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トシサダ戦国浪漫奇譚

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第一章 天下統一編
  第二十五話 牛鍋

 俺は自分の陣所の縁側に腰をかけのんびりと時間を浪費していた。
 季節は春。心地よい風が陣所の中を通り過ぎていく。時間がゆっくりと過ぎているようだ。
 韮山城での戦いが嘘のようだ。
 秀吉と命をかけ交渉し、韮山城攻めに望んだ。
 一歩間違えれば腹を切っていた。あの時の秀吉の顔は本気だった。俺はふと視線を自分の腹に落とし、右手でさすった。
 俺は生きている。
 俺は賭けに勝利した。
 俺は息を深く吸いこみ目を瞑った。韮山城の城攻めで精も魂も尽きた。このくらいの休息は許されるだろう。
 今の俺は具足を身に着けず、普段着の着物姿だ。俺の与力だった者達は秀吉の指示で俺の家臣として組み入れられることになった。

「嘘のようだ。数日前まで命をかけ戦ったのにな」

 長閑だ。
 俺が今居る場所が北条家の本拠地である、小田原、と思えない。散発的な小競り合いの報告は上がってくるが豊臣軍による一方的な戦いだ。北条軍も豊臣軍の圧倒的な物量を理解し、最近は亀の様に小田原城に籠もっている。その結果、豊臣軍は暇を持て余している状況だ。
 でも、北条征伐後のことを考えると気が滅入ってくる。大和大納言家の連枝。この立場は危うい。俺の見立ててでは大和大納言家は改易されると見ている。畿内に大封を持つ身内が居ることは味方として心強いが敵に回ると厄介な存在になる。史実で秀吉が大和大納言家を改易した理由は秀吉が秀次の力が強まることを恐れたからだろう。

「殿」

 俺は視線を向けると、俺の警護役、柳生宗章がこちらを向いていた。
 珍しいこともあるものだ。
 柳生宗章から俺に声をかけてくるとはな。彼の様子は何時になく神妙なただずまいだ。

「又右衛門、どうした?」

 俺は柳生宗章に声をかけた。柳生宗章は俺に対し手をついて姿勢を低くした。

「殿に士官をさせていだけませんでしょうか?」
「私が大和大納言家に連なる者になったからか?」
「違います。殿の采配と心意気を側で拝見させていただき、私が仕えるのは、あなた様以外にないと思いました」
「私は豊臣一門とはいえ貧乏だぞ。伊豆の知行を安堵されたといっても空手形の状態だからな。それでもいいのか?」
「些事です」

 柳生宗章は穏やかな表情で言った。ここまで言われては士官しない訳にはいかないな。俺も穏やかな笑みを浮かべた。

「二百五十石だ。仕えてくれるか?」

 俺は真剣な表情で柳生宗章の顔を見据えた。柳生宗章は俺に平伏した。

「殿、十分にございます。よろしくお願いいたします」
「よろしく頼む。こういう時は酒を出したいところだが金がなくてな」

 俺は苦笑いを浮かべた。

「必要ありません。殿の警護役が酒を飲んでは務めを果たせません」

 柳生宗章は俺に笑顔で返事した。いつも仏頂面だった柳生宗章とは思えない反応だった。

「そうだな」

 俺は笑顔で柳生宗章に答えた。





「殿、蒲生様が参られました」

 小姓が小走りで俺の元にやってきて蒲生氏郷の訪問を伝えてきた。蒲生氏郷が何のようだ。縁談話の件はもう済んだはずだ。
 しばらく放っておいて欲しい。
 俺も気持ちの整理をしたいんだ。
 会わない訳にもいかない。蒲生氏郷は俺の義父となる人物だからな。
 俺は小姓に蒲生氏郷を奥座敷に通すように言った。俺は柳生宗章を伴い蒲生氏郷と会うことにした。蒲生氏郷も具足を身に着けず着物姿だった。この情勢下で物々しい格好をする必要もないからな。
 蒲生氏郷はいつ見ても美男だな。
 俺も美男に生まれたかったとつくづく思う。咲姫と上手くやっていけるか不安になってくる。咲姫は絶対に美女だ。劣等感に苛まれ息の詰まる生活が待っているかもしれない。

