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提督はただ一度唱和する

作者:HIRANOKOROTAN
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空母の矜持

 チェトビョルトゥイクリリスキー海峡の、オホーツク海側に展開していた軽空母部隊が深海棲艦に捕捉され、追撃を受けた時、これまで蓄積してきた彼女らの行動分析は、大きな見直しを迫られた。
 眼前の敵、支配地域を脅かす敵を優先してきたはずの彼女らが、それらを置いて空母の撃破を選んだのだ。その習性を利用して陽動を成功させたはずの佐世保、呉の連合艦隊は後退を余儀なくされ、横須賀本隊も反撃を控えざる得なかった。
 更なる奇襲など許されない。別部隊が存在するかはともかく、突然空母への攻撃が集中するなど、些細な戦術の違いが大きな損害を招くこともある。数的不利を質的優勢で支えている現状では、ほんの僅かな齟齬が破綻へと繋がるのだ。
 しかし、本来そうした情報を集め、警告を発するべき海軍司令部は、事実上の謹慎という形で上層部が機能不全を起こしている。オホーツク海で陽動を行っている段階から、様々な兆候は確認されていたのだが、分析が終了する前に連合艦隊が解散してしまったため、その後の政治的混乱によって情報が降りてこなかったのだ。
 それだけでなく、提督が提出するべき各種申請や手続き、報告などの処理も滞っている。出撃に関しては事後処理としてるが、補給については目処が立たない状況だ。
 戦線が膠着し、北海道が危機的状況に陥るなかで、守原を含む勢力はこれを利用して、早期混乱回復を主張。海軍内部での横滑りによる地位の確保を狙った。
 呆れた浅ましさであるが、彼らに打てる手はその程度ということでもある。逆に統合幕僚本部の介入を招き、影響力を更に低下させていく。
 海軍内部でも、古参の提督たちはこの動きを歓迎した。それとなく、これまで不必要に課せられていたと思われていた各種申請や手続き、報告などの廃止、もしくは簡略化を狙う。
 だが、それは認められなかった。というよりも、棚上げせざるを得ないのだ。
 例えば、資材の調達や輸送のために組む遠征艦隊がある。
 現状では、本土から艦娘を含んだ船団を派遣し、現地にて採掘を行って持ち帰り、本土にて精製するという、些か非効率な手法を用いている。
 上層部としては当然、駆逐艦を中心とした資材消費を抑えた艦隊の派遣を海軍に希望する。
 しかし、深海棲艦の戦力分布は不透明であり、その時々で求められる艦娘は異なるのだ。建造から間もない艦娘が経験を積むためにも、比較的安全な遠征任務は利用し易いこともある。
 また、遠征任務には艦娘以外にも、人間が乗り込んで運用する通常の艦船も参加するため、これらの消耗も出来る限り抑えなければならない。艦娘のように、一日で建造出来るものではないし、乗組員も貴重な技術者たちなのだ。
 ところが、寄港する港もなく、長大で危険な航路を往復することを強いられる。
 その積み重ねが、駐在艦制度の破綻である。
 よって、かねてより、提督の海外派遣を政府が求め、海軍が拒否するというやり取りが繰り返されてきた。
 中世ではないのだから、国民が農奴のままというのは、誰にとっても歓迎できる状況ではない。だが、近代的な経済活動のためには、艦娘にばかり資材を投資してはいられない。効率的な資材調達のためにも、海外拠点の設置は急務であった。
 一見、資材調達は海軍にとっても有利であるように思える。政府がいくら求めようとも大型艦を運用したがる提督と、その立場を出来うる限り保護してきた海軍指導部なのだ。大型艦の建造には、試行回数を重ねるしかないとなれば、彼らこそがそれを求めそうなものである。
 しかし、彼女らは非常に資材消費量が大きい。人間大であることは伊達ではないと誇るべきことだが、やはり艦船なのだ。
 特に頭が痛いのが食品関係である。
