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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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邯鄲之夢 12

 二〇一X年。某月某日、総理大臣官邸。
 定例の閣議を終えた首相がひと息ついていると声をかけられた。

「いやいや福富首相、お疲れさまです」

 福富幸寿(ふくとみゆきひさ)。それが首相の名だ。
 まことにめでたい字面なのだが、青黒い不健康そうな顔に貧相な禿げ頭と、まるで火星の貧乏神のような容貌をしていて名前と似つかわしくない。
 実際、彼が首相になってからはあいつぐ増税や海外へのばらまき政策が目立ち、多くの善良な日本人にとっては貧乏神のような存在だった。

「あー、なんだね国交相くん」

 声をかけてきたダイエット中のジャバ・ザ・ハットのような人物は首相の派閥の子分である国土交通大臣だった。彼は私立大学の不正入学を斡旋して一件につき一〇〇〇万円の謝礼を受け取ったと報道されている。さらに彼の弟が経営する不動産会社は安値で買った原野を五〇倍の価格で新幹線用地として売りつけたことまで判明している。つまり大臣である兄から会社経営者である弟に事前に計画が漏らされていた疑いがあるのだ。
 その近くで電子タバコをくわえている総務大臣はゴルフ場の会員権を乱売して詐欺罪で告訴された会社から五億円の献金を受け取っていた。大臣の事務所もその会社から無料で借りているうえ、秘書の給料まで支払わせている。
 
(しかし我ながらたいした顔ぶれだよねぇ)
 
 首相以下、内閣を構成する閣僚のほとんどが大小さまざまな汚職事件に関与し、国民から批判されている。
 批判される理由は汚職事件だけではない。
「米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くってことは奴隷の子孫だよ」「親に行けと言われて進学しても、女の子はキャバクラに行く」「巫女さんのくせに生意気な」などなど……。今年に入ってから発せられた党員からの暴言失言の数々である。
 資料の歯舞(はぼまい)群島を読めず「はぼ…えー、なんだっけ?」と記者会見で言った北方領土担当大臣もいる。
 この福富内閣。ことさら汚職議員や舌禍議員を選んで大臣にしているわけではないのだが、結果としてそのような人事になってしまったのだ。「清廉な人を大臣に」などといっていたら、この国の内閣そのものが成立しなくなってしまう。
 平然と賄賂を受け取り、平然と嘘をつき、平然と秘書や運転手に罪をなすりつけ自殺させる……。
 そのような人間でなければ、この腐臭に満ちた権力の世界で生き残れないのだ。と、腐臭を放つ権力者たちは信じきっている。

「消費税一〇パーセントへの引き上げ、思いのほかスムーズに通りましたなぁ」
「まあねぇ、消費税は社会福祉に使う。したがって消費税の増税に反対する者は福祉の敵だ。という論調にもっていったら、たちまち反対の声が低くなってしまったからねぇ」
「そんなお粗末な論法が通用するとは、正直思いませんでした」
「なにせ消費税が福祉に使われているという証拠を見せろ。という者すらめったにいないからね、福祉という言葉を聞いただけで思考停止してしまうんだよ、この国の人たちは」
「……いやね、わたくしがひそかに危惧していたのは、福祉予算は一般財源から優先的に出すようにして、消費税は軍事予算にまわしたらどうだ。という皮肉な意見が出ることでした」
「そこを突かれると痛いわなぁ、増税分が軍事予算にまわるとなると、さすがに一般の人らは反対するよ」
「しかしだれひとりとしてそんな意見を述べる者はいませんでしたな」
「利口者がいなくなったのかねぇ」

 すると首相の腰巾着である一億総クールニッポン大躍進担当大臣が口をはさんだ。

「ふゅひゅひゅ、けっこうなことじゃないですか、我々の陣営以外に利口者がいなくて。野党は無能なうえに内部抗争ばかり、マスコミは公権力に対する批判能力を失い、国民はなんどだまされても懲りない愚民ばかり。だからこそ我々がこうして甘い汁を――あ、いや実力に応じた正当な利益を得ることができるんじゃないですか」
「まったくだわなぁ、愚民万歳!」

 ニュース番組などの街角レポートで「だれに投票してもいっしょ、選挙も政治も興味ない」と答える老若男女を見るたびに、首相は小躍りしたくなる。
 日本に議会制度が導入されてから一世紀以上経つにもかかわらず、そんな考えをしている人々こそが首相の権力をささえてくれるのだ。
 政治が自分たちの生活に直結していることも理解できず、芸能人の不倫騒動だの課金ゲームだのに一喜一憂している。これでは首相のような人物から愚民呼ばわりされてもしかたがない。
 
「おいそがしいところを失礼します」

 雑談の終わったタイミングを見はからい、背広姿の男が声をかけてきた。
 大手新聞社の論説委員をつとめ、記者クラブにも籍を置く大物記者だ。政府にべったり密着した人物で、首相個人ともつき合いが長く、世間からは御用記者などと揶揄されている。
 どこからか陰陽法改正についての話を聞きこんできて、改正に賛成する意見が多数を占めつつある。ということを記事にしていいか訊いてきたのだ。

「陰陽法改正だなんて、日本人としては絶対に阻止しなきゃならんことだよ、君。そんなことをしたら諸外国からどれだけ非難されることか」

 神道、密教、修験道、道教、陰陽道――。
 先の大戦時、日本に存在するありとあらゆる呪術は軍事目的に統括・編纂された。外国人や一部の日本人の感覚では呪術=軍事力にむすびつくのだ。
 霊災の修祓以外での呪術の使用を認めるということは、戦争や武力による威嚇、武力の行使を放棄すると決めた日本国憲法の破棄につながってくる。
 保守的な首相には到底受け入れられることではない。

「そんなことが話題になること自体あってはならないんだよ」
「しかしけっして軍事利用はせずに平和目的に使用するのが前提の法改正ですが」
「事実はどうあれ呪術の台頭、それ自体がいかんのだよ。近隣諸国を刺激しちゃあいかん。国家同士は相互に依存し合っているんだからさ、穏便に穏便に」
「それはそうですが呪術が他分野に転用されることで見込まれる技術力や生産力の増加はけっして無視できない国益でして――」
「ま、ま、とにかくとにかく」

 意味不明のことを言いながら首相は大物記者の手をとると私設秘書を呼んで目くばせした。心得た秘書は別室に消え、すぐに分厚い封筒をもってあらわれた。首相はそれをつかむと大物記者の手ににぎらせる。

