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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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邯鄲之夢 2

「如来だか菩薩だかが現れて宋の味方をしただと? ふざけるな!」

 総大将の張弘範を筆頭に、張弘正、張珪、劉深ら漢人とアリハイヤ、アタハイ、サト、李恒などのウイグル人やタングート人らの将校らが並んで座っている。そのうちの一人が大喝した。
 秋芳らの呪術で撤退した元軍の攻撃隊長が本陣で叱責を受けているのだ。

「ほ、ほんとうです。五色の雲光とかぐわしい匂いが立ちこめ、あれはもうまことの神仏としか――」
「ほほう、それはこのような貌をしていたかな?」
「え? へ? い?」

 くぐもった声が頭上から聞こえた。見るとちょろりとドジョウ髭の伸びた阿弥陀如来が雲間から顔をのぞかせ、ウィンクしたではないか。

「ひぇーっ!? 妖怪!」

 さきほどの仏からは神々しい雰囲気がただよい、後光が発せられていたが、この妖仏からはそのような気配はなく、ただただ怪しかった。
 仰天し、腰を抜かす隊長。そして呆然とする元の将校たち。

「おのれ妖怪!」

 元に滅ぼされた西夏の皇族の出自ながら元の皇族のもとで育ち、元に忠誠を誓う李恒が妖仏めがけて槍を投げた。
 槍は見事眉間に命中した。しかし妖仏はなんの痛痒も見せずに槍の柄をつかむと、ぐいぐいと自分から眉間に押し込む。すると口の中から穂先がにょきにょきと出てくるではないか。
 いかなる肉体・空間構造になっているのか、さしもの猛将李恒も顔が青ざめる。

「ははは、そのへんにそのへんに。太上準天美麗貴永楽聖公どのもお人が悪い。将兵どもが驚いておりますぞ」

 上等な服を着た一人の青年が鷹揚にあらわれた。

「これは、東安王殿下!」

 元の皇帝クビライの十三番目の子。王太子である東安王メデフグイだった。
 元はモンゴル人や漢人以外も多くの外国人を登用してもちいたが、このメデフグイは特に多くの外国人を配下にしたことで有名だ。
 それも錬金術師や占星術師、祈祷師や預言者といったオカルト関係の者を多く側におき、魔術に傾倒したという。

「これなる摩訶不思議な現象はこの太上準天美麗貴永楽聖公、方臘の幻術。あわてることはない。聖公どの、そのへんでよろしい」
「はっ」

 後にひかえる僧形の男が手を払うしぐさをすると妖仏は煙のようにかき消えた。

「なんと面妖な……」
「陰陽の気を操って本来その場にないものを知覚させる術です。簡単な術ですが道理を知らぬ素人が見ればおどろくことでしょう」

 居並ぶ緒将を前にして尊大に呪術の説明をする方臘という男。若くもないが老いてもおらず、浅黒い肌に彫りの深い顔立ちをしていて、どこか西域の人間らしい雰囲気を身にまとっていた。

「今の話を聞くに、宋側に味方をする呪術師がいるようだ。本物の呪術師を相手に剣槍弓馬で立ち向かうのは骨が折れよう。ちょうど良い、我が旗下の兵士十六万と、泉州の商人より買いつけた軍船数百。それにこの方臘を貸しあたえるゆえ、存分に使うといい」
「それはありがたい。あ、いや、だがしかしまだ敵に本物の呪術師がいると決まったわけではないので……」

 言いよどむ張弘範。十六万の援軍と軍船はたしかに欲しい。だが怪しげな魔術に耽溺し、あまり良い噂を聞かない東安王から、これまた怪しい妖術使いを押しつけられるのはこまる。

「ふぅむ、どうやらまだ拙僧の力をうたがっておられる様子。よろしい、ではさらなる御業を披露してしんぜよう」
 大仰かつ尊大に言うと、兵らに命じて張弘範の返事も聞かずに本陣の外に祭壇を作らせ始めた。
 東安王の手前、やめろとも言えない。張弘範らはしかたなく傍観を決め込んだ。

「しかし準……、なんちゃら方臘とは不穏な名ですな。方臘といえばかつて宋朝に反乱を起こした喫菜事魔どもの首魁と同じ名ではありませんか」

 喫菜事魔。紀元三世紀ごろのペルシャで生まれたマニ教信者のことだ。キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教などの様々な教義を取り入れた宗教で、中国においても道教や仏教などの一派として独自の発展をとげた。
 この世界は闇、悪が支配しているという思想のもと、闇を倒す最終戦争がやって来ると説いている、根っからの反体制指向なため、時の政治権力者にとっては危険な邪教と見なされた。
 そのためマニ教は魔教。その信者は喫菜事魔、つまり菜食主義の邪教徒と呼ばれて江南地方や四川地方ではしばしば禁止の令が出され、弾圧の中で呪術的要素が強くなっていった。

