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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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帝都にて

 時計塔、サンシャイン凱旋門、聖バルディア大聖堂、サンタローズ大通り、フェルドラド宮殿、帝国博物館、王立公園(ロイヤル・パーク)、公衆浴場、闘技場、賭博場、劇場、美術館、図書館、施療院、交易所、アルザーノ帝国大学内には魔術に限らず様々な技術や知識を教える教育機関が入っている――。

「もし君が帝都オルランドに飽きることがあるとしたら、それは人生そのものに飽きるということさ」

 とはライツ=ニッヒの著作『セルフォード大陸の歩きかた』に書かれた名言だ。活力と熱気にあふれた街は一日ごとに人口と建物が増え、変化は目まぐるしく、オルランドに暮らす人々は退屈する間もない。

 先代女王は奉神戦争終了後の混乱にあった国内をまとめ、秩序を回復した。
 街道を整備し、無料の休息所や施療院を設置し、多くの井戸や貯水地を作って耕地を開いた。
 治水、開発、防衛、福祉。その業績ははかり知れない。
 政治家であると同時に文化人で、すべての宗教と学芸を平等に保護し、聖俗貴賤を問わないボランタリズムを大いに奨励して社会の格差や不平等を極力解消しようと、大いに尽力した。
 その弱者救済の精神は現女王アリシア七世にも色濃く伝わっている――。

「――セツルメント運動をさらに進めたようなものか。しかしこうなると既得権益層や保守派からは煙たがられていたのは、想像にかたくないな」

 秋芳は歴代の女王の偉業を称えるコーナーを後にすると、次の展示場に向かった。
 目の前に広がるガラスケースの内容物は超魔法文明時代の遺品で、刀剣とその鞘、酒杯、皿、衣類などの日用品がならんでいた。
 聖暦前に存在していたとされる古代魔術(エインシャント)を使う古代人たちが築いた文明。その遺物には古代魔術による物理的・魔術的な破壊を無効化する霊素皮膜処理(エテリオ・コーティング)が施されており、数千年の時を経ても当時の姿のままで現代まで残っている。
 何千年も昔にそれらを作り、使用した人々。何千年か後にそれらを発掘した人々。
 彼らの営みを想像すると、胸が熱くなる。
 アルザーノ帝国博物館。その巨大さと所蔵品の多さから、一日どころか一週間あってもすべてを見学できないと言われている。

「まるで大英博物館だ。無料で見学できるところも似ている」

 イギリスにある大英博物館の入場料は無料。正確には入場者による任意の寄付金制で、入り口の所に透明なボックスがあり、そこに寄付金を入れて入るのだ。
 ここアルザーノ帝国博物館もおなじシステムを採用している。

「この国では日本とちがって国民の税金が正しく有効に使われているなぁ」

 まだすべての展示場を巡っていないが、閉館時間になったので退館することにした。
 夕焼けに染まった高層建築が目の前に広がる。そのひとつひとつがフェジテの魔術学院の本校舎並の規模だ。
 高さ一〇〇メトラを越える聖バルディア大聖堂や千人以上が入れる帝国劇場など、壮観のひとことに尽きる。
 早くも地上の家々や運河沿いの道にはガス灯がともって、大きな蛍が群れをなすように明るい。
 フェジテやシーホークにも街灯が灯されるが、立派なガス灯が立つのは大通りや観光スポットだけで路地にまわるとお粗末なものだった。柱から柱へロープを渡し、そこにランプをかけただけだ。もしランプを故意に割ろうものなら厳罰に処せられた。割れたランプから火と油が漏れて火事になってしまうからだ。
 また家庭用の照明といえばランプや蝋燭で、ガス灯のほうが明るかったが、ガス漏れやガス爆発の危険が常につきまとっていたし、ガスの臭いで頭痛をおこす人もいた。銀の食器がどす黒く変色するので、大邸宅の厨房や食堂では好まれなかった。
 だからガス灯は主として屋外でもちいられるものだった。屋内で使われるとすれば、商店のショーウィンドウや屋内体育競技場くらいだった。
 フェジテもそれなりに発展した大都市だが、帝都オルランドの発展ぶりはそれ以上で、夕日とガス灯、自然と人工。二種類の橙色の光に照らされた帝都の姿は、とても雄々しく、美しい。
 そう、ここはセルフォード大陸北部イテリア地方、アルザーノ帝国首都オルランド。
 秋芳は叙勲式に出席するため、オルランドへ出向いていた。
 つつがなく騎士爵の位を戴き、空いた時間を利用して帝都見物をしている――。
 わけではなかった。

