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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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人狩りの夜 2

 
前書き
 『ゼノブレイド2』のホムラがかわいいのでプレイしたいのですが、ニンテンドースイッチ持っていません。
 これ一本のためだけに本体購入するのもなぁ……。 

 
「――いやはや、先ほどの狩りは実に見事な趣向でしたな。剣で心臓を狙ってきた相手の心臓を逆に魔術で撃ち抜くとはお見事です、マンティス卿。このマスク・オブ・イーグル、感嘆の極み!」
「はっはっは、イーグル卿にそこまで褒められるとは光栄ですな」

 馬に乗った狩人がふたり、森のなかを進む。
 それぞれカマキリと鷲を模した仮面をつけていた。イーグルにマンティス。仮面に応じた名で呼び合っている

「しかしせっかく丈夫なボルカン人が獲物だったのだから、もう少し狩りを楽しめば良かった気もしますなぁ」
「たしかに、まだ血が騒いでいますよ」
「とはいえ我々に用意された今夜の獲物はあれが最後。……それとも『ドクター』の解剖でも見物しに行きますか?」
「たしかに血の流れる様は十二分に堪能できるでしょうが、抵抗できない獲物をただバラすだけというのは、いまいち興が乗らないもので」
「同感です。牙もむけてこない、逃げ回りもしない獲物を狩ってもつまらない」
「では少々早いですが、屋敷へ戻りますか」
「ええ、この興奮が治まらないうちに先ほどの様子を詩にでもいたしましょう――」

 ふたりの狩人が馬を駆り、いなくなる。
 すると、木々の陰から黒装束に身をつつんだ男女が姿を現した。
 ペルルノワールと称する仮面の義賊と、秋芳だった。

「…………」
「…………」

 狩人達には気づかれていない。やり過ごしたのを確信し、たがいに無言でうなずき合うと、彼らの来た道を進む。
 いくらも進まないうちに、地面に横たわるボルカン人を見つけた。胸に穿たれた穴から血を流し、闇のなかを濃厚な血の臭いがただよう。
 すでに、息はない。

「――全身にできた無数の真新しい刀創に炭化した胸の傷。さっきの連中の言っていたボルカン人のようだな」
「やっぱり噂は本当だったみたいね」
「どうやらそのようだ」

 仕事のない外国人労働者や貧しい人々を言葉巧みに誘惑して領内に招いては狩りの標的にする殺人遊戯。
 それが、まさにおこなわれていたのだ。

「牢記されよ、我は大いなる主の意を代弁する者なり――」

 ペルルノワールの手が聖印を切り、その口が聖句を唱えていく。

「汝は我が言の葉を借りし主の意を酌み、その御霊を主に委ねよ。さすれば汝、悠久の安らぎを得ん。死を恐るるなかれ。死は終焉に非ず。初頭の生誕を告げる産声となるもの。現世は円環にたゆたう一時の夢なりて、只、主の御名を三度唱えよ。さすれば汝、重き荷の頸木から解き放たれ、その生が積んだ罪は主の御名の下に赦され、濯がれん。いざ、其の御霊は自由の翼を得て輪廻の旅路につき、永遠の安寧へと続く扉は其の心の前に等しくその門扉を開かん。汝の魂に祝福あらんことを。真に、かくあれかし(ファー・ラン)」

 驚愕と恐怖に開いたボルカン人の瞳孔を、白い繊手が閉ざす。

「ボルカン人が聖エリサレス教の祈りをありがたがるとも思えないが」
「たしかに。彼らにとっては故郷を滅ぼした侵略者たちの信仰する教えですものね」

 宗教国家であるレザリア王国は聖エリサレス教至上主義で、他宗教を徹底的に排斥してきた。かの国の宗教浄化政策によって故郷を失った人々はシルヴァースの民だけではない。ボルカン人もそのひとつだ。

「けれども、わたしはほかに祈りの言葉を知らないから……。これから言葉ではなく行動でこの人の魂を救済するわ」
「狩りの標的にされている人々を救い出し、クェイド侯爵の悪行を暴露するんだな」
「ええ、そうよ」
「しかし一体何人の人達が連れ込まれ、どこにいるのやら。こんな広大な敷地内でどう動くつもりだ」
「個別に助け出さなくても、騒ぎを起こして狩りどころじゃなくすればいいのよ」
「そこらに火でも点けてまわるのか」
「火事になったら連れ込まれた人にも害がおよぶかもしれないでしょ。それよりも――」

