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チェロとお味噌汁と剣のための三重奏曲

作者:おかぴ1129
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1. あなたと言葉を交わしたくて

 
前書き
登場人物紹介

普賢院智久
趣味:チェロ 特技:剣道(でもすごく弱い)
 

 
 今日のチェロの練習を終えた僕は、カーテンの隙間から差し込むオレンジ色の陽の光に、ここではじめて気がついた。壁掛け時計を見る。午後五時半。お昼すぎからずっと集中していたから、こんな時間になっていることに全く気が付かなかった……

「そっか……もうこんな時間か……」

 ポツリとつぶやく。そしてそれが夕食が始まる時間まで、あと僅かしかないということに気がつくキッカケとなり、僕は慌ててチェロを片付けて部屋の片隅に置き、急いで譜面台と譜面を畳んで帰る支度をした。

 支度を済ませたら足早に練習室を出る。目的は東海道鎮守府の食堂。あそこの夕食を食べることが、僕の毎日の日課になっている。一日たりとも、欠かすことは出来ない。


 深海棲艦たちとの戦争は、両者の和解と平和条約の締結という、当初誰も予想してなかった形で、静かに幕を閉じた。深海棲艦サイドとの戦闘に備えて全国に建設された海軍鎮守府は、今では海洋交通の窓口兼、僕達人間と深海棲艦たちとの交流と憩いの場になっている。東海道鎮守府は終戦にもっとも貢献した鎮守府として有名なところのはずだが、今ではそんな姿もなりを潜め、深海棲艦サイドからの観光客がひしめく一大レジャーランドの様相を呈してきた。

 そんな東海道鎮守府に、美食家たちもうなるほどのおいしい食事を食べさせてくれる食堂がある。名物は冷やしおしるこ。でもそれ以外のお料理も絶品。メニューに外れのない、それでいて価格もリーズナブル……そんな奇跡の食堂に、僕は毎日、足繁く通っている。

 もちろん、美味しいメニューもその目的なのだが……それ以上の理由が、僕にはあった。

 スタスタと足早に歩き、東海道鎮守府の門をくぐる。敷地内はまさに別天地。かつては命を奪い合った艦娘さんたちと深海棲艦さんたちが肩を並べて歩き、談笑し、ふざけあっている。そんな幸せそうな人たちを横に見て、僕はスタスタと食堂へと向かう。

 食堂に到着すると、途端に今日の献立のよい香りが僕の鼻に届いた。『ん〜……いい香りね……』と僕のすぐ後ろに並んでいる金髪碧眼の女性がドイツ訛りで口ずさみ、その隣の、大きな帽子をかぶった人型の深海棲艦さんも『イイカオリ……ヲッ……ヨネ……』とぽそっとこぼしていた。この香りは筑前煮。ここに通うようになって何度も味わった僕は、それがいかに美味しい代物であるか知っている。この筑前煮の香りが、僕のおなかを否応なしに刺激する。

 この食堂は、その日提供してくれるメニューが決まっている。それをお客は並んで店員さんから受け取り、店内の席で食べるという、フードコートのようなシステムになっている。僕も例外なく献立を受け取る列に並び、自分の番を待った。少しずつ少しずつ列が進み、やがて僕が献立を受け取る順番が来た。

「あら、いらっしゃいませ」

 今日の献立が乗ったお盆を僕に手渡してくれる彼女が、僕に声をかけてくれた。

「今日も来てくださったんですか?」
「は、はい! ここのお料理、とても美味しいですから……!」
「ふふっ……ありがとうございます」

 彼女がクスリと笑い、ポニーテールが少しだけ揺れた。緊張で僕の胸がバクバクと高鳴る。顔に血が上がってくるのが、自分でもわかる。カッカカッカして、顔が熱い。

「き、今日の筑前煮も、とても、美味しそうですね!!」
「ええ。皆さんにとても喜んでもらってます。私もとてもうれしいですね」

 クソッ……緊張で声が上ずる……もっと、落ち着いて話がしたいのに……ッ

 と僕がまごまごしていたら、厨房の奥の方から声が聞こえた。彼女が呼ばれたらしい。彼女は厨房の奥を振り返って『はーい』と返事をした後、もう一度僕に振り向いた。

「すみません。何か問題が起きたようなので、私行かなければ」
「あ、はいすみませんお引き止めして……」
「いえ。今日の筑前煮、いっぱい食べてくださいね」

 申し訳無さそうに苦笑いを浮かべた彼女は、そういってぺこりと軽く頭を下げた後、厨房の奥へと駆け足で消えていった。和服の上から割烹着を着たその背中は、パタパタと可愛らしい音を立てて、僕から遠ざかっていく。僕が受け取ったお盆の上の筑前煮は、他の人よりも若干大盛りに見えた。

 去っていく彼女の背中を見つめる。今日も彼女と話が出来たという喜びと、その楽しい時間が終わってしまったという寂しさ……緊張は去ったけれど、代わりにしょぼくれていく気持ちが胸に去来する。そんな気持ちを手に持つ筑前煮の香りでごまかしつつ、僕は自分の席を探した。店内を見回し、ひと組の小さな艦娘さんと深海棲艦さんが座ってるテーブルを見つけた僕は、足早にその席に向かった。

「……すみません。この席、空いてますか?」
「空いてるのです」
「相席させていただいてよろしいですか?」
「構わないぞ。座ってくれ」

 さし向かいで座る二人の艦娘さんと深海棲艦さんは、共に優しい笑みで僕を迎えてくれた。艦娘さんの方は背が小さくて、栗色の長い髪をバレッタで上げた優しそうな子。一方の深海棲艦さんは、ブルーの切れ長の目がとてもキレイな人だ。あずき色というダサいことこの上ないジャージを着ているが、不思議とそれが彼女に似合っていた。

 さきほど彼女から受け取った夕食をテーブルに起き、両手を合わせていただきますと言った後、味噌汁を口に含む……美味しい。相変わらず、彼女のお味噌汁はとても美味しい。ホッとする。

「とっても美味しそうにお味噌汁を飲んでるのです」
「そうですか?」
「なのです。でもうちの奥さんには負けるのです」

 他愛無い会話を艦娘の人と交わした後、炊きたてご飯を口に運び、そのまま今度は主菜の筑前煮に箸を移す。鶏肉を一つ箸でつまみ、口に入れた。

「んー……」

 途端に口の中に広がる、筑前煮とご飯の美味しさ。単独で食べてもとてもおいしい筑前煮が、ご飯の美味しさと合わさって、僕の心を幸せにしてくれる。おいしいおかずは、ご飯と一緒になると、ご飯の美味しさを何倍にも増幅させてくれ、自分自身もさらに美味しくなる……何度食べても、その度に思う。この筑前煮は絶品だ。

「……おいしいっ」

 思わず口を突いて出る本音。やっぱり鳳翔さんが作るご飯は美味しいなぁ……

 ……そう。僕は、この食堂で働く元艦娘、鳳翔さんに恋をしていた。

 
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