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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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巫女学科

 
前書き
 『東京レイヴンズ RED AND WHITE』に登場するキャラクターを出してみました。  

 
 青い空、白い雲、燦々と輝く太陽に紺碧の水面。押しては引く波からただよう潮の香り。
 海だ。
 浜辺だ。
 ビーチだ。
 紺色のスクール水着、赤いホルターネックビキニ、白のワンピース、黒の競泳水着、バンドゥ、タンキニ……。多種多様、色とりどりのスイムウェアを着た乙女たちが若く美しい肢体をさらし、自由奔放に戯れている。
 その様はさながらギリシャ神話に出てくる妖精(ニンフ)のよう。
 砂浜から彼女たちの姿をまぶしそうに見つめていた秋芳がぽつりとつぶやく。

「若いって、いいなぁ……」
「やめてよ秋芳、聞いてるこっちが年寄り臭くなりそう」

 隣にいるのは秋芳の使役式である笑狸。さらしのようなチューブトップビキニにデニムのショートパ
ンツ姿で、どう見ても女の子にしか見えないが、その正体はオスの化け狸である。

「しかし水に浸かるだけでよくあんなテンションが高くなるもんだ。どうせなら温泉が良いな、温泉」
「温泉も良いけど本物の海に行きたい。こんなプールじゃなくてさ」

 そう、ここは実際の海ではない。渋谷にある区営プールだ。空も海も砂浜も潮の香りも、笑狸の幻術によるまやかしにすぎない。

「そうだな、来年の夏にでも伊豆七島あたりの島にでも行ってみるか」
「お待たせ!」

 快活な声に振り向くと、あざやかなブルーのビキニ。ビーチバレーの選手が着るようなスポーティーなタイプの水着を着た少女が立っていた。
 倉橋京子だ。

「お、今日はいつもの髪型じゃなくてポニーテールか」
「ええ、この水着に合わせてみたの。どう? スポーツ少女って感じが出てるでしょ」
「ああ、すごく似合ってるよ。う~ん、綺麗だ! ビキニのトップスとボトムスの間にはペガサスのような清純と幻想が潜んでいるってのは、このことだな」
「ごめんなさい。後半の意味がさっぱりわからないわ」
「その水着ってこないだの時価ネットのやつか?」
「そうよ、ドルフィンスイムウェア。せっかくもらったんだし、良い機会だから着てみたの」

 結局あの時渚の女神セットを購入した秋芳だった。

「これ、なかなか着心地が良いわよ。たしかにイルカさんにでもなった気分で速く泳げそう」
「そうなのか。でもこうして見ると胸とか、かなり窮屈そうに見えるんだが……」
「それがそうでもないのよ。この水着、伸縮性がすっごく良いの。て、どこ見てるのよ、エッチ。んもうっ。ほんっと好きなんだから」
「男はみんなおっぱいが好きなんだよ。まして好きな子のそれならなおさらさ」
「あたしのならいくら見ても良いけど、他の女の子のじろじろ見たりしちゃダメよ? あ、あそこのかわいい男の子が例の子?」
「ああ、そうだ。彼が梅桃桃矢(ゆすらとうや)。うらやまけしからんことに、巫女クラスにいる唯一の男子生徒だよ」
「あ~あ、女子たちにもみくちゃにされちゃって、まぁ。ハーレム状態じゃない」




 
 話は、少し前にさかのぼる――。
 大正時代のミルクホールを思わせる、上品で落ち着いた模様のレトロな部屋。かすかにただよう香りは白檀だろうか、部屋の様相とあいまって心がやすらぐ。
 ここは陰陽塾の最上階にある塾長室。マホガニー製の机をはさんで着物姿をした年配の女性と烏羽色をした狩衣のような学生服を着た青年が話をしている。
 陰陽塾塾長の倉橋美代と、賀茂秋芳だ。

