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いろいろ短編集

作者:ゆいろう
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久遠の記憶、憧憬の景色。

 
前書き
原作:咲-Saki-
百合、久×憧です。 

 



 いよいよ、インターハイの決勝、その中堅戦が始まろうとしていた。


 いつもより早めに控え室を出て、私は誰もいない決勝卓で座っていた。


 これから始まる中堅戦。三年間の集大成。
 その戦いを想像して胸を躍らせながら、私にはもう一つ、楽しみがあった。


 昔に出会った、一人の少女。
 彼女と三年ぶりに、会えるのだ。


 テレビで何度も見てきたけど、その姿はあの頃とは見違えるほど可愛くなっていた。


 きっと彼女の方は、私のことなんて覚えていないだろう。


 だからこれは、私だけの楽しみ。




 目を閉じ、当時の記憶を呼び起こす。




 それは、私が中学三年生の時。




 初めて訪れた地で出会いを果たした。




 一人の少女との、記憶。




――――――


――――


――




 両親が離婚した。
 最後のインターミドル、県予選最中の出来事だった。

 以前から両親の夫婦仲は良好とは言えなかったが、あまりにも突然の事後報告に気が動転した。
 インターミドルどころではなかった。


 大会に行かず両親を説得したが、二人の答えは変わらなかった。


 私は最後にひとつ、ワガママを言った。



 ――最後に家族三人で旅行をしたい。



 両親は、私のワガママを渋々ながら承諾してくれた。


 お父さんは、有給をとってくれた。
 お母さんは、色々と計画を立ててくれた。


 そして、夏休みが明けたあとの平日。


 私は学校を休んで、家族旅行に出かけた。




***




 旅館に来ても、両親は飽きもせず口喧嘩をしていた。
 これで家族で過ごすのは、最後になるのかもしれないというのに。


 私は口論の板挟みとなって、居心地が悪かった。
 それでも、この家族旅行を楽しい思い出にしようと、私は二人の仲裁を図った。


 結果は、ダメだった。
 お前には関係ないと一喝され、完全に心が折れてしまった。


 もう私達は、家族ではないのだと。
 全く関係のない、赤の他人なのだと。


 そう言われているような気がして、私は喧嘩する両親のもとを去り、知らない土地をあてもなく駆け回った。


 一人になりたい。
 その一心で、人のいない方に向かってずっと走っていた。


 ようやく人っ子ひとりいない公園にたどり着き、そこの芝生でしばらく寝そべった。


 今はもう、何も考えたくない。
 ただボーッと、真っ青な空を眺めていた。


 空はこんなにも平和な色をしているのに、どうして両親は喧嘩ばかりするのだろう。


 気がつけば、あのどうしようもない両親のことを考えていた。
 あぁもう……嫌になる。


 考えるのをやめる。
 私はゆっくりと目を閉じ、意識を落とした。





 目を開けると、綺麗なオレンジ色が視界に飛び込んできた。
 いつの間にか寝ていたらしい。気がつけば夕方になっていた。


 立ち上がり、服についた芝を手で払う。
 グーっと背伸びをして、身体を覚醒させる。


 そろそろ、両親のところに帰らないと。
 喧嘩していた両親だけど、きっと今ごろ、いなくなった私を心配しているだろう。


 そう思い、旅館に帰ろうと一歩踏み出した。


 しかし、二歩目が踏み出せなかった。


「……ここどこ?」


 帰り道が、わからなくなっていた。


 何も考えずにここまでやって来たため、どっちに向かって歩けば帰れるのか、全くわからない。


 とりあえず周囲を見渡す。
 人っ子ひとりいない公園。当然だ、一人になりたくてここに来たのだから。


「そうだ、ケータイ!」


 ゴソゴソとポケットを漁るが、何の感触もなかった。
 サイフもケータイも持っていない。旅館に置いてきてしまった。


「やばい、どうしよう……」


 途方に暮れ、上を向く。
 空はオレンジ色に染まっていた。


 コツ、コツ。
 どこからか微かに、足音が聞こえた。


 耳を澄ませて、音に集中する。
 足音は、だんだんと大きくなってくる。


 やがて、その人物の姿を視界に捉えることができた。


 赤色の襟の、セーラー服。
 自分と同じ、女子中学生だろうか。


 公園の外にある歩道を歩く少女に、私は道を訪ねようと近づいて声をかけた。


「あのー」


 少女が振り向く。
 まだあどけない表情の少女だった。


 ツーサイドアップのように二箇所で結んでいる、クリーム色の短髪。
 活発そうで、どこか生意気そうな顔。
 セーラー服を着ているが、どちらかと言うとセーラー服に着られている感じのする、まだ幼い少女だった。


