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大洗女子 第64回全国大会に出場せず

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蛇足の部 秋山殿とストーカー
  【特報】秋山殿、ストーカーを撃破す!

 
前書き
注:あらかじめお断りしておきます。
 この話に登場する「伊号戦車」という架空人物には、いかなるモデルも存在しません。
 また彼は自分自身を「お○く」と表現しますが、それは彼がそう思っているだけで、秋山優花里、あるいは現実世界にいる「先鋭的な趣味人」とは全く異なる、本当の意味で異常な人物であり、実際のいかなる人物とも無関係な「架空の人物」です。
 以上のことをご了解の上、お読みいただければ幸いです。
 
 

 
 
 
 
 2013年も春分の日を過ぎて、寒さも遠のきつつあったころのこと。
 春暖の候というのがしっくり来る日々がやってきた。
 しかし、それにもかかわらず大洗女子学園生徒会副会長、秋山優花里は不機嫌の極みだった。

 兆候は昨年の第63回戦車道全国高校生大会から、すでにあった。
 第一回戦の対サンダース附属戦を制したあたりから、がぜん大洗女子の注目度が上昇。
 それにつれて選手たちも、いろいろな意味で興味や関心の的となった。

 決勝戦が始まろうとするころには、全選手の当たり障りのない程度のプロフィールは一般世間に浸透していた。
 そして決勝戦が終わり、大洗女子が第63回を制覇した後しばらくは著名人から小学生まで様々な人々から祝電、メール、公式SNSへの書き込み、お祝いの書状などが殺到する。
 それらのうち、公立校としての大洗女子全体に宛てたものは学園長に丸投げされた。
 未成年の角谷が、名のある政治家や経営者に直接返事をしたためるわけには当然いかない。
 問題なのは、いわゆる「ファンレター」だった。

 一般的には「ファンレター」には返事をしなくても失礼にはあたらない。
 それこそ「暗黙の了解」である。
 西住みほなど何も考えずに、「読まずにシュレッダーに食べ」させている。
 別に彼女が「ファン」が眼中にないわけではない。黒森峰時代から全部読んでる暇はないだけの話だ。なら差出人のリターンアドレスも含めて残しておかない方がいいのが赤の他人の手紙だ。
 概して間違いの元にしかならない。それにどのみち続いても半月かそこらの話だ。
 そもそもみほは「やはり自分にファンが付くなんて間違っている」としか思えない人間だ。
 まして彼女は大洗に来る前に、山ほど「ヘイトレター」やカミソリ付きすらもらっているのだ。
 他のメンバーにもそれぞれ数通ずつは来ていたが、角谷が「読んでもいいが返事は書くな」と、こういうことに慣れていない彼女たちに釘を刺していた。
 武部沙織宛のものは沙織が読んだ後、全部五十鈴華が取り上げた。
 これは当然の処置であろう。
 冷泉麻子は一読すると即座に処分した。眼球スキャナが即座にPDFに変換し、脳内ストレージにタグをつけて領域を割り当てて整然と書き込んでいく。それに要する時間はミリセカンド以下。
 なら原本にもう用はない。やはりシュレッダーのご飯にしておくのがいいだろう。
 しかし、誰も彼も一番大事な人間のことを忘れていた。
 戦車道組にとってまだ知り合って数ヶ月だから、しかたがないといえばしかたがなかった。

 全国大会から大洗動乱までの間で大洗女子戦車道のファンになった者たちのあいだでは、秋山優花里といえば「きわめてコアな軍用車両マニア」で通るようになっていた。
 当然のことながら、彼女宛のファンレターは、そういう系統のマニアばかりと言ってよかった。
 マニアなど生やさしい「スノッブ」レベルの彼女が、こういう手紙に喜んだのは当然である。
 ほんの数通ということもあってか、優花里はあっさり「文通」を始めてしまった。
 しかし、ある者は提示できるネタに新鮮みがなく、常識程度の話しか出来ないため自然と疎遠になった。またある者は彼女の「重箱の隅」レベルのやりとりに疲れて、自分から打ち切った。
 なにしろ優花里は『世界の無名戦車』という書籍の中に名前だけが一回だけしか出てこない戦車すら知っているのだ。普通はそんな者の趣味友になれる奴はそうそういない。
 優花里はやはり鉄道マニアの方が向いていたかもしれない。「秘蔵情報」をいっぱい知っている人間は貴重品扱いされるし、女性も大勢いる。延々と鉄道話をしていても、誰も飽きたりしない。
 なにしろ世界中に存在した鉄道車両のすべてを網羅するようなスノッブは、まず存在しない。
 もしいたら、「神」扱いされるだろう。

