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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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京子のお見合い

「お見合いぃ~ッ!?」

 陰陽塾への通学途中の車内に京子のすっとんきょうな声が響いた。

「まぁ、なんですか京子さん。そんなはしたない声なんか出して」
「いきなりお見合いなんて言われたら、こんな声も出ます! いきなりなんなんですか、お見合いって!?」
「お見合い。結婚を希望する男性と女性が第三者の仲介によって対面すること。ですよ」
「そんな辞書に載っているような説明じゃなくてっ!」

 ひと息入れて呼吸を落ちつかす。

「……お祖母様。あたしと秋芳君のこと、認めてくれてたんじゃなかったんですか?」
「ええ、認めていますとも」
「なら、どうして――」
「ただ先方がどうしても言ってきていましてね。たとえその場で断ってもいいから、せめて一度会うだけは会って欲しい。お見合いの席をもうけてくれって、しつこいのよ。だからするだけしちゃって、ちゃちゃっと断ってしまってけっこうよ」
「ええ、そうしますとも。ええ、もちろん!」





「――ていう話なのよ」

 京子は秋芳に見合いの話を打ち明けた。

「そうか、名家のお嬢様となると色々と大変だな」
「なに人ごとみたいに……、あたしがお見合いするのに、あなた平気なの?」
「だって実際に結婚するつもりはないんだろう?」
「もちろんそうよ。……そうだけど、こういう時はもっと動揺して『お見合いぶち壊し作戦』とか、考えたりしないの?」
「あー、なんかそれ、昔の漫画とかにありそうだな……。なぁ、逆に俺に縁談の話があって、見合いをするだけするとして、京子。君は心配か?」
「ぜんぜん、だってあなたが心変わりするはずないもの。あなたの好きな人はあたしよ。未来永劫ね」
「ああ、俺だってそうだ。千年前から好きだったし、千年後も好きでいる。何度生まれ変わっても、この想いは変わらない。だからそれと一緒さ」

「……ん、そうね」

 それでも少しくらい動揺してくれると嬉しいんだけどな。
 これも乙女心の一種なのか、微妙な気持ちになる京子だった。





 夜。
 京子は自分の部屋でお見合い相手の身上書を読んでいた。

「龍鳳院宮寺光輝(りゅうほういんぐうじ ひかり)って……、なによ。この冗談みたいな名前、ふざけてるの?」

 祖父の代で財を成し、父の代で呪術とも縁のある名家と結婚し、孫である光輝の代でそれら富と名声をさらに盤石のものにすべく、現在もっとも権勢を誇っている倉橋家との婚姻を望んでいる。
つまりは政略結婚。それ以外のなんでもないように京子には思えた。

「趣味はクレー射撃に乗馬にフェンシングって、なんだか昔の漫画に出てくるお金持ちキャラみたいね。齢は二十五歳……。ふ~ん、この人も一応呪術師みたいだけど、腕のほうはどうなのかしら」

 写真に写る相手の容姿は凡庸で、いかにも名家のお坊ちゃんという感じしかしない。育ちの良さだけは伝わってくるのだが、秋芳の存在を差し引いても異性としての魅力を感じることはできなかった。

「これならまだうちの生徒のほうがカッコいいわ。夏目君とか」

 秋芳に出逢う以前、京子は夏目に恋慕の情を抱いていた。
 ずば抜けてととのった容姿、女性のような長い黒髪、統制され、裡に秘められていながらなお気高さと峻厳さをかもし出す霊気。
 そんな夏目が好きだった。
 好きになったきっかけは幼い頃にあったある出来事。だがそれはもう過去の話。今の京子の想い人は一人しかいない。

「秋芳君と夏目君、二人とも全然タイプがちがうわよね。我ながら極端から極端に走ったものだわ。……もし今夏目君から告白されたらどうしよう? 秋芳君がいるから恋人にはなれないけど『今よりもっと親密な』お友達になるくらいなら平気よね……。ふふっ、あんまし仲良くすると秋芳君が嫉妬しちゃうかも」