「……なんですか?」


 少女の声からは、警戒心が見てとれる。
 それもそうだ。見知らぬ人にいきなり声をかけられたら、誰だって警戒する。


「あ、えっと、怪しい者じゃないわよ?」
「……」


 少女は警戒心がいっそう強めたように、ジト目で私を見てくる。
 その視線で、私はさっきの発言が完全に失策だったことに気づいた。


 自分から怪しくないと言うなんて、どう考えても怪しいじゃないか。


「えっと、その、違うの」


 自分でも、何を言っているのかわからなくなる。
 なにが違うというのだ、なにが。


「警察呼ぶわよ?」
「違うから! 私、今道に迷っているだけなの! だから道を教えてほしくて!」
「それなら尚更、警察呼んだ方がよくない?」
「それは確かに……ってダメよ! 不審者だと思われちゃうじゃない!」
「不審者って自覚はあるんだね」


 少女はケラケラと無邪気に笑う。
 笑われるのは癪だけど、警戒心は和らいだようで安心する。


「えっと、私、本当に道に迷ってるんだけど……」
「その歳で迷子? おねーさん高校生だよね?」
「うるさいわねガキンチョ」


 バカにされ、ついつい頭に血がのぼってしまう。
 ガキンチョ呼ばわりが気に障ったのか、少女の方も反抗してきた。


「ガキンチョじゃない、中学生になったもん!」
「なったってことは、中学一年生?」
「な、なんで分かったの!?」
「バレバレよ。ちなみに私は中学三年生、まだ高校生じゃないわよ」


 会話の流れで、少女の学年を知ってしまう。
 だから私も、少女に自分の学年を打ち明けた。


 私の学年を聞いた少女は、目を大きくして驚いていた。


「へぇー、中三なんだ。なんだか大人っぽいね、おねーさん」
「そうよ。だから、目上の人には敬語で話さないとダメよ」
「えぇー敬語めんどくさい」


 敬語を使わない少女にそう注意するが、少女は不満気な表情だった。


「ダメよ、大人になったときに困るから」
「説教臭い……そんなこと言うおねーさんには道教えてあげないからね!」
「ごめんなさい私が悪かったです! お願いだから道を教えて!」