「巫女クラスで講師をしろと?」
「ええ、そう。あなたのこの間の野外実習。あれがなかなか評判でね、賀茂秋芳になら講師役をまかせても問題ないと判断したの」
「生徒のみなさんには不評だったようですが……」
「大友先生の報告を聞いた講師のみなさんには理解してもらえたわよ、少々奇抜だけれども、実に理にかなった修練だ。て」
 大友先生はいったいどんな具合に報告したのやら。そして講師たちはどんな思惑で理解したのやら。自分達の仕事量を減らして楽するために、そういう流れにもっていってるのではないだろうか? ついつい邪推してしまう。

「そこで今度は巫女クラスを担当してもらいたいのよ、なにも丸一日講師役をしろとは言わないわ。あなたもまだ一応は塾生なんだし。そうね、とりあえず明日からは大友先生の授業にだけは出席してもらって、それ以外の時間は巫女クラスを受け持ってちょうだい」
「なんで大友先生の授業だけは受けるんです? 担任だからですか」
「だってあなた大友先生以外の授業では、穏形して京子さんといちゃついているのでしょう?」

 大友陣。
 陰陽塾の講師で秋芳や京子たちの担任。右足が義足で杖をついている妙な西国言葉を話す男性で、飄々とした言動で周囲をかき回すこともしばしば。
 だがその実力は一流。あなどれぬと見た秋芳は彼の講義の時には京子とおしゃべりせず、黙って授業を受けている。
 秋芳は机の上に置かれた白磁のカップに手を伸ばし、その中身をゆっくりと嚥下してひと息つく。

「……このお茶、美味しいですね。馥郁たる香りに豊潤な味わい、まるで本場の龍井茶のようだ」
「京子さんといちゃいちゃしてるのでしょう?」
「茶の香気が薄くなる時期に沸き立った湯を入れたら茶の香気も吹き飛びますよね。香気のない茶は美味しくない。だから熱さの加減には気を使います」
「京子さんとイチャイチャしてるのでしょう? あら、イチャイチャてカタカナ表記だと、なんだか濡れてるみたいでいやらしい……」
「ちょっと下ネタとかやめてくれます? 年配の女性が口にする下ネタとか、ほんと反応にこまるんですけど!」
「あの子とイチャイチャパラダイスしてるんでしょ?」
「してるけどしてませんー、させてくれないんですー。普通に仲良くしてるだけです、淫行とかしてませんからね。穏形して痴漢的なプレイとかまったく、全然ナッシング。皆無です。普通にお話してるだけですよ、ていうかなんで知ってるんですか?」
「うふふ、この塾舎は私の〝城〟みたいなものですからね、知っていますとも。……呪術においておのれの心の持ちようというのは、とても重要なポインです。そのてん恋愛というものは人の心に抗いがたい影響をあたえるもの。呪術を学ぶ者ならば、きちんと知っておかないといけないわ。あなたと京子さんのちんちんかもかもな仲、応援しますよ」

 ちんちんかもかも。
 男女が仲睦まじくしているさま。

「だからこそ将来のことも考えなくちゃ、私は自由恋愛に賛成の立場なの。だから孫娘のお相手の家柄とか収入とかは特に気にしませんけど、やっぱりちゃんと定職に就いてるかたのほうが安心するわ。秋芳さんは加茂家のかたですし、家柄に関しては問題ないにしても、高等遊民はちょっと、ねぇ……」
「ええ、それはそうでしょうね。俺も『働かざる者、死ね』をモットーにしていますから」
「秋芳さんは家業を継ぐつもりですか? それとも陰陽庁に勤めるつもり? 特に決まっていないのなら、このままここに就職しちゃいなさいな」
「んー、まあぁ、それはいいのですが」
「いいのですが?」
「きっちりみっちり三年間は学生として通いたいですね」
 
 遅れてやってきたモラトリアム。失われた青春を謳歌したい秋芳だ、飛び級などでその貴重な時間を消されたくはない。

「まぁ、たまには予行練習がてら講師の真似事をしてもかまいませんが」
「引き受けてくれるのね、ありがとう。じゃあこれ巫女クラスの名簿。目を通しておいてくださいね」

 三年間は通学したいと言ったが、なにやらこのままなし崩しに講師にされてしまう。そのような予感に襲われつつ部屋を出る秋芳を満足げに見送った美代の手が無意識のうちに机に置かれた六壬式盤にのびた。
 自由恋愛に賛成という美代の言葉に嘘はない。
 呪術界きっての有力な一族、名門に生まれた京子だ。その立場上、将来的な政略結婚の話や、すでに許嫁がいてもおかしくはない。だがそのような類に縁がないのは祖母である美代。希代の星読みとして政財界にも名が通り、陰陽塾を開講当初から支えてきた呪術界の重鎮である彼女の意思によるところが大きい。
 そんな孫娘が見初めた始めての恋人。その相性や仲をついつい占なってみたくなったのだが――。