「明日から魔術競技祭だが、この分じゃ間に合いそうにないな」

 アルザーノ帝国では儀礼や祭典などの公式行事には女王陛下と、伴侶である王配殿下がともに出席するのが習わしだが、アリシア七世の王配殿下はすでに逝去しており、ひとりですべての公務に出席している。
 これはなかなかに激務であり、王配殿下が存命の頃は各地への式典には王配が行啓し、帝都内での式典には女王が行幸する。という具合に公務を分担していたくらいだ。
 そのため近年では成人を迎えた第一王女レニリアが一部の公務を、もっぱら帝都内での行事を引き受けるようになっていた。
 今回の叙勲式は各地を巡幸中のアリシアに代わってレニリアが出席して親授するはずなのだが、予定日を過ぎても叙勲式がおこなわれることはなかった。
 もともと蒲柳の質であり、急に体調をくずしたという噂があるが、さだかではない。
 予定通りならフェジテに帰って明日からの魔術競技祭を観戦できたのだが、どうやら今回の観戦は無理のようだ。
 魔術競技祭――。
 その名の通りアルザーノ帝国魔術学院で年に三度に分けて開催される、学院生徒同士による魔術の技の競い合い。それぞれの学年次ごとに、各クラスの選手達が様々な魔術競技で技比べをおこなう。
 総合的に最も優秀な成績を収めたクラスの担当講師には特別賞与が出るため、今回は二年二組の担当講師であるグレン=レーダスが大はりきりしていた。
 入学して間のない秋芳はみずからの意思で参加を見送ることにした。
 そもそもクラス対抗戦にもかかわらず、秋芳は『一年セリカ組』ただひとりの生徒である。
 この魔術競技祭。ひとりの生徒が全種目掛け持ち可能なシステムなので、べつにひとり参加すること自体はおかしくないし、参考のために好きな競技をひとつ選んで経験してみることもできるのだが、いまいち気が進まないので辞退した。
 担任であるセリカは特に無理強いすることなく秋芳の意思を尊重した。
 悪魔や吸血鬼を倒し、ドラゴンを手なずけるようなやつには、学生のお遊びなんて今さら物足りないんだろう。
 勝手にそう推し量ったようだが、少しちがう。
 秋芳はイベントごと自体はきらいではない。むしろ好きなほうだ。
 だか、この魔術競技祭はどうにも好きになれなかった。
 あまりにも内輪向けだったからだ。
 たんなる軍事技術ではない、破壊や殺人の技ではない、魔術の楽しさ面白さ便利さを外部に向けて宣伝するイベントだと思っていたのだが、ちがった。
 参加者も観戦者も王族や貴族といった魔術関係者のみ。一般人は蚊帳の外だ。
 あくまで内々で己が技量を誇示するだけ。
 これがどうにも好きになれない。
 魔術の剣呑さを払拭して娯楽性や利便性を人々にアピールする良い機会だと思うのだが、そういうことは求めていないらしい。
 もったいない。
 それに、それならばそれで遊興が過ぎる。
 軍事技術をもちいてのお遊びではないか。
 魔術は人殺しの技術だと断言したグレンがそれに乗っかっている姿は、秋芳を鼻白みさせた。




 
 受勲者たちはみなおなじホテルに宿泊することになっている。
 その名も『ゴールデンシープ』。アルザーノ帝国が誇る魔導技術が惜しげもなく使われており、全館に魔術による照明が灯され、魔力を動力とするエスカレーターやエレベーターが備えられている。すべての個室に水道がいきわたり、シャワーつきのバスルームが完備された一流ホテルだ。
 無位無冠の身から爵位を授かる者は秋芳のみで、他の出席者は代々の爵位を襲爵する者や功績が認められて陞爵する者、特別な勲章を授与される者、みな由緒ある貴族たちばかりだった。
 宿泊代はもちろん、朝夕の食事も無料だが、のんきにただ飯を楽しむ気にはならなかった。
 貴族同士のつき合いというのも大変だ。公の場では爵位の位で挨拶する順番などの決まりがあり、なかなか気を使う。
 食事の後は自然とおなじ位の者同士が集まり、歓談する流れとなるのだが、やはり主な話題は叙勲式の延長についてだった。

