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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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辺境異聞 7

「それでは我々もはじめようか」

 セリカとフーラが刃を交えだすと、ヨーグは空になったタンカードを投げ捨てた。その身に異変が生じる。
 耳がとがりながら上方へ伸び、鼻より口が前方に突き出し、顔じゅうに毛が生えはじめ、両目は人血の色に染まっていく。
 のどの奥から獣のうなり声が轟く。

「さっきの霧化に続いて、こんどは人狼化の能力か」
「少しちがうな、これはたんなる人狼化ではない。それよりもっと大きな力、暗黒神からの闇の賜り物さ。――このような素晴らしい力だ」

 言葉の最後は秋芳の背後から聞こえてきた。
 左腕の布地が裂けて血が滴る。
 目にも止まらぬ――いや、目にも映らない速さで駆けた人狼ヨーグの鉤爪による一撃に よるものだ。

「ほう、定命の者にしてはなかなか良い反応をするな。腕一本いただくつもりだったのだが……。美味い! おまえの血は実に美味だぞ。こんなにも芳醇で濃厚、それでいて爽快。こってりとしているのに少しもくどくなく、スッキリした味だ」
「どこの料理漫画の科白だ、それは。……それにしても、ずいぶんと敏捷だな、おい」
「私が暗黒神より下賜された能力。闇の氏族『ヴリカラコス』の力だ。並の吸血鬼がもちいるような中途半端な人狼化とはわけがちがう」

 ヴリカラコス。それは秋芳のいた世界ではギリシャ地方に伝わる妖怪の名だ。元はスラブ地方で人狼を意味する言葉であったが、スラブ民族が南下して地中海に進出した六世紀以降ギリシャに伝わり定着した。
 だれにも看取られずに孤独に死んだ者や狼が殺した肉を食べた者などが死後ヴリカラコスになるという。
 ヨーグが床に転がるタンカードを蹴飛ばすと、それが壁にぶつかる前に移動して手でつかんだ。
 恐るべき移動速度だ。

「クイックシルバーやザ・フラッシュみたいだな」
「いかなる武術魔術も純粋な速さの前では無力に等しい。呪文を詠唱するよりも、構えをとるよりも、それどころか相手の動きを知覚することすらできず一瞬で命を散らすことになる」

 こんどは右腕の布地が切り裂かれ、血が流れた。
 先ほどの一撃よりも深傷だ。

「ふふふ、おまえは本当に反射神経が良いな。常人なら首が落ちていたところだぞ」
 
 獣毛におおわれた腕を振ると、鉤爪についた血が飛び散った。それを先ほどのように高速で移動して牙の生えた口で受け止める。

「んっん~、デリィィィシャァァァスゥゥゥ! 甘く、ほろ苦く、のどごしが心地良く、口内を夜風が吹き抜けたような感覚。単なる美味しさを超えて、もはや快☆感!」
「だからなんなんだよ、その料理漫画みたいな表現は」

 秋芳は両腕の止血をしつつ考えをめぐらせる。

(速さには速さで対抗したいところだが【フィジカル・ブースト】では心もとない)

 ヨーグの超高速に追いつくには、たんに足を速くしたり機敏になるといった【フィジカル・ブースト】で上昇できるようなレベルの速さでは足りない。これに対抗するには【タイム・アクセラレイト】による爆発的な加速が必要だ。

(と、いきたいところだが、【タイム・アクセラレイト】はリスクがでかいしな)

 【タイム・アクセラレイト】。対象に流れる時間を加速させ、高速で動くことができる。
 ただし、術が切れると魔導第二法則によって加速させた分だけ減速し、世界の辻褄を合わせる。
 速くなったぶん、遅くなってしまうのだ。
 当然のことながらそれは致命的な隙となり、帝国軍の中では自殺魔術などと揶揄されることもあるくらいだ。

(だが使いどころを見誤らなければ決定打となる。……ん? まてよ、この手は使えないか?)

