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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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入塾

 白亜の塔。
 そんな言葉がよく似合う、大きなビルが目の前にそびえ立っている。

「でっか! 他の建物が小さく見えるよ」
「そうだな。陰陽塾とかいうからどんな古色蒼然とした学舎かと思ったら、こんなでかいハイカラな建物だとは思わなかったぜ」

 東京渋谷区某所。陰陽塾を前にしてそんな言葉を交わすのは秋芳(あきよし)と笑狸(えみり)の二人だ。
 僧侶のように頭を剃りあげた短身痩躯の青年、賀茂秋芳。先祖代々呪禁師を生業にしていた連(むらじ)家の者だが、その類まれな呪力を買われ、賀茂家の養子となり、賀茂のために働いている。
 少年のように凛々しい顔に少女のような愛嬌のある笑みを浮かべている笑狸。男の子のような女の子のような。曖昧な、むじなのごとき容姿をしている。
 秋芳の使役式であり、その正体は化け狸だ。

「ここって去年できたばかりの新塾舎で、中身も最新設備がたくさんあるって案内書に書いてあったよね」
「屋上の祭壇に地下の呪練場。他にも設備が充実していて、いたれりつくせりの学び舎みたいだな」

 土御門夜光の転生者と思われる土御門夏目。彼を監視し、場合によっては身柄を確保するため、夏目の通うこの陰陽塾に今日から通うことになった。
 そのついでに入塾期間中に甲種呪術の資格も取り、無資格の陰陽師稼業ともおさらばする予定だ。
 玄関で二体の狛犬の出迎えを受ける。

「あ、これが昨日言ってた機甲式の…」
『さよう』
『我らは高等人造式、アルファとオメガ』
『開塾以来その番を司っておる』
『己が名を名乗るがよい』
「賀茂秋芳」
「笑狸!」
『賀茂秋芳とその使役式、笑狸。…よろしい。声紋と霊気を確認・登録した』
『賀茂秋芳。昨日は我が陰陽塾の生徒が世話になった。礼を言う』
『我らは汝らを歓迎する』
『学友と切磋琢磨し、良き陰陽師となるべく精進するがよい』
『まずは最上階。塾長室へ向かうがよい』

 狛犬たちの間を通り抜け、進むと、広々としたホールに出る。
 正面にある鉄骨造りの大時計が威容を誇り、所々に植えられた竹が清冽な雰囲気を醸し出している。
 竹は古来より縁起の良い植物とされ、そのまっすぐに伸びる姿から高潔さや清浄。人生の学びや成長の象徴とされた。学び舎にはピッタリの植物といえる。

「……ぷぷぷ、アルファとオメガだってさ。狛犬なのに、和風なのに。素直に阿吽とか名乗ればいいのに」
「まぁ『急急如律令』を『order』なんて読ませる、汎式陰陽術全盛の世の中だからな」
 言葉に宿る霊的な力を言霊(言魂)という。
 発した言葉どおりの結果を、現実に現す力があるとされた。
 言葉そのものに意味があり、言葉を(しゅ)として用い、その霊的な力を利用し言葉で対象を縛るのもまた陰陽術の一つだ。
 良い意味の言葉を発すれば良い事が起こり、悪い意味の言葉を発すると悪い事が起こるとされている。
 急急如律令。
 「急々に律令の如く行なえ」という意味を持つ陰陽師の呪文の結び言葉が「order」という英語なのはいかにもそぐわない。ふさわしくないよう思える。
 しかし言葉に意味を結びつけたのが人間なら、それを解き。また新たに結ぶのもまた人間だ。
 土御門夜光はそれをおこなった。
 過去の陰陽道だけでなく、修験道や密教系、神道系。ありとあらゆる呪術が統合され作られた帝式陰陽術だが、さらには東洋魔術と西洋魔術の融合も視野に入れていたのではないか? orderという語をもちいるのはその布石ではないか?
 そんなことを考えながらエレベーターで最上階まで上がり、長い廊下を歩いているうちに塾長室の前まで来た。
 扉を叩こうとする秋芳に笑狸が小声で問いかける。

「秋芳、何回ノックするつもり?」
「四回だ。二回だとトイレ、三回だと親しい相手宅への訪問になっちまうからな」
「ちぇ、知ってたのか」
ドアをノックする回数にもプロトコールマナーと呼ばれる国際標準マナーがあり、回数が正式に定められている。
このような規則・決まりも、また呪)の一つといえよう。
「開いてますよ」
 
 !?
 
 突然足元から声がかかる。おどろいて下を見ると一匹の三毛猫と目が合う。

「お入りなさいな」
 
 猫が人の言葉をしゃべっている。
 いつからそこに?
 あわてて周囲に気をくばる。
 犬や猫がしゃべったかのように見せて、実は物陰からこっそり人が声をあてていた。
 魔術・呪術にはそのような〝虚の術〟も存在するからだ。

「遠慮せずにどうぞ」
 たしかに猫の口から人の言葉が発せられている。

「……失礼します」

 賀茂秋芳たる者が猫の存在に気づけなかったことに内心舌打ちしつつ、扉を開けて中に入る。

(しかたないよ、秋芳。猫って生まれついての穏形術の達人みたいなものだもの。ましてやこの猫、普通の猫なんかじゃないっぽいし)
(油断してた。俺もまだまだ修行がたりないな)

 陰陽塾塾長室。
 象牙色の壁と天井。琥珀色をした木目調の床には臙脂色の絨毯が敷かれている。大きな本棚が壁を占め、大量の書物が収められ、まるで書庫のようだ。
 アンティーク調の趣味の良い調度品の数々が目に優しい。
 殺風景だった外の廊下とは雰囲気がかなり違う。
 部屋はその人を映す鏡だ。たとえ公的な仕事部屋であっても、そこを使う人の性格というものが現れる。
 このゆったりとして落ちついた空気が、この部屋の主の人となりをものがたっているようだ。
 部屋の奥。大きな机の向こう側の椅子に小柄な老女が座っている。

「ようこそ、お待ちしてましたよ。はじめまして、塾長の倉橋美代です」
 
 ニャー。
 秋芳の脇をトトト……、とすり抜け、美代の膝の上に乗る三毛猫。

(あれは猫だが猫ではない。はて、使役式か人造式のどちらだろう?)

 みごとな穏形であざむいてくれた猫の正体を知りたい欲求を抑えつつ、塾長・倉橋美代に軽く会釈をする。

「はじめまして、賀茂秋芳です」
「こんにちは、秋芳の伙伴(パートナー)の笑狸です」

 軽く挨拶をしたあと、入塾についての事務的な会話をする。

「ところで、きのうは孫を助けてくれたそうですね。ありがとう」

 やはりあの京子は倉橋の京子だったか。

「助けたというほどでは…。少し気分が悪そうでしたのでここまで送っただけです」
「そんなふうに謙遜なさらずよいのですよ、あの子。とても感謝してました。…あなた、あの子にどんな印象を受けました?」

 おっぱいが大きかったですね。

 そんなことを口にできるわけがない。

「とても聡明そうだと思いました。あと――」

 おっぱいが大きかったですね。

「責任感が強く、仲間思い。少し話をしただけですが、言葉の端々からそんな思いが伝わってきましたね。それと――」

 おっぱいが大きかったですね。

「ここに通ってると教えてくれたので陰陽術についての話をしたのですが、たいへん物知りでおどろきました。学校の成績も優秀な、いわゆる優等生。委員長タイプの人かと」

 なによりおっぱいが大きいですね。

「ああ、それと声。声に力があって綺麗で、心の底から美声だと思いましたね」

 これは本当だ。
 もちろんたった今、口に出して言った数々の言葉も、嘘偽りない京子に対する評価だが、巨乳と美声の持ち主。というのが秋芳の京子に対する第一印象だ。

「フフフ、ありがとう。そんなふうに孫を褒められて嬉しくならない祖母はいませんよ」

 良い歳の取り方をしている人だ。コロコロと笑うその表情を見ていると、そんな思いが浮かぶ。

「お二人とも、あの子と仲良くしてくださいね」

 二人とも。美代はたしかにそう口にした。使役式である笑狸を一人の存在として認めているのだ。
 陰陽師の中にはたとえ鬼神や霊獣のような出自の使役式でさえ、ただの道具としてしか見ない者もいるが、彼女はそのようなタイプではないらしい。

「ここは一般の学校とは違って、能力のあるものは勝ち残り、劣っているものは去っていく。優勝劣敗の世界です」

 それはそうだろう。内裏にこもって卜占や暦を作っていた昔とは違う。
 現代の陰陽師は東京を中心に多発する霊災を鎮めるのが主な仕事。つねに死と隣り合わせの危険な職業であり、ここはそんな職に就く者を養成する、実力主義の学び舎だ。

「それが陰陽塾の方針です。けれども、陰陽塾はただの陰陽師を養成するだけの機関ではないの」

 倉橋美代の瞳が秋芳をまっすぐに見すえる。
「お二人は天海僧正が江戸に施した呪についてどう思います?」

 南光坊天海。徳川家康の参謀として江戸の街を京の都に匹敵する風水都市に造り上げた高僧。陰陽道や風水、密教といった呪術の達人だ。
 風水において土地が繁栄するためには四神相応の地であることが求められる。
 東に青龍の宿る流水。
 西に白虎の宿る大道。
 南に朱雀の宿る湖沼。
 北に玄武の宿る丘陵。
 中国の長安、洛陽。日本の平安京などはこれらがそろった理想的な土地といえる。
 では江戸はというと――。

「……凄い。のひと言ですね。言霊の呪による見立てをもちいて、あそこまで堅固な結界を築くだなんて」
「え~と、京都の地相を江戸に再現しちゃったんだっけ?」

 江戸は本来なら四神相応の地ではない。
 むしろ風水的には下に属する。
 北には山と呼ばれるほどの丘陵はなかった。それを天海は麹町台地から望む富士山を「北」に見立てることにより、日本最高の霊山を北の玄武に仕上げた。
 さらに新たに造られた寛永寺に東叡寺という山号をつけることで「東の比叡山」として鬼門封じの寺社に仕上げたり、不忍池を琵琶湖に見立てるため、竹生島になぞらえた中之島をつくり、弁財天を勧請して祀るなど、京の地相を江戸という未開の地に再現してしまったのだ。
 その他にも大小無数の呪的防御陣を敷くことにより、江戸は強大な魔法陣都市として二百六十年の長きにわたって栄えさせた――。
 これらのことは現代に生きる陰陽師たちにとって常識だ。