「あら、いけない」

 のばした手をあわてて引っ込める。
 卜占には守るべきことがいくつかある。そのうち一つが『男子に(しょう)を語らず、女子に(しき)を語らず』と言われるもので、寿命や異性関係などを読みとってもむやみに語ってはいけな
い。そもそも頼まれてもいないのに、自分の好奇心からそのような占いをしてはいけないというものだ。
 恋する若者の姿を見ていると、こちらまで気が若くなる。年がいもなく、ついつい少女の心に戻って恋占いをしようとした自分の未熟さに恥じる美代だった。





 渋谷区道玄坂――夕刻。
 異能がもてはやされるのはつねにアンリアルな世界だけ、現実ではそうはいかない。人ならざる〈力〉が、能力が他人に知られたらどうなるか……。だから梅桃桃矢は自然と心を殺し、ふたをしていた。
 そのふたをはずし、殺していた心に息を吹き返さしてくれたのは巫女クラスのみんな。ひいては陰陽塾と、そこに紹介してくれた講師の大友先生だ。
 だがそれでも、いや、感情を取り戻したからこそ生じる悩みがあった。
 ショーウィンドウに映った自分の姿が目に入ってしまい、思わずため息がもれる。
 千早、襦袢、白衣が一つになったような上着と、緋袴のようなキュロットスカート。神道の巫女装束を模してデザインされた、陰陽塾巫女クラスの制服。それに身をつつんだ華奢で小柄な体躯。やわらかく艶のある黒髪に白い肌、濃いめの桜色をした唇、丸みをおびた優しげな顔立ち。
どこからどう見ても少女にしか見えない。それも美少女と言っていいレベルの。
 だが梅桃桃矢はれっきとした男性だ。生まれついての体質か、いくら食べていくら運動しても太らないかわりに、筋肉もつかない身体だった。
 この脆弱な体型がいやになり、一時期はボクシングを習ったこともあったが成果は上がらず、肉体にも目覚ましい変化はなく、それどころか新たな禍根を残すことになってしまった。
 その禍根とは――。

「あれ~、桃子ちゃんじゃない」

 B系やストリート系のファッションをした数人の少年に取り囲まれる。

「こんな場所でオレらに合うなんてラッキーだねぇ」

 ニヤニヤ笑いながら髪を茶に染めた少年が近づき、軽めのボディブローを放つ。他の少年たちの体に隠れ、周囲には殴ったところを見られぬように計算して。

「うぐっ」
「これがボクサーの挨拶だよ挨拶、桃子ちゃんも経験者ならわかるよね?」

 ボクシングにこんな挨拶あるものか……、痛みと悔しさで目に涙がにじむ。
 彼らは桃矢が以前に通っていたボクシングジムの練習生たちだ。なにかというと桃矢の女の子のような容姿を嘲笑い『桃子』などと呼び、スパーリングと称していじめを繰り返してきた連中。
 無意識のうちに周りに助けを求めるよう、逃げようと身じろぎした桃矢の肩を、金髪の少年が力いっぱいにつかみ、押さえた。

「逃げるなよ、桃子」

 痛みに顔を歪ませ、おびえる小動物のように目を潤ませて金髪を見上げる。
 獣だ。
 そこには人の皮をかぶった獣がいた。自分たちより力が弱い、脆弱な者を狙い、集団で虐げる少年たちは、餓えた肉食獣の群れのようだ。

「マジで巫女クラスとやらに入ったんだな。なんだよその制服は、風俗かよ!」
「あー、なんかアキバ系っての? オタがよろこびそうだよな『モエー』とか言って」
「ほんと女にしか見えねぇ。それでおやじ引っかけられるぜ」
「なぁ……」
「ああ」

