ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)
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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城のトラウマ」
第二十五話 黒川城
八月九日、会津黒川。
山を抜けて、盆地に出た瞬間、俺は馬を止めた。
広い。
四方を山に囲まれて、その内側が、まるごと田だった。
穂が出ていた。青みの残る、重そうな穂だった。
(……いい田だ)
水が回っている。畦がまっすぐだ。用水の落差が取ってある。
誰かが、何十年もかけて直してきた土地の顔をしていた。
(そりゃ、皆が欲しがるわけだ)
関白は、城には入らなかった。
城下の興徳寺という古い禅寺を御座所と定めて、そこへ入った。
城は、まだ空になっていなかったからである。
俺の役目は、兵糧方の下働きだった。
十万石の大名にやらせる仕事ではない。
だが、奥州仕置の軍は五万を超えている。数えられる人間は、いくらいても足りなかった。
(まあ、この方が性に合ってる)
俺は、蔵の受け渡しに立ち会っていた。
伊達の家来が、米俵を担いで出ていく。
こちらの奉行が、数を読む。新九郎が、それを帳面に書きつける。
俺は、数を目で追っていた。
――四百。五百。六百。
「――また、帳面か」
声がした。
伊達政宗が、蔵の入口に立っていた。
白装束ではなかった。ごく普通の、旅装の小袖である。
(……芝居は、もう終わったのか)
「お久しゅうございます」
俺は、頭を下げた。
「そなた、わしの顔を、一度も見ぬな」
政宗が言った。
「宇都宮でもそうであった。皆はわしの目を見る。……そなたは、蔵を見ておる」
「顔は、動きまする」
俺は答えた。
「蔵は、動きませぬ」
政宗が、黙った。
それから、蔵の中を見回した。
「――この城はな」
「はい」
「わしが取った城じゃ。蘆名を潰して、去年、取った」
男は、太い柱を指で弾いた。
「一年よ。一年しか、居らなんだ」
「一年で、蔵をここまで満たされました」
政宗の指が、止まった。
「……褒めておるのか、そなた」
「勘定しております」
政宗が、声を上げて笑った。
蔵の梁が鳴るほどの、大きな笑いだった。
ひとしきり笑って、男は袖で口を拭った。
そして、こう言った。
「――羽柴殿。北はな、寒いぞ」
「は」
「都の御方は、稲が実れば米が獲れると思うておられる。……冷える年は、穂が空になる」
政宗は、俺を見ていなかった。
外の、青い田を見ていた。
「飢えた者はな。物を考えぬようになる」
「――その者どもに、いきなり竿を入れて、去年より重い年貢を申しつけたら、どうなると思う」
俺は、背筋が冷たくなるのを感じた。
(……この人、言ってるぞ)
(起きる、と言っているんじゃない)
(――起こす、と言ってるんだ)
政宗は、戸口で足を止めた。
「――葛西も、大崎も、昨日まではわしの下におった者どもよ」
男は、振り返らずに言った。
「わしも、この城を取り上げられた身じゃ。……あの者どもと、同じよのう」
(――同じ、ときたか)
同じであるわけがない。
この人は米沢七十二万石を安堵されている。あちらは、家ごと消えた。
だが――と、俺は思った。
冬が来る。新しい領主は、明日来た他人だ。竿が入り、刀が取り上げられる。
そのとき、昨日までの親分が「わしも同じじゃ」と言ってきたら。
(……信じるかもしれん)
(他に、頼る相手がいなければ)
政宗は、それきり何も言わずに出ていった。
俺は、その背中を見送った。
(止められない)
証拠がない。あるのは、蔵の入口で聞いた世間話だけだ。
これを関白に申し上げたところで、「羽柴が伊達を陥れようとしている」で終わる。