 ガラにもなく漫画じみた恋愛妄想に耽る京子。やっかいなお見合いを前にしての、ささやかな現実逃避だった。

「あ~あ、ほんっとめんどくさいわねぇ、せっかくの休日がお見合いなんかで潰れちゃうだなんて……」
 しばらく妄想に耽ったあと、身上書を投げ出してベッドにつっぷする。憂鬱な日曜が一秒ごとに迫っていた。





 東京エターナルランド。
 世界でもトップクラスのサービスと人気を誇るテーマパーク。
頭に『東京』とついてはいるが、東京都の地図を見ても載ってはいない。それもそのはず、この巨大なテーマパークは東京湾の東岸。千葉県の西端部に存在しているからだ。
 なぜ千葉なのに東京なのかというと、このエターナルランド。親会社はアメリカにあるのだが、アメリカ本国に限らず世界各地のマーケット展開を想定してオープンしている。そのため日本で開園したさい、国際的に知名度の高い『東京』の名を冠したわけだ。
 日本の次にフランスで造られた『エターナルランドパリ』も、パリと名がつくにもかかわらず、住所としてはパリには存在しない。
 そんな東京エターナルランドの目と鼻の先にヴィクトリア朝様式の壮大かつ豪華な雰囲気のホテルが建っている。
 その名も東京エターナルランドホテル。
 客室からはエターナルランドの眺望を楽しむことができ『夢と魔法の王国』で楽しんだすてきな余韻にひたりながらくつろぎのひとときをお過ごしいただけます。
というのが宣伝文句のひとつになっている。
 そのような夢と魔法のホテルの一室で京子はお見合い相手である龍鳳院宮寺光輝と対面した。
イタリア製のソファに腰を下ろし、英国製のスーツに身をかため、スイス製の腕時計を見につけた光輝は京子をひと目見るなり。

「tres bien!」

 とフランス語で称賛の声をあげた。

「bellissima!」

 続いてイタリア語でも称賛する。

(日本製なのはこの人の身体だけね)

 もとより零度まで冷えていた自身の感情が、さらに氷点下まで冷めてゆくのを自覚する京子だった。

「brilliant! 京子。君をダイヤにたとえるなら価格のつけられない『ザ・グレート・スター・オブ・アフリカ』や『ザ・インコンパラブル』や『ザ・ゴールデン・ジュビリー』だね」

 世界最大級のダイヤモンンドを三つも引き合いに出して京子の容貌を褒め称えたこの男性こそ龍鳳院宮寺光輝その人だった。





「な~にがトレビアンだ、ベリッシマだ。日本人なら日本語を使え、日本語を!」
「ど、うしたんですか!? いきなり……」
「気にするな、ただの独り言だ。今日は独り言が多い日になるだろうから、そのつもりで」
「は、はぁ…」

 ここは陰陽塾男子寮の中庭。
 刀会がせまっている。
 そのため休日を利用し、秋芳が桃矢に禹歩や立禅にくわえて武術の稽古もつけているところだった。
 武術はもっとも実践的な呪術魔術の一つ。
 形意拳、八卦掌、太極拳。特に呪術と関連性の高い内家三拳のうちの一つ、形意拳を教えていた。
 後ろ足にやや体重を乗せた構えを基本とし、前方へ踏み込んで技を発した際に後ろ足を前足のかかと側に引きつけて歩を進める、禹歩とはまた異なる独特の歩法。
 桃矢は金行劈拳、水行鑚拳、木行崩拳、火行炮拳、土行横拳といった陰陽五行説にちなんだ初歩の套路(型)。その名も五行拳をくり返し練習していた。