「いったいいつになったらはじまるのやら、せめて延長の理由くらい教えて欲しいものだ」
「まったくです。宮廷貴族とは異なり我々のような領地貴族は国許にたくさんの業務をかかえているというのに」
「おや、聞き捨てなりませんな。官僚仕事も楽ではありませんぞ」
「やはり女王陛下の代わりはレニリア姫にはまだ早すぎなのでは」
「……そのレニリア姫ですが、御悩になられたという話も――」

 そのような話が交わされていると、ひとりの紳士が末席にいる秋芳に気さくに語りかけてきた。

「やぁ、シーホークの英雄くん。ここのホテルの料理はどうにも薄味だね。つい最近シルヴァース地方で食べた羊鍋が濃い味つけだったから、よけいに薄く感じるよ」
「これはヴァドール伯爵。このたびは栄えある文化勲章受章おめでとうございます」
「栄誉など蛍の光のごときもの。遠くから見れば輝いているが、近くに寄れば熱も明るさもありはせぬ――。そもそもまだもらっていないしね。受勲式はいつになることやら」

 カブリュ・ヴァドール伯爵。放浪伯や詩人伯爵の異名を持ち、吟遊詩人として各地をさすらう異色の貴族だ。
 吟遊詩人とは楽曲を奏でる歌い手であると同時に歴史的な事実や物語の語り部でもある。
 歴史や物語についての研究が評価され、このたび文化勲章を賜ることになった。

「シルヴァース地方に行かれていたのですか」

 レザリア王国の宗教浄化政策で故郷を追われた遊牧民族シルヴァース一族。その民族名がそのまま彼らの故郷である大草原の通称になっていた。

「あちこち旅したけど東方にはまだ行ってない。ぜひ君の故郷のことについて聞かせてくれないか」
「私の生まれた国は東の果ての果て。極東の海に浮かぶ小さな島国です。とても田舎で、取り立ててお話しするようなことはありませんよ」

 ここルヴァフォース世界の東方にも秋芳の住むアジアに似た国々が存在する。初対面の人にいきなり異世界云々と説明するのは話がややこしくなるため、東方の小さな島国出身ということになっていた。

「そう言わずに、なにかあるだろう」
「そうですねぇ……。失礼ですがヴァドール伯爵は最近医者から肝臓が悪いと言われていませんか」
「ほぅ、なぜそう思うんだい?」
「吟遊詩人として各地を巡り歩く。長旅が続くとどうしても干し肉などの乾燥食品が多くなるでしょう。ビタミンやミネラルが不足して肝臓に負担がかかる」
「ふむ」
「シルヴァース地方は羊肉とチーズが名産ですが、これはどちらもコレステロールが高い。そして内陸部にあるシルヴァースを旅するアルザーノ人は海の味を懐かしみ、携帯食に干した魚や貝を用意しますが、これらはプリン体を多くふくみ、やはり肝臓に悪い」
「ふむふむ」
「肌に日焼けとは異なる黒ずみが見えます。白目の部分と爪が黄色がかっていて、これは肝臓に異常がある人の症状です。そして今あなたはお茶でも酒でもない生姜水(ジンジャーエール)を飲んでいる。肝臓を痛めているという自覚があるのでアルコールやカフェインの摂取を控えている」
「医者から言われた内容そのものだ。一目で症状を言い当てるとはこのヴァドール伯カブリュ感嘆の極み! 騎士爵殿は医学にも明るいのか」
「さて、そこです。私の生まれた国には鍼灸という独特の医療法がありまして――」

 手のひらにある老宮、手の甲にある陽池、足の甲にある太衝、足の親指と人指し指のつけ根にある行間、膝の内側にある曲泉、背中にある肝兪。
 これらはすべて肝臓の働きを良くする経穴だ。
 好奇心旺盛なヴァドール伯爵はそれらを点穴してもらった。

