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幻影想夜

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第二十八夜「夢の切れ端」


「時ちゃん!ほら、これ!」
「あ!いいなぁ。私もおっきいのほしいよ!」
 子供の笑い声が聞こえる…。心地好い風にセミの声…。

「…あ…。」
 ふと…目を覚ます。
「私…転た寝してたのね…。」
 どうやら初秋の風に誘われるように、服を畳んでいる最中に眠ってしまったらしい。
「もう年ね。でも…何だか懐かしい夢を見たわ…。」
 七十にもなるとダメねぇ。昔のことばかり思い出されるわ。咲ちゃん…元気にしてるかしら…。
「おい、飯まだか?」
 そこへ亭主が顔を出して聞いてきたので時計を見た。
「あらやだ…もうこんな時間。直ぐに支度しますから。」
 そう言うと私は畳み掛けの服を脇に寄せ、立ち上がって台所へと向かった。
 私と同じであちこちにガタのきた台所…もう五十年近くもここで食事を作り続け、時に亭主と子供たちのお弁当を…時に息子のお嫁さんと…思い出が詰まった私のお城…。
「さてと…肉じゃがは作ってあるから、ホウレン草の胡麻和えと…あ、貰ってあったイシモチでも焼きましょうか…。」
 そう言いながら手を動かす。この年になると、遣ることを口に出しながら遣らないと忘れてしまう…。
 でも私は…転た寝で見た夢を忘れられず、そのことを食事中、亭主に話してみた。
「あぁ…咲枝か…。俺達の結婚式以来だから…もう五十年近く会ってないか。」
「そうなの。それなのに夢に見るなんて。」
「まぁ、こんないい陽気だから、そんな懐かしいことを夢に見たんだろう。」
 亭主はそう笑ながら言って食事を続けた。
 私もあまり気にしても仕方無いと食事を続けたが、不意に亭主が言った。
「なぁ…それだったら、久々に田舎へ行ってみるか?」
「…どうしたの急に。いつも旅行へ行こうって言っも嫌だ嫌だと言ってるくせに。」
「いや…結婚してこっちへ来て以来帰ってないからなぁ。うちらの親は早くに亡くなって実家もないし、帰る必要もなかったんだが…。でも、時雨旅館ならまだやってるんじゃないか?」
 私は目を丸くした。亭主は根っからの出不精なのだ。
 これも年の為せる業なのか…。
「そうね。それじゃ、いつにします?」
「そうだなぁ…明明後日が両親の命日だから、明日の昼には出ようか。」
「また、そんな急に。」
「そんなもんだろう?これといって用がある訳でなし、家は隣の土田さんに言っておけば心配なかろう?」
 私は溜め息を吐きつつ、「分かりました。」と言って、食器をまとめて台所へと下げたのだった。

 翌日、私は荷物を纏めると、亭主と一緒に家を出た。
 振り返れば…こうして二人で出掛けるのは何年ぶりかしら…。お見合い結婚だったけど、今では並んで歩き…何を言わなくても分かる仲になった。
 子供を三人育てて送り出し…大病もせず老後を二人で健康に過ごせてる。こんな幸せがあって良いものだろうか…。
 私達は駅から新幹線を使い、後はバスに揺られ…夕になりかけた頃に懐かしい町へと入った。
「変わらんもんだなぁ。」
 亭主はそう言うけど、私の記憶の中にはコンビニなんてものはなく、大きなデパートもない。逆に…よく通っていた銭湯はなくなり、一面のひまわり畑はビルの下になっていた。
 変わってない所と変わった所…それらを見ながら時雨旅館へと向かう。
 遠くで蜩が鳴き、空を見上げれば夕の紅が迫ってきていた。
「いらっしゃい!連絡してくれたら送迎もやってるのに!」
 私達を出迎えてくれたのは、幼馴染みでこの旅館の女将をしている小糸ちゃんだ。
 彼女は十八の時にこの旅館の長男と結婚し、二十六の時には女将を引き継いでいた。先代の女将…義母が倒れたためだが、それでもこうして元気に遣れてるのだから…。
「小糸ちゃん、元気そうで何よりだわ!」
「そう言う時江ちゃんも!ここまで歩いてくるなんて、本当に変わってないわねぇ。」
 そうして女同士で盛り上がっていると、脇で亭主が「もう良いか?」と、何とも間の抜けた声で言ってきた。
「あら…もう私ったら!あっちゃんもごめんなさいねぇ。直ぐ案内しますね。」
 小糸ちゃんがそう言うと、私達の荷物を仲居さんが持ってくれ、直ぐ様部屋へと案内してくれた。
 因みに、小糸ちゃんが言った「あっちゃん」とは亭主のこと。名前が明彦だから…。
 部屋は十二畳程の広さで、窓から見える庭には池と紅葉…ゆったりと出来る良い部屋だった。
「時ちゃんもあっちゃんも懐かしい人ばかりでしょ?後で裏に顔を出してやってね。」
「ああ。尚や洋一にも挨拶せんとな。」
「それじゃ、ごゆっくり。時ちゃん、また後でね。」
「ええ、楽しみにしてるわ。」
 そう私が笑ながら返すと、小糸ちゃんも笑ながら「それでは、失礼します。」と言って部屋を出ていった。
「女子会でもやるつもりか?」
「そうよ!折角だもの、ゆっくり話したいじゃないの。あなたもそうしたいんじゃありません?」
 私がそう返すと、亭主は腕を組んで言った。
「そうだなぁ…たまには酒でも飲んでくるか。」
「旅行ですもの、楽しまないと。」
 私も亭主も苦笑した。旅行…なんてしたこともなかったから、二人してどう楽しめば良いやら分からなかったのだ。
 それでさえ楽しいなんて…不思議なものねぇ。