「あの~、秋芳先生。刀会では薙刀で試合するのに、なんで素手の型を練習するんですか?」
「純粋に薙刀を使う技術なら俺よりも桃矢、おまえのほうが上だ。巻き落としの型とか上手だったしな、俺が薙刀を教えることはできない。だから俺の知る無手の技を教える。武器という物は素手の延長だ。徒手空拳の技に慣れることは薙刀術の上昇にもつながる」
「う~ん、そういうものでしょうか……」
「そういうものさ」





「実はね京子、今日はぼくの龍鳳院宮寺グループがシンデレラ・マジックを使ってエターナルランドを借り切ることになっているんだ」

 通称シンデレラ・マジック。正式名称はマジカル・シンデレラ・パーティー。
 閉園後の午後八時から十二時までの四時間、エターナルランド全体を貸し切りにできる特別なプログラム。名称の由来はもちろんシンデレラにかけられた魔法が深夜十二時に解けてしまうことからきている。
 利用条件は七千名以上の団体であること、閉園時間が二十時以前の通常営業であること、午後二時以降に来園であること――。
 本来は企業や団体などを対象としたプログラムで、記念行事や福利厚生の企画イベント等で開催するものなのだが、今日という日のために龍鳳院宮寺に属する人員を使ってエターナルランドを借り切りにしたというのだ。
 たった四時間とはいえこの巨大な夢の国を独占するために必要な金額はどのくらいになるのか、京子には想像がつかなかった。

「それはすごいですね。基本料金のほかに追加料金とか入れたらどのくらいになるのかしら……」
「なに、一億でおつりがくるくらいさ。それまではアトラクションはなしでパーク内を散策でもして、庶民の気分を味わおうか? 映画館もあるし、そこでなにか観るのもいいね」
(ま、庶民ときましたか、このお坊ちゃん!)

 ここまで用意周到にされて、来た、見た、帰る。というわけにもいかないだろう。さすがにそれは先方に失礼だ。倉橋の名に泥を塗ることになりかねない。
 とりあえずはエスコートされることにした。
 ふわふわとした綿のような衣装をまとった粉雪姫、顔の左右にヒレがつき全身の鱗をきらきらと光らせたボディタイツの魚人姫、長い髪のラプンツンデレに、食いしん坊でいつもお腹をぐーぐー鳴らしているくまのグーさん――。
 エターナルランド自慢のキャラクターに扮した人々が多く、パーク内は華やかな色彩と歓声にあふれていた。それらに交ざってドラキュラや魔女といったお化けの装いをしている人の姿が目立つことに京子は気づく。

「あら? キャストだけじゃなくゲストでも仮装してる人が多いのね。それもエターナルランドに関係ない」
「今日はハロウィンだからね、特別に仮装姿で入園できるんだよ。そうだ! ぼくたちもキャラクターの衣装に着がえよう。うん、それが良い」

 エターナルランドホテル内にはフェアリーチェストというビューティサロンがあり、そこで様々なキャラクターに変身できる衣装を提供してくれるという。
 本来ならばエターナルキャラクター限定なのだが、今ならハロウィン専用の衣装が用意されている。
 京子はそこで『眠れぬ森の美女』のアヴローラ姫や『美女と野獣』のベルといったお姫様系ヒロインの衣装を勧められたのだが、いまいち気が乗らず魔女の衣装を選んだ。

(ま、おんなじ呪術師だしね)

 魔女の衣装といっても数種類ある。いくつかの組み合わせを試着室で試していた時、ふと妙な感覚をおぼえた。
 見鬼を凝らして周囲の気配を探ってみる。

(……ふ~ん、そういうことね)

 わずかな笑みが口角に浮かぶ。そういうことなら念入りにお洒落して魅せてあげる。
 俄然やる気になって衣装を選び始めた。
 
 そして――。

 頭に黒いミニ三角帽子をかぶり、黒地のコート姿という典型的な魔女ルック。
 だがかなり短めのミニスカートや、黒と白のストライプ模様のハイタイツ、ヒランヤつきチョーカーといった、魔女というより魔女っ娘。それもかなりGOTHい魔女っ娘の姿へと変身した。