 少年たちはたがいに目配せを交わし、桃矢を囲んだまま移動する。その輪から抜け出すこともできず路地裏に連れ込まれてしまった桃矢の目の前にカメラつきの携帯端末を突き出された。

「え?」
「ちょっと脱いでみてよ」
「……そんなこと、できるわけ――」

 言いかけた桃矢の腹部に激痛が走った。
「うぐぅッ……!?」

 先ほどのボディブローよりもはるかに力のくわえられたパンチにより、後方に吹き飛ばされ、背中を壁に叩きつけられ、倒れそうになるのを必死で耐えた。苦痛のうめきをあげながら顔を上げると、少年たちはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。

「女の子のストリップと思いきや、ざんね~ん。男でした~、て画が撮りたいんだよ」
「そうそう、桃子ちゃんカワイイからみんなだまされちゃうよ、きっと」
「早く脱いでよ」
「D・V・D! D・V・D!」

 もはや桃矢は込み上げてくる涙をおさえることができなかった。

(こんな時に僕の持っている力なんて全然役に立たない。あんなの邪魔なだけだ……)

「オラ、とっとと脱げよ。それとも脱がされてぇのか」

 服を強引に脱がそうと、金髪の手が迫る。

「……こいつほんと女みてぇ。これならマジでやれるわ」
「やっちゃう?」
「やっちゃおうか?」 

桃矢の衿に金髪の手が強引に侵入してきた、その時――。

「はいそれまでー。警察に通報されたくなかったら、狼藉者のみなさんはとっとと退散しちゃってくださーい」

 救いの手がさしのべられた。





 塾舎近くにある中華料理屋で小腹を満たした秋芳と笑狸が渋谷の街を歩いている。

「あー、美味しかった。でもちょっと物足りないかな」
「……ああ」

 不機嫌を音にしたらこのような声になるのだろう。そんな声の調子だ。

「あれあれ? 秋芳ってばご機嫌斜め?」
「あたりまえだ。三パーセントの増税なのに一律五〇円も便乗値上げするとか、ふざけるにもほどがある。個人でやってる店ならともかく、チェーン店ならもう少し頑張れよと言いたい」
「ああ、それで怒ってるんだ。んー、でも一番ふざけてるのは、国民に増税を強いておいて、自分らはちゃっかり給料上げてる国会議員の連中だよね」
「ああ、そうだ。そうだとも! まったく日本人は明治維新と敗戦後の復興に民族的なエネルギーを費い果たして、権力者に対して暴力によって異議をとなえるエネルギーを枯渇しちまったのかね、水滸伝でも読んで少しは暴れて欲しいものだよ、まったく」
「そういえば水滸伝の美少女化ものってまだないよね」
「そうだな、日本の戦国武将や三国志の英傑が美少女キャラになったやつならやたらとあるが、水滸伝はまだないんじゃないか? いや、俺らが知らないだけで断言はできないが、すでにあったとしてもメジャーじゃないよな」
「なんでだろうね?」
「う~ん、やっぱ百八人も美少女キャラ化するのが大変だからじゃないか? ヴィジュアルとか考えたりするのが」
「李逵は色黒のバカロリキャラだよね」
「うん、わかる」
「呼延灼はボンデージファッションで鞭を手にした女王様」
「安直だが妥当な線だな」
「阮三兄弟あらため三姉妹はスク水着用」
「ああ、それは絶対そうだわ。少なくとも一人はスク水着てるな」
ふと、笑狸の足が止まる。
「どうした?」
「ねぇ、あれってうちの、巫女クラスの制服じゃない?」
 