(……知っている。知っていて、何もできない)
*
八月十日。関白が、黒川城に入った。
そこからの四日間は、嵐だった。
朱印状が、次から次へと出た。
小田原に来なかった者は、片端から潰された。
葛西、大崎、石川、稗貫、和賀、白河結城。
――家が、一日に何軒も消えていく。
そして、会津四十二万石。
――堀左衛門督秀政。
俺は、その名を聞いて、膝の上の拳を握った。
(……この城に入るのは、蒲生氏郷だ)
俺の知っている歴史では、そうだった。
黒川は若松と名を変え、鶴ヶ城が建ち、近江から商人が移されて、漆と酒の町になる。
だが、その氏郷は、宇都宮から伊勢へ帰っていった。
まだ松坂の主のままである。
(俺が、この人を生かしたからだ)
早川の水を沸かせと言った。器を熱湯に通せと言った。寝所を高みへ移せと言った。
それだけのことで、一人の男が死ななかった。
――そして、この国の座席が、一つ動いた。
その夜、俺は堀秀政の宿所へ呼ばれた。
嫡男の秀治が、脇に控えていた。十五になっていた。
「四十二万石じゃ」
秀政は、そう言って、笑った。
笑って、咳をした。
秀治が、無言で父の背に手を当てた。
慣れた手つきだった。
(……慣れてるんだな、この子は)
「お加減は、いかがにございますか」
「治った」
秀政は言った。
「――治った、ということにしておる」
俺は、何も言えなかった。
「小出――いや、羽柴殿」
秀政が、行灯の火を見ながら言った。
「そなたのおかげで、わしは生きて奥州を見た。……礼を言う」
「もったいのうございます」
「じゃが、越前から会津じゃぞ」
男は、苦笑した。
「遠い。寒い。人が足りぬ。前の主は追い出されたばかりで、地侍は誰も彼もこちらを睨んでおる」
(――ああ)
(引き継ぎのない、遠い、揉めてる現場だ)
「左衛門督様」
俺は言った。
「雪が降る前に、薪と、味噌にございます」
秀政が、顔を上げた。
「城の普請も、検地も、後になされませ。……この冬に人が凍えて死ねば、来年は誰も竿を持たせてくれませぬ」
秀政は、しばらく俺を見ていた。
それから、また咳をして、笑った。
「そなたは、いつも同じことしか言わぬな」
「水と、飯と、厠じゃ」
「それで、人が死なずに済みますゆえ」
俺は、頭を下げた。
問題は、翌日の朱印状だった。
――旧葛西・大崎領、三十万石。
――木村伊勢守吉清、その子・清久に下す。
(……は?)
俺は、自分の耳を疑った。
木村吉清。関白の直臣ではあるが、それまで一国どころか一郡も預かったことのない男である。
その男に、いきなり三十万石。
しかも、一昨日まで葛西と大崎の家来だった連中が、そのまま住んでいる土地にである。
(……前世で、見た)
主任をすっ飛ばして、いきなり所長にされた男がいた。
会社は「抜擢だ」と言った。
半年で、あの現場は燃えた。人が辞め、工程が崩れ、最後は元請けが乗り込んできて、その男は消えた。
悪い男ではなかった。
――器に対して、現場が大きすぎただけだ。
俺は、石田三成を捕まえた。
「治部少輔様。……検地は、いつからにございますか」
「九月じゃ」
三成は、即答した。
「刀狩と併せて、年内に片付ける」
「――収穫の前に、竿を入れるのでございますか」
「入れる」
「奥州は、冷える年がございます。今年の穂の入りを見てからでも」
「羽柴殿」
三成が、俺を見た。
冷たい目ではなかった。疲れた目だった。
「では、いつやる」
「……は」
「冬か。来年か。再来年か」
三成は、束にした朱印状を持ち直した。
「関白様は、五十四におわす」
俺は、返す言葉を失った。
(……そうか)
(この人たちは、工期を切られてるんだ)
しかも、その工期を決めているのは、人の寿命である。
俺には、それを延ばす方法がない。
