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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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闇寺

 机の上に置かれた双六盤を前にして、京子は思案の表情を浮かべていた。
よく見れば双六盤には様々な図形や数字、漢字が書きこまれていて、その中央にはルーレットのようなものが、遁甲盤がはめ込まれていた。

 奇問遁甲。
 古代中国で発明された方位術。その起源は古く、伝説上の皇帝である黄帝が発明したとも、漢の高祖である劉邦に仕えた軍師、張良が神仙より授けられたとも言われる。
 本来は兵学や地政学であり、行方をくらましたり、敵を罠に誘い込むのに利用された。伝説では『三国志演義』の諸葛亮がこれをよくもちいたとされ、夷陵の戦いで追撃してくる陸遜の兵をこの術で退けたと伝わる。
 だが京子が取り組んでいるのは、甲種呪術としての奇門遁甲だ。
 陰陽二気の動きに応じて姿を隠したり災難を避ける呪術で、天の九星と地の八卦の助けを借りて、八門遁甲とも言われる門の吉凶を読み解く。
 この八門遁甲とは、生門、開門、景門、杜門、死門、傷門、驚門、休門。文字通り八つの門を持った陣で、その内側は巨石や石柱が並ぶ迷路になっている。
このうち無事に外へ出られるのは休門、生門、開門の三つで、それら以外の門をくぐると侵入者になんらかの害をもたらす。
 八陣結界に迷い込んだ者はこのうちの一つを選び陣の外に出るか、あるいは永遠に陣の迷路を彷徨うしかない。この八門はその名にちなんだ影響をくぐる者にもたらし、死門をくぐった者には死を、驚門をくぐったものには狂気をあたえる。
 奇門遁甲とは、そのような恐ろしい呪術なのだ。

 京子の前にあるのはそれらを元にしたミニチュアで、盤図に組み込まれた術式を読み解くことで駒を進め、ゴールにたどりつくことを目的とした双六そのものになっている。

「土日は私用で出かける所があって訓練にはつきあえない。そのかわりこいつで遊んでてくれ。術式を読んで解除する練習、勉強になるし、ゴールしたらプレゼントもある」

 そう言って秋芳は封印の施された小箱と自作の遁甲双六を京子に渡した。
 京子の駒がゴールしたら小箱の封印が解け、中の物が手に入るという仕組みだ。

「男の子って、こういう遊び好きよね。よくこんな難しいの自分で作れたものだわ」

 そう。この遁甲双六は秋芳自作の呪具なのだ。

「でもプレゼントってなにかしら? まさか結婚指輪とか? キャー! もう、やだ気が早すぎ!」

 桃色の妄想に身をよじり足をバタつかせる京子。

「と、いけないいけない。秋芳君が帰ってくるまでにクリアして、びっくりさせてやるんだから」

 気を取り直して遁甲盤にむき合う京子。
 さて、その秋芳はいったいどこへ出かけたのかというと――。





 葷酒山門に入るを許さず。
 厳しい禅寺にはそのような戒めがあるが、この寺はその限りではない。
 食事も一汁一菜が基本だが、それも厳密には守られてはいない。
 まして多額の布施をした『客』が望めば、それ相応の歓待をしてくれる。
 北辰山星宿寺とは、そのような場所だ。
 秋芳は傷ついた藤四郎吉光。骨喰を預ける場所に、ここ星宿寺という闇寺を選んだのだ。
 
 闇寺。
 陰陽庁の定める法からはずれた呪術者らが身を寄せ合う場所で、日本各地に存在する。
 陰陽庁を辞去した者。呪術の才はあるが宮仕えのできない性分の者。見鬼や生成りゆえに化物あつかいされた者などなど……。
 様々な事情で表の社会にいられなくなった呪術師たちの受け皿となっている。

 宿坊の大広間でひらかれた酒宴は大いに盛り上がっていた。
 山で獲れた猪や鹿、雉といった鳥獣の肉と山菜をふんだんに入れた鍋や川魚を使った料理の数々。それにくわえて大量のアルコール類。日本酒や焼酎だけでなく、洋酒のビンまでもが数多くころがっている。
 肉を喰らい酒を飲む。もはや薬食いだの般若湯だのといった隠語を使うのもバカバカしい。

「さあどうぞ、こいつはハワイ産のラム酒でね。日本じゃめったに飲めない上物ですよ」
「ははっ、こりゃどうも」
「本物の洋河大曲だ。このコクと匂いがたまらんでしょう?」
「ううむ、こりゃ強い!」
「黒龍、獺祭、醴泉、鳳凰美田。どれも銘酒ぞろいだ」
「ほほほ、ありがたく頂戴しよう」 

 宴会当初は客として上座に座っていた秋芳だが、宴が進むと自分の持ってきた酒を方々に振る舞い廻る。
 もぐりの陰陽師として活動していた時から、この寺にはなじみがあり、顔見知りも多い。
 骨喰を預かってもらうことに対して『感謝の気持ちを形にして施し供え』た秋芳は、そのついでに宴会を開くことを願い出て許しを得た。
 それだけの布施をしたのだ。
 参加は自由。無礼講とあって、寺の住人達は入れ代わり立ち代わりに饗宴を楽しんでいる。ちなみに用意された料理の食材と酒類。その半分は秋芳が持ち込んだ物で、調理のほうも秋芳自前の料理用人造式『保食(うけもち)』が担当し、寺の者の手をわずらわせてはいない。
 はぐれ者たちとよしみを通じるのも目的のひとつだ。