 美少女仮面の細くしなやかな指先が館の方向を指し示した。

「敵の本拠地を叩き潰す! 派手にね」
「なるほど、そりゃ大騒ぎだ」
「行きましょう」
「行くか」
「行くわ」

 そういうこととなり、ふたつの影が疾駆した。





 【トーチ・ライト】によって皓々と照らされた広い地下室には奇妙な形の家具や調度品がならんでいた。
 壁に掛けられていたり天井から吊るされているもの、オブジェのようにテーブルの上やソファを飾り立てているもの。いや、ソファ自体も――大小様々なそれらは、すべて人骨や皮膚など、人の体の一部で作られていた。

「ドゥフッ、ドゥフフフフッ」

 人骨で作った骨組みに人皮を貼った椅子に座った肥満体の老人が不快な笑い声をあげる。
 この老人も先の狩人達のように仮面をしていた。鳥のような長い嘴が突き出した黒いマスク。ペストマスクと呼ばれる、黒死病患者を専門的に診る医師が身につけるものをかぶっている。

「この椅子はわしの最高傑作でなぁ、こうしてちょうど手が置かれる場所におなごの乳房を貼りつけてある」

 醜く肥えた芋虫のような指を動かして、肘かけの先端にある茶褐色の突起をもてあそぶ。
 乳首だ。
 切り取られた女性の乳房が、椅子の肘の先をおおっているのだ。

「だからこうしていつでも乳が揉めるのじゃよ、ドゥフフフフ!」
「ンンーッ! ンンッンーッ!!」

 部屋の中央に置かれた寝台の上に拘束された少年が恐怖と嫌悪に叫び声をあげようともがくが、口枷のせいでまともな声にならない。

「ドゥフフフフ、いいぞいいぞ。その恐怖におびえた顔、たまらん! おまえより下の弟どものほうが好みなのじゃが、残念なことにやつらは狐狩りの狐じゃ。生きたまま解剖したかったのう。だが安心せい、おまえの弟どももわしが切り刻んでやる。だから自分が死んだ後にどうなるかなどと、よけいな心配はしなくていいぞ。内臓はホルマリン漬けにして、骨や皮は剥製にして仲良くならんで置いてやるからな。ドゥフッドゥフッ」
「ンーッッッ!!」

 この老人としては気の利いたユーモアのつもりなのだろう、人間性のもっとも醜悪な部分を垂れ流して、べちゃべちゃと舌を鳴らして笑った。

「――お楽しみのところ失礼します、ドクター」

 地下室に降りてきたクェイド邸の使い番が声をかける。

「なんじゃ、邪魔するでない!」
「それが、トラブルが生じまして――」
「なんじゃとぉ、侵入者!?」

 突如として館に乱入してきた正体不明の侵入者があちこちで狼藉を振るい、ケガ人が続出している。そのため今夜の遊戯に出席している人達に安全のため避難を呼びかけている。
 そのように、使い番はペストマスクのドクターに状況を知らせた。

「いちど『鳳凰の間』にお集りください。安全が確保しだいお遊びの続きを」
「ふんっ、賊の侵入をゆるすとは、侯爵殿も存外抜けておるな。いらんいらん、避難なぞ必要ない。自分の身は自分で守ると、そう伝えろ」
「かしこまりました」

 使い番はあっさりと引き下がった。今宵のゲームの参加者達は館の主に比類する権力や財力を持つ実力者なのだ。彼らの意向をないがしろにすることはできない。

「まったく邪魔しよってからに……なんじゃ、その目は」

 拘束された少年が怒りに満ちた視線をむけている。先ほど彼の弟のことに言及したことが、少年の反抗心に火を点けたのだ。
 怒りの感情は、いかなる恐怖にも上回る。

「反抗的な目つきをしおって、気にくわん。実に気にくわん」

 ドクターの手が愛用のメスにのびる。

「しょせんは貧民窟のクソガキ。老人に対する敬意を持たんとは、ろくな教育も受けていない浮浪児の証左よ」

 ドクターの手にしたメスが光る。

「わしは今まで七、八〇人ばかりの人間を生きたまま解剖した。そのうちのひとりがおまえのような目をしてわしを極悪人だの鬼畜だのとののしりおった。そのような無礼者には罰をあたえてやったぞ。そやつの目の前で、そやつのガキを麻酔なしで解剖してやったのじゃ。ドゥフッドゥフッ」

