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国木田花丸と幼馴染

作者:ゆいろう
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幼馴染という関係

 

 世の中には幼馴染という関係がある。それが同性との関係であれば、ただ仲の良い親友程度で片付けられる何とも普通の関係だ。しかしそれが異性の幼馴染となった途端、まわりの人間というのは変な勘繰りをしたがるのが常である。

 そういった関係なのかと、つまるところ恋愛関係にあるのかという問いは耳にタコができるほど聞かされた。もちろん答えはノーだ。幼稚園から現在の中学校まで全て同じところに通っているからといって、それがどうして恋愛に結びつくのか俺は理解に苦しむ。

 だからと言って、異性の幼馴染のことが嫌いというわけではない。そりゃあ幼稚園から数えると十年もの付き合いになるので、お互いの悪いところなんかは嫌でも目についてしまうというものだ。その逆も然りで良いところもよく知っている。

 俺から見たそいつの良いところは、他人を思い遣る優しい心を持っていて、見た目はそこそこ可愛い部類に入るところだろう。あと胸が同い年の中では結構大きい。逆に悪いところは、他人に気を遣いすぎるあまり自分の意見をハッキリと言えないところ。

 逆にそいつから見た俺の悪いところもたくさんあるだろう。見た目がチャラいだとか、見た目が怖いだとか、見た目がダラシないとか。事あるごとに見た目のことばかり言ってくる俺の幼馴染であるが、今の彼女の表情は明らかに馬鹿を見るそれだった。


「……また?」


 ジトっと蔑んだ視線で見つめられ、こいつに頼んだのは間違いだったとすぐに後悔した。だけど幼馴染である彼女は何かと頼みごとをしやすく、それに今回の頼みごとにおいて俺は彼女以上の適任者を知らない。

 なぜなら彼女は難しそうな本を読むことを好み、勉学においても俺の知る中で最も成績が良い。一言で表現するなら俺の幼馴染は頭が良いのだ。そう、頭の良い人に頼むしか選択肢はなく、そこで白羽の矢が立ったのが彼女だった。


「頼むマル、宿題を写させてくれ!」


 そう、俺の悪いところとは頭なのである。幼馴染に向かって精一杯、できの悪い頭を下げる。後ろからクラスメイト達の笑い声がクスクスと聞こえてくるが気にしない。俺は今、大ピンチに陥っているのだ。

 次の授業の宿題を、俺はすっかり忘れていた。この昼休みの時間に友人との会話でその宿題のことが話題にあがり、そこで俺は宿題をやっていないことに気がついた。今からやっても間に合うはずもなく、俺は目の前のクラスで一番頭の良い幼馴染にこうして頭を下げている。


「ハルくん」


 幼馴染の優しい声。顔をあげる。ニッコリと柔和な笑みを浮かべる彼女、俺は勝利を確信した。


「ダメずら」


 ガックリ、その場に膝から崩れ落ちる。クラスメイト達の笑い声がさっきより大きくなって鼓膜に届く。見事クラスの笑い者になった俺は、次の授業風景を想像して絶望した。だってあの先生、宿題忘れるとめちゃくちゃ怒るんだもん。

 掴んだと思った勝利は水泡となって俺の手から離れていった。勝利というものは往々にして確信した瞬間に離れていくことが多い。例えば水泳なんかでも、ラストのターンで勝利を確信していたら追い抜かれて負けることが多い。まだ掴んでもいないのにその気になってしまうと、油断して隙が生まれてしまう。勝利は決まってその隙間から離れていってしまうものだ。

 だけど、離れてしまった勝利を再び掴むことは不可能ではない。追い抜かれたラストのターンから再び追い抜き返すことは可能なのだ。そのまま追い抜き返したことの方が圧倒的に少ないけど、それでも勝利を掴んだことはある。