 道を教えてくれないと、本当に困る。
 こればかりは仕方ない。


 不本意ではあるが、年下相手に下に出る。


「どうしよっかなー? おねーさんがどうしてもって言うなら、教えてあげよっかなー?」
「お願いします! この通り!」


 口調から、からかっているのは承知なんだけど、それでも道を教えてもらうしかなかった。


 私は少女に頭を下げてお願いする。
 年下に頭を下げるなんて、普段の私ならありえない。


「じょ、冗談だって! 顔上げてよおねーさん!」


 やはり冗談だった。
 このガキ……後でとっちめてやる。


「それで、どこに行きたいの?」
「えぇっと、ミカンだったかな? そんな感じの旅館」


 少女の問いに答えると、少女はこれ以上ないほど呆れたような表情で私を見つめた。
 仕方ないじゃないか、旅館の名前なんて覚えていない。


 何か閃いたように、少女が顔をハッとさせた。


「ミカンって……あっ、もしかして松実館(まつみかん)?」
「そうそう、それよ! 松実館! 知ってるの!?」


 少女の言葉で思い出した。
 宿泊先に選んだ旅館は松実館だった。


「友達の家なんだ! おねーさん、もしかして旅行で来たの?」
「そうよ、家族旅行」


 もはや家族旅行と言っていいのかわからない位、ひどい有様ではあるけど。


「学校サボって?」
「まぁ、サボりで合ってるわね」


 今日は平日。通常なら学校がある。
 しかし、学校より家族の時間を大切にしたかったのだ。


「うわー、おねーさん不良ってやつだー」
「不良じゃないわよ! いいから早くその松実館までの道教えてよ!」


 いつまで経っても道を教えてくれない少女に吠える。


 すると少女はあっけからん顔で、こう言ってのけた。


「あぁ、松実館なら帰り道の途中にあるから、案内してあげる」
「本当!? ありがとう! えぇっと……」


 思わぬ幸運に、私は歓喜する。


 案内してくれるという少女にお礼を述べるが、続きの名前がわからない。



(あこ)だよ、新子(あたらし)憧。私の名前」



 言葉に詰まっていると、察してくれたのか、少女が自ら名乗ってくれた。


「憧ちゃんね、可愛い名前じゃない。私は――」


 名乗ろうとして、思い出す。


 既に両親の離婚は成立していて、私の親権は母親にあることを。
 名字が変わってしまったことを。


 でも、この家族旅行の間だけは――


「――私は、上埜久(うえのひさ)。よろしくね」


 旧姓を名乗ることを、許してほしい。


「じゃあ久、案内するからちゃんと付いて来てね! じゃないとまた迷子になるよ!」
「もう迷子にならないわよ! あっ、憧ちゃん待って! 置いていかないで!」
「久が遅いんだよ! 早く来ないと置いてっちゃうよ!」
「憧ちゃん、待ってー!」


 走って遠ざかっていく、ついさっき出会ったばかりの少女――憧ちゃんを、私は必死に走って付いていくのであった。




***




 昨日出会った少女――憧ちゃんに案内され、私は無事に両親の待つ松実館にたどり着いた。


 憧ちゃんにお礼を言って別れ、両親のもとへ戻ると、両親は帰ってきた私に無関心だった。


 何も話しかけてくれなかった。
 どこに行ってたんだ。心配してたんだぞ。
 そんな言葉すら、かけてくれなかった。




 起床する。
 旅館で目覚める朝というのも、なかなかに新鮮だ。


 しばらくすると両親も目を覚ました。
 支度をして、三人で朝食の用意されている広間へと向かった。


 朝食の席でも、両親は言い争っていた。
 目玉焼きに醤油かソースかなんて、どっちでもいいじゃないか。


 そんな下らないことですら、本気の喧嘩を繰り広げる両親。
 広間にいる他の宿泊客からの視線が、私に寄せられる。


 それは、同情の視線。
 両親の口論の間で板挟みになっている私への、哀れみの感情。


 その視線が、ものすごく嫌だった。


 私は早々に朝食を平らげ、未だ言い争っている両親を残し、広間をあとにした。




 その後、部屋に戻って着替え、外出の準備を済ませたら、私は松実館の外に出た。


 まだ朝の八時過ぎ。
 子供達が通学している姿が、チラホラと見受けられる。


 今日は、何をしようか。
 勢いに任せて旅館を出てきたけど、何も決まっていなかった。


 サイフとケータイは持っている。
 昨日のような失態はしない。


 さて、これからどうしようか。


「あれ、久?」


 予定を思案していると、声をかけられた。


 初めて訪れるこの地で、私の名前を知っているのは――


「憧ちゃん、おはよう」


 彼女、新子憧だけだ。


「おはよう。こんな朝早くから何してるの?」
「うーん……散歩?」
「うわー、年寄りくさー」


 この憧ちゃん。私より二つ年下なんだが、どうも私に対して遠慮がない。
 昨日初めて出会ったときも、こんな感じで人懐っこい子だった。


「悪かったわね。憧ちゃんは、これから学校?」
「うん。不良の久とは違って、私は真面目だから」


 えっへん、と聞こえそうな自慢気な表情をして、憧ちゃんは胸を張る。


「久は、これから観光?」
「……ええ、そのつもりよ」
「一人で? お父さんとお母さんは? 家族旅行なんでしょ?」


 一人でいる私に疑問を抱いたのか、憧ちゃんにそう尋ねられる。


「お父さんとお母さんは、疲れたちゃったみたいなの。だから一人で観光よ」
「ふーん、そうなんだ」


 ついつい、嘘をついてしまう。
 家庭の事情なんて、昨日出会ったばかりの彼女に話すことではないし。そもそも正直に話したところで、変な気を遣わせるだけだ。


「じゃあ、私が久の観光に付き合ってあげる!」


 何を思ったのか、憧ちゃんは唐突にそんな提案をした。


「いやいや、学校なんじゃないの?」
「サボる!」
「いや、私が言えることじゃないけど、ちゃんと学校には行かなきゃダメよ?」
「いいの! こう見えて私頭いいから、一日休んだって大丈夫なの!」