 うれしそうにドクターがメスを振るう。

「わしは医学とアルザーノ帝国の発展のために非国民や劣等民族の肉体を切り刻んできたのじゃ。医学の進歩に役立てることに感謝せい。おまえの目の前で弟どもを切り刻んでやろうか!」
「自分のたるんだぜい肉でも切り刻んでろ」
「!?」
 
 秋芳の手がひるがえり、脂肪の塊を無造作に放り投げた。

「うぎゃェッ!?」

 踏みつぶされたガマガエルのような声をあげて醜い肉の塊が宙を飛んだ。
 空中で両手両足をバタつかせ、右の肘と背中から壁に衝突したのだが、そのときなおドクターの右手はメスをにぎって離さなかったため、壁に叩きつけられてずり落ちたさいにまがった腕が背中にきた。
 ドクター愛用のメスはドクター自身の背中に深々と突き刺さった。

「プギィィィッ!?」

 痛みに絶叫をあげてのたうちまわる。

「そんなことをしたらますます深く刺さるぞ」
「抜いてくれぇぇぇ、痛い! 痛い!」

 幼い子どもを麻酔なしで解剖した老人だ。
 他人の苦痛に悦びをおぼえるサディストだが、自分自身の苦痛に耐える強さは毛ほども持ち合わせておらず、つねに加虐者としての立場にあったドクターは自分が被害者となることなど想像してもいなかった。

「おまえが切り刻み、痛い痛いとうったえる人達に対して、おまえはどうした。加虐の手を止めたのか? 少しは人の痛みを思い知れ」

 のたうちまわる肉塊を冷酷に見下す秋芳のうしろで、ペルルノワールは拘束具に縛られた少年を解き放ち、口枷もはずした。

「ぺ、ペルルノワール!?」
「ええ、そうよ。美少女仮面ペルルノワール。ここに推参☆」
「すごい、本物のペルルノワールだ! ペルルノワールが助けに来た!」
「うふふ、さぁ、もうだいじょうぶよ」
「しかし『ペルルノワール』てのは本当に有名人だったんだなぁ」
「あなた、本当にわたしのことを知らなかったの? 美少女仮面ペルルノワールを知らない義賊だなんて、とんだモグリだわ」
「なにせつい最近セルフォード大陸に流れ着いたばかりの身でね。オルランドに来たのも数日前だ」
「こ、この卑賎者どもが、こんなことをして無事ですむと思うなよ!」

 肥満した身体をゆすって恫喝するドクターのペストマスクをはぎ取ると、ガマガエルのような容貌が外気にさらされた。

「知った顔か?」
「……ええ、ライスフェルト・ズンプフ侯爵。過去に法医大臣を務めたこともある、製薬会社を経営するオルランド医薬会の重鎮よ」
「医療にたずさわる者が、快楽殺人に興じるとはね……」
「この人物にはむかしから黒い噂があったわ。先の大戦のさいに法医術特殊部隊を指揮して、錬金術や薬の研究と称してレザリア王国の捕虜を生体実験によって虐殺したという噂がね」
「まるで731部隊や九大事件だな」
「そ、それがどうしたというのだっ。わしが今までに手にかけたのは侵略者どもや非市民の連中。獣のようなやからを解剖しても、なんの問題もなかろうが」
「裁判官の前でもそうやって情状酌量の余地皆無な弁明をするんだな」
「ふん、上級貴族であるわしが裁かれるものか。法官どもなぞわしら上級貴族の思うがままじゃ」
「そうなのか?」
「いささか誇張があるわね。五〇年前ならまだしも、人道を重んじ法を遵守する為政者たらんとするアリシア七世陛下の御世でそのような横暴は通らないわ」
「八〇人も切り刻んだ大量殺人犯だ。お家取り潰しのうえ本人は断頭台送りかな」
「でも、今のアリシア女王の立場は盤石とは言えない。そのため貴族階級の支持を保持しておく必要があるわ。彼らの反感を買わないために大貴族を死刑に処す可能性は低いと思う。いっさいの公務からはずされてオルランド追放といったところかしら」
「所払い、追放刑とはまたずいぶんと軽い罰だな。こういう手合いは生きている限りおなじことを繰り返すぞ」
「古来より統治の要は公平な税制と裁判だと言われているわ。女王陛下に代わってこの美少女仮面ぺルルノワールが正しい裁きをくだします。判決、死刑!」
「ヒェッ!」