 氷菓や羊羹をこの上ないものと喜んでくれるのは、駆逐艦だけだ。大型艦に容赦はない。一度の食事量が、白米で一升にも及ぶ空母も居るのだ。その上で、穀物の余剰生産がなければ成り立たない酒精を大いに好む傾向にある。
 広大な太平洋に散らばって資材を集めても、食料を生産出来るのは今のところ本土のみだ。当然数を増すだろう艦娘を支えられるわけもない。
 その為に海岸地域の再開発を求めている海軍だが、政府は首を縦に振らない。
 そもそも、なけなしの工業力を、大きく投入することで何とか成り立っているのだ。資材が不足したまま農地を増やしても、そこで働く人間が農奴では、生産量もさして上がらず、経済的な負担が増すばかりであるとわかりきっている。
 陸軍、または統合幕僚本部、さらに言えば将家も食糧事情の改善については賛成しているのだが、農奴は彼らの権力基盤でもある。むしろ、海軍に吸い取られて日露戦争当時と比較するような装備の陸軍の増強と、国家への軍事権の一部返還なども求めているため、まずは資材有りきの立場だ。
 思惑としては、軍事権を返還しながら兵員は開発に回して影響力を増やし、負担の大きな軍事費を抑制するとともに装備によって軍事力を維持するという、彼らだけに都合のよいものである。
 これを牽制し、なおかつ国民の海への恐怖や、艦娘への不信に対処しながら海岸へと人口を移していくのは至難である。
 このような対立がある中で、海軍は若く、問題の多い組織だ。本来ならば、政府や将家を相手に膠着状態など作り出せるはずもない。艦娘を擁することこそ大きな優位だが、それが弱みでもある。
 だが、政府や将家は一時、海軍の統制を放り出している。そのため、表向き海軍は自立した組織として、膨大な書類の山を代償に、政治勢力として拮抗してきた。
 これを単純に、政府の怠惰と捉えることも出来る。実際、提督たちはそう思っていた。だが、彼らに手渡されたのは、そのような経緯になった理由を示す、ある書類の山だった。後に金剛文書と呼ばれ、後世に同情と失笑を誘う資料である。
 例えば、ほとんどの提督が重用する高齢戦艦は、前線では安定した指揮能力を発揮し、卓越した事務処理能力で後方を補佐し、その気質と人格で他の艦娘をまとめ上げ、単艦戦力としても頼りになり、運に頼まずとも比較的容易に建造できる上に、ともすれば私生活までお世話になるほど有能な艦娘だ。
 しかし、前提として彼女は提督に女性としての扱いを求める。この部分について受け入れられない提督では、彼女の性能を十全に発揮できないことが明らかにされている。
 それは、複数の提督の報告を比較検討して導き出した、疑いたくなるような事実であった。
 初期艦があくまでも組織の立ち上げとその後の運営にのみ、力を発揮するのに対して、彼女の献身はあらゆる面で提督と艦隊を支えていた。その代償として、軍における公序良俗を諦めるまでに、政府や提督個人を含め、関係者がどれほどの努力を払ったか、想像がつくだろうか。
 外見は美しい少女でも、戦艦なのだ。都市一つを焼け野原に出来る戦力が、個人に忠誠と愛を捧げるをよしとするなど、もはや近代的な軍事組織に対する明確な反逆だ。
 艦娘がいれば提督など素人でいいと開き直る、守原の神経が特殊なだけである。
 その特殊性に頼らざるを得ない程、状況は特殊だった。軍規や軍法が、この時点でほぼ無意味になったからだ。
 改めて、艦娘についての研究が再開された。人間然とした彼女らを、人間として遇することで、如雨露にも見える艤装が十二センチ砲と同じ結果を生み出すことから目を逸らしていた人類が、目を覚ましたのだ。
 過去を含めて、艦娘についてのあらゆる事柄が報告の対象となり、検証されていく。妖精さんと、腰を据えて相対する覚悟を得たのもこの頃だ。
 やはり、彼女だけではなかった。
 戦場では艦娘としての能力以上に頼りにされる、ある不良軽巡がいた。彼女はしばしば、面倒くさいという理由で書式を無視した報告書を上げ、報告書の差し戻しと共に、提督の事務処理を増やすのが得意だった。