「wonderfulッ! 京子。君はまるで生身の人間ではなくオーバーテクノロジーによって世の男性諸氏の願望が具現化した立体映像だと言われても信じられるほどに美しい! 生身の人間であることを忘れさせる神秘的な美貌は、世界レベルのアイドルやトップモデルクラスだ。ミス・インターナショナルだってかすんで見え、ミス・ワールドはシャッポを脱いで、ミス・ユニバースだって裸足で逃げ出すほどにbellezaだ!」
「ははは、そうですか……」
「試着中に他のお客さんたちが人垣を作って、店内がファッションショーと化していたよ!」
「いや、それはないでしょ」





「……神秘的な美貌とかのたまう割にアイドルだのトップモデルだのと、妙に俗なたとえをするやつだなぁ。そりゃたしかに京子は顔もスタイルも良いし、声もかわいくておっぱいでかいけど、アイドルやモデルとか各分野で求められる美しさはちがうんだから、いくらなんでもそれを全部内包しているわけないだろう。京子はタイプ・キマイラか! ……にしても褒める内容が外見ばかりだな。そもそも彼女は、京子は生きているからこそ美しいんだ。造形的な美しさなんて、彼女の魅力のごく一部のことでしかない。彼女の美しさは内面の強さ、生命の輝きがもたらしているものなんだ。そんなこともわからないとはね、これがお坊ちゃまの限界ってやつかな」

 さっきからぶつくさと独りごちる秋芳をよそに黙々と型の反復をおこなう桃矢が恐る恐る口を開いた。

「あのぅ、秋芳先生」
「ん? なんだ?」
「今、僕が教えてもらってる技って、攻撃の技ですよね?」
「攻撃だけではなく防御もふくまれている。受けては突き避けては打つ、攻防一体の拳法だ。郭雲深という形意拳の達人は、わずか半歩進んで崩拳の一撃を出すだけでいかなる敵も沈んだとか。一見すると動きは地味で型も簡素だが、恐ろしい破壊力を秘めている。それがこの五行拳だ」
「……防御だけの技って、ないんですか?」
「……桃矢。おまえの気持ちはわかる。たとえ自分の身を守るためとはいえ、相手を傷つけたくはないんだろう?」
「……はい」
「目的は暴力、極意は殺生。武術のことをそんなふうに言う者もいるが、武術自体はたんなる技術にすぎない。人を傷つける暴力になるか、自分もふくめた人々を守る武力になるかは使う人間次第だ。桃矢。おまえが自分を失わなければいいだけだ」
「それはそうなんですけど、それでもやっぱり暴力に暴力で対抗するのはどうかと思うんです。殴られて殴り返したら、相手と同じレベルまで落ちちゃうっていうか……」
「なぁに、権力や暴力を駆使して卑劣なまねをする輩には同じレベルで報復してもいいのさ。でなきゃやられっぱなしだろ? 一方的に卑劣なことや残忍なことをやられても自己満足して耐えるだなんて、そんなのたんなる変態だ」

 『ケンカは絶対にいけません』『話せばわかる』
 このように戦後の厭戦教育は暴力を絶対悪と教えているが、幼い頃からそのように言い聞かされて育った人間は不条理で突発的な暴力に対抗できないだろう。暴力への耐性がないからだ。
 向こうからケンカをしかけてくるやつ、話の通じないやつだって存在する。街中にも学校内にも家庭内にも、不条理で不快な暴力は世の中にあふれている。
 暴力を全否定する。そのような暴力の排除が新たな暴力を生むのだ。牙を抜かれた獣は他の獣に狩られて死ぬだけなのである。

