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提督はただ一度唱和する

作者:HIRANOKOROTAN
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詭道なればなり

 深海棲艦は常にこちらの意表を突いてくる。何の意味もなく。
 深海棲艦は当初、空に対して一切無防備に進撃していた。おそらくだが、こちらの事情を看破しているのだろう。主力のほとんどが他の方面にかかりきりなのを見越して、資材の節約に勤めているのだ。そのくせ、巨大な輪形陣をなして慎重に進んでいる。航空戦に慣れた最近の艦娘であるなら、手出しを躊躇しただろう。
 しかし、横須賀は怯まない。戦力の補充と物資の確保。敵戦力の撃滅と海上防衛。あらゆる矛盾と正対しながら、理不尽を乗り越えて平和をもたらした、その魁となったのが彼女らである。日本で最初の鎮守府であり、その発足時に所属していたのは、たった五名の駆逐艦。滅びようとする日本を背負って、彼女らが海を切り拓いた。
 巨砲を掲げるのは怯懦。航空に頼るのは甘え。魚雷こそが至高の兵器。僅かに生き残っていた海軍士官の薫陶宜しく、彼女らは肉迫攻撃の鬼である。補充に陸軍が利用されたことも、原因かもしれない。
 何せシーレーンが破壊され、資材不足に国中が喘ぎ苦しんでいたのだ。絶え間ない出撃の最中に回せるレシピなど、最低値以外にあり得ない。軽巡と駆逐艦だけの水雷戦隊が、深海棲艦の支配に沈もうとしていた日本を救うためには、選択肢など存在しなかった。
 雲霞の如く空を塞ぐ深海棲艦載機をくぐり抜け、幼い身の上となった彼女らを編隊ごと喰らう砲火を躱し、直接人類の怒りと恨みを突き立てる首狩り専門の特攻隊。それが横須賀の水雷戦隊である。
 そのせいか、強い艦娘とはつまり、肉弾戦を行うものだという風潮がある。まあ、大戦の記憶を引きずって顕界してみれば、戦艦も空母も鼻歌交じりに蹂躙する先任を目の当たりにしたのだ。これが一部の戦艦に受けて、砲弾を素手で殴り返したり、三鎮立ちなる構えが流行ったりした。大艦巨砲主義を真っ向から否定するものだが、なかなか便利のよい戦術である。
 何故なら、海というものは意外と起伏に富んだ地形だからだ。女性形の艦娘にとって、砲撃を妨げる要因とはつまり、視界を塞ぐ波濤であった。また、二本の足で海面に立つということは、機動力を大幅に押し上げた代わりに、安定性も犠牲にしている。風もないような凪の海ならばともかく、近接射撃戦を行うには、艦娘の身形では厳しいものがあるのだ。
 よって、荒天に恵まれた北方の海は、彼女らにとって打ってつけの戦場である。危険過ぎると今では廃れ始めた戦術だが、その有効性に疑いはない。加えて、相手は巨大過ぎる単一陣形の塊。
 どれだけ中央の旗艦を守りたいかは知らないが、屠るべき標的の位置を知らしめ、自らを自縛し、空を明け渡した艦隊など、遠征に飽いた彼女らの餌でしかない。
 鬼すら後ずさる戦意を漲らせ、軽空母が世紀末を唄う。荒天において、もっとも有利な陰陽型。風も波も知ったことかと、ただ勅命のままに曇天の中へ。世界で最も正確、確実な配送は、かつてより受け継がれる日本のお家芸である。
 千島列島より発進した航空隊に深海棲艦が空を振り仰げば、足元から無航跡の死神が迫る。艦船の高さを持ち得ない彼女らが空からの目を失えば、世界最強の魚雷はまさに当時求められた通りの戦果を約束するのだ。それはかつての屈辱を晴らすかのような全弾命中。水柱に呑み込まれてしまえば、戦艦すら姿を消す。悲鳴も怒号も、怨嗟ですら海の底へ。
 生き残り、文字通り浮き足立つ彼女らの頭上には、既に爆撃態勢の荒鷲共がいた。身を捨ててこそを体現する、直角の急降下。波は不規則に乱れて、深海棲艦といえども姿勢を維持できない。当然、重い艤装を持ち上げ、構えることも。迎撃など出来るわけもなく、した所で意味もない。投下された爆弾が意識を貫いて、白熱する。
 護衛の戦闘機が、暇そうに旋回していた。
 回避、迎撃、防御、攻撃、発艦、索敵。何をすればではなく、全てを同時に行わなければならない。乱戦とはまさにそれで、それこそが横須賀の真骨頂。波間に紛れて浸透した少女たちが、笑顔を浮かべて全てを砕く。砲を突きつけ、艤装の隙間にねじ込み、発砲。海面に油が広がり、鉄片が飛沫を上げる。生きていても死んでいても、どうでもいい。辺りは喰い放題の散らかし放題。選ぶ手間すら惜しいほど。
 作戦は完全に成功したかに思われた。
 巨大な円の外縁を切り取るように進む一二〇名の艦娘たちは、混乱のまま散発的に行われる反撃をあしらい、陣を突破しようとしていた。乱戦を抜ければ、その後は一〇〇倍もの敵との追撃戦が待っている。損害を与えたことは確かだろうが、所詮は水雷屋。足を頼みに逃げる他ない。そのまま輪形陣を維持するならよし。分派するなら各個撃破していく算段は付けている。
 だが、おかしい。違和感がある。どうにも緩いのだ。軽巡の外郭を破っても、内側は戦艦。取り回しに難があるとはいえ、その一撃は横須賀にとって致命の一打だ。にもかかわらず、中破、小破はあれど、大破、轟沈の報告はない。望んで作り出したはずの状況が、意図しない形で有利な方向へ押し流されていく。
 躊躇い、足を止めれば待っているのは死。しかし、進んだ先に待っているのは果たして勝利なのか。積み重ねた経験が警鐘を鳴らす。そういえば、深海棲艦の艦載機が見当たらない。この期に及んで、何故飛ばさない。いや、まさか。
「神通さん。どうやら、見逃されているようです」
 僚艦の声にはっと、周りを見渡す。こちらに砲を向けている深海棲艦は僅か。他は脇目も振らず、横須賀の後方へ。乱戦の中で、全体が見えていなかった。むしろ、騙された。混乱ではなく、足止めでもない。あしらわれたのはこちらだ。
「綾波さん!! 第二の叢雲さんへ連絡を!! すぐさま、全力で出撃するように!! 曙さんは、千島の龍驤に!!」
 誰かが気づけば、そこは歴戦の強みか連鎖的に理解が広がる。
「単縦陣へ!! 突破と同時に左舷回頭!! 全て撃ち尽くして!!」
 もはやそれは悲鳴だった。何故分からなかったのか。深海棲艦得意の物量作戦。大きく、鈍い輪形陣は囮。深海棲艦が放った艦載機は、彼女らどころか、直掩機すらも顧みず、ただ一方向に向かう。追われているのは、攻撃手段を失って帰還する艦爆の群れ。
「空母が・・・・・・逃げて。お願い」
 海が開けた。突破した。取り残されたのだ。深海棲艦は、陣形を再編して千島列島へ。逃げる先は、灰の降り積もる半島か。それとも流氷で閉ざされたオホーツクか。全力で回頭。だが、これから追いかけたとして、死線を潜った事実は変わらないのに。
「上空!! 敵艦載機!!」
「読まれていた?」
 一瞬の忘我。荒れる海上で、全力で舵を切っている最中の、およそ考えられる限り最高で最悪の機会。
「回避ー!!」
 その命令に、誰が従える。


