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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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刀会 3

 刀会第一試合。
 緋組拾参番隊・二之宮紅葉 対 白組壱番隊・四王天琥珀。

「みんなのためにも、私は負けない!」

 戦いが始まった。
 呪力の高さはむこうが上。そう判断した紅葉は呪術を行使するいとまをあたえないよう、開始直後に白兵戦にもちこんだ。
 まるで教本から抜け出たかのような正確な姿勢と動き、打ち込みの速さもそれに込められた力も、もうしぶんなかった。
 だが紅葉の攻撃は琥珀にはとどかない。
 右にかわされ、左によけられ、さばかれ、いなされる。
 反対に琥珀の攻撃はことごとく紅葉に命中した。 
 重い。 
 小柄な体躯からは想像できないほど重たい打撃が紅葉の体力をうばっていく。
 足の踏み込み、腰のひねり、腕の返し。遠心力にくわえ全体重を一点に集中した攻撃は見た目以上の破壊力を生み出していた。
 そしてなによりも、速い。

「紅葉さん、どうして避けませんの?」
「もみもみが一方的に攻められるなんてっ!? なんで反撃しないの?」
「……反撃しないんじゃありません。できないんです」
「「え!?」」
「紅葉さんは琥珀さんの攻撃が見えていません、だからまともに受けて反撃の機会がつかめないんです。相手の攻撃が見えなければ防御も返し技もできません」
「でもあたしには琥珀ちゃんの攻撃、見えてるよ」
「私もですわ」
「……ほんとうに見えてますか? 見えているのは攻撃があたった瞬間だけじゃないですか?」
「「あ…」」
「そのとおり。白組の子……、琥珀の動きの初動は我々にも見える速さで動いている。だから緋組の……、紅葉の身体に薙刀があたり、動きが止まった瞬間、全体の動きを見ているよう錯覚する。だが実際に見えているのは琥珀の動きの一部だけ、初動からあたるまでの動きが肉眼では追い切れない速さなんだ!」
「「「「な、なんだってー!?」」」」

 いつの間にか近くにいた一人の観戦者の説明に、他の観戦者達が驚きの声をあげる。少しでも近くで観ようと試合舞台の間近まで来て観戦している野次馬根性――、もとい物見高い人達だ。

「みんなはハエを目で追ったことはあるか? 目で追っていたハエが急に消えて別の方向に飛んでいくことがあるだろう? あれはゆっくりと飛んでいたハエが急にものすごい速さで移動するから消えたように見えるんだ。琥珀という子はそれと同じことを武技でやっている! ――ちなみにハエは危険を察知すると一〇〇分の一秒という速さで回避運動をおこなう。これは人間のまばたきの五十倍の速さだ」
「「「「へー」」」」



 ちなみに中国四川省に生息するセフェノミアというハエの仲間の昆虫の飛翔速度は音速を超えるといわれ、地元では抹羽(まつは)という名で呼ばれている。この噂はシルクロードを通じて西洋にまで伝わり、音速を基本とする速さの単位を表すマッハの語源になったという。

 民明書房刊『実用動物事典』より。



「俺達は距離をおいて見ているから琥珀の一連の動きを視えているようにとらえているが、間近で戦う紅葉には琥珀の攻撃はほとんど見えていないだろう」
「そんな……、じゃあそんなに速い、見えない攻撃をどうやってかわせばいいの?」
「見鬼のレベルが高ければ相手の霊気の流れを見て、身体の動きを先読みすることも可能だが……。今の紅葉にはそこまでの実力はないな」
「じゃあ紅葉さんは……?」
「十中八九勝てないだろう」
「えええ!?」

 身体能力や霊的能力の差にくわえ、技量の差も歴然だった。
 突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀。琥珀は竿状武器、ポールウェポンの特性をぞんぶんに活用し、つねに自分の間合いで戦っている。
 変幻自在に姿を変える、まさに薙刀の結界。結界に捕われた紅葉は手も足もでない。

「強さとは経験の差、経験とは努力の積み重ね。あの琥珀という子の四王天家は著名な巫女を数多く輩出する名門中の名門。おそらく陰陽寮に入る以前から名門ゆえの英才教育を受けて育ってきたのだろう。それゆえ琥珀は強い。修行の量も質もまるでちがう」
「……紅葉さんだってあんなにがんばったのに」
「彼女ががんばったように、相手もがんばっているんだ。努力の積み重ねをひっくり返してしまうほどの天稟なんて存在しない。だがそれでも、あきらめたらそこで試合終了だ。絶対に勝つ気で挑めば万にひとつの勝機を得られることもある」
 琥珀の薙刀が紅葉の薙刀を跳ね上げ、返す刀で袈裟懸けに斬り下す。
 鈍い音が響き、膝からくずれ落ちた。
 勝負あり。琥珀の勝ち、紅葉の負けだ。

「二之宮紅葉、わかったでしょう。絆だの友情だのが悪いとは言わないわ。でもあなた達のやっていることは四王天家を守る者にとってはごっこ遊びみたいなものよ。それだけではこの四王天琥珀、ひいては壱番隊に迫ることなどできないわ、精進することね」

 紅葉は負けた悔しさと傷の痛みで涙があふれそうになるのを必死でこらえつつ、無言で舞台から降りた。

「さぁ、次はだれかしら」
「私がまいりますわ!」
「珊瑚さん!?」
「紅葉さんの無念、この三亥珊瑚が晴らします!」

 紅葉と入れ替わりに珊瑚が舞台に上がり、薙刀をかまえる。二戦目の開始だ。

「眼鏡ははずしたほうがいいわよ、三亥珊瑚」
「あら、それは私を過少評価してるのかしら、それとも自分を過大評価しているの? 心配しなくてもあなたには一撃たりとも入れさせません」
「ふふん、今の戦いを見てよくそんな大口が叩けるわね。後で悔やんでも知らないわよ」

 試合開始と同時に珊瑚の手がひるがえり、水行符を放った。水気がほとばしる。

「巫女クラス一の呪術姫である私に呪術戦をいどむだなんて、無謀ね。白兵戦のほうが少しでも勝てる見込みがあるんじゃない?」

 土剋水。珊瑚の水を相剋しようと土行符に手をのばすが――。

「……ちょっと、なんのつもりよ」

 珊瑚の水行符は水流となり琥珀を襲うわけでもなく、舞台の中央でひたすら水を吐き出している。
 だが水は舞台の端から流れ落ちることはなかった。舞台上でおこなわれる呪術の影響を外部にもらさないための処置が、防御結界が作用しているからだ。
 水かさはみるみる増して両者の膝上まで冠水した。

「そうか! 水を張ることで足の動きを封印じるつもりなんだ!」

 運足、足運び、フットワーク、歩法……。武道において、いやそうでない日常生活においても足の動きというのは重要な位置を占める。戦闘で足の動きを制限されるのは致命的だ。
 水の抵抗が足枷となり移動の範囲や動きをさまたげる障害物になっているのだ。

「で、でもあれじゃあ珊瑚ちゃんも水で動きが鈍っちゃうんじゃないの?」
「琥珀さんの俊敏な動きを封じることで白兵戦を五分の条件にまで持ちこめます。いや、身長と体格の差があるぶん若干ですが珊瑚さんのほうが有利です!」
「ふん、相剋すればおしまいなのに変わりはないわ」