その日の夕方、俺は木村吉清の陣を訪ねた。
上機嫌だった。
「おお、羽柴殿! いや、めでたい、めでたい!」
男は、俺の手を取らんばかりだった。
「わしはのう、去年まで蔵入地の代官じゃぞ。それが三十万石よ。……関白様は、見ておられたのじゃ」
(……ああ)
(この人、俺だ)
四月前まで五百石だった男が、いま十万石を食んでいる。
人のことを言えた義理ではない。
「伊勢守様。……差し出がましいことを、三つだけ申し上げてもよろしゅうございますか」
「なんじゃ、申せ申せ」
「一つ。今年の年貢は、去年の帳面のままになされませ」
「二つ。竿は、雪が解けてからになされませ」
「三つ。代官には、その土地の者をお使いくださいませ。……道と、水路と、村の境を知っておるのは、その者どもだけにございます」
木村吉清は、にこにこと聞いていた。
そして、こう言った。
「――じゃがのう、羽柴殿。関白様は、急げと仰せじゃ」
(――ああ)
(そうですね)
「……さようにございますな」
俺は、頭を下げて、辞した。
(言った)
(言って、聞かれなかった)
前世でも、何度もあった。
安全帯を締めろと言った。段取りを一日ずらせと言った。
――聞かれなかった。そして、落ちた。
俺にできるのは、言うことまでだ。
言われた側が、聞くかどうかまでは、俺のものではない。
(……分かってる)
(分かってるんだ、そんなことは)
*
八月十四日。
黒川城の大手前に、諸将が並んだ。
城割の触れが出ていた。要らぬ城は壊せ、と浅野長政が奉行に立っている。
(作るのは半年。……壊すのは、三日だ)
俺は、遠くの山際に見える小さな城が、煙を上げているのを見た。
(……いつか、俺も城を壊す側に回るのかもしれんな)
そして、関白が現れた。
小さな体が、大手の石段の上に立った。
「――皆の者!」
よく通る声だった。
「北条は滅び、奥羽は残らずわしの手に入った。……これにて、天下は静まったぞ!」
鬨の声が上がった。
地面が震えるほどの声だった。
俺は、頭を下げていた。
(……四十年、完工検査に立ち会ってきた男として、言わせてもらうならば)
(これは、完工じゃない)
(引き渡しだ。検査も、手直しも、まだ何も済んでいない)
列を離れるとき、関白が、俺の前で足を止めた。
「秀定」
「はっ」
「そなた、なぜ笑わぬ」
(……見てるなあ、この人は)
俺は、平伏した。
「恐れながら――まだ、帳面が合いませぬ」
関白は、しばらく黙っていた。
それから、扇で俺の肩を叩いた。
「――合わせよ」
それだけ言って、行ってしまった。
(……無茶を言う)
その夜、俺は帳面を開いた。
――会津四十二万石 堀左衛門督秀政。
――旧葛西・大崎領三十万石 木村伊勢守吉清・清久。
――伊達政宗 会津没収、米沢七十二万石。
――検地、九月より。刀狩、城割、あわせて年内。
俺は、筆を止めた。
(……燃えるぞ、ここは)
十月になれば、葛西と大崎の旧臣が蜂起する。
十一月には、和賀と稗貫が続く。
木村父子は城に押し込められ、来年には九戸が城に籠もる。
俺は、それを知っている。
言った。聞かれなかった。
証拠のない話は、口にすらできなかった。
(――知っていて、止められない)
これで二度目だ。
俺は、帳面の隅に、小さく書いた。
――薪、味噌、塩。会津へ。
伊豆から会津まで、船と川を継げば運べる。銭は俺が出す。
四十二万石の大名に、十万石が薪を送るのは、筋から言えば余計なお世話である。
(……だが、送る)
止められないものが多すぎる。
なら、せめて、届くものだけは届けておく。
*
八月十四日。
関白は、黒川を発った。
――秋は、すぐそこだった。
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