 そのようなわけで、ものの二週間ほどで優花里に「ファンレター」を送ってくるものは約一名になってしまった。
 だが、その一名が大問題だった。
 大洗女子の公式SNSに「伊号戦車」なるハンドルで書き込みを続け、全くレスがつかず、誰も彼もが辟易したあげく放置されている輩だったのだ。
 彼は自分の知る限りの戦車知識をこれ見よがしに書き連ねた便せんにして5枚程度の「定期便」を「毎日」送ってくるのである。
 優花里も最初は喜んで「情報交換」していたが、ある日から話が堂々巡りを始めた。
 優花里が「それは前に読んだ」と書いてもまたぞろ同じ話をする。
 つまりネタが切れてもただただ文通がしたいらしい。優花里もさすがに気味が悪くなった。
 そんなとき、伊号戦車は「東京瓦斯電気工業 九五式装甲軌道車」なるもののプラモデルキットを優香里に進呈。あまりのレアすぎぶりに驚喜した優香里はまたまた文通を再開する。
(なお、戦前の軍需企業として名高い「ガスデン」だが、名前を変えていまでも存続している)
 調子に乗った伊号戦車は、「ライントホター 1 ミサイル w/ E-100車台自走砲架」だとか「オブイエークト704」だとか「ホリⅡ型」とか「マレシャル駆逐戦車」だとかのモデルキットを送りつけてくる。
 気がとがめた優花里が「これ以上もらっても『積みプラ』にしかならないから」と言ってご辞退したのでその後は手紙に戻ったが、これがまた女の子なら普通にいやがる露出度の高い判子絵のレターセットで、1日2回定期便で来るようになった。
 しかも自分の私生活の日記みたいな内容に変化している。
 あまりのアレぶりに、優花里は開封するのをもうやめにした。返事も出さないことにした。
 しかし、不幸の手紙はやむ気配もない。もはや毎日送られてくる趣味の悪いアニメ絵封筒を見るたびにげっそりする優花里。しかもそれはどんどん山と積まれていく。
 思いあまった優花里は、みほに相談した。

「優花里さん。ファンレターにコミットしてはいけない理由、わかった?」
「西住殿ぉ~、私はどうすればいいんですかぁ」
「こうすればいいのよ」

 みほは、生徒会室にあるシュレッダーに未開封の悪趣味封筒を片っ端から放り込む。

「優花里さん。いままでやりとりした分も処分しようね。
 まさかメアドとか教えてないよね?」
「……さすがにそこまではやっていません。
 向こうからメアドとか住所とか教えてくれって書いてきましたが、思いとどまったであります」
「うん。だったらOK。
 じゃああとひとつ、やっておくことがあるから」

 西住殿は秋山殿をともなって、学園艦内の郵便局本局に出向いて角谷が書いた依頼書を提出し、「大洗女子学園内秋山優花里殿」という宛名の郵便物には「あて所に尋ねあたりません」という正規のゴム印を押して返送するようお願いしてきた。
 その後何回か学園宛てに「普通Ⅱ科2年秋山優花里の在籍証明」を問い合わせる書面やメールが何通か送られていたが、角谷は「存否応答拒否情報」に当たるとして却下。
 ざっくり言えば「イエスでもノーでもない」と回答した上で、伊号戦車のリモートホストを「アクセス禁止」にしてしまった。
 こうして、大洗動乱が終わって秋が深まるまでには、誰も彼も伊号戦車のことは、完全に忘れ去っていた。しかし本人と言えば「これは誰かの陰謀で、自分は偏見で差別されている」という思い込みをいっそうこじらせていった。