「彼がその方臘だ。それと準天美麗貴永楽聖公。我の与えた号だから忘れないように」
「ご冗談を、方臘は今から百六十年も昔の人物ですぞ」

 徽宗皇帝の御世に江南地方で方蠟というマニ教徒が反乱を起こし、その鎮圧に乗り出した官軍は信徒数十万人を殺戮し、首謀者の方蠟は捕われ、凌遅刑に処された。この時に官軍は現地で略奪の限りを尽くしたため江南地方は地獄と化したという。

「張元帥は尸解仙というものをご存知かな? 不老不死を得るため、肉体を一度死に至らしめる方術で、永楽聖公どのはそれに成功したのだ」

 怪力乱神を好む十三番目の王太子の言葉は張弘範の理解を超えていたため、話題を変えることにした。すると自然、合戦の話となる。

「――そこで密集している船を逆手にとって初戦で火攻めをこころみたのですが、恥ずかしながら失敗してしまいました」
「なに? いかんいかんっ、火攻めはいかん!」
「それはなにゆえ?」
「宋軍が持つ二千艘の船を無傷で手に入れれば今後の助けになる。火計をもちいては灰燼と化してしまうではないか」
「惜しむことはございませんぞ、殿下」

 と、これは弘範の弟の張弘正。

「軍船の二千や三千などすぐに建造できます。四十年以上も元朝に逆らい続けた南人どもをこき使ってやればいいのです。永久に反乱など起こさせぬように」
「船だけを惜しむのではない、それを指揮し動かす人員も惜しんでいるのだ。物はともかく人はすぐには育たぬ。第二次日本遠征のためにも船と、船員が欲しい。あの黄金の国を手に入れる助けとなる」

 黄金の国ジパング。莫大な金を産出し、宮殿や民家の屋根や壁は黄金でできている――。そのようなことをうそぶく西洋人の旅行家がメデフグイの食客にいるという。
 およそ信じられる話ではない。たしかに日本は宋との貿易では金子で支払をして、わざわざ銅銭を金で買ったりまでしていたので、金が採掘されるのはたしかだろうが、黄金の国などと、それは誇張しすぎだ。

「それだけではない、秦の始皇帝の遣わした徐福が富士という霊山に不老不死の霊薬を隠したという話も聞く。それを見つけだしたい」

 徐福などと、そんな千五百年も昔の伝説を本気で信じているのか。張弘範らは内心をあらわにし、あきれ顔を作らぬよう努力する必要にせまられた。

「そこで考えがある。宋は軍船を鎖でつなぎ合わせて一つの要塞のように仕上げたそうだが、これは水上に陸地を作ったようなものではないか。水上戦では一日の長がある宋が船の持つ機動力をみずから封じて我らモンゴルを始め河北の兵が得意とする陸上戦の舞台をととのえたのだ、敵の地の利は我らの地の利でもある」
「なるほど」

 たしかに一理ある。この変人王太子、まともなことも言えるではないか。

「しかしそこにどう上陸するのが問題です。最初の戦いでわかりましたが、宋軍は蒙衝や先登などの小回りが利き足の早い小型船も数多く所持しており、我が軍が持つ船には数と種類に限りがあります。船戦にも長けている宋軍の攻撃をかいくぐって水上要塞に突入するとなるとかなりの犠牲を出しましょう」
「要塞には要塞をぶつける。いや、なにも宋のように船をつなぐ必要はない、大量の浮き物をつなぎ合わせて足場を築き、それに乗って進軍するのだ」

 海の上に道を作れと言っているのだ。

「それは、なんとも気宇壮大な策ですな……」

 だがまんざら荒唐無稽な作戦ではない。実際に元寇のさいには大陸と日本との間に大量の船を浮かべて橋にし、進軍するという計画があったという。

「お待たせしました、いつでも法力を披露できますぞ」
そうこうしているうちに方臘の準備がととのったようだ。
「まずは挨拶がてらに宋の残党どもをおどろかせてやりましょう――むんっ!」