「婿殿、忙しいところ済まなかった」

 蒲生氏郷は俺の気持ちなど解すること無く笑顔で挨拶してくる。

「いいえ。調度のんびりしていたところです」

 俺は佇まいを正し座したまま蒲生氏郷に向き直る。

「暇をしていたか」

 蒲生氏郷の反応はわざとらしい。彼は目的があって俺のところにやってきたのだろう。

「関白殿下が小田原に在陣する諸将に家族を呼び寄せるように命令があった」

 俺は史実を知っているため驚かなかった。

「その様子ではもう知っていたか? 相変わらず耳の早い奴だ」
「知りませんでした。でも、小田原の様子を見れば戦場と思えない。派手好きの関白殿下なら、そういう趣向をお考えになっても不思議でないと思っただけです」

 俺は興味がない様子で淡々と答え、縁側に視線を戻す。長閑な天気だな。蒲生氏郷は早く帰らないだろうか。

「張り合いのない小僧だ。それでは女子(おなご)には好かれないぞ」
「別に女子(おなご)好かれなくてもいいです。好きな女子(おなご)だけに好かれればいいと思っています」

 俺の話を聞いた蒲生氏郷は沈黙し感慨深そうな表情で俺を見た。

「婿殿の言う通りだ。確かに誰彼構わず愛想を振りまく必要はない」

 蒲生氏郷は深く頷きながら言った。彼は生涯側室を持たず正室一筋だったからな。俺の言葉に共感したんだろう。

「一途な婿殿に朗報だ。先ほど家族を呼び寄せることになったと言っただろう。義妹の咲も呼び寄せることになった。十五日もあれば小田原に来るだろう」

 蒲生氏郷は一々と気に障ることを言う。俺は彼の真剣な表情と裏腹に咲姫と会うことに不安を覚えた。一度も会ったことのない相手、許嫁、のことを想像する。性格が悪い女性だったらどうしよう。気の強い女性だったらどうしよう。考えても仕方ないことは分かっている。咲姫との縁談は豊臣宗家、秀吉、の意向だ。これが撤回されることは絶対にありえない。関東に領国が確定している俺と奥州に移封される蒲生氏郷が閨閥で繋がることの効果は大きい。
 政略と分かっているが、咲姫に会ってみたい気持ちはある。
 でも、俺はお世辞にもかっこよくない。
 俺は凡人・木下家定の子供だ。秀吉や同僚、家臣達は俺を名将ともてはやすけど、俺の見た目は平々凡々だ。
 俺は大和大納言家の連枝となった。だから、俺と咲姫は似合いの相手なことは間違いない。
 咲姫は間違いなく美女だろうと思う。でも、俺はいつも彼女に劣等感を抱きながら生活をしていくかと思うと途端に憂鬱になる。
 側室の夏は美人だが、家臣筋ということもあり拒絶されることがない安心感があるんだと思う。
 夏に対して失礼だし、卑怯な考え方だとは思っている。でも、仕方ないじゃないか。美女とお近づきになる人生とは無縁だったんだ。
 自己嫌悪になってくる。
 それに夏に申し訳ないと思ってしまう。仕方ないことと分かってる。最近、夏と心の距離が近くなった気がする。その関係が壊れるんじゃないかと心配だ。夏は俺のことを何とも思っていないかもしれない。でも、俺に少しでも情を持ってくれているなら、夏を傷つけるかもしれないと不安になってくる。許嫁が決まって以来、夏に会っていない。
 夏と顔を合わせづらかった。
 一度彼女に会っておいた方がいいな。夏には咲姫との話をちゃんとしておく必要がある。

「婿殿、何を考えている?」

 蒲生氏郷は物思いに耽る俺を凝視していた。

「いいえ。何も」
「思うところがあるなら話して欲しい」

 蒲生氏郷は俺への言葉づかいを変えた。俺を対等な相手として喋っていることが分かった。

「私はお前を見込んで、お前に義妹を嫁に出すことを決めた。そのお前が、その態度では義妹に申し訳ない。私と妻は義妹には幸せになってほしいと思っているんだ」

 蒲生氏郷は俺に胸襟を開いて語りだした。蒲生氏郷の義妹に対する家族の情を感じた。その言葉に嘘偽りはないだろう。
 俺は何と答えるべきだろうか。

「私には側室がいます」

 俺は言葉を切った。

「彼女は政略で私の側室になりました。はじめは人質として扱う気持ちでした。でも、会話をする内に彼女と打ち解け情が湧いてきました。今回の縁談で彼女を傷つけることになるのではと思いました」
「その女子(おなご)が好きなのか?」