 そして、角谷執行部は生徒会から引退し、そのあとを五十鈴執行部が引き継いでからのこと。
 年度切り替え前の3月下旬に伊号戦車は、なんと大洗学園艦に住所を移した。
 海上の大洗女子学園艦内では有線のデータ通信網が使えないため、入居者用のサービスとして無料のWi-Fiが船内すべての場所で使える。それを逆用しようとしたのだ。
 生徒会副会長の秋山優香里には、当然公用のアドレスが割り振られ、外部に公開されている。

 初めは伊号戦車は「ダイレクトメールを装ったメール」を発信し、それが確かに優花里のアドレスだったと確認するや、フリーメールを使ったなれなれしいメールを発信し始めた。
 優花里の頭痛の日々が再び始まった。
 幸いにも例の「補助金と新型戦車」の問題は、すでに内部的な解決を見ていたから良かったものの、優花里が激しく苦悩していた時期にそんなことになったら目も当てられなかっただろう。

 最初はやはりリモートホストを遮断しようとプロバイダを探してみたが、それは大洗女子自体のキャリア業者だった。つまり敵は船内のWi-Fiにただ乗りしていると言うことになる。
 仕方ないからメアドを「迷惑メール」に振り分けるのだが、敵もまたちがうWebメールのアドレスを取得して、またメール攻撃をかけてくる。
 しかたがないので優花里のメールボックス自体を外部から遮断する非常措置を執った。
 大洗女子公式SNSでもトラブルが起きるため、当分の間サービスを中止せざるを得なかった。
 そうしたら今度は、華の会長専用アドレスにまで伊号戦車のメールが届いた。

 あんこうチームは全員がぶち切れていた。
 優花里は責任を痛感している。確かにこんな悪質すぎるケースはレアだろうが、決していないわけではないことはわかっていた。
 みほのいう「マニア魂優先でやばいことを招いた」のは二度目だ。気をつけなければ絶対に「三度目」が起こるだろう。
 ルクリリも「三度目」は防いだのだ。
 この日は「戦車道の授業」として外部から「銃剣道」の指導者を招いて、全員が木銃で突いたり、銃床で防いだり、カウンターで蹴りを入れてみたりと塹壕戦さながらの稽古をしている。
 休憩時間になり、防具を外したみほのとなりに優花里が座った。

「西住殿。『三度目』を招かないためにも、今回の件は自分でけりをつけたいです」
「優花里さん。相手がわからないのにそれは危険……」

 優花里は稽古場の30kgほどのダンベルを右手で武道場の高い天井に放り投げて、また落ちてきたそれを、今度は左手だけでキャッチする。

「私も、この一年でだいぶ『戦車道女子』らしくなったと自負しております」

 それを見たみほは、50kgのダンベル二つを左右の手に持つと「お手玉」を始めた。

「一応、学園艦幹部交番の刑事部の人には来てもらった方がいいね。
 うまくいけば、県警から感謝状の一枚ぐらいもらえるかもよ」

 みほも「言うようになって」しまった。無理もないだろう。
 かつて、とある女性大物歌手が若手新人だった頃、自分の楽屋に侵入していた不審者をムエタイばりの膝蹴りで撃破したときは、警視総監表彰になったという。
 今度はどうだろうか。



 数日後。
 伊号戦車は、最上甲板舷側をぐるりと一周しているキャットウォークという、甲板から一段低くなっている遊歩道のあちこちにしつらえられた公園の一つで誰かを待っている。
 それまで完全閉鎖を貫いていた大洗女子のサイトだったが、ある日突然優花里専用のメアドまで含めて、すべてアクセス可能になった。
 伊号戦車は、さっそく優花里宛に「ぜひお会いしたいです」というタイトルで、内容もその一行だけというシンプルなメールを100通以上送った。100通のメールはまったく受信拒否されることなく優花里のメールボックスに届いている。
 返信は全くない。しかし伊号戦車は「熱意」を見せ続ければ必ず通じると信じて、必死にメールを送り続ける。
 それが100通を超えたころだろうか、彼のメールボックスに「Re:ぜひお会いしたいです」という、待ちに待った返信が来た。内容はただ待ち合わせの日時と場所を伝える素っ気ないものだったが、伊号戦車は天にも昇る心地だった。
 そして約束の日時まで36時間ほどあるにもかかわらず、彼はブルーシート持参でその公園に立てこもった。いわゆる「徹夜組」の経験だけはありすぎる伊号戦車にとってはもはや野宿徹夜など、ものの数ではなかった。
 もちろん公園ごとに設置されている防犯カメラには、彼の姿ははっきりと写っている。