「あいたたた!? ……しかし、この痛みが妙に心地好い。身体が温まってくるようだ」
「執筆で目も酷使していることでしょう。この太陽穴は眼精疲労に効果があります」
「おお、目のかすみが消えて鮮明に」
「腰痛には帯脈と命門を……」
「重りが取れたように身体が軽くなった!」

 変わり者で有名な放浪伯が見なれぬ東方人に妙なマッサージをされている。珍妙な光景に惹かれて、いつの間にか人だかりができていた。
 そのうち好奇心旺盛な若い貴族たちも東方渡来の鍼灸を受けてみようと挙手しだす。

「痛風にはまず足の照海と京骨を――」
「おお、心なしか痛みがやわらぐような……」
「最近どうも怒りっぽくて」
「では耳の神門を――」
「この鍼灸という技は素晴らしい。我が国の法医呪文にも取り入れてはどうか」

 盛り上がりを見せていた場の空気を冷やすひとことが放たれた。

「……騒がしいぞ。ここはいつから未開のまじない師の祈祷場になったのかね」
「クェイド侯爵!?」

 口髭を生やした痩身の老紳士が不機嫌さを隠さず若い貴族たちを一瞥した。

「由緒あるゴールデンシープ内で蛮族の下品なまじないに興じるとは、貴公らには分別というものがないのか。みっともない、すぐに服を正せ!」
「これは、お見苦しいところを」

「帝国貴族たる者がいかがわしい真似を、そのうちそこの蛮族から〝蝋を塗った鍋〟でも買わされるぞ」

 蝋を塗った鍋。これは魔術師たちの間でよく使われる、魔術を装った詐欺を指す俗語だ。
 錬金術を謳った詐欺のなかでもっとも有名な手口がもとになっている。
 その手口とは、まず少量の金を鍋の底に入れておき、上から蝋を垂らす。そのままではばれるので鍋とおなじ色を塗り、鉄や鉛といった材料を入れて熱すれば蝋は溶けて蒸発し、鉄や鉛に交ざって金が出てくる。いかにも金を生み出したかのように見せる。錬金術詐欺の常套手段で、いまだに類似の詐欺に騙される者がいるくらいだ。
 つまりクェイド侯爵は秋芳を、初対面の人間を詐欺師呼ばわりしているのである。

「それにしても……」

 クェイド侯爵の秋芳を見る目は、はめをはずした若輩者を軽視するような生やさしいものではなかった。
 この世でもっとも愚かで醜い罪人を、いや獣や虫けらを見たかのように顔をしかめる。

「どこの馬の骨ともわからぬ下賎の者などに放埒に褒賞するとは。犬や猿にも官位官職を与えるのは時間の問題だな。……いや、すでに黄色い猿なぞに賞を下賜しているか」

 …………ッ!

 秋芳に対して侮蔑と敵意をむき出しにして嘲笑している。言葉の冷水によって冷やされた場の空気は、さらなる言葉の冷水によって氷点下以下にまで冷やされた。

「言葉が過ぎますぞ、クェイド侯!」

 異を唱えたのはヴァドール伯だった。

「彼は悪魔やゴーレムを使役するテロリストの襲撃からシーホークを護った英雄。その功績により騎士爵の位をうけたまわるのは当然ではないですか」
「それが分不相応と言っているのだ、異民族に叙勲するなどなげかわしい! そもそもそやつがテロリストの仲間ではないと言い切れるのか。自作自演ではないのか、んん? 」

(思い出した。こいつがあの有名なクェイド閣下か。……あれ? 『テロリスト』に『自作自演』……。なんかひっかかるな。なにか、わりと重要なことを忘れている気がする。双角会がらみだったような気がするが、こっちは、思い出せん)