 蒲生氏郷は沈黙し、間を置いて俺に質問してきた。

「分かりません。でも、私を短い間ですが私の心を支えてくれたことは確かです」

 俺は蒲生氏郷の目を真正面から見据えた。蒲生氏郷も俺の目を見据えた。

「そうか。私の見込みに間違いはなかった」

 蒲生氏郷は一度言葉を切ると俺のことを真剣な表情で見た。

「その側室を遠ざけろとは言わない。義妹に一度会って欲しい。それでも義妹を好きになれないというなら、私から関白殿下に縁談の解消を願い出る」
「今更、縁談話を解消できるわけがないと思います」

 許嫁を解消できる訳がない。幾ら蒲生氏郷でもできないはずだ。秀吉は公式に俺と咲姫の縁談を宣言している。

「良いのだ」

 蒲生氏郷の声音は強い意志を感じさせた。彼が本気であることが分かる。
 何なんだ。
 俺が悪者みたいじゃないか。
 蒲生氏郷が勝手に縁談を進めておいて、こんな言い方をするのか。
 卑怯過ぎるだろう。

「話題を変えよう。豊臣侍従殿、一緒に美味い食べ物を食いにいかないか?」

 蒲生氏郷は他人行儀に俺に食事の誘いをしてきた。
 何で俺がお前と飯を食いにいかなくちゃいけない。お前のおかげで良い気分だったのが台無しだ。

「無理にとは言わない」

 一々かんに障る言い方をする。

「調度腹が減りましたからご一緒します。私は貧乏だから金を持っていませんよ」

 蒲生氏郷は笑った。貧乏なのは事実だからな。韮山城の城攻めで散在してしまった。

「金の心配はいらない。私も誘われたのだ」
「誰のことろに行くのですか?」
「高山彦五郎のところだ。前田家の客将をしている。珍しい食い物を食べさせてくれるというので今から行くところなのだ」

 高山彦五郎って誰だ。高山というと、高山右近くらいしか知らない。

「その方はどんな人物なのです?」

 俺は高山彦五郎という人物に興味が湧き、彼のことを聞いた。

「高山彦五郎は元は播磨明石六万石の大名でキリシタンだ」

 俺は言葉を失った。キリシタンには関わり合いたくない。
 高山彦五郎は高山右近のことじゃないのか。彼は熱心なキリシタンだったように思う。
 そういえば、蒲生氏郷もキリシタンだった。

「高山彦五郎は築城の縄張りだけでなく、内政・軍事にも通じている。会っておいて損はない」

 蒲生氏郷は俺を是が非でも高山右近に合わせるつもりのようだ。俺は蒲生氏郷についていくことにした。






「どこに行くのですか?」

 俺の前を蒲生氏郷は悠々と歩いている。俺は彼から目的地を告げられず、蒲生氏郷の背中を見ながら付いていっている。

「前田様の陣所に向かっている」
「前田様ですか!?」

 高山右近に会いに行くのに、どうして前田利家のところに向かうんだ。

「お前でも驚くことがあるんだな」

 蒲生氏郷は表情を崩した。高山右近は秀吉に追放されたまでは知っていた。
 その後、前田家に厄介になっていたのか。
 前田利家なら秀吉が追放した相手でも保護できる立場にある。でも、彼がよく保護したものだ。余程気に入ったのだろうか。

「蒲生殿、高山彦五郎は前田様に厄介になっているのですか?」
「そうだ」
「よく前田様は高山彦五郎を保護されましたね」

 俺は疑問を蒲生氏郷に投げかけた。蒲生氏郷はくすりと笑うと口を開いた。

「『吝嗇で知られる前田様が何で?』と言いたげな顔だな」

 俺は素直に頷いた。

「高山彦五郎の人柄と、その多才さに惚れたのだろう。私も内心は客将として迎えたいくらいだ。お前も気に入る」

 高山右近に会ってみたいと思うが、秀吉に追放された人物であることが気になる。蒲生氏郷は美味い料理が食えると俺を誘った。高山右近が蒲生氏郷を饗応するということだろう。客将の立場の人物の饗応で美味しい料理が食べられるのだろうか。

「高山彦五郎の饗応なんですよね?」

 俺は暗に食事を期待していいのか聞いてみた。

「本当に美味いから安心しろ。高山彦五郎は客将とはいえ一万石の食禄を前田様から与えられている。あまり相手を侮っては失礼になるぞ」

 蒲生氏郷は表情を引き締め俺に注意してきた。
 一万石の食禄!?
 俺より実高と同じじゃないか。けちな前田利家が一万石も出す。それだけで出すだけの価値がある人物なのだろう。築城の知識も豊富だし、戦歴も優秀だからな。ただ、秀吉の手前客分にするのが精一杯だったのだろう。前田利家の本音は直臣にしたかったのかもしれない。でも、前田利家の性格ではそんな度胸はないだろう。