 腰に提げた細剣を抜き放ち、断罪の刃を振るおうとした美少女仮面の動きを秋芳が制した。

「まぁ、待て。何十人もの人を生きたまま切り刻んできた凶悪極まりない殺人鬼を一瞬で楽にしてやることもないだろう。こいつの処置は、こいつに殺された人々と近しい人達の手にゆだねるべきだ。首に罪状を書いた標識でもぶら下げて移民街の晒し台の上にでも立たせてやれ」

 秋芳の手がライスフェルトの背中にのび、ふたことみこと呪文を唱える。

「ふがっ」

 途端に老人の体が痙攣し、硬直した。
 錬金改【ポイズン・エンチャント】。武器や手足に毒を符呪する特殊呪文。
 魔術による毒の攻撃というのは基本、散布系呪文であり、黒魔術の【エア・スクリーン】を張れば防げるし、もし毒を受けたとしても白魔術の【ブラッド・クリアランス】で浄化ができる。
 魔術製の人工毒をあつかう呪文は術者がよほどの使い手でない限りは決定力に欠けるというのが常識だ。
にもかかわらず、毒というものは魔導戦史上でも魔術戦においても多大な成果を残し続けてきた。
 なぜか?
 ひとつは天然毒の存在である。
 毒蛇や毒虫、毒草。動植物が生来持つ、自然界に存在する天然の毒は魔術製の人工毒とは異なり、クシナ蛇の毒にはルラート草、バジリスクの毒にはヘンルーダなど、解毒呪文の施術のさいに特定の薬剤や魔術触媒を必要とする。
判明している全種類の触媒を常に持ち歩くわけにもいかない。人工毒を併用してこのような毒物を密かに盛られた場合、解毒は困難だ。
 毒使いの魔術師達は多種多様な手で敵を毒殺してきた。ルーンの秘密を知り、この世の神秘を解き明かしたはずの魔術師がひとしずくの毒で命を落とした例は数知れない。
 このように、武器に毒を塗るのもそのひとつ。
 秋芳はおあつらえむきにライスフェルトの体にメスが刺さっているのをいいことに、毒を直接注入してやったのだ。

「…………ッ!?」

 秋芳が魔術で生成した毒は麻痺毒。テトロドトキシンに酷似したそれは対象の神経伝達を遮断して麻痺させる。そのため脳からの呼吸に関する指令が遮られて呼吸器系の障害が生じる。
 口や舌などはまっさきに痺れて言語障害を起こし、呪文の詠唱など不可能にさせ、【ブラッド・クリアランス】による解毒を不可能にする、魔術師にとって致命的な猛毒だった。

「雀の涙程度の量で熊も動けなくさせる強力な毒で、肺や心臓といった生命維持にかかわる器官まで麻痺させるにもかかわらず、死に至らしめることはなく仮死状態を維持できる……。魔術毒ってのは実に便利だ。――お~い、聞こえただろ。みんな降りてきてくれ」

 秋芳の声に応じて地上から十数人の人達が降りてきた。みな、粗末な身なりをしていて、手に手に剣や銃を携えていた。
 甘い言葉でだまされ、人狩りの獲物として連れてこられた外国人労働者や貧民街の子ども達だ。
 騒ぎを起こして人狩りを中止に追い込むため森からまっすぐに館を目指した秋芳とペルルノワールだったが、人狩りの主催の場はまさに館の周囲だった。
 贅を尽くした館の周りで残酷な遊戯がおこなわれていたのだ。
 トラバサミなどの罠だらけの広場を追い立てられたり、池に沈められて窒息寸前に引き上げられてはまた沈められることをくり返されたり、召喚した魔獣をけしかけられたりといった、様々な虐待を受けていた人々を救出し、加虐者と衛兵らを処理してまわっていると、地下へと通じるあやしい建物を発見し、こうして醜悪な貴族を黙らせた次第だ。