 一計を案じた秋芳が相手に悟られないよう、小声で呪文を唱えた。

「エイイッ鈍足、鈍足ゥ!!」

 黒い疾風が部屋中を駆け、空気のこすれ合う摩擦音が響く。
 床を走り壁を跳び天井を蹴る、前後左右どころか上下からも繰り出される全方位空間攻撃に秋芳の衣類はぼろ雑巾のように散り散りになり、全身に血が滲む。

「……妙に硬いな、なにか防御呪文でも唱えたか?」

 両手で正中線をガードし、甲羅に閉じこもる亀のように守りを固めた秋芳の全身は鉤爪による切り傷だらけだが、最初に腕に受けたよりも軽い負傷ですんでいる。

「無駄な足掻きを。どこもかしこも傷だらけ、だが死には至らない気分はどうだ? 出血多量で死ぬのは時間の問題だぞ。獣の速さと力を備えたヴリカラコスである私に勝てる人間なぞ存在しない」

(まだだ……。もう少し、時間が必要だ)

 鉄壁の守りを維持したまま口だけ動かす。

「……おまえたちが俺たちをだしに賭けをしたように、俺たちもおまえたちである賭けをした」
「ほう、どんな賭けをしたのかね?」
「あんたら二人の関係さ。父と娘を演じていたが、実際のところはどういう関係なのかとね。本当に親子なのか、父と娘なのか、母と息子かもしれない、あるいは祖母と孫、祖父と孫娘、それともまったくの赤の他人なのかってね」
「フハハハハ! 知らずに人の生を終えるのも哀れだろうから教えてやる。私たちは――」



 平原、山地、河川、湖、街道、市街地、海原――。
 今からおよそ半世紀ほど前、アルザーノ帝国とレザリア王国は各地で激しい戦いを繰り広げていた。
 世に言う奉神戦争だ。
 時に攻め、時に退き、時に勝ち、時に負ける。
 一進一退の攻防がどこまでも続く。
 それはここ、嵐が丘でも同様だった。
 いつ終わるとも知れない長引く戦いにヨーグが心を荒ませていた時、漂泊民たちがやって来た。
 その漂泊民たちの中にいたフーラは美しい容姿と妖艶な踊りでヨーグを魅了し、暗黒神への信仰を勧誘した。
 終わりの見えない殺戮の日々に心を病んでいた者が闇への誘いに屈するのは、実に容易いことであった。
 暗黒神への供物と称し、反逆者や捕虜を串刺しにしたり、エリサレス教の信徒を聖堂にあつめて火を放ったりと常軌を逸した行為に走るヨーグ。
 さらにヨーグは実の娘であるヘルギを暗黒神への生け贄にし、妻であるソティーと共に吸血鬼化しようと試みたのだが、ソティーはそれを強く拒んだために吸血鬼化をまぬがれ、人としての生をまっとうできた。
 ソティーは儀式の前から精神が不安定になり、以前のヨーグと暗黒神を崇拝するようになったヨーグを別人と認識することで精神の安定をかろうじて保っていた。地下室にあった狂気を孕んだ日記はその時に書かれたものだ。
 ウンキという人物は最初から存在しない、フーラの筋書きの中だけの人物。倉庫にあった肖像画はヨーグの肖像画のキャプションを変えただけのフェイク。



「夜の美しさと芳しさをはじめて知ったあの時の気持ちは格別だった。おまえもすぐに知ることになるだろう」

 完全に勝利を確信しているヨーグは自身の境遇を饒舌に語った。自分が負けるなどとは露にも思っていない。

「んん? 半世紀ほど前? レザリア王国との戦いと言ったが、奉神戦争が終わった後も連中は攻めて来たのか」
「いいや、奉神戦争のまっただ中。より正確には四〇年前のことだ」
「なんだと?」

 ヨーグはどう見ても五十歳よりも上には見えない。奉神戦争の時にはまだ子どもだったはずだ。

「吸血鬼になった時点で老化は止まる。ということは……」
「ふふふ、この私こそが寡兵でレザリアの大軍を撃ち破ったと言われる『先代』さ」

 何十年も歳をとらずに生活していれば怪しまれる。頃合いを見て亡くなったことにして、父から家督と名前を継いだ息子としてヨーグはこの地に君臨し続けているのだ。

「では少数の兵でレザリア軍を撃ち破ったという話にもいささか語弊がありそうだな」
「そうだな、たしかに少数ではあったが兵ではない。あの侵略者どもを殲滅したのはこの私とフーラのふたりでだ」
「たったふたりで軍隊を殲滅!?」
「この力をもってすれば、鈍重で脆弱な人間を狩ることなぞ稲穂を刈り取るよりも簡単だ」
「あの時の戦いはとても楽しかったわ」

 セリカと刃を交わすフーラが話に入ってきた。

「二〇〇年もの長い歳月を夜のしじまと共に静かに暮らしていたのに、いきなり合戦の檜舞台に立てたのですもの」
「あの人狼化、ヴリカラコスとか言ったね。あんたはヨーグみたいに獣にはならないのかい」