「この前うちの派閥の研修会をしてくれただろう、そのお礼さ。税金はこちらで処理するこら丸ごと受け取ってくれたまえ」
「……これはこれは、お心づかい痛み入ります」
「うちでは君をもっとも信頼できるジャーナリストだと思ってたよりにしてるんだ。陰陽法改正だとか悪い潮流や悪質なデマに流されることなく、これからもよろしくたのむよ」 
「もちろんです首相、わたしたちは同志じゃないですか」
「うんうん、同じ志をもつ者同士仲良くしようじゃないか。次の選挙のときも公平で良心的な報道をたのむよ。政府や隣国の悪口を書けばいい、なんて低次元の記事は他社にまかせてだね」
「おまかせください、我が社はつねに政府の味方ですから。そんなことを書き立てる輩はネトウヨやレイシストだのヘイトスピーチの烙印を押して黙らせてやります」

 懐を重くした大物記者がほくほく顔で帰ると、腰巾着の一億ナントカ大臣が興味津々のていでたずねた。

「失礼ですがいくら包んだのですか」
「二〇〇万円だがね」
「ははぁ、プロの作家だってそこまで高い講演料はとらんでしょうに」
「なあに、新聞社を丸ごと買収すると思えば安いものさ。たかが二〇〇万程度のはしたカネでジャーナリストの節操を売り渡してくれるんだからさ」
「首相、ちょっとよろしいですか」

 ジャバ・ザ・ハットのような国土交通大臣がひとりの男を紹介した。先ほどの大物記者の後輩にあたる人物で、国交省を担当しているのだが、近く結婚する。相手は都議会議員の娘で、首相に媒酌人になって欲しいというのだ。

「ふんふん、まぁスケジュールさえ合えばかまわないよ。でもいいのかい、新聞記者が政治家に媒酌なんぞしてもらって。政治報道の公正という点から見て、ちょいと問題じゃないのかい」
「おもしろい冗談ですなぁ」
「ふひひ、いささかわざとらしかったかな」

 その場にいた全員が大声で笑いあった。田舎議員や新聞記者にぺこぺこ頭を下げさせるのは権力者の愉しみのひとつだ。口ではいくら偉そうなことを言っても、裏ではこんなものだ。と彼らは思いたいのだ。富や権力になびかない、自分たちとは異なる価値観の持ち主がいると、彼らは気味が悪くてしかたがないのだ。
 おたがいに政治を商売にしている者がいれば「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」と親しく気安く挨拶できるというものだ。
 だが陰陽師、呪術者相手は勝手がちがう。
 天体観測や暦の作成、卜占などに従事していたいにしえの陰陽師たちは国家権力の一部であり、たんなる公務員にすぎなかった。
 しかし現代の陰陽師たちは〝甲種〟という、まごうことなき呪術を駆使する異能者であり、彼らの存在なくしては霊災に対処できない。
 彼らには彼らの価値観があり、世俗から一線を画す。
 俗世界に生きる権力者たちにとって、なんとも薄気味の悪い目の上の瘤なのだ。

「陰陽法改正の件だが、どうにもこまったものだよねぇ。なんとかならないものかな」
「なんとかと言われましても、世論の動きは政治力でどうにかなるものでもないですからねぇ……。そうだ、とりあえず名目上の権威だけあたえて権限はそのまま。というふうに取り繕うのはどうでしょう」
「どういうことだね?」
「陰陽法改正にともない、陰陽庁から陰陽省へと格上げします。この時点で体裁はととのえられます」
「ふむふむ」
「しかも省になると民選の議員が大臣になるので、現在のように倉橋長官をトップにした陰陽庁よりも隠しごとがしにくい組織になることでしょう。我々としてあつかいやすくなるのでは」

 陰陽庁、ひいては呪術界の隠蔽体質はつとに有名である。
 極端な話、陰陽庁が白を黒と言えば最終的にそれを通すことができるのだ。もちろん多少の工作が必要となるが、ほかの省庁では不可能なことですら陰陽庁なら、呪術界では可能だ。
 なぜなら呪術のことは呪術者にしかわからないから。
 そしてわからないものにこそ陰陽庁のみがもつ独自の〝威厳〟が絶対的に作用する。それは世俗のいかなる権威、権力をも凌駕する畏さだ。

「しかし選ばれたからといってあんな魔窟の責任者になりたがる人なんているのかねぇ」

 自分たちが富と権力の伏魔殿にうごめく亡者であることは棚に上げて首相は首をかしげた。

「のこのこ出向いてごらんなさいよ、洗脳されて魂を奪われてしまうよ、くわばらくわばら」

 首相とて甲種言霊の存在は知っている。呪術者がその気になれば一般人など簡単にあやつることができるのだ。
 そのため陰陽師が諸外国との外交の場に出ることは禁じられている。交渉相手に術をかけ、日本にとって有利な方向にみちびくのを防ぐためだ。
 また陰陽師の海外旅行も原則として禁止である。呪術犯罪捜査部が存在する日本国内ですら呪術をもちいた犯罪が後を絶たない。まして呪術に対する備えのない(できない)外国に呪術者を軽々しく出国できるわけがない。
 甲種言霊で人をあやつり、幻術で宝石や偽札を作り放題。隠形をもちいてどのような場所にも侵入し、目視できない式神を打ち、遠くはなれた場所にいる人すら呪殺できる――。
 空手の有段者やプロの資格をもったボクサーなどが傷害事件などを起こすと通常の加害者よりも思い刑罰が科せられる。剣道有段者が棒状の物で人を傷つけた場合も通常より刑罰は重い。これはその人の身体、技術自体が凶器とみなされるからだ。
 こと陰陽師、呪術者に対する警戒はその比ではない。
 現代の陰陽師はろくに海外旅行すら楽しめないのだ。様々な制約に縛られている陰陽師だが、これも彼らの抱く大きな不満の種のひとつであろう。

「それこそ律令制の時代みたく適当な官位官職でもあてがって満足してくれたら楽なのにねぇ。安倍晴明てのもそんなに身分は高くはなかったんだろう?」
「さて一応は昇殿できる身分だったようですが……」

 安倍晴明の官位を思い出そうと記憶を探っているとき、それがきた。

 GOGADGOOOGAAAAAッッッ!!!!

