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役者と蕎麦屋

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第二章

「直侍さんに食ってもらって皆に言ってもらったらいいんだよ」
「どういうことでい」
「だから歌舞伎だろ」
 このことから言うのだった。
「役者さんが演じるだろ」
「ああ、それはな」
「だったらね」
「ああ、わかったぜ」
 柳吉も女房が言いたいことを察してわかった顔になって頷いて言った。
「つまり役者さんにうちの蕎麦を食ってもらうか」
「お願いしてね」
「それでだな」
「舞台でうちの蕎麦だって言ってもらったらいいだろ」
「いい考えだな、それじゃあな」
「それでいくね」
「ああ、何でもやってみないとだ」
 柳吉もこう言った。
「駄目だからな」
「そうだよ、何でもやって」
「それで駄目ならな」
「屋台かざるを出すんだよ」
 せいろもである。
「そうするんだよ」
「よし、じゃあちょっと楽屋に行くか」
「そうしてね」 
 こう話してだ、二人で早速だった。
 歌舞伎の楽屋に行きその直侍を得意としている尾下菊之助にことの事情を話した、菊之助はこの時化粧を落としてすっきりとした二枚目の顔に着流しという恰好だったが。
 その二枚目のきりっとした顔でだ、夫婦の話を聞き終えて言った。
「そういえばおいらもな」
「蕎麦はだね」
「最近ざるかせいろばかりだよ」
 そうだというのだ。
「実際にな」
「そうだね」
「ああ、汁蕎麦はな」 
 それこそというのだ。
「とんとだよ」
「それをね」
「うちでかい」
「食ってね、それで気に入ったら」
「直侍の舞台でだね」
「食ってうちの蕎麦は美味いってね」
「言えばいいんだね」
「そうしてくれるかい?銭は払わなくていいよ」
 店の蕎麦を食ってもというのだ。
「別にね」
「そうかい、銭を払わないならね」
 それならとだ、菊之助も乗った。銭を払わずに食えるのなら彼にしても悪い話ではなかったからだ。
「おいらもいいさ」 
 涼し気な目元とよい形の眉を綻ばせて言った、端正な口元から見える歯も白くきらっとしている。
「それで」
「よし、じゃあな」
「そちらさんの店に行ってな」
 まずはだ。
「蕎麦を食わせてもらうよ」
「そしてだね」
「美味いとな」
 柳吉が言う江戸一ならというのだ。
「そうさせてもらうよ」
「よし、じゃあ品川のうちの店まで来てくれるかい」
「そうさせてもらうよ」
 こう話してだ、そしてだった。
 菊之助は実際に二人の店に行って彼等以外はいないその店で蕎麦を食った、一口ずるりと威勢のいい、まさに直侍の調子で食ってだ。
 そのうえでだ、こう言ったのだった。
「いいね」
「そうだろ」
「ああ、美味いよ」 
 言うだけのものはあるとだ、隣に来ている柳吉に話した。
「実際にね」
「そうだろ、俺の汁蕎麦は江戸一なんだよ」
 自信と共に言い切った。
「嘘は言わないからな」
「江戸っ子は嘘は言わないだな」
「そうだよ」
 まさにというのだ。
「食ってもらった通りな」
「そうだろ、何ならもう一杯いくかい?」
「もう一杯か」
「美味いなら余計に食いたいだろ」
 だからだというのだ。 
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