「なあ頼むよマル、ほらこの通り!」

「ダメと言ったらダメずら」


 両手を合わせて幼馴染を拝むような必死の懇願でも、勝利を手にすることができなかった。しかし俺には、この勝利を掴み取る必殺技があった。


「お願いします花丸様! 帰りに松月のケーキひとつ奢るから!」

「ケーキ!?」


 これが俺の必殺技、ずばり名前は『俺の幼馴染はスイーツ大好きだから、それで釣ってしまえば多分落ちる』である。実際、ケーキひとつに幼馴染の表情は一変した。勝利がグッと近づいたが、まだ油断はできない。隙を与えてしまうと勝利はそこから逃げていく。彼女が敗北を認めたときに初めて、俺に勝利の瞬間が訪れるのだ。


「……ケーキふたつずら」

「っ、ま、まあいいだろう、交渉成立だ。さあ例のブツを早くよこせ」


 予定より財布の中身が寂しくなってしまうが、まあ問題はない。俺にとっては宿題を忘れて先生に怒られることの方が大問題なのである。しかしこの幼馴染、ケーキふたつってどれだけ食い意地張ってるんだ。太るぞ。

 俺の幼馴染――国木田花丸は普段からよく食べるのだけれど、太っているという印象は全くない。むしろスタイルが良く、それでいて背が小さいという訳のわからない体をしている。吸収した栄養が身長に行かずにどこに消え去ったのだろうかとも考えたが、マルの胸を見ると全て納得がいった。


「例のブツって……はいノートずら」


 ノートを俺に渡すとき、卵色のカーディガン越しにマルの胸がゆさゆさと動いた。それにいちいちドキリとはしない。俺が何年マルの幼馴染をしていると思っている、十年だぞ十年。まさに互いの骨から髄まで知り尽くした関係と言っていいだろう。いや、さすがにマルの骨や髄のことは知らないけれども。


「サンキュー! さすがは俺の幼馴染だ!」


 マルに礼を言うと、俺は自分の机にそのノートを広げて宿題を始めた。いや、宿題を写し始めた。


「全く褒められてる気がしないずら」


 マルが何かを言ったが俺の耳にはもう届くことはなかった。他にも何人かの友人が俺の周りを取り囲んで冷やかしを入れてくるが、それを気にすることなく俺は必死に宿題を写した。もし宿題を忘れたらどんなに恐ろしい目に遭うのか、想像しただけで身震いが止まらない。

 その昼休みのうちに宿題を写し終えることができた俺は、何とか次の授業を乗り切ることができた。これもマルという幼馴染がいたおかげだ。このときばかりは、頭の良い幼馴染がいる俺は、相当恵まれているのだと実感するのだった。






 授業が終わり放課後を迎えると、俺はせっせと下校する準備を始めた。教科書やノートを通学鞄に詰め込んでいると、どこからともなく友人達が俺の席の周りに集まってきて、準備をしていた手を止めた。


「なあハル、昼休みのあれは何なんだよ!」

「あれ?」

「とぼけるなって、国木田さんに宿題を見せてもらったあの会話だよ! やっぱりお前、国木田さんと付き合ってるんじゃないのか?」

「アホか、俺とマルはそういうのじゃないって何度も言ってるだろ」

「そう言われてもなぁ……」


 どうやらこいつらは昼休みの俺とマルの会話を聞いていたらしい。あのようなやり取りは日常茶飯事で頻繁に行われているので、俺とマルの関係をこのように詮索する友人は少なくない。その度にマルとはただの幼馴染でそれ以上でも以下でもないと説明する羽目になる。何度も説明するのは面倒なのでいい加減やめてほしいところだ。


「おーい、マル。ちょっとこっち来い」


 同じく下校の準備を進めていたマルを手招きして呼ぶと、マルは目をキョトンとさせていた。たぶん呼ばれた理由が分からないのだろう。手を止めて顎に手を当てて考えるその姿を見ていると、マルの頭上に疑問符が浮かびそうなほどである。


「いいから来いって」


 今度は少し強めに呼ぶと、マルは席を立ってこちらにやって来た。


「何ずら?」

「こいつらに俺達の関係を説明してやってくれ」

「あー……また?」

「そうなんだよ、こいつらしつこくてさ」


 マルにそう説明すると呼ばれた理由に納得したようで、マルは非常にめんどくさそうな表情を見せた。ハァっと溜め息をひとつつくと、マルは俺の席の周りにいる友人達に俺との関係について説明を始めた。


