りに練ったのだ。 
 休日には、大規模書店や神田の古本街を血眼になって、目的の書籍や資料を捜し歩くことが会社で受けたストレスの解消法であり、同時に私が味わう大きな楽しみでもあった。
 神田の古本街に行くだけではなく、現在の世界で使われている言語をできるだけ多く自由自在に話せるように、語学の勉強にも時間を充てたのだ。世界で使用されている言葉の多い順にコツコツと努力して、話せるように努力したのである。話している人数が多い順に列挙するすると、中国語、ヒンディー語、スペイン語、アラビア語、ベンガル語、ポルトガル語、ロシア語、日本語、ドイツ語だ。なぜならば、様々な文献資料を研究した結果だと、竜宮城で話されているのは必ずしも日本語であるとは断言できないからだ。

 私の性格は社交的、協調的であり、何ごとにも疑えないタイプだと思う。
 竹馬の友、同級生、社会に出てからは多くの尊敬に値する先輩や同僚に恵まれた。でも、あえて親友を作らなかったのだ。親友達に心配を掛けたくはなかったからだ。ゆえに、恋人はなおさらだ。本当は、人として胸中を何でも吐露できる親友や真の異性を渇望していた。しかし、積年の願望がその存在に勝ったのである。寂しいといえば胸が張り裂けるほどに、人恋しい時もあったが……。
 二十九歳の時だった。様々な研究をしてきた末に、私はある結論に到達したのだ。それは、想念、言い換えれば脳の中で竜宮城等を創り出して、自らが浦島太郎になり伝説で彼が経験したであろう事柄を追体験するか、あるいは彼に先駆けて実体験することだ。
 アルベルト・アインシュタイン博士が、ニュートン力学とマクスウェルの方程式を基礎として「質量、長さ、空間、時間等の概念は、観測者の慣性系で規定される相対的な事象であり、光速度のみ不変である」という特殊相対性理論を千九百五年に発表していた。特に、私はこの論文に大きな影響を受けて,基礎数学、高等数学、ユークリッド、非ユークリッド幾何学を学んだ。
 更に、アインシュタイン博士は、加速度運動と重力を加えて、リーマン幾何学を使い重力場で
 時空の歪みを説いた一般相対性理論を千九百十五~千九百十六年に著している。
 帰結として、光速を超えない限り過去のある時点には到達できないのだ。そのことを改めて確認しただけだった。
 徒労と絶望感に打ちひしがれそうな私に、新たな一筋の光明を与えてくれたのは、イギリスの理論物理学者であるホーキング博士が著した論文であった。
 彼は、「時間順序保護仮説」の中で、
「タイムトラベルが可能なのは、場のエネルギーが無限大でなければならない」
 と、提唱している。
 しかし、同時に、
「宇宙全体の割合では質量のある物質はわずか四パーセントにしか過ぎず、残りの九十六パーセントをダークマターとダークエネルギーが占めている」
 と、主張していることを知りダークエネルギーと私が生まれながら身につけている超能力を、何とかして融合できないものかと、数年かけて研究をしたのである。千八百九十五年、H・G・ウェルズが著した「タイムマシン」の中で使用した機械装置を製作するのでない。私自身が、タイムトラベルをおこなって、時間の流れの中で過去・現在・未来を自由に移動できる方策を見つけたかったのだ。
 H・G・ウェルズはイギリスの著作家であり、小説家としてフランスの小説家ジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれて、SF的題材を数多く生み出した。タイムマシン、タコ型の火星人、透明人間等が有名である。その他にも動物を知性化した「モロー博士の島」、テロの道具としての細菌を題材にした「盗まれた細菌」、反重力を扱った「月世界最初の人間」……などがある。施設内にある図書室で彼等の著作に、我も忘れて没頭したのは、私が四歳頃だった。

 様々な角度から研究してきた結論として、私が着目したのは、インドヨーガの修行を積んだ僧がチャクラで宇宙エネルギーを受け入れている事実だ。ヨーガの開祖はゴーラクシャ・ナータとされる。紀元後十世紀~十三世紀頃には、「ハタ・ヨーガ」と「ゴーラクシャ・シャタカ」という教典が書かれている。
「悟りに至るための補助的技法として、霊性修行に取り入れるなら非常に有効だ!」
 そう主張した伝統的ヨーガを私は信頼し、その教えを全面的に取り入れるのを決意したのだ。
 来る日も来る日も、宇宙のエネルギーとつながる場所である第七チャクラの開化に努めた。
 長い時間を費やして、遂にダークエネルギーを身内に取り込むのに、私は成功したのだ。
 会社勤めで得たサラリーは、ほとんどが研究費に消えてしまった。だが、そんなことよりも念願の成就の方が私自身に占めるウエイトは、遥かに大きかった。壁に掛けた温度計が二度を示す真冬にもかかわらず、頭脳の働きを活発化するためにエアコンの暖房もかけていなかった。コタツに下半身を入れ、上半身に温熱効果がある長袖肌着を一枚だけ着て、研究に没頭していた。文字通り頭寒足熱を実践していたのだ。
 一LDKの部屋で両隣の住人に壁を激しくドンドンと叩かれるまで、夜中にもかかわらず奇声を発しながら成功した歓喜に酔いしれて、全身裸で踊っていた。キリマンジャロ山のエン・カイ神を信じている勇敢で気位の高いマサイ族の収穫の踊りを真似た、激しくて大袈裟な上下運動を繰り返していたのだった。

 自分で言うのも少し照れくさいが、几帳面な性格の私は直属の上司である営業部長に、最近はやっているメールで済ますことはしないで、墨字で書いた辞表を提出したのだ。すると,あっけにとられた表情を一瞬見せて、辞職する理由を執拗に尋ねられたのだった。
「なぜ、優秀な課長が唐突にそのような心情に至ったのですか?」
「不本意なのですが、諸般の事情で止む無く親戚の会社を手伝うことになったからです!」
 そんな心苦しい嘘をつかざるをえなかった。
 その後、後任者と業務を円滑に引き継ぐことが目的で、約一月間は会社に通った。幾度となく営業部長始め専務、常務、社長に至るまで温情溢れる遺留の言葉をかけられたのだった。気の毒だと思って良心はうずいた。しかしながら、長年大事に培ってきた私の夢を、諦めさせるには至らなかったのである。