 舞台の上でなお水を流しつつある水行符に狙いをさだめ、土行符を放とうとする。

「その前に、あなたを倒しますわ」

 珊瑚が駆けた。水の抵抗をものともしないスピードで琥珀に迫る。

「速い! でもどうして!?」
「彼女の足をよく見鬼るんだ。土行符が貼ってあるだろう、あれで水の抵抗を無力化しているんだ」

 たしかに、いつの間にか珊瑚の両足には土行符が貼られ、呪力を放っている。
 水という対象そのものを剋して消滅させるのではなく、対象からの影響のみを剋し、水の抵抗を無効化しているのだ。

「五行符にそんな使い方があるなんて……」
「呪術というのは奥深く幅も広い、術者の発想や機転一つでさまざまな応用が利く。Aに対してはBの方法で対処しなければならない。などということはない、CでもDでも、あるいは同じAでも使い方次第で対応できることもある。たとえば雨が降ってきた時は土行術で雨水を剋すこともできるが水行術でも防水できるし、それ以外の術でも応用が可能だ」
「なるほど……。ところで、ええっと……、あなたは祓魔官のかたですか? 失礼ですがお名前は?」

 桃矢は先ほどから雄弁に語るとなりの男に恐る恐る声をかける。ペイントなのかタトゥーなのか、ひたいに『大往生』の文字が書かれており、どじょう髭で頭頂部を剃っているという異様ないでたちをしている。
 あやしい。
 はっきり言ってあやしい。
 あやしさ大爆発だ。

「……俺のことは男塾先輩と呼んでくれ」 
「お、男塾先輩ぃ~?」
「押忍! ごっつあんです、男塾先輩!!」
「い、いやあの、男塾て……」

 そんなヘンテコな名前があるものか。そう思った桃矢だったが朱音は素直に受け入れて実に良い返事をする。
 琥珀が土行符を発動する前に間合いをつめて倒す。それが珊瑚の狙いだった。だがしかし――。
「甘いわね」

 上から下への唐竹、真下からの逆風、右肩を狙った逆袈裟切り、左胴を斬り上げようとした逆胴、そして石突きによる刺突。
 珊瑚の続けざまの攻撃。琥珀はそのすべてを華麗に回避した。

「水中でも足の速さがまったく衰えない! 足が水に浸かっているのに、なんであんなに自由自在に動けるんだっ!?」
「琥珀ちゃんも足に土行符を貼っているの!?」
「ぬぅ、あれは」
「知っているんですか!? お……、男塾先輩?」
「あれは呪術の類ではない、体術だ」
「体術!?」
「ああ、あれだけ激しく動いても琥珀の周りの水面は乱れていない」
「あ、ほんとうだ」
「逆に土行符を使っている珊瑚さんのほうは足もとにかすかにラグが見えますね」

 式神や霊災、呪術によって生じた物体などの霊的存在は物理的影響力を持つ立体映像のようなものであり、そこにあるように見えても実際にそこに物質があるわけではない。なので物理的・霊的に強い干渉を受けると構成が乱れてラグが出る。

「水の抵抗を受けないほどに琥珀の足の動きが速いんだ!」
「「「「な、なんだってー!?」」」」

 これには周りの観戦者達もびっくり。

「武道の歩きの基本はすり足だが、あのようにひざ上まで水がきていると、すり足で移動しようとしたら水の抵抗をまともに受けて効率が悪い。必然的に足全体を持ち上げての歩き方になり、まずは膝を上げる動作が重要になるが、琥珀の膝を上げる速さは常人の目では追えないほどだ。その異常な速さが足が水面に出る時に起こる水しぶきを抑えている。琥珀のすごさはそのような基本領域がきわめて高いことだ。基礎に差があるかぎり、どんな奇策をもちいても勝つのはむずかしいだろうだろう」
「ふふっ、そういうことよ、考えが浅かったわね珊瑚。水を使って足の動きを封じるつもりだったんでしょうけど、そんな姑息なたくらみなんて私の武には通じないわ」
「くっ……」

 呪術によって地の利を生じさせて戦おうとした珊瑚の策は失敗した。かのように思えたが――。

「まだ終わってはいませんわ。――急急如律令(オーダー)!」

 水を流し続ける水行符の術をリライト。膝上まであった水が一瞬で蒸発し、濛々たる霧に姿を変えた。鉛色をした濃霧は一寸先も見えないほどで、視界をさまたげる。
 普通の霧ならば目くらましにはならない。見鬼の持ち主なら肉眼ではなく霊感で相手を〝視る〟ことができるからだ。暗闇をナイトビジョンで見るように相手を知覚できる。
 しかしこれは呪術による霧であり、霊的な視覚もさまたげる。並の見鬼持ちでは見通せない。
 並の見鬼持ちならば。

「私は壱番隊最強の呪術姫よ? 効かないわ」

 琥珀はくるりと向きを変え、背後から打ちこもうとする珊瑚に一撃。
 ラグとともに一枚の式符になる珊瑚。
 側面から本物の珊瑚が琥珀につかみかかり、背負い投げる。
 琥珀は下手に抵抗せず、即座に薙刀を手放して自分から倒れるように受け身を取って距離をとった。合気道の前回り受け身にも似た俊敏な動きだ。

「有効!」

 霧が晴れ、審判の判定が響く。

 刀会は呪術の使用も許可された実戦的な試合だ。それゆえ骨身に染みるほど打ちこんで技あり、気絶させたら一本というくらいなので、これは珊瑚にとっては有利な流れだ。

「や、やったの!?」
「いったい霧の中でなにが?」
「水行符を使った霧からの奇襲はダミー。本命は霧に隠れて作った簡易式による攻撃のダブルダミーだ。霧が濃いあいだに簡易式を形成し、薙刀を持たせる。『突進しろ』『あいつを攻撃しろ』などの簡単な命令を与えただけなので今の珊瑚でも琥珀をだませるくらい精巧な式神を作れた。組み打ちに持ちこめば薙刀のリーチを活かせないし、両手を使うモーションからとっさに防御することもできないとふんだのだろう。だが琥珀はちゅうちょなく武器を手放し防御行動をおこなうことで被害を最小限におさえたんだ」
「うわぁ、二人ともすごいね!」
「ええ、まさか珊瑚さんがこんな戦いかたをするだなんて、思ってもみなかったです」

 だが仕切り直しの後の戦いでは琥珀は終始攻めに徹して、珊瑚を圧倒。主導権を与えることなく勝利した。

「小手先の奇策ばかりで話にならないわね、もっと腕をみがいて出直してきなさい」

 紅葉と同様に一方的に攻撃を受けて敗れた珊瑚は肩を落として席に戻った

「めんぼく次第もございませんわ……」
「そう肩を落とすことはない、最初の水行符といい簡易式をダミーに使った手といい、見事な策だったぞ」
「でも結局は負けてしまいましたわ、琥珀さんの言うとおりしょせんは小手先の奇策。純粋に実力のあるかたには通用しません」
「兵は欺道なり。という言葉があり、呪術の真髄は嘘だと言う。奇計奇策も立派な呪術であり、人の知恵のなせる技だ。今回はそれこそ純粋に相手が強かっただけで、戦いかた自体はまちがっていない。……
人の知恵と技術に限界はない、これからも精進するといい」
「押忍! ごっつぁんです男塾先輩!」
「え? いやだからおかしいですよね、その人の名前。男塾て……、なんで珊瑚さんまで自然に受け入れているんですか? だって男塾ですよ、男塾っ!」
「なにごちゃごちゃさわいでるの、次はだれが相手をするのかしら。一の瀬朱音? それとも梅桃桃矢? なんなら例の能力を使って二人同時に相手してあげてもいいわよ。そっちのほうが手っとり早くていいわ」
「うう、あんなこと言ってる。でも琥珀ちゃん強いよ~、私じゃ無理。桃矢くんお願い!」
「ええ、お願いしますわ桃矢さん」
「……桃矢、もう望みはおまえだけだ。頼む、勝ってくれ!」