 常に一触即発の状態にあるレザリア王国と折衝し、紙一重の平和を維持している辣腕外交官。それがクェイド侯爵に対する世間の評価だ。
 そしてもうひとつ、彼は過度の外国人嫌いでも有名だった。
 周辺諸国への侵略と弾圧を続けるレザリア王国に対してアルザーノ帝国は辺境の国々と積極的に友好を結び、好条件で異民族を受け入れている。その中にはレザリアによって祖国を滅ぼされた人々も大勢いた。
 レザリアを憎む国々と手を結ぶ合従策の布石だ。
 これにより聖エリサレス教のみを唯一絶対のものとし、信仰の自由が存在しないレザリア王国とは異なるアルザーノ帝国には民族も宗教も異なる人々が多くあつまった。
 外国人を積極的に受け入れることは労働力の確保と消費の拡大にもつながる。
 こんにちの繁栄は彼らの働きによるものが大きい。
 女王の異民族受け入れ政策は人道的な見地からだけではなく、実際に利益を生み出しているのだ。
 これが、クェイド侯爵には気にくわない。
 彼は日頃から「私はレザリア王国になら出かけるが、シルヴァースや東方のような不潔で野蛮な国にはいかん。レザリア人は狂信的だが少なくとも我々とおなじ人間だ。だが辺境の蛮夷どもときたら、毛皮のない獣ではないか」などと公言してはばからず、「アルザーノ帝国領から目障りな外国人労働者を追い出せ」という強硬論の持ち主だった。

「クェイド侯爵。あなたが私の出自を卑しむのは自由ですが、すでに認められている功績をいぶかしむのは帝国賞勲局の選定、さらには女王陛下の差配に問題があると言っているようなものですよ」
「これはこれは、猿かと見えたのは虎の威を借る狐であったか。だがアルザーノ帝国と女王の名を掲げれば万事解決するとはゆめゆめ思わぬことだ。その名が仇になり敵を作ることもありえる」

 アルザーノ帝国は一枚岩では無い。
 帝国政府内でも国軍省や強硬派議員からなる武断派と魔道省や穏健派議員からなる文治派とのいさかいが絶えず、その二派のなかに王室直系派、王室傍系派、反王室派、過激派極石、保守的封建主義者、マクベス的革新主義左派、帝国国教会右派といった派閥がある。
 さらに、それぞれに青い血側と赤い血側など、アルザーノ帝国は様々な思想主義と派閥が渦巻く混沌の魔窟といえた。
 そもそもアルザーノ帝国王家の始祖は犬猿の仲であるレザリア王国王家の系譜に連なっているのだ。そのため帝国貴族のなかでさえアリシア七世の統治正当性に異を唱える者まで存在する。

「金言、肝に銘じておきます」
「アルザーノではアルザーノ人のするようにせよ。野蛮な習慣や愚かな迷信を持ち込むな」

 クェイド侯爵はそう言い捨てると若い貴族たちに背を向けて、別の貴族たちと歓談をはじめた。

「――人種差別のどこが悪い。民族や人種には優劣の差があるのだ。我々のような優秀な民族と、そうでない者が確実に存在する」
「――我々の国から富をかすめ取ろうとする貧乏人どもを追い出さなければ、富を食いつぶされてしまう」

 似たような思想の貴族たちと、外国人を蔑視する内容の話に熱をあげている。

「やれやれ、あの老人はレザリアのほうばかり見過ぎて自国の現状が見えないみたいだね。オルランド市民が深夜の土木作業や下水処理みたいな汚れ仕事をやらなくなっている現実があるのに、外国人労働者を全員追放なんかしたらオルランドは都市として機能しなくなるってのにさ」
「でしょうね。街にはゴミがあふれ返り、上下水道の工事もできなくなる。ヴァドール伯は異民族や労働者階級の人々に対して理解があるようで」
「あちこち旅をしているからね、だれもがみんな外国人さ。レザリア人だってみんながみんな狂信的ってわけでもないのにねぇ」
「そのレザリア相手にあんな調子でよく他国との交渉が務まるものですねぇ」