「一時的にせよ、いよいよこの時代ともお別れだなあぁー!」
 そう小さくつぶやいた時、幼い頃から今日に至るまでの楽しいできごとばかりが、走馬灯のように脳裏を駆け巡った。薄汚れたグレイのカーペットに、涙で小さな池を作ってしまった。その涙の池を見れば見るほど涙線に異常をきたしたのだろうか、止めどなく涙が溢れ出して池は更に大きくなった。その涙は、寂しさと嬉しさの入り混じった複雑な産物ではあった。
 まだ弱々しい初春の朝日が小さな涙の池を照らすまで、同じ姿勢でいる自分に気付くほども長い時間、この時代に別れを惜しんでいたのだった。
 時空連続帯を突破して過去に遡行≪そこう≫する実験は、何度も何度も試行錯誤を繰り返しながらおこなってきた。だが、本格的に時間遡行するのは、この時が初めてであった。今、不安と期待に溢れる世界に踏み出そうとしている私の毛孔という毛孔から、冷や汗が吹きだした。その汗が、あたかも、輝く初春の太陽を閉じ込めた水晶玉のように見えたのだ。
 虹色にきらめく時空の渦の中を私の顕在意識が、過去に向かいタイムトラベルを始めたのだ。私はまだ到着していない桃源郷に、既にいるような充実感と高揚感とに包まれていた。
 時間遡行の際に充分気をつけなければならないことは、地球が恒星である太陽の周りを楕円形に公転している事実だ。その速度は約三十キロメートル/秒である。また、太陽が銀河系の中心の周りを回る公転速度は約二百二十キロメートル/秒だ。それらの速度を、あらかじめ計算していなければ宇宙空間に放り出されることになり、即、死に結びつくのである。
 しかし、ハッブル宇宙望遠鏡等の人工衛星から得られている観測結果から判断すると、百三十七億年前に始まったビッグ・バン時から、今なお加速膨張し続けている宇宙全体からすれば、数十年程度は無視できる時間単位であろう、と考えた。つまり、数十年単位で過去に遡及すれば安全だろう。そのようにして、徐々に目的の時代に近付くのがBESTであり、いきなり彼、浦島太郎の時代に到達するのは危険極まりないと判断した。したがって、手始めに四十年~五十年前の世界に時間遡行することにしたのだ。だが、残念ながら、細かな時代と場所を特定する方策はまだ体得できていなかった。とはいえ、大まかな西暦と場所は分かる。それを可能にしたのは、何年も費やし精魂込めて作った薄いダイバーウォッチに近い形状の複雑なT・P(時・場所の略)装置である。スマホ、パソコン等にあるチップ、基板を使って苦心して作ったのだ。

 自分がもともと存在していない空間に、自分の体積分が突如出現した場合には、外爆発がおきるだろう。だから、体積、質量を持たない状態で現れる必要がある。つまり、裸になりT・P装置だけを腕にして過去にタイムトラベルするのが、一番賢明な方法だろう。だから、私は裸になり、過去に向かってタイムトラベルを始めたのだ。とは言え、私には自分の肉体は見えるのだが、ほとんど透明な自分自身を見るのは気持ちの良いものじゃない。体積も質量がない状態であり、気温の変化、風の動きも感じられないのは、全く変な気分だ。透明人間なんてなるものではない。素っ裸で半透明になった自分を見るのは、何とも表現できないほど複雑な気分だ。今は、吐き気を催すようなイヤーナ気分だが、時間が慣れを運んでくるだろう。それを期待するしかない。
 最初に質量がない状態で半実体化した所は、国鉄(現在のJR)兵庫駅の上空約五十メートルの空間である。今しも機関車が、漆黒の煙を風になびかせながら、西にノロノロと向かおうとしているところだ。次は恐らく須磨≪すま≫に停車するのであろう。
 この時代の世界では、私自身アウトサイダーである。いや、異邦人ですらない。この時代に存在を許されていないのだから……。この時代に一切関わりを持てない。つまり、この時代にいささかも干渉できない存在であることを、私は十分認識している積りだ。だが、薄茶けたホームで次にくるだろう、石炭を燃料にして水を蒸気にさせ動力を得るSLか、木の床が油臭い省線電車(今の各駅停車する普通電車)を待つ人々に、思わず大声で自分の存在を知らせたい衝動に駆られた。だがもし、そうしても誰も気付かないことは、火を見るより明らかではある。が、小さな叫び声をあげた私は、奇妙なノスタルジーに惑わされている証拠なのかも知れない。昭和三十年~四十年頃のTV映像か書物でしか知らない世界なのに……。
 ちなみに、英国産業革命時代、ジョージ・スチーブンソンが最初に蒸気機関車を制作したと勘違いしている人が実に多い。彼は、公共鉄道で走行する最初の「ロコモーション号」を更に「ロケット号」で蒸気機関車の基本設計を確立しただけである。千八百四年、リチャード・トレビシックが鉄道史上初めて蒸気機関車を走行させたのだ。

 さて、【歴史は、一直線に過去・現在・未来へと進むもの】であると、私は確信している。
 あらゆる選択肢が存在して、あらゆる世界を創り出すという多元的世界論――ある有機物の集合が、Aを選択すればAの帰結としての世界が現出するパラレルワールド――を堅く否定している一人である。だから、いかなる理由が存在しようとも【歴史に私の痕跡を残してはいけない】と、信じているのである。
 ところで、賢明な皆さんは重大な矛盾に気付かれたことだろう。
 そもそも、浦島太郎が七百年後の未来に実体化すれば、彼の体積に相当する空間が弾き飛ばされることになり、当然、玉手箱を抱えた彼はイクスプロージョン(外爆発)により跡形もなくなるはずである。竜宮城より帰ってきた彼が目の当たりにしたものとは――様変わりしている村、先祖を祀る墓石に刻まれていた両親と自分の名だったのだ。挙句の果てに浦島太郎は、精神的に耐えられずに玉手箱を開けたのだ。その瞬間に、彼が存在していた場所から、彼は消え去ったのだ。だから、浦島太郎の体積に相当する大気が入り込むのは必至である。そうなれば、核融合爆発以上のインプロージョン(内爆発)が起きる。したがって、この物語は完結せず後世に伝承されないのではないだろうか?
 特殊相対性理論でアインシュタインが唱えた、エネルギー(E) = 質量(m)×『光速度(c)の 二乗』、「物理法則は、すべての慣性系で同一である」という特殊相対性原理から考察した場合。
 彼の質量=体重がたとえ五十キログラムであっても、原子爆弾いや水素爆弾を数千個以上も爆発させる威力があるはずだ。
 約六千五百万年前、中生代と新生代の境目に直径約十キロメートルの隕石が、メキシコユカタン半島に衝突した。その衝撃波と、粉塵が地球を覆い日光の届く量が激減し寒冷したことにより恐竜やアンモナイトは絶滅したとされる。このような規模の爆発は生命が誕生して以来、何度か発生した大量絶滅の一つに過ぎない。だが、浦島太郎に起因する爆発はそれ以上のパワーがあるだろう、と思える。この疑問を解明することも、私の命を賭した冒険の主な命題ではある。

 さて、話を兵庫駅上空にふわふわと浮かぶ私に戻そう。何とかして上下前後に思い通り移動できないものかと様々な試行錯誤をした結果、少しずつではあるが自由に移動するコツをつかめるようになってきたのだ。そこで、北方向の六甲山系に向かって何分か移動すると、前方にパンタグラフを架線に時々シヨートさせながら、ノロノロと進む緑色の路面電車が目に入った。更に近づくと停留所と路面電車の軌道が見えてきた。薬局(薬店?)の前にある停留所で、路面電車を待っている若い女性二人がいる。二人とも同じようなパーマをかけて、お揃いのロングの花柄ワンピーを着ている姿が手に取るように見えた。全く同じような顔をしているから双子だろう。
 多分、神戸新開地に通じる商店街からであろうパーシーフエイス楽団が奏でる「夏の日の恋」が聞こえてきた。音が割れていて、ザー、ザーとかすかに雑音が混じる当時のラジオに、しばしオールデイズの好きな私は聴き惚れた。
 だが長居は無用だ。
 私は先を急いでいるので、一挙に明治時代まで移動した。もう辺りは闇に包まれていた。が、眼下には煉瓦造二階建ての瀟洒≪しょうしゃ≫な洋館が、ぼんやりと見えた。もう少し洋館に近づくと、二階で洋装した男女がビリヤードに興じているのが見えた。近づくと、ワインを飲みながら談笑している数人の姿が窓越しにうかがえた。
(あぁ、これが、中国詩経の「鹿鳴の詩」に起源を持っている来客を手厚く歓待する意味を表す鹿鳴館だな。鹿鳴館は中井櫻洲が名付けた)
 以前、調べたところによると鹿鳴館は三年を要して、千八百八十三年(明治十六年)七月に落成した。設計にたずさわったのはジョサイア・コンドルであり、施工は大倉喜八郎と堀川利尚との共同出資で設立した組織である土木用達組≪どぼくようたつぐみ≫だ。舞踏会にはあまり興味なぞない。だが、三島由紀夫氏が文学座に籍を置いていた時に、杉村春子のために書き下ろした戯曲「鹿鳴館」に感銘を受けた記憶があったので、様々な角度から二十分ほど見ていた。