 落雷の轟音を聴いた。と、大臣たちの幾人かは錯覚した。なんといっても日本は平和な国であり、二・二六事件を除けば西南戦争を最後に内乱とは無縁だ。よもやクーデターの砲声だとは思わなかったのだ。
 轟音がおさまりかけたとき、床が波打ち壁が震え窓ガラスがうなった。天井でシャンデリアが踊り回り、花瓶が床へと落ちる。
 
「ひえーっ!」

 数えきれない汚職、疑獄、背任、横領、詐欺商法、選挙違反、政治資金規正法にかかわり合う一八人の大臣は奇声をあげてテーブルの下にもぐりこみ、椅子にしがみつき、床にはいつくばって頭をかかえた。
 
「びえーっ、神様仏様なんでも白状しますからお許しを~」

 だれのものともわからぬ悲鳴、ガラスの割れる音、額縁ごと書画が落ちる音、秘書官や警護官の叫び声――。
 大鳴動はしかし一分ほどで終わった。揺れがおさまり、静けさがもどると大臣たちは恐怖にひきつった顔を見合わせた。

「か、かなりの揺れでしたな」
「いやぁ、ちょっとばかりおどろいたけど、このくらいですんでよかったわなぁ」

 大臣たちは呼吸をととのえ、ネクタイを締めなおし、乱れた白髪をなでつける。恐怖は安堵に変わりつつあった。
 もとより地震大国日本に住んでいるのだ、この国の住人は貴賤を問わず多少の揺れではおどろかなくなっている。
 
「震度五くらいあったかな?」

 首相官邸の内政審議室長は警察官僚の出身で、治安問題や災害の第一報は彼に伝えられることになっている。この人物が服装の乱れをととのえつつ、怪訝な表情を浮かべて首相のもとにやってきた。怪訝な表情は首相たちにも伝染する。

「観測不能ってそんなに大きかったのかね? ……へ? なんだって、揺れてない?」

 気象庁の震度計は震度一の微震すら感知していないというのだ。
 首相たちや気象庁には知覚しえないことだったが、たったいま起きた振動は地震ではない。東京の霊相が変化したことによって生じた大規模な騒霊現象だ。
 視える者が外を見れば東京の霊相が一変したことに気づき、驚愕したことだろう。
 いや、外を見るまでもない。
 荘厳、峻厳、圧倒的で神々しい気が天より降りそそぎ地よりあふれている。
 三度目の大祓、天曺地府祭によって神が降りたのだ。
 祟り神にして東京の守護神たる存在が、地上に降臨したのだ。

「どうなっとるんだい、局地的地震てやつかい?」
「さぁ、なんとも言えませんが、さすがに総理官邸だけが揺れるような地震はありえないかと」
「それじゃあこまるよ、可及的速やかに被害状況と原因をしらべてもらわないと」

 この首相にしては精力的に行動したほうだろう。警察や消防関係に連絡し、各地の被害の有無をしらべさせる。

「もしや某国の地震兵器では?」
「地震兵器って……、それを言うならまだ核実験のほうが信ぴょう性があるんじゃないかね」
「某国のヤクザはハリケーンを発生させる気象兵器をもっているとか――」

 臨時の非常災害対策本部にしては緊張感に欠ける会話が飛び交う。

「腐っているな」

 だれかの発したそのひとことに政治家たちの雑談は一瞬で静まりかえった。
 いつの間にそこにいたのか、黒い巫女装束に身をつつんだ赤毛の少女が冷ややかな目で大臣たちを見回している。声の主は彼女だ。

「…………ッ!?」

 君は誰だ、と誰何の声をあげようとした警護官の口が水揚げされた魚のように半開きのまま固まる。赤毛の少女の輪郭が光で縁取られているように見えたからだ。
 霊気が光を放ち、その周りをただよっている。霊気の光を浴びた赤毛は燃え盛る炎のようで、周囲を睥睨する瞳は神代の宝玉を思わせた。
 (かぎろひ)の姫巫女。
 古典や文語的表現に縁のない警護官であったが、少女のまとう神気に打たれ、がらにもなくそのような言葉が脳裏に浮かんだ。
 そう、神気だ。
 見鬼の才をもたない凡人にすら視えるほどの強力な霊気。神威のごとき気をまとっている。

「だ、だれだね君っ! ここをどこだと思っているんだ」

 たとえ性根が腐っていようと脆弱というわけではない、海千山千の政治家だ。肝の据わった経済産業大臣が少女に指をさしてつめよる。

「無礼者め、はなれろ」

 少女の声ではない。いつの間にかその場に姿を現した二十歳前後の青年――モッズコートにジーンズ姿。跳ね回る髪を後ろで束ね、精悍な面構えと克己的な雰囲気の持ち主――の口から漏れたそのひと言に大臣が動きを止め、数歩後ずさる。

「こちらにおわすは畏れ多くも新皇陛下、相馬多軌子様であらせられるぞ。帝の御前で頭が高い、一同ひかえよ」
 
 さらにもうひとり、べつの青年が姿を現し宣言した。
シャツとベストにアスコットタイを締め、片眼鏡という時代錯誤ないでたちをしており、先に姿を見せた青年とは対照的に放蕩貴族然とした雰囲気をまとっている。
 膝と両手をついて床に頭が触れるほど下げてひれ伏す閣僚たち。
 相手の威光に打たれてそのような振る舞いをしているのではない、おのれの意思とは関係なく服従させられているのだ。
 なにか見えない力で強引に平伏させられているのともちがう。
 外からではなく、内より動かされているのだ。
 甲種言霊。
 閣僚たちはここにきてはじめて目の前の相手が常ならざる存在だと認識した。

「じゅ、じゅじゅっチュジュ、チェジウ、ちゅっ……呪術犯罪者だ! 呪捜部に連絡しろ! ジュジュツー!」

 ジュジュツーとは陰陽庁の電話番号、一〇一〇二番を指す。警察には一一〇番、消防には一一九番、海上保安庁へは一一八番という緊急通報用電話番号があるが、陰陽庁には一〇一〇二番でつながる。その名のとおり「じゅじゅつ」の語呂合わせでおぼえやすい。
「犯罪者はおまえたちだろう」

 赤毛の少女、新皇・相馬多軌子が経産省大臣を見据える。

「ひっ」

 ヤクザまがいの風貌をした経産省大臣が年端もいかない少女の眼光に怖じ気づく。その視線に心の奥底まで覗かれるような感覚をおぼえ、恐怖を感じたからだ。そしてその感覚は正しかった。

「おまえはふたりの秘書と運転手を口封じのために練炭自殺に見せかけて家族ともども殺害した。○○組の××に実行を命じ、実際に手を下したのは――」

「……ッ!?」

「おまえは厚生省の薬務局長を務めていたころ、輸入された非加熱製剤が危険だと知りながらも国内の薬品メーカーの利益を守るため使用を黙認した。そのため二〇〇〇人もの血友病患者がHIVに感染させられ命を落とした」

「ひゃっ……!?」

「おまえは不良債権や不正な公金投入が明らかになったさい、財務省の銀行局長○○に罪をすべて押しつけて自殺に追い込んだ。さらにそのあと御用マスコミたちに『気の毒な銀行局長を自殺に追い込んだのは財政のむずかしさや官僚の苦労を想像できない人たちだ』と書かせて糾弾の声をそらした」

「う……」

「おまえは非合法の売春クラブで未成年の少女を買いあさり、ことが露見しそうになると経営者の男を自殺に見せかけて殺し、警察やマスコミに圧力をかけて捜査を打ち切らせ報道も止めさせた。……あきれたな、お前以外にもそこを利用していた輩がこの場に五人もいるぞ」