「では天海がそうまでして護ろうとしたものは、いったいなんだと思います? 徳川の家かしら? それとも江戸の町?」
「え?」

 この質問は秋芳にとって盲点だった。
 はて、改めてそう問われると、どちらだろう?
 会津に生まれ、比叡山延暦寺などで修行をつんだという南光坊天海。
 三河の国の領主だった徳川家康。
 どちらも江戸の地に縁もゆかりもない。ことさら江戸の地に愛着はないはずだ。ならば…。

「それはやはり、徳川家では?」
「ボクは江戸の町だと思うなぁ」

 二人同時に別々の答えが出る。

「そうですね。彼があらゆる呪を使ってこの地に敷いた方陣はすべて徳川の権威と繁栄を護るためのもの。ですが結果的には長い時代に渡って、江戸、東京。さらには、この日本という国を護ることになったのも、また事実です。ひょっとしたら、そこまで計算していたのかも」

 この人はなにを言いたいのだろう? 黙って続きを聞く。

「風水など無意味。という考えの人もいます。そういう人が言うには『風水に本当に力があるのなら、最初にそれをもちいた王朝が今も滅びずに残ってなければおかしい』なんですって」

 なるほど、たしかにそうだ。一理ある。

「風水をもちいた中国の歴代の王朝。高い文化を誇った唐も、強大な力を持った漢もたしかに滅びました。けれども中国は滅んではいません。日本もそう。京都は応仁の乱や戊辰戦争で、江戸・東京は明暦の大火、関東大震災、東京大空襲でなんども焼け野原になりました。けれどもそのたびに蘇り、こんにちの繁栄を築いています」

 ひとつの国家、ひとつの王朝の存続よりも、さらに広く長い視野で見たらそう見える。

「それが、風水の持つ真の力のおかげだと?」
「さぁ、それはどうでしょう? そうかも知れないわね。けれども私は風水に力があるのではなく、風水を信じる人の力がそうさせるのでは? と思ってるわ」

 なんとなく、この人の言わんとしていることが伝わってきた。

「陰陽師と陰陽術もそう。どんなに強い力や優れた技でも、そこに人の想いがなければなんの意味もないわ。ここに通う生徒のみんなには、なによりも人であって欲しいの」

 陰陽術は霊災を鎮めるだけの技術ではない。
 質量保存の法則を無視して無から有を生み出し、離れた場所に居る相手を害することもでき、鬼神や精霊を意のままにあやつることもできる、強力な力だ。
 呪術になじみのない一般の人々にとって、それは脅威であり恐怖だ。
 そして陰陽塾に入った全員がプロの陰陽師になれるわけだはない。
 むしろ途中で退塾する者のほうが多い。
 そんなプロになれなかった「落ちこぼれ」たちの使う陰陽術でさえ、力を持たない普通の人たちからすれば、前述のとおり脅威であり恐怖である異能の力だ。
 中途半端に力のみを身につけた輩が巷にあふれたらどうなるか?
 呪術による犯罪は後を絶たず、世間の陰陽師に対する偏見は悪くなる一方だろう。
 そのようなことがないように陰陽塾では精神修養も大事にしたい。塾長はそう言いたいのだと、秋芳は解釈した。

「はい、わかります。しかし……、まるで優れた陰陽師は人ではなくなる、みたいな言いかたですね」
「それ、かなり鋭いわね秋芳さん。たとえ本人にそのつもりがなくても、人ならざる存在に祭り上げようとする人たちが大勢いれば、そういうふうに『成って』しまうことだってありえるわ」
「ああ…、土御門夜光と、夜光信者のことですね」
 土御門夜光。
 太平洋戦争の狂乱のさなかに現れた稀代の天才呪術師は軍部からの要請に応え、現代陰陽術の基となる帝国式陰陽術を産み出した。
 しかしその功績の一方で敗戦直前に軍に命じられた呪術儀式に失敗。その影響で東京は日本でも一、二を争う霊災多発地帯となってしまった。

「ええ、そう。彼だって私たちと同じ、笑いもすれば泣きもする、人格を持った普通の人間だったんですよ。…まだ私がほんの子どもの頃ですけど、よく将棋を指しました」
「へぇ、彼は強かったんですか、将棋?」
「いいえ、下手でした。それなのに何度も何度も勝負を挑んで、負けたら拗ねるんですよ。困った人でしたよ」

 遠い目というのはこういう目なのか、当時を懐かしむ美代の瞳は秋芳らの知らない世界を映していた。

「……彼だって、夜光だって人間だった。でもそれがわからない人たちが盲目的に祭りあげ、自分たちにとって都合のいい存在にしようとしてる」
「迷惑な話ですね」
「ええ、ほんとうに――。イメージというのは一種の呪術。『呪』なの。噂だって同じ。心に作用し人を惑わす。いわば理論も効果も不確かな乙種呪術に入る呪。けれど強力な呪術というものはおしなべて乙種に分類されるもの。……賀茂家の方にはいまさらな講釈だったかしら?」
「いえ、勉強になります」
「ふふ、ありがとう。お二人はもう知ってますね? うちの夏目さんが夜光その人の生まれ変わりだという噂を」

 土御門夏目。
 土御門本家の次期当主にして天才と称えられ、その豊かな才能と見識は陰陽塾に通う塾生の中でもトップクラスの少年。
 それもそのはず。彼こそが土御門夜光の生まれ変わりだからだ。
 呪術界に身を置く者、関心のある者で、その噂を知らない者はいないだろう。
 いたとしたらそれはよほど世事に疎いことになる。

(つーか、そいつをどうこうするのが、俺らの主な仕事なんだよな)
(秋芳ぜったい忘れそう。てか忘れてたでしょ?)
「夏目さんは塾内でも特別な関心を持たれているわ。けど変な色眼鏡で見ないであげてね」
「はい。お孫さんとも夏目さんとも、他の人とも。仲良く楽しく競っていきます」
「そうしてくれると嬉しいわ」

コンコン。

「塾長ー? 失礼しますー」

 ノックの音の後に続いて妙なイントネーションの声が外からかかる。

「いい加減時間押してますけどー」

 そう言って入ってきたのは背の高い、痩せぎすの男だった。

「あら、大友先生。ごめんなさい。今終わりましたよ」
「そら丁度よかった」

 ハハハ、と笑うその姿を、失礼にならないよう得意の八方目――目を動かさず、一点を見つめたままで視界内を見わたす技――で顔を見ながら上から下まで観察する。
 長く伸びてくしゃくしゃに乱れた髪。安っぽい眼鏡。ヨレヨレの背広。右膝から下が義足――それも海 賊映画に出てくるような古めかしい木製の棒――で杖をついている。

(こいつ、狼みたいだな)

 飄々とした雰囲気の内に、こわい気を隠している。見た目はいかにも昼行燈のボンクラだが、なかなかどうして油断のできない相手だ。

「あ、すごい。その足、機関銃でも仕込んでるの?」

 そんな思いを抱いた秋芳とは対照的に無邪気に声をかける笑狸。

「おおッ! アッハッハ、きみ鋭いなー。僕も陰陽師の端くれやさかいな。そらまぁ、いろいろと仕込んでるで。でもそこらへんは企業秘密や」
右足を上げてキャッキャとはしゃぐその姿はまるで小学生のようだ。
「こちら大友陣先生。あなたたちの担任です。こう見えて優秀な先生なのよ」
「ちょ、塾長『こう見えて』はないでしょー。まぁ、ええわ。とにかくそういうわけや、二人ともよろしゅうな。ほな、教室に案内するで」





 教室。

「いやー、お待たせお待たせ。お待ちかねの転入生連れてきたで~! は~い♪ 二人ともあいさつあいさつ」
こういうのは最初が肝心だ。奇をてらわず伝えたいことを簡潔に述べる。
「賀茂秋芳。十七歳です」

 ざわ… ざわ… ざわ…

「なんだよ~、また男かよ」「謎の美少女転入生とか期待してたのに・・・」「なんで野郎ばっか入塾してくんだよ」「しかもハゲじゃん」「今どきハゲキャラとかないわ~」「ハゲでキャラづけとか安易よねー」

(いやいや、ハゲじゃないからね、これ。剃ってるから。きちんと毎日剃りあげてるから。この青々とした剃り跡が見えないのかな? スクリーントーンとかじゃないよ)

 ここ最近男子の転入生づいてるのか? 自分のあずかり知らない部分で最初の印象を落とされてはたまらない。

「秋芳の使役式やってる笑狸といいます。みなさん今後ともよろしく」

 ざわ… ざわ… ざわ…

「うわ、むちゃくちゃカワイイじゃん!」「女の子、だよな…?」「え、男子でしょ? でもほんと凄いかわいい…」「やば、あれなら男だとしてもいけるわ」「あれか? 今はやりの男の娘ってやつか!?」「もうどっちでもいいじゃない。かわいいは正義☆」

 ざわ… ざわ… ざわわ… ざわ…ざ‥ざわ……ざわ… ざわ… ざわ…

 先ほどのざわめきとはあきらかに違う種類のざわめきが場を支配する。
 ふふん。
 勝ち誇った顔で横目に見てくる笑狸。

(おまえ、こっそり魅了の術とか使ってないだろうな?)
(使ってないよ。わかってるくせに。これがボクの素の魅力なの)
(どうだか。狐狸精は無意識に人を惑わすからな)

 化け狸である笑狸は変化や幻術、魅了の術に長ける。
 人を悪戯に化かすのは本能のようなものだ。

「笑狸ちゃん彼氏いるの?」「笑狸ちゃん彼女いるの?」「えっと、笑狸さんの趣味は何ですか?」「笑狸くんてどこから来たの?」「使役式ってマジ?」「罵ってください!」

「彼氏も彼女もいません。趣味はアニメ見たり漫画読んだりゲームしたり、オタク系かな。秋芳と一緒に神奈川県の横浜から来ました。マジです。このブタ野郎!」

 次々と問いかけられる質問に答えていく笑狸。

「使役式と言いましたがズバリ正体は?」「笑狸ちゃんの好みのタイプ教えて!」「好きな食べ物は?」

「由緒正しい化け狸です。なにかに打ち込んでる人って素敵だと思います。アボガドのチーズ焼き!」

 笑狸への狸質問タイムが終わる気配はない。

(まったく、こっちはガン無視かよ…)