 私が過去に遡及した経験はわずかであった。ところが、タイムトラベルする場所と日時を特定できる能力を身に付けることができるようになった。そのことは、私にとって大いなる収穫であった。今後の時間遡行がますます楽しみになってきたのだ。今は明治時代にいる。明治時代にタイムトラベルしたのなら実際に顔を見てみたい人達は大勢いる。以下のような人々だ。
 明治三十七年に日露戦争が始まると、第三軍司令官として旅順要塞の攻略を指揮したが、この時に二人の息子を戦いで失った。そして、終生敬愛した明治天皇の死に殉じ、妻の静子とともに東京赤坂にある私邸で自刃した、私が尊敬する人物である乃木希典≪のぎ まれすけ≫。初代内閣総理大臣で、千九百九年、ハルピンにて韓国人に暗殺された伊藤博文。廃藩置県を推進した岩倉具視。明治維新で活躍した西郷隆盛や木戸孝允と並んで、「維新の三傑」と称される大久保利通。造幣頭、大蔵大輔(大臣)などを歴任した井上馨。私財をなげうってまで自由民権運動に身を捧げた板垣退助。山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれ、天皇が最高司令官として全権を統帥した海軍大輔を立派にこなし、亡くなる時に「コレデオシマイ 」と言ったユーモアのセンスを持っていた勝 海舟。
 そんな人達と一目で良いからお会いしたかった。しかし、残念だが時間的余裕がないので割愛した。
 江戸末期から明治の初めにかけて流行した、多分、オッチョコチョイ節だと思われる歌が、どこかの料理屋より聞こえてきた。男のさびのきいた声で、
「猫じゃ、猫じゃとおっしいますが、猫が杖ついて絞りの浴衣でくるものか、オッチョコチョイノチョイ」
 と、歌うのを途切れ途切れに聞いただけにして、江戸時代までタイムトラベルした。

 千七百三年十二月十四日、厳しい冷え込みが周囲を静寂にしていている。満月であるために明るくて個々の家が眼下に見えるので、すぐに吉良屋敷を探すことができた。私はその屋敷の約二十メートル上空に浮かんでいた。赤穂浪士遺臣である大石内蔵助良雄以下赤穂浪士、四十七士の活躍をこの目で見たかったのである。赤穂浪士達が成し遂げた主君の仇討ちは、曾我兄弟の仇討ち、伊賀越えの仇討ちと並んで「日本三大仇討ち」に数えられる。
 主君が殺害しようとして失敗した吉良上野介≪きらこうずのすけ≫を、家人や警護の者もろとも殺害した一部始終を、私は瞬き一つしないで最後まで見届けたのだ。鮮血が飛び散り敵味方入り乱れて、鬼の形相で槍や刀を振り回す姿は目をそらしたくなるほどに残酷である。まさに地獄絵図だ。しかし、彼らの仇討の行く末を思うと、TVで観ているような気軽さはなく、むしろ、暗澹≪あんたん≫とした思いに駆られた。
 切腹なんて、とても、とてもできないヤワーイ自分に、この時だけは劣等感が重く覆いかぶさった。武士だったとはいえ、果たしてこれほどまでに一途になれるのだろうか?
(この時に、雪が降っていたというのは、『仮名手本忠臣蔵』の脚色である)
 しかし、主君の仇打ちに加わらずに刀を鍬≪くわ≫に持ち替えて、細君、家来達の行く末のみ案じ、家を守った赤穂藩士こそ、勇気ある行動をとったと称賛すべきではないだろうか? 卑怯者と馬鹿にされ続けた生涯を生き抜いた彼等こそ、私には真の武士道精神を体現したと思うが、どうであろうか? 

 悲しくて暗いできごとを忘れようとして千七百六年にタイムトラベルした。
 昼間のせいだろう、どこからか三味線の音色とともに新浄瑠璃や長唄が聞こえてきた。でも、音曲≪おんぎょく≫にはまるで興味はない。そこで、尾形光琳作「紅白梅図屏風」、俵屋宗達作「風神雷神図」、「蓮池水禽図」、菱川師宣≪ひしかわもろのぶ≫作「見返り美人図」、「歌舞伎図屏風」……など国宝級の名画を、心当たりの場所を苦心惨憺≪くしんさんたん≫して捜した。ところが、残念ながらお目にかかれなかった。一体どこに収蔵しているのだろうか? 
 仕方ないので何の目的もなく、ぼんやりと江戸の町の上空に浮かんでいた。すると、店先に多くの版画らしき絵があり、着物姿の若集や、かんざしを挿した女性達が黄色い声を出しながら群がっていた。私は下降して確かめと、なんとそれらの版画は繊細で優麗な描線を特徴とし、様々な姿態、表情をした女性美を追求した美人画の大家である歌麿の作品だった。絵の心得も少しはある私は、かたわらで鑑賞させてもらったが、賞賛の域を遥かに超越した素晴らしいできだ。思わず感嘆の声が出てしまった。たとえ、大声で賛辞しても誰一人として、この時代に生存している人達の耳に届きはしないが……。
 最近、長い間、行方≪ゆくえ≫が不明だった「深川の雪」が発見され修理を施された。その掛け軸は、縦二メートル、横三.五メートルと巨大な肉筆の浮世絵で、「品川の月」、「吉原の花」とともに「雪月花」三部作として、歌麿肉筆画の最高傑作といわれている。東京・深川の料亭を舞台にして二十七人の遊女や芸者が、火鉢を囲んだり遊びに興じたりする姿が、生き生きと描かれているのだ。その歴史をたどれば、中国の北宋時代に掛物として掛軸が用いられていたようだ。
 元禄文化は十七世紀終わり頃から十八世紀初頭にかけて、元禄時代(千六百八十八年~千七百七年)を中心として、主に上方を中心に発展した文化で、江戸にまで拡散し庶民的な面が色濃く現れているのがその特色である。だが、その文化を担っていた層は必ずしも町人ばかりでなく、武士階級の者も多い。

