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ある経営者の後悔

作者:南 秀憲
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ある経営者の後悔

 
前書き
 この恐怖に耐えられるだろうか? 

 

 
今年も、確定申告書を税務署に提出する時期になって来たが、国税庁ウェブサイトにある「確定申告書等作成コーナー」で各種情報を入力し、プリンターで印刷して期限までに余裕を持って郵送したのには訳がある。
従業員に軽蔑されまいと、いかにもPCを使い慣れている様に演技する為で、キーボードに向かい必要項目を、右手人差し指でポチポチと打ち込むのがやっとで、アナログ人種の私には、手書の方が数段早い。
必要書類をあたりに溢れ返しながら、電子申告するため、汗を溢れさせ、どうしても上手く使いこなせないPCと必死で格闘しながら、確定申告書、仕訳書、その他必要な書類等プリントアウトするのに、四日間の苦行を私に強いた。郵送を終えた時には、疲労感と解放感が混然としていた。肩と腰に痛みさえ感じた。眩暈さえ襲ってきた。
幸か不幸か、PM四時から翌朝AM二時までの営業時間は、その事に専念出来る程、暇な店である。

従業員は総料理長, 料理長, 料理経験二~三年の調理場担当二名とホール責任者二名、不定期に出勤するホール担当の大学生、専門学校生等アルバイト九名、計十三名で店を運営していたが、チヨー暇で退屈を押し殺した欠伸しか聞こえない、閑古鳥すら寄り付かない焼き肉、ホルモン専門店だ。 
このあたりで、起死回生策を打ち出し成功させなければ、折角オープンさせた愛着ある店を畳まなければならない。しかも、一人っ子の私に両親が残してくれた動産、不動産も後僅かになり、預金通帳を見る度に、限りなく〇円に近付いて来ている。長い溜め息は出ても、納める所得税は払い込めずにいたのは、2年連続だ。
要するに、私が飲食店を初めて以来、諸経費を差し引いた営業利益がゼロ又はマイナスであることの証左である。
実際に純益を多く出している店は、どのようにして経費を水増し、あるいは様々な費用を経費として計上し、納税額を少なくする事ができるかという難問(?)に腐心しているのに・・・

二流大学経営学部を中位で卒業し、飲食業チエーンで九年間勤めて得た経験と知識の集積は、一体何だったのだろうと思うと、妙に情けなくなる。
親に買ってもらっていた一人住まいには広過ぎる4LDKマンションのトイレで、まるで、お局様に苛められた新入りOLの様に、ワンワンと隣人には聞こえない程度の大声で泣く日々が続き、百二十キロあった体重も、今や百十八キロに激減(?)した程だ。
毎日、毎日泣いていると、とうとう、涙も枯渇したのだろうか?
洗面台には、顔中皺だらけ、胡坐をかいた鼻、タラコの様に分厚くて赤い唇、シャクレテ長い顎、髪はその存在を額に大きく譲り、肥えて弛んだダサ過ぎる下駄顔が大写しになっていた。
努力して痩せた成果は、顔の皺だけに現れただけだ。フィットネスクラブに週四回、四年半も通って汗を流しているのに、である。後で、チーズと羊羹をつまみに、大ビンビールを立て続けに四本飲む癖が、いけないのかなあ。でも、これだけは、脂っこいおかずと同様に、止められそうもない。悲しい定めと諦めよう。
幼稚園では、健康優良児だったが、育ち過ぎて、会社での健康診断では、上半身肥満、糖尿病、高脂血症、高血圧が合併した状態で、このまま推移すれば、冠動脈疾患で死亡すると医者から宣告されていた。で、この様だ。
きっと、遺伝に違いないと、先祖の所為にしたので、少し不安から解放された。

そんな悶々とした日々が続いたある夜、劣等感の残滓が横溢した無意識の底から、透明で躁状態の意識上に、とても素晴らしいアイデアが、何の前触れもなく唐突に顔を出した。
私には、それはまるで天の声だった。全身が、恰も雷神の稲妻に打たれ感電したかの如く、歪んだ陶酔とも悪夢とも形容し難い思い付きである。
全身が打ち震える素晴らしいくも、形容し難い甘酸っぱさに満ち溢れ、最上級の讃辞を送りたい何と魅惑的な美の極致であろうか?