「大盤振る舞いですなぁ、賀茂の御曹司」

 スーツをラフに着崩した一人の男が酒を注ぎに来た。賢行という、この寺の阿闍梨だ。僧侶だが剃髪はしていない。寺の外で働くにはそのほうが都合が良いと言う。

「なぁに、星宿寺にはなにかと良くしてもらってますからね」

 注がれた酒を飲み乾して杯を返す。

「ところで……、賀茂様はえらく可愛らしい従者を連れておりますな」

 そう言って部屋の一角で猩々の生成り相手にテキーラの飲みくらべをしている少年を見つめる。秋芳の式神の笑狸だ。肩まである明るい色合いのにこ毛、華奢な身体と白い肌は一見少女にしか見えない。
 賢行はそれを好色な目で見つめている。

「賢行法師は稚児を愛でる趣味がおありで?」

 この場合の稚児とは性の対象としての少年のことをさす。

「いやなに、愚僧はなによりも女人が好きですが、あれほど可憐なら男でも。という気になりますな」

 この男は女好きの破戒僧として有名だ。

「口説いてみますか?」
「よろしいので?」
「ええ。ただしあれは狐狸の精です。精気を根こそぎ奪われることのないように気をつけてください」
「そ、それは……。はは、やめておきましょう」

 賢行はそう聞くと毒気を抜かれ、そそくさと離れていく。
 それと入れ替わるように一人の僧が酒を注ぎに来た。どことなく土佐犬に似た顔の太った男で、賢行とはちがい、きちんとした法衣姿をしている。
 忠範という名の、元祓魔官の僧侶だ。

「このたびは酒席をもうけていただき、ありがとうございます。このような機会がなければ宴など開けませぬからな、みな感謝しておりますぞ」

 とても喜んでいるようには見えない顔つきで感謝の言葉をのべる。
 寺の住人の中には生真面目な者もいる。そのような者は奥に篭もり、乱痴気騒ぎをよそに日々の務めを果たしていることだろう。この忠範という僧侶もそのくちで、義理を立てに来ただけだろうか? そう思いつつ返盃する。

「ときに賀茂様は陰陽塾に通われているとか、ご学友についての例の噂ですが――」

 土御門の次期当主とされる夏目こそ、かの夜光の生まれ変わり。どこに行っても耳にする定番の噂。それはここ星宿寺でも同様だった。
 級友の身についてまわる噂に内心げんなりしつつも、噂の真偽はさだかではないこと、夏目自身の優秀さや、その式神をしている分家の者の人柄の良さなどを始め、陰陽塾という学び舎について丁寧に説明する。
 忠範が去った後も幾人かと献杯と返杯を繰り返す。
 広間の中には酔い潰れて寝転ぶ者も何人かでてきた。そんな中をしっかりとした足取りで進んで来る者がいた。
 学者のような風体の阿闍梨。星宿寺の有力な幹部の一人で、名を理妟という。

「挨拶が遅れてすまない。ちょっと用事があってね」

 およそ僧侶には思えない気取らない口調だったが、どこか白々しい。軽薄な気配を感じた。

「さぁさぁ、もっと飲んでくれ。ここいらじゃ一番の地酒だよ。ところで――」

 秋芳が杯を空にするたびに酒を注いでは、あれこれと質問してくる。
 昨今なにかと取り沙汰される陰陽法改正の話、陰陽塾の授業内容、霊災の発生状況、双角会の動向、ウィッチクラフト社の式神について、賀茂家のこれから――。
 どうもこの男、外の世界への憧れ、関心がすこぶる強い。
 好奇心からあれこれ聞いてくるのはまだかまわないのだが、しきりに寺内の保守派を悪しざまに言い、改革派の主張を褒めそやしては同意を求めてくるのが厄介だ。

(こいつ自身が改革派のようだが、内輪の話に部外者を巻き込まないで欲しいものだ。俺を酔わせてあらぬ言質でもとらせようって腹か……)

 言にして信ならざれば、何を以ってか言と為さん。人の(ことば)と書いて『信じる』と読む。たとえ酒の席での口約束でも立派な約束、契約だ。めったなことは口にできない。

「……ところで理妟法師」
「ん? なにかな?」

 秋芳が天井を指さす。

「少し前から俺の杯に呪詛毒を垂らそうとしているやつがいるんですが」
「なに!?」

 理妟が思わず目を見張り見鬼を凝らすと、秋芳の膳や、その周りに盛り塩のように盛られた瘴気が蠢いていた。表面を微小な眼球がびっしりと覆い、不気味なことこのうえない。

「こ、これは蠱毒!?」

 本来蠱毒とは食事などに入れてもちいるもの。秋芳は幾人もの酔客を相手する間にも、この毒を避け続けていたのだ。

「たちの悪いいたずらだ。まぁ、死ぬような毒ではないようですが、まさかあなたの指示じゃないでしょうね、理妟法師?」
「ちがう! 断じてちがう!」

 理妟が狼狽して天井を見上げると、そこにあった気配が消えた。

「あ、あの狼藉者はかならず見つけ出して処分します」
「仏の慈悲を忘れず、お手柔らかに」

 秋芳はそう言って軽く呪を唱え、呪詛毒を祓う。
 闇寺ではよくあること。血気にはやった者が、こちらの実力を試そうとしているのだ。
 気を取り直してガブリと雉の丸焼きにかぶりつき、その肉を喰らう。
 美味い。
 あっさりとした脂身と滋味が口内を満たす。
 すると――。