 手持ち無沙汰にクラス内を見まわす。
 機能的な階段教室だ。席についてる生徒達はさすがにみな良家の子女といった感じだが、どこか毛色の異なる連中もいる。

(あの金茶髪は茨城のヤンキー。その隣の長髪ヘアバンド男は渋谷のチーマーだな。あのお団子巻き毛はなんて髪型だ? 六本木のキャバ嬢みたいな女だな……て、あいつ倉橋京子か!? なんかずいぶん印象が違うな)

 きのうの少女が無表情にこちらを見つめている。
 そう、こちらをだ。クラスのほとんどが笑狸に注目する中で彼女が、京子だけが秋芳を注視している。

「先生、ちょっといいですか」

 よく通る声が場の喧騒を一瞬にして静める。
 京子だ。
 挙手して立ち上がり、同じ言葉で大友に問いかける。

「先生、ちょっといいですか?」
「おおっとッ、京子クン恒例の『転入生にイチャモンつけたあげくに式神勝負に持ち込む』コーナーかい!?」
「ちがいます! そんなのがいつから恒例になったんですか! そんなコーナーありません! まったく、デタラメ言わないでください」
「ならナニ?」
「……転入生に学園内の案内をしてあげたいんです」
「そりゃええな。うちの校舎はえらい広いから、不馴れなうちは迷うで。昼休みにでもみんなで仲よう案内してやって――」
「今じゃだめでしょうか? 今日の午前の講義は誰かさんのための復習で、あたしには必要ないですし」
「んん~、いや京子クンはそうでもこの転入生の二人には必要なんちゃうかな? なんせ半年分の遅れがあるし。うちのカリキュラム無駄がない分、普段おさらいとかせぇへんからな。いい機会やで」
「入塾試験は合格してるんですよね? 当然、ちゃんと半年遅れで入塾することを前提に組まれた内容のものを。なら特に問題はないんじゃありませんか?」
「な、なんかおれの時とずいぶんあつかいが違くないか?」

 金茶髪ヤンキーがそのようなことをつぶやく。

「京子クンは言い出したら聞かへんなぁ…。秋芳クン、キミはどうしたい?」
「お言葉に甘えて案内されたいですね。授業についてはこいつが出ますので、後でどんなものか内容を訊いておきます。なにせこいつとは『つながって』ますので、正確に伝わりますよ」

 笑狸の頭をポンと叩く。

「ああ、さよか。ほなええで」

 あっさりと大友先生の承認がおりる。

「ありがとうございます。――賀茂秋芳くん。ついて来て。案内するわ」





 屋上。

「いきなり屋上か。まぁ、上から下って行ったほうが楽は楽だが。ん? まだ上があるみたいだな」
「ええ、一番上には祭壇があるの。普段は立ち入り禁止で、一般生徒が入っていいのはここまでよ」

 眼下に広がる渋谷の街並。ここからだと動く人々の姿が蟻のように見える。
 金王坂、道玄坂、八幡坂、宮益坂、オルガン坂にスペイン坂――。
 渋谷は坂の街だ。
 風水においてほどよい起伏。岡や坂は平地の中の龍脈と考えられ、これらの多い土地は活気に満ち、栄えるとされる。
 渋谷はそのような街であり、陰陽塾はそんな場所にある。
 吹きつける風が気持ちいい。
 亜麻色をした京子の巻き毛が風におどる。

(こいつ、今日は化粧してるんだな。なんかケバい。きのうみたいなスッピンのほうがかわいいのに)
「あー、その髪型、きのうよりも凝ってるね。たしかハーフアップ――」
「最初に、お礼を言わせてちょうだい」
 
 秋芳の言葉をさえぎり、まっすぐに見つめて話しかけてくる京子。
 話しかたも仕草もまるでちがうのだが、その姿に先ほどの塾長の姿が不思議と重なって見えた。
(似てるなぁ、やっぱり家族だ。…ん?)

 星だ。
 紫がかった京子の瞳の中に星が輝き、瞬いている。
 比喩ではない。ほんとうに星が視えたのだ。
 夜空に点々と散らばり数多の光を放つ星。目の前にいる少女の目の中で、それらが煌々と光り輝いているではないか!
 星は京子の周りに広がり星雲を形作る。その光の渦に吸い込まれそうになる感覚が秋芳の全身に広がる――。

「きのうはどうもありがとう。あなたは命の恩人よ。……て、あなた。ちゃんと聞いてる? 人が真面目にお礼してるのに、なにボーッとしてるのよ!」

 荒げた声に我に返る。
 京子の瞳に、星はもうない。

(今のは、呪術による幻視じゃあない。託宣、ディビネーションか? いったいどこの神が俺にそんなものを視せやがる。これにはなんの意味が!?)
「ねぇ、ちょ、ちょっと。あなたほんとうにだいじょうぶ?」
「あ、ああ、平気だ……。いや、きのうはこっちも助かったよ。最初に君が戦ってくれたからこそ相手の正体や属性がわかったからね」
「うそ」
「え? いや、うそじゃないって。あの二体の式神が時間を稼いでくれたおかげで、俺は本体を見抜けたんだし」
「でも、あたしが手を出さなくても、あなたなら楽勝だったんじゃない?」
「それは、そうだな」

 一般人や見習いクラスの陰陽師にとっては脅威でも、秋芳から見れば纐纈鬼はたいして強い妖怪ではない。
 きのうのように自分の『巣』に獲物を誘い込み、消耗させ、弱ったところを襲いかかる。
 生来の陰湿な性もあるが、そうでもしないと安全に人を狩れないのだ。
 たとえ京子の参戦がなくても、自分ならすぐに本体を見抜いて仕留めていただろう。

「ハッキリ言ってくれるじゃない。でも、やっぱり、ね」

 腕を組み、探るような目つきで問いかける。

「ねぇ、賀茂くん。あなた、何者?」
(こいつ、かわいいじゃねぇか。でかい乳を腕組みでさらに強調しやがって、狙ってやってるのか? けしからん!)
「あたしを寝かせて護る時に使った術も、あいつと戦う時に武器を呼び出した術も、あたしの知っている陰陽術にはないわ。いったいあれはなんなの?」
「あれは道教の神様の力を貸してもらったんだ」
「ああ、あの呪文て中国語だったのね。どうりで、そんな感じの響きだったもの」

 道教。
 老子の名で有名な太上老君が始祖とされる、中国古来から伝わる呪術色の濃い民間信仰。
 風水などの地相占術や、不老不死の仙薬を作ることを目的とした練丹術など、様々な魔術が内包されている。
 祀られている神々の中では『三国志演義』に登場する関羽が神格化された関帝聖君や『西遊記』の孫悟空こと斉天大聖などが有名だ。
 纐纈鬼との戦いで秋芳が召喚した水行属性の武器。三尖刀は顕聖二郎真君という武と水を司る神から一時的に貸してもらったのである。
 この顕聖二郎真君という神様は『封神演義』という作品に楊戩(ようせん)という名の道士として登場する、これまた有名どころの神様だ。

「たしか帝式や汎式陰陽術の中にも道教から取り入れた術がいくつかあったわね。でもあたしの知ってるのは、あんなのじゃなかったわよ」
「そうだろうな。俺のがよりオリジナルに近い。それでいてなおかつ我が家流にアレンジされてるからな」
「我が家って、そういえばあなたの『賀茂』って名字だけど。ひょっとしてあの『賀茂』だったりするの?」
「ああ、その賀茂だよ」

 こんにちもっとも権勢を誇る倉橋。夜光の件があるにもかかわらずなお影響力のある土御門。その両家以前に陰陽道の宗家として君臨していたのが賀茂家だ。
 修験道の祖とされる役小角も、この賀茂家に連なる人物だという説もある。
 なにもコソコソと隠す必要はない。
 秋芳は呪禁や賀茂の養子のことなど、自分の出自を包み隠さずに京子に打ち明けた。
 年齢と裏稼業。夏目に関する事柄以外は。

「――というわけでだな、実際に効果があるとはいえ乙種は乙種。公の場で仕事をするにはどうしても陰陽Ⅱ種、Ⅰ種の資格が必要であると判断し、田舎に引きこもったままじゃいかん! 賀茂の次代を担う若者は陰陽塾で学び、甲種呪術のご免状をもらって来いと、そういう流れで入塾した次第さ」
「そうだったの、……正直、賀茂家ってとっくの昔に、その、あの……」
「無くなってたと思った?」
「ええ、ごめんなさい」
「あやまることじゃないさ。この数世紀の間、うちはろくに実績をあげてないからね。陰陽道の大家としての賀茂家は、実際無いに等しいもんだよ」
「…ええと、あ、じゃああなたも夏目君と同じ、お家の次代当主ってわけよね?」
「ん? それはないだろうね。俺はあくまで養子。賀茂の家は賀茂の血に連なる者が継ぐだろうね」
「そんなに力があるのに? おかしいわ」
「賀茂家は俺の力だけが欲しいのさ。知ってるかい? 田舎じゃ他所からの養子は本家の連中と同じ席で食事ができないんだ。しきたりでね、連中が座敷で食事するのに、こっちは台所で飯を食うのさ。別に不幸自慢、差別自慢するわけじゃないが、大人になってから驚いたよ。なんて封建的な家に住んでたんだろう、てさ」
「なにそれ、ひどい!」

 今でもそうだ。
 もっとも秋芳が望めば、普通の席どころか、上座を占める老人を押しのけ、いつでもそこに座ることができるだろう。それだけの実力があり、それだけの貢献をしてきたのだ。
 だが秋芳はそれをしない。
 しようとも思わない。
 しきたりを重んじ、賀茂本家の人間を尊重する殊勝な心がけ。というわけではない。屋敷の隅にいる自分に家中の誰もが畏れて遠慮する様が面白いからそうしている。
 我ながら悪趣味だとは思うが、やめられない。

「名門名家なんて言っても、そんな前時代的な考えじゃ没落するのも当然ね! …て、あ、ごめんなさい。べつにあなたの、賀茂の家を否定してるわけじゃないのよ」
「いいから、いいから。気にしないよ」
「陰陽塾も倉橋家も百パーセント実力主義! 家格も血筋も関係ないわ。そう、たとえば人間を式神にするような、古い、時代錯誤なハナシなんてナンセンスなのよ! 実に旧態依然としたアナクロだわ、ロートルなのよ!」