 そういう問題じゃないんだけど……。


「あぁもう! 私が付き合うって決めたからいいじゃん! 久には関係ないでしょ!」


 久には関係ない。
 そう言われて、胸がチクリと痛む。


 昨日、両親にも言われた言葉。
 そう言われてしまっては、私には何も反論することができない。


「……ふん、好きにすればいいじゃない」
「やったー! ねぇねぇ、どこ行くの!?」
「別に、どこでもいいわよ」


 半ば諦めたような私とは対照的に、あからさまに喜びを見せる憧ちゃん。
 学校をサボることが、そんなに嬉しいのか。


 そういえば、憧ちゃんは制服だった。
 さすがに、この姿のままで一緒に行動するのはマズい。


「まずは、その服をなんとかしないとね」
「服? あっ、制服のままだとマズいもんね」


 憧ちゃんはすぐに私の意図に気づく。
 瞬時に理解できるなんて、本当に頭が良い子なんだろう。


「そうね。だからまずは、憧ちゃんの服を買いに行きましょう」
「えっ、いいよそんな。家に帰って着替えてくるから」
「今から帰って、両親になんて説明するの? 学校サボって遊んできます?」
「うっ、たしかに……」


 私の指摘に、憧ちゃんはガックリと肩を落とした。
 頭が良いのか悪いのか、よくわからない。


「でしょ? だから服を買いに行くの」
「でも私、そんなにお金もってない……」
「いいわよ、久おねーさんが買ってあげる」
「本当!? ありがとう、久!」


 あえて自分のことを久おねーさんなんて言ってみたのに、目の前の少女はそう呼んではくれなかった。


 しかも、私が買ってあげると言うやいやな、すぐさま食いついてきた。
 まったく、現金な少女だ。


 自分から言いだした手前、買ってあげるつもりだけど。
 サイフの中にはそれなりに入っているし、大丈夫だろう。


「ほら久、早く行こうよ!」


 よっぽど楽しみなのか、憧ちゃんが先に歩いていく。
 洋服店の場所は知らないし、先導してくれるのはありがたいのだけれど。


「あぁもう、待ちなさい!」


 私を置いていくのは勘弁してほしい。
 でないと、昨日みたいにまた迷子になってしまう。


「久おそーい! 早く早く!」


 先を行く憧ちゃんを見失わないよう、私は必死に歩いて追いかけるのであった。




***




 昨日、公園で道を訪ねてきた、二つ年上のおねーさん――上埜久。


 今朝、通学途中でまたしても出会い、私は学校をサボって久の観光に付き合うことを決めた。


 久の印象を一言で言うと、カッコいいだった。


 おさげのように両肩あたりで結ばれた、長い赤色の髪の毛。
 私より頭ひとつほど高い背丈。
 そして何より、落ち着いた大人の雰囲気を漂わせる。そんな大人のおねーさんだった。