                      §



 提督の不在が仇になった。あの運命の日の過ちを繰り返してしまった。
 確かに戦力は絶望的なまでに足りなかった。突撃する水雷戦隊が優先されるのは当然だ。先手だからと、主導権を握ったつもりになっていた。空母を集中運用してしまった。分散するべきだったのだ。
 札幌からは、直ちに先遣隊から追加戦力が派遣された。貴重なヘリを使って、全力でオホーツク沿岸に向かっている。守原大将の命令を受けた鳳翔は、きょとんと彼を見つめた後、いつもと同じ微笑みでそれを受諾した。
 陸軍も急いではいる。だが、冬なのだ。限られた車両で大雪山を越えるために払われるあらゆる努力を、雪が覆い隠していく。大規模な兵員輸送は、繊細な雪山を揺り起こす。到着は遅れていた。
 深海棲艦はこれまでが嘘のように分散し、千島に展開していた軽空母部隊を追い詰めている。流石の巧みさで遅滞戦闘を試みているが、艦載機は無限ではない。幸いなのは、空母であるが故に、それなりに速度を稼げることか。
 追撃する横須賀の残存艦隊も必死に追っているが、何とか先回りを狙う一部の分遣隊を始末したのみだ。解き放たれた獣のように戦果を挙げる彼女たちだが、それも限界だ。旗艦叢雲は現実を見つめて頽れた。
 深海棲艦を閉じ込めるはずだった流氷は、千島列島を確保されたことでその意味を反転させた。オーストラリア打通を諦めさせたソロモン海が、国内に出現する可能性が指摘されたのだ。
 もはや、太平洋や南方の決着を待つことも出来ない。ことここに至っては日本海からも戦力が抽出されるだろうが、戦力の逐次投入が避けられない状況とは、つまり破綻しているのだ。
 現有戦力で事態を打開せねばならないとなれば、空母は一人でも貴重である。
 しかし、摩耗した空母が逃げ込む先は、一つしかない。旭川第11剣虎兵大隊所属、第二中隊派遣地域。新城のいる場所だ。その先には辿り着いても意味はなく、その手前では捕捉される。
 たった二〇〇名の歩兵と、剣牙虎だけが、北海道を救う最後の希望であった。保障も公算もない、ただ可能性としての。
 弱音を吐くことは簡単だ。逃げ出すことも出来るだろう。
 だが、現実は常に理不尽なまでに狂った合理性を示す。
 雪に囲まれ、孤立した中隊。
 もしも彼らに生き残る道があるとしたら、深海棲艦の食道に向けて突撃すること。
 希望というのは、まったくもって本当に、嘔吐以下である。 
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