 朱音、珊瑚、紅葉。三人の仲間が自分に期待をかけてくれる。
桃矢の心に闘志がわいてきた。どのような状況であれ女の子から頼りにされるというのは男の子にとってこそばゆくも嬉しい。いやでも奮起せずにはいられなくなるものだからだ。

「はい、いってきます!」

 薙刀を手に舞台に進む。その姿には以前の桃矢にはまったくといって言いほどなかった自信と闘気がみなぎっていた。

「男塾先輩、桃矢は勝てるのでしょうか?」
「へのつっぱりはいらんですよ」
「まぁ! 言葉の意味はわかりませんが、とにかくすごい自信ですわ!」
「梅桃桃矢。彼もまた基礎ができている、それにくわえてここ最近はさらに特訓を重ねていたんじゃないか?」
「はい、たしかに彼は賀茂先生……、講師の人につきっきりで訓練をしていました」
「だろうな、まとった気でわかる」

 桃矢と琥珀は舞台の上で対峙した。

「あら、いいの? 例の同調性ナンチャラっての使わなくても? 朱音じゃ私を倒せない。あんたが負けたら詰みよ」
「それは、僕の実力を認めてくれてるんですね?」
「かんちがいしないでちょうだい。朱音よりかはあんたのほうが上、ただそれだけの話よ。賀茂先生になにか教えを受けていたみたいだけど、つけ焼き刃の生兵法なんて四王天の武にも呪にもおよばないわ」

 緋組と白組、三戦目が始まった。





 山手線外回りの電車内は学生や主婦、外回りのサラリーマンらの姿がちらほらと見受けられた。
 座席に座った母親の膝で居眠りしていた幼児が突然目をさまし、最後尾のドアを指差す。

「ママ、あそこのワンワンこわいよ……」

 母親は指差した場所を見るが、犬の姿などない。怪訝そうに首をかしげる。

「どこにワンワンがいるの?」
「こっちにらんでる! こわいよ! こわいよっ!」

 母親にしがみついて火のついたように泣きだした。車内の乗客の視線はいっせいに親子に突き刺さる。
 いたたまれなくなった母親は子どもを抱き上げて次の駅で降りた。

「うるさいガキだったな」
「アタシ、年よりとオヤジとオバンとガキって大っきらい」
「ほんとそう、ガキがかわいいと思えるのはガキの親だけだっつうの。自分のガキでもないのにかわいいとか思えるやつって信じらんない」

 学生らが手前勝手なことを言い合っていると、低いうなり声が聞こえた。耳の底をかきむしるような、不快で気味の悪い、動物じみた声だ。

「なんだ?」

 学生らが顔を見合わせた瞬間、そのうちの一人がなにかに引っ張られるように倒され、最後尾のドア付近まで引きずられていった。
 悲鳴をあげて両腕を突き出し、なにかを避けるように必死に身をよじる。
 あっけにとられた乗客の視線をあびる中、突き出した腕がじりじりと内側に曲がり、ぞぶり。と音をたてて切断された。動脈から噴き出た鮮血が車内を朱に染め、床いっぱいに広がる。

「ウワーッ!?」
 周りの乗客らがいっせいに悲鳴を上げて跳び上がる。
 その時、血溜まりの中でなにかがうごめいた。ぴちゃぴちゃと音をたてて血溜まりの上を波紋が駆け抜け、床の上に獣の足跡がついた。それが他の乗客にむかって一歩一歩近づいてゆく。

「キャー」「助けてッ!」「人殺しだ!」

 叫びながら乗客たちは別の車両に駆け込んで行った。獣の足跡は彼らの後を追って前の車両に入り込む。
 わけがわからずに足跡の前に立ちはだかった男は一瞬の間に首をかき切られていた。
 新たな犠牲者の悲鳴が響き渡る。乗客たちは恐慌状態になって前に前にと、前の車両に逃げ込んで行くなか、その男がいた。
 肩幅よりも大きく脚を開き、のけぞるようにして座席シートに座っている。齢は二十歳前後、細身であご先など鋭角的ですらあるのだが弱々しい印象はない。
 銀色に染めた髪を短く刈り込んでおり、ミラーコーティング・レンズのサングラスをかけていた。耳には複数のピアスファーつきのジャケットに胸元を飾る光物のアクセサリー、シルバーバックルのスタッズベルトにウォレット・チェーンの絡まるデザイン・ジーンズ。足には光沢のあるエンジニアブーツを履いていた。
 なにより異様なのは額にある×印型のタトゥーだ。見るからに剣呑で、見る者を不安にさせた。
 そしてもうひとつ。男のかたわらに立てかけてある刀袋もまた禍々しい剣気を放っていた。
 不遜な冷笑を浮かべ携帯音楽プレイヤーから流れる音楽をイヤホンを通して聴いていたが、悲鳴をあげて目の前を通り過ぎる乗客たちを軽く一瞥すると、彼らの逃げてきた方向を見やる。

「……仕事増やしやがって」

 ゆっくりと立ち上がると必死になって前の車両に逃げようとする乗客たちを悠々と押しのけ、進んで来る獣の足跡の前に立ちふさがる。

 キーン――。

 刀袋の中の刀がなにかをうったえかけるかのように鳴いた。

「よく見えねぇな。……風狸(ふうり)か? いや、野衾(のぶすま)だな」

 風狸、野衾。いずれも伝承に登場する妖怪の名であり、陰陽庁が指定する動的霊災の一種だった。

 キーン、キーン――。

 刀が鳴く。まるで自分を使えと言っているかのように。
 しかし男は刀の訴えを無視してわずらわしげに鼻を鳴らすと、見えない相手に向けて片手をふるった。
 空中で爪を引き裂くように横薙ぎに、次いで人差し指から小指の四本を縦に。呪力を帯びた指先が描くのは早九字の格子紋。ドーマンだ。

 「KISYAAAAァァァッッッ!?」

 虚空にラグが浮かび、一匹の獣が姿を現した。前足のかわりにコウモリのような翼をはやした犬のような狐狸のような野獣、野衾。
 男の放ったドーマンに捕われ、急速に霊力と体力を奪われている。

 キーンッ!