 真剣な顔立ちで呪文を唱え始めた。

「――清浄光明、大力智慧、無上至真、摩尼光仏――」

 摩尼教に伝わる真言が陰々とつむがれる。
 やがて日が陰り風が強まると遠くから雷鳴が聞こえた。
 見れば宋軍が陣取る崖山の上空に黒雲が立ち昇り稲光が見える。
 波は荒れ狂い、遠目にも強風豪雨にさらされているのが見てとれた。

「なんと!」「かように天が急変するとは」「この時期に嵐とはめずらしい」「まことの呪術か!?」

 まわりの将兵らからおどろきの声があがる中、張弘範が落ち着いて問いかける。

「……準なんとかどの」
「準天美麗貴永楽聖公の方蠟でございます、張元帥」
「このままあの嵐で宋の軍陣を壊滅できるのですか?」
「ははは、さすがに拙僧でもそこまで強力な暴風雷雨は一朝一夕では呼べませぬ。今はまぁせいぜい大雨を降らして宋の陣を水浸しにする程度でございます」
「雨を、降らしておるのですか?」
「そうです」
「水を、もたらしておるのですね」
「そうです」
「…………」「…………」「…………」
「んん? みなさま、どうなされました?」
「このどアホっ、なにさらしてけつかんねんッ!」

 思わず故郷の西夏なまりが口から出て李恒が方蠟をどつき倒した。

「ば痛っ!? なんばすっとですか?」

 方蠟のほうもまた江南なまりが口に出る。

「補給を封じ、水と糧食を絶って干上がらせているのに雨を降らせるアホがどこにいるっ!」
「なんと、それは初耳。そうと知っていれば別の術を披露したものを……」

 宋軍への兵糧攻めは周知の事実。べつに箝口令を敷いていたわけでもないのに、それを知らないとは……。
 怒りをとおりこしてあきれ果てた諸将だが、張弘範がいち早く我に返り声をあげる。

「まぁ、天を動かし雨を降らせたのはたいしたもの。準天なんとか公に神通力があるのはわかった。わかったからとっとと雨をやめさせてくだされ。こうしている間にも宋軍の将兵はのどを潤し、せっかく弱らせたのに活力をあたえてしまう」
「わかりました。それと拙僧の号は準天美麗貴永楽聖公、名は方臘です。――清浄光明、大力智慧、無上至真、摩尼光仏――むんっ!」

 ふたたび摩尼真言を唱え、みずからの呪術を解除しようとするのだが、いっこうに変化はおとずれない。

「どうした、早く止めよ!」
「――清浄光明、大力智慧、無上至真、摩尼光仏――。むむむ」
「なにがむむむだ!」
「なにものかが拙僧の術を返そうと術式に手をくわえております。おそらくは例の呪術師でしょう」
「なんだと? それはどういうことだ?」
「なになに、なにもご心配めさるな、そう簡単に後れはとりませぬ。ハァーッ! 清浄光明、大力智慧、無上至真、摩尼光仏――」

 しきりに印を結び、声高に真言を唱える方臘の身体からは霊気があふれ、その姿は見鬼ではない将兵達の目にも光り輝いて見えた。

(この方臘と名乗る怪僧。風雨を呼んだ事実といい、たしかに実力は本物のようだ)

 軍人とは現実主義者だ。言動はともかく呪術師としては一流だと認め、一同おとなしくその様子を見守る。
 しばらくすると崖山の上空にあった黒雲はゆっくりと元が陣取る対岸に移動してくるではないか。沖に展開している元の船団が暴風と高波で木の葉のように翻弄される。
 本陣にも豪雨と暴風が吹き荒れ、嵐のただ中と化した。
 閃光が奔り、天と地を一本の帯が結ぶ。落雷が突き立った。
 地震のような衝撃に世界が砕かれたかのような轟音。光と闇が反転し、五感が瞬時に塗りつぶされる。
元の陣営は稲妻によってズタズタに切り裂かれた。





 話はその少し前にさかのぼる。
 宋朝に仕える文武百官の前で雨乞いの約束をした秋芳の袖を京子がそっと引っぱった。

「ねぇ、その仕事。あたしにやらせて」
「興味あるのか?」
「とうぜんでしょ、だって雨乞いといえば呪術師の本領発揮、絶好の檜舞台だもの。こんな機会はめったにないわ」