シュルレアリスムを創始し「法王」として君臨したが、反発した人も多く「ブルトンはシュルレアリスムの父であり、子は常に父より優れ、子であるダリはその父から離れていった」と評価されているブルトン。彼の著書「通底器」の終り近くに『美は痙攣なり』という文章を、今から十年以上も前、学生時代に原書で読んだが、それは今正に思い浮かんだアイデアを端的に表現するに相応しい名文句ではないだろうか?

翌日から、早速準備に取りかかった私は、先ず今までの四倍の給与を支払うから、ぜひ私の計画を実行し、しかも、決して他言しないという念書を四名いる厨房担当者に書かせ、誓約書に血判まで押させた。
この事実は、彼らも同じ穴のムジナになったことを意味している。

早速、今まで何度か掲載を依頼してきた求人情報誌の担当者に連絡をし、私自ら作成した原稿を取りに来させた。
主な内容は、時給二千円、ホール担当、肥満タイプで一八歳~三十歳位までの男女(本音は女性だけを求めていたが、男女機会均等法なる法律に阻まれて、表面上は男性も対象にせざるを得ない)土、日、祝日休み可、勤務時間帯は応相談、親類縁者が少ない一人住まいの方歓迎、という内容である。
発行部数が多い主要四社の日曜日の朝刊に、奮発して名刺八枚分に相当する募集覧を掲載したB四タブレット求人情報誌を十四万枚折り込んだ。

効果覿面である。日曜日には、朝から、面接の問い合わせで店にある四台の電話機は鳴りっぱなしだ。車両通行量が多い片側二車線の明姫幹線(姫路と西明石とを東南に結ぶ主要道路)より、南へ約二キロも離れている為、店へのアクセスを説明するに苦労したが、初日だけで四十名希望にピッタリした女性が面接に来ることになった。私なりの喜びの表現――イヒヒヒと思わず言い出しそうだった。
翌日より面接を始めたが、狭い道路には、朝から体格が立派な女性達が行列をなして集まり、私は履歴書には一切目もくれず、美形でなく、太ってメタボを超越した背が高い九十キロ以上の女性を選んで採用したが、言うまでもなく、両親が他界し親類とも疎遠であることが前提条件である。
美人を何故初めから、不採用にしたかと言うと、彼女達には恋人、もしくは友達が大勢いる可能性が高く、こちらの思惑に合わないからだ。
秘密の漏洩は、絶対許されないケケケケ。「また出てしまった、すみません」

店を四日間休業にして、早速、厨房の改装を、依然知り合った業者に突貫工事を頼み、調理関係者以外入れない静脈認証装置を設置し、霊安室の様な細長い、肥えた人間でも四人充分横になれる冷凍設備を四か所造り、同時に安全を期する為に、別棟を造り、ホール担当専用更衣室にした。
更に、大きなまな板を別注で誂え、包丁類も大きく頑丈でしかも刃先の鋭利な物を調達した。
不要な骨や肉類を処分するための大型ディスポーザーを備えたので、相当な出費であったが、直ぐに償却出来る目算は充分あった。

A四新装開店チラシを店の周囲を中心に主要四紙の朝刊に奮発して合計九万枚折り込んだ。
しかし、二年前のオープン当初と変わらない客入りで、二階も含め九十席が満席になることは一度も無く、半分席が埋まるのがやっとだった。
しかし、レジで清算していた私に、お客様全てが「こんなにも柔らかく、しかも歯応えも適度にあって、ジューシーで、何故か懐かしい味がする。大いに宣伝させて頂きますよ」と言って下さるので、成功を確信すると共に身体の芯から勇気が漲って来た。