 そして伊号戦車が籠城し始めて36時間が経とうとするころ。
 すでに日は落ちて、甲板には人工の明かりが満ちあふれているが、公園には申しわけ程度の防犯灯だけが灯っている。
 その防犯灯に照らされながら、伊号戦車はじっと立ったまま優花里が来るのを待っていた。
 ああ、とうとうこの日が来た。
 彼女なら、自分と同じお○く趣味の彼女なら、きっと僕とつきあってくれるはずだ。
 お○くだと言うだけで離れていく他の女どもとは違う。
 彼女ならきっとわかってくれる。あきらめたらそこでノーサイドだ。
 あきらめなくて良かった。これが神の導きでなくてなんであろう。
 恍惚とした表情を浮かべながら、そんなことばかり考えている伊号戦車。
 しかしこいつは、もっと想像するべきだった。
 秋山優花里はスーパーミリ○タチャンピオンである以前に、普通の美少女なのだと言うことを。
 ミリ○タの部分は、彼女の趣味の領域に過ぎないことを。
 そして彼女を個性づけているしゃべり方の特徴の80%は、語尾口調ではなく、その独特のイントネーションにあると言うことを。
 むろん、伊号戦車はお○く(=普通人)ではなく完全に別な「何か」なのだが、本人に自覚できるくらいなら、そもそもこんな大惨事になっていない。

 例の「7TP」のロゴ入りシャツにスパッツ姿で件の公園に現れた優花里は、最初ゾッとして、つづいて怒りがこみ上げてきた。
 防犯灯の下の超ピザ体型で丸眼鏡をキラーンとさせて、自分が愛用しているのと同じサックを背負った男が着用しているのも「7TP」のロゴ入りシャツ! まるでペアルックと言わんばかりに。
 ついつい「やめろー!」と叫びたくなるのを全力でこらえながら、優花里はゆっくりと伊号戦車の前、2m離れたところに歩み寄る。
 もちろん優花里は単身ではない。公園が面している遊歩道には左右に柔道有段者の警官と、柔術剣道合気道銃剣道長刀道書道棋道全部あわせて五十段のみほがいる。
 しかし、それはあくまで事後の備え、後詰めであった。
 優花里はどこまでも、自分で決着をつけるつもりなのだ。



「自分は秋山優花里であります。あなたが伊号戦車さんでありますか?」

 伊号戦車はもうすっかり舞い上がってしまった。
 あの、あの秋山殿が今自分の前にいて、例の軍隊口調で話しかけてくる。
 だから彼は聞き落としてしまった。彼女の口調が詰問のそれであったことを。

「ああ、秋山殿ぉ~。お会いしたかったであります!
 不肖私が、伊号戦車であります。
 日本全国の軍事マニアのあこがれの的、秋山殿にお会いできて恐悦至極に光栄でありますっ!
 本当に今日まで生きてきて……」
「――で、私に何の用?」

 急に優花里の声の温度が下がる。
 まるで、あのプラウダ戦の会場だった万年雪が積もる永久凍土に閉ざされた廃村ですら暖かいと感じられるほどに冷たい声だ。

「い、いやだなあ秋山殿。せっかく趣味を同じくする者同士じゃないですかぁ。
 これからお互いに親睦を温めあってい……」
「寝言は寝てから言い給え。君はバカかね?」

 伊号戦車は混乱した。
 目のまえの秋山優花里の形をした何かは、伊号戦車を拒絶しているのだ。
 それも冷え冷えとした口調の寒々とした言葉で。
 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ――――っ!!!!
 間違ってもあの秋山殿がそんなこというわけないーっつ!
 そう思った伊号戦車だったが、口に出してはこう言った。

「あの、なにか間違っているであります。
 自分の知る秋山殿は常に明るくていねいな、語尾が『あります』で……」
「それは私が格上と認めた者に対してだけよ。
 軍隊口調を使うと言うことは、目下には厳しくて当然だわ。
 まして貴様がごとき唾棄すべき輩に、口を利いているだけありがたいと思いなさい」