 日照りが続けばとうぜんの結果として凶作になる。そしてそれに続くのは飢饉であり、こうなれば経済的な打撃をこうむる。国家の根幹を揺るがす事態だ。
 神道、仏教、陰陽道、修験道――。かつての日本ではおよそ効果が期待できればいかなる呪術流派も雨乞に参加し、名をはせた。山伏の祖とされる役小角、弘法大師空海、真言宗の仁海などなど――。
 呪術師以外にも、たとえば小野小町などは雨を請う二首の歌を詠み、みごとに雨を降らせたことから雨請小町という異名がある。

「わかった。で、どの呪法を使う?」

 雨乞いの呪法は数多く存在する。密教には大雲経や陀羅尼集経といった雨乞いに霊験があるとされる経典を読誦してさまざまな作法をおこない、雨神を呼び寄せて雨を降らす術があり、京都の教王護国寺には請雨経曼荼羅という曼荼羅が残されており、この曼荼羅に願をかけて雨乞いの修法をおこなったという。
 さらに孔雀明王を本尊とした孔雀経法などは密教のみならず修験道でも執り行われた。
 神道においては丹生神社や貴船神社に霊験があるとされ、そこの神官による大規模な雨乞いがおこなわれた。
 民間にも雨乞いの呪法は存在し、もっとも有名なのは『おこもり』と呼ばれるものだ。村人たちが交代で氏神の社にこもり雨を祈願するもので、これでも効果がない場合はお百度参りなどがおこなわれた。
 また百度垢離というものもおこなわれ、これは村人が川に入って水垢離するもので、水垢離のたびに川底の石をひろって氏神に供えるという。つまり百度垢離をしながらお百度参りをかねている。
 また遠方にある水神竜神を祀った社などから水をもらってくるということもおこなわれる。この水には雨乞いの霊験があるとされ、村の社にお供えしたり境内などに撒くことで雨を模し、本物の雨を呼び寄せようとする類感呪術だ。
 また水を運ぶ時は途中で休んだ場所に雨が降るともいわれ、人々は交代で昼夜をわかたず水を運んだ。
 これと似た雨乞いの方法で水ではなく種火をもらってくるというものも存在し、もらってきた種火は水と同じく供えたり境内に撒かれた。
 火を使った雨乞いには千駄焚きというのもあり、薪や藁などを丘や山の上に積み上げて大きなたき火をするのだ。これなどは巨大な火で空気の対流を起こすことで少なからず物理的な効果があるのではいだろうか。大規模な山火事のさいににわか雨が生じることは実際にある。
 また雨乞い踊りというものもあり、氏神の社や山頂などでおこなわれた。祭り太鼓の音を雷鳴に模して雨を呼ぶというもので、これもまた類感呪術に属する。

 閑話休題。

 では陰陽道にある雨乞いというと――。

「五龍祭にするわ」
「なるほど、妥当かもな」
 
 五龍祭。大陰陽師、安倍晴明の子である安倍吉平が神泉苑でこれを執り行い、みごと雨を降らせたとされる陰陽道に伝わる雨乞いの儀式だ。

「だが祝詞はどうする? ここには祭文を記した書物はないと思うぞ」
「なに言ってるの、全部ここに入ってるわよ」

 人差し指でみずからの頭を指す。

「それはすごいな、あんな長いものをよくおぼえられたものだ」
「陰陽師ならそのくらい当然でしょ、あたしをだれだと思ってるの。倉橋京子よ」

 自信と活力に満ち、溌剌としたバラ色の笑顔。
 これが昔の少女漫画なら背後に花が咲き乱れる演出がなされたことだろう。そんな華やかな笑みに思わず見とれてしまう。
 もうなんども見てきたが、そのたびに心奪われる。この極上の笑顔が自分にむけられている喜びと幸せをあらためて実感した。

「失敗したら俺の首が飛ぶんだ、頼んだぞ」
「まかせてちょうだい!」
 
 こうして雨乞いの儀式を執り行うことになった。





「――元柱固真、八隅八気、五陰五龍、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱央神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、慈雨を得んことを、慎みて五大龍神に願い奉る――」

 切り立った崖の上に作られた祭壇を前にして五龍に祈り願う祝詞を唱える京子。少し離れた後ろには秋芳の姿が、さらにその後方には陸秀夫、張世傑をはじめとする文官武官。武装した兵士たちの姿があった。
 雨が降らなかったり、おかしなまねをすればすぐにでも処断するつもりだ。
 天候を操作して雨を降らせるような呪術は高難度の術であり、水行符などで噴水レベルの水を作るのとはわけがちがう。プロの陰陽師が数人がかりで連日祈祷しても不発に終わる場合もある。

(といっても最近はプロの、陰陽庁に勤めるような陰陽師が祈雨すること自体あまりないんだがな)