「「「「「しぇぇぇっ!?」」」」」

 閣僚たちひとりひとりの心を覗き、その罪を暴露していく。

「おまえたちはそのようなことをするために(まつりごと)をする要職に就いたのか?」
「…………」
「正直に〝答えよ〟!」
「お、おれたちは子どものころ、他人が遊びまわるのを横目に必死で勉強してきた。好きなことも我慢して恋人も友人もつくらず、くだらん小説や漫画も読まずにひたすら勉強してきた、それもこれも税金を好き勝手に使える身分になるためだ」
「そうだそうだ」
「すべておれの才能と努力の結果だ。それを平民どもが嫉妬しやがって、うらやましいならおまえらも政治家になってみやがれってんだ」
「そうだそうだ!」
「それができないのは平民どもがおれたちとちがって劣っているからだ、おれたちは愚鈍な平民どもとは種類がちがうんだ、選ばれた特別な人間なんだ。平民どもは黙っておれたちの決めたことに従っていればいい。税金を納めろと言ったら納めろ。使途についてあれこれ文句を言うな、そうすればお情けで生かしておいてやる」
「そうだそうだ!!」
「日本を支配し、平民どもの生殺与奪の全権をにぎるのはおれたち国家権力者だ。消費税一〇パーセントでゆるしてやっているだけありがたく思え、なんなら三〇パーセントにしてやるぞ!」
「それはいい、日本中の貧乏人が餓死してしまうかもしれないがな」 
「納税の義務も果たせない貧乏人なんぞいっそ死んでしまえばいい」
「ウェーハッハッハッ!」

 閣僚たちは口々に自国民を貶め、蔑視する発言をする。だが威勢のいい口舌とは裏腹に彼らの表情は青ざめ、脂汗を滝のように滴らせていた。
 自分の意思で口に出しているのではない。心中に秘し、墓場どころか地獄の閻魔にもだんまりを決め込む本音を甲種言霊の力によって強引に吐露させられているのだ。

「……都では藤氏の長者が、地方では国司たちが専横をふるっていた頃となんら変わらないな、この国は。かつて『ぼく』は国府を襲い無益な殺生を犯した。あのような暴挙は二度とするまいと誓ったが、おまえらを見て気持ちが揺らいできたよ」
「政治の腐敗がいかに人民をして辛酸をなめさせるか……。この者らの処遇、新皇陛下の御意のままに」
「判決、死刑」
 
 多軌子がそう口にした瞬間、悪徳政治業者たちの身に残酷で無慈悲な死罰が下された。
 ある者は見えない刃に首を刎ねられ、ある者は見えない力で押し潰される。四肢をねじり切られた者、灼熱の炎に焼かれた者、全身の血液を凝固させられた者、骨が粉々になった者――。
 富と権力をほしいままにし、この世の春を謳歌していた一〇数人の大臣たちは一瞬で血肉の塊と成り果てた。
 なんの力も脈動も感じさせない、ただ言葉のみ、ひとことのみで滅したのだ。
 それは霊力を呪力に変換する、術式の構成、呪力の操作などの行程。あるべき課程が一切はぶかれた『結果のみが顕現した力』であり、常人のもちいる呪術とは一線を画す力であった。
 これが神の力だ。
 詠唱も集中も不要、所作や発言のひとつひとつが強大な霊力を秘めた呪術と言う形で体現される。

「やってしまった……。前帝より禅譲を受けたゆえ、平和的に大政を奉還をするよう、おだやかにたのむはずだったのに……」
「やむを得ないご処置でしょう、この者らの悪行はまさに官匪」

 中国には匪賊という言葉がある。集団で略奪や暴行をおこなう人非人であり、官匪とは汚職をしたり無実の人に冤罪を着せたりする役人のことだ。また法律を悪用する者は法匪であり、略奪や虐殺をおこなう軍隊は兵匪だ。

「苛政は虎よりも猛なり。しかしこの官匪どもらの台頭は民にも責任があります」
「というと?」
「これはとある娯楽小説の中で描かれたやり取りですが――『どうしてあなたがた政治家は私たち国民を馬鹿にするんですか?』『君らが私に投票したからさ』――という皮肉なやり取りがあります」
「…………」
「愚者の一票も賢人の一票も同等にあつかわれるこんにちの民主主義の愚かさを突いた言葉でありましょう。民主主義などという衆愚政治など排して公明正大な独裁政治を敷く必要があるのです。とかく悪玉にされがちな独裁政治ですが、こと決断と政策の速さにおいては民主制の比ではなく、英邁な君主の聖断ひとつで社会に蔓延する悪を即座に改善できるのです。そもそも人類の歴史をひも解いていけば――」
「夜叉丸」
「はっ」
「政は倉橋や佐竹に任せる。ぼくに帝王学は不要だ」
「これはですぎた真似を……、饒舌は我が悪癖のひとつ。おゆるしを」

 なにかが弾けるような音が響いた。
 凡百な物書きならば「乾いた銃声」とでも表現しそうな音は、事実銃声であった。呪縛の解けた警護官が多軌子たちにむかって発砲したのだ。
 グロック19から発射されたパラベラム弾はしかし巻き起こった漆黒のつむじ風によって中空に止められた。
 いや、風ではない。黒い外套がひるがえり、銃弾を受け止めたのだ。黒い外套の名は鴉羽織。その着用者の名は土御門夏目。夜光の意志と能力を受け継いだ、長い黒髪に白皙の(かんばせ)をした華奢な少女だ。

「夏目! ありがとう、助かったよ。ぼくはどうも飛び道具の類が苦手だからね」

 多軌子が苦笑いを浮かべてこめかみのあたりを指でさする。
 彼女に降りた神がまだ人だった頃、こめかみに一矢を受けて命を落とした。いちど霊的に刻まれた相性というものはなかなか払拭できない。
 特定の方法や道具で退治されたものは、復活したあともそれらが弱点として残る場合が多い。