 元禄時代より、更に時代を過去に遡ることにした。
 一時間前後待てば、T・Pで正確な緯度・経度と年月日・時間が判明できる。しかし、その時間が惜しいのでたまに無視することもある。今回もそうしたのだ。
 江戸時代の初期だろうか、定かな年号までは把握できないが、木戸が随所にあり女性の姿がまばらで少ない。江戸は京都や大阪と違って当時は発展途上の町であり、商人や職人の多くは単身で地方から出てきていた。江戸で成功すれば、郷里の妻子を呼ぼうとしたためであったのだろう。
 生活習慣が異なるので喧嘩は絶えることがなく、治安状態も非常に悪かったのだ。盗賊が多く横行して富裕な商家から千両箱を運び去ると、口封じと証拠を隠滅するために家人を殺すばかりでなく放火したのである。普通の意味でも、悪い意味でも「火事と喧嘩は江戸の華」なのだ。
 猿と狸爺≪たぬきじじい≫を、中学校の社会の教科書でしか見ていなかった。だから、実際の顔と間近で対面しようとした。しかし、江戸城天守閣の上空にやってきて丸一日過ごしたが、豊臣秀吉、徳川家康のご尊顔は拝せなかった。
 千五百九十年、江戸城は豊臣秀吉の小田原攻めの際に開城したが、駿府(静岡)から転居した権大納言である徳川家康が、千五百九十年八月三十日に公式に入城し居城としたのだ。
 仕方なく私は天下分け目の戦いで知られる、千六百年十月二十一日に勃発した関ヶ原の戦いを観戦することにした。これは、周知の通り、美濃国不破郡関ヶ原を主戦場とした野戦で、徳川家康の覇権を決定付けた戦いである。
 私はTV,映画に出てくるような本格的に武術と学問を身に付けて、刀を自由自在に使いこなせる侍を見たくはなかった。戦≪いくさ≫に加わった大勢の人々は、普段、農業にたずさわっているのだ。そういう人々に、視点を置いてみたかったのである。そこで私は、ある一人の村人に密着した。手柄を立てれば今の生活も必ずや良くなるだろうという甘い考えで、家法の甲冑≪かっちゅう≫を家族に協力してもらって着用し、勇ましい武将に変身した気持ちになって、戦に加わったようだ。だが、敵味方入り混じった殺戮≪さつりく≫の現場を体感すると、彼は歯の根も合わないほどに恐ろしくなったのだろう。敵軍に背を向けて戦場から慌てて逃げようとした。
 その刹那、背中に熱い激痛が走ったらしく胸に装着していたが、ほとんど錆びてもろくなった鎧≪よろい≫を突き抜けて、先が尖って血がベットリと付いた青竹をカーと見開いた目で見た。彼はガクッと前向きに倒れ様に、今まで生きてきた中でも楽しいことばかりが、走馬灯の如くつむった瞼に映ったようだ。まるで、東大寺にある木像の弥勒如来像≪みろくにょらいぞう≫のように柔和で優しい笑顔でほほえみ、無様にも泥水に土下座をしている恰好で絶命していたのだ。
 残酷だ、残酷過ぎる。
 戦にどんな大義名分があろうとも、私は反対の立場をこれから先も堅持して行きたい、と改めて意識させる悲しいできごとであった。

 次に、タイムトラベルしたのは戦国時代の千五百八十二年七月一日だ。
 日本史上においては最重要事件の一つである。天下人≪てんかびと≫に最も近かった織田信長を家臣であった明智光秀が兵を一万三千率いて襲い信長を自刃させた京都山城国「本能寺の変」だ。真っ赤に燃え上がったお寺には、半実体の身であっても暑くて近づけないが、私のいる上空からでも信長の無念はひしひしと伝わってきたのだ。光秀軍の中には明智秀満、斎藤利三の姿も見えた。
 現在でもこの事件に関しての定説はない。光秀の恨みや野望が原因だとする説や、光秀以外の首謀者がいたとする説もあり、日本史上において大きな謎でもある。しかし、私は黒幕が秀吉だと思うが、どうであろうか? その根拠は、本能寺の変を機に秀吉が天下人となり結果的に一番利益を得ている事実だ。この説は物証に欠くために学説としては定着していない。だが、推理のセオリーに基づけば、「最終的に最大の利益を手にした人物を疑え」ということになるのだ。

 薄らと雪化粧をした写実的絵画のような、まだ建築して間がない金閣寺の前にある池の上空、約二十メートルへやってきた。池に映るかすかに揺らぐ鹿苑寺金閣≪ろくおんじきんかく≫に、私は言葉ではとてもいい表せないぐらいの、感動と宗教心を掻き立てられたのだ。ルネサンス以降の美術が現実をありのまま表現することを目指してきた、広義の写実主義と呼べる美しさだろう。鹿苑寺金閣は、義満が伝統的な寝殿造と禅宗仏殿を融合して建造させた、北山文化を代表する建築である。
 一方、義政が建てた慈照寺銀閣≪じしょうじぎんかく≫は、禅宗仏殿に書院造を合わせた建築であり、慈照寺内東求堂≪じしょうじないとうぐどう≫は四畳半の座敷であり、初期書院造と言われ和風建築の原型になっている。だが、鹿苑寺金閣ほどの魅力はなく、魂を揺さぶられないのは、私だけであろうか? 
 絵画では、筆のタッチが見事で何度も何度も美術館に足を運び鑑賞した、私が惚れ込んでいる雪舟が水墨画を完成させた。狩野元信は、水墨画と大和絵の技法を融合させ、後に狩野派と呼ばれた。狩野永徳が渾身≪こんしん≫の魂を込めて描いた「唐獅子図」は、今にも二頭の獅子がでてきて暴れだしそうな迫力に圧倒される名画だ。狩野派は日本絵画史上最大の画派であり、この時代から江戸時代末期まで、画壇の中心にあった専門画家集団である。室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、その子孫は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍……などに絵師として仕えた。あらゆるジャンルの絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。

 今までいた室町時代から、いきなり鎌倉時代にタイムトラベルしてしまった。
 私の能力が一時的に狂ったらしい。半透明の思惟が異常に巻き込まれたらしいのだ。軽いめまいすら覚えた。でも、鎌倉時代にやってきたのだから、この時代を楽しまなければという思いも捨てがたい。鎌倉文化は私が愛する文化の一つである。その特徴は武士や庶民の新しい文化が、以前からあった貴族文化と拮抗した、文化の二元性にある。作風は一般に素朴で質実だ。
 勅撰集では新古今和歌集が有名であり、随筆では徒然草、方丈記。軍記物語では平家物語、保元物語、平治物語、源平盛衰記等が有名である。説話集では宇治拾遺物語、十訓抄、古今著聞集……など数え上げれば、それこそ「夜になってしまう」
 平安時代までの難解で大衆に対して布教が禁じられていた仏教を、変革する運動として鎌倉新仏教の宗派が興隆した。鎌倉新仏教として代表的なのは、法然が説く浄土宗、親鸞が説く浄土真宗、栄西が説く臨済宗、道元が説く曹洞宗、日蓮が説く日蓮宗だ。
 私にとってどうしてもすっきりしないのは、弟子・唯円が親鸞の教えを記録した書である「歎異抄」にある一文である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という文章だ。
 これは浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想であり、悪人正機説として良く知られている。つまり、仏が救済するのは「悪人」なのである。だが、どうして、普通の人間である善人より悪行をして反省し悔いている悪人が救われるのか、私にはとうてい理解し難い。まだまだ私の精神修行が足りないのかなぁ。