 今さら言うまでもなく現代の陰陽師のおもな仕事は霊的災害の修祓であり、次いで呪術犯罪の取り締まりだ。
 古代や中世とは異なり、貯水設備や技術が発達し、離島にまで水道を敷く。外国からも水を買える現代日本で致命的な水不足が生じる可能性は少ない。
 それにもともと日本という国は三万五千本の河川にくわえ、定期的におとずれる台風や梅雨の影響で諸外国にくらべ水には恵まれている。
 なのでこの種の儀式がおこなわれるケースはまれである。そんな稀有な儀式呪法を学んでいた京子の向上心や修学意欲には秋芳も感服した。

(……水で思い出したが、最近は水目的に山林を買いあさる外国企業が多いらしいな)

 水の惑星などと呼ばれている地球だが、そのうちの約97%が海水で淡水は約3%しかない。さらにこの淡水のうち約70%は南極や北極、氷河などの氷として存在していて、地下水をふくめて河川や湖沼、雨水など人類が生活に利用できる淡水は地球上の水のわずか1%に満たないとされる。
 その1%にしても蒸発して雲などになり循環されているだけで、その絶対量にはほとんど変化が生じない。にもかかわらず原発汚染水など、文明の発展とともに汚染されることが多々あり、さらに人間は増え続ける一方だ。
 国連は二〇二五年には地球の人口は八十億になると推計している。
 水は貴重なのである。
 すでに国家的な水不足になって他国から水を輸入したり、あるいは盗むこともおこなわれている。
 そしてどうもあちこちの国から水を『盗られ』ているのは日本のようなのだ。
 外国企業が日本の山林を広大なエリアで買いまくっており、その目的は山林の樹木や土地利用などではなく地下から汲み上がる良質な水らしい。
 日本という国は世界でも珍しく外国企業が土地を自由に買えることがゆるされているおおらかな国であるらしく、この美しい水と緑にあふれるまほろばの国の山河を得体のしれない輩が寄生虫のごとくえげつなくうごめき、すきあらば吸いつこうとしているのだ。
 人様の国に手を出す外国企業もたいがいだが、母国の土地を外国に切り売りする秦檜の尻尾のような日本人がいることに衝撃と嫌悪感をおぼえる。

(遼に金、そして元。宋はつねに異民族におびやかされ、内には蔡京や童貫といった奸臣が幅を利かせていた。どうにも他人事には思えない、内憂外患なのは今の日本も同じだ)

 そんなことを考えているうちに五龍祭も佳境に入る。
 目の前で儀式を執り行う京子の身体からは霊力が満ちあふれ、美しい光沢を放っている。まるで虹色に輝く無数の絹糸が下からの風に吹かれてたなびき、天へと伸びてゆくようだ。
 やがて儀式を見守る群衆からも驚嘆の声があがる。微細かつ強靭な霊気は見鬼ではない者の目にも映るほどに強く高まり、輝く陽炎をまとっているかのように見えはじめた。
 その神秘的な姿はさながら神を降ろし、その声を聞く古代の姫巫女だろうか。
 否、神そのもの。神聖不可侵な女神のごとき神々しさだった。
 遠くで雷鳴がとどろいたかと思うと、急にあたりが暗くなった。晴天にぽつぽつと浮かんでいた薄い雲が集まり、増殖し、変色してゆく。
 白から灰色に、灰色から鉛色、そして黒に。天に暗雲が垂れ込めた。

(おや?)

 おかしい、いくらなんでも早すぎる。まだここまで変化するほど儀式は進んでないはずだ。
 とうの京子からも困惑の気配が伝わってくる。
 漆黒の空を切り裂くような白光が走り、ひときわ大きな雷鳴がとどろくと、風が強く吹き荒れ、大粒の雨が降り始めた。
 地面を穿つ大量の水滴。南国のスコールさながらの暴風をともなった豪雨が。集まった人々を一瞬でぐしょ濡れにした。

「道姑どの、これはいささか強すぎませんか!? お手柔らかに!」

 集まった文武百官のうちだれかがそう叫んだが声は雷鳴にかき消された。ちなみに道姑とは女性の道士をさす言葉で、ほかにも花冠という呼びかたがある。

「むこうにあたしより先に雨を降らせようとした呪術師がいるみたいっ!」
「ああ! しかし天候操作とはなかなかの実力者、なおかつこちらに対してあまり友好的とは言えない感じだなっ!」