「うるせぇぞ、シェイバ。おまえの出番はない、もうおわった」
 事実、その言葉を言い終える前に野衾はいっそう激しくラグを走らせ、消滅した。
 男の早九字は呪文の詠唱もなければまともに手印の一つも結ばない。おそろしく略式ながら、その威力は絶大だった。動的霊災は個体差が激しいので一概には言えないが、フェーズ3の霊災といえば祓魔官が部隊レベルで対応にあたるのが普通だ。それをこの男は一人で、それも簡単に修祓してみせた。
 これが男の、独立祓魔官である鏡伶路の実力だった。





 昼下がりの秋葉原。
 予定外の仕事で不機嫌になった鏡がいら立ちもあらわに歩いている。けっして空いているとはいえない街中だが、その危険な気配を察してそばを通る通行人たちは可能な限り彼から距離を開けていた。
 古代イスラエルの民を導いた男は神の威光で海を割って歩を進めたが、この男は恐怖で人の海を割って進んでいる。
 そんな鏡の後ろに数歩ほど遅れて一人の青年が続いていた。長身の鏡よりさらに背が高いが、細身でなで肩。さらに猫背のように縮こまっているので前を行く鏡よりも存在感が薄い。先ほど鏡が座席に立てかけていた刀袋を大事そうに両手で抱きかかえていた。

「……ねぇ、伶路。なんか話がちがうんじゃないの? せっかく外出が続いてるのに、せっかく斬っても
いいのがいたのに。こんなんだったら、僕いらなくない? ねぇ?」

 十月末日。東京を中心に関東全域で発生した百鬼夜行。万魔の大祓えが終わってからというもの、鏡ら独立祓魔官は都内の巡回を命じられていた。
 安全レベルまで落ち着いたとはいえ、霊脈はいまだ安定せず、動的霊災が多発していた。それもハロウィンの夜と同様、前例のない姿形となって発生する率が高く、予断をゆるさない状況だったからだ。
 だがそんな特別業務も本日をもって終了。霊脈が安定し、霊災の発生も平時レベルに落ち着いたからと上層部が判断したからだ。
 報告書の作成および提出。そして普段は使用禁止されている特殊な式神の返却のために鏡は陰陽庁にむかっていた。

(さっきの件どうすっかな……、バカ正直に報告して『まだ危険だ』なんてダリィ勤務が伸びたりしたらマジうぜぇ。けどパンピーどもにばっちし目撃されちまってるしなぁ。あ~、こんなことだったらやつらの記憶いじっとくんだったぜ……)
「あ~あ、楽しみにしてたのにさぁ。あーあ、つまんない、つまんない。あー、がっかり、がっかり」
 ぶつぶつグチグチと青年の愚痴がしつこく続く。
「だいたい伶路は伶路のくせに生意気っていうか――」

 そのうち文句を言うこと自体が楽しくなってきたのか、やれ伶路は愛想がないだの、やれ伶路は口が悪いだのと、鏡批判に展開しだした。

「伶路はほんとチンピラって感じの声してるよね、チンピラ役オリンピックがあったら金メダルまちがいなしだよ。悪役商会にでも入って……」
「おい、シェイバ」

 それは刀袋に納められた刀『髭切』と同じ意味を持つ名前、シェイバ。それが青年の名だ。唐突に名を呼ばれシェイバはあわてて足を止めた。その瞬間、鏡の振り向きざまの裏拳が顔面にめり込んだ。

「ぷぎゃぁっ」

 ジャブ、フック、ストレート、アッパー……。ごついリングを指にいくつもはめている、メリケンサック装備状態にひとしいことを意識しての手技の乱打。
 通行人たちは突如始まった『まよチキ!』ばりの理不尽暴力に唖然とするが、その中のだれ一人として拳があたった瞬間にシェイバの身体の輪郭がぶれ、ノイズが走ったことに気づく者はいなかった。
そう、この細身の青年は人ではない。その正体は抱えている刀袋の中身、髭切という名の日本刀を形代にした式神だった。

「うるさい、黙れ。殴るぞ」
「な、殴ってから言わないでよ」

 内心に不満をかかえつつ、沈黙を強いられ陰陽庁の間近まで無言だったシェイバが声をあげた。

「ねぇ、伶路。今日ってここでなにかやってるの?」

 瞳を輝かせて呪道館を指差し、問いかける様は子どもが目新しいオモチャを店頭で見つけた時のようだ。
 呪道館の結界は完璧だ。外からの呪力を防ぎ、内からの呪力を外に漏らすことなどない。
 だがべつに穏形の結界が張られているわけではないので、中にいる人々の気自体は外にまで感じられた。シェイバの見鬼は呪道館からあふれる人々の気を〝群気〟を視た。
 今日の気は闘争の質を帯びていた。それも武と呪の両方の気が満ちており、刀という武器の式神であるシェイバが興味を持つのは当然と言えば当然だった。

「ねぇ、伶路。見に行っちゃダメかな? かな?」
「…………」

 わざわざ保管室まで足を運ぶのもめんどうだ、手続きをすましたらそのまま帰路につきたい。
ここはもう陰陽庁の敷地内のようなもの。『シェイバなら呪道館にいる、勝手にしまえ』これですむ。

「ああ、いいぜ。俺は顔出ししてくるから、好きにしてな」
「わ~い☆」

 弾むような足取りで呪道館に入って行くシェイバ。鏡がその姿を追ってふと入口を見れば『陰陽塾巫女科 第○○回刀会』の文字が目に入る

「ハッ、くだらねぇ」

 心底侮蔑した表情を浮かべて鼻で笑う。おおかた竹刀でもってペチペチ叩き合うチャンバラごっこが繰り広げられているのだろう。防具の上から打突を入れてなにが一本だ、有効だ、技ありだ。
 三本勝負? アホか、人の命は一人に一つ。ゆえに三本勝負などありえない。
 女、子どもの武道ごっこにはヘドがでる。剣(拳)は凶器、剣術は殺人術。目的は暴力、極意は殺生。それが武だ。
 矛を止めると書いて武だと? ちがうね、矛をもって堂々と前進する様こそ武だ。
 道という漢字の由来は首を手にたずさえる形から生まれたという。
 異邦の地を開拓するさい、祓い清めるために異民族を生贄にし、その首をもちいたことから道という字が作られたというのだ。本当か嘘かは知らないが、鏡はこの説が気に入っていた。
 矛を持って道なき道を開拓し、進むのだ。まさにこれこそが武の道。武道じゃないか。
 鏡は世界中をあざ笑うかのような冷笑を浮かべ、一人庁舎へとむかった。





 十合、二十合、三十合……。桃矢と琥珀は丁々発止の打ち合いをくり広げていた。

「桃矢君すごいっ! あの琥珀ちゃんの攻撃をガードするどころか反撃までしてるよ!」
「桃矢さん、訓練でも強かったですけど、ここまですごいとは思いませんでしたわ」
「ああ、徒手空拳の中国武術の訓練をしているから薙刀でどこまで戦えるのか、少し心配だったが杞憂だったみたいだ」
「でもこのわずかなあいだに、よくここまで強くなれたものですわ……」
「戦士の成長は樹木が伸びるようなものではない、石を積んで塔を作るようなもの。石を持ち上げているあいだ、高さに変化はないように見える。けれど、積み上げられた瞬間にどんと高くなる。……ところであの動き、彼は形意拳を使うようだが」
「わかるんですか?」
「さすが男塾先輩!」
「ああ、形意拳は槍の技法から発達したという説がある。形意拳の創始者だと言われる岳飛が槍の名手ということと、形意拳の動きの多くが槍術と共通していることから生まれた説だが、実際に刑意拳の初歩である五行拳にふくまれる金行劈拳は槍を振り下ろす動作に、木行崩拳は突き刺す動作そのものだ。薙刀術」
「「「「へ~」」」」

 男塾先輩が一席ぶっているあいだにも桃矢と琥珀の戦いは続いている。
 蝶のように舞い、飛燕のように宙を切る琥珀の薙刀を素早く受け流しては、的確に反撃する。

(……梅桃桃矢、こいつ先読みでもできるの? 私の攻撃が全然あたらない!?)
 琥珀は薙刀を風車のように回転させ、連撃を放つもそのことごとくがかわされる。
 妙だ。こちらの動きよりも一瞬早く反応しているのではいか?