 なにかのスイッチが入ったのか、急に意気が上がり強い口調でまくし立てる京子。
「あー、人間を式神にする? なんの話?」
「夏目君と、土御門春虎のことよ」

 分家の者は本家の者の式神になる。土御門家にはそのような決まりがあり、土御門本家の者である夏目の式神になった分家の春虎は主である夏目の近くにいるよう、最近入塾してきたことを説明する。

「なるほど。その彼も転入生だったのか」

 教室で自己紹介した時の「また男」「野郎ばっか入塾」というヤジの意味は、つまりそういうことかと納得する。

「しかし人を式神するだなんて、変わった表現するもんだな。ようはたんなる主従関係。雇用主と従業員みたいなものなんだろ? 今の説明だと」
「ええ、そう。帝式陰陽術の中には魂と魂をつないで意識や感覚を共有するくらい深くリンクさせる式神使役の方があるみたいだけど、そういうのじゃないわ。あ、そういうえばさっきあなた、笑狸ちゃんだっけ? あの子と『つながってる』とか言ってたけど、まさか…」
「いや、その手の術は使ってないよ。普段はね」
「ふ~ん、普段は、ね…」

 屋上特有の強い風が吹きつけ、残暑の日差しに火照った体を冷やしてくれる。

「なぁ、そろそろ中に入らないか? まだなにか聞きたいことがあれば歩きながら話すが」
「ええ、そうしましょう」





 食堂。

「おお、ここが大学や高等学校などの学校構内に設けられた、学生に飲食物を提供する食堂。通称学食か!」
「そうだけど、なにそんなに興奮してるのよ? うちの学食、味も値段も普通よ、普通」
「その普通ってやつを堪能したいのさ。やっぱあれか、昼食の時はたがいの手作り弁当のおかずを交換して味勝負とかしてたりしてるのか?」
「あたしはしないわね。そういうことをしてる人も知らないわ。あなたって料理できるの?」
「簡単なつまみ程度ならね。それとカクテルならよく作るが」
「ちょっと! あなた未成年でしょ? ほどほどにしときなさいよ」





 図書室。

「見てのとおり図書室よ。呪術関係の蔵書に関しては、それなりの量と質を保証するわ」
「そうか、ちょっと見させてくれ」

 汎式陰陽術概論。
 陰陽Ⅲ種、陰陽Ⅱ種、陰陽Ⅰ種の各種解説書。
 現代式神理論。
 再説陰陽史話。
 金烏玉兎集。
 占事略決。
 周易。
 五行大義。
 新選陰陽書。
 黄帝金匱経。
 神枢霊轄経。
 などなど……。

「実用書から古典まで、見事に基本が網羅されてるじゃないか。う~ん、でも実用的なマニュアル一点張りでいささか面白みに欠けるなぁ。息抜き用に創作ものでもあればいいのに」
「なによ、まさか漫画でも置けっての?」
「漫画でも小説でも映画でもいいが、とにかく創作作品をね。絵空事とはいえフィクションもバカにできないよ。無から有を生み出すってのがまず凄い。次にその生み出されたモノが人々の心に影響を与える。これはもう呪の一つだな」
「まぁ、ものは言いようよね。なにかお薦めの作品でもあるの?」
「映画なら『ノッティングヒルの恋人』が好きだね。ジュリア・ロバーツが主演のやつ」
「それって恋愛映画よね? なんか意外。あなたみたいな人がそういうの好きだなんて」
「俺はジャンルを問わず良作は良作と思える感性の持ち主でね。しかし恋愛感情もまた呪といえるな。人の、人や物に対する感情が本来「中庸」であり、それが正常にもかかわらず、好き嫌いを持つことで偏りが生じ、異常なことになる。特に恋愛感情は、その強さや不合理さからして逸脱の程度が大きく、人を鬼にも仏にもする。これはまさに呪だ」
「なんか大友先生みたいね、あなた」





 廊下。
 校内を巡る二人は一体の式神とすれ違う。
 子どものように小さく、棒を組み合わせたようなほっそりとした手足と胴体で、頭上には円錐状の編み笠のようなものを被っている。
 とてもシンプルな造形が特徴的だ。

「今のは、たしか汎用式の…」
「ええ、そう。陰陽庁制の、旧型の汎用式『モデルM1・舎人』よ。清掃用に大量に入荷したの」
「だから手に箒とちり取りを持ってたのか。しかし清掃用に式神とか、ずいぶんと贅沢だな」
「ここは陰陽塾よ。そのくらい普通よ」
「放課後に生徒みんなで掃除したりはしないのか?」
「しないわよ、小中学校じゃあるまいし。夜の間に今の舎人たちが全部やってくれるわ」
「いかんなぁ。掃除は掃き清める、魔や穢れを祓うことにつながるから、俺たちみたく霊災を修祓する任務に就く者にとっちゃ修行のひとつだろうに」

 それを聞いて思わず吹き出す京子。

「フフッ、こんどは藤原先生と同じこと言ってる。あ、藤原先生っていうのは三年の担当をしている講師の方で、元祓魔官なの」
「祓魔官か…」

 陰陽庁に属する内部部局に「霊災修祓室」という部署があり、そこに属する陰陽師は祓魔官と呼ばれている。
 彼らはおもに霊災の修祓任務にあたるが、その様子はマスメディアに取り上げられることも多く、社会的な露出が多い。
 そのため世間の陰陽師に対するイメージは祓魔官のイメージが特に強い。
 そんな祓魔官らと霊災の現場で「すれ違った」ことなら今まで何度もあるが、誰にも顔は見られてないはずだ。

「その先生はなかなか良いことを言うな。暮らしの中に修行あり。なにごとも鍛錬だ」
「…あなたって、なんか生徒じゃなくて先生っぽいわね。講師の方がむいてるんじゃない?」





 一階ホール。

「屋内に本物の緑があると安らぐな。ここは実に良い気が流れている」
青々とした竹を見ていると、それだけで心が洗われるような気がする。
「…ねぇ、さっきの話の続き。あなたの呪禁について聞きたいんだけど、いいかしら?」
「ああ、いいよ。答えられる範囲でならね」
今は魔術・呪術が秘中の秘とされていた時代ではない。誰もが呪術を学ぶことができ、呪術の才のない者にもあつかえる式神が市販される時代だ。
ことさら己の術を秘密にする必要性は低い。まして秋芳の使う呪禁は、他人がその術理を理解したところで模倣も対処もできないだろう。
天賦の才にくわえ、長年の修練があって始めて行使できる呪術なのだ。
「正直、呪禁道なんて呪術が存在するんだなんて初耳よ。道教系の呪術みたいだけど、あたし達の陰陽術と、どう違うの?」
「ええと、まず正確には呪禁『道』じゃなくてただの呪禁。道はつかないんだ」
「え、どうして?」
「柔道、剣道、神道、修験道に陰陽道。武術にしろ魔術にしろ、誰もが学べ、最低限の技術を得ることができるような体系を作ることができて始めて『道』と呼ばれる。でも呪禁はその域まで到達できなかったんだよ」
「でもあなたの家。賀茂じゃなくて連の方ではずっと呪禁を伝えていて、あなたはそれを実際に使えるんでしょう?」
「知識としては伝わっていた。だがそれをすべて実践できたのは、どうも韓国連(からくにのむらじ)広足(ひろたり)という奈良時代の人以降は俺が始めてらしい」
「またずいぶんと間が開いたわね。そんなにむずかしいものなの?」
「たんなる加持祈祷や、きのう見せた道術程度ならそうでもないんだがな――」

 道教では世界の根元となり因果の流れを司る法則を大道と呼んでいる。
 その大道に干渉し、ものの在り方そのものを歪めて、あらゆるものを「禁ずる」術。
 これこそが呪禁最大の特徴である「禁呪」や「持禁」と呼ばれる術だ。
 それぞれの存在の意義を見極める。
 そして存在に対して「禁じる」という意思を送りつけて、その意義を無意味にしてしまう。
 禁じようとしているのが、その存在のささいな属性であるのなら、それは簡単に禁じられる。
 しかし、その存在の本質的な存在意義や存在そのものを失わせようとすると、術を働かせるのは困難になる。

「…なんか、抽象的でいまいちわかりにくいわね」
「具体的な例を言うと、たとえばここに一振りの刀があるとする。刀の存在意義。つまりなんのためにあるかというと、第一義はものを斬ることだろう。だから刀を禁ずればすなわち斬ることができなくなる。見た目は変わらないのに刃がなまくらになってしまうわけだ。だが刃が斬れなくなっても刀が使えないわけじゃない。棍棒として殴りつけることはできる。突けば刺さるだろう。刀のより本質的な意義はなにか? 攻撃すること、破壊すること、傷つけ殺すこと。より高度な持禁を使えば、刀で斬ろうが刺そうが殴ろうが、まったく損傷を与えなくすることもできる。もっと厳重に禁じてしまえば刀そのものを消滅させることだってできる。これが刀ではなく包丁なら切ることが第一義。料理することが本質になる。人を傷つけるのは、それらに劣る存在意義だから、包丁で人を傷つけることを禁ずるのは簡単だが、切ること、料理することを禁ずる方がむずかしくなる」
「凄い! ずいぶん便利で応用が利きそうな術じゃない」
「ああ、だがしょせんは現実を歪める力技だ。使うには大量の呪力を必要とする。そのうえ術をしくじったり、相手に抵抗された時にはどこかでその反動が生じる。さっきの刀の例で言えば、斬ることを禁ずるのに失敗した場合、それとは別のどこかにある刀がなまくらになったり、刃物でケガをする人が出てくる。みたいに反動のあらわれかたってのは様々だ」
「良いことばかりじゃないのね。ま、もっともそういう反動や副作用みたいなのは呪術全般に言えることだけど」
「そうだ。人を呪わば穴二つ。なんて言葉があるが、これは誰が入るハメになるのかわからない穴を世界中にランダムに開けることになるからな、責任重大。神経を使うんだよ」





 地下呪練場。
「ほー、これはこれは…」
「どう? なかなかのものでしょ」

 陰陽塾の地下に広がる大きな体育館。
 中央の格技場を見下ろすように階段式の座席が三方に広がり、一方に大きな祭壇が設けられている。
「あの祭壇は神仏を祀っているんじゃないな。純粋に呪力を操作するタイプみたいだが」
「そうよ。あれで色々と環境設定ができるの。呪術防壁も万全だから、けっこう派手にやり合っても平気なの」
「やり合うって、まさかここで呪術をもちいた模擬戦でもするのか?」
「あたりまえじゃない。ここをどこだと思ってるのよ、陰陽塾よ。他にも式神だけで試合するとか、捕縛式に見つからないよう穏形する授業とか、実技も充実してるから楽しみにしててね」
「座学だけかと思ってたが、実技とはね。思ってたよりずっと本格的なんだなぁ」