「にいちゃん!」
「エリック!」

 捕らわれていた兄弟が無事に再会する。

「よかった、みんな無事だ」
「どうやら子どもらは全員助かったようだな」
「だけど、オーマスやオズウィンは……」
「ちくしょう! クソったれの貴族どもめ!」

 すべての人を助けられたわけではない。
 森で殺されたボルカン人(オズウィンという名だった)をはじめ、手遅れだった人もいた。

「連れてこられたのはこれですべてか?」
「うん、アルフもロミオもマギーもダンテも……みんないる!」
「ああ、おれたちの仲間はこれで全員だ。……生きているやつは全員そろった」
「これからわたし達は館に向かいます。敷地内の衛兵はあらかた片づけたから、門の近くにあった馬車で逃げるのよ」
「もしもの時はそのブタガエルを――ええと、ライスフェルト・ズンプフ侯爵だっけ? そいつを人質にでもするといい。そのメスが刺さっている限り仮死状態を維持できるが、抜けば目を覚ます。起こすときは魔術を使われないよう用心しろ」
「ああ、わかった。おれたちも借りを返しに行きたいところだが、魔術を使う貴族どもにはかなわねぇ」
「ありがとう、ペルルノワール!」
「あんたのおかげで命拾いしたよ」
「オルランドの市民はみんなあんたに感謝してるぜ」
「それと、そっちのフードのにいちゃんもな」
「ペルルノワールに仲間がいたなんて、知らなかったよ」

 人々は感謝の言葉を口にして陰惨な地下室を後にした。

「さぁ、行きましょうか……あ、ちょっとまって」

 ペルルノワールが細いおとがいに指をあてて小首をかしげる。なにやら思案している様子だ。

「あなたの名前、まだ聞いていなかったわね」
「ああ、そういうえばそうだったな。俺の名は――」
「まって。わたしがつけるわ」
「つけるって……」
「あなた、こんなことしていて本名を名乗るつもりはないでしょ? どうせ偽名を名乗るならわたしにつけさせてちょうだい。わたし、人に名前をつけるのって好きなの」
「じゃあとっととつけてくれ」
「トンヌラ」
「意味はよくわからないが、とにかくマヌケな響きがするのでいやだ」
「言われてみればパッとしない名ね。じゃあ、もょもと」
「なんて発音するのかわからないから却下だ」
「たしかに言いにくいわね」
「ボロンゴもプックルもアンドレもチロルもリンクスもゲレゲレもモモもソロもビビンバもギコギコもなしだ」
「ゲレゲレには惹かれるものがあるんだけど」
「うむ、俺もだ。……て、ふざけているひまなんてないぞ。クェイドのやつが逃げたらどうする」
「すぐに決めるから少しくらい待ちなさいよ。ロートリッター、黒薔薇、ジャンヌ、天竜、D、パスカル――」
「なんなんだ、その一貫性に欠ける名前の羅列は! というかジャンヌって女性名だろ」

 秋芳のコードネームが決まるまで、もう少し時間がかかりそうだった。





 五〇メトラ四方、和室に換算して三〇畳近い広さの部屋の色調はワインカラーを基調にととのえられ、家庭用ではない本格的なサイズのビリヤード台や蓄音機、樫の卓上には象牙製のチェスセットが置かれていた。
 貴賓室『鳳凰の間』。そこには主であるクェイド侯爵のほか、数名の貴族があつまっていた。今夜の遊興におとずれた貴族のほとんどが闖入者の手で再起不能にされたか、身の危険を感じて早々に退出していた。
この場にいるのは貴族の矜持が邪魔をして、襲撃者から逃げることを良しとしなかった者達だ。

「ええい、なんという醜態だ! 鼠賊の一匹や二匹に振り回されるとはっ」

 クェイド侯爵は怒気もあらわに手にしたワイングラスを床にたたきつけた。権威権力権勢を異常に愛する人間は儀式や儀礼が予定通りにはこばないとヒステリーを起こすのだ。彼の精神には運動会の予行練習で行進がそろわないからと怒り、怒鳴り散らす。野蛮な体育教師と共通する部分があった。