 暴風雨にかき消されまいと声を出すため、自然と大声での会話になる。

「このままじゃ嵐でみんな吹き飛んじゃうわっ、止めないと!」
「せっかく五龍祭で練った呪力があるんだ、そいつを使って相手の術を返せないか?」
「……やってみる!」

 返事をするや、集中に入る。
 相手は相当高い霊力の持ち主のようだが、あえて五龍祭で蓄積された呪力を使わずに自前の呪力で対抗することにした。
 自前といっても京子個人の力ではない、如来眼の能力を発動させ、この地にあるエネルギーを貸してもらうつもりだ。
 風水では起伏に富んだ山々を活龍や貴龍と呼んで貴ぶ。山の連なりは大地を流れる気そのもの、山脈すなわち龍脈(霊脈)なのだ。
 この崖山の地形はまさにそれにあたる。京子は一時的に龍穴を開き、その身に膨大な量の気を取り込み、それを呪術に組み込んだ。
 効果覿面。一進一退を繰り返していた呪術による攻防戦は龍脈の力を得た京子の圧勝に終わった。

「地より生まれし呪い、主の元に戻りて、燃えゆけ、変えゆけ、返りゆけ!」
 
 呪を返したことで激しい嵐は宋ではく元の軍勢に反転して牙をむく。激しい風雨に沖に展開していた元の軍船が木の葉のように翻弄されるのが見てとれた。
それだけではない、こちらに手を出した相手に駄目押しの一撃をくわえた。

「都天雷公、飛雲震風、青雷赤気、上遊上穹、赤雷黄気、運雷帰中、黄雷白気、洞按九宮、白雷黒気、下遊元風、黒雷青気、運雷帰東、九天応元雷普化天尊!」

 雷が迸り稲妻が乱舞し、電流の嵐が、熱と光の颶風が元の陣営をズタズタに切り裂いた。

「――東方請青龍、南方召赤龍、西方請白龍、北方召黒龍、中方請黄龍、用心降雨、奉請衆方五雷上吾身、奉請衆方五雨上吾身、奉請衆方五風上吾身、雨雨雨雨雨――」

 さらにその後にあらためて五龍祭を続行。その呪力を行使して宋の陣営に恵みの慈雨を降らせた。
 冷たく乾いた大気を温かい雨が湿らし大地を潤す。さらに局地的に大雨を降らし、給水船や貯水場の水槽をいっぱいに満たした。

「こ、これは!?」「なんと温かい、冬の雨とは思えぬ」「これで当分は渇きに苦しめられずにすむぞ!」「それに見ろ、元の陣が今の嵐でめちゃくちゃではないか」

 居並ぶ人々から拍手と歓声があがる。

「おふたかた、みごとな方術でした。今回のこと、国難をお救いいただき、まことにかたじけなくぞんずる。恵みの雨どころか元の軍勢にも痛手をあたえてくれたこと、ひとえにおふたかたのおかげでござる」

 張世傑が進み出て一礼すると、それに陸秀夫も続く。

「されば謝礼をお受け取りいただきたい。とりあえず些少ながら銀五百両を用意いたします。また今後も陣内にとどまり我らを助けてくださるとありがたい。もし官吏によって迷惑をこうむるようなことがあれば、張世傑、陸秀夫の名をお出しくだされ」

 油紙につつまれた馬蹄型の銀子が運ばれてきた。

「おお、銀か。ここが夢の世界じゃなきゃありがたくちょうだいするんだがなぁ」
「じゃあおことわりする? かさばるし」
「いや、もらえるものはもらっておこう。成功報酬をことわるのは冒険者の礼に反する」
「だれが冒険者よ、だれが」

 中国の好漢や武侠は報酬や謝礼などを受け取るのを悪びれない。余裕のある者が余分に報酬をくれる時は受け取るのが礼儀というものだ。ことわるほうが失礼なのである。いっぽう自分に余裕のある時はこまっている人を助けないと『あいつは吝嗇だ』と言われることになる。
 ちなみに古来より中国では銀を基本通過にしていた。ものすごくおおざっぱだが銀五十グラムが一両で、一両が十銭、一銭が十文という計算になると思われる。十人くらいで宴会を開くのに必要な額は銀一両といったところか。
 それが五百両もある。