「力愛不二という言葉がある」
「りきあいふに?」
「そう。力の無い愛は無力であり、愛のない力は暴力である。愛と力は別個に存在するのではなく一つに調和し、これを行動の規範とすべきである。という意味の言葉だ。他にも高名な空手家が『正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり』という言葉を残している。正義のない力は暴力にすぎない、かといって正義を守り抜く力がなければ意味がない。そういう意味だ」
「正義なき力は無能……、力なき正義も無能……」

 その言葉は新鮮な響きをもって桃矢の心に刻み込まれた。

「紀元前の中国に墨子という思想家がいる。この人は『自分を愛するように他人を愛せば争いは起きない』というキリストのような博愛主義を説いているんだが、『強い国が弱い国を侵略するのは悪で、弱い国がその侵略に抵抗するのは正義である』というような言葉も遺している。この国の部分を個人に置き換えてもじゅうぶん通用するだろう」

 なにやら話がずれてきたがこれは秋芳の癖のようなものだ。授業でもよく脱線してわき道にそれる。つい先日も伯家神道の話をしていたのにいつの間にかギザの大ピラミッドの話題になっていたものだ。

「墨子は非攻兼愛を唱える一方で平和を達成するために軍事研究して実践するという人でな、攻める利得が完全になくなれば戦争はなくなるだろう。と、彼と彼の弟子たちは各地の弱小国の城を守ってまわる傭兵みたいな集団になったとんでもない連中なんだ。 墨守という言葉がこんにちまで残っているのは、彼ら墨家の防衛術が非常に堅固なものだったからで――」

 それでも桃矢はあきれることなく黙って秋芳の言に耳をかたむけつつ、真面目に型をくり返し続けた。秋芳の語る内容に興味があったからだ。





 秋の日はつるべ落とし。
 夜というにはまだ早い時刻だが、日が落ちて暗くなった園内はハロウィン仕様のイルミネーションが煌めき、いっそう華やかさを増していた。

「でね、うちの会社ってば、こないだ上場しちゃったんだけど…、あっ、うちの会社ってのは龍鳳院宮寺グループじゃなくてぼく個人の会社のほうね。それで売り上げが絶好調だから株式公開したら株主がどんどん増えちゃってさ――」

 光輝は訊ねもしないのに自分の会社の業務成績やら、どこと取り引きをしているとか、連携がどんな利益をもたらすかという展棒などをべらべらと自慢げに話し、ときおり思い出したかのように。

「君は稀有な美少女で、その場にいるだけで注目を集めずにはいられない天性のアイドル、というよりもスターだよ!」

 などと京子の容姿を褒め称えた。
 京子は「へぇ、そうですか」「それはすごいですね」「ありがとうございます」と適当に相槌を打っていたが、彼の言葉は頭にはまったく入ってこなかった。
 龍鳳院宮寺光輝という人は自分が興味のある話題はかならず他人も興味があると思うタイプの人のようで、ついつい語りたがる。
 そういう意味では秋芳も似たような種類なのだが、少なくとも秋芳には空気を読んで相手の好きそうな話題を選ぶ器量がある。呪術以外にも、文化や芸術方面などで京子と共通する趣味を持っていて話もはずんだし、新たな発見も多かった。
 作中すべての科白がミュージカル調の『シェルブールの雨傘』やスラップスティックの名作『地下鉄のザジ』に精巧なマペット劇『ダーククリスタル』……。
 リバイバル上映やレンタルで観た、秋芳お薦めの映画。いずれも古い作品ながら今観てもじゅうぶん面白く、楽しい時を過ごせた。

(もうっ、陰陽師ならせめて少しは呪術の話くらいしなさいよ!)