 夕食の後、亭主は颯爽と旅館裏へ向かう。昔馴染みに会うためだ。
 私は私で、裏手にある女将の部屋を訪ねていた。
「それでさぁ、康広のこと覚えてる?」
「あぁ、あの足の速かった…覚えてるわ。あの人が走ると、女子は黄色い歓声を上げていたものねぇ。」
「そう!その康広ね、何と四回も結婚したのよ!」
「ええ!」
 私は目を丸くした。
 今で言うなら陸上選手の様な彼。スラッと背は高く、その整った顔立ちに、一体どれだけの女子が憧れたことか…。それでいて実直な性格で、とても四回も結婚したなんて考えられなかった。
 一度の再婚ならいざ知らず…四回って…。
「どうもねぇ、宝石商になってかなり稼いだらしいのよね。資産もかなりあるらしいし、そのせいか…女遊びが激しかったらしいのよ。」
「まぁ…あの誠実な人がねぇ…。お金はないと困るけど、あり過ぎても困るってことかしら。」
「そうよねぇ。ま、今の奥さんとはもう二十年になるし、年貢は納めたんじゃないかしら?」
 小糸ちゃんの言いように、私は思わず笑ってしまった。
 どれだけお喋りしてもし足りない程、私達は会えなかった時間を埋めるように喋り続けたが、ふと…咲枝ちゃんのことが頭を過った。
 やっぱりあの夢が気になるのだ…。
「ねぇ…咲枝ちゃんて、今どうしてるのかしら。」
「あぁ…時ちゃんは知らなかったんだ。咲ちゃんね、随分前に亡くなったのよ?」
「…え?」
「もう十七年…いや十八年になるのかしら。何でも、海外の山の中で、崖から落ちたって聞いてるわ。」
「海外…?山の中って…何でそんなとこに…。」
 私は首を傾げた。
 結婚してからと言うもの、引っ越したこともあるけれど…忙しさのあまり友達とは疎遠になっていた。
 だから…病気や老いによる死は何となく仕方無しとは思ってはいたけど、彼女…一番の友人と言える咲枝ちゃんがそんな亡くなり方をしていたと聞き、自分はなんと言う薄情な人間なのかと…そう思えて仕方無かった。
「咲ちゃんね、何だっけ…ええと…そう、昆虫学者になったのね。それで海外には良く行ってたんだって。」
「昆虫学者…。」
 あぁ…そうか。あの夢、二人で虫取りしてた時の…。
 そうだったわ…あの頃、私に話してくれていたわね…虫の先生になるんだって…。
 そして…私も…。
「そうだったの…。もう一度、会いたかったわ…。」
「あなた達仲良かったもんねぇ。尤も、私達だってそう長かない事だし、向こうでこうして話せばいいじゃない。」
「全く…そう言うとこは変わらないわね。」
「どういう意味かしら?」
 そうして二人で笑い合う。
 確かに小糸ちゃんの言う通り。元気と言ってももう七十…。何だか寂しい気もするけど、もう充分な気もする…。
「そう言えば、小糸ちゃん。あなたこれからどうするの?女将業もそろそろ辛いんじゃない?」
「ほんとはもう引退したいんだけどね。長男も嫁も継ぎたくないって…。」
「え?それじゃ…この旅館は?」
 私は顔を顰めて返す。まさか長男も嫁も代々続く旅館を見放すなんて…確かに辛い仕事だけど、ここは天然温泉もあれば釣りの出来る川も、山菜や茸が沢山採れる山もある。
 ここは辺鄙な田舎町だけど、都会の喧騒を忘れられるゆったりとした穏やかな場所…何が不満なのかしら…。お客だって、ひっきりなしに来てるのに…。
 私の不満が分かったのだろう…そんな私へとニッと笑いかけ、小糸ちゃんは言った。
「そんな顔しないでよ。」
「でも…。」
「あなた達が着たとき、荷物を運んだ仲居がいたでしょ?」
「ええ。」
「あの人、次男の嫁なのよ。有り難いことに、この旅館を是非継がせてほしいって…三年前から見習いで仲居に入ってるの。」
「そうなの!?でも、次男はそれで良いって?」
「次男も会社辞めて、今は主人の下で旅館経営を学んでるわよ。もう少ししたら私も主人も次男夫婦に任せて隠居するわ。」
「なら安心。」
 そう言って二人…こっそりと小糸ちゃんの亭主が大切にしていた高級ワインを頂いたのだった。
 夜も更けたので、私は小糸ちゃんに挨拶して部屋へ戻ると、既に亭主は戻っていた。と言っても、亭主も今し方戻ってきた様子だけど。
「お帰り。楽しかったかい?」
「ええ、お陰様で。あなたも随分陽気じゃないの。」
「まぁな。久しい友にも会えたし…今度から、一年に一度くらいは帰ってくるか?」
「そうね…健康なうちは、そうしたいものよねぇ。」
 そう言うと、私達は一欠伸して床についた。時計はもう一時を回っているのだから…眠いわけだ…。