 塾舎内をひと通り見て廻り、教室に戻る。

「――以上がボクたち狐狸精に伝わる化け学の概要です。姿形を様々に変えたり、幻を作り出して騙す。おもに変化と幻術の二つに重点がおかれています。変化術というのは身体を形作る五行を、陰陽の気を使い、自在に組み替えることによって術者の肉体を変貌させるのですが、この術を極めれば本人だけじゃなく、自分以外の生き物や物体も、変形、変質、縮小拡大が自由自在になります」

「マジかよ」「すげーな」「おっぱいも大きくできるの?」

「はじめのうちは腕をのばすとか身体をひとまわり大きくするとか、ちょっとしたことしかできませんが、上達すれば完全に姿を変え、そのモノの持っている特性も発揮できるようになります。たとえば泳げない人でも魚に化ければ水の中をスイスイ泳げて呼吸もできますし、鳥に化ければ空も飛べます。」

「マジかよ」「すげーな」「す、鈴鹿たんにも成れるかな?」

「次に幻術ですが、陰陽の気を操って、本来その場にないものを感覚させる術です。これもはじめはもともと存在する物を別の物に見せる。木の葉をお札に見せたりとか、錯覚させることしかできませんが、上級者になると視覚だけではなく聴覚、嗅覚、味覚、触覚。さらには見鬼の力まで騙すことができるようになります。極めれば『世界』そのものを騙せるようになり、実体がないのにあるようにかん違いさせて、幻の火で物を焼いたり、分身の術で相手をやっつけることだって可能なんです」

「マジかよ」「すげーな」「す、鈴鹿たんも作れるの?」

「中国の妲己、インドの華陽婦人、日本の玉藻前なんかの有名どころはみんな狐の化身だと言われてますが、狸と狐では狸の方が一枚上手なんです『狐七化け、狸八化け』なんて言葉や、佐渡ヶ島の団三郎狸の逸話がそれを証明してますよね」

 長々と講釈しているのは大友先生でもなければ、それ以外の塾の講師でもない。
 笑狸だ。
 笑狸が壇上で講師よろしく熱弁をふるっている。

「……なにをしているんだおまえは」
「なにって、化け狸について知りたいってみんなが言うから教えてあげてるんだよ」
「あのなぁ…、ええと、大友先生。いいんですか? 陰陽術の講義をしなくて、あいつにこんな妖術についての話なんてさせて」
「うん、ええよ。ほんまの化け狸の口からこんな話が聞けるなんて、めったにないええ機会や」
「それはまぁそうでしょうけど…」
「狸は能力だけでなく人格面でも狐より優れてて、義理と人情に篤い種族なんです。知ってますか? 日清・日露戦争の時に讃岐の国は屋島の化け狸たちが大陸に出征して、日本軍に加勢して戦ったんですよ」
(いや味方してくれるのは素直にありがたいが、人間同士の争いに妖怪が首つっこむのは、あんま良いことじゃないんだけどなぁ。古今東西、戦争なんかに絶対の正義も悪もない。どちらが勝とうが負けようが、苦しむのは常に俺らみたいな名もなき庶民だ。それにもし相手側にも妖怪が加勢したらどうなるか。それこそ『封神演義』のように争いが争いを生む。悲惨な展開になっちまう。…ん?)

 生徒達の中に気の乱れを感じる。片目をつぶり見鬼を凝らして見まわすと、先ほどの金茶髪ヤンキー男子の周囲があきらかにおかしい。

「そもそも狐は人を誘惑したり騙したりと、悪さ目的に化け学を使うのに対してボクたち狸は純粋に化け学が好きですからね。そこらへんで腕前に差が出てくるんです」
「ええい、黙って聞いておれば無礼千万! そこな野狸。ベラベラとデタラメばかり吹聴する舌、切り取って黙らせてくれようッ!」
 金茶髪ヤンキー男子のすぐ近くの空気が溶けた飴のようにぐにゃりと歪むと、次の瞬間少女が、いや少女と呼ぶにもまだ早い。せいぜい小学生になるかならないかくらいの幼女が姿を現し、笑狸に向かって突進する。
 古めかしい水干に指貫袴。頭には犬や猫のような、俗に言うケモノ耳が、お尻からはフサフサとした木の葉形の尻尾まで生えている。
 なんとも奇妙ないでたち。十中八九人外の存在だろう。場所が場所だけに誰かの式神だろうか? 外部から入り込んだ動的霊災。いわゆる妖怪の類とは思えない。
 手に抜き身の小刀を持っているのを確認した秋芳は、笑狸の前に割り込み、幼女の突撃を食い止める。

「あ~、お嬢ちゃん。なにを怒ってるか知らないが、いきなり刃物を振り回すような真似はやめてくれ」
「ええい、放せッ、放さんか下郎! 気安く触れるでない! これが憤らずにおられようか、嘘八百をならべ、狸を持ち上げ狐を下げる。断じて許さぬ!」
「ウソじゃないよ、ホントのことだもの。キミら狐は狸に劣るからボクたち狸に負けて、佐渡ヶ島や四国から追い出されたでしょ」
近い種族だからか、ひと目で相手の正体を見抜く笑狸。もっとも目の前の幼女のその姿形を見れば誰もが「狐っ娘」という印象を抱くだろうが。
「われら狐霊の数は日の本に数知れず。悪狐もおれば善狐もおり、強さ弱さもまたしかり!  過去たまたま化かし合いに勝ったからと、それが全てではないわ!」

 ジタバタと秋芳の腕の中でもがく幼女。なんか犯罪者みたいだな・・・。と、小刀だけ取って放そうとすると声がかかる。

「おい、コン。やめろって」

 一人の生徒が駆け寄る。例の金茶髪ヤンキー少年だ。

「それはいかに春虎様の言葉とはいえ承服しかねまする! コンのみならず全ての狐霊を貶める、へ、へ、へいとすぴぃち。黙って見過ごせと言うのでございますか、春虎様!?」
「ヘイトスピーチって、おまえ、どこでそんな言葉を…。ああ悪い。こいつはコン。おれ、土御門春虎の護法式なんだけど、見てのとおり子どもでさ。許してくれ」

 主である春虎に抱きかかえられ、さすがにおとなしくなる幼女――コン――。

(ほう、こいつが土御門春虎か、これは『奇貨居くべし』てやつだな。土御門夏目。立場が立場だけに、言い寄ってくる連中が多く、他者に対してガードが堅いという事は想像にかたくない。そんな夏目にいきなり接近するよりも、そいつに近い者を通して近づいた方が警戒されないだろう)

 瞬時に考えを巡らし、春虎に言葉を返す。

「いやいや、こちらこそ。うちの式神が言いたい放題で、そっちの式神を怒らせちまったようですまない。それに授業まで潰してみんなに迷惑かけたみたいだし、ここはひとつ、みんなへの謝罪として、ここに居る全員に昼飯を奢らせてくれ」

 教室内にどよめきが広がる。

「おいおい、いいのか?」
「なぁに、引っ越し蕎麦みたいなものさ。春虎さんも遠慮なんかしないでくれ」
「春虎でいいよ。えっと、こっちも秋芳て呼び捨てでいいかな?」
「ああ、好きに呼んでくれ」

 事態が収束しかけたその時。

「あれ? もう終わりなん? 僕はてっきりこのまま春虎クンのコンクン、秋芳クンの笑狸クンがたがいの意地と矜持をかけて、文字通りの式神勝負をする。恒例の流れになると思っとったんやけど」
「いつから式神勝負が恒例行事みたいになったんですかっ。煽らないでください」
「いやいや京子クン、こういうのはうやむやにしたらかえって後に残るで。他の誰でもない、当人同士がケリをつけなあかんのや」
「おお、たまには良いことを言うではないか。春虎様、どうかコンめに決闘の許可を!」
「そっちがその気なら受けて立つよ。いいでしょ? 秋芳」
たがいの主にうかがいを立てる式神達
「落ち着けってコン。大友先生、なにを言い出すんですか!」
「おまえがその気なら好きにしろ。言っておくが俺はいっさい手を出さないからな」
「お、秋芳クンのほうはええみたいやな。春虎クン、これも授業の一環やで~。使役式同士のフリーバトルなんてプロの現場にでも行かんとなかなか目にするもんやない。それが今できるんや。実技のお手本だと思うてみんなに見せたってや」

「いいぞいいぞ!」「また式神バトルか!」「コンちゃんも笑狸ちゃんも頑張れ!」


 どうにも場の流れは式神勝負の方向へ向かっている。

「はぁ……、わかりました。おいコン。あんまり無茶するなよ?」
「ははっ、ご承知していただきありがとうございます。ありがたき幸せ!」
「よっしゃ、ほな呪練場にレッツらゴーや!」





 夕刻。
 渋谷区道玄坂にあるワインBAR。
 二人の青年が卓をはさんで食事をしている。
 卓上にはアクアパッツァ、鴨のコンフェ、エスカルゴと牡蠣のブルギニョン、海老のフリッターなどなどの料理が所狭しと並べられ、湯気を立てている。

「そら、いい加減に機嫌を直せ。せっかくの酒と飯が不味くなるぞ」

 僧侶のように頭を剃りあげた短身痩躯の青年がそう言いながらグラスに注がれた赤ワインを口にする。

「べつに、もう怒ってないってば」

 坊主頭の相手とは対照的に長髪の青年がそう返す。
 秋芳と笑狸だ。
 笑狸はいつもの少女のような姿ではなく、二十歳そこそこの成人男性の姿をしている。
 外で酒をたしなむ時は大人の姿形に化ける笑狸だが、好んで女性の姿になる普段とは違い、男のなりをしているのは、不機嫌のあらわれ。
 十五年も行動を共にしている秋芳にはそのことが良くわかった。
 むっつりとした表情で牡蠣をつまみ、口に入れる笑狸。
 ちなみに二人とも洋食でも箸で食べる派だ。

「あ、これ美味しい!」
「バジルの香味が効いてるな」

 相好をくずして、目の前の料理を頬張り始めたその姿に、さっきまでの不機嫌さは面影もない。

(こいつ、ほんと単純だなぁ…)