 また、生まれ持った性能から遠征任務に従事する割合が高いのだが、しばしば同行する人間と問題を起こしていた。
 発端は人間側である場合が多いため、彼女にばかり責任を問う訳にもいかないのだが、海軍の立場では庇うどころか何かと頭を押さえつける結果になる。特に徴兵提督が一般的になってからは、そうした傾向が強かった。
 気がつけば戦場の鬼とも形容された彼女は、自意識過剰な面を持つ、どこか残念で面倒見のよい駆逐艦の玩具になっていた。
 意味がわからない。
 経験を積めば、艦娘は性能を含めて成長するのではなかったのか。前提を覆すこの事実は、先の高齢戦艦と併せて、艦娘に対する付き合い方というものを大きく見直させた。黎明期、軽量艦が戦況を覆した事実を、忘れる訳にはいかなかったからだ。
 彼女らは主力にはなり得ずとも、北海道のように、空母を中心とした百倍の深海棲艦に突撃して、一定の戦果を期待されるほどの戦巧者である。性能や機能といった絶望を超えての信頼だ。
 これが現在の主力である大型艦にも起これば、今後の戦争は安泰である。彼女らの高い生存性から、むしろ楽観された未来だった。
 しかし、今やそれを期待するには、既存の体系が悉く邪魔にしかならない。艦娘にとっての適切な関係は、人間にとって不適切であることは既に明らかだからだ。
 誰もが頭を抱えて混乱し、対立の深まる中で、これを単純に外部からの口出しを阻む根拠に仕立て上げた守原は、やはりどこかおかしい。おかげで、また全てが棚上げとなる。
 そして、守原への不安と猜疑を募らせる人々に妖精さんが囁いた。
 旦那、ぴったりな艦娘がいますぜ。
 聞こうと、返事をしたことが間違いであったかもしれない。ある三隻の艦娘が、鎮守府の補給や任務伝達の窓口として派遣される。彼女らは戦闘能力こそ失ってはいたが、鎮守府の機能を拡大させ、運営を円滑にし、戦力を増大させた。
 そして、とある改装空母が規定量を超える飲酒によって禁酒を提督より達せられた。彼女はそれについて異議を申し立てた上に、出撃拒否を含めた恫喝で、提督を脅迫した。日常的な風景である。
 当たり前だが、軍においては重大な罪であり、銃殺も考慮される案件だ。しかし、法的に兵器扱いの艦娘は、軍法会議にはかけられず、その扱いは提督に一任されている。
 艦娘はそういうものだからと受け入れつつある統合幕僚本部も、提督が彼女の言に絆されて罰則を緩めたのには飛びついた。一部の嗜好品の補給を絞り、補給手続きや艦娘の行動に関する報告などを厳格化することで、海軍を締めつける。
 本来なら、内々で処理されるはずだったこの問題に統合幕僚本部が気づけたのは、先の三隻が関わっていた。
 海軍の一時的な壊滅と、艦娘の台頭により先送りされてきた組織の再構築について、やっと必要性が理解され始めたのだ。
 対抗策として鎮守府内に居酒屋を開業し、艦娘の私生活を統括するために空母一隻を半ば引退させた守原は、流石と言うべきだろう。
 そして、件の高齢戦艦が押しすぎて引かれる様を描いた幸運艦の絵日記が、執務中の提督の膝の上で作成されたものであることも判明した。よくよく確認してみれば、幼い艦娘についでのように提出させていたそれが、鎮守府内を最も客観的に把握し得る資料であることが認められたため、絵日記の添削と解説が提督の業務に追加され、様々な制約が書類という形で課せられることになる。
 駆逐艦は提督の膝の上に席を置くことを許された。
 結果、明らかになったあまりに野放図な提督と艦娘の関係に、守原の抵抗虚しく、抜本的な引き締めが図られ、それが今日の敗北に繋がっている。 
 深海棲艦のある限り、艦娘を運用するしか、人類に未来はない。そのため、彼女らの社会的地位は、法や国民の感情がどうであれ、否応にも高まっていった。
 それほどまでに重要な彼女らは、自らを知らず、提督にのみ従う。