 昨日、久と公園で話をしてわかったことがある。
 久と会話をするのは、とても楽しい。


 敬語を使わない私に怒りもせず、自然と受け入れてくれる。
 だから私も、年上の久に対して自然なやり取りをすることができた。


 それが、なんだか心地良くて。


 気がつけば私は、久みたいな女性になりたいと、憧れすら抱いていた。


 だから今日、松実館の前で久を見つけた時も、ついつい声をかけた。
 そして、学校をサボってまで久と一緒にいることを選択した。


 久も学校をサボって旅行に来たのだから、彼女に近づくために私も同じようにしたまでだ。




 そうして、学校をサボった私は久と少し遠出をして、市街地の方までやって来た。


 そこにあるショッピングモールに入り、洋服店で服を選んでいる。
 久が買ってくれるというので、ありがたく買ってもらうことにしたのだ。


「ねー久、どれがいいと思う?」
「……安いのにしてよね」


 久はサイフの中身を確認しながら言う。
 もちろん、買ってもらう手前、それほど高いものには手を出さないつもりだ。


 私は今、制服の上に久の着ていたパーカーを羽織っている。
 これすると学校をサボっていると、見られないと、久が貸してくれたのだ。


「早く選んでよね、この格好恥ずかしいんだから」


 だから久は今、上はオシャレなTシャツ一枚だけという格好だった。
 けっこうピッタリめの服で、久のスタイルがクッキリと浮き彫りになっている。


 腰のくびれがハッキリと見てとれ、大きくはないが形のいい胸も衣服越しに目立っている。


 私は久みたいにスタイルがよくない。
 まだ中学一年生というのもあるが、久みたいなクッキリとしたくびれもなく、胸だって膨らんでいない。


 同い年でとてつもない胸をしている女の子を知っているだけに、子供体型の自分が悔しくなる。


 その子みたいになるのは、どう足掻いても無理だとわかる。
 だからいっそう、久のスタイルに私は憧れを抱いた。


「うーん……ねぇ、久が選んでよ」
「私が?」
「うん。久ってスタイルいいし、服もオシャレだし。私、久みたいになりたいな」


 そう言うと、久は困ったように眉をひそめた。


「私みたいになっても、良いことなんてないわよ?」
「いいの、私が久みたいになりたいって思ったんだから」


 すると久は、少し考えて、一着の服を手にとった。


「これなんか、憧ちゃんに似合うんじゃない?」


 久がとったのは、少し派手めな黒のTシャツだった。
 シンプルなものが好きな私だと、まず選ばないようなものだった。


「わかった、それにする」


 決断は早かった。
 これを着れば、少しだけ久に近づけるような気がしたから。


「あとは……その上にこのピンクのカーディガンなんてどうかしら? これから寒くなってくるから、制服の上からでも着られるわよ?」


 制服の上からでも着られる。
 久の小さな気遣いが、私は嬉しかった。


「うん、じゃあそれも買う」
「お金を出すのは私だけどね」


 ガックリと肩を落とす久だが、心底嫌がってるというわけではないと思う。
 ていうか、こんなに良くしてもらって、申し訳なくなってくる。


「あとは、それに合うようにスカートを選んで……これなんか良いんじゃない?」
「うん、それでいい」


 今のところ全てに頷いているけど、私はその全てが気に入っていた。


「……本当にこれでいいの?」
「うん、久が選んでくれたのなら、何でもいいよ」
「何でもって……人の意見にハイハイ頷くだけじゃダメよ? 少しは自分の意見も持たないと」