「賀茂の若様は呪術のみならず武術にも長けているとか、文武両道とは流石ですね。一手ご教授お願いします」

 頭にターバンを巻いた青年が不敵な表情で声をかけてきた。その隣には竹杖を手にした黒髪の女性がいて、こちらも似たような表情を浮かべている。どちらも見ない顔だ。最近寺に来た者だろう。
「おまえたち、お客様に失礼な真似をするんじゃない!」

 秋芳は賀茂家の上客。下手なことをして気分を害されてはこまる。

「オレは猿渡幸兵。こっちは葉月静香って言います」

 だが理妟の叱責もどこ吹く風。若者はそう自己紹介しつつ杯を差し出す。かすかに湯気が上がっていた。熱燗だ。

「俺はかまわんが、呪術の使用はナシでいいのか?」
「はい。オレ、呪術って苦手なんで」

 ずいぶん素直だな。
 熱い杯を受け取り、そのようなことを考えながら腰を上げた瞬間、ぶちかましが飛んできた。
 ぶちかまし。体当たりのことだ。

「おっと」

 料理の乗った膳が吹き飛ぶ中、酒の満たされた杯だけはこぼさぬよう手に持ちつつ、攻撃をかわす。

「どすこい!」

 幸兵の張り手が秋芳の顔面に向け突き出される。が、それも紙一重で避ける。

「どすこい! どすこい! どすこい! どすこい! どどすこーいっ!」

 張り手のみならず、蹴りや肘打ちもまじえた怒涛の攻撃を右に左にいなす。
 くるり、と。秋芳が身をひるがえしたと思った瞬間、幸兵の体が吹き飛んだ。襖を突き破り、隣室まで転がって行く。
 秋芳が放ったのは転身脚。ただの後ろ回し蹴りだ。
 ただの、と言うが後ろ回し蹴りというのは相手に対して一瞬だが後ろを見せる。そんな意表をついた動きがあるため、慣れてない者は避けにくい。ケンカしてる相手がいきなり背中を見せたら、対応に戸惑うものだ。

「イテテてて……、まいりました」
 
 そう言う幸兵の身にはラグが走っていた。なにかが憑いている。生成りだ。
 秋芳の見鬼が正体を見抜く。

「おまえさん河童の生成りだろう? さすがは相撲。格闘上手だな」

 すると今度は女性が、竹杖を持った静香が前に出る。

「次は私の相手を、呪術戦の指導をお願いします」

 そう言って竹杖を構えると、秋芳の返事も待たずに。
(くだ)よ走れ、急急如律令(オーダー)!」

 竹杖が中ほどから二つにわかれた。中は空洞になっており、そこから無数の狐が飛び出てきた。

「上だな」

 秋芳は畳の上を走る狐の群れを無視して、天井に向かって刀印を切った。

「ケンッ」

 鳴き声とともにラグが生じ、ひときわ大きな狐がぼとりと落ちる。

「似犬、等牙剥。疾く!」

 犬に似る、等しく牙を剥きたり。
 秋芳が口訣とともに簡易式を打つと、それは一匹の犬と化して落ちてきた狐に噛みつく。狐妖の多くは犬を天敵とし、その牙に弱い。激しくラグを起こす狐。

「わっ、降参、降参! その子は私の分身なの。離してちょうだい!」
「おまえさんは飯綱の生成りか。術が甘いな」 

 最初の狐の群れは注意を向けさせるための幻覚。穏形した狐。飯綱で攻撃してくると判断し、その読みはあたった。

「俺に負けたおまえらは罰杯だぞ。酒を飲むんだ。ま、勝った俺も飲むけどな」

 そう言って手に持った杯の中身を飲み乾す。酒はまだ熱かった。
 それからも酔った呪術者達が戯れに勝負を挑んできたりと、宴は長く続き、やがて終焉を迎えた――。





 膳や瓶子が散乱し、酔い潰れた者らがあちこちで寝息を立てている。
 宴の終わり。その余韻を味わいつつ、最後に残った酒をちびちびと飲む。

「秋芳~、飲んでる~?」

 笑狸がしなだれかかってきた。酒臭い。

「飲んでる。おまえも相当飲んだみたいだな」
「飲んだよ~、やっぱ猩々やうわばみの生成りってザルだね~。いくらでも入るみたい」
「酔ってるな」
「酔ってるよ~。でもまだ飲めるよ~」

 笑狸は柔らかなにこ毛を秋芳の胸にコシコシとなすりつけつつ、秋芳が手にした杯に口をつけ中身を飲む。

「行儀が悪いぞ」
「もうこの場所自体が行儀悪いよ」
「そうだな」
「…………」
「…………」
「ねぇ、秋芳」
「うん?」
「さびしいね」
「さびしいな」

 宴や祭りの終わりというのは、どうしてこうさびしいのか? 笑狸はそう言っている。

「こういうのを『もののあはれ』と言うのだろうなぁ」
「う~ん、そうかな? うん、そうかもね」
しばらくそのようなやり取りをしていた秋芳だが、急に立ち上がり外へと出ようとする。
「どこに行くの?」
「酔いさましにそこらを歩いてくる」
「ふ~ん、行ってらっしゃい」