 つまり、彼女らを社会に組み込むには、人類が全て面倒を見てやらねばならないのだ。
 むしろ、反乱を起こしてでも、何か主張や要求をしてくれればやりようもあるというのに、愛と誇りと米とお膝がその全てである。しかも、与えなくとも気分を落ち込ませて戦力を落とすだけで、文句も言わない。
 よって、先ずは知ることから始めるべきだったのだが、現実はそれを許さなかった。なまじ、最初が上手く行き過ぎたせいで、気がつけば二〇〇種に迫る個性がこの世に生まれていた。
 狙って生み出すことが出来ない以上、その全てについて対応しなければ、ならないのかそうではないのかさえも、今まさに調べている状況で、その資料となり得る種々雑多な書類を、減らすことなど許されようか。むしろ、もっと増やしたい。
 そして、行政、防衛、立法、経済の各分野で国家戦略の要となっている艦娘の運用は、提督に課せられた全ての事務手続きと報告が、正しく提出、処理されることでしか法的に認められていないのである。
 これに手を入れるとなれば、戦争に匹敵する大事業だ。この混乱の最中にするべきことではないし、統合幕僚本部以外からも介入を招いて、むしろ拡大するだろう。
 結局、統合幕僚本部の海軍への侵蝕こそが目的であると理解しながらも、提督たちは口を閉ざした。湧き上がる想いを、言語化し得なかったからだ。
 こうして現場への影響を抑え、混乱を収拾しようという努力は実を結びつつあるが、いざ深海棲艦との決戦となれば、数で劣る艦娘は慎重に運用せねばならない。
 今しばらく時間が必要なのだが、既に千島列島は制圧され、北海道にも深海棲艦が迫りつつある。かねてよりの荒天により、陸軍の展開も遅れ、オホーツクが流氷に閉ざされるのも間近だ。
 少数の艦娘が旭川駐屯部隊に合流したものの、軽空母の救援すら疑問視される戦力でしかなく、残りは未だに海上を北上中である。
 深海棲艦の北海道上陸阻止は絶望的であった。
 海岸に橋頭堡を確保した深海棲艦は、空母の到着と同時に内陸部に向けて空爆を始める。天候のために支援も満足に受け取れず、大雪山山中で足止めされている旭川駐屯部隊は全滅の危機にある。彼らの半ば独断専行じみた行動を批判する声も上がったが、既に網走へ到達した中隊も旭川所属だ。
 海軍との情報共有がなされていれば、天候に邪魔されることもなく、網走へ展開可能だったと反論されれば口を詰む他ない。
 よって、救援されるべき軽空母部隊が、陸軍を救うためにまず時間を稼がねばならないという本末転倒な状況が発生した。
 当然のことではあるが、消耗した彼女らが何をしたところで、自殺でしかない。それでも、第五提督室所属龍驤が残ったのは、ただ一つの目的を果たすためである。
 すなわち深海棲艦空母群の捕捉。
 釧路沖に大湊の空母たちが存在しているのだ。網走沖であれば、充分攻撃圏内である。もし、居場所を突き止めることが出来れば、数の差を補って優位に戦えるはずである。陸軍の天敵である空母群を始末できれば、今後の見通しも立つ。
 ただし、釧路は未だ完全に制圧出来てはいない。千島を占領している戦力の動向も、横須賀の水雷戦隊が補給中の現在は、調べる術がない。
 それでも、もはやそれに賭けるしかないのだ。

 
                    §


 本来であったならば、指揮官である若菜の側に控えるべきであったかも知れない。しかし、いつの間にやら漣の身柄を確保している凶相の次席指揮官を放置出来なかった。
 愛宕が出撃し、瑞鶴が敵意を隠さず、向こうも艦娘に対して嫌悪の情を抱いているとなれば、速やかな連携のためにも、この男に頼る他ない。
 いささか不安ではあったが、武人としての矜持を残す那智を対空防護の要とし、航空戦力は仮の司令部から離して運用することとした。
 艦娘と陸軍の司令部が分かたれたことになるが、分散配置は深海棲艦との陸上戦における原則でもある。反対はなかった。
 問題は地図を広げ、漣にこの戦役の推移を解説させている新城である。今さら何をと思ったが、新城は目線すら寄越さず告げる。