 翌日、折角だからと…朝食の後、散歩がてら懐かしい道を辿ることにした。
 暫く歩くと、子供の頃に遊んだ雑木林が見えてきた。
「懐かしいわ…ここは変わってないのねぇ…。」
 私はそう言うと、懐かしさもあって雑木林へと足を踏み入れた。
「おいおい…子供じゃないんだから…。」
 そう言いつつも、亭主も何だか嬉しそうについてきて…早速、地面に落ちているドングリや山栗を拾っている。どちらが子供なのやら…。
「あら…ヤマボウシ…。」
 もう果実も終わっている季節なのに、この林の中では今も赤い実を撓わにつけていた。
「美味しいわねぇ。ほんと、懐かしの味だわ。」
 時折、都会の街路樹にヤマボウシが使われているけど…さすがに取って食べる訳にはいかない。売ってる訳でもないから…子供時以来…。
 ふと亭主を見れば…ドングリでやじろべえを作ってる…。
 そうねぇ…あの頃は、おやつは山栗にアケビ、山葡萄にこのヤマボウシ…遊び道具は亭主の様に山から材料を見付けて作ったものよね…。
 やじろべえだけでなく、ドングリ駒や竹トンボ、縄跳びも作ったし、女の子は花や木の実で腕輪や首輪、冠も作って遊んだもの…何もなかった土地だけど、自然だけは充分あった。
 だから…子供の頃の思い出は、どこまでもカラフルで…。
「あっ…。」
 少し声を上げすぎたかしら…亭主が「どうした?」と、心配そうに私の所へ来た。
 そんな亭主に、私は櫟の幹に付いていたものを、そっと取って手のひらへと乗せた。
「なんだ、蝉の抜け殻じゃないか。」
 それは大きな蝉の抜け殻。どこか懐かしい…夏の名残…。
「私も昔…昆虫学者になりたかったのよ…。」
「お前、そんなこと一度も言ったことなかったじゃないか。」
 余りに唐突だったため、亭主は呆れ顔をして言った。

 あの夢…私と咲枝ちゃんが二人で虫取りをしていた記憶…。
 咲枝ちゃんが大きな蝉の抜け殻を見付けて、私はそれがとても羨ましく仕方無かった…。
 生き生きと夢を語っていた咲枝ちゃんはその夢を叶え…その夢のために亡くなった…。私はその夢を忘れ…こうして健康に不自由なく老後を過ごせている…。

 一体…どちらが幸福なのだろう…?

「夢の切れ端ね…。」
「なんだそりゃ。さ、もう行こうか。お昼に間に合わなくなるからな。」
「そうね…って、あなた?それ、全部持ってくつもり?」
「勿論だとも!久々に作ったにしては上出来だろう?」
 亭主は得意満面にそう答えた。それがまた可笑しくて私が笑うと、亭主は手のひら一杯の玩具を見せ付けて苦笑した。
 だけれど…こんな人だったからこそ結婚したのだから、私も大概だと思う。

 私は夢の切れ端をそっと地面へと置き、亭主と一緒に雑木林を後にしたのだった。


- さよなら…咲ちゃん。またね…。 -



       ...end



 
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