キリスト教でもこう言われている。
「パンはキリストの肉、ぶどう酒はキリストの血、パンを食べることはキリストの肉を食べる
ことに等しい」と。

また、鉄,銅の精錬技術を持たずに、石器文明に甘んじていた為、西欧人が造った武器を見た事すら無かったインカ帝国を、滅亡に追いやったスペインの軍隊長が、本国宛てに報告した書簡があった。
それには「インカの人々は、敵部族兵士を殺害して、焚火でこんがりと焼いた人肉を、皆で歓喜の雄叫びをあげ、天に向かい何度も捧げながら、嬉々として踊り狂いながら食べるというカンバリズムの風習が、今なお継承されている」という事実が記述されていた。
幸い、尖った山々が聳え立つウルバン渓谷の標高二千二百八十Mの頂にある、老いた峯を意味する、空中都市、マァチュピチュを見つける事は出来なかったが。

「目には目を・・・・・・」という楔形文字の法典で有名なカルタゴの将軍ハンニバルが、味わった惨い逸話も残っている。
紀元前二百十八年、兵五万と戦像三十七頭を率いてローマに侵攻中、氷山と化したアルプス山中で、食べ物を殆ど口にしていなかった下級兵士達により、目の前で妹を食べられたと言う。

第二次世界大戦中、大日本帝国陸軍軍人が転進中(正しくは撤退中)南方の地で飢えに苦しみ、死の行進中に、マラリア,疫痢、赤痢等で亡くなったばかりの戦友を食して、生き残ったという話は余りにも有名である。
そのことは互いに秘密にし、全員はでないにしろ靖国神社で毎年哀れな戦友に、彼等は許しを乞う。
我々個人を形成する、約六十兆個の細胞核にあるDNAの遺伝情報には、カンバリズムの痕跡は明確に残されているのに違いない。

さて、私が確信した通りお客様は日に日に増加し、文字通り、行列ができる店に見事に変身し、常に満席で、三~四時間のウエイティングは日常茶飯事で、原材料確保に腐心し、従業員募集のチラシを毎週折り込み、面接を毎日して採用者を物色し、更に厨房には原材料を保管する冷凍設備を四台増設した。
殆ど肉が取れない頭部を、四日四晩グツグツグツグツと煮込み、中国、東南アジアより直輸入した香辛料を加えた秘伝のタレに、薄くスライスした肉を、二日漬けて焼き肉の材料として提供した。
内臓は部位に分け、ホルモン、ソーセージ等に形を変えてお客様に提供したが「えも言われぬ美味ですね」と言うお客様からの讃辞も、耳にタコが出来る程だ。
常連客ばかりか、御新規さんも日に日に増えていき、当然、厨房に口が堅く肉を捌いた経験が長い新たな職人を四名増員したが、それでも連日総料理長達は必死に肉を捌き、ホールから次々入る注文に応える為に、こけた頬、窪んで血走った目で牛刀を振り回し、別注で堺より取り寄せた鋭い刺し身包丁で均等に肉を切り揃えている彼らの形相は、まるで死に神そのものだ。

人件費が売上高の四割を超えるようになり、客数に客単価を掛け合わせたのが売上高なので、私の次なる戦略は客単価を上げることである。
お客様に提供する焼き肉等、メニューを現状の三倍に増やすと共に、全国各地で人気が高い、焼酎、清酒を網羅し、ワイン、ドリンクの種類も充実させ、客単価アップに力を注いだため、純利益は徐々に上昇して行った。
お陰で、〇円に近づいていた預金通帳も今では、記帳する度に〇の数が増えていく。

しかし、川柳に「良いも悪いも因果の種は播けば芽を出すいつの日か」と唄われている様に、仏陀が説かれる因果応報は真実である。

目が虚ろで完全に気の狂った、総料理長はじめ七人の侍ならぬ、死に神達が、血が染みついた牛刀や刺し身包丁を手に、異様な形相で、百十八キロしかない私に向かい、毎日毎日、職業にしている人体解体の腕を振るって来たが「ギヤー」と叫ぶのが精一杯で逃げる余裕すらなく・・・・・・

私は、エジプト王ファラオ、始皇帝の様に、魂魄(魂と肉体)は離れてもいつかは肉体が現世に帰って来るとは信じていないが、霊魂の存在は固く確信しており、更に繁盛をし続けている店を毎日見に来ても罰は当たらないだろう。
文字通り、草葉の陰から。

                ―完―



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