 グラスをかたむけ、しみじみとそう思う。
 あの後――。
 地下呪練場で土御門春虎の護法式コンと試合をした笑狸だが、結局のところ勝負は引き分けに終わった。
 たがいに決定打となるものが不足していたからだ。
 試合の始め、笑狸は大型犬に変化し、コンに襲いかかった。
 狐狸精という種族は犬を苦手とする者が多い。
 それなりの妖力霊力をもった個体でもこれを克服することができず、ただの犬相手に恐慌状態におちいり正体を見破られたり、深手を負わされることがある。
 すでに犬恐怖症を克服していた笑狸はこれを狙ったのだ。
 だが生憎とコンは生来、犬など苦手にしていない。
 物怖じもせずに小刀で迎撃し、牙と刃、刃と鉤爪と、丁々発止のせめぎ合いをしたかと思えば、両者距離をとり狐火や狸火の撃ち合い。虎に変化した笑狸が再度組み合いにもっていき、また離れて狐火と狸火の撃ち合い。大熊猫(パンダ)に変化した笑狸が組み合いにもっていき、また離れて……。
 ただの一般人相手になら致命的な猛獣の一撃だが、穏形や霊体化したコンには躱され透かされ、あたらない。
 またコンのほうの刀や狐火も、笑狸にあたりはするが傷一つつけられない。化け狸である笑狸の体は見た目以上に頑丈にできている。
 午前中に始まり、みんなが昼食をとっている間も戦い続け、午後の授業も観戦についやし、放課後になってもまだ決着がつかず――。
 結局、講師である大友先生の放つ捕縛式からいかに長く逃げ切れるか。というサドンデス方式で勝敗を決することになったのだが、ものの見事に両者とも同分同秒で捕まってしまった。

(こいつとコン。俺と春虎。主と式神。たがいの顔を立てるため、あれはわざと同じタイミングで捕まえたんだろうな。大友陣。自分から式神勝負をけしかけておいて、なんとも食えない男だ)

 秋芳から見ればノーダメージとはいえ実際に攻撃を受け続けた笑狸のほうが負けという判決だが、あえてそれを口にすることはしなかった。
 引き分けという不本意な結末にヘソを曲げた笑狸のご機嫌取りに、こうして前から気になっていた店に食事をしに来たわけである。

「あ、ワインも美味しい。軽すぎず重すぎずコクがあってサッパリしてるね」
「そっちはポルトガル産のだったな。俺のチリ産のはスパイシーな風味があって後に残るぞ」
「ひとくち味見」
「ああ」

 たがいのグラスを交換して味見する。

「美味いな。肉でも魚でもどんな料理にも合いそうだ」
「んん~、野趣あふれる芳醇な味がするよ~」

 その時だった、秋芳の全身を貫くような悪寒が走る。
 氷の舌をもつ無数の毒蛇に、体中を舐められているかのような感覚――。

「……ねぇ、秋芳。感じる?」
「ああ……。この感じ、邪視だな」

 邪視とは悪意や害意をもって対象をにらみつけることで呪詛する呪術だ。
 イービルアイ、邪眼、魔眼などとも呼ばれ、世界中に似たようなものが伝わる。

「餓えたイボイノシシの涎がキ●タマにしたたり落ちたような、気持ちの悪さだね」
「なんだよそのたとえッ! わけわからねぇよ!」

 ツッコミつつ周囲を見まわし、視線の主を探し出す。もちろんキョロキョロと顔を動かしたりはしない。
 得意の八方目で手にしたグラスを見つめつつ、周囲を探る。
いた。
 二人の女性が炯々たる眼光を発し、こちらを凝視している。今にも涎を垂らしそうな、餓えた獣のような相貌をして、ささやき合っている。

(ううむ、恐ろしい。獣の生成りか? なにを話しているのやら……)

 あいにくと読唇術の心得はない。気づかれぬようそっと導引を結び、口訣を唱える。

「五行の理を以て、清冽なる水気、眠りし耳を研ぎ澄まし、雑たる音を遮らん。疾く!」

 五行思想において耳は水行に属する器官であり、水気をもってこれを強化することが可能だ。
 今回はさらに雑音を排する指向性聴覚の機能も付与した。

『いいわぁ、男子の回し飲み。ああいう何気ない行為にぐっときちゃう!』
『あの二人、やっぱりつき合ってるのかしら? 仲良さそうだし、絶対そうよね』
『あの長髪の子から小悪魔受けのオーラをひしひしと感じるわ』
『あたしも! う~ん、これは間違いなくリアルファンタジーね』
『~~~~!』『~~~~!』

 獣の表情から一転、ニヨニヨしながらこちらを見つめ、腐談義に花を咲かせている。

「……どうやら、邪視じゃなく腐視線だったみたいだな」
「ボクたちを腐ィルターごしに見てたんだね」

 笑狸のほうは特に術を使わずとも彼女たちの会話を聞き取ったらしい。獣系の使役式は総じて五感に優れている。

「ねぇ、秋芳。あの人ってばこの前の寮母さんじゃない?」
「なぬ?」
 
 二人の貴腐人。茶色いロングヘアーのほうには見覚えがないが、黒髪ボブカットにセルフレームの眼鏡をかけたほうには見覚えがある。
 陰陽塾男子寮・寮母の富士野真子だ。
 寮に入る手続きをしたさい、軽くあいさつを交わしたはずだ。

『あら? あの子って…』
『ん? どうしたの?』
『こんどうちの寮に入る子じゃないかしら。ほら前に言った、かわいい男の子を連れて来た子よ』
『ああ、あの男の子連れの!』
『思い出した。賀茂秋芳君だわ。…前に連れてた男の子とは別の子とあんなに仲良さそうにして、とんだプレイボーイね!』
『彼の基本属性って受けかしら? 攻めかしら?』
『そうねぇ――』

 妄想するのは勝手だが、誤解はこまる。

「おまえのこと、ちゃんと紹介しとくか」

 席を立ち、富士野らのもとへ行き声をかける。

「寮母の富士野さんですよね? 賀茂秋芳です。迷惑じゃなければ一緒に飲みませんか?」
「あ、あらあら! 奇遇ね賀茂君。ちょうど今あなたのお話してたのよ、…あの子だぁれ? 恋人さんかしら?」
「はじめまして賀茂秋芳君。女子寮寮母の木府亜子です。男子寮のほうは転入が続いてにぎやかそうね~。それであの子ってやっぱ恋人なの?」
「いま、紹介しますよ」

 …… …… …… …… ……。

「――というわけでしてね、彼は俺の式神で、その正体は化け狸なんです。未成年のナリで外で酒を飲むのも問題なんで、こうして大人の姿になってもらってるわけなんです。別に男をとっかえひっかえ漁ってるわけじゃないんで」
「じ、自分の式神を!? 春虎君もそうだったけど、最近じゃそういうのあたり前になってるのかしら……」
「しかもケモノっ! ケモナーっ! 獣姦っ! こっちも春虎君と同じだわ。お姉さん、若い子の性癖にはちょっとついていけないかも」
「でもロリコンの春虎君と違ってケモナーショタの秋芳君のほうがまだ健全よね」
「え~と、俺の話を聞いてましたか? つか、春虎ってばロリコンなんですか?」
「お姉さんたちってナマモノ好きの貴腐人なんですか?」
「二次もナマモノも乾物も好きよ!」
「ボク、最近の『男の子いっぱいアニメ』て最初からやおい臭出しまくりで萌えないんですよね」
「あら、どうして?」
「いかにも『このキャラでやってくれ』的な設定とか、鼻につきませんか」
「でもそのほうが見てて楽しいわよ」
「気軽に楽しめるわよね」
「二人ともなにを言ってるんです! 男同士の真の友情だからこそ、それをイタズラする面白みや楽しみがあるんじゃないですか!」
「「はっ!」」

 やおい漫画も昔と変わってきた。
 昔は――。

 主人公が男に惚れられる。
 ↓
「俺は同性愛者じゃない」と反論。
 ↓
「男が好きだとかじゃなく、たまたま好きになった人が男だった」とか言われる。
 ↓
 葛藤。
 ↓
 合体。

「――ポイントは葛藤の部分で、相手が男なのに惹かれていく自分に、主人公が延々と悩む。部分です。ここに文学性や物語としての深みが生まれるんです」
「ちょっと理屈っぽいけど、たしかにそうね」
「それが近年、ボーイズラブが市民権を得た影響でお手軽にヤっちゃう作品が増えたんです。理屈無しでいきなりお尻にぶっこまれてアンアンしちゃうだなんて、もう男向けのエロ本と一緒ですよ」
「そうね、男は安易にアナルを許すべきじゃないわ!」
アルコールがまわり、ずいぶんと話しが弾む。
「……あのー、そろそろ帰らないとまずいんじゃないですかね。夕食の準備とかいいんですか?」
「だいじょうぶ、らいじょうぶ。お肉も野菜も食材は買ってあるから後は作るだけよ」
若干ろれつが回らなくなっているのが実に心配だ。この状態で調理などできるのだろうか?
「レコーダーから来た映像をテレビが受けるんだから、レコーダー×テレビよね」
「そうそう!」
「フォークは鬼畜攻め、スプーンは総受け、ナイフは基本攻めなんだけど、フォークに依存してるから実質受けじゃない? 異論は認めるわ」
「わかるわ~」
「愛と恋は?」
「恋×愛」
「空と大地は?」
「空×大地」
「昨日と今日は?」
「昨日×今日」
「生と死は?」
「死×生」
「朝食と夕食は?」
「夕食×朝食」
「箸と茶碗は?」
「箸×茶碗」

 鉛筆×消しゴム、台風×日本列島、ワサビは総受け、七味唐辛子はリバーシブル――。
 ひとしきり無生物の攻め受け話に花を咲かせた後。
 富士野真子、木府亜子。二人の寮母は飲み潰れた。

「うふ~ん、アス×キラ~、新庄×加賀~」
「あは~ん、ハスまひ~、よいまひ~」

 意識はある。話しかければ答える。だが、すっかり正体を失くしてしまっている。

「場の空気のせいかな、二人ともできあがるの早かったねー」
「軽く飲み交わす程度のつもりだったんだが、こんなにもピッチが早いとは…。まるで俺たちが飲み潰したみたいじゃないか。これは送っていくしかないな」
「送ってあげても、これじゃあ仕事どころじゃないよ。夕飯どうするの?」
「たしかに、そうだな」
「秋芳の術でアルコール飛ばしちゃえば?」