「桃矢のやつ、琥珀の技の始動よりも速く動いている。まるで琥珀の攻撃する位置を知っているようだ。目にも止まらない琥珀の連続攻撃をすべてよけるだなんて、どうしてそんなことが可能なんだっ!?」
「うむ、あれが彼の持つ同調性共鳴症(シンクロニシティ)のもう一つの力だ」
「なにか知っているんですか、男塾先輩!?」「あれがわかるんですか、男塾先輩!?」「なにか知ってるの? 男塾先輩?」
「霊力を同調することで対象と一体化する同調性共鳴症。その応用で相手の気を読みとり、自身の気と合わせることで筋肉の動きの細部まで体感する。そして筋肉の動きをさらに深く掘り下げ相手を感じとる。筋肉の緊張と弛緩、呼吸のリズム、感情の流れ。それらを見極めて思考と動きを予測する。一種の先読みだ」
「「「「な、なんだってー!?」」」」

 この説明にまたもや周りの観戦者達もびっくり。

「この先読みの術、同調性共鳴症・意脈合気とでも名づけようか」
「ま、まさか。それが本当ならそれはもう武術なんてものじゃない、まるで――」
「呪術か? だが武術とはもっとも実践的な呪術・魔術であり、人の知恵と技術の結晶という意味で両者は同じものなんだ」
(そうです、お…、男塾先輩。だけどその予測をもっと速く、琥珀ちゃんが動くよりもさらに速く!)
「なるほどね、とんだ裏技もあったものだわ。でも相手の気の流れを読むのが第一条件なら穏形した相手には効かないわよね?」
「隠形したまま戦えますか?」
「……無理ね。少なくとも今の私の実力じゃあ」
 
 隠形をかけながら激しい動作をする、あるいは他の呪術を行使することはむずかしい。プロの陰陽師でも簡単にはできないことだ。そもそもプロを目指すだけなら穏形したまま激しく動いたり他の呪術を同時におこなう技術を磨く必要はない。
 そんな技術が必要とされるのは陰陽術を戦闘にもちいる者だけだ。
 神道を汚す敵と戦う責務を持つ巫女には必要な技術だが、さしもの琥珀もそこまでの域にまでは達していない。それゆえによけいに焦燥する。
 どうする?
 どうする四王天琥珀?
 琥珀の動きがぴたりと止まった。

「!?」

 桃矢の動きも止まる。
 両者のにらみ合いが続く。
 桃矢の先読みは攻撃直後のリアクションまで正確に読めるわけではない、受けに徹する相手には効果が薄い。数十合におよぶ打ち合いでそのように実感した琥珀は、後の先狙いに戦闘スタイルを切り替えたのだ。

(純粋な技術勝負だって、僕は負けない!)

 八双に構え、攻撃しようとした矢先、琥珀もまた桃矢と同じ構えをとった。

(え?)

 攻撃にそなえ下段に構え直す。すると琥珀もまた下段の構えをとる。
 脇構えからの素早い胴打ちに対し、脇構えからの素早い胴打ちが。中段からの打突に対しては中段からの打突が正確に返され、薙刀同士がぶつかる乾いた音が響く。

「なんだあの琥珀の動きは!?」
「まるで鏡にでも映っているように桃矢さんと寸分のちがいもない動きですわ!」
「ぬぅ、まさかあれは世に聞く千日颮鏡(せんにちほうきょう)では……」
「知っているの、男塾先輩!?」
「ああ、あの技は――」
 


 将棋の世界には禁じ手とされているが模写矢倉という戦法がある。これは相手と全く同じ駒の手順で指していき、最後には相手の王を詰めてしまうというものだ。
 これを武術に応用したのが千日颮鏡であり、相手と同じ武器を使い攻撃を完璧に模倣することで焦燥感をつのらせ、その隙を狙うというものだ。
 この技の要諦は集中力と反射神経を極限までとぎすまして相手の動作を寸分たがわず 一瞬にして模倣することにある。
 弱点は相手と同じ武器を持たなければ成立しないこと。
 なおこの修業方法は数多くあるが、代表的なものは雨の降る軒下で禅を組み、反射神経で無意識のうちに水滴をかわすことができるようになるまで禅を組むというものである。『人のふり見て我がふり直せ』という言葉はこの修業訓のなごりだとされる。
              
民明書房刊『中国の奇拳――その起源と発達――』より。



「し、信じられない。そんな技が存在するだなんて……」
「中国五千年の武の歴史には信じられない奇拳珍拳が存在する。酔拳なんてのは序の口で、両足の不自由な人を両腕の不自由な人が肩車して戦う二人一組の肩車拳法なんてのもある」
「う~ん、でも中国五千年てちょっと盛りすぎじゃない?」
「堯や舜といった三皇五帝の時代も勘定にふくめばそのくらいになるさ。日本だって神武天皇から数えて皇紀二千六百うん年とか言ってるし、気にしない気にしない」

 歴史が長ければ偉大な文化文明というわけでもない。大切なのは今、そしてこれからだろうに、日本も中国も過去を水増しして、なんとも子どもっぽいことである。

(同じ武器じゃないと真似できないなら!)

 薙刀を手放した桃矢が琥珀に突進。たしかにこれなら模倣はできない。しかし。

「素手で薙刀の間合いに対抗できるつもり!」

 長柄の武器と素手では間合いに差がありすぎる、突きや蹴りがとどく前に琥珀の攻撃を受けることになるだろう。事実、琥珀の薙刀が桃矢の肩口を狙って振り下ろさせる。
 パァァァンッ!
 乾いた音が響き、桃矢の手にした薙刀がそれを打ち上げた。わずか一瞬だが琥珀の両手が浮いて胴ががら空きになる。そのすきを見逃す手はない。返す刀で無防備な胴に一撃をくわえた直後、桃矢の手にした薙刀が一枚の式符にもどる。

「ぐっ」

 たおれるようにうずくまる琥珀。

「一本!」
 桃矢の胴打ちは腋の下に入った。腋の下は人体急所の一つ、受けた衝撃が肺まで伝わり呼吸困難になった琥珀に戦闘続行は無理と見た審判はそのまま桃矢の勝利を宣言。
 梅桃桃矢の、緋組拾参番隊の勝ちだ。
 呪術をまじえた本格手な戦闘が第一試合から展開され、まわりからは歓声が上がる。

「だいじょうぶ、琥珀ちゃん?」
「……まさか簡易式で武器を、薙刀を作るだなんてね。その発想はなかったわ。これは完敗ね」
「僕もこういうふうに式符を使うって考えはなかったです。これは朱音ちゃんのアイデアですよ」 