 山は季節の訪れが麓よりずっと早い。
 鮮やかな紅葉を目にして少女はため息をついた。
 その美しさに感じ入ったのか、あるいは秋特有の感傷的な気分になったのか――。

「お腹すいたなぁ」

 ちがった。

「宴会。一晩中やってた。…美味しい食べ物がいっぱい出たんだろうなぁ」

 サイズの合ってない大きめの眼鏡におさげ髪。まだ中学に上がるか上がらないかくらいの年齢の少女はそうひとりごちる。
 少女の名は秋乃。星宿寺に身を置く者の中でもっとも年若く、もっとも弱い立場にいる存在だ。
 だれしも自由に飲み食いしてもよい宴会が開かれたと聞いてはいたが、とてもではないが顔を出せる勇気はない。意地の悪い先輩連中になにを言われることやら……。

「いいもん、お芋食べるもん」

 庫裏と呼ばれる寺の台所からこっそりと竈の熾火とサツマイモを持ち出し、境内の奥にある朽ちたお堂のそばに行く。
 地面に浅く穴を掘り、そこに芋を置く。その上に落ち葉をかけて、熾火と灰をかぶせ、火をつけようと――。

「あ、ない!」

 マッチやライター。点火する物を用意するのを忘れていたことに気づく。

「あ~ん、バカバカ。わたしのバカ。んも~」

 どうしよう?
 しかたがない。取りに戻ろうとした秋乃だったが、その時。

「火が必要か?」
「ひにゃっ!?」

 急に声をかけられて仰天し、思わず変な声が出てしまった。その瞬間、秋乃の髪の輪郭がぶれ、頭のすぐ上のなにもない空間が乱れた。ラグだ。
 実体化を解いて隠していたものが出てしまう。ぴょこんと伸びた二本の長い耳。白い毛に覆われたウサギの耳が。

「あ、あ、うえっ!?」
 
 動転してしまい耳をしまえない。ぴょこぴょこと右に傾き、左に傾き。秋乃のその様をじっと見つめる坊主頭の青年。
 見られたこんな人いたかしら阿闍梨かしら見られたまだ若いお客さん新しい人どうしよう見られたいじめられるかも良い人悪い人どうしよう見られた――。
 混乱した頭で目まぐるしく思考をめぐらせた末、秋乃は――。
 逃げた。
 速い。脱兎のごとく駆けて、その場を離れる。
 木々をぬって疾走する秋乃。足の速さだけは自信がある。

「なぜ逃げる?」
「きゃーっ!」

 それゆえすぐ後ろから声を、走っている自分に追いついて声をかけてくる人がいるとは思いもしなかった。

「おい、なぜ逃げるんだ?」
「あ、あなたが追いかけてくるからです!」
「なにを言う。おまえが逃げたから追いかけてるんだ」
「え? あ、そうかも」
「わかったら止まれ。そんなに走るとあぶないぞ」
「わ、わかりました」

 少女は素直に足を止め、後ろを振り返る。
 坊主頭の、僧侶のように頭を剃りあげた青年が立っていた。
 秋乃のことをじっと見つめている。

「え、えっと……」

 初対面の相手だ。緊張のため秋乃のウサミミはあたふたと右に左に向きを変えて内心の同様をあらわす。

「さっきは、すまない。おどろかせたみたいだな」
「い、いえ。こちらこそきなり逃げてごめんなさい」
「その耳から察するに、君はウサギの生成りか。宴会には来なかったようだが、ああいう騒がしいのはきらいなのか?」
「あ、はい。わたし、あんまりうるさいのは苦手なんです。あの…、あなたは外から来た『お客さん』ですか? 宴会を開いた」

 おどおどと探るような上目づかいで訊ねる。

「……ああ、そういうことになるな。俺の名は賀茂秋芳だ」
「あ、えっと……。わたしは秋乃っていいます」

 寺では名前しか使わない。たしか名字があったはずだが、秋乃はそれを思い出せず、名前のみを名乗った。秋芳のほうも特に名字を聞こうとはしない。
 この寺に居る者、来る者は様々な事情をかかえている。俗世の縁を捨てて闇寺に入る者も大勢いる。あえて姓を捨てることもあるだろう。
 過去をたずねるのは闇寺ではタブーだ。

「さっき芋を焼こうとしていただろう? 腹が減っているようだが」
「は、はい。薬食……、夕ご飯まで時間があるから、いつもお腹がすくんです……」

 寺では夕食のことを薬食と呼ぶ。これは寺の食事は朝昼二食だからで、夕食は食事ではなく薬という考えからきている。

「残り物しかないが、今から来るか?」
「え? ええっ!? わたしなんかがそんな、めっそうもないです!」
「…………」

 黙って秋乃の顔を見つめる秋芳。
 あ、しまった。気を悪くしてしまっただろうか。言ってから秋乃はお客さんの誘いを断ってしまったことを後悔した。
 だが秋芳は全然別のことを考えていた。