「大盤振る舞いですね」
「そうだな」

 蒲生氏郷は口元に指をあて笑った。

「実はな。高山彦五郎がお前に会いたいと言ったのだ。それで食事に誘ったのだ」
「高山彦五郎が私に会いたいと言ったのですか? 私は高山彦五郎とは面識がありません」
「今やお前は有名だからな。四万の軍勢で落とせなかった城をたった五百の兵で攻め落とした。どんな人物か興味を抱くことは当然のことだろう。そして、私はお前の(しゅうと)になる予定だ」

 高山右近は親交のある蒲生氏郷が俺と縁戚になることを知り、蒲生氏郷に仲介を頼んだということか。

「関白殿下への口添えはできません」
「期待していない」

 蒲生氏郷は言葉を切ると歩くのを止め厳しい表情で俺のことを見た。少し怒っているように見える。

「高山彦五郎はそんなせこい真似はしない」

 俺が高山右近をうがった見方をしたことが許せないのだろう。ここまで怒るということは俺の懸念は杞憂だったようだ。

「口が過ぎました。申し訳ありませんでした」
「分かってくれればいい」

 蒲生氏郷はそう言うとまた歩きだした。彼は真っ直ぐ芯の通った人物と感じた。俺もこんな男になりたいと思ってしまう。
 でも、こういう人物は戦場で卑怯な駆け引きを積極的に使わないと思う。屑で、屁たれで、卑怯で、畜生のハイエナみたいな伊達政宗とは相性が悪いだろうな。
 そうこうしていると前田家の陣所についたようだ。前田家の家紋である梅鉢紋の軍旗が彼方此方にはためいている。
 前田家の陣所に近づくと足軽に止められるが、蒲生氏郷のお陰ですンなりと陣所に入ることができた。彼は日頃からよく前田家の陣所に来ているのだろう。

「着いたぞ」

 蒲生氏郷は足を止めた。高山右近の陣所は客将ながら、前田家の陣所の中心に近い場所に陣所を設けていた。軍旗の家紋は七曜だ。高山右近のことは知っていたが家紋は知らなかった。一つ賢くなったことに内心喜びを感じた。
 俺は蒲生氏郷の後を付いて陣所の建物の中に入っていく。途中、小姓達が俺達の応対をしてくれた。小姓達の所作は教育が行き届いている感じがした。俺のように半端な感じがしない。
 一番奥の部屋に通され、部屋に入ると俺は言葉を失った。部屋の中には先客がいた。彼は囲炉裏のある場所に腰をかけている。

「細川殿」

 俺は平静を装いながら細川忠興に声をかけた。細川忠興も俺を見て急に無表情になる。俺と細川忠興は赤井氏縁者を士官する際に一悶着を起こして因縁がある。
 彼の父、細川幽斎、は俺が誠心誠意頭を下げて頼んだら納得してくれた。彼も父の顔を立てて表向きは納得してくれた。でも、この様子ではまだ俺に一物を持っているような気がする。

「忠興殿、そんな顔をしなくてもいいだろう。折角、彦五郎が宴席を用意してくれたのだ。楽しくやろうでないか?」

 蒲生氏郷は機嫌良さそうに細川忠興に声をかけた。細川忠興は無表情だったが、どうするか悩んでいる様子だった。

「婿殿、そこで何を立っている。こっちに座らないか」

 蒲生氏郷は体を移動して細川忠興の真横の席に座るように案内してきた。細川忠興は蒲生氏郷の言葉に困惑気味だったが何も言わない。
 なおも蒲生氏郷は俺に座るように促してきたため、渋々細川忠興の横に座った。

「細川殿、横を失礼させてもらいます」
「豊臣侍従様、お気遣いご無用にございます」

 俺と細川忠興は固い会話を交わした。その様子を見終えると蒲生氏郷は俺の横に座った。

「細川殿が舅殿のご昵近とは知りませんでした」
「蒲生殿とは懇意にしていただいています。この度の縁談お喜び申し上げます」

 俺と細川忠興が社交辞令のような会話をしていると部屋に入ってきた。身なりからして、この陣所の主、高山右近、だろう。
 彼は態勢を低くして俺に近づいてくると、俺の目の前に腰をかけた。