 簡易式で武器を作る。つい先日街でガラの悪い連中にからまれたさいに朱音が使った術を思い出してこころみたのだ。
 呪術で武器を作る。
 この発想はなかなか盲点である。呪術が使えれば剣や銃といった道具をもちいる必要はない、腕に覚えのある術者ほど既存の物に頼らず呪術による直接解決をもとめる傾向にあるからだ。
 呪術はあくまで問題解決するための手段の一つにすぎない。使えるなら銃でもパソコンでもなんでも柔軟に使うよ。と割り切って考える者でも、わざわざ呪術で道具をこしらえ、それを手に取って使う。という考えはなかなか出てこない。ある意味で無駄の多い行為だからだ。
 だが今回はその無駄な行為が役に立った。式符をもって自在に動く式神を作るのではなく、ただの武器を作るという発想のなかった琥珀には抜群の効果をもつ奇襲になったのだ。

「この四王天琥珀に勝ったからには、他のやつに負けることはゆるさないわ。絶対にこの刀会で優勝すること。わかった?」
「……うん、優勝する。でも琥珀ちゃん、勝ったのは緋組拾参番隊みんなの力があったからこそ、僕一人の実力じゃないよ。最後の簡易式は朱音ちゃんのおかげだし、紅葉さんと珊瑚さんが武と呪の闘いかたを見せて、僕までつないでくれたから勝てたんだ。僕が最初から琥珀ちゃんと戦ってたら、今みたいに勝てなかったかもしれない」
「ふん、あんたも紅葉みたく絆とか友情とか言うつもり? ……まぁいいわ。勝者であるあんたがそう言うのならそれでね。……あ、それと優勝するだけじゃだめよ、今後は武道以外の授業でも優秀な成績をとること」
「え? なんで?」
「この四王天琥珀に勝った人間は文武両道の優等生じゃなくちゃ納得できないわ。早く成績をあげて緋拾参番隊から白組壱番隊に入れるようになりなさい」
「おいっ、勝手に桃矢を引き抜くな!」
「そうだよ、桃矢君を最初に見つけたのは私達なんだからっ」
「あら、そういうことなら八番隊に来ない? 今ならうんとサービスするわよ」
「八番隊なら同じ緋組のうちに来なさいよ」
「ねぇ、桃矢君――」
「桃矢く~ん――」
「ちょ、まってください。僕は――」

 張りつめた空気から一変。舞台上は桃矢の身柄をめぐっての姦しい喚声につつまれた。

「おやおや、急に雰囲気が女子高みたいになったね」
「よく見ればあの子は男子じゃないか。ああ、彼が例の巫女クラスの紅一点ならぬ黒一点の子か。うらやましいねぇ、女の園に男が一人きりだなんて」

 これには周りの観戦者達もあっ気にとられる。

「ぬぅ、これは……。まさにチョロイン。裸を見られて結婚を迫るとか、負けたから気になるとか、一人きりの男子が珍しいとか、そういうあれか、そういうのか、そういうのが発動したのか、そろいもそろってチョロイン化か!」
 第一試合を大金星で飾った緋組拾参番隊はその後も順調に勝ち進み、やがて決勝戦をむかえた――。





「なんなの、あの戦い……」

 会場のすみから暗い眼差しを試合舞台にむけるシェイバの姿があった。
 細長い刀袋をかかえて置き物のように微動だにせず、ずっと試合の様子を見ていたシェイバは不満の塊だった。
 ほとんどのあいだ陰陽庁の倉庫に封印され、たまに外に出るときといえば開発研究部でいじられるときだけ。封印されているあいだは自我もほとんどなく冬眠状態だったが、それでも退屈という感情が溶けた鉛のように心を侵し、精神をさいなまされていた。
 だからこそ主である鏡伶路に召喚されたときは大いに期待したものだが、ハロウィンの夜以降まともに獲物を与えてくれない。活躍するべき場には連れて行ってもらっているのだが、抜いてくれない。
 たまに霊災を祓うことはあってもあまりにも弱い、手ごたえのない霊災ばかり。
 シェイバは餓えていた。
 闘争を欲していた。
 だからここに、闘気渦巻く刀会会場に引き寄せられたわけだが、あふれる闘気とはうらはらにシェイバにとってつまらない、退屈な戦闘ばかりを見せつけられうんざりしていた。
 どうして敵を斬らない? どうして敵を殺さない? どうして敵の血を吸わない? どうして敵を喰らわない? どうして? どうして? どうして――。
 武器を手にした人間がたくさんいて戦っているのに、どうしてそんなお遊戯みたいな真似をするのか、こっちは死合いをがまんしているというのに……。
 蛇の生殺しじゃないか。
 もったいない。
 緋組ナントカ隊といっただろうか、そこのポニーテールの子は動きが良い。あれならもっと敵を痛めつけられるのになんで中途半端なところでやめてしまうのか。
 眼鏡の子は呪術に秀でているようだ。もっと徹底的に呪詛できるのに手加減している、なんで敵にそんなことをするのか。
 ちんちくりんな茶髪の子は逆に斬りがいがありそうだ。女の身体は男よりも脂肪が多いぶん斬った時の感触が楽しめる。
 そういえば最後に人間の女を斬ったのはいつだったろう? ああ、斬りたい。斬りたい、斬りたい!
 女といえば、あの女の子みたいな顔をした男子は実に良い動きをしている。
 あれなら斬る以外にも、戦いでも楽しませてくれそうだ。
 実際、他の連中を制してあの男子のいるチームが優勝したらしく、トロフィーを授与されているじゃないか。
 あの子が一番強いんだ。
 ああ、斬りたい。
 あの子を、いや、他のだれでもいい。戦える者を斬りたい。
 そのようなことを考えているうちに、シェイバの理性は霞のようにかき消えていった。
 ぶつぶつとうわごとを口にし、ゆらりゆらりと酔ったような足どりで歓声をあげる巫女達の列に近づく。





 連戦形式は消耗が激しい。全身に生傷を作り、痛みと強い疲労感にさいなまれるも、桃矢は満ち足りた気分になっていた。
 まさか自分が、緋組拾参番隊が刀会で優勝するだなんて、数ヶ月前なら夢にも思わなかっただろう。
呪術とも異なるその異能の力ゆえに居場所をなくした自分に道を示した大友先生。その道をともに歩いてくれる拾参番隊のみんな。
 そして強くなるよう稽古をつけてくれた特別講師の賀茂秋芳に感謝の気持ちでいっぱいだった。
 そういえば秋芳先生はどうしたのだろう? 見に来ると言っていたが結局最後まで姿を見せなかった。
 秋芳の姿がないものか、ふと周りを見回した桃矢の視界に抜き身の刃を振り上げるシェイバの姿が写った。
 目が合った瞬間、シェイバがニイと笑い、消えた。
 シェイバが消えた。いやちがう、跳んだのだ。

「――ッ!?」

 袈裟斬りにされ、鮮血をまき散らして絶命する自分の姿が脳裏に走る。だがシェイバの刃は桃矢の身体にとどくことはなかった。
 桃矢の前に割り込んだ者がいた。額に大往生と書かれたどじょう髭の男。