 光闇の刃を真銀の剣で打ち払いながらセリカが問う。

「わたしの氏族(クラン)はヴリカラコスではないの。ああいう一芸に長けたような闇の賜り物はないのよ。その代わり、いろんなことができるわ」

 フーラが手をかざすと無数の蝙蝠が召喚され、セリカに殺到した。これは通常の召喚魔術ではなく、狼や鼠といった動物を呼び出すことのできる吸血鬼固有の特殊能力だ。
 それゆえ【イノセント・クローズ】により魔術の使えない状態でも行使できる。

「《風よ》」

 セリカの周囲を颶風が吹きすさび、群がる蝙蝠を吹き飛ばす。

「おい、あぶないぞ! 室内でそんな呪文を使うな」

 風で飛ばされた調度品に打たれた秋芳が抗議の声をあげる。

「だからこうして邸が壊れないように加減してるんじゃないか」

 事実セリカは手加減をしている。この【ウィンドストーム】。本来ならば竜巻の周囲に真空の刃を広範囲にわたって出現させ、範囲内の物体を無差別に切り刻むものなのだ。

「部屋が壊れないレベルで手加減しろ、どうせやつらには魔術が効かないんだからな。――二〇〇年も吸血鬼をやっていたのか、ヨーグよりも先輩というわけか」
「ええ、そうよ。とても長い長い刻を過ごしてきたの、退屈で死にそうになるくらいに」
「たかが二〇〇年程度でずいぶんと大げさだな」
「たかが、ですって? わずか一世紀足らずで老い衰え寿命を迎える、定命の者からすれば永遠ともいえる時間でしょう?」
「あいにくと俺の故郷には仙人という不老不死の人たちがいてな、なにも人の血を吸って他者の生命力を奪わなくとも、修行をつんで仙人になれば永遠の生を得られるんだ。仙人になれば霞を食べるだけで生きていける」
 
 霞を食べる、というのは天地に満ちる気。マナや霊力をエネルギーとして摂取するということだ。人の血肉どころか動物の肉を食べる必要もない。だが酒を飲んだり、美味佳肴を食す楽しみを捨てることはない。

「吸血鬼というやつはどうしてこう、たかが二、三〇〇年生きただけで『人生は退屈だ』とか『永遠の生は苦しみだ』とか言い出すんだろうな。宵っ張りの人生を楽しめよ」
「…………」
「漂泊民といったが二〇〇年の間にさぞかし多くの土地を巡り歩いたんだろうな。サイネリア島の椰子の実や、リリタニアの鯉を食べたことはあるか?」
「イテリアとヨークシャーの間を、何度も行き来したわ。わたしたちが口にするのはただひとつ、定命の者の生き血のみ」
「なんだ、セルフォード大陸から出たことがないのか。そんな引きこもりの上に偏食生活していたら退屈するのは当然だ」
「…………」

 道教の仙人は千年万年と生き続けても退屈するということがない。
 雲に乗って広い大陸を旅してまわる。
 西湖の霧、娥媚山の雲、武陵源の山々、青海の花畑……。いたるところに絶景がある。
 また一〇〇年後にでも訪れるとしようか、どう変わっているのか楽しみだ。
 数百年も経てば歴史は移り変わり、王朝は興亡する。
 それにかかわる人々の運命も変転する。
 どの時代にもすぐれた芸術家や学者があらわれて、書画を描き、誌を吟じ、楼閣を建て、音楽を奏でる。
 それらを鑑賞するだけでも飽きない。
 有名な仙人は皇帝や王といった時の権力者をからかったり、妖怪をやっつけたり、古い美酒を飲んだりして楽しむ。
 春は桃や牡丹の花を見て、夏は滝のそばで涼しく過ごし、秋は紅葉を見物し、冬は雪景色を愛でる。
 退屈などと無縁に、永遠の生を大いに楽しむのだ。
 羅公遠という仙人は唐の玄宗皇帝を月へつれていった。いつどこで生まれたか誰も知らないが、容姿は十代の少年のようで、天下を旅して酒と音楽を楽しんでいた。
 などという話がいくらでもある。