「これ、リアルに持って帰りたいなぁ。気合入れて目覚めれば一両くらい持って帰れないかなぁ」
「そんなわけないでしょ、あきらめなさい」

 ここはあくまで仮想現実、夢の世界。さらに夢の世界にいられる時間は一日のみ。そういう設定だ。

「どうせなら宋を助けて元をやっつけてみたかったが、そこまでする時間はなさそうだ。明日の今くらいまでのわずかな時を楽しもう」
「ええ、そうしましょう」

 元の手先を蹴散らし、恵みの雨をもたらしたふたりの道士を歓待してささやかな宴会がひらかれた。
包囲され補給もままならない中なので、出される食事はおもに現地で取れたものを食材に作られた素朴なものであったが、魚介類とモヤシ入りのお粥など、むしろ日本人好みの純朴な味がして秋芳と京子の舌には合った。
 空腹時などに飲食する夢をよく見る。だが、たいていの場合はなにを食べても飲んでも味のしない、無味乾燥としたものだ。
 だがこの呪具によって生じた夢はそんなチンケなものではないらしい。なにせ普通の夢のように自身の意識や経験のみから生まれる夢ではないのだ。阿頼耶識や集合無意識に、古今東西の不特定多数の人々の広大な精神世界につながり、それをもとに構成されている。本人が経験したことのない、はじめての味だって知覚できる。





 宋の陣に慈雨を降らし、元の陣をなぎ払った嵐はとっくの前に消え、満天の星々が漆黒の空を飾っている。そんな銀のしずくが降りしきるような星空の下、崖山の一角にある切り立った岸壁の上に寝台を作り秋芳と京子が横たわっていた。

「どうせなら平和で豊かだった宋の前半期に行きたかったなぁ。豪壮な宮殿、灯火の輝く酒楼、夜でも人々のあふれる街中、整備された下水路、千人以上が入れる劇場や高さ百メートルを超える開宝寺の舎利塔……。宋の国都である開封は世界でもっとも進んだ大都市だったんだ」
「なにかの本で読んだんだけど、宋の時代の中国って全世界の国民総生産の半分をしめていたんでしょう? すんごい経済大国だったのね」
「経済だけじゃなく文化レベルもたいしたものだった。同じ時代のヨーロッパの連中が上流階級でも手づかみで食事をし、排泄物はそこいらに垂れ流していたのとは大ちがいだ。……座る時と立つ時は左から、カトラリーは外側のものから使う、ナプキンは最初のオーダーの後、ドリンクが運ばれてくる前にふたつ折りで膝の上に置く、襟元にかけるのはダメ、中座するさいは椅子の上か背もたれに軽くたたんで置く――。まったく箸も使えないような『野蛮人』どもがテーブルマナーとか、笑わせてくれる」
「あら、それじゃあ母国の食事マナーは完璧? こんど和食のお店に連れてって正しい作法を見せてちょうだい」
「……気どらないお店にならどこだって連れて行くが、お高い場所はかんべんしてくれ。西洋料理に限らず、あの手のマナーはどうも苦手だ」

 日本料理にもとうぜん作法というものが存在する。たとえばまず主賓が箸を取って食べてから自分も箸をつけ、周囲の人の食べるペースに合わせて食べる。
 食事の順番は汁からご飯、なま物、煮物、小皿の順でひととおり味わってから、すべての料理をまんべんなく食べ進める。
 苦手な料理は箸をつける前に下げてもらう。
 お椀のふたは器を置いたままとって右側に置く。
 刺身などのなま物は身にわさびをのせて醤油をつけて、皿を手に持って口に運ぶ。などなど――。

「まぁ、さすがに箸くらいはまともに使えるけど堅苦しいのはきらいだよ」
 
 箸をつけたものを食べずに、次の料理に移る移り箸。
 器から器へとうろうろ箸を回す迷い箸。
 ご飯などに、仏様のお供えのように箸を刺す突き立て箸。
 器の中の料理を箸で探る探り箸。
 皿やお椀に箸を渡し置く渡し箸。
 器を箸で寄せる寄せ箸。
 箸をなめるねぶり箸。
 料理に箸を刺して食べる刺し箸
 同じお菜をいつまでも食べ続ける箸なまり。あるいは重ね箸。
 箸を楊枝の代わりに使うせせり箸。
 箸で人を指したり、振り上げたりする振り上げ箸。
 これら箸の禁じ手の中には見映えが悪いというだけではなく縁起が悪いといわれるものもあるので、縁起をかつぐ陰陽師としては気にしたいところだ。
 もっともその陰陽師が活躍した平安時代では宴の作法に『お客はまず箸を手にして飯に立てる』というのがあったようだし、貴族の間では不作法だった汁かけご飯が武士の間では正式な食事作法だったりと、時代や状況によって変わるので気にしていてはきりがないのだが――。