(ううむ、けしからん! なんだこいつのまとう『いじめてオーラ』は、実にけしからん! いじめてやりたくなるじゃないか。だが、だからといって安易にいじめるのも兆発にのったみたいで癪だ。平常心、平常心……)
「あ、あの。すみません、ごめんなさい。ほんとうは行きたいんですけど、わたしみたいな下っ端がお座席に上がるのはいけないと思うから、だから、その……」
「……よし、じゃあなにか適当にみつくろって持って来よう」
「え? い、いいんですか?」
「ああ。でも大した物は残ってないぞ」
「お膳に乗った物ならなんでもいいです! ごちそうです!」
「好き嫌いは?」
「ありません!」
「そうか。しかしウサギの生成りってことはやっぱ――」
「あ、ニンジンですか?」
「……ウサギって自分のうんこ食べるよな?」
「食べません! いや、ウサギはたしかに自分のうんこ食べますけど、わたしは自分のうんこなんて食べませんから! て、うんこって言っちゃったじゃないですか! 三回も!」
「女の子はあまりうんことか言わないほうがいいな」
「あなたが言わせたんです!」
「そういうしゃべりかたもできるんだな」
「え?」
「いや、あんまりおどおどしてたからさ。いじめて欲しくて誘ってたんじゃないかと思うくらいに」
「そ、そうでしたか?」
「ああ。でも、うんこうんこ連呼してた時は活き活きとしてたな」
「そんなに連呼してませんし、そんなので活き活きとするなんていやです!」
「だいぶ打ち解けてきたな」
「そうかも知れませんけど、そうかも知れませんけど!」
「じゃあさっきのお堂の所で待っててくれ。ちゃんとした物を持って行くから」
「え? あ、はい。わかりました。お願いしま――」

 その時。二人の足元が、地面が音を立てて崩れ落ちた。

「きゃッ!?」

 秋芳は片手で秋乃を抱きしめ、もう片方の手で岩壁から生えている木の枝をつかんだ。
 ぶんっ、と枝がしなり落下速度が落ちる。
 少し落ちると、また生えている枝をつかむ。
 ざんっ、と葉が鳴り枝がしなり、落下速度が落ちる。
 宙に体が浮き、次に落ちる。それらを繰り返して落下速度を殺しつつ落ちていく。
 着地。

「地盤が、ゆるんでいたみたいだな。ケガはないか?」
「はわわわわ……」
「離すぞ。立てるか?」
「はわわわわ……」
「その様子じゃ無理だな」

 気絶しなかっただけマシだろう。片手に秋乃を抱いたまま周囲を見まわす。
 すり鉢状に沈下したらしく、まわりを急な斜面にかこまれている。すり鉢というよりはシャンパン・グラスに近い。その底辺に自分たちはいるようだ。

(山中で極端に低い場所に長居は無用。有毒なガスが溜まる危険があるからな。乗矯術でひとっ飛びに……、うん?)

 岩壁にぼっかりと空いた洞穴を発見した。
 秋芳の胸中に子どもじみた好奇心と冒険心が湧いてくる。

「あ、あの……」
「うん?」
「もう平気です。だから、あの、その……、離して、ください」

 真っ赤になり今にも消え去りそうな声で懇願してくる様子は秋芳のS心をくすぐったが、今はそれよりも気になることがある。

「おお、すまん。なぁ、あの中どうなってると思う?」
「え? 洞穴?」
「ちょっと入ってみよう」
「ふぇ? ええーッ!?」

 有無を言わさず洞穴の中へと入っていく秋芳。

(どど、どうしよう? あんな真っ暗なところ、怖くて入りたくないけど、けど……)

 一人になるのも怖い。秋乃はあわてて後を追い、洞穴に入る。
 外からの光が奥までとどいているようで、中は意外と明るかった。それに広い。

「妙だな、どうも人の手が入ってるっぽいぞ」

 階段のような段差が続いている。自然にできたとは考えにくい。 

「……あ! あ、あの。わたし思い出しちゃいました」
「なにをだ?」
「このあたりに昔の、すごい大昔の王様のお墓があるってお話。千じいちゃんから聞いたことがあるんです。あ、千じいちゃんていうのは寺男。お寺の雑役をしている人で、すっごいおじいちゃんで、物知りなんです」
「ほほう? くわしく聞かせてくれ」
「え? ええと、その……、ごめんなさい。それしか知らないです。ごめんなさい」
「埋葬された王様の名前とか、造られた時代とかもわからないのか?」
「……はい、すみません……」
「そんなに気にするなって。さっきのうんこ食ってた元気はどうした」
「うんこなんて食べてません! ああッ!!? またうんこって言っちゃった! 二回も!」
「そうそう、その調子その調子」

 洞穴を降るにつれ、さすがに外の光もとどかず、暗くなってきた。
 秋芳は簡易式符と火行符を取り出し、口訣を唱える。

「以火行為光明。急急如律令」

 火行を以って明かりとなす。熱を生じない光の球が現れ、あたりを照らす。

「わ、すごい。それ、動くんですか?」

 星宿寺は夜ともなるとあちこちの石灯籠などに呪術の火が灯る。それ以外にも日常的に呪術を使用しているが、あいにくと秋乃はそっち方面はさっぱりだ。 

「ああ、こうやって先に飛ばして足元を照らすこともできる」

 そう言うと光球を自在にあやつり、天井から床まで照らしていく。

「わ、これなら暗いとこでも安心ですね」
「怪物が潜んでいたら一発で気づかれるけどな」
「ひゃっ! かか、怪物ですか?」
「こういう遺跡には守護者たるガーゴイルやゴーレム的なモノがつきものじゃないか」
「それはゲームとかの話じゃ……」
「しかし遺跡探索かぁ、いいよなぁ。男の浪漫だよ」
「そ、そうなんですか?」
「そうさ。男はみんなトレジャーハンターに憧れるもんさ」
「あ、それはわかります。宝探しって、なんかワクワクドキドキしますよね」
「だろう? 10フィート棒でつつきながらのダンジョン探索とか、最高だよな」