「――修行をつんで仙人になれば不老不死となり、霞を食べて生きていける。たった二、三〇〇年生きた程度で人生の重さ苦しさに耐えきれないだの、血を啜らなければ生きていけないだの、吸血鬼というのはなんとまあ、陰気でつまらない連中だ、修行が足りん」
「……口の減らない人ね。ヨーグ、遊んでいないでそろそろ片づけてしまいなさいよ。この女、手ごわいの」
「先輩からの注文だ。そろそろ終わりにしようか、騎士爵どの」
「《魔力よ・集いて剣となれ・其は至高の利刃なり》」

 秋芳の手にマナが凝縮し、尖形状の光刃が形成される。
 魔力を武器の形にする【フォース・ウェポン】だ。
 同様の魔術に錬金術の形質変化法と根源素配列変換を応用することによって、なにもないところから武器を生み出す【隠す爪(ハイドウン・クロウ)】 というものがある。
 ひとたび錬成すればマナの消費のない【隠す爪】とはちがって、維持している限り常にマナを消費する【フォース・ウェポン】ではあるが、基本的な威力が高いことにくわえて、純粋なマナによって作られた性質上、銀や魔力の宿った武器でしか傷つけられない高レベルのアンデッドや魔法生物にもダメージを与えることができる利点がある。

「なるほど【イノセント・クローズ】が防ぐのはあくまで魔術のみ。純粋な魔力の刃ならたしかに我が身に通じよう。だが、あたらなければ意味はない。人の身で獣の動きについてはこれらまい」
「《我・時の頸木より・解放されたし》」
「悪あがきを……」

 剛毛におおわれた獣の顔にもはっきりとわかる冷笑を浮かべ、ヨーグが突進した。【タイム・アクセラレイト】によって驚異的な加速を得たとしても、焼け石に水。
 地力の差が大きすぎて、魔術をもちいてもヨーグの、ヴリカラコスの獣速に追いつくに至らない。
 もう、一歩。いや、三歩ほど足りない。
 魔力の刃が振り落とされるより前に、鉤爪が秋芳の身体を引き裂く。
 一瞬の後におのれの爪が血肉に沈む感触を想像しつつ、鉤爪を振るったヨーグの脳天に秋芳の刃が振り落とされる。

「――ッ!?」

 速い。
 一瞬どころか半瞬の速さで秋芳が動いたのだ。
 とっさに上げた両腕でガードしなければ、頭を断ち割られていただろう。
 秋芳の血肉を吸うはずだった二本の腕が、血の糸を垂らして床に転がり落ちた。

「GUGAGUGAAAaaaッッッ!!」

 痛みと怒り、驚愕の入りまじった雄叫びをあげて喉笛に噛みつく。たとえ鉤爪が失われても鋭い牙が 残っているのだ。
 だがそれよりも速く秋芳の刃が閃いた。
 袈裟斬り、右胴、右斬上げ、逆風、左斬上げ、逆胴、逆袈裟。
 顔面、首、胸への突き。
 一瞬七斬三突。
 七つの斬撃と三つ刺突を〝ほぼ同時に〟受けたヨーグが全身から血を噴き上げる。

「なん……、だと……?」

 【タイム・アクセラレイト】によって加速した術者は効果が切れた後に魔導第二法則によってズレた時間の分だけ帳尻を合わせるため今度は時間が減速する。
 では先に減速魔術をかけた場合はどうか?
 減速効果が切れた後に加速状態になる。それでも前述したように【タイム・アクセラレイト】だけではヨーグの速さにわずかにおよばない。
 そこで秋芳は圧縮された時間が解き放たれると同時に、あらためて【タイム・アクセラレイト】を唱えたのだ。
 いわば一種の重ねがけである。
 数倍速の、さらに数倍。
 これによりヨーグを上回る速度を得られたのだ。
 減速状態の時はまともな回避行動ができないため、見鬼による気の流れを読む【先読み】に集中。
 致命傷になるようなヨーグの攻撃を見抜き、鉄布衫功でひたすら防御に徹して反撃の機会を待っていたのだ。
 試みは見事に成功。相手の速さを逆手にとって真っ向からの交差法で斬り飛ばした。
 セリカのほうを見れば、こちらも終焉を迎えようとしていた。
 ヨーグの敗北に不利と判断したフーラが霧に変じて逃走しようとしていた。
 だが、遅い。
 すぐさまセリカの追撃を受けるだろう。
 そう思って静観を決め込んでいると、なんとセリカが膝をついたではないか。
 そのままくずれ落ちるように倒れ伏してしまう。

「おい、どうした!?」 
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