 発砲した警護官を無言で処断しようとした蜘蛛丸を手で制す夜光。

「誅するのは貪官汚吏だけでいいだろう」

 薄い桜色をした硬質の唇からはそれにふさわしい玲瓏とした声が流れる。

「上からの命令とあればどんな相手でも命がけで守るのがきみたちSPの仕事だが、いまやその対象は存在しない。おとなしくぼくたちの傘下に下るんだ」
「自分たちで殺害しておいていけしゃあしゃあと……。我々日本人はテロリストには屈しない!」
「私たちも日本人だ、そしてテロリストではない」
「暴力で無法な権力奪取しようとする連中のことをテロリストと呼ぶんだ」
「立場を利用して私腹を肥やし、権力を得るために巧言令色をならべ立てて選挙民を惑わし、資本家と結託し、挙句の果てに反日国の連中と誼を通じる国賊を断罪する行為はテロルではない。義挙だ」
「彼らは国民によって選ばれた大臣だ。国賊などと勝手なことを言うな!」
「〝聞け〟」
「…………」
「よく考えるんだ、きみだって本気で彼らが選良だとは思ってはいないだろう。汚職政治業者の見本みたいな連中だ。現在の政治がどれほど腐敗し、行き詰まっているか。衆愚政治が横行し、自浄能力は欠片もない。武力で訴える他にどんな方法で粛正し、改革することができるのか。わかるだろう」
「わからん。たしかに今の大臣たちはお世辞にも清廉潔白とはいえない人たちだ、だからといって暴力で粛正してもいい理由にはならない。それに非人道的な暴力を振るってトップに立とうとする貴様らが今後腐敗しないとはとうてい思えない」

 銃把を握る警護官の手に軽く力が入った。呪文を唱えるいとまをあたえず、至近距離から射撃するつもりだ。

「禁人則不能考、疾く!」

 人を禁ずれば、すなわち考えることあたわず。
 いっさいの思考を禁じられた警護官の手から銃が抜け落ちて床にころがる。
 強い意志の込められていた目からは光が失せ、ぼんやりとした表情で虚空をながめている。

「SPなんぞ、しょせんはお上の走狗でしかないな。クズでもゲスでも高い餌をくれるご主人様には服従しますってか」

 警護官の思考を呪術で奪い無力化したのは僧侶のように頭髪を剃った短身痩躯の青年だった。

「彼は損得ではなくもっと高潔な思想のもと、あえて大臣に仕え、こちらの誘いを断ったかのように見えたよ。これからの、ぼくたちの創る世の中には必要な人材だ」
「それよりも法源(ほうげん)、なにをしに来た」

 夏目が誰何の声をあげる。

「君にはことが済むまで前帝のお相手をする務めがあっただろう」
「大連寺さんの薫陶を受けた御霊部の方々は優秀だ、なので彼らに任せてきましたよ。部外者の俺なんぞがいつまでも出張っている必要はないでしょう」
「まったく勝手な真似を……。今回の任を志願したのは君のほうからだぞ」
「いやなに、天皇陛下というくらいだからさぞかし威厳のあるお方かと思ったらそうでもなかったのでね、正直拍子抜けしてすぐに飽きてしまいました。ほかの皇族の方々も凡庸で、とても神の末裔とは思えぬありさま。日本の皇室はヨーロッパの王室にくらべて質素だと言いますが、あんなのに年間七〇億円近い皇室費用が血税から出されていたと思うと腹が立ちますな」
「宮内庁費も合わせるとさらに一〇〇億ほどかかっているよ。もっともそれでも国民ひとりあたりの負担は一三五円程度だし、質素も質素。大清貧だよ」

 これは片眼鏡の放蕩者――夜叉丸の言だ。彼がまだ大連寺至道という人であった頃、宮内庁の御霊部で部長をしていたこともあり、そのあたりの事情にくわしい。

「それに御一新以降じつに一世紀半ぶりの大政奉還という歴史的な場面をこの目で拝見したくてね、そこで駆けつけた次第ですよ。――それはそうと、まぁ凄惨なことになっておりますなぁ」

 法源と呼ばれた青年は大臣たちの酸鼻を極める骸を目にして軽く眉をしかめる。
 これには多軌子も後悔に表情をゆがめる。

「いささか軽はずみだったと悔やんでいるよ。旧体制の支配者たちには前帝といっしょに民衆の前で新時代のはじまりを認めさせ、宣旨を読ませるつもりだったのに」
「過ぎてしまったことをいまさら悔やんでもいたしかたありません。どうせこのような醜悪な輩、いずれは処断することになっていたでしょう。……私の術で少しのあいだ生きているふりをさせることが可能ですので、宣旨を読み上げるさいはおまかせを。それとこのような頑固者には――オン・デイバ・ヤキシャ・バンダ ・バンダ・カカカカ・ソワカ――法源君、呪を解いてくれ」
「あいよ」

 夜叉火輪印を結び真言を唱えた夜叉丸の指が亡羊と立ちすくむ警護官の額を軽くなでた。
目に意志の光がもどる。

「君の主はだれだい?」
「多軌子新皇陛下。ならびにその麾下の陰陽師の方々であります! みなさまのためなら犬馬の労をいといません!」
「よろしい」

ただしそれは先ほどまで持っていた自分自身の意志ではない。夜叉丸によって上書きされた偽りの意志だ。

「脳に三尸を憑かせました。これで彼は頑迷と妄執から解き放たれ、新皇陛下の忠実なる僕へと生まれ変わりました」

 三尸というのは道教に由来する人の体内に棲む三匹の妖虫で、六〇日に一度の庚申の夜に人の眠っているときに体内から抜け出て、その人の罪を天帝に告げるという。
 この伝承をもとに夜叉丸の創造した三尸蟲は寄生した相手を操作することができるのだ。
 武力による政権奪取で人々が従うとは限らない。政治の中枢にいる官僚や役人がボイコットする可能性も見越して、このような式神を用意してあるのだ。





 フランス。パリ。AM7:00。

「Oh! Mon Dieu!!」

 エッフェル塔のとなりに出現した巨大な少女の幻影に人々は驚嘆の声をあげた。
 緋色の髪をした少女は多軌子と名乗り、人々に日本の新生を宣言する。

 イギリス。ロンドン。AM6:00。

「Jesus……」

 タワーブリッジを見下ろし、多軌子の勅令が下される。

 中国。万里の長城。

「我的天啊!?」

 老龍頭から慕田峪長城、玉門関に至るすべての場所に多軌子が現れ、声が響く。

「くり返し、ここに宣言する。西暦二〇一X年、〇月〇日。ぼく相馬多軌子は先の帝より禅譲を受け、日本国の皇となった」

 アメリカ。ニューヨーク。AM1:01。

「Oh! My God!」

 マンハッタンの南、バッテリーパークの沖に建つニューヨークの象徴たる女神像を凌駕する本物の生きた女神の声が音吐朗朗と流れる。

「ぼくの麾下にある陰陽師たちは首都東京を実効支配した。日本国憲法は停止され、ぼくの意志。および陰陽師たちの決定と指示がすべての法に優先する。また今後は新民党による一党制とするため、それ以外の政党はいますぐ解散する」