 ヘイトスピーチに花を咲かせるクェイド侯爵を遠目に当然の疑問を口にした。外国人嫌いの人間に、外国相手のやり取りができるとは思えない。

「実際の彼の人となりを知る者でそれを疑問に思わない人はいないよ。我が国の誇る敏腕外交官がことごとく追い返されたのに、なぜかクェイド侯だけはレザリアで歓迎されているんだよね」
「ははぁ……。その忠臣を厳にして、その賂いを薄くし、その使いを稽留して、その事を聴くなかれ。亟かに代わりを置くことをなさしめ、遺るに誠事をもってし、親しみてこれを信ぜば、その君まさにまたこれに合わんとす。苟もよくこれを厳にせば、国すなわち謀るべし――」
「それはなにかの呪文かい?」
「交渉の為に隣国から使者が来て、その者が有能ならばなにひとつ与えずに返せ。その者が無能ならば大いに与えて歓待せよ。そうすれば隣国では無能な者が重用され、有能な者が失脚する。そしてやがては滅ぶ。という、東方に伝わる兵法書に書かれた言葉です」
「なかなかに達見した言葉だ。このヴァドール伯カブリュ感嘆の極み! ほかにもそのような含蓄のある名句はおありかな」
「国が亡びるのは敗北した時ではなくて、敗北を隠すようになった時だ」
「これまた名言だ。それもその兵法書に書いてある言葉なのかな」
「いいえ、私の言葉です」
「ハハハッ! その言葉いただきだ。ぜひこのヴァドール伯カブリュの作品で使わせてくれ」

 しばらくしてクェイド侯爵が退席すると、彼に合わせて談笑していた貴族たちがあきれ顔で嘆息した。

「ふぅ、やれやれ。侯爵の外国人嫌いも筋金入りですな」
「まったく、あんな国際感覚でよく一国相手の交渉が務まるものだ」
「アルザーノよりもレザリア人気質なので気が合うのでは。異民族に対する弾圧好き同士で気が合うのでしょうよ」

 どうやら考えていることはみなおなじらしい。

「レザリアから相当もらっているらしい。なかなか羽振りが良くてあちこちにばらまいているそうだ」
「今回の勲章も金で買ったようなものだろう」
「私は侯爵の外国人嫌いの噂を聞いていたましたが、あれほどとは。あれでは例の噂も真実味を帯びますな」
「ああ、あの……」
「その例のあれ。侯爵とおなじ反女王、下民嫌いのギルモア大公も参加しているとか、していないとか」
「しっ、声が大きい……」

 上流階級のゴシップ好きはいつの時代のどこの国でも変わらないらしい。こそこそとなにやら良からぬ噂についての話題におよんでいる。
 いやでも内容が耳に入ってきた。
 いわく、不法移民や非市民、貧民街の人々を標的としたハンティングを楽しんでいる。
 さらに上流階級のセレブたちから高額な手数料を取ってゲームに参加させているという。

「彼は郊外に広い土地を持っているからね、そこを自分の狩猟場にしているわけさ」
「そういえばクェイド侯爵はナーブレス公爵のような地方領主ではなく宮廷貴族でしたね。はて、オルランドに自分の家があるのに、なんでここに顔を出したんでしょう」
「そりゃあ外国人に対する悪口をまき散らしに来たんだろ」
「石拳のロルフみたいなやつだなぁ。しかし人狩りとは、物騒な噂もあるものですね」
「たしかに物騒な話だが、そう珍しい類のものじゃない。この手の噂は昔から横暴な貴族にはつきものなんだよ」
「では、その手の噂はあくまで噂。事実だった例はないのですね。東方人である私はクェイド侯爵にとっては狩りの標的になりますから、これは他人ごとではない」
「はっはっは。さぁて、どうだろう。事実は小説よりも奇なり。という言葉があるからね。もっとも騎士爵殿ほどの腕があれば狩人を狩る獣になれるだろう」
「狩るのも狩られるのもごめんですね。狩りってのはどうも好きになれない」
「狩猟は貴族のたしなみのひとつだよ。君も我々の仲間になるのなら好きになったほうがいい」
「まぁ、食べるための狩りなら納得できますが、ブラッド・スポーツやスポーツハンティングの類は苦手で」

 よほど敬虔な聖職者や極端な菜食主義者でもない限り、アルザーノ帝国の人達に狩猟が野蛮な行為だという認識はなかった。
 特に貴族や軍人の場合は馬に乗って弓や銃、時には魔術をもちいて動きまわる獲物の命を奪うことは軍事訓練にも繋がる。
 殺される動物がかわいそう。などという感傷的な気持ちは微塵もなく、貴婦人たちも狩猟場に足を運んで狩りを楽しんでいる。
 また罠などを仕掛けて獲物を取ることは軽蔑され、猟犬と共に獲物を追いこみ、銃などの武器や魔術を使って射止めないと意味がない。
 このように、狩猟はルールのあるスポーツのようなものだと考えられている。