「たかがコソ泥風情に避難しなければならぬとは……!」
「――この世の悦楽を愛してやまない道楽者の憩いの場。豪奢な空間は酒脱なおしゃべりに絶えぬ笑いが満ちている。美味佳肴が舌を楽しめ、のどを潤す――そして、運が良ければ楽しい舞踏劇など」
「……なにが言いたいのだね、イーグル卿」
「いや、なに。この予期せぬ出来事を利用して、狩りとは趣の異なる遊興などどうかと」
「ほう、それはどのような遊興かね」
「知っていますぞ、館主(ハウスマスター)殿。あなたがサイネリア島の研究所からいろいろと珍しいモノを買い取っていると」
「ほぅ、サイネリア島にある研究所というと帝国白金魔導研究所だが……」

 白金術。
 肉体と精神をあつかう白魔術と元素と物質をあつかう錬金術。そのふたつの複合魔術、生命そのものをあつかう白金術は不治の病の治療や欠損した四肢や臓器の再生などの医療に貢献するいっぽう、複数の動植物をかけ合わせて産み出す合成魔獣(キメラ)と呼ばれる生命体の創造など、命をもてあそぶ禁忌の面も持っている。

「そのような所から買い取る珍しいモノといったら、やはり合成魔獣ですか」
「マンティス卿の察しのとおり、愛玩用に何匹か飼っておる」
「どうです館主殿、今夜は愛玩用ではなく番犬代わりに使ってみては」
「それは面白そうだ」
「本物の合成魔獣に人間が引き裂かれるところ、ぜひともこの目で見てみたい!」
「いや、今宵の闖入者が噂に聞くペルルノワールだとしたら合成魔獣といえども――」
「侵入者が勝つか、ペルルノワールが勝つか――」
「どちらが勝つか、賭けてみないか?」

 館の主であるクェイド侯爵の返事も待たずに、すでに合成魔獣対ペルルノワールという話の流れになっていた。
 
「……いいだろう、防犯上の不手際でせっかくの狩りが中断してしまったお詫びを兼ねて、今宵集まったみなさまにとっておきの合成魔獣らを見せようではないか」
「さすが館主殿!」

 鳳凰の間が歓声につつまれた。





「――そうね、美少女仮面ペルルノワールの仲間なんですもの。やっぱり仮面が必要よ」
「はぁ、でもどこに仮面があるんだ。あのブタガエルのつけてたペストマスクはお断りだぞ」
「あなた東方人よね。東方には『鬼』というとても強い怪物がいるんでしょ」
「ああ、たしかにこの世界にも鬼がいるそうだな」

 ルヴァフォース世界にも鬼と呼ばれる怪物が存在する。修羅に落ちた人の歪んだ精神が肉体をも異形と化した。そんな存在だ。

「鬼面と呼ばれる東方のマスクは、たしかこんな感じだったわよね」

 懐から取り出した手巾(ハンカチ)をひるがえし、なにか呪を唱えると、手巾は顔の上半分を隠す鬼の面に変わった。
 錬金術による高速錬成だ。

「高速錬成だから永続はしないけど、今晩くらいは持つわ」
「これをつけろと? まぁ、たしかにフードより顔を隠せるが」

いかにも悪そうな派手な装飾のほどこされたそれは、生粋の日本人である秋芳の目には鬼というよりバリ島のケチャで使われるランダのお面に見えた。

「あなたは今からニンジャ仮面『寿司デーモン』よ!」
「鬼の要素皆無じゃねえか。もういい、自分で決める」

 手渡された鬼面に手をかざして呪を唱えると、派手な鬼面が黒い鳥面に変化した。

「なにそれ、鴉?」
「ああ。鬼は知り合いにいるからな、俺はこれにしてもらおう。闇鴉(レイヴン)だ。俺の名はレイヴン」
「レイヴン……。たしかに『っぽい』わね。あなたの雰囲気に合ってるわ。それじゃあ、あらためてよろしくね、レイヴン」
「なんかあれだな、一時間も考えたあげくに結局デフォルト名ではじめたゲームみたいだな」
「さぁ、館に突貫よ!」

こうして秋芳こと闇鴉と美少女仮面ぺルルノワールは解き放たれた魔獣のひしめく、魔の館へと突入するのであった。 
 

 
後書き
 『俺達の世界わ終っている。』の評価が高かったので購入しました。 
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