「私は高山彦五郎と申し上げます。豊臣侍従様、態々お越しいただきありがとうございました」
「高山殿、美味な料理を馳走していただけると聞き、足を運ばせていただきました。今日は楽しみにしています」
「そう言ってくださるともてなしがいがございます」

 高山右近は俺が俗物な口ぶりをすると機嫌良さそうに笑った。横目で細川忠興に視線を向けると彼は居心地悪そうに視線を動かしていた。

「細川殿、今日も楽しんで行ってください」
「楽しませていただきます。あれを食べるのが楽しみで足繁く通わせていただいています」

 細川忠興は急に饒舌に語りだした。料理は期待していいようだ。不味い料理なら細川忠興はこんな世辞は言わないと思う。

「直ぐに用意させます」

 高山右近は蒲生氏郷の横に腰をかけ小姓に指示を出し、囲炉裏に底が平たい鉄鍋を配置させた。囲炉裏には薪がくべられ鉄鍋が熱せられる。
その間に鍋に入れる具材が運び込まれた。その具材に目を疑うものがあった。

「豊臣侍従様、気になられますか?」
「それは牛の肉ですよね?」

 高山右近は俺の指摘に驚いている様子だった。

「牛の肉とよく分かりましたね」

 高山右近は好奇心に満ちた目で俺を見ていた。口を滑らしてしまったか。この時代、牛の肉を食う文化は日本にない。西洋人と関わりを持つ高山右近のことだ。西洋人から情報を得たのだろう。
 牛肉を見ると霜降りでなく赤みだ。老齢の牛を絞めた肉だと硬そうだ。

「この肉は若い牛を絞めたものですから気に入ると思います」

 高山右近に俺の腹の中を読まれたようだ。

「そうですか。楽しみにします。牛の肉を以前見たことがあったので気づきました」
「それはどちらででしょうか?」

 高山右近は俺を追求してくる。

「堺です。私は天王寺屋と懇意にしています」
「天王寺屋ですか」

 高山右近は納得したように頷いていた。

「話が長くなりましたね。早く準備をしましょう。豊臣侍従様、今日の料理は牛鍋です」

 高山右近は話を切ると、熱した鉄鍋に牛の脂身を入れ油を張り肉を焼く。肉の上に砂糖を載せ、肉が焼ける頃合いを見て醤油をかけ肉を浸した。食欲を刺激する美味そうな臭いが鼻腔を刺激する。

「豊臣侍従様、お召し上がりください」

 高山右近は甘辛い汁が染みた肉を木製の椀につぐと俺に手渡した。

「かたじけない。先にいただかせていただきます」

 俺は蒲生氏郷と細川忠興に目礼をすると肉を口にした。久方振りの過去の記憶に残る味だ。

「美味い」

 俺は感嘆し、思わず言葉が口から漏れた。

「それは良かったです。肉は沢山あります。存分にお召し上がりください」

 高山右近は笑顔で俺に言った。この時代に砂糖は簡単に手に入らない。これだけふんだんに砂糖を使うとは金と太い人脈があるということだ。前田利家が手放さないわけだ。

「鶏の卵が欲しいですね」

 俺は高山右近に言った。

「鶏卵ですか?」

 高山右近は要領が得ないという顔をした。蒲生氏郷と細川忠興も同じだった。この時代は牛鍋は一般的でない。すき焼きを卵で食べるという文化もないだろう。

「牛鍋の肉の味は強い。生の鶏卵に肉をつけて食べれば、卵のお陰でまろやかな味わいになります」
「そうなのですか?」
「はい、一度試されてください」

 高山右近は俺の話に真剣に聞いていた。

「豊臣侍従様はやはり面白い御方のようだ。常識に囚われない御方と思っておりましたが、美食家でもあられるとは」
「美食家と言うほど大層なものでありません。たまたま知っていただけです」
「そういうことにしておきましょう」

 高山右近は俺にそれ以上は突っ込んだ質問はしてこなかった。
 その後、俺は蒲生氏郷、細川忠興、高山右近と一緒に牛鍋を囲み肉の味を堪能した。はじめは会話が少なかったが、食事が進むと会話が弾んできた。硬い態度を取っていた細川忠興も後半は俺と普通に会話をしていた。
 もしかして蒲生氏郷は俺と細川忠興の因縁を聞きつけてお節介をしたのだろうか。 
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