 ともあれ、私の意識は室町時代を目指しタイムトラベルを続けた。やっと目的の時代らしき空間に辿り着いたのだ。だが、いかにして浦島太郎に会い彼に同化して、竜宮城に行くかが最大の課題である。それは、私に課せられた頭脳の試練でもある。
 当時、海亀が多く産卵に集まる丹後の細かな場所は、当然諸資料を解読し頭脳に刻み込んではいる。ここでもう一度、伝説のおさらいをすれば何らかのヒントを見つけることが、可能かもしれないと考えた。そこで、雑念を払拭して純粋な瞑想に入ることにしたのだ。
 御伽草子≪おとぎぞうし≫以降、中世の伝説では漁師をして両親を養っていた二十四,五歳の浦島太郎が、大きな亀を釣り上げた。彼は「亀は万年生きるのに、この恩を忘れじ」と言って、亀を海に逃がしてやる。すると、何日かの後に女人が舟で彼を迎えにきて、姫が礼をしたい旨を伝え、ともに宮殿に行きここで三年にわたり豪華極まりない歓待を受ける。
 でも、両親のことが心配になり「故郷へ帰りたいと」と言うと、乙姫様からお土産にと玉手箱をいただき、もとの浜に返してもらった。だが、村は既に消滅しており近くをさすらった彼が目にしたもの、それは両親と彼自身の墓であった。大いに落胆した彼は「開けてはいけませぬ」と何度も言われた玉手箱を開けると、美しい鶴に変身し大空高く飛び去るのだった。
 この時代にアクアラングの装備があるはずもない。まして、太郎が魚類のようにエラ呼吸を会得できたとは、とても信じ難い。この伝説を信じるなら、鎌倉幕府の世から室町、戦国を経て安土桃山時代に至る長い歴史における一時点を、特定せねばならぬという超難題に突き当たってしまうのだ。
 私は熟考を重ねた末に一つの結論に達した。それは私が考え抜いた自身勝手で、はかない一縷≪いちる≫の希望だろう。そうかもしれないが、行動する価値は十分あるはずだと考えたのだ。
 つまり、比較的平穏な室町時代の浜辺で、浦島太郎と同じような慈悲溢れる行いを亀にするのはどうであろうか? 半透明な私を果たして亀の脳が認識できるのかは、大きな賭けではあるだろうが……。だが、一か八か試みることにしたのだ。
 丹後地方の浜風と砂から家を守る役目をする松林。それがある民家の近くにかくれた。辺りには誰の姿も見当たらない。砂浜に乗り上げてある小舟の陰に移動した。その場所で私は眼を皿のようにして亀を探した。その日は、夕闇が月に照らされて遠くまで見渡せた。時間が経過して、代わって朝日が真っ青な地平線に顔をだすまで粘ったが、徒労に終わった。
 だが、私は諦めることなく、同じ行動を二ヶ月ほども辛抱したある満月の夜だった。
 私は産卵の大仕事で砂浜に上陸してきた亀の一群を見つけた。さり気なく近づくと、百個程産卵した後に砂をけって、もと通りの状態にしようとして、もがき苦しんでいる雌亀を見つけた。
 近寄ってよく見ると、後ろ足から多量の鮮血を滴らせているのだ。かなり深い傷を負っているらしい。私は思わず憐憫≪れんびん≫の情に駆られた。果たして、思念だけの私が治療できるかどうか全く自信はなかったが、念を集中し超能力を使ってパワーを送ると、徐々に傷はいえて雌亀は安心した様子で海に帰って行ったのである。私が行った行動には一片の打算すらなかった。純粋に雌亀を助けたかっただけである。

 その後一月ほど、そこの砂浜にいて竹や棒切れで亀をいじめる子供達が現れないか、首を長くして待っていた。しかし、残念ながら、そのような子供達は現れなかった。私は、肩を落として溜息ばかりついていた。
 しかし、突然、誰もいない黄昏≪たそがれ≫の浜から、薄茶色をした亀が私の前までやってきて透き通る声で、脳に直接話しかけてきたのだ。
「どうぞ私の後からいらしてくださいませ。女王様が、ぜひともお礼をしたく申されておりますので!」
 理由は全く分からないが、この時、私は半透明でなく実存していたらしい。私が実在すれば歴史に干渉することになって、未来を変えてしまうことになるはずだ。だが、竜宮城に到達さえできれば未来が変わってしまうのは、私にはもうどうでも良かったのだ。
 私は、何の疑いもなくまるで軽い催眠術にかけられたような気分になり、海面が二つに割れた道を大量の汗を吹き出させ、ハアハア言いながら二、三十キロメートルほど亀の後を追いかけて走ったのだ。亀がこんなにも早いスピードで走るのは、今の今までとても想像できなかった。
 前方に緑の木々に覆われた島らしきものが、全身汗にまみれた私の視界にぼんやりと入ってきたのだ。これはエジプトで奴隷として、しいたげられていたユダヤ人をモーセが率いて脱出し、後からエジプト軍が追いかけてくる。その時、奇跡が起こり二つに海が割れて、モーセとその一行は向こう岸へ着くが、追ってきた軍隊は海がもとに戻って呑み込まれる「出エジプト記」と、海が二つに割れるシーンとが酷似している。
 神がシナイ山の山上に現れてモーセに十戒を受ける。私はヘブライ人と契約を交わしたモーセになったような気さえした。
 モーセに示された十戒とは、
 1. 主が唯一の神であること
 2. 偶像を作ってはならないこと
 3. 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
 4. 安息日を守ること
 5. 父母を敬うこと
 6. 殺人をしてはいけないこと
 7. 姦淫≪かんいん≫をしてはいけないこと
 8. 盗んではいけないこと
 9. 偽証してはいけないこと
 10. 隣人の家をむさぼってはいけないこと 
 である。

(沖縄に伝わる話に少しだけ、似ているなあ!)
 そう思いつつ島の開けた場所に着くと、琉球王朝時代に存在したような赤を多用した、派手な竜宮城らしいレンガ造りの建物に案内された。中に入ると、わずかばかりの革製胸当てをしてチョービキニで腰付近を隠している女性達が、私の視覚を占領したのだ。しかも、全員が美しく日焼けをしている。私は見事に整列した大勢の若い美女達に、盛大な拍手を持って迎えられたのだった。私は天に舞い上がるような気分になった。
 ギリシャ神話に登場する狩猟の女神であるアルテミスを信仰し、女性達だけで生活するアマゾネスの国にきたような気がした。馬を飼い慣らして自在に操り、弓術を得意とする女性のみで構成された狩猟民族に間違いないと思えたのだ。南アメリカのアマゾン川流域に、女性だけの部族がいたという伝説があることから、アマゾネスと名付けられた。
 私はドンドンと高鳴る心臓を感じながら、恐る恐る美女達に近づくと、弓矢を持ったとりわけ美しい女性が馬から降りて私の右手に口づけをした。それが合図であったのだろうか? 何千、何万もいる女性達の口から、聞いたこともない叫びとも雄叫びとも区別できない、多分、古代ギリシャ語の合唱が、長い間、響き渡ったのだ。雰囲気から察すると私は盛大に歓迎されているようだ。これから先も、この素晴らしい国に長く滞在できそうな気がする。
 私の手に口づけをした女性は、この国を治める女王でアフロヂーテと名乗った。どこかで聞いた名だった。ギリシャ神話に出てくる神の名を、「ア」から順に頭の中で言ってみたのだ。
 アイテール、アスクレーピオス、アプロディーテー、アポローン、アルテミス、アレース、アテーナー、ウーラノス、エーオース、エロース、エレボス、オネイロス……などの名を……そうか、アプロディーテーをもじった名だ。
 ともあれ、早速、女王に手を引かれて鮮やかな朱色に塗られた高い門の中へと案内され、カラフルなペルシャ絨毯≪じゅうたん≫を敷いている大広間にやってきた。一段と高い五十帖ほどある場所には、虎の皮を一面に敷き詰めていた。夜光貝やアワビの真珠質部分を砥石≪といし≫で磨き、貝の部分が青や白に美しく光る螺鈿細工≪らでんざいく≫のテーブルには……様々な種類の酒、調理されたばかりで湯気がうっすら立ち上っている牛肉、美味しそうな魚類や色とりどりの果物が綺麗に盛り付けられている。そこの中央には、一頭の雄ライオンの皮で覆われた豪華な肘掛椅子が置かれている。
 この島に案内してくれた亀は流暢な日本語を話したので、てっきり日本語が通じるだろうと思った。だが、なぜだか現代英語だけしか通じないのである。私が知っている古代ギリシャ語を話すが全く通じないのである。この島は英語圏らしい。なぜ、日本でこのような島が存在するのだろう? こんな島があるのならば、国土地理院が日本地図に載せているだろうし、したがって日本人なら誰でも知っているだろうに……。黙ってしばらくの間、それらの理由について脳をフルに回転させて考えたが結論は出ないので、詮索するのはきっぱりとあきらめた。人間、あきらめも肝心な場合だってあるのだ。