「マルとハルくんはただの幼馴染ずら。マルは宿題を忘れた挙句、人の宿題を写すような頭の悪い人は好きじゃないから、そういった関係では一切ございません。以上ずら」


 説明を終えてスッキリとした表情を見せるマル。その説明を聞いた俺は気がつけば床に倒れていた。


「おいハル、大丈夫か!?」

「ハルの弱点を的確に突くなんて……国木田さん、アンタ最高だぜ!」

「お前らやめてやれ、ハルの弱点が頭だとかそれ以上言ってやるな! 事実なんだから可哀想だろ!」

「そうだな……すまんハル、俺達が悪かった。お前の頭の方が悪いけど」

「上手い! 国木田さん座布団一枚持ってきて!」

「ずら!? ざ、座布団?」

「あー国木田さんにはこのネタ伝わらないのか」

「ごめん国木田さん、悪かったよ。……ハルの頭が」



「お前ら人の頭が悪いことを好き放題言って遊ぶなーーーー!!」



「うわ、起きた! 逃げろー!」


 散々な言われように俺が勢いよく立ち上がって文句を言ってやると、友人達はこぞって俺の席から慌てて立ち去り、そそくさと教室から出て行った。人をイジるだけイジっておいて逃げ出す友人達を見て、今後の友達作りは見直す必要があると悟った。


「まったく、俺ってそんなに頭悪いか?」

「ずら」


 マルは口癖だけで答える。こいつはたまに口癖だけで返事をすることがあるので、昔はそれで苦労したものだ。だけど十年も一緒にいるとマルの口癖にも慣れてきて、そこにどういう意味が込められているのか手に取るように分かるようになった。

 ちなみに今の「ずら」は肯定の意味が込められた「ずら」だった。できれば知りたくなかった事実であるが、分かってしまうものは仕方がない。


「お前までそんな風に俺をいじめるならケーキを奢る約束は無しだな」

「いいけど、今度からケーキ奢るって言われても絶対に宿題見せてあげないずら。勉強も教えてあげないずら」

「ごめんなさい花丸さん、俺と俺の頭が悪かったです」


 勢いよく自分の非を認めると、マルは「ふふっ」っと上品に笑ってみせた。実際のところ、俺は勉強というものが上手くできないので、マルに勉強を教えてもらえなくなってしまうのは死活問題だ。俺のテストの点数や成績は、マルに教えてもらって何とか中の下あたりを保っている。

 勉強という点においては、マルが俺の幼馴染であることに感謝しなくてはならない。マルが幼馴染で本当に良かった。口に出すと恥ずかしいし調子に乗られると困るので、絶対に本人には伝えないのだが。

 けれど伝えたところで、マルに限って調子に乗るなんてことはないだろう。俺の幼馴染はいつも控えめで大人しい性格をしている。


「ハルくん、マル達も帰ろう」

「ん、そうだな」

「ふふっ、今日は帰りに松月のケーキずら。それもふたつ……」


 松月のケーキを想像しているのか、マルの口からヨダレが垂れている。そっとハンカチを渡してやると、マルはハンカチを受け取って口元をゴシゴシと拭った。

 マルは使ったハンカチを俺に返してこなかったので、あとで洗濯して返してくれるのだろう。学校で返されるとまた面倒なことになりそうなので、朝一緒に登校するときに回収することを忘れないでおこう。


「ケーキ、高いのは勘弁してくれよな」

「分かってるずら」

「それじゃあ、帰るか」


 それから俺はマルと一緒に松月へと向かった。高いケーキは勘弁してくれと言ったのに、俺の幼馴染は奢りなのをいいことに全く遠慮せずに高いケーキをふたつ注文しやがった。

 マルの前に高いケーキがふたつ並べられ、それを美味しそうに食べている光景を尻目に、俺は無料の水だけで何とかその場を凌いだのであった。財布の中身が寂しくなったからである。

 前言撤回。控えめで大人しいのは外面だけであって、俺の幼馴染は隙を与えるとすぐ調子に乗ってしまう。

 今後マルに勉強を教えてもらったり宿題を見せてもらうのは、財布の中身と相談してからにしよう。そう固く誓った、中学二年の秋であった。


  
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