 あまりにも素直すぎたのか、久が呆れた様子で私を見つめた。


「大丈夫。私、割と言いたいことはハッキリ言う方だから。久の選んでくれたものなら受け入れる、それが今の私の意見なの」


 まっすぐに久を見つめ、私はそう言った。
 それが今の私の、嘘偽りない本心だから。


「そう。じゃあ、試着してきなさい」
「はーい」


 久から服を受け取り、私は試着室へと入っていった。


 制服を脱ぎ、久に選んでもらった服に着替える。
 鏡を見て、変わった自分の姿を確認する。


 服はオシャレなんだけど、今の私には不釣り合いなように感じた。
 私自身が幼すぎて、服に負けているような気がする。


 カーテンを開け、久にも見てもらう。


「……どう?」
「うーん、やっぱり憧ちゃんにはまだ早すぎたかな。服に着られてる感じがするわね」


 やっぱり、久も同じような意見だった。


「髪型かな……今の髪型だと、少し子供っぽいのよね」
「ううっ……知ってるわよ」


 やはり今の短い髪は、子供っぽいのか。


「憧ちゃんの場合、髪を伸ばしたほうが似合うと思うわ。顔は可愛いほうなんだし、伸ばせばきっと似合うわね」
「わかった、髪伸ばす」


 久も髪が長いし、髪は女の命とも言う。


 私はこの時、髪を伸ばす決心をした。


「体型は、これから段々変わっていくから心配しなくても大丈夫よ。数年後にはきっとスタイルもよくなるわ」
「うん、頑張る」
「うんうん、憧ちゃんは素直でいい子ね」


 フワッと、温もりに包まれた。
 気がつくと久が、私の頭を撫でていた。


「な、撫でるなー! セクハラで訴えるぞ!」
「おぉ、怖い怖い」


 おどけるように怖がりながらも、久は私の頭を撫で続けた。


「うぅ……ふきゅ」


 やばい、変な声もれた。


 嫌だといいつつも、それほど嫌なわけではなかった。
 久の手は温かくて、撫でられていて心地良かった。


 やがて、久の手が頭から離れる。


「あっ……」
「なに? もっと撫でてほしかった?」
「べっ別に! そんなわけないし!」
「そう。じゃあ会計に行きましょう。約束通り、その服買ってあげるから」


 本当はもう少し撫でてほしかったけど、恥ずかしくてつい嘘を言ってしまった。


 それから試着室を出て、私は久に服を買ってもらった。




***




 気づけば昼過ぎとなり、私は久と昼食をとることになった。


 先ほど久に買ってもらった服に着替え、気分はとてもいい。


 久は私に貸していたパーカーを着て、さっきまでのTシャツ姿ではなくなった。
 もう少しさっきまでの久を見ていたかったけど、本人が恥ずかしがっていたので仕方ない。


 今はショッピングモール内のファミレスに入り、二人で昼食をとっている。


 ここでも私は、久にお金を出してもらうことになった。


 昼食を食べるお金ぐらいは持っているのだが、久は自分が払うと言って聞かなかった。


 私は素直に久の厚意に甘えることにした。


 メニューは、久と同じものを頼む。


 久は好きなものを食べていいのよ、なんて言ってきたけど、久と同じものが、今私が一番食べたいものだった。


「憧ちゃんって、部活とかしてるの?」


 パスタをフォークで巻きながら、久が尋ねてきた。


「麻雀部に入ってるよ」
「麻雀か。それじゃあ私と一緒ね」


 久がニッコリと笑う。
 私は、久と一緒という事実が、何だか嬉しかった。


 フォークに巻いたパスタを、久が口に運ぶ。


「久も麻雀部なんだ。強いの?」
「んー……強いんじゃない?」
「へぇー、どれくらい?」
「どれくらいって言われても……そんなのわからないわよ」


 パスタを咀嚼しながら、久は困ったようにそう答えた。


「プロより強い?」
「さすがにそこまで強くないわ。同学年の人と比べたら、そこそこ強いんじゃない?」
「ほぇー」


 そう語る久の表情は、自信に満ち溢れていた。


 その自信がどこから来ているのか、私は知りたいと思った。


 私には、自信がないから。


 一つ上には、ドラを独占する子がいる。
 同学年には綺麗なデジタル打ちをする子と、猪突猛進といった力強い麻雀をする子がいる。


 そんな人たちと比べて、私には何があるのだろうか。


 わからない。
 でも、久と麻雀を打つと、何か掴めるような気がする。


「ねぇ久、今から雀荘行かない? 私、久と麻雀したい」
「えぇー、今から?」
「お願い! この通り!」


 手を合わせ、頭を下げて久にお願いする。


「はぁ。いいわよ、一緒に打ってあげる」
「本当!? ありがとう、久!」
「いいのよ。……っとごめん憧ちゃん、ちょっと電話出るね」


 久のケータイが鳴って、久が電話にでる。


 電話で話している久の表情はとても嬉しそうで、声も弾んでいた。


 お父さんとお母さんという言葉が聞こえてきたから、きっと電話の相手は家族なんだろう。


 電話が終わり、久がケータイを閉じた。


 そして私を見て、久は申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん、憧ちゃん! お父さんとお母さんが仲直りして、今から三人で観光しないかって。私今すぐ戻らないと!」