 ここでの礼儀なのであろう女王は片膝を折り、ていちょうに私に座るよう勧めた。私の右横に女王が座り左横には彼女の娘が座った。だが、子細に観察しても二人は、同じ年齢にしか見えない。それほど、女王には若さに満ち溢れている。ここは謎に満ちている。私には質問が山ほどあった。しかしながら、竜宮城に訪れたばかりなので失礼かなと思い、黙って何をするでもなくぼんやりとしていた。すると、目の前に三十名ほどのターキッシュ・ベリーダンサー達が現れたのだ。彼女達は肌を露わにした衣装を着て、腰より高い位置で留められたベルトを締め、脚を完全に露出させるようなスリットが入ったスカートを身にまとっている。足元には、ハイヒールとプラットフォーム・シューズ(厚底靴)を履いている。彼女達の踊りはとても素晴らしく、しかも官能的であり妖艶さが辺りの空気をショッキングピンクに染めていたのだ。私は充分過ぎるほどに目の保養をさせてもらった。
 約一週間、そんな生活に甘んじてきたが、私の頭脳一杯に多くの疑問が噴出しだし、矢も盾もたまらず解答を求め出した。生まれながらの旺盛な知識欲が、全ての享楽を凌いだのである。
 女王に、矢継ぎ早に質問を次々と投げかけた。彼女の私の質問に対する回答は明確であり、納得できることばかりである。私は女王の並みの天才以上の優れた頭脳に、大いに感心したのだ。
「この時代に、皆さんはどのようにしてこられたのですか?」
 そう尋ねると、女王は何かを思いだすように遠くを見る目つきになった。しばらくの間、私と女王に漆黒≪しっこく≫の沈黙が覆いかぶさった。ようやく、弱々しく小さな声で女王が言葉をつむぎだしたのだ。その声には、ある種の悲哀が込められていた。
「まるで雷のように放電している空で、見る見る大きく成長した濃い緑色に輝く渦巻が、私達を大地もろとも時代と場所を移動させたのよ。……多分、異次元にタイムスリップしたのだわ。だから、今ある生活スタイルの全ては昔のままなの」
「でも、タイムスリップの概念は、貴女がいた時代にはなかったはずですが?」
 今までの沈んでいた顔をパット明るくさせ、にっこりと笑いながら優しく女王は語った。
「小川様、あなた様がいらした地球のアメリカで未来に開発される予定の飛躍的に進歩したネットワークが、ここでは既に存在しています。二十四世紀のアメリカでのハイテクですわ。ここには、超エリートを育てる養成学校があります。そこで、全員が寄宿生活を送り、高度なテクノロジーを学ぶのです。だから、未来との交信も可能ですわ。貴方様がいらした世界では、宇宙からの微弱な電波だと思われているようですが……」
「なるほど。で、この島の大きさはどれぐらいですか? しかも、我々の誰にも見つからない訳は?」
「地球にいる人々には、この島は存在していないのと同然なの。つまり、空想の中だけの存在ですわ。この島は七次元空間に存在するの。縦、横、高さ、時間の四次元時空連続体より三次元多い世界なの!」
「七次元的存在ですか? これで謎の一部は氷解しました。……話は変わり単純な質問で恐縮なのですが、ここではどうして若い美女達ばかりなのでしょうか? 貴女を筆頭に!」
「ここでは、超科学を今なお研究しておりますわ。我々の卵子で女子だけを試験管ベビーの状態で育成します。そして、そのベビーのわずかな細胞から超ⅰPSを創り出し、ヘリウムが入った
 装置でほぼ永久保存できますの。また、DNAの全ての解析もできています。だから、高度な医療技術を利用して、私達は永遠に近い健康な生を享受できます。恐らく貴方様には理解できない技術で、若い美女のみがここで暮しています。貴方様を無能だと言っているのではないことを、どうかご理解くださいませ! 現在、超科学の基礎研究に、五千人がたずさわっております。ご覧の通り、青々と茂った森が多く存在しています。我々は環境を破壊しないで、常に一定の森林保存につとめておりますのよ。環境保存は、川、空気、土壌……などにも適用しております!」
 女王は、私が尋ねる内容をあらかじめ分かるような超能力を、身に付けているのであろうか? 
 それを聞いてみたい気もした。が、多分、答えられない【秘密】のような霊感がしたので、ある程度の超能力を持つ私は、それ以上の霊的な質問をしないことに決めたのだ。

 女王は少し歩いて風光明媚≪ふうこうめいび≫な山に、私を導いた。更に、女王は岩をかみながら流れ落ちる滝へと私を先導して、滝壺の水をひとすくいし私の口に含ませたのだ。飲んでみると、途端に、まるで体中が活性化され若返ったように、自信と体力が満ち溢れてきた。
「これが秘密を解くカギの一部分よ。ウフフフ」
 女王の笑った声は、まるで鈴を鳴らしたかのように、私の心に沁み≪しみ≫渡った。
 滝の水滴が及ばない芝生が敷き詰められた場所で、私にとって最も重要な疑問を口にだした。
「私は思念だけの存在なのに、ここでは、肉体を得られるのは納得ができないのですが?」
「貴方は、まだまだ多くの疑問の渦に巻き込まれたままでしょうねぇ。私にお答えできる範囲でお答えするわ。範囲を逸脱する質問には、いかな私でさえもお答えできない不文律が存在しています。どうか、ご了承してくださいね。さて、ここでは思惟が実存に先立つの。言い替えれば、肉体は思いの後に形づくられるの。つまり、貴方様が肉体を望んだ結果なのよ!」
 私は、女王の的確な答えに関心ばかりしていた。