「血肉を食らい、毛皮を獲る。命の一滴も残らず人の糧にする。そういう狩りならいいんだね」
「はい。ガチョウ引きや狐狩りのような虐待や無益な殺生が嫌なだけで、自分達が食べるぶんだけ殺すような狩りなら納得できます」
「まぁ、基本はそうだよ」

 射止めた獲物を持ち帰り、料理人に調理させて客に振る舞う。狩りの後の宴もまた王侯貴族たちの楽しみのひとつだった。狩猟は社交場でもあるのだ。
 また食用以外にも毛皮や骨で衣類や手袋、かばん等を作り、動物の命を無駄なくいただいている。

「しかしそういう考えなら魔戦武闘は楽しめないか」

 魔戦武闘。アルザーノ帝国内でもオルランドの闘技場でのみおこなわれる、魔獣対魔獣。あるいは人と魔獣の戦い。
 その性質上引き分けが存在しない、どちらかの命が尽きるまで戦う死闘。
 近年ではその残酷さから廃止を求める声もあるが、庶民から貴族にいたるまで熱狂的なファンも多く、歴史と伝統のある競技ゆえいまだに続いている、オルランド名物のひとつだ。

「真剣勝負は技量にかかわらずいいものだ。決する瞬間、互いの道程が火花のように咲いて散る……。ああ! あの興奮と熱狂はいちど味わうとくせになる」
「闘争に対する原始的な昂りを否定はしませんが、血生臭いのはどうも。それよりも観劇や庭園散策のほうが好きです」
「これはどうも、騎士爵殿はこの吟遊詩人よりも文化人だね。劇も庭園も最高級のものがオルランドにはそろっている。たとえば――」

 秋芳はしばらくのあいだ、ヴァドール伯爵をはじめ他の貴族達との世間話を楽しんだ。





 夜陰にまぎれて影が走る。
 黒に近い紺色の外套と頭巾を身につけた秋芳だ。
 賀茂秋芳は短気で根に持つ性格である。
 あの場ではつとめて冷静を装っていたが、クェイド侯爵から酷い暴言を浴びせられて腹が立たないわけがない。
 賀茂秋芳は相互主義者である。
 礼儀を知らない者に、礼儀を尽くす必要はない。礼には礼をもって返す、無礼には無礼をもってあたれ。これが秋芳の持論だ。
 なので、留飲を下げるために郊外にあるクェイド侯爵の屋敷へとむかった。
 高価な銀食器や宝石の類を少々頂戴するつもりだ。なんなら現金でもいい、それならば足がつかないので、盗った後に侯爵が毛嫌いする外国人や貧民相手に大盤振る舞いするつもりだ。
 余人からは軽挙妄動だの匹夫の所業だのと言われるかも知らないが、そんな意見はクソ喰らえである。

「君子有三戒。少之時、血気未定。戒之在色。及其壮也、血気方剛。戒之在闘。及其老也、血気既衰。戒之在得――。君子に三戒あり。孔子様、俺はたった今闘争戒を破ります。しかし悪いのは君子たらんと努力する俺を怒らせたあいつです」

 帝都オルランドの郊外にあるクェイド侯爵の邸宅は質素倹約を良しとして慎ましやかな生活を送るアリシア女王とその治世に逆らうかのように豪華なたたずまいをしていた。
 大運河を望む邸宅は高い塀で囲われ、遠目からでもひときわ目立つ。
 広大な敷地内には山林や草原を模した狩猟場が広がっており、邸宅内の天井や壁は金色で彫刻やシャンデリアなどの調度品がいたるところに飾られていた。
 帝都の近くで本格的な狩猟ができる貴族限定の高級会員製クラブとして使われ、入会費はリル金貨二〇〇〇枚。
 ちなみにリル金貨一〇〇枚で通常の魔術講師の約四ヶ月分の給料である。
 クェイド侯爵と狩りを共に楽しみ、館で宿泊するという一連の流れが最高の接待コースになっていた。

「なんとまぁ大仰な。塀どころか、まるで城壁じゃないか」

 クェイド侯爵の帝都内領土ともいえる土地の外周は焼いたレンガを幾枚にも積み重ねた一〇メトラ近い高さの壁を周囲にまとっている。
 その上端はノコギリ状の凹凸を持つ胸壁となり、城門の両脇と城壁の四方、遠くに見える邸宅の背後には物見の塔がそびえていた。
 組み上げられたレンガ壁の所々には狭い隙間が開いているが、それは矢や銃を放つための狭間といわれる小窓だ。