「……すみません。あなたがなにを言ってるのか、ちょっとわからないです」
 
 そんなやり取りをしながら先へと進んでいると開けた場所に出た。
 ドーム状の大きな石室で、天井や壁面になにかが描かれている。
 尾が蛇になっている亀、龍、鳥、白い虎。太陽や月。星座と思われる天文図――。

「これは…、四神だな。高松塚古墳やキトラ古墳にも同じようなものが描かれていたと聞くが」

 四神。東西南北を守護する聖獣で、北は玄武。南は朱雀。西は白虎。南は朱雀がそれぞれ守っている。
 秋芳たちから見て正面の壁に玄武。入ってきた側の壁に朱雀が描かれていた。

「羅盤がないから断定はできないが、おそらく東西南北の方角に描かれているんだろうな。俺たちは南から入って来たんだ」
「ふぇぇ……、なんかすごい荘厳な感じがします」

 上を見上げてふらふらと歩き出そうとした秋乃だったが、秋芳はその腕をつかんで止める。

「不用意に動かないほうがいい。あれを見ろ」

 石室の中央は数段ほど低くなっているのだが、そこには人の背丈ほどの石柱がいくつもあり、上から見るとちょっとした迷路のように見えた。

「見鬼はできるよな? 注意して『視て』みろ」
「え? あ、はい……。あの、見ないでください」
「は?」
「その、あたし耳で、ウサギの耳で霊気とか、気配を感じとるんです。だから、その視る時は耳がでちゃうんです。だから恥ずかしくて……」
「恥ずかしくなんかない」
「え?」
「持って生まれた力を、姿を恥ずかしがるな。恥ずかしいと思う、その考えを恥じろ」
「そ、そんなこと言われても恥ずかしいものは恥ずかしいもん……。それにウサギなんてかっこ悪いです。みんなにもバカにされるし」
「ウサギは日本の神話や昔話では知恵者として描かれ、道教では玉兎。金烏と対をなす霊獣として見られる。他にもネイティブ・アメリカンの中にはウサギを最高神として崇める部族があるし、エジプトにはウサギの顔をした女神ウェネトや、ウンと呼ばれる神様がいる。ウサギはその俊敏さと鋭敏な感覚から、昔から人々に一目置かれてきたんだ。胸をはれ、胸を」
「う、う~」

 秋芳の擁護にも意固地な表情を見せる。

「だいいち可愛いじゃないか、そのウサミミ。それに綺麗だし」
「う、う~」

 秋芳の表情は変わらない。だがその頭の上のウサギの耳はぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねていた。
 褒められて悪い気はしないのだ。

「ウサギは高レベルのサムライやニンジャの首を一撃で刎ねる強さも持ってるし」
「すみません。あなたがまたなにを言ってるのか、ちょっとわからないです」
「とにかくそれはいいものだと思う」
「……もぅ、わかりました。そんなに言うなら、見ててもいいですよ」

 そう言うと秋乃は眼鏡をかけ直し、自分の額を見るような上目づかいになった。ウサミミは小刻みに震え、霊気を感じとる。

「あ、なんかあそこの石の柱の周り。変な気が渦巻いてます」
「あれは石兵八陣と言って、まぁ、一種の結界だ。足を踏み入れた者は迷路のように入り組んだ結界内に閉じこめられ、出口を見つけられない限り永遠に中をさまようことになる」
「迷うって、あんな狭い場所なのにですか?」
「現実の空間ではない、呪術による異界化空間に飛ばされるんだ」
「ふぇぇ」
「だが妙だな」
「え? なにがですか?」
「なんで大昔の古墳内に『本物の』呪術をもちいた陣図が敷かれているんだ? 土御門夜光が生まれる前は呪術なんて……、いや確かに実際に効果を発揮する呪術自体はレアなケースだが実在してたし、これもその例か。いやしかし……、つうか、そもそもこの古墳はいつの時代の誰を埋葬したものなんだ? 奇門遁甲術が日本に持ちこまれたのは推古天皇の御世とされるが、だとすると――」
「あ、あの~」
「うん?」
「もうここで行き止まりみたいだし、外に出ませんか? あんなおっかない結界のそばに、いたくありません」
「そのおっかない結界を抜ければ、たぶんまだ先があるぞ。ちょっとここで待ってろ。陣を破ってくる」
「ええ! そんな危険ですよ!」

 秋乃の声を背に、石陣へと入る秋芳。
 ぐにゃり、と周りの景色が飴を溶かしたかのように歪んだ次の瞬間、星々が皓々と輝く夜空の下にいた。
 見わたす限り野原が広がり、イギリスのストーンヘンジを思わせる、八つの石門が周囲に点在していた。

「正しい門をくぐりなさい、か……。ここは一つ、神仏の加護に頼ってみるとするか」

 八陣図の破り方は正しい方位と陣を知ることで開門、生門、休門などをくぐることだが、門に見立てられた魔力の源となっている呪物を破壊することでも強引に突破できる。
 秋芳の視たかぎり、この陣図にはさほど強固な呪は施されていない。いざとなればそうするつもりだ。
 星宿寺の山号は北辰山。本尊は鎮宅霊符神、妙見菩薩。妙見菩薩とは北極星を神格化した存在だと言われる。それならば北極星を足がかりに進もう。北極星はつねに北の空にあって動かない。見つけるのは簡単だ。
 空を見上げると季節はずれの春の星座が広がっていた。まずはおおぐま座を探す。すぐに見つかった。おおぐま座の中にひときわ明るい七つの星があり、これが北斗七星だ。
 北斗七星の柄杓の先、貪狼と巨門を結ぶ線を約五倍にのばした先にある二等星。これこそが北極星だ。
 石門の正面に立った時、門の中心に北極星が見えるものを選んで、くぐる。
 無事に抜ける。似たような風景が広がっているが、石門と星座の配置は異なっていた。夏の星座だ。だが北斗七星の位置はけっして変わることはない。やることは同じだ。
 春、夏、秋、冬…。季節を一巡し終えて門をくぐると、陣に入った時と同じように周りの景色が歪み、陣の外へと抜け出た。