 私は目前に置かれたご馳走に舌鼓を打ちながら、色鮮やかな花で編まれたレイをしたダンサー達が、ヒョウタンやイリイリと呼ばれる石のカスタネット、竹を使ったカラーアウと呼ばれる棒で、リズムをとったりするフラダンスを鑑賞した。
 私は、いつも気になっていた疑問を、怖々女王に投げかける決心をしたのだ。
「ここは一体どこなのですか? 私が住んでいた地球とは、どのような位置関係にあるのでしょうか?」
 女王は一瞬悲しそうな眼をして私を見つめ、次のような衝撃的な事実を述べた。
「貴方様は、歴史は一直線に経過しているから、歴史に関わらないようにアウトサイダーとしての振る舞いをなされた。思惟だけで、貴方様の世界の室町時代、ここにこられたとおっしゃいましたわね。でも、貴方様の世界とこの世界とは、全く異なっているの。貴方様は、宇宙物理学に精通しておられるとお伺いしていましたので、よくお分かりだと思いますが……。この宇宙は正物質つまり陽子や電子等で構成されています。ですが、同時に反陽子や電子等の反物質も存在しています。物質の不均衡は、今を去る百三十八億年前に起こったビッグ・バンで、正物質と反物質がほぼ同数出現したのよ。それらの間には、微妙なゆらぎがあり正物質の方がわずかに多かった。だから、現在の宇宙は全て正物質で構成されている、と貴方は信じておられるようですね。ですが、ビッグ・バンによって様々な宇宙が、まるで泡のように生まれたの。その一つがこの世界なの。この世界の全てが反物質で構成されています。貴方様が住んでいらした世界とは、根本から異なった世界なの。思惟だけで時間遡及されたこの世界は、貴方様の世界に酷似した一種のパラレルワールドです。どの瞬間で歴史を変えようとされても、貴方様が生活していらした世界には一切影響しないわ!」
「と言うことは、この世界でどのような行動をとろうとも、もといた世界に変化はないし、無事に地球に帰ることが可能ですね?」
「もちろんですわ。どうぞご心配なさらないで存分にお楽しみ下さいませ!」
「でも、どうして私をここに招いたのですか? おさらいになって、恐縮ですがもう一度お答え願えませんでしょうか? 私の脳裏に深く刻み込みたいので……。ここの広さは? 文明の程度はどれほどまで進んでいますか? 科学の進歩は? 皆様は何歳まで生を全うし、そのよって立つ哲学は?」
 私は、いまだに納得できない疑問を、矢継ぎ早に投げかけたのだ。
「質問がたくさんおありなのですね。知的好奇心に溢れておられる、お顔をされていらっしゃるわ。まだまだ、ご質問がおありでしょうけれど、とりあえず、今までのご質問にお答えします。まだ、ご案内しておりませんが異次元の動向を、常に観測しています。言葉が悪いかもしれませんが、お気になさらないでね。私達は、様々な知的生命体を捜し続けています。小川 よしずみ様つまり貴方様の思念を発見し、皆で検討した結果ここに誘導したのです。この世界の広さですが、三次元的には、カリフォルニア州と同じ面積です。しかしながら、七次元的には無限の広がりを持っています。私達が開発した宇宙電磁波探査装置ですら、宇宙の果ては観測できないの。貴方様の世界でいうビッグ・バン以前の宇宙を、今の時点では、力を入れて研究しております。私達の生命はある意味では永遠ですわ。我々は、既に全てのDNAは解析済みですので、細胞から遺伝子を取り出して、何度でも自分自身に注入が可能な医学を確立しているからです。百年毎に、高度な遺伝子組み換えを行っていますから、私達は永久≪とわ≫の生を獲得しています。最後のご質問ですが、私達がよりどころにしています思想、哲学に触れてみましょう。貴方様の世界での比較的近い思想は、ヘレニズム時代に成立した禁欲的な思想と態度を旨としたストア派ですわ。自分達が、『善い生き方である』と考えた生き方を実践するのです。ある人の堕落は無垢の他人の心まで、宇宙の底知れない奈落に陥れますわ。ソクラテスが言ったとされる、『ただ生きるのではなく、より善く、生きる』のです。また、私達の世界では、主知主義を遵守していますから、『徳即ち知』なの。簡単に要約すれば、このような思想を基礎にして、私達は生を享受しています!」
 強靭≪きょうじん≫な私の頭脳も、あまりにも多くの変化に遭遇したので、かなり混乱が生じたのに違いない。だから、同じ質問をしたようなのに、女王は寛大な心で答えてくださった。女王の説明で、様々な疑問がすんなりと私の心に溶け込んだ。
 この世界にも階層があったが、昔のインドのようなカースト制ではなく女王を頂点とした四層構造であり、テクニーク、ブリーディング、ディシング、テイクが下の層であるらしい。
 テクニークは、最先端技術を駆使してまだ解き明かされていない宇宙の謎を研究解明することが使命であり、約八千人がたずさわっている。ここで使用するエネルギーは、ほとんど無限に存在する空気中の水素と酸素からの化学反応を使い、テクニークがエナジー蔵に貯蔵している。
 ブリーディングを担当している者は、その名の通り、彼女達が食に資する牛、馬、豚、鶏……などを育成している。牧畜だけではなく、四百種を超える魚や魚介類の養殖をも営んでいる。
 野菜等の食料は、天候に左右されない有機工場生産方式を採用しているのだ。だから、公害などはお目にかかりたくても、ここには存在しないのだ。
 当然、彼女達二万人も料理も作れる。しかし、それを専門にしているのがディシングである。テイクに従事している者は、アマゾン川で定置網や投網≪とあみ≫を使って栄養豊富な魚類を
 確保する。森林ではキノコ類等を採取している。更に、魚類やキノコ類を調理するのも仕事だ。
 全ての人々の眼は生き生きしている。職としてではなく趣味の世界をそこに見出しており、いっさい不満が存在しない生を享受しているのだ。
 ここは、竜宮城を遥かに凌ぐ≪しのぐ≫、ユートピアそのものである。竜宮城を目指したちっぽけな自分に気恥ずかしさを大いに感じた。

 私は眠気に襲われながら、女王に似たような質問をしているのに気がついた。
 実体化すれば、当たり前だが睡眠を欠かせない。思惟だけの存在では不要だったから眠るのを無視できたのだ。特に、脳を休ませるのが人体には必須であり、重さでは千四百グラムほどの組織でしかない。しかしながら、生命活動に必要な機能が全て停止してしまう比類なき器官であるのだ。
 女王にそのことを話すと、時間になれば全員が睡眠棟で七時間は必ず寝床に入るの、との答えだった。睡魔に襲われていると伝えると、色のトーンを押さえた特別室に案内されて体に吸い付くような心地よいベッドで、私は大の字になってすぐに眠りの世界に落ちて行った。
 翌朝、女王に起こされるまで深くて安らかな睡眠をしていたようだ。それが証拠に、頭は霞≪かすみ≫が消滅したようにスッキリしている。

 何年間かは美女達に囲まれた生活をしながら、この世界を探検して私は他人がとても獲得できない様々な無形の収穫を手に入れたのだ。無我夢中で知識を吸収し、心からここの生活を精神的にも肉体的にも楽しんだ。肉体が存在するにもかかわらず、私を苦しめていた性的欲求が生じないのは、この世界にいるせいだろう。
 ところが、持って生まれた人としての性≪さが≫は悲しく、儚い≪はかない≫ものである。美しく日焼けした若い美女達の、身にあまるほどの光栄な歓待を受けた桃源郷以上の異界に、しばし、年月の経過を忘れていたのだ。
【積年の願望】を遂げた幸福感と達成感に、私は酔い痴れていたのだ。人間固有の宿命であろうか? 幸福の絶頂にいればいるほど飽きも早く訪れたのだった。幸福と飽きが入れ替わるのは、時間の問題であった。私も、この呪縛から逃れることは到底できなかったのだ。
 二十一世紀にいた実存の自分に帰りたい願望が、日を追う毎にまるで風船のように膨れ上がった。筆舌に尽くし難いほどの美貌の持ち主であり柔和な人柄の首長である女王に、どうしてもその旨を、伝えざるをえなかったのだ。私の気ままな願いを伝えると、女王は、真珠のような輝きと気品に満ちた大粒の涙を流した。衣装で拭いもせずに落ちるに任せ、まるで可愛い宝石の塊を床に転がしたような小さくて儚い湖を創り出すほどに悲しんだ。もしも演技であるなら、また、私達の世界にいれば、きっと四回の最多受賞者キャサリン・ヘプバーンをも凌ぐアカデミー主演女優賞を獲得しているだろう。
 おみやげにとおずおずと彼女が差し出したのは、狩野永徳の唐獅子図≪からじしず≫のような力強いタッチで、獅子≪しし≫が二頭描かれている漆塗りされた箱であった。
「開けぬ方が、貴方様の失望を招かないでしょう!」
 意味深な言葉とともに手渡された。そう、玉手箱(?)である。それには、四ケタの数字を合わせるキーがあるので尋ねると、
「当然、四四四四ですわ!」
 と、いう返事が即座に返ってきたのだ。