 たまりかねて京子のほうから「エターナルランドって乙種呪術に満ちた空間ですよね。現実的な経済効果や人々の意識に与える影響。それも乙種呪術だって自覚した場合でもその効果が継続するとか、陰陽師としてとても興味深いと思いませんか?」などと呪術の話題をふっても「いやぁ、ぼくは呪術のほうはちょっと……」という返事が返ってきたのみだった。
 どうも呪術に関しては食指が動かない様子だ。
 見鬼の才があるのは本当のようだが、どうもこの龍鳳院宮寺光輝という人物。きちんと実力で陰陽二種の資格を取ったのかどうか疑わしい。

(よくもまぁこれであたしと、倉橋家の長女とお見合いしようって気になったものね。あ~あ、秋芳君と来たかったなぁ。彼ならどんなふうに答えるのかしら……)

 アトラクションに触れずともエターナルランド内を歩くだけで楽しい気分になってくるのは確かだ。恋人である秋芳、あるいは天馬や夏目といった友人たちで遊びに来たのだったら、さぞかし楽しかっただろう。
 東京エターナルランド。この広大なテーマパークはいくつかのエリアにわかれている。
 おとぎ話や童話の世界をモチーフにしたメルヘンランド。アメリカ開拓時代の西部の町なみを再現したフロンティアランド。未来と科学技術が主題のサイエンンスファンタジーランド。怪奇と幻想をテーマにしたホラーランドといった具合だ。
 ちょうどホラーランドにさしかかると、ホーンティングハウスの前は人影もまばらだった。
 ホーンティングハウスというのは世界各国のエターナルランド内にあるライド型お化け屋敷のアトラクションで、混雑時には長蛇の列を作り二時間も待たされるという大人気のコーナーだ。
 それが今はすかすかに空いているのだ。
 借り切り時間にはまだ少し早いが、閉園時間が迫り一般のゲストが引けてきたのであろう。せっかくなので入ってみることにした。
 徐々に年老いていく肖像画といった怪奇趣味全開のプレショーを見て雰囲気を出したあと、三人乗りの黒い椅子型ライドで暗闇の回廊を巡る。オーディオアニマトロニクスによって複雑に動きまわるお化けたちの姿に、ゲストの間から悲鳴や笑い声が響き渡る。
 さすがに面白い。日本的なお化け屋敷とは異なる趣に一時的に退屈さを忘れ、人並みにそれらの仕掛けを楽しんでいた京子だが、すぐに異変を察知した。
 自分たちの乗るライドだけがコースをはずれているのだ。
 しばらく進み、うす暗い闇の中でかすかに揺れて急停止する。

「龍鳳院宮寺光輝だな。おとなしく降りるんだ」

 粗にして野にして卑でもある、そんな下品で脅しつける響きのある男の声がした。
 一、二、三……。半ダースほどの人影がうす闇の中にうごめいているのを、暗闇に慣れてきた京子の視力はしっかりと捉えた。
 もっとも肉眼で見る以前に見鬼でも正確に視ているのだが。

「龍鳳院宮寺さん、どうやらあなたに用があるみたいですよ」

 戸惑いの色もあらわに逡巡する光輝に京子が落ち着いてささやきかける。

「おい、さっさと降りろやボンボン! 女とのお楽しみの時間はおしまいなんだよ」
「無礼な! 下品な口の利きかたはやめたまえ!」
「ハッ! あいにくそちらとちがって育ちが悪うございましてね」

 いまだ腰を上げない光輝を数人の男たちがライドから強引に引きずりおろした。

「ええい、汚い手で触るのはよしたまえ! ぼくはこう見えても柔道初段、かるた四段、珠算五段。合わせて十段のツワモノなんだよ」
「おっと、銃が狙ってるぜ。暴れるんじゃない」
「フン! 見え透いたこけおどしを口にするのはやめたまえたまえっ!」
(たまえたまえ?)
「銃砲刀剣類所持等取締法のある日本で銃なんか易々と手に入るものか。柔道初段、ビリヤード四段、パンシェルジュ五段。合せて十段のツワモノであるぼくが本気に――」

 口上をさえぎって銃声が低くこだまし、光輝の足もとでコンクリートのかけらが跳ね散った、エアーコンプレッサーがついて頭でっかちになった改造エアガンの銃口が光輝にむけられる。

