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マルクス通りにはならない

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第一章

               マルクス通りにはならない
 昭和四十年代前半のことだ。前川助平、ある公立高校で理科を教えている彼には奇妙な癖があった。それは自分の授業の間でも急にだ。
 共産主義のことを語りだすのだ、それで学生達からはマルクス親父という仇名で呼ばれている。
 この時もそうだった、急にマルクスの話をしだした彼を見て学生達はまたかという顔でひそひそと話した。
「またかよ」
「またよね」
「マルクス親父のマルクス論はじまったよ」
「こうなったらもう授業そっちのけだから」
「授業が終わるまで続くぜ」
 そのマルクス論がというのだ。
「資本主義は終わりだとか」
「このまま独占資本主義が突き詰められていって」
「革命が起こって見事共産主義」
「それで労働者と農民の国になる」
「階級も貧富の差もない誰もが平等な国」
「そうなるって」
 そうした話になるというのだ、そして実際にだ。
 前からは家鴨に似た口に眼鏡をかけた顔で言い出した、七三分けの髪の毛にスーツが如何にも学校の先生らしい。
「このまま日本も資本家が力をつけていく」
「そして富を独占するんだ」
「独占資本が形成される」
「世の中は資本家と労働者に二分されるんだ」
 これが地主と小作人になったりもする。
「そしてそこで革命が起こる」
「労働者、つまりプロレタリアが立ち上がるんだ」
「そして革命で資本家も資本家の政府も倒してだ」
「日本は遂に共産主義国家になるんだ」
 こう言うのだった、しかし学生達はというと。
 その話を聞いてもだ、どうかという顔だ。そして。
 彼の授業の後でだ、こんなことを話すのが常だった。
「本当かね」
「本当に日本は共産主義になるのかしら」
「ソ連みたいな国に」
「あの国満州に攻め込んだよな」
「うちの祖父ちゃんソ連は駄目だって言ってたぞ」
「うちの父ちゃんもだよ」
 彼等の親達が家で言っていることも話した。
「ソ連は酷い国だってな」
「ずっと日本に何かしようとしてる」
「革命で沢山の人を殺すって」
「天皇陛下にも何をするかわからない」
「共産主義になったら天皇陛下どうなるの?」
「やっぱり殺されるんじゃ」
「資本家の人達は」
 その倒されるべき彼等のことも話される。
「殺されるの?」
「共産主義って神様も仏様もないっていうし」
「えっ、うちお寺だぜ」
 寺の息子はその指摘に驚きの声をあげた。
「じゃあうちも駄目か」
「そうだろ?あの先生宗教は阿片とか言ってたぞ」
「何か打倒しろとか言ってただろ」
「じゃあお坊さんも駄目だろ」
「勿論神主さんも」
「悪い資本家や地主と一緒だろ」
「うちの父ちゃん何も悪いことしてないぞ」
 寺の息子は周りの指摘に必死に言い返した。
「殺される様なことは」
「けれど共産主義になったらそうなるんだろ」
「革命の敵だとかいうことで」
「あの先生そんなの言ってただろ」
「革命に反対するなら全部敵だって」
「敵は全員粛清だって」
「冗談じゃない、そんなことは」
 寺の息子はまた言った。
「何も悪いことはしていないのに殺されるとか」
「共産主義って怖いな」
「何かそうなったら大変なことになりそう」
「ソ連って何か暗いし冷たそうだし」
「満州も攻め込んだし」
「そんな国になったら」
「日本はどうなるのかしら」
「そんな怖い思想なんて」
「誰が信じるんだよ」
 多くの生徒は前川の『演説』からこうしたものを感じていた。だが本当に共産主義になるのかと恐れもしていた。 
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