 笑狸が指さす方向。にぎやかな通りの中にあって人々が避けて通る一角がある。紅白の目立つ制服を着た一人を五人の若者が取り囲んでいた。

「なにやら良からぬ風体の連中にからまれているようだな」

 剣呑な空気を察して遠目に観察していると、若者の一人が巫女の腹部に拳をめり込ませたではないか。それを秋芳の動体視力は見逃さなかった。

「義を見てせざるは勇無きなり。同じ学び舎に通う朋友の危機は見過ごせん」
 秋芳は路地裏に駆け、笑狸もそれに続く。





「はいそれまでー。警察に通報されたくなかったら、狼藉者のみなさんはとっとと退散しちゃってくださーい」

 秋芳はそう言って携帯電話を水戸黄門の印籠よろしく少年たちにつきつけた。ディスプレイには『110』の数字が出され、発信ボタンを押すようなそぶりを見せつける。

「暴行と強制わいせつの現行犯だ。悪いことは言わないから――」

 いきなり茶髪が殴りかかる。
 桃矢は助けに入った青年が殴られる様を想像して思わず目をつぶった。が、彼が危惧したことは現実には起きなかった。秋芳は茶髪の拳を受けも逃げもせず、首を動かしただけでそれを避けたからだ。
 次の瞬間、秋芳の脛が茶髪のそけい部にめり込んでいた。

「~~~~ッ!?」

 あわれ、急所を蹴りを潰された茶髪は声もあげずに口から泡を吹いて倒れ伏す。

「乱暴だな。しょっ引かれたいのか?」

 そう口にする秋芳だったが、言葉とは裏腹に携帯電話をしまい込んだ。
もとより警察に通報する気はなかった。
 通報というやつが実にめんどくさいからだ。現場でわかりやすい場所に立って待っていろと命令されるし、住所氏名を言わされる。匿名で用件だけ伝えて切っても、警察には強制的にこちらの電話番号がわかる。こちらから電話を切っても警察のほうで回線をつかんでいて回線は切れてない。技術的にそのようになっていて通報側には拒否権なし。第一通報者があやしいと後から家に来る場合もあり、任意ではあるが指紋まで採取されたりもする。痛くもない腹を探られるのは不愉快だ。あちらもあやしむのが仕事だろうが、警察や公安。呪捜部の連中とはお近づきにはなりたくない。
秋芳はつねづねそう思っている。

「っけんなコラ!」

 金髪がいきりたって攻撃してきた。茶髪のものよりも鋭く速いパンチ。右ストレートが顔面を狙ってくり出される。
 身体を横へ流しつつ右の掌でそれを受け、つかむ。と同時に左手がその肘を捕らえ、右掌に力を入れる。
 パキン。
 枯れ枝を折るような乾いた音が響いた。金髪の右手の手首が外側に折れ曲がっている。
 手の甲が腕にぴったりと平行に重なっていた。人の手首はここまで曲がらない。腕と手のつなぎ目、手首の骨を折ったのだ。
 金髪が目を丸くしてそれを見る。グロテスクで異様な光景。そして襲ってくる痛み。

「ひいぃぃぃ」

 と、甲高い叫びをあげた。あげ続ける。肺の中の空気が無くなるまであげ続け、その場にへたりこんだ。

「女みたいな声を出すんだな」
 低い位置に下がった金髪の顔面目がけて膝蹴りを放つ。鼻骨が砕けるいやな音と感触が伝わってくる。

「おい、友だちがケガをしたぞ。血が出てる。病院につれて行ってやったらどうだ?」

 五人のうち二人をのした。これで戦意を喪失してくれただろうか?
 しなかった。残った三人のうち二人が、左右にわかれてパンチを続けざまに打ってくる。
 両腕を前にして防御の構え。ひたすらガードに徹しているように見えたがしかし、苦痛の声をあげ出したのは攻撃しているほうだった。秋芳は相手のパンチに対して拳や手刀で鋭い払い受けを繰り返し、的確に肘受けをしていた。肘の骨は拳の数倍硬い。そしてボクサーというのは空手家とちがって拳そのものを鍛えたりはしない。カウンター気味の肘受けは彼らの手を傷ませていた。
 攻撃の手がゆるむ。そのすきを見逃したりはしない。左脚が一閃し片方のわき腹を、肝臓の部分をえぐる。空手でいう三日月蹴りだ。
 命中。口からよだれを流し、悶絶する。そしてもう一人に対しては縦拳を放つ。ガードを試みるが痛みで動きが鈍くなっていたため、やすやすと甘いガードをかいくぐり、あごにヒット。大きくのけ反ったところで鳩尾、みぞおちに前蹴り。つま先からくるぶしまでが腹部にめり込んだ。激しい痛みと呼吸困難に血反吐を吐いてのたうち回る。こちらも戦闘不能だ。