 伊号戦車は凍り付いた。何かがおかしい。絶対おかしい。
 秋山殿はそんな口の利き方をしてはいけない。
 偏見と差別にあえぐ全世界10億人のお○くの希望が失われる!
 伊号戦車は、叫んだ。

「秋山殿はぁー! 秋山殿は、そんなことを言ってはいけないんだぁぁあああ!!!」

 しかしここで伊号戦車は、まだ出していない秘蔵のお宝ネタがあることを思いだした。

「あ、秋山殿。ハンガリーが戦車を国産していたことをご存じですか?」

 優花里の眉がぴくりと動く。しかし伊号戦車はそんなことに気づかずに続ける。

「実はその中に、完成すればパンター以上の高性能となったろう試作戦車がありましてね。
 その名を44MTasと――」

 伊号戦車は、最後まで言い終えることができなかった。
 彼は気づかずに最悪の巨大核地雷を踏んでしまったのだ。鶏電池がなくとも起動する奴を。
 次の瞬間、彼の視界は真っ白な光に漂白された……


「……いったい、何がしたいの?」



 伊号戦車は、優花里の強烈なかかと落としを食らい、あおむけに無様に伸びている。
 今日はスパッツで良かったと、優花里は思う。
 伊号戦車は口から泡を吹いている。これならしばらく意識は戻るまい。
 そう思った優花里は、みほと警官がいるはずの遊歩道に向かって歩き出す。

 優花里がみほに「奴は気絶中」とつたえ、公園の両サイドから警官たちがじりじりと油断なく公園に進むまで、ものの10分ほどだった。しかし……






 ……伊号戦車が気がついたとき、彼は大洗艦のキャットウォーク公園で仰向けに大の字になって寝そべっていた。
 なにか頭のてっぺんがズキズキ痛む。なでると頭頂部にたんこぶができていた。
 彼のめがねはどこかにいってしまったらしく、ただでさえ暗い視界は灰色のもやのようにしか見えない。彼はふらつきながら何かにつかまって立ち上がり、よろめきながら歩き出した。

「……ちがう。あんなのちがう」

 伊号戦車が知っている秋山殿は、常に馬鹿がつく丁寧口調だ。

「あんなの秋山殿じゃない」

 秋山殿は、常にしゃちほこばった軍隊口調だ。

「絶対に違う」

 秋山殿であるからには、語尾は常に「であります」でなくてはならない。

「偽物だ」

 秋山殿なら、お○く趣味の持ち主を馬鹿になんかせず、理解してくれるはずだ。
 そして伊号戦車ほどのエンスーであれば、好きになってくれるはずだ。

「偽物だ! だれかが僕と秋山殿を遠ざけようとしているのだ!」

 お○くの自分を嫌う普通女子たちが、秋山殿を守っているつもりで邪魔しているのだ。
 本物に合わなければ! 会って本当の真摯な気持ちを伝えなければ!
 伊号戦車の目には、もう何も映っていない。
 優花里の元へ急がねばという気持ちだけが空回りしている。
 だから、伊号戦車は何か腹ぐらいの高さにあるフェンスにぶつかると、横ばいになりながら必死に乗り越えていった。



 伊号戦車は、自分がいたのが大洗艦のキャットウォーク、上甲板外周通路にある公園だったことなど、すっかり忘れていた……。






「……。
 優花里さん、いないみたいだけど」
「え、まさかあいつ逃げたのでありますか?」

 こちら側からも、反対側から来た警官たちも、伊号戦車の姿は見ていない。
 取り逃がしたと言うことはないはずだ。
 警官は幹部交番長の警部に連絡を取ると、懐中電灯などよりずっと明るい「信号灯」で公園中をくまなく調べ、公園デッキの下や舷側まで照らしたが、見つけることができなかった。
 結果、大洗女子に勤務するすべての警官が非常線を張って、サーチライトまでつかって一斉捜索したが、伊号戦車の影も形も痕跡すらも、何もつかむことはできなかった。
 そして、その日を境に、伊号戦車はどこにも出現することはなく、大洗女子のネット関係にも全く出てくることはなくなった。
 結局この件は、1年後に迷宮入りになってしまい、捜査本部も解散した。
 その後のことは、誰も知らない……



- Fin -
 
 
 
 
 

 
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