「わわっ、早い。もう出られたんですか?」
「ああ、たいした作りじゃなかったからな。なにか動きがあるはずだぞ」

 そう言い終わらないうちに玄武の描かれた壁が音を立てて左右に割れた。陣を突破したことで仕掛けが動いたらしい。

「よし、先に進もう」
「うう、こわいよう……」
「だいじょうぶだ、安心しろ。お兄ちゃんがついてる」
「ちがいます。あなたはわたしのお兄ちゃんじゃありません」
「…お兄様?」
「お兄様でもありません!」
「お兄ちゃま?」
「お兄ちゃまでも、あにぃでも、おにいたまでも、兄上様でも、にいさまでも、アニキでも、兄くんでも、兄君さまでも、兄チャマでも、兄やでも、あんちゃんでもないです!」
「中国語だと『兄』は哥哥(グーグー)、『妹』は妹妹(メイメイ)て言うんだ」
「そんなこと聞いてませんよ!」
「普段は『兄さん』て呼んでるけど、切羽つまった時とかに『お兄ちゃん』てなっちゃうクールビューティーな妹キャラって、好きだな」
「あなたの趣味嗜好とかも聞いてないですから!」
「怖じ気は消えたか?」
「え?」

(そうだ。さっきのうんこの時といい、この人はわたしの恐怖心をなくすために、わざとおどけているんだ。やだ、かっこいい。ほんとうのお兄ちゃんみたい)

「て、なに勝手に人のモノローグっぽくしゃべってるんですかッ! やめてください、そういうの! ほんとに! わたしもう、うんことか言いませんからっ! …ああっ!? また言っちゃった!」

 そんなやり取りをしつつ、道を進むうちに、石造りの道から板張りの道へと、装いがあきらかに新しい時代の建築物へと変わっていった。天井から裸電球がぶら下がり、細々とした光を放ち、闇を照らしている。

「どうも古墳から出たみたいだな」
「そうですね。…あれ? なんかここって、うち。星宿寺みたいな気が……」

 道が二つにわかれていた。左側のつきあたりにある扉から、強い光が漏れていたので入ってみる。小さめの体育館ほどの広さの部屋だ。甘い香りが漂い、理科室にあるような機材や器具がそこかしこに置いてあり、稼働している。

「これは……、蒸留器か。こっちは冷却器に、この蔦みたいな物は……、甘葛?」

 甘葛(アマヅラ)ブドウ科のツル性植物で、砂糖のなかった時代には甘味料として使われていた。
 清少納言の随筆『枕草子』の中に「あてなるもの。削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる」と、かき氷についての記述があるが、このかき氷にかけた『あまずら』がそうだ。

「ふぁ~、この甘い匂い。なんだか良い気持ちになってきました…」
「まさか、これは密造――」 

 ふと気配を察して後ろを振り向く秋芳。そこには能に使う童子面をかぶった背の低い男が立っていた。小柄な体に不釣り合いなほどの櫃を背負い、腰には雅楽で使う(しょう)を差している。

「……シンニュウシャ、タオス!」

 男は面をつけていることをさしひいても妙にくぐもった、異様な声色をあげる。すると背にした櫃から四体の人形が飛び出した。
 人形はそれぞれ剣を手にした天狗、杖を持った翁、腕の巨大な獅子口、きらびやかな衣装の小面(こおもて)の面をつけている。
 童子面の男が笙を演奏すると、それに合わせて人形が激しく動く。小面がゆらゆらと舞い、天狗と翁が左右から、獅子口が正面から秋芳に迫る。
 人形たちはどれも大人の背丈の半分ほどの大きさをしている。せいぜいが小柄な娘程度だが、その動きは生きている人間とまったく同じに見えた。
 そして驚くべきことに呪力の類をまったく帯びていないのだ。
 これらの人形は式神の類ではない。
 そして呪術で操作しているわけでもない。

「はわわわっ!?」
「さがってろ。秋乃……。傀儡子か? 面白い技を使う。それは天岩戸の神話を模しているのかな? 天狗は猿田彦、翁は八意思兼神、獅子口は天手力男、女は天鈿女命だよな」

 童子面の奏でる笙の音色がひときわ強くなる。
 天鈿女命が眩惑するかのように激しく踊り、三体の男神らがいっせいに秋芳に跳びかかる。
 攻撃をかいくぐると同時に蹴りをはなつ。鋭い打突音がして人形の頭が割れ、胴が歪む。それでも人形の動きは止まらない。作りものだから当然だ。
 天手力男の腕が棍棒のように振られ、思兼神の杖と猿田彦の剣が手足を狙う。
 転がって避けつつ足を一閃。空手のあびせ蹴りや、カポエイラの蹴り技を彷彿とさせる足技だったが、狙ったのは人形ではない。
 笙を奏でる童子面と、男性神三体の人形たちの中間の場所を薙いだのだ。
 呪術をもちいない傀儡の技と見て、そこに細い糸があると予測し、それを断とうとしたのだが、しかし――。
 手ごたえがない。