「我々は敵情を何ら把握しておりません」
 言葉の意味以上に、反論を許さぬ態度であった。瑞鶴が反発を強めるのではないかと危惧したが、流石は五航戦の素直じゃない方と言うべきか。萎縮する漣を庇うように、いつの間にやら解説の役を代わっている。
 今は指揮官として振る舞わねばならないというのに、気がつけば温かい白湯を用意したりと甲斐甲斐しく働いていた鳳翔は、強縮する兵たちに笑顔を振りまいた。和やかな空気が寒さを湛えた部屋に漂う。
 新城を除いて。
「では、深海棲艦が敷いた哨戒網であると判断した根拠は?」
「はあ? 潜水艦よ? 他にどう判断しようがあんのよ」
「消去法? いや、実際、ワケワカ・・・・・・じゃなくて、まあ、あそこは常に荒れててアレですしおすし?」
 卓の上には、簡単な世界地図と北方の海図が用意されていた。白湯を置きながら鳳翔がそれを覗き込み、釣られて漣と瑞鶴もそれを見る。
 海図には深海棲艦が敷いたと覚しき、哨戒網の範囲が書かれている。出現地点、艦種、天候、日付と時間などを事細かに記した文字は、有り体に言って新城の見た目を裏切る丁寧さだ。三人はそろそろと首を傾げながら、もう一方に視線を移す。
 世界地図には戦力の移動兆候が確認された地点が、大まかに示されていた。打って変わって、大雑把に移動方向だけを記し、深海棲艦の種類をまとめて隅に置いている。その意図を図りかね、三人が揃って首を傾げる。
 紳士的にたった一つの石油ストーブを他の艦娘に譲ったはずの兵士たちは、その光景を眺めて酷く暖かそうで、話に加わる気のない艦娘たちは寒々しい。
 瑞鶴が唸り、鳳翔が頬に手を当て、漣が日本版コロンボの真似をして、新城がちらりと振り返り、兵士たちは冷凍された。
「で、何なの? これ」
「貴女方、ああ、海軍は深海棲艦をどのように評価しておられるので?」
 無視である。問いは鳳翔に投げられた。瑞鶴が拳を構えるが、ここにいるのは深海棲艦を殴り殺すために訓練された陸軍兵士である。むしろ、新城の方に胡乱な視線が集まった。艦娘は、慌てる漣に連動する顔文字兎に、夢中である。
 鳳翔はこの状況で微動だにしない新城の面の皮を、心からつねってやりたいと思った。表向きには極めて友好的に、笑顔で回答する。
「含意が広すぎてお答えしかねますわ」
「奴らを軍として認識しているのですか?」
 新城の言葉の意味が分からなかった者は、艦娘であっても彼を尊敬した。漣は理解はしても、現状と結びつけられなかった。鳳翔は理解して、地図を見て、浮かんだ事実を疑い、しかし、信じられずに冷めた目をした。瑞鶴は混乱している。
「正体不明の艦艇型生物群と認識しておりますが・・・・・・。原始的な社会性と文明の存在も確認されています」
「貴女方と同じく、成長や進化と呼ぶべき兆候が、戦略次元に達したと評価しているのですか?」
「そこまでは・・・・・・。しかし、今後、そのような認識に至る可能性はあります」
「では、貴女方は? 総体として、戦略的知見を獲得したと言えますか?」
 艦娘たちの表情が強張る。それは、彼女らと深海棲艦を同列に扱う言葉だったからだ。
「自覚して頂きたい。良きにつけ悪しきにつけ、貴女方を比較対象とせざるを得ないのだ」
 理解は出来る。だが、納得することとは別だ。退屈そうにしていた艦娘たちが、新城に並ならぬ興味を示し始めた。
「人間の皆さんも、全てが貴方のように考えられるわけではないと思いますが?」
「我々は極めて政治的な動物です。とても参考にはならない」
 言葉だけは丁寧だが、明らかな苛立ちと、こちらを叱責する態度である。難しい人物だとは感じていたが、極めつけにそうであるらしい。
 そして、出来うる限り感情を廃し、深海棲艦の立場と自分たちを置き換えて見る。
 絶望した。
 どれだけ低く見積もっても、現状の数百倍に及ぶ正規空母を養わねばならない自分を発見してしまったのだ。
「食糧確保が最優先です」
「え? どういうこと?」