 日本。富士吉田。PM3:01。

「アイゴーッ!!」

 日本一の霊峰に放送席の様子が映し出され、新制陰陽法が発表された。霊災修祓と呪術犯罪捜査のみに限定されていた陰陽術の使用を全面解禁し、呪術をあらゆる分野に応用しようというのだ。
 また呪術関連以外にも様々な改正がなされ、それらは次のようなものだった。
 一、陰陽道の発展という崇高な目的にむかっての挙国一致体制の確立。
 二、陰陽師への司法警察権付与。
 三、陰陽師・呪術全般に対して否定思想を持つ者の公職追放。
 四、国益に反する政治活動、および言論の秩序ある統制。
 五、宗教法人に課税する。
 六、特殊法人はすべて廃止する。
 七、政治家、および公務員の汚職には厳罰をもってのぞみ、悪質な者には死刑を適用。また官僚の天下りは禁止。
 八、外国からの移民や難民に門戸を開放する。ただし対象となるのは新皇へ忠誠を誓い、日本人と日本の文化を尊重し、節度と忠節を守れる者に限る。それが順守できない者は強制国外退去。
 九、夫婦別姓の容認。
 一〇、有害な娯楽の追放。風俗や遊興に質実剛健さを求める。
 一一、度を越した弱者救済と外国への援助を廃し、社会の弱体化を防ぐ。
 一二、電力会社の全面国営化。
 一三、性犯罪者の強制断種処置。
 一四、少年法の廃止。また心神喪失状態による減刑処置もなくす。いかなる年齢、性別、精神状態であろうと犯した罪にはそれに見合った贖いをさせる。
 などなど――。
 




 多軌子を新皇に掲げた陰陽師たちによるクーデターは成功した。多くの人々は不安と困惑をおぼえたものの、この本邦初の易姓革命を受け入れた。
 日本とはそういう国だ。
 かつて日本は近代において二度の大改革を経験した。一八六八年の明治維新と一九四五年の敗戦による改革だ。
 二度の大改革はどちらも市民が自発的におこなったものではない。明治維新は薩摩や長州出身の有力者たちの手によって一方的に断行され、第二次大戦後の改革は日本を占領したアメリカ軍の手で強引に実行された。ふたつとも上から力ずくでおこなわれ、しかもそれを日本人はほとんど無抵抗で受け入れたのだ。

「もうチョンマゲやサムライの時代じゃない。ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」
「これからは民主主義の時代だ。野蛮な軍国主義なんてナンセンス。過去のことは忘れて新しい日本を創ろう」

 日本人にとって改革とは上から力ずくで押しつけられるものであり、それにすぐ「慣れ」てしまう。改革に抵抗するのが悪なのではなく、空気が読めない、流れに逆らうのが悪なのだ。ためらう者や疑問を感じる者は置き去りにされてしまう。
 その結果として改革にともなう破壊と流血が最低限に抑えられたのも事実だ。明治維新のときにも多くの血が流れたがフランス革命やロシア革命にくらべれば犠牲者は少ない。それどころか江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜は明治時代になってから公爵の位を授けられている。慶喜だけではない、諸藩の大名や公家たちも華族に列せられている。
 旧体制の最高権力者が革命後に新体制の貴族になっているのだ。
 旧体制の支配者を新体制が貴族として迎える。というのは旧体制の不満をやわらげ反抗の意欲を削ぐ、なかなか上手いやり方だ。
 多軌子もそれに倣い、禅譲をした先の天皇には平成王の位を与え、その一族を丁重にあつかったのだが、旧体制の政財界に対しては苛烈かつ冷酷であった。

「いいですか、姫。所得の不平等が経済の衰退を引き起こすのです。貧しい者は消費に余裕が無く、豊かな者は所得の一部のみを消費に当てるだけの状態になり市場は供給過剰に陥る。その結果、商品需要の不足が発生するため豊かな者は貯蓄に励み生産に再投資しない。この貯蓄の増加が経済的均衡を崩す結果を生み、生産縮小のサイクルが――」
「よきにはからえ」

 いくつもの省庁が再編され、不必要と判断された部局や機関が廃止された。
 利益を社会に還元せずに暴利をむさぼっている企業に対して『反社会的である』と断罪し、経営者陣を逮捕。財産を没収し、会社からは多額の罰金を徴収した。
 特に電力会社を全面国営化にするにあたって、親陰陽師派以外の幹部・役員たちの多くは失脚させられ、総入れ替えがなされた。
 この陰陽師たちによるクーデターとそれに続く大改革、時代に逆行する専制君主の誕生は世界各国に大きな緊張をもたらし、非人道的な政策の数々は全世界の非難をあびた。
 特に陰陽術の軍事利用に対しては先の戦争で直接交戦したアメリカと、日本に侵略されたアジア諸国からの猛反発があった。

「唐は唐、日本は日本。唐の紙屑ばかり拾いて日本の刀を忘ることなかれ。道中に立つ市人を切り捨て、股は潜らぬ大和魂」

 江戸時代に詠まれた狂歌ではないが、多軌子は諸外国の反発を意に介さず、それどころか日本国内に外国の軍隊が駐留することに強く嫌悪し、日米安保条約を一方的に破棄。在日米軍を三年以内に撤退させることを要求した。
 この正気の沙汰とは思えない、あまりにも誠意に欠けた態度が引き金となりアメリカ政府が日本に対して経済制裁を発表すると、中国、韓国、ロシア、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツ――多くの国々もそれに追従した。
 輸入が激減し、生活が苦しくなると思われた矢先、陰陽省は以前より計画していたエネルギー改革を発表、実施した。
 大地を流れる龍脈。その膨大な量の霊気を電力に変える、霊力発電だ。



 それは新宿に建設された。
 新宿は水と縁が深い土地である。江戸時代、人口増加により飲料水が乏しくなったため幕府は多摩川から水を引くための配水施設を建造し、明治時代には淀橋浄水場が造られた。
 現代の新宿中央公園には東京に住む人々の生命を司る力に満ちているのだ。
また塔という建造物は風水学上の分類では木行の性質を持っている。
 水生木。木は土中の水分を吸い上げて成長するのが理であり、大地を流れる水。そこに込められた霊気を吸い上げて成長・発展する風水の塔。
 風水塔をふたつ建造し、もちいることで強力な霊的音叉効果を生じさせ、吸収した霊気をより増幅させてマイクロブラックホールのような超高密度物質をふたつ、人工的に作り出す。
 そのふたつを高速旋回させて、その相互作用で特異点からエネルギーを生み出す半永久機関――。