「なんと」

 三体の人形がくるりと秋芳のほうをふり返り、残る一体。天鈿女命も舞いながら移動する。もし童子面が人形たちを糸で操っていたのなら、その三体と一体を操る糸は交差し、もつれてしまう。そんな位置関係にある。
 まさか呪術を使わず笛の音色『だけ』で人形を操るあやしの技なのか?
 ならば笙を禁じるか、それとも男を倒すか。
 どうする?
 考えをめぐらせ秋芳が見鬼を凝らす間にも三体の人形が襲いくる。
 それらを躱して童子面のほうに駆ける。人形遣い本人を直接倒す。そう決めたからだ。
 童子面の笙が怯えたように乱れると、それに合わせて人形たちの動きが早くなる。人には真似できない奇怪な動きと速度で秋芳の前に回り込み、童子面を守ろうとする。しかし秋芳はその人形たちを攻撃することも避けることもなく、ふたたび虚空にむけて蹴り一閃する。

「あっ!」
 
 笙がやみ、うめき声がした。だがそれは男の口から洩れた声ではない。小面の、天鈿女命が声をあげたのだ。
 それは女の、少女の声をしていた。
 笙を奏でていた男が、人形たちがカタカタと硬い音を立ててくずれ落ちる。笙の男もまた人形だったのだ。そしてそれらを操っていたのは人形と見えた天鈿女命。

「真上から糸で吊り、操るのではなく。斜め方向から糸をのばし人形を操る。だから人形の頭上や背後に手をかざしても糸には触れない。誰も人形を操ってないように思える。さらに笙の音色で操っているように見せて、糸の存在を相手の意識からなくす。そもそも操ってるように見える人形遣いの存在自体がフェイクだ。いやはや巧みな乙種呪術だったよ。そしてそのようなことを可能にする人形遣いの技術も凄い。ここでずいぶんと面白い技を学んだな。後はおまえ自身の穏形を上達すれば言うことなしだな。ゆかり」
「ちっ、あいかわらず余裕ぶっこいてスカしたやつ。あ~あ、つまんない。あんたがその笙の人形に攻撃してたら面白いことになったのにさ」
「火薬でも仕込んでいたのか?」
「ないしょ~、次に戦る時に自分でくらって知りな」
「あいかわらず好戦的な女だな」
「降ろしたからって従順になると思うなよ。あたしはチョロインじゃないんだ」
少女はそう毒づいて小面とかつらをはずすと、ツインテールがふわりとたなびいた。彼女の名はゆかり。かつて秋芳が折伏した動的霊災。碓氷峠の撞木娘だった。
「ところで俺らはここに迷い込んだクチなんだが、おまえがいるってことは、ここって星宿寺なんだよな?」
「決まってるじゃん。誰があたしを『名づけ』て、ここに縛りつけたと思ってるのさ。あんただよ、あんた。ボケたの?」

 降ろした霊的存在に名を与えることで、よりいっそう支配を強める。ゆかりにはそのような呪がかけられていた。
 無縁の存在だった撞木娘に縁を意味する『ゆかり』と名づけたのは秋芳なりの心づかいだった。

「そうか。で、これってやっぱ密造酒だよな」
「それについては愚僧が説明します。賀茂様」

 入り口に僧が立っていた。
 黒い法衣に袈裟を着た初老の阿闍梨だ。だが初老といっても老いの気配はまったく感じられない。さほど大柄ではないのに、常人離れした霊圧を放っている。

「げぇ、じじい!」
「じょっ、常玄法師!」

 秋乃とゆかりの口から同時に声が漏れた。





 帰りの電車内。
「お寺の小遣い稼ぎに密造酒の販売だなんて、さすが闇寺。やることがちがうねー」
「だな。で、あそこは星宿寺の、まぁ、秘密の場所でな。そういう酒造りやら、外への抜け道やらがあるんだと」
「ふ~ん、そこに迷い込んじゃったわけね」
「たまたまできた洞穴から侵入しちまったが、別に出入り口があるみたいだな。昔からある古墳や陣図を利用した抜け道だなんて、さすが星宿寺だ」 
「それでそのウサギの生成り。秋乃ちゃんはどうなったの?」
「ちゃんと飯を食わせて帰したさ。もちろん寺の秘密を知ったからと妙な術をかけてくれるなと、常玄法師には言いふくめずみだ。いつもたんと寄進してるからな、俺からの頼み。無下にはできないさ。……にしても」
「うん?」
「あのウサギ娘、お持ち帰りしたかったなぁ。京子にも見せて、触らせてやりたかった」
「いやいや、秋芳。そんな、物とかじゃないんだから…」





「できた!」

 京子が喜びの声をあげる。陣図をすべて読み解き、ゴールしたのだ。
「ふぅ、けっこう難しかったわね。でも、あたし完璧! あ、プレゼントってなにかしら?」

 小箱の封印は解かれていた。中に入っていたのは花束だった。青、黄色、白、ピンク、紫、などの小ぶりの花がつらなって咲いている。

「あら、可愛い。でもお花だなんてわりと普通ね。でも嬉しいわ。これは……、スターチスかしら? たしか花言葉は――」
 
 京子の部屋に花が増えた。
 新たに増えたその花の花言葉は、京子をしあわせな気分に酔わせて、眠りにつかせてくれた。 
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