「クソが! 死ねよオラァ!」

 最後に残った一人が折り畳み式ナイフを取り出して突進してくる。
秋芳の脚が下から上へと跳ね上がり、膝から先がナイフを持った手と顔にほぼ同時に炸裂。同じ足での連続した蹴り、空手でいう二枚蹴りが決まった。蹴りを受けた手からはナイフが、顔からは白い石のような物があらぬ方向へ飛んでく。
 白い石のような物、歯だ。あごの骨を砕かれ、数本の歯が吹き飛んだのだ。その衝撃に脳震盪を起こしてその場にくずれ落ちる。痛みを感じる前に意識を失ったのは幸運だったのかも知れない。
これでもう、まともに動ける狼藉者はいなくなった。

「ねぇ、君。だいじょうぶ? ケガはない?」

 予想だにしない展開に呆然としている桃矢に笑狸がやさしく声をかけた。

「とりあえず逃げよう。普通にゆっくり素早く、ここから離れるんだ」

 街でのケンカは五秒で終わらせ五秒で逃げ切るのが理想だ。そうしないと警察に見つかり、身にふりかかる火の粉をはらっただけなのに捕まりかねない。
 警察とヤクザに関わるのはごめんである。秋芳たちはいそいでその場を後にした。





 陰陽塾男子寮。秋芳の部屋。

「いや~、災難だったな。あとできちんと通報しといたほうがいいぞ。ただし俺のことは内緒でな」
「……ありがとうございます」

 桃矢は差し出されたお茶をひと口すする。甘い。だが砂糖やシロップの甘味ともちがう、不思議な味だった。

「それ、羅漢花茶だよ。日本じゃあまんまり見かけないよね、美味しいのに」
「うむ、中国南部に住むミャオ族の人たちはそれを不老長寿の健康茶として重宝しているんだ。よく味わって飲むように」
「は、はい。すごく美味しいです」

 ほっと一息ついた、その時。
 ポロリと涙が落ちた。

「え?」

 とめどなく涙があふれてくる。止まらない。

「ひっく、な、なんで……。う、うぇぇっ、なんで? なんで泣いちゃうの?」
「緊張の糸が切れたんだろう」
「う、ぐすっ。こ、こんなの情けな、ひっく、僕、男なのにっ……」
「なぁに、男でも女でも泣きたい時は泣けばいいのさ。俺だって『男たちの挽歌』を観たり『Kanon』をプレイした時は、ぐっとなって泣いちゃうからな」
「うぐぅ、それジャンルちがいすぎですよ。ぐすっ、スンスン……」

 しばらくの間、桃矢のおえつが部屋の中に響く。
 ようやく落ち着きを取り戻した桃矢は部屋の中をぐるりと見わたす。けして広くない部屋中に遮光器土偶だのカレー鍋だのファラオの胸像だのが置かれている混沌とした様相。それでいてどこか整然としている。
 この部屋の主は、自分を助けたこの人はいったいどのような人物なのだろう?

「あの、助けてくれてありがとうございます。僕は巫女クラスの梅桃桃矢といいます。……性別は、男です」
「ああ、男の帯びる陽の気をまとっているのが見える。俺の名は賀茂秋芳で、こっちは笑狸だ。さっきは偉かったぞ、あそこまで追いつめられても呪術を行使しないなんて。若い呪術師は一般人相手にもキレて、平気で殺傷するような術を使うのが多いからな」

 ちがう。
 自分は呪術を使わなかったのではない、使えなかったのだ。
 恐怖にかられ、身がすくんで動けなかっただけだ。

「平気で殺傷するような技を使った呪術師なら、ここに一人いるけどね~」
「こっちは一人、むこうは五人。それも格闘技の、たぶんボクシング経験者みたいだったようだし、正当防衛以外のなんでもないさ」
「へぇ、街でボクサー五人に因縁つけられるだなんて、桃矢くんついてないね」
「……はい、彼らとはたしかに『因縁』があります……」