「お、男塾先輩!?」

 斬撃を左右二つの拳ではさんで止める、双拳白刃取りで髭切の刃をふせいでいた。

「乱心者が!」

 左足が上がりシェイバの右脇腹に吸い込まれるように叩きこまれた。肝臓を狙っての中段蹴り。常人ならば悶絶必至の急所攻撃だったが、シェイバの表情に変化はない。
 かすかにラグを生じさせただけで、さしたる痛手にはなってなさそうだ。

「邪魔しないでよ! じゃ~ま~いいか、ジャマイカコーヒー!」

 叫びとともに圧倒的な霊気が放たれる。
 強烈な戦意、破壊衝動と殺人欲求が突風と化して周りにいた巫女達を打ち据え、吹き抜ける。
 剣気だ。
 いつぞやの骨喰藤四郎の放った剣気と同じかそれ以上の剣気がほとばしり、巫女達を、さらには遠巻きにしていた見物人達までも恐怖で縛りつけた。巫女のなかには失神してしまう者もいる。
 桃矢もまた圧倒的な剣圧にさらされ、尻もちをついた。足に力が入らない、まるで腰が抜けたようだ。

「たらら~♪ 川原ワラワラ~♪」

 さらに力まかせに刀を押し切り、白刃止めされた状態のまま刃は男塾先輩の左肩から胸にまで深々と斬り込んだ。
 激しいノイズの混じった映像のように男塾先輩の身体がびりびりと乱れ、輪郭がゆがんでぶれ、身体の裏側が透き通るように明滅する。
 ラグだ。
 出血のかわりにラグが走り、弾けるように像を乱して消えた。今にも二つに切れそうな一枚の式符だけが残る。

(し、式神?)

 突然の襲撃、死の恐怖、身を挺してかばった男塾先輩、その男塾先輩はだれかの式神だった――。
 わずかなあいだにおこったできごとを理解し、処理するのに脳が追いつかない。茫然とする桃矢の前でシェイバが地に落ちた式符を髭切の先に突き刺して、桃矢の眼前にかざす。

「これって君の式神? よくできてたね。……ねぇねぇ、もっと強いのある? あるなら出してよ。なんて聞いちゃったりなんかして、このこの~、ちょんちょん」

 白痴のような笑みを浮かべて切っ先に刺さった式符をひらひらと揺らしている。桃矢にはそれがひどく冒涜的でゆるしがたい光景に思えた。

「ふざけるなぁっ!」

 怒りが、恐怖を駆逐した。
 バネが弾けるようにはね起きると同時にシェイバの側面に入り身し、手首を両手ではさむようにつかみと同時に身体をひねり、腕ごとねじり倒した。
 手首を極められ、シェイバの手から髭切が落ちる。桃矢はそのままとどめの当て身を入れようとしたが、そこにシェイバの姿はなかった。

「!?」

 桃矢は知らないことだがシェイバは刀の式神、付喪神であり、その形代は刀そのもの。実体化を解いたのだ。

「あっはははは! 残念賞~。僕はここだよ知らぬが仏、知ってキリスト、斬り捨て御免! ラーメン、タンメン、僕イケメン!」

 そして桃矢の背後であらためて実体化したシェイバが手にした髭切を振りかぶる。

(やられる!)

 日本刀が描く斬撃の軌道が読めた。
 だが身体の反応が間に合わない。肉薄する白刃、肌をなぶるシェイバの霊気。二度目の死を覚悟したとき、シェイバの横っ面と胴に薙刀による一撃と火の矢が命中し、その動きを止めた。

「図に乗るな!」
「桃矢さんから離れなさい!」

 紅葉と珊瑚だ。

「「「緤べて緤べよ、ひっしと緤べよ、不動明王の正末の本誓願をもってし、この邪霊悪霊を搦めとれとの大誓願なり! オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ!」」」

 琥珀を筆頭に白亜と眞白ら白組壱番隊の三人の詠唱が重なる。不動金縛りの術の呪力が一つにまとまり、強力な呪縛がシェイバを拘束する。

「桃矢君っ」

 朱音が投げ渡した薙刀をつかみ取った桃矢はあわてて距離をとる。

「た~らら~♪」
 小枝のように刀身を振るい、鋼の刃が銀光を閃かせると、全身を縛る呪力の縄がバラバラに切り裂かれ消滅した。

「か、刀で呪力を斬るだなんて!?」

 物理的な方法で強引に返された呪の反動を受けて琥珀が悲鳴をあげる。

「うふふふ、やったな~。うふっ、うふふっ、おまえらみんなまとめて相手してやる!」

 絶叫し、哄笑するシェイバの異様なさまはいよいよ狂人じみていた。

「おい、あれはシェイバじゃないか?」
「そうだ、鏡独立官の!」
「げぇっ、シェイバ!」
「なにやってやがる、暴走してるのか!? 早く生徒達を避難させろ、人死にが出るぞ!」

 ここにきて周りの観客達が動いた。彼らの多くは陰陽庁勤めの現役祓魔官や呪捜官だ、いざとなると動きは速い。生徒や自分らに防御結界を展開し、呪符を手にして舞台に急ぐ。

「そいつに、シェイバに近づくな! 危険すぎる! 遠巻きにかこんで呪術で黙らせるんだ!」
「おいよせ、生徒達を巻き込むぞ!」

 なかには観客席から呪術を行使する者までおり、会場は混乱のありさまを見せた。

「動くな」

 騒然とする会場に静かな声が響いた。本来ならば人々のざわめきにかき消されてしまう程度のつぶやき声にもかかわらず、拡声器を使ったわけでもないのに、そのつぶやきはその場にいた全員の耳に入り、身体の芯にまでズン、と響き、染みわたった。
 それはまるで静かな雷鳴、無音の怒号のようだった。その声を聞いた者はみな動きを止めた、シェイバとて例外ではない。みながみな、強制的に止められたのだ。声に強力かつ精緻に練られた呪力が込められている。
 甲種言霊。声を通じて相手の精神に働きかける強制力をもった言葉。

「どいつもこいつも人の式神かこんでなにやってやがる。巫女どものお遊戯はもう終わったのかよ?」

 すべてを見下し、揶揄するような独特の口ぶり。鏡伶路だ。
 それまで混乱状態だった会場は鏡の登場により逆に凍りついたかのようになった。たんに甲種言霊で動きを止めたからではない。空気が、場の流れそのものを変えてしまったのだ。
 鏡と面識のある者もそうでない者も、その霊気の強大さと禍々しさに絶句した。

「お、鬼喰らい(オーガ・イーター)……」
「げぇっ、鏡!」

 会場のそこかしこからそんな声が漏れると、鏡は顔をしかめた。

「今、くだらねぇ呼び方したやつはだれだ? その名でオレを呼ぶんじゃねぇ。オレの名は鏡伶路だ。十二神将相手にチョーシくれてっと、耳かきでほじり殺すぞ」

 重苦しい沈黙。それを破ったのは一人の祓魔官だった。

「か、鏡独立官。これはどういうことだ、あなたの支配下にあるはずの式神が突然乱入して狼藉におよんだんだぞ。説明してもらおう」
「よくあることだ」
「……は?」
「こいつがトチ狂うことはよくあることだから気にするな。以上、説明終わり」
「なっ……」