 簡単に説明すれば、そのようなものだ。 
 無限の電力を生み出すだけでも奇跡的な発明なのだが、それにくわえて大量の霊力までもが生み出せる。
 この膨大な量のエネルギーを背景に陰陽省は諸外国からの輸入にたよらずとも日本一国で自給自足できる生産計画を実行。各都市の地中に巨大な球状空間を造り、火行を封じて太陽を模し、壁面には土行を配して重力を作り、木行金行水行を以って風や水などの環境を整えた。
 地中農園クエビコ。それはただの巨大な地下プラントではない。通常ならば実るのに数週間から数か月かかるような農作物を宇迦之御魂(うかのみたま)保食神(うけもちのかみ)といった農耕神を力の源とする生産系呪術を駆使し、短期間で大量の農作物を生産した。
 さらに食用式。霊的に安定して物質界に完全に定着することで瘴気を発することのなくなった霊的存在を食用にすることにも成功。巨大な体躯から実に一〇〇〇〇人分もの牛っぽい味のステーキが取れる牛鬼をはじめ、豚っぽい味の片耳豚(かたきらうわ)や鶏っぽい味の大鵬、魚っぽい味の悪樓(あくる)などなど――。
 これらは当初タイプ・キマイラの一種としてあつかわれていたが、タイプ・フードという正式名称がつけられ普及した。最初のうちこそ気味悪がれ、積極的に口にしようとする者は少なかったが、ほかに食べる物がなければしかたがない。それに日本人はもともと成長ホルモンを投与された牛肉を食べ、残留農薬たっぷりの冷凍野菜を食べ、抗生物質入りの餌を投与された養殖魚を平気で食べていたような連中だ。すぐに新たな食料を受け入れた。
 このような発明によって最低限のライフラインは確保できるようになり、生活が安定したら次は娯楽だ。
 呪術の偉大さと利便性。呪術大国日本の技術を誇示するため、呪術によって幾多の特殊な娯楽施設や建造物が造られた。
 地中農園の建設によって生じた大量の岩石を利用し、空中都市タカマガハラを建造。環状列石の呪力によって重力を打ち消し、街全体が浮遊している。
 海原を自由に行き来するふたつの海上都市、アズミとイソラ。
 海底資源の採掘用に造られた深海都市ワダツミ。
 富士の樹海に造られた樹上都市ククノチ。
 幻覚都市マホロバ。東京湾にある孤島に時間と空間を歪めて作り出した人工の『理想郷』。衣服、食料などすべてが幻術で作られ、飢えも病気もなく働く必要もなく、そこに暮らすものは歳をとることさえなかった。――ただしこの島に足を踏み入れたものは二度と外へは出られず、後期高齢者と心身に障害のある者しか島へ渡ることはできない。

 このように呪術を礎とする華々しい業績のいっぽう、諸外国からの経済制裁によって日本国民は苦しめられていた。アメリカをはじめとする国々が日本に債務不履行を宣言したのだ。
 債務不履行とは簡単に言ってしまえば借金を返さないということで、海外に投資した資金はすべて水の泡になってしまった。
 ドルと呼ばれる紙くずの山をかかえて飢え死にする――。株の大暴落によって投資家たちは恐慌におちいった。億単位の負債をかかえた証券会社や不動産会社、金融会社の倒産があいつぎ、株の暴落で破産し、自殺する人も多く、一家心中が続出した。証券会社の重役が破産した人に殺害される事件が連続して起きた。

「欲ボケした愚民どもには良い薬だな。だいたい学生だの主婦だのが株を買って儲けようとするのが異常なんだ」
「子どもたちにまっとうに働くことの大切さや物作りの喜びを教えるのではなく、株や投資といった人様の上前をはねるマネーゲームを教えるような国は滅んでとうぜんだ。おれたちの創る国にはそんな堕落者はいらん」
「他所の国の資産だの資源だのはあてにならん。外国の顔色をうかがうことで生活を維持するのではなく、日本は日本一国で栄える力を手にするのだ」
「小国寡民、大いにけっこう。夷狄の落とすあぶく銭にたよらず、自給自足で暮らしていこう。呪術があればそれが可能だ」

 新時代の主役である陰陽師たちは日夜研鑽を積んでおのれを高めているという自負がある。そのような考えの者にとって株によって財を築いたブルジョワたちの破滅は小気味良いものであり、いっときの経済的な困窮をよそに、呪術の革新に奔走した。
 なにせいまは夢にまで見た未来。陰陽術が花開く理想の世界そのものなのだ。彼らはそう信じて疑わない。そして気づかない。
 支配する手段が富や権力から呪術に変わっただけで、自分たちが傲慢で醜悪な支配者になりつつあることに――。



 先進国の所得が多い上位一割の富裕層と下位一割の貧困層との所得格差は一〇倍近くあるという。それの呪術版、富のあるなしではなく呪術(ちから)あるものと呪術(ちから)なきものの格差が広がりつつあったその日、新たな改革がなされた。
 国民総陰陽師化計画。
 霊気の流れや霊的存在を感じ取る能力、陰陽師にとっては必須となる見鬼を付与し、呪術を使えるようにしてしまおうというものだ。見鬼の才は基本的に先天性のものだが、特殊な呪印を額に刻むことでアージュニャー・チャクラを開花させて後天的に付与することに成功した。
 たんに呪術を使えるようになるだけではない。陰陽師たちは呪印を通じて新宿に建てられた風水塔からの呪力を引きだすことが可能になったのだ。そのため生粋の陰陽師であるにもかかわらずみずから望んでこの施術を受ける者も続出し、それまで個人の資質に左右されるという束縛を受けていた呪術は、ここにきてさらなる進歩を遂げることになる。
 もっともこの処置には問題もあった。風水塔と霊的につながることによって自身の呪力霊力が逆に向こう側に吸収される可能性があり、そうなってしまった場合いっさいの呪術が使用できなくなる。またなんらかの理由で塔が制御不能になりキャパシティを超える呪力が流れ込んできたさい、その負荷に耐え切れず精神が焼き切れ良くて廃人、悪ければショック死してしまう危険があるのだ。
 そのため思慮のある陰陽師の中には、あえてこの魅力的な能力増加を拒否する者もいた。



 経済制裁をものともせず(実際は痛手になっているのだが)発展を見せる日本の姿にもっとも焦燥したのは中国だった。帝と称する者を頂点に『戦犯』土御門夜光が陰陽術という血塗られた軍刀、侵略の象徴をもちいて繁栄する姿はかつての大日本帝国を彷彿させ、日本人の想像する以上に彼らの神経を逆なでしたのだ。

〈核さぁ、撃ってみたくね?〉
〈同感、我が国のもっとも優れた武器は核ミサイルだ。東京に核ミサイルを落としたら妖術師たちは全滅するだろう〉
〈せっかく持ってるのに撃たないってもったいないよねー〉
〈一発撃ちこみゃ小日本人どもも頭を冷やすだろう〉
〈あの思いあがったゴキブリ民族どもに思い知らせるには、それしかない〉
〈オレのじいさんは、9歳にして日本人に殺された。南京で虐殺された三〇万人の敵を討つべし!〉
〈虾兵蟹将! 屌你老母! 死日本仔!〉
〈我が国が保有する核兵器の威力は二四~七二時間以内に日本に対して最大五発の核ミサイル攻撃が可能である。我が国の最初の核攻撃でジャップランドは東京などの主要都市が壊滅状態になる。さらに呉、横須賀、沖縄、佐世保といった軍港を攻撃目標にすれば海上自衛隊へのダメージは計り知れない〉
〈なんだかんだいってもあいつら核もってないしな〉
〈撃ち返せないよな〉
〈いいじゃん、撃っちゃえ〉
〈撃っちゃえ、撃っちゃえ〉
〈撃っちゃえ、撃っちゃえ、ミサイル撃っちゃえ〉