 久が頭を下げて、私に謝ってくる。


 仲直りって、久の両親は喧嘩でもしていたのだろうか。
 今朝、久から聞いたのは、疲れているってことだったのだけれど。


 何にせよ、久が家族との時間を大切にしたいってことは、十二分に伝わってきた。


「いいよ。じゃあ松実館に戻ろっか」
「本当にごめんなさい。またいつか、麻雀打ちましょう」
「わかった、約束だよ」
「うん、約束」


 久が右手の小指を立てて、私に近づける。
 それを見て私も、同じように右手の小指を立てて、久の小指に絡ませた。


『指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます! 指切った!』


 約束を交わす。


 自信をもって自分を強いと言う久。
 そんな彼女に並べるように、隣に立てるように、これから麻雀もオシャレも頑張っていく。


 昼食を食べ終え、店を出る。
 会計は、前言通り久が払ってくれた。


 今日は、何から何まで久にもらってばかりだった。
 お金がなかったので仕方ないけど、この恩はいつか何かの形で返さないといけない。


「憧ちゃん、ケータイもってる?」
「もってるけど、学校にもっていくのはダメだから、家に置いてる」
「そう。じゃあ、これあげるわ」


 久から一枚の紙切れを受け取る。
 そこには、アルファベットと数字が羅列して書かれてあった。


「私のメールアドレス。よかったら、いつでもメールしてきなさい」
「うん……! 家に帰ったらメールするね!」


 久のメールアドレスを手に入れた。
 出会ってから二日しか経っていないが、私の憧れた大人っぽいおねーさん。


「さ、戻りましょうか」


 ショッピングモールを出て、電車に乗って私たちは松実館に帰っていく。


 松実館に着くと、久の両親と思わしき二人が久を待っていた。
 久は両親のもとへと戻り、私たちは別れの挨拶をする。


「憧ちゃん、色々とありがとうね。楽しかったわ」
「私の方こそ、ありがとう。私も久と一緒に過ごした時間は、楽しかったよ!」


 久と過ごした時間は、本当に楽しかった。
 今日は、今まで経験したことのない経験をさせてもらった。


 やっぱり私は、久のようになりたい。


 これから麻雀も強くなって、オシャレになって。
 いつか胸を張って、久の隣に立つんだ。


「それじゃあ……またね」
「うん……またね」


 サヨナラとは言わない。
 また、どこかで会えることを信じて。


 家族で出かけていく久を見送る。
 その姿が見えなくなるまで、ずっと。


 やがて久の姿が見えなくなると、私は自分の家に帰っていった。




 その日の夜、久にもらったメールアドレスにメールを送ろうとしたが、なぜかメールが送信できなかった。


 たぶん、渡されたメールアドレスがどこか間違っていたのだろう。


 まったく、久はおっちょこちょいなんだから。




 メールは送れなかったが、寂しくなんてない。




 またどこかで、会えると信じているから。




――――――


――――


――




 長くなった自慢の髪を、櫛で梳く。


 いつものツーサイドアップの髪型に結び、手鏡で身だしなみを整える。


 今日はインターハイの決勝。
 その中堅戦がこれから、始まろうとしていた。


「なんか憧、いつもより気合い入ってるね」
「シズ……当然でしょ! 何たって決勝戦なんだから!」
「そうだね! やっと(のどか)と遊べるんだよね!」
「もち!」


 また和と遊ぶんだ。
 その一心で私は阿知賀に進学し、シズたちと麻雀部をつくり、ついにインターハイの決勝までやって来た。


 でも私には、もう一つの目的があった。


 シズたちには話していない。
 私だけの、大切な思い出。


 憧れたあの人に、久しぶりに会えるのだ。


「でも憧、いつもよりオシャレに気合い入ってない?」
(あらた)ちゃん、それはね。いつもよりテレビ映りを気にしてるんだよ!」
「ちょっと(くろ)、テキトーなこと言わないでよ」


 でも、いつもよりオシャレに気合いを入れているのは事実。


 あの人に会いにいくのに、中途半端な格好だけはしたくないから。


「うんうん、気合いが入ってるのはいいことだ。頼んだぞ、憧!」
「任せて晴絵(はるえ)! 思いっきりカマしてくるから!」
「憧ちゃん、あったかーい」
宥姉(ゆうねえ)……ありがと!」