 全員に惜しまれつつ異界を後にし、二十一世紀に向かって浮遊を続けながらも、玉手箱を開けたい欲求は増すばかりだった。でも、絶対に開けまいと決心をして、更に未来に向かってタイムトラベルを続けたのだ。
 江戸時代の上空にやってきたらしく、眼下には、禿(かむろ、花魁の世話をする少女)、番頭新造(花魁のマネージャー)を連れて引手茶屋まで練り歩いている、三年以上訓練を要したであろう八の字で優雅に歩く花魁≪おいらん≫道中を、わずかな時間見ていた。
 江戸時代の上空で辛抱の限界にきた自分を、心の中であれこれ理屈を並べて正当化しながら、半実体である玉手箱をとうとう開けてしまった。その中には、ギリシャ語で「汝何も知らぬことを知れ」とソクラテスの言葉を粘土版に書き記していた。
(実際は、弟子プラトーが後世に伝え残した文だが)
 なぜか、時代遅れの白い粘土版とともに、四角いスクリーンのような手鏡が入っている。約、縦二十センチメートル、横五十センチメートルの変な形をした手鏡だ。細かく観察したが、何も変わっている所は、見つからなかった。透明に近い思念だけの私が、同じく透明の手鏡に映らない現象は至極当然ではあろう。そう私は納得したのだ。

 四十年~五十年毎に何度も何度も未来へと進んだ。
 やっと、退職届を書いている一LDKに実在している自分自身を上から見た。一体化できればホット胸をなでおろすだろうという思いと、自分自身から離脱して過去で様々な経験をしてきた私の記憶が、果たして保たれるのかという危惧≪きぐ≫で、十分ほど逡巡≪しゅんじゅん≫していた。意を決し自分と一体化することにして、恐る恐る実行してみると、意外にも、アッサリと元の自分に帰ることができたのだ。私にとって二重の記憶を持つことが可能なことに、とても嬉しかった。左手には、あの玉手箱が即自存在――サルトルにとって即自存在とは物それ自体――として存在を許されていたので、早速ふたを開け中にある奇妙な手鏡を覗いた瞬間、理由は不明だが嘔吐を催し狭いバスルーム兼トイレに、慌てて駆け込んだ。苦しい思いをしながら、胃の中が空っぽになるまで吐いたのだ。涙さえ溢れでたほどにとても辛かった。
 サルトルは、ノーベル賞受賞者のアルベルト・シュバイツァーの叔父に引き取られ、学問的探究心を刺激された。ボーボワールを事実上の妻にし、実存哲学者として活躍したサルトルは、千九百三十八年に上梓した「嘔吐」における主人公ロカンタンが、木の根を見た時に吐いたのと同じ光景ではないだろうか? 
 私は十歳の時に、神戸の元町商店街にある書店二階の原書コーナーに足繁く通った。本当は、サルトルの「存在と無」を読みたかった。だが、ただ読みの身では余りにも分厚過ぎるために、「嘔吐」を立ち読みしたのだ。大学に入るとすぐに「存在と無」を買って読んだ。その内容はかなり難解であったが、非常に感動した。私はサルトルが説いた実存哲学に影響を与えた、ニーチエ、フッサールを始め幾多の著者の書物を貪り読んだ。
 さて、嘔吐に苦しみもやわらいだので、玉手箱を子細に検分した。今まで気付かなかったが、鏡の持ち手の部分に小さいキーボードがある。その真ん中には「パスワード?」の表示がでているので、まるでミニノートパソコンのようである。そこで心当たりの名詞、浦島太郎、女王、パラレルワールド、反物質、ビッグ・バン、竜宮城……などの文字を、ひらがな、全角カタカナ、半角英数、言葉の並び替え……など、いろいろと試みたが全て拒否された。ダメもとだと思いつつも、ヨシズミ オガワ、と私の氏名を入力した。すると、画面に使用許諾の欄が現れたのでイエスをクリックした。何かのアプリケーションのダウンロード、インストールが始まったのだ。画面には、まるで血のような深紅の帯が四本、往来しだした。数分後には、鏡面が液晶パネルに変わり映像の乱れとかすかな雑音が聴こえた。しばらくして、明瞭な映像と音声が流れだした。
 私は,めまいと脳震盪≪のうしんとう≫を起こしそうになるほどのショックを受けて、全身が打ち震えて嗚咽≪おえつ≫しそうになった。
 信じられない、いや、信じたくない事実を知ってしまったのだ。
 お世辞にも美人とは言えない二十歳~二十五歳の女性が、無造作にタオルに包みロープで動かぬように縛り上げた垢にまみれの二歳ぐらいの幼児を、まるで品物のように小脇に抱えている。
 彼女は私が良く見慣れた門をくぐり、先に穴が開いた埃まみれの長靴を脱いだ。大根も逃げだすような太くて素足の毛深い足のままで、狭い六畳ほどの部屋に案内もなく中に入ったのだ。
 私を引き取った施設長に、彼女はボサボサの頭で軽く会釈をすると、以前から打ち合わせをしていたらしく親しそうに小声で二言、三言話をすると、すぐにだらしなく座った。垢で薄汚れた幼児を裸にして差し出すと、施設長は全く似合わない黒い小形ポーチ――パリ・コレでオートクチュールを手掛け、マイアミでゲイに射殺されたジャンニ・ヴェルサーチのデザイン――のチャックを開けた。そして、素早く幼児の口から何やら薄いオレンジ色の物体(?)を取りだし、ヴェルサーチマークをチラつかせながら、大事そうにしまい込んだ。
 私の母らしき女性が、四度も繰り返し死神に念を押すかのように独り言をつぶやいた。
「この子の魂と引き換えに、私の人生は薔薇色に輝くのね!」
 ここで、映像と音は消えたばかりかミニノートパソコンも跡形すらなく雲散霧消してしまい、私を慌てさせた。もっと続きを見たかったからである。しばらくの間、胸の動悸は治まらなかったが、沈着冷静な自分を取り戻して考えると、もしも液晶画面が真実を映しているならば、ここにいる私は存在していないか、あるいは、偽の自分なのだろうか? つまり、二歳の時から、はかない夢の世界を――本当の世界だと思って、暮らしてきただけに過ぎないのだろうか?
 異次元にいた女王が、どんなに言おうとも、揺るがない私の歴史観にしたがえば、過去のある時点で消滅した事象は永久に復元できないのだ。
 思い返せば、二歳以来神童として生きてきた順風満帆過ぎる半生は、私には身に余る光栄であった。何らの頓挫≪とんざ≫も経験しない生は、虚像の世界を生きる骸≪むくろ≫に違いないだろう。じょじょに薄れゆく意識を何とか覚醒させながら考えた。
(何の目的があって、肉体を持たない観念だけの私に、様々な経験をさせたのであろうか? 今後の私は天国に召されるのか? あるいは地獄へと堕ちてゆくのだろうか? はたまた、宇宙の塵,分子、原子、電子、核へと分解され、永遠に宇宙をさすらい続ける運命なのだろうか?)
 そのような疑問に対して答えを知っているのは、私が今まで信仰してきた神様ではない。
 巨大で稲妻の如き輝きを放つ鋭利な大鎌を持ち、ボロボロの薄汚れたローブを着て白骨化している、施設長を装った死神に違いないだろう……。

 ――完――





 
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