 このような意見が中国のネット上を席巻していった。リアルでも制裁のために核ミサイルを発射すべき。という意見があがり、多くの国民が支持をしていた。
 だからといって気軽に発射できるものではない。
 中国共産党の幹部たちは決断をしぶり、ミサイル発射以外の方法で抗日人民たちのガス抜きをする必要にせまられた。
 中国共産党は民衆の反乱を恐れる。
 秦を滅ぼした史上初の農民反乱である陳勝・呉広の乱をはじめに、赤眉の乱、黄巾の乱、黄巣の乱、紅巾の乱、李自成の反乱、白蓮教徒の蜂起に太平天国の乱――。
 中国の権力者たちはつねに民衆の反乱による革命の脅威にさらされている。ゆえに中共政府は制御の枠をはずれた民衆の蜂起を恐れた。
 だが彼ら共産党が長年にわたって敷いてきた反日教育の根は奥深く、日本人に対する憎悪はもはや制御できない域に達していた。下手に流れを変えようとすればその不満は共産党政府にむけられてしまう。それだけは絶対に避けたかった。
 しかしその危惧は民衆ではなく身内、軍部の一部が暴走するというかたちで実現した。
 北朝鮮との国境近く、吉林省通化に人民解放軍第二砲兵部隊のミサイル基地が存在する。東京からの距離は一二〇〇キロメートル。対日攻撃のために造られた基地から三〇発の弾道ミサイルが日本にむかって放たれたのだ。





 防衛省。防空監視システム室の中で防衛大臣の玉上がレーダースクリーンをにらんでせわしなく歩き回っていた。日本地図を描いたスクリーンには近況離から発射されたミサイルを表示する赤い点がいくつも表示されていた。

「ついに撃ってきたか、やつら日本を完全に葬り去るつもりらしい。現在の自衛隊の迎撃システムでどれだけ防げる?」

 玉上は歩き回りながら自衛隊本部につながるマイクに質問した。

「弾道ミサイルの半数は迎撃できます」
「たった半数だと!? ミカボシを使ってもか?」
「はい」
「一発でも国内に落ちたら……。ちっ、スクリーンには現れていないがICBM(大陸間弾道ミサイル)と巡航ミサイルはどうだ?」
「現在のところICBMの発射は確認されておりません。ただ巡航ミサイルのほうは……」
 マイク越しの自衛官の声が自信なさそうにしぼんだ。巡航ミサイルはあらかじめ地形をインプットされて低高度を飛ぶうえに赤外線レーダーにはほとんどひっかからないためキャッチするのが非常にむずかしい。

「ええい、そんなことで国が守れるか!」

 玉上が見当ちがいの怒りを爆発させたとき、無機質な室内に似つかわしくない、玲瓏な声が響いた。

「ぼくが行こう」
「陛下……」
 
 背後から現れた多軌子と夜光の前に平伏する玉上。この男は呪術の才こそないが夜光の思想に傾倒している親陰陽師派で、先のクーデターのさいは夜光のたのみで自衛隊の一部を指揮して在日米軍の動向を注視していた。

「いずれ、このようなことが起こると思っていた。むこうから手を出してきたのはむしろ好都合だ。日の本に弓を引いたこと、後悔させてやる」

 自信に満ちた笑みを残して多軌子と夜光は姿を消した。



 空を突き抜け、光の箭となって成層圏を突き抜けた多軌子たちは漆黒の闇につつまれた宇宙空間へと飛び出していった。高度一〇〇キロで上昇を止める。ICBMが発射された場合、大気圏外で迎撃する必要があるが、弾道ミサイルと巡航ミサイルはそれ以下の高度で撃ち落とす必要がある。これは両者を迎撃するぎりぎりの高さなのだ。
 空に白い軌跡を刻みつけて飛来するミサイルが遠目に見えた。小型の弾道ミサイルが散り散りに飛んでくる。そのうちの一発に天から放たれた白い光が貫き、赤い炎をあげて爆散した。
 衝撃波が空を駆け抜け、多軌子と夜光の身を守る呪力の(シールド)が空気摩擦で淡く光る。

「ミカボシか、上出来じゃないか」

 いまの光は重工業メーカー富士川重工と陰陽省開発研究部の共同制作によって造られ、自衛隊に配備された人工衛星型機甲式ミカボシによるものだ。
 マグネシウム濃縮ガスに霊力炉のエネルギーをぶつけて無数の電子を生み出しそれを直径三〇センチの束にして目標に撃ち込む。地上500キロの低高度衛星軌道から放たれるエネルギーの箭がミサイルを撃ち落としたのだった。
 威力と命中精度はもうしぶんない。だがいかんせん一機しか完成していないため、すべてのミサイルを無力化することは不可能だ。

「光よ……」

 多軌子が両腕を掲げて念じると、周囲の空域にプラズマが生じ、それが凝縮して無数の巨大な矛になった。矛は稲妻となって空を突き進む。いくつもの閃光、次いで轟音を生じさせてミサイルが爆発していく。

「――高天原天つ祝詞の太祝詞を持ち加加む呑んでむ。祓え給い清め給う――祓え給い清め給え――」

 ミサイル迎撃を多軌子に任せた夜光は最上祓いの祝詞を唱え、放射性廃棄物の浄化に専念する。
 本来ならば霊的な障りを鎮静化する術でこのようなことができるのは夜光の持つ強大な呪力と精妙な術式を組み立てる卓越した技量のなせる業だ。
 ミカボシの撃ちもらしたミサイル群をことごとく迎撃したふたりは、しばらくのあいだ高度一万メートルにとどまって日本近海をうかがっていた。

「潜水艦が二隻に巡洋艦が一隻か……」

 多軌子の神眼が日本を標的にする軍艦を見定め、プラズマの矛を力の限り投げ下ろす。それは一撃で原子力潜水艦の甲板を突き破り、海底に突き抜けた。ひび割れた原子炉に海水が逆流した潜水艦は膨大な水蒸気を噴き上げ、轟音とともに爆発し周囲の海水を蒸発させつつ海中に沈んでいった。

「賊徒め、ひとつ残らず沈めてやる」

 冷ややかにつぶやきながら、新たな矛をにぎりしめ、後方に見える巡洋艦に狙いをつけた。 
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