 麻雀部の仲間から、激励を受ける。


 気合いも入った。
 準備もできた。


「それじゃあ、行ってくる!」


 仲間に見送られ、控え室を出る。


 あの人がいなくなってから、私は努力した。


 麻雀もオシャレも、あの人の隣に立てるように研鑽を重ねた。


 あの人は私のことを覚えているのだろうか。


 わからないけど、覚えてないなら思い出させるまでだ。


 そんな決意を胸に、私は決勝戦が行われるステージへと向かった。




***




 コツ、コツ。
 ローファーが床を踏む音がして、私は閉じていた目を開いた。


 思い出していたのは、三年前の記憶。


 家族旅行で訪れた奈良で出会った、一人の女の子。


 これからその子と、再会する。


 そういえば、初めて会ったときも、今みたいなローファーの音がキッカケだった。


 足音が、だんだんと大きくなる。


 この場には未だ私ひとりだけ。
 対戦相手の誰かが来たことは明らかだ。


 音の方向に目を向けなくても、私はその足音の持ち主が誰なのか、確信していた。


 音が最大限大きくなり、やがて聞こえなくなった。


「……久しぶり、久。私のこと覚えてる?」


 懐かしい声がして、目を向ける。


 あぁ、やっぱり彼女だ。


「久しぶり、憧ちゃん。大きくなったわね」


 久しぶりに目にした生身の憧ちゃんに、ふと目頭が熱くなる。


「よかった、覚えててくれたんだ」


 憧ちゃんは、若干涙声になりながらホッとしたように呟いた。


 そんなの、忘れるなんてあり得ない。


「もちろんよ。髪、伸びたわね」
「うん。久は、髪切ったんだね」


 憧ちゃんとの久しぶりの会話。
 なんだか、胸の奥が熱くなる。


「ほんとよく、私のこと覚えててくれたのね。名前変わっちゃったのに」


 出会ったとき、私は憧ちゃんに“上埜久”と名乗った。
 そのときにはもう竹井久だったのだけれど、私は上埜と旧姓のほうを名乗ったのだ。


「そんなの、顔を見ればわかるわよ」


 その言葉に、胸がジーンと熱くなる。


 あの時の記憶は、三年経った今でも色褪せずに強く、私のなかに残っている。


 憧ちゃんも同じだったのだと考えると、嬉しさがこみ上げてくる。


「ねぇ、あの時くれたメアド、間違ってたんだけど」
「嘘っ!? ごめんね! あぁ、それでいつまで経っても憧ちゃんからメール来なかったんだ」
「本当、しっかりしてよね」
「うん、ごめんね」


 出会った時の別れ際、私は憧ちゃんにメールアドレスを渡した。


 それからいつまで経っても憧ちゃんからメールが来なくて、私のことなんて忘れたのだと思っていたけど、まさかメールアドレスが間違っていたなんて。


「許さないわよ、久。罰として――」


 憧ちゃんはニヤリと口元を緩めて、少し顔を赤くして、言葉を続けた。


「あの時みたいに、頭撫でて……」


 そう言ったときには、憧ちゃんの顔はトマトのように真っ赤だった。


「ごめん、やっぱ今のなし――ふきゅ」


 なかったことにしようとする憧ちゃんの、頭を撫でる。
 あの時撫でたときと同じように、憧ちゃんから変な声がもれて懐かしくなる。


「ねぇ、私、可愛くなった?」
「うん、見違えるほど可愛くなったわ」
「このカーディガン、覚えてる?」
「もちろん覚えてるわよ、私が買ってあげたものよね」


 甘えてくるように質問を重ねる憧ちゃん。


 外見は見違えるほど可愛くなったけど、中身はあの時から変わっていない。


「あの時の約束、果たせてよかったわ」


 最後に交わした、憧ちゃんと一緒に麻雀する約束。


 あの時は両親との時間を優先してしまったが、こうして三年越しに果たすことができた。


「そうだね。私、強くなったから」
「知ってるわよ。憧ちゃんの試合、ずっと見てたから」
「……ありがとう」


 憧ちゃんがインターハイに出場してると知ったのは、阿知賀が注目された準決勝のときだった。


 それから憧ちゃんの前の試合を何度も見返したけど、かなりの実力をつけていた。


 きっと、相当な努力をしてきたのだろう。


 ギィっと扉が開く重たい音がして、他の対戦相手二人が入ってきた。


「さて、そろそろ始まるわね。負けないわよ、憧ちゃん!」
「私も、久には負けないから!」


 私と憧ちゃん、やって来た他の二人も卓につく。




『インターハイ決勝、中堅前半戦! スタートです!』




 約束の時間が、始まった。




 
 
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