 禁酒則不能酔。
 酒を禁ずれば、すなわち酔うことあたわず。
 体内の酒気を一瞬にして消して、酩酊状態の者をしらふに戻すことが可能だ。

「酒飲みとしてはその術は使いたくない」

 そうキッパリと断言する。
 いにしえの中国では酒に酔うことで精神が解き放たれ、高度な理性と鋭敏な感性を得られると信じられていた。
 李白や杜甫や白楽天といった詩人らの多くもこれを強く信じていて、酒を手放すことは無かったという。
 孔子は強い酒の危険を指摘しているが、それでも。

「惟だ酒は量無し、乱におよばず」
 と、これは乱れなければ飲んでも良しとしている。
 人類は五千年前も酒を飲んでいたし、五千年後もきっと酒を飲んでいるだろう。

「酒は人類の友だ、友を切り捨てるような真似ができるか」
「じゃあどうするのさ? 入寮初日から寮母さんを酔い潰して、みんなにひもじい思いをさせるつもり?」
「俺たちで作ろう」
「え?」
「昼の引っ越し振る舞いの続きだ。彼女たちをこっそり送った後に俺たちが厨房に立つ。俺が男子寮、おまえが女子寮担当だ」
「まぁ、ボクなら彼女に変化できるけど、料理のほうは自信ないよ」
保食(うけもち)を使え。持ってるだろ」

 市販されている料理用人造式「保食」この日本神話に登場する食物を司る神の名を冠した式は、その名の通り調理用に作られている。
 長年行動をともにした結果、霊災修祓や呪術戦といった実戦向きの呪具は秋芳が、それ以外の呪物は笑狸が身につけるようになっているのだ。

「あ、あれいっぺん使ってみたかったんだよね。買ったはいいけど、それっきりだったし」
「買って手元に置いて、いつでも使えると思うと、それだけで満足になりがちだよな。それじゃあ頼んだぞ」
「うん」





 陰陽塾男子寮厨房。
『寮母の富士野さんは持病の三巳が暴れたため、儀狄と杜康の力で休んでもらっている。ついては昼の引っ越し蕎麦の延長で自分に夕食を作らせてもらいたい』
 と、寮生たちをけむに巻いた後、さっそく食事の準備にとりかかる。
 野菜や肉を手早く切り刻み、大鍋に入れる。

「聞いたぜ。富士野さんを酔い潰したんだってな」
「入塾早々とんだ不良陰陽師もいたもんだ」
そう言いながら入ってきたのは土御門春虎と阿刀冬児の二人だ。
「いやいや、悪い気を祓うため、ディオニュソス様のもとでひと休みしてもらっただけだよ」

 悪びれもせずそう返す。
 儀狄も杜康もディオニュソスも、これらはみな酒の神だ。

「おいおい、よく言うぜ。…で、なに作ってんの?」
「チャプスイだ」
「チャプスイ? 聞いたことないけど、冬児は知ってる?」
「ああ、たしか野菜や肉のごった煮かなんかじゃなかったか?」
「まぁ、だいたい合ってる」
 チャプスイ。
 漢字では雜碎と書く。
 八宝菜によく似たこの料理の生まれにはちょっとした逸話がある。
 清の時代の中国。李鴻章という重臣が外交のためアメリカへ渡った時のこと。
 異国の高官をもてなすためアメリカ当局は贅沢なフランス料理を用意したのだが、高齢の李鴻章は食べなれない西洋料理には食指を動かさなかった。
 そこでチャイナタウンにいる華僑の料理人を呼んできて中国料理を作らせたのだが、本場の中国で山海の珍味に食べなれている人の舌にはとうてい合わない。
 だからといってなにも食べないわけにもいかないため、出てきた料理をすべて大鍋にあけ、ごった煮を作らせると、これが非常に美味しかったらしく「好吃、好吃(おいしい、おいしい)」と満足したという。
 この話が評判になり、それ以降アメリカの中華料理屋では菜譜(メニュー)に李鴻章雜碎と称するごった煮を載せるようになったとか――。

「――現在では宴会用にいったん作られた物を材料にこしらえたごった煮をのことを、特に李鴻章雜碎と呼ぶそうな」
「へー、贅沢だな」
「ん? こっちの圧力鍋ではなに作ってんだ?」
「スープ用に細かく刻んだ野菜を入れて煮てる。ほぐれたらペースト状にして、白湯と混ぜれば片栗粉なしで羹・・・、とろみスープができあがる」
「なんか手伝おうと思ったけど、その必要はないみたいだな」
「ああ、だったらそのとろみスープ作りをお願いしよう。もう少しで煮あがるから、それをそこのフードプロセッサーにかけてくれ」
「わかった」
「へへ、じゃあ俺は自分の腹ごしらえをしとくぜ」

 勝手知ったるなんとやら。どこからか探り出したパックの中身をコップに注ぐ冬児。
 ツンと鼻を突く香気。日本酒だ。

「あ、こら」
「せっかく寮母さんがお休みなんだ、たまにはいいだろ」

 そう言って中身を美味そうに口にふくむ。

「酒が、好きみたいだな。二人ともいける口か?」
「ま、ほどほどにたしなむ程度かな」

 と、これは春虎。

「俺も」

 と、これは冬児だが、すかさず。

「うそつけ、飲兵衛」

 と春虎のつっこみが入る。

「……呪術に関わる生活をしていると、めったに飲めない酒を口にする機会がある。それだけでも陰陽師を目指す価値はあるだろうなぁ」
「おいおい、いくらなんでもそりゃないだろ。てか、今までになんかそういう呪術がらみの珍しい酒でも飲んだことあるのか?」
「そうだな……、いつぞやの重陽の節句に貴船山で飲んだ菊酒は実に美味かった」

 重陽の節句。
 陰陽思想では奇数は縁起の良い陽数。偶数は縁起の悪い陰数と考え、その奇数が連なる日を節句と称した。
 しかし五行相剋相乗。相剋も度が過ぎれば良くないように、おめでたい反面悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていた。
 中でも一番大きな陽数である九が重なる九月九日を、陽が重なる重陽の節句と定め。
 この日は強い香りで邪気を祓い、長寿をもたらすとされる菊の花を飾ったり、湯船に菊を浮かべた菊湯に入ったり、菊を詰めた菊枕で眠ったりといった、菊をもちいたまじないをさかんにおこなった。
 こんにちでいう乙種呪術である。

「乙種は乙種だが、なかなかどうしてあなどれないものもある」
「へー、知らなかった。て、九月九日ってこの前じゃん。あー。なんもしなかったな」
「おいおい春虎。重陽の節句については乙種呪術の授業で習っただろ、忘れたのか?」
「……そうだっけか?」
「まったく、そんな調子だとまた夏目にどやされるぞ」
「夏目は関係ないだろ~、夏目は」
(土御門夏目か……。どんなやつか、ちょいと聞いてみるか)
「そういうえば彼もここの寮住まいだったな。昼間あいさつしたは時はずいぶんとつっけんどんな感じだったが、いつもああなのか?」
「あー、あいつ人見知りで友だち作るのとか苦手なんだよ。悪気はないんだ、まぁ、無愛想な猫みたいなもんだと思って接してくれよ」
「猫か、たしかにそういう雰囲気だな。あの艶やかな黒髪といい、さしずめ黒猫ってとこか。あ、そこの胡椒とってくれ」

 近くにある料理胡椒を手渡す春虎。

「黒猫か、あいつにぴったりかも。……あのさ、もっとぶっちゃけて言うと、あいつのあれって土御門の次期当主とか、他にもいろいろあって、自分を守るために無意識にそうしてると思うんだ。だから仲間だと思えば途端に明け透けになる。根はけっこうガキだし、その分単純なところもあるんだよ。ほんとは面白い、良いやつなんだ。だからあんま誤解しないでくれな。……て、あー、おれなに言ってんだ! なんか言葉がまとまらねぇ」

 伝えたいことを上手く言葉にできず頭をかく春虎。

(こいつ、良いやつだな)

 素直にそう感じた。

「ああ、わかった。まぁ、名門名家の御曹司なら損得勘定や、よからぬ企みを抱いて近づいてくる輩も多いだろうし、少々人見知りなくらいでちょうどいいさ」
「それだけじゃ、ないんだけどな……」
「うん?」
「例の噂さ。知ってるだろ」
「おまえとできてるって話か」
「ちげえよッ! なんなんだよそれは!?」
「いや、富士野さんたちがそんなことを……」
「忘れろっ、そんな根も葉もない噂はすぐ忘れるんだっ! 噂ってのはあれだよ、夏目が夜光の生まれ変わりってやつ――」

 土御門夜光の生まれ変わり。
 そう信じる者たちが夏目の身を目あてに、たびたび接触してくる。
 狂信的な者など、強引に拉致しようとして呪術のやりとりにまでなることもあった。
 つい最近も陰陽塾内に出入りしていた呪捜官の一人が夏目を狙い、それを春虎たちが食い止めるとう騒動が起きた。
 まさか本当にそこまでのことが起きていたとは――。
 春虎の話を聞いて呆れるとともに、怒りが込み上げてきた。
 連中が北辰王と呼び、崇め奉る土御門夜光。
 戦時中の偉人を現代に連れて来たとして、いったい彼になにをさせようというのか?
 北辰王が覚醒すれば、それだけで今の陰陽師の地位が向上するとでも?
 やっかいな霊災を鎮めることができるのは陰陽師だけだが、そもそも日本を霊災多発国にしたのはその陰陽師・土御門夜光その人だ。
 そんな人物を持ち出してきて霊災関係のすべてを解決させたとしても、マッチポンプ以外のなんでもない。
 そう簡単に一般の人々の賛同など得られるものか。
 北辰王に陰陽術をもっと高みに導いてほしい?
 自分自身の意志と力で努力も修練もせずに上達したいなどと、ふざけるにもほどがある。
 陰陽師としての矜持はないのか。
 北辰王を純粋に思慕しているから?
 それならばなおのこと軽挙妄動を慎み、切磋琢磨し。尊敬する北辰王に軽蔑されないようなおこないをするべきで、子どもに手を出すなど言語道断だろう。
 そうだ。だいたいどんな理由があろうと、いい歳をした大人が未成年に危害をくわえていいわけがない。
 
「……同じ釜の飯を食う仲間をつけ狙うやつは、ゆるせないな」
「だよな。へへへ。あんたとは気が合いそうだ」
「なぁ、飯まだ?」
「冬児、おまえ飲んでばっかいないで少しは手伝え」
「なんか手伝うことなんかあるのか?」
「いや、ない。もう少しでできあがるから口さみしいならこれでもつまむといい」
 
 そう言って冬児に差し出した小皿には、細かく千切りにされたきゅうりとにんじん、鶏肉の入ったもやし炒めが盛られてある。

「醤油とゴマ油で軽く火を通しただけだが美味いぞ。酒のつまみにも飯のおかずにも合う」
「なるほど、たしかに美味そうだ。こりゃあ酒が進むねぇ」
「あんまり飲みすぎんなよ」
「わーてるって」
「……さっきの呪術がらみの酒の話に戻るが、世の中にはたくさんの神秘の酒がある。節句の菊酒や屠蘇くらいなら自分でもこしらえることができるが、もっとレア物。アムリタ、ソーマ、ネクタル、天甜酒(あまのたむざけ)八塩折之酒(やしおりのさけ)といったの霊酒の類はいまだに飲んだことがない。中でも一番飲んでみたいのが……」
「飲んでみたいのが?」
「神便鬼毒酒」

 ブフーッ!