「さぁ、これでも動けるか? なんとか十段のツワモノお坊ちゃんよ」 
「まああぁーあ!」
 関根勤のような奇声をあげて、のけ反り倒れる龍鳳院宮寺光輝。

「え?」
「え?」×6

 男たちと京子の口から奇しくも同じ疑問符が漏れた。
 光輝はどうも銃をつきつけられた恐怖で失神してしまったらしい。

「……まぁ、いい。これだけの人数がいれば人を一人運ぶのくらいわけはないさ。さて、そこのお嬢さんには悪いがちょいとオレたちにつき合ってもらおうか。人を呼ばれたり騒がれでもしたらこまるんでね。安心しろ、べつに拉致監禁して輪姦そうってんじゃない」

 男たちの間に下卑た笑いの空気が生まれる。
 京子は落ち着いてライドから降りると同時に、素早く印を結び真言を唱えた。

「――オン・マリシ・エイ・ソワカ」

 京子の全身が霞がかったかのようにぼやける。その場にいるにもかかわらず、いないかのように存在感が希薄になり、ともすれば見失いそうなほどだ。
 実体のない陽炎が神格化した諸天。摩利支天の加護による穏形法。だが京子は隠れるためにこの術を使ったわけではない。

「この女、呪術師か!?」
「くそっ、ボディーガードだったのか!」

 動転した男たちが四肢を狙って次々と発砲するも、弾丸は京子の身体をすり抜け、床にあたって弾け跳ぶばかりだった。

「わっ!? あぶない、よせ、やめろ。跳弾にあたるなんてチョーダンじゃないぞ!」

 いくら呪術に長けていても生身で銃に撃たれてはひとたまりもない。
 そのため京子は物理的な攻撃を無効化する呪術をまず最初にもちいたのだ。

「なら、これはどうだ。とり憑け、狂え。急急如律令(オーダー)!」

 男の一人が銃をしまい、かわりに取り出した呪符をぐしゃりと手の中で潰す。すると、にぎった指の隙間から赤い靄が噴出し、一つに固まり異形の姿を現した。
 血のような色の婆娑羅髪を振り乱す、眼孔の失われた巨大な頭部。ずらりとならぶ暗い歯を剥き出して、かん高い哄笑をあげる。
 たんに見た目が恐ろしいだけでなく、その笑い声には人の精神を蝕む、凶悪で禍々しい邪気がふくまれていた。
 呪詛式。
 霊的な抵抗力の低い人間が目の当たりにすれば昏倒し、場合によっては深刻な霊障を負いかねない。
 京子の全身に鳥肌が立ち、身震いした。だが、それだけだった。秋芳とともに危機をくぐり抜け、修練を重ねた今の京子の霊力、胆力は並の塾生を軽く凌駕していた。この程度、どうということもない。

「地より生まれし呪い、主の元に戻りて、燃えゆけ、変えゆけ、返りゆけ」

 くるり、と頭を返した大首が男たちにむけて呪のこもった凶笑を放つ。

「ふわっ、おわぁ、うわ、うああー」
「ひぃっ、うへぁ、あああ、いぎゃああぁ」
「なっ、ぼあっ、ぶあちいぶがぼかばぁ、ぶがぁーっ」

 耳を押さえて地面をころげ回る者、狂ったように身体をかきむしる者、壁に何度も何度も頭を打ちつける者――。
 大首の凶笑にこめられた恐怖(フィアー)の妖気に精神を侵された男たちが奇行に走り、自滅するのに、三分もかからなかった。
 龍鳳院宮寺光輝と、彼をかどわかそうとしたならず者A、B、C、D、E、F。あわせて七人の男が恐怖のため失神し、地面に横たわっている。

「さて、と。どうしたものかしらね、この連中……」

 腰に手をあててあたりを見下ろす。かわいらしい魔女の装いをしている京子だったが、そうしている様には妙に貫禄があり、さながら魔女王の風格がただよっていた。 
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