 かつてボクシングを習っていたこと。彼らはそこにいた素行の悪い練習生だったことを桃矢は説明した。

「身体を鍛えるためにボクシングか。悪い選択じゃないが、そういう不良連中がいるようなジムなら、やめて正解だよ。それに巫女がボクシングって、ユニークすぎるだろ」
「あはは、たしかにそうですね」

 桃矢の顔がほころぶ、可憐で清楚な花が咲いたかのようなひかえめな笑顔。そこには京子のように覇気と自信に満ちた輝かしい笑顔とはまた趣の異なる魅力があった。
 熟練の陰陽師。見鬼の使い手は肉眼で見ると同時に霊的に『視る』。陽の気をまとう桃矢を男だと認識していてなお、惹かれるものがあった。

(もっともこいつが女だとしても俺には京子がいるから妙な気は起きないがな。それにしても笑狸といい木ノ下先輩といい、この桃矢といい。最近の日本は男の娘が増えているのか?)

「あの、どうかしましたか?」
「ああ、近いうちに巫女クラスにお邪魔するからよろしくな」
「え? ……あ! あなたが賀茂先生ですか?」
「なんだ、もう話がいってるのか」
「はい、この前、大友先生から聞きました。賀茂家の優秀な生徒が臨時で講師をするって」
「なら話は早い。いかにも俺がその賀茂だが、せっかくだ。巫女クラスについて色々と聞かせてくれ」
「僕にわかることなら……」

 陰陽師とは異なるアプローチで呪術にかかわる、異端ともいえる巫女クラス。
 彼女らは緋組と白組の2クラス制。各定員三十九名の七十八人で構成。その中で三人組(スリーマンセル)の『隊』を作って行動する決まりがある。授業のみならず私生活にもおよび、一蓮托生の共同生活で協調性を養うのだ。
 授業のほかに、巫女のタマゴが請け負う様々な案件が課題としてあり、神楽を舞ったり祈祷したり、お年寄りの湯飲み話につき合ったり、社の掃除をしたり、失せ物を探したり、恋の相談をしたり、その内容は多種多様だ。
 また神敵と対峙すれば自らを刃へと変え対峙することすらある。これにはいわゆる霊災の修祓もふくまれている。
 そして梅桃桃矢。彼は異例中の異例である四人目の隊員にして緋組の四十人目。七十九番目の巫女クラスの生徒だ。

「君が異例というわけだが――」
「はい、それは――」

 同調性共鳴症(シンクロニシティ)。能力者を媒体におたがいの霊力を同調させて共有する、一種の特異体質。
 桃矢の場合、おたがいの気持ちが昂ぶった状態で唇が触れると霊力が同調し、一人の体に二人分の霊力が共有され、場合よっては共鳴効果により増幅することもあるという。

「聞いたことのない力だな……」
「はい、大友先生もそうおっしゃってました」

 その異能の力ゆえ誰にも相談できず、その筋の蔵書が多い図書館や書店を巡り、文献を調べているうちに大友陣に見出された。
 不明な部分の多い能力。呪術を心得ない者たちに下手に保護されたら事故もありうる。桃矢個人の学校生活を保ちつつ、この能力と向き合うには陰陽塾巫女クラスが一番と判断され、直々の推薦を受けた。そういう話だ。

「クラスのみんなは僕の監視役兼護衛役、だそうです」
「そいつは凄いな。喜べ、超VIP待遇だ。なんせ見習いとはいえ陰陽じ――じゃなくて巫女さんが、呪術者が総出で護衛だなんて、そうそうないぞ」
「女の子に守ってもらうなんて、複雑です……」
「役得だと考えろ。ハーレムアニメの主人公状態じゃないか。だいたいどうしてわざわざ巫女クラスに男の君を……。そうか、神憑りか!」
「あ、大友先生もそんなこと言ってたような」