「ナーブレス邸といった他の貴族の館とはけた違いの堅固さだ。こりゃあ後ろめたいことがあるにちがいない。だいたい貴族の館ってのは存外守りが薄いものだぞ。鼠小僧の忍び込んだ江戸時代の大名屋敷みたいにな」

 鼠小僧が大名屋敷を専門に狙ったことには理由がある。
 市井の人々が暮らす町人長屋には大金は無く、金のある商家はその金にあかせて警備を厳重にしていた。
 いっぽう大名屋敷は参勤交代等に代表される江戸幕府の経済的な締めつけや謀反の疑いを幕府に抱かせるおそれがあるという理由で警備を厳重にできなかった。
 敷地面積が非常に広く、いったん中に入れば内部の警備が手薄であったり、人の出入りが多くまぎれやすいこと。また面子と体面を必死に守る為に被害が発覚しても公にしにくいという事情や、男性が住んでいる表と女性が住んでいる奥がはっきりと区別されており、金がある奥で発見されても女性ばかりで逃亡しやすいなど、江戸において最も大金を盗みやすい種類の場所であったのだ。

「ご丁寧に対魔術の備えまでしてある」

 秋芳の見鬼見鬼が城壁に施されている魔術をとらえた。
 いかに堅牢鉄壁の城塞であっても、魔術をもちいればたやすく潜入できる。
 深い濠をめぐらせ、高い壁を築いても【レビテート・フライ】で飛び越えられる。
 【セルフ・イリュージョン】の応用で透明になれば衛兵に気づかれることなく侵入できる。
 もし見つかっても 【コンフュージョン・マインド】、【チャーム・マインド】、【ファンタズマル・フォース】などの呪文を駆使して幻惑すれば、切り抜けられる。
 そのため重要施設には対魔術用の備えがしてあることが多かった。
、 魔術の行使に反応してアラーム発報したり、空間に【ディスペル・フォース】を張り巡らせて魔術を使えなくするなどが有名な魔術師返しだ。
 この城壁には後者、【ディスペル・フォース】が所々にかかっており、城壁の近くでは魔術が使えず、あらかじめ唱えた魔術も無効化されるようだ。

「軍の重要施設や王宮だってこんなに警戒厳重じゃないぞ。こりゃあなにか後ろめたいことをしているにちがいない。まさか本当に人狩りだとは思いたくはないが……」

 門を守る衛兵の表情は硬く、同僚と無駄口ひとつきかずに緊張した面持ちで立哨を続けていた。
 もとの世界ならば禁感功――隠形を駆使して容易に侵入できるところだが、この世界では呪術の使用がいちじるしく制限されている。
 気に属する術ならばそれなりに使えるため、気配を絶つ隠形術ならば使用可能だが、やはり精度は落ちる。
 万が一発見されることを危惧し、正面からの侵入は避けて壁面をよじ登ることにした。
 壁虎功を駆使して城壁を登りつめ、鋸壁の内側にある移動用の通路に降り立つ。
 見渡せばクェイド侯爵の居城と思われる屋敷の他にもいくつか建物が見え、敷地内のそこかしこに外灯の明かりが見えた。ガス灯の放つ橙色ではない、白く鮮明な光は魔術によるものだろう。夜だが見通しは悪くない。

「幾何学式庭園というやつか。ブツを頂戴する前に散策してみるのもいいかもな」

 ひときわ強い風が吹き、鳥が羽ばたくような音が聞こえた。見上げると夜空に溶け込むような闇色の翼をした鳥が飛んでいた。
 否。鳥ではない。
 人間だ。
 手と足の間に布を張った滑空用のウイングスーツを装着した人間が上空を飛び越していく。

「キャッツアイかよ……」

 ある程度の見鬼の持ち主は肉眼で見ると同時に霊的感覚で視る。ウイングスーツを身につけた黒装束の人物は男性のまとう陽の気ではなく、女性のまとう陰の気を発していたと、一瞬ではあったが、たしかに視た。 
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