 鏡のあまりの非礼さに唖然とし、続いて怒りをおぼえる群衆だったが、その圧倒的な霊気に威圧されて文句を言う者は一人もいなかった。大人たちの中には。

「帰るぞ、シェイバ。暗くて静かな保管庫がお待ちかねだ」
「う、うん……」

 ついさっきまで酩酊状態のようだったシェイバもまた鏡の登場に気がそがれ、唯々諾々と従った。

「……人を一人斬っておいて、それで終わらせるつもりですか?」
「あ?」
「僕があなたの式神、シェイバっていいましたよね。彼に襲われた時にかばって、殺された人がいるんですよ」

 桃矢の視線が床に落ちた式符にそそがれ、鏡もそれを見た。もともと千切れかけていた式符は騒ぎで完全に切れたのだろう、両断されていた。

「人だと? 式のまちがいだろ」
「同じことです」
「いや、同じじゃねぇだろ」
「人の姿をして人の言葉をしゃべる人がいたら、それはもう人と同じです」
「プハッ! おいおいおいおい、笑わせてくれるなよ。人と式が同じだと? ちげえよ! こいつらは〝物〟だ。人じゃねぇ。霊力じかけで動く、ただのロボットだ。だから〝殺された〟じゃなくて〝壊された〟が正解だ。ついでに壊されたことだってこいつが悪いんじゃねぇ。斬られるほうが悪いんだよ」
「…………」

 あまりの暴論に周囲から怒りと不快の声なき声があがるが、鏡はまったく異に介さなかった。

「その式神はおまえの物か?」
「いいえ、ちがいます」
「ならおまえが気にすることじゃあないな。……お~い、この式符の持ち主はいるか~? いるなら出てこーい、文句があるなら聞いてやるぞーっ! …………だれも名乗りでねぇな。なら問題なしだ、文句のあるやつは一人もいない」
「ここにいますよ、あなたの無礼な態度に文句のある人間が!」
「ほぉ、文句があるのか?」
「あります」
「どうして欲しい?」
「あなたの式神がしたことについて、あやまってください」
「そいつはお門ちがいってやつだ、こいつのしたことはこいつのせいだからな。おれのせいじゃねぇよ。……だが、おいシェイバ」
「え? な、なに?」
「このガキがおまえに責任をとれってよ、だから今すぐ腹を切れ」
「な?」
「え、ええっと。ごめん、伶路がなにを言ってるのかわからないよ」
「腹を切れ」
「い、いやだから……」
「今すぐ腹ぁ切れっつってんだろうがぁッ! このダボがぁ!」

 鏡の手がひるがえり、呪符が打たれる。ナイフを象る簡易式はシェイバの腹部に命中し、深々と突き刺さった。

「ぐふっ」

 うずくまるシェイバに近づいた鏡はナイフの柄を無造作につかみ、ぐりぐりとねじり込み、横に引き裂いた。

「い、痛い! 痛いよ伶路~! やめてよっ! ひっ、ひぎぃぃぃッッッ!?」

 腹部を激しいラグが明滅する。それはまるで残酷な映像にかかるモザイクのようで、実際に生身の人間を傷つけているかのような錯覚を見る者にいだかせた。

「どうだッ! おまえのお望みどおり責任をとらせてやったぜ、感謝しな!」
「やめろ!」

 甲種言霊の呪縛を断ち切って鏡につかみかかろうとした桃矢だが、呪力の縛鎖が鉛の重さで全身を縛り、水の中を進むように遅々とした動きにしかならなかった。

「自分の式神になんてひどいことをするんだっ!」
「おまえが望んだことだろうが、それをやめろだぁ? おとなしく聞いてりゃつけ上がりやがって。十二神将相手にチョーシくれてっと錆びた刃物で研ぎ殺すぞ、ゴラァ!」

 桃矢の胸元をつかみ力まかせに叩きつけようとした鏡の動きが止まった。

「んぁ? おまえ男だったのか?」
「そうだっ、僕は巫女クラス唯一の男子生徒。梅桃桃矢だ!」
「プハッ! 二度も笑わせてくれるじゃねぇか。男のくせに女装して巫女さんごっこだと? いつから
陰陽塾はオカマ野郎の面倒まで見るようになったんだ?」

 身体が動かせないのならせめて口を動かそう。四方八方から巫女達が口撃する。

「ちょっとあんた、土管だか独立官だか知らないけど『古事記』や『日本書紀』を読んだことないの?
 ヤマトタケルノミコトだって女装してるじゃないの」
「そうよ、皇室の御先祖様のしたことにあやをつける気!?」
「織田信長は女装趣味があったし、源義経は女装して弁慶と戦って勝ったのよ!」
「武士道なんかよりも女装のほうがよっぽど古い歴史と伝統を持っているだから」
「あんたみたいに日本の歴史と伝統と文化をないがしろにするやつを反日分子って言うのよ」
「食事だって洋食よりも和食のほうが健康にも美容にも良いんだからね!」
「でも和食は塩分が多いから高血圧の人は気をつけなくちゃいけないのよ」
「高血圧の人は日本蕎麦を食べるといいわ。お蕎麦にふくまれるルチンが血圧を下げてくれるのよ」

 洪水のようないきおいで論旨がずれていってるが、いずれも桃矢を助けたい一心で舌を動かしていた。

「黙れ」

 ふたたび鏡の甲種言霊が響く。身体の動きのみならず、言葉を発することすら強制的に止められてしまった。

「ぴーちくぱーちくうるせぇんだよ、メスジャリが。十二神将相手にチョーシくれてっと全身の毛ェ抜き殺すぞ」

 女子供でも容赦はしない。小うるさいガキどもに大人の厳しさと世の中の不条理さってのを教えてやろう。
 鏡の全身から発せられた霊圧を感じ、桃矢を始めとする巫女達に恐怖と緊張が走る。

「どれ、ちょいと炙ってやるか……」

 鏡がなんらかの呪を唱えようとした、その時。
 場の雰囲気にそぐわない、えらく緊張感に欠けた言葉がどこからか聞こえてきた。

「カンフー映画あるある~」
「あるある~」
「高いところから主人公が敵を蹴っ飛ばすと別アングルでリプレイされて、スローモーションで敵の『うおぉおぉぉおおぉ』てな感じの間延びした声が流れる」
「あるある~」
「手錠で繋がれた二人が別々の方向に逃げようとして柱にふさがれてガックンてなっちゃう」
「う~ん……、あるある~」
「あるある~」
「飯屋の場面では必ずといっていいほど乱闘シーンがある」
「あるある~」
「でもってその飯屋のおやじが『外でやってくれ店がこわれちまう』とかの科白を言う」
「あるある~」
「攻撃する時の効果音がボォフゥッボフッていう、タオルかなんかはたいてるような音」
「あるある~」
「エンディングがNGシーン集」
「え、いやそれジャッキーの映画だけじゃね?」

 秋芳と笑狸だ。
 緊迫した空気を無視して桃矢の前までくると歩みを止め、導引を結び口訣を唱えた。

「我祈願、南斗星君。百邪斬断、万精駆滅、星威震動便驚人――。活剄!」

 魔を退け、身心を浄化し、霊気の偏向を正す治癒の術が効果を発揮した。甲種言霊の呪縛が解ける。

「カンフー映画あるある~。はい、桃矢」
「い、椅子みたいなやつを武器にして戦う!」

 桃矢は満面に安堵と歓喜の表情を浮かべて、とっさにそう答えた。 
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