 人の心。すなわち魂に働きかける術はきわめて危険だ。少しでもあつかいを誤れば術者のみならず対象の精神を壊しかねない。霊的な同調効果のある呪術が存在したのなら、まちがいなく帝式に組み込まれ、禁呪指定されてもおかしくはないだろう。
 そのような能力を持った者をあえて巫女クラスに編入した理由。それは彼女たち巫女が神憑り。神霊の類をおのれの身に降ろす素養を持ち、普段からその訓練をしているため、魂に一種の耐性があるからでは。秋芳はそう読んだ。

「その力、ちょっとここで試してみないか?」
「ええっ!? ダメですよ、大友先生から能力の使用は禁止されてるんです」
「ほう、それは意外だな。あの人の事だから『持って生まれた力を忌避したらあかんで。力を抑えるのではなく制御する方向で修練をしたらええ』とか言いそうなのに」
「ああ、たしかにそんなこと言ってましたけど、まだ時期尚早とか……」
「判断を人に任せていいのか? そんな悠長なこと言ってたら、いつまで経っても問題が解決しないかも知れないぞ。古人曰く『奇跡を待つより捨て身の努力よ』だ」
「でも、もし他の人に知られたら……」
「この部屋の呪的防御が施されている。ちょっとやちょっとの術で、いや派手にドンパチやったとしても周りにはそうそう気づかれないさ」
「わ、わかりました。それじゃあどこにキ、キ、キ……」
「樹木希林?」
「ちがいますよ! なんでここで老け役があたり役だった女優さんの名前が出てくるんですか! どこにキスしたらいいか聞いてるんです」
「どこがいい、笑狸?」
「え? ボクが決めていいの?」
「いいよ、おまえがキスされるんだからな」
「なにそれ! ボクを実験台にするつもり?」
「実験台とは人聞きが悪い。なんかあった場合、俺なら対処できるがおまえにはそういうスキルないだろう。だからさ」
「んもー、しょうがないなぁ……。じゃあ、おでこにしてくれる?」

 もとより好奇心旺盛な性質な笑狸はあっさりと承諾し、手で前髪を上げてひたいをつき出した。

「それじゃあ、い、いきますからね」

 桃矢の桜色をした唇がかすかに笑狸の肌にかすかに触れる、小鳥がついばむような軽い口づけ。

(あー、富士野さんや木府さんが見たら喜ぶだろうなぁ)

 男子寮の寮母、富士野真子と女子寮の寮母、木府亜子は男性同士の恋愛に心ときめく趣味の持ち主で、よく寮生たちで妄想して楽しんでいる。
 と、その時。光が満ち、笑狸と桃矢。二人が一人になった。
 光に包まれ、それが消え去った時、『笑狸』のまわりを三体の影が飛び交っていた。半透明の影たちは『桃矢』を中心として、渦巻くように高速で飛んでいる。まるで嵐の中だ。音も光もさえぎられ、部屋の様子もわからない。
 桃矢はとまどっていた。いったいなにごとが起きたのか、こんなのは始めてだ。理解できない。
 笑狸は飛び交う影になつかしさと心強さを感じた。
 あれこそは、あの影こそは偉大なる隠神刑部。八百八狸を統率する大剛の大将。
 あの影こそは義気義侠に満ちた団三郎狸。弱きを助け強きをくじく佐渡の豪傑。
 あの影こそは屋島の太三郎狸。はるか昔、とある狸が矢傷で死にかけたところを平重盛に助けられ、その恩義から平家の守護を誓うもかなわなかった。だが、その代わりに後世においてその子孫が日の本の存亡を賭けた戦争で活躍した。その一族の長。
 大いなる祖霊の力が流れ込んでくる――。

「……笑狸、か?」

 秋芳の眼前に長髪の若者が姿を現した。その身にまとう気はたしかに笑狸のもの。だがその容貌は大きく異なる。
 漆黒の長髪、金色に輝く瞳、白い牙、銀色の爪、赤い舌、とがった耳と太い尾……。
 妖美なる化生がそこにいた。

「賀茂秋芳……。おまえを、食う」

 そのあやかしは美しい声色で物騒なことを告げ、秋芳に襲いかかった。 
 

 
後書き
 これ書いてた頃にちょうど消費税が上がったんですよね。 
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