「わ、きたねーな。なにやってんだよ」 
口にふくんだ酒を盛大に吹き出してむせかえる冬児。
「ケホッ、ケホッ。……い、いや、ちょっと変なとこに入っただけだ。わりぃな」
「そういえばこのチャプスイにも呪術じみた逸話があったな。いわば真の李鴻章雜碎とでも呼ぶべきか――」

 食事というのはたんなる栄養摂取の一過程ではない。
 動植物を殺し、命を奪い、その魂を吸収する一種の儀式。呪術の面を持つ。
 料理の素材である動物や植物に細胞レベルで残留した魂と、調理する人間から発散されて食べ物にうつる気が消化器官を通じて食事する人間の魂に吸収される。
 同様の現象は逆方向にも起こる。
 美味しそうな食べ物が目の前に並ぶ。それを見てうまそう、食べたい、などと思う。
 そう食欲をもよおした人間の気は欲望とともに対象物に投影される。
 その余韻が残留するからこそ、残り物料理には独特の味が生まれる――。

「――そのように実際の食卓に上がり、人の目や箸にさらされた食べ物には人間の五味とは異なる味わいが生まれるそうだ。これこそ李鴻章が実際に口にした宴会料理の残り物で作ったチャプスイで、稀代の食通たちの中にはこの魂の味つけがわかる者がいるとか。この真・李鴻章雜碎の作り方は犬神作成といった巫蠱の術理にも通じるものがあるから、陰陽師としてはとても興味深いものが、……どうしたんだ春虎、なんか顔が死んでるぞ」

 憮然とした表情で固まっている春虎。

「あー、ダメダメ。こいつ呪術とかそっち方面は素人同然だから」
「そうなのか?」
「あ、ああ。おれつい最近まで普通の学生してたんだよ――」

 あれこれと長話をするうちにできあがったチャプスイは寮生たちにはおおむね好評で、残るようなことはなかった。




 
 夜。
 陰陽塾男子寮の一室。
 急ごしらえで部屋の隅に作った祭壇の前で札に文字をしたためる秋芳と、ベッドの上で携帯ゲーム機をいじる笑狸の姿があった。他の寮生との相部屋になることも考えていたが、部屋の数に余裕があるらしく、こうして二人で一部屋がもらえたのだ。
 女子寮担当の笑狸のほうは笑狸のほうで首尾よくことを収めたらしい。
 秋芳はなにをしているのか?
 紙銭(しせん)を作っている。
 紙銭とは道教でもちいる供物で、神仙に祈願したり護符を作る時に燃やす「あの世」で使えるお金で。この紙銭は燃やすことで天界や冥界に送金され、受け取ったむこうの神々がいろいろと便宜を図ってくれるという仕組みだ。
 これをおこたるといざという時に力を貸してくれない。具体的には道教ベースの術が発動しなくなるなどのこまったことが起こるので、非常に大事である。
 紙銭には金紙、銀紙、冥銭など様々な種類があるが、秋芳が作成しているのは、そのいずれでもない。
 一文字一文字に自身の呪力を込めて綴った、特製の紙銭。例えるなら宝石のようなものだ。
 できた紙銭を両手で捧げ持ち、玉皇大帝以下、天界の神々へ奉献する祭文を唱える。
 すると紙銭は音もなく燃え上がり、灰も残さず消滅した。
 これで儀式は完了だ。
 秋芳のこのおこないは現代の陰陽術の観点で見たらかなり奇異。異質に見えるだろう。現代の呪術と夜光以前の呪術の大きな違い。それは呪術という技術から宗教色を極力排除したことだ。
 呪術の前提条件から信仰心の類を切り捨てたからこそ、元来曖昧模糊としていた呪術の因果性を明確化することができた。これはその後の呪術の技術的発展という面において実に画期的なことだった。
 これにより術式の簡易化や普遍化。呪術を万人が学べ、あつかうことのできる技術になったといっても間違いではない。
 もっともそれにより呪術の主たる目的だった、ある系統のスキルや方法論を、その体系の中から除外することになってしまったのだが……。
 賀茂に伝わる陰陽術や連の呪禁術にはまだそれらが残り、伝わっている。
 紙銭を供え終えた後も、符を持ち出し、なにやら別の作業にかかる秋芳。

「あれ? まだ寝ないの?」
「ああ、土御門夏目の監視や警護用に式神を作ろうと思ってな」
「ふ~ん、警護ねぇ。真面目にやる気になったんだ」
「なにを言う。俺は最初から真面目だ」

 春虎から聞いた夜光信者の襲撃。そのようなことが実際にあった以上、手をこまねいているわけにはいかない。
 とりあえずなにかあった時のために、離れた場所からでも夏目の居場所や状態がわかるようにしておきたい。

(こういう場合、小さな虫の式神をコッソリ忍ばせるのがセオリーなんだが、相手はあの土御門夏目。周りに異質な気があればすぐに気づかれるだろう。なまなかな穏形ではダメだ。あいつ自身の髪の毛や爪でもあればより巧妙な偽装ができるのだが……)

 髪や爪はなにかと厭魅に利用されがちなので、その処分に細心の注意をはらう陰陽師は多い。部屋の床やゴミ箱をあさって見つかる可能性は低いだろう。
 思案する秋芳をよそにひと通り楽しんだ笑狸がゲーム機を置いてTVを点ける。
 陰陽庁の広報番組はいくつかあり、ゴールデンタイムなどによく絵になる霊災修祓の様子や、見映えの良い若年の陰陽師などにスポットをあてた内容の番組を放送している
 特に最近は大連寺鈴鹿という史上最年少で陰陽一種を取得し、十二神将の一員となった少女が『神童』などと呼ばれ、もてはやされている。
 今流れているのはそのような類のものではなく、霊災の発生状況についての情報番組だ。○時○分ごろ、××でフェーズいくらの霊災が発生。○時○分ごろに修祓完了。
 霊災発生地点の予測。最近の霊災の傾向と対策などの事柄が事務的なアナウンスされる。
霊災ニュース番組を確認して一日を終えることを日課にしている陰陽師は多い。

「……おかしいな」
「おかしかったら笑ったら」
「ハッハッハって、違う! ……どうも妙だと言っているんだ」

 ここ最近発生した霊災の種類に偏りがある。

「あきらかに黄泉還り系の霊災が多い」
 以津真天、餓鬼、狂骨、舟幽霊、骨鯨、目競……、先月秋芳が倒した以外の纐纈鬼の出現報告まである。
「言われてみれば、タイプ・スペクターが多いけど、て。フェーズ3の霊災多すぎ! そっちのほうが驚きだよ」

 タイプ・スペクター。俗に言うところのアンデッド・モンスターだ。いずれも伝承にある「死んでからよみがえった」怪物に類似する特徴をもった動的霊災。あるいはそれらの生成りをこのように分類している。
 ちなみに現在の汎式陰陽術では『幽霊』的存在を通常とは霊相の異なる特殊な霊災として定義している。
 あまりに霊力の強い人間や様々な呪的条件がそろった場合、人は死後、その残留霊体が特殊な霊災の核となるのだ。

「ああ、たしかに、それもあるな」

 とかく隠蔽、秘密主義をやり玉にあげられがちな陰陽庁だが、ここ最近は開かれた組織であることをさかんにアピールし、国民に理解され親しまれるよういそしんでいる。大連時鈴鹿のアイドルじみた活動もその一環だ。
 公表された数字に嘘偽りがないと信じているが、それならそれでこの霊災数は少し異常かも知れない。地震や台風の多い「あたり年」だと思えばそれまでだが、やはり気になる。

(気になるといえば昼に視た星々の幻視も気になる。倉橋京子。あの娘はいったい……)

 どうにも気もそぞろだ。今日はもう寝ることにする。
 自分のベッドに横になる
 すると当然のように笑狸が横に寝そべり話しかけてくる。

「クラスの子や女子寮の子をざっと見た感じだと、あの京子ちゃんよりもおっぱいの大きい娘はいないみたいだね」
「そうか。暑苦しいぞ、自分のベッドで休め」
「もっとよく観察して、こんど京子ちゃんに化けてあげるよ」
「いや、そういうのほんといいから」
「足のきれいな子もチェックしてみるよ。秋芳ってば美脚の女の子好きだからね~。あ、じゃあ今夜は脚のきれいな子に化けて添い寝してあげる」
「今夜『は』てなんだ『は』て。まるでいつもそういうことをさせてるみたいだろうが。暑いんだから向こうへ行け」
「誰がいい? キャンディス・スワンポール? テイラー・モムセン? コン・イエンソン? 戸松遥?」
「最後の一人だけジャンルちがくねぇか? つうか化けるな」
「ちがくないよ、きれいな脚でしょ」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ脚が三本ある戸松遥に化けてあげる」
「どこの都市伝説に出てくる妖怪だよ! 多けりゃ良いってもんじゃないから!」
「それじゃ化けるよ、変――」
「禁術則不能発、疾く!」
「ぶはっ!?」

 術を禁ずれば、すなわち発することあたわず。
 発動しようとした変化の術が強制的に禁じられる。
 その後もしばらくたわいのないやり取りをした後、結局同じベッドで就寝する二人であった。 
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