「「「自覚して」」頂きたい」
 戦争などやっている場合ではない。むしろ、海中こそが主な生態圏である以上、人類を排除する積極的な理由があるのだろうか。いや、最大勢力である駆逐艦型は、その形状の割に泳力は低い。艤装を使わない場合、海底移動を主とするならば、海産資源の豊富な大陸棚は充分係争地たり得る。
 違う。そうではない。そもそも、深海棲艦がどれほど怨嗟の声を上げようとも、人類が標的とされる最も合理的な理由は、その膨大な物量を支えるための略奪にあると、とうの昔に分析されているはずだ。何故、忘れていたのか。
「まさか、食べ物の恨み・・・・・・」
「そこまでは」
 深海棲艦最大の謎は、永遠に謎となることが決定した。
「いや、説明してよ。何で通じ合ってんの?」
 艦娘を軍事組織に組み込むために努力するなか、どこかで深海棲艦に対する意識まで移り変わってしまった。彼女らに軍事的行動を強要しようとして、深海棲艦までそうであるように進んで誤解した。
 深海棲艦は、正体不明の艦艇型生物群、つまり害獣である。哨戒網など敷くはずがない。仮にそう見えたとするのならば、彼女らは狩りをしているのだ。
「何てことなの。では、今、こちらに侵攻して来ているのは・・・・・・」
「メシウマ?」
「君は何を言っているんだ」
「いや、あんたこそ。聞けよ。ねぇ、無視すんなってば」
 この情報を伝えなければと、鳳翔の胸に使命感が湧き上がる。だが、それを守原に伝える自分を想像して硬直した。このような状況を生み出した下地を作ったのは守原なのだ。彼がこの事実を受け止められるはずがない。
 下手をすれば、彼に報告した時点で握りつぶされるだろう。ここにいるのは守原閥の艦娘だが、目の前のこの男は、駒城の猶子である。足下が崩れていくような心地がした。
「深海棲艦の行動目的は?」
「よくわからないんでしょ?」
「そういうことだ」
「ねぇ、私が悪かったから諦めないで。すっごい傷つくのよ、あんたの態度」
「漣君、三行だ」
「半端にネタに走ったことをここに深く陳謝いたします」
「う~、も~ぉっ!!」
 涙ぐんで地団駄を踏み始めた瑞鶴を宥めながら、漣が説明している。つまり、この場で共有されてしまう。
 止めなければとも思うが、そのことに意味などあるのだろうか。小さな男だった。拭いきれぬ侮蔑が瞳の奥に渦巻いていることも知っていた。同時に、情を交わした相手へ冷徹に成り切れぬ、甘い男でもあった。その上で、女として立ち回った。手綱を握るのは難しくなかった。
 けれど、慕う駆逐艦に向ける優しさと暖かさは、嘘を通せぬ傲慢な彼の本当の姿かもしれないとも思った。不器用で、臆病で、生まれさえなければ、ただ純粋に愛することが出来たのかもしれないと、そう思うことがあったのだ。
 守原英康。彼が失われてしまうと思い至った時、鳳翔からは血の気が失せた。知らず頽れた体を、支える手があった。
「立ちなさい。貴女は指揮官のはずだ」
 見上げた鳳翔を迎えたのは、底なしの絶望だった。自らの望みと、現実が全く反対を向いている男の瞳だ。鳳翔には、なぜ彼がこうして生きているのかさえ、信じられなかった。そんな男が、彼女に怒りを向けている。当然の権利だと思った。彼女は自分の足で立つ。手はまだ添えられていた。ふと、笑みがこぼれる。
「冷たい瞳。まるで、あの方たちのよう。きっと、提督にも必要だったのかもしれない」
 だが、そうであったのなら愛さなかった。このような男であったならば、きっと愛することなど出来なかったのだ。
「すみません。少し、疲れたようです」
「動いているのは義兄です」
 嘲笑した。一体、これまで何人の小僧を男にしてきたと思っているのだ。三十路に届いた程度の若造に慰められるいわれなどない。
 鳳翔は颯爽と部屋を後にした。
 このやり取りを、瑞鶴を含めて、誰も理解していない。
 
 
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