「店の食事じゃあないが刀会の打ち上げに一席用意してある。今夜は――。といってもこっちじゃなくてあっちの今夜だが、そこで気どらない食事をしよう」
「あらそう、じゃあ楽しみにしてるわ」

 現代の日本ではよほど田舎にでも行かないとちょっと見られないような星空を天蓋に、いつしか二人は眠りについた。
 そして翌日。眠っている間にでも現実世界へ帰還するかとも思ったがそうでもないらしい。いつでも夢から覚める心の準備をしつつ崖山の周囲を散策し――。
 夕方となった。
 すでに丸一日は経過している。

「……ねぇ秋芳君、もうとっくに目が覚めてる時間よね。なんかまだこっちの世界にいるんだけど」
「……ああ、なんでかな」
「なんでかな、じゃないわよ! もう、……ちゃんと二四時間で設定したんでしょ?」
「ああ、間違いない」
「こっちの時間で、二四時間よね?」
「お、おう」
「本当に? まちがえて『むこう』での二四時間にしちゃった可能性は?」
「……ま、まぁ、はじめて手を触れる呪具だし、慣れなくてそうした可能性もなくはないが」
「もしその場合はあそこで丸一日寝っころがったままになっちゃうのよ。ネズミに耳でもかじられたらどうしてくれるのよ」
「その時は一緒にダメな眼鏡男子を手助けする猫型式神になろう」
「冗談はいいから、むこうとこっちの時間差ってどのくらいになるの?」
「ええと、元祖『邯鄲の夢』だと夢の中で何十年も過ごしたのに現実では寝る前に火にかけたお粥がまだ煮揚がってさえいなかったそうだから……。一秒が一年くらいかなぁ」

 このあたり、かなり大ざっぱな憶測だ。
 一日は二四時間。一時間は六〇分、二四時間は六〇分×二四で千四四〇分。
 これを秒に直すと――。
 八六四〇〇秒。
 つまり八万六千四百年。

「は、はちまんろくせんよんひゃく年……」
「うむ、数字だと86400年。……なんというか、ちょっとした人類が生まれて滅亡するくらいの期間だな」
「そのちょっとした人類発祥から滅亡までの時間をここで、この世界で過ごすまでは目が覚めないってこと?」
「いや、まだそうと決まったわけじゃないし、いざとなれば強引にこの世界の防壁を破ってもとの世界へ、目覚めることもできるが」
「でも危険なんでしょ?」
「まぁ、な。なにせ精神に働きかけるタイプの呪具だし、正しい使い方をしないとどんな副作用や障害が発生するかわからん。プログラムの強制終了は最後の手段だ」
「ふぅ……、まさか過去に飛ばされた先ではるかな未来まで時間をつぶすはめになるだなんて思っても――」

 その時、京子の身に落雷に打たれたかのような衝撃が走った。視界がゆらいでかすみ、気が遠くなる。
 まわりの景色がぼやけ、心が押し出され、どこか別の世界に放り出されたかのような感覚。かろうじてたもった意識が、なにかに触れた。
 そこは宇宙だった。
 身体から魂が離れて浮上し、宇宙へと舞い上がったのだ。唸るような風の音を聞きながら、重力を始めとしたあらゆる足場から逃れ、現実に重なる異空の世界にゆっくりと浮遊している。
 月が見える、太陽が見える、数多の星々が見える、そして地球も見える。

(あ……、あたし、いま星を読んでるのね――)

 深淵の彼方、時間や空間の概念すら異なるすべての要素が偏在化している宇宙。
 その宇宙に京子の観念が反映され、遠くにある現実の影を目の前に顕現、あるいは現実世界のすべてを凝縮して縮図のように映し出す。
 千里眼のような感覚で宇宙を見渡していくと大きな存在の声を聞いた。
 大きくて強大で、そして異質な存在。
 あまりにも大きすぎてそちらを見ることが恐ろしかった。直視してその存在を認識しようとすれば、矮小な人間の精神など耐えられず、脳細胞が認識能力の限界を超えて破裂し、魂が焼き切れてしまうような、圧倒的な存在。
 それの声が響く。



『ステージ1。勝利条件・滅亡の危機に瀕する宋王朝を救い、迫りくる元の軍勢を退ける。敗北条件・宋の皇帝趙昺の死亡、秋芳の死亡、京子の死亡』



「な――」
「ん、どうした?」
「なんなのよこれはーっ!!」

 つっぷした